道路で本丸と二の丸が分断されてます。
井戸跡もありました。
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2022/05/09 22:14
2022/05/09 22:06
2021/07/27 20:51
2020/12/14 14:35
阿蘇外輪山に抱かれた平城 (2020/11/27 訪問)
南肥後の城廻り宇土古城でタイムアップし同日登城出来ませんでしたので八女市に2泊し日程進捗調整日、鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第24城目に阿蘇市の内牧城を目指す。
ナビは熊本県阿蘇市内牧267GoogleMap微調整して体育館駐車場に合わせて走行、ホテルを8時前に出発し八女ICより九州道熊本ICを降り国道57号線を阿蘇市大分方向へ東進、道の駅大津で先の熊本大地震で不通に成ってた国道57号線状況を確認、10月より綺麗に整備されて通れますと休息されてた方より伺い安心して57号線を走行、道の舗装は真新しく綺麗に整備されてました。阿蘇に入った辺りから霧が濃く成りフォグランプを点灯し内牧城跡体育館駐車場に到着、霧が深く阿蘇外輪山は望めず。
広い駐車場に愛車を停めて探訪、体育館の在る場所が本丸、通りを挟んで東の阿蘇公民館が有る所が二の丸、更に東のファミリーパークあそ・ビバ辺りが三の丸か?南に城下町が開けていた、北側のに蛇行した古川、南側の黒川が濠の役目の様子、遺跡の石垣は二の丸奥東のファミリーパークあそ・ビバ駐車場の南側に残ってるのみか? 本丸跡案内解説板の隣に勝海舟と坂本龍馬が内牧に立ち寄ったという案内板が有ります。
歴史は阿蘇氏の領有、島津氏に攻められ、九州征伐後加藤清正が入国すると支城として城代を置く、元和の一国一城令で廃城、加藤氏改易後細川氏が入封、内牧御茶屋を設置した。
探訪が終わり10時半過ぎには霧も一部晴れ阿蘇外輪山の頂部がくっきりと青空に映えて荘厳な雰囲気、綺麗でした、来た道を引き返し国道57号線途中に熊本大地震で崩壊した阿蘇大橋跡に慰霊碑が建てられ駐車エリアも有り立ち寄り崩落の橋と慰霊に黙礼をささげる、東海大学の学生が1名犠牲に成ってます。
八女市より片道約100km程、約2時間掛り同じ道を引き返し空いた午後の時間を佐賀のクリーク城跡の探訪に向かう。
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 阿蘇氏 |
築城年 | 天文年間(1532〜1555) |
主な改修者 | 加藤氏 |
主な城主 | 阿蘇氏、辺春氏(阿蘇氏家臣)、加藤氏 |
廃城年 | 元和2年(1616) |
遺構 | 曲輪、石垣、横堀(水堀) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 熊本県阿蘇市阿蘇町内牧字中町 |