あいとうじじょう

愛藤寺城

熊本県上益城郡

別名 : 矢部城、相藤寺城、愛東寺城
旧国名 : 肥後

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土壇が天守台?本丸
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カズサン

通潤橋南尾根筋道にひっそりと残る広大な山城 (2020/11/25 訪問)

 堅志田城を終えて国道218号線(国道445号線相乗り)を高千穂方向に道の駅通潤橋を目指して愛藤寺城を目指す。ガイドは何時もの城郭放浪記さん古城盛衰記さん余湖図コレクションさんの俯瞰図を頼りに今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第20城目初登城する。
 
 道案内は古城盛衰記さんの情報でナビを道の駅通潤橋より県道180号線を南に約5km行った所の相藤寺バス停(熊本県上益城郡山都町白藤1045)に合わせる後はGoogleMapで微調整。
 相藤寺バス停が見つかったのでその南直ぐに右折狭い坂道を登り集落中道、切通道を通り尾根の細い道を約300~400m南へ、城門跡の白い標柱が有る、左右堀切、更に細い尾根農道を南に約300~400m、右手に小高い土壇が現れる城郭跡らしいので車を道脇に広い所に駐車して探訪する。
 
 土壇は本丸、天守台の様、頂部に愛藤寺城本丸の標柱、案内板も有る、周りに石垣の残渣が点在、余湖図コレクションさんの俯瞰図を見ると1郭が天守台?2郭が本丸?畑、茶畑、西の堀を越えて3郭は3の丸、ここには行って無い、少し北に小高い丘5郭が2の丸櫓台あり櫓台まで登れず、5郭の周りに帯曲輪、城門から5郭まで林道農道の左右に曲輪が在るらしいが切通、竹藪、草茂り良く分からない、6郭は畑に成って開けてる、開けてる所を探訪するのみ、中々奥に切り込んで行けない、兎に角不安感を持っての走行です、こんな山奥によく築城したものだと思ってしまう。

 歴史は本丸跡に有る案内板に依ると。
 天台宗の古刹で愛藤寺を移して貞応元年(1222年)阿蘇大宮司惟次が城を築き在城約360余年間、全盛期には属城24城を数えた。しかし天正13年(1585年)8月島津軍の侵攻により没落した。その後佐々成政を経て小西行長、加藤清正の領有となったが、慶長17年(1612年)幕命により破却された。今でも本丸、二の丸、三の丸、厩の跡、古井戸、城の石垣、空堀、堀切りなどの遺構がのこってる。町指定文化財史跡愛藤寺城(本丸跡)、指定昭和46年11月25日、矢部町教育委員会、管理者相藤寺集落・・と有ります。
 
 城郭放浪記さん記述によると加藤氏の時代にも大改修され三層の天守が聳えていたという、と有りましたが何処でしょうか?二の丸の櫓台辺りか?案内板に在る遺跡は良く分からない、広大な城郭曲輪群で有るが全探訪は大変難しい。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 阿蘇惟次
築城年 貞応元年(1222)
主な改修者 小西行長、加藤清正
主な城主 犬飼氏(阿蘇氏家臣)、結城氏(小西氏家臣)、長尾氏、加藤氏(加藤氏家臣)
廃城年 慶長17年(1612)
遺構 曲輪、石垣、堀切、横堀(空堀)
指定文化財 町史跡(愛藤寺城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 熊本県上益城郡山都町白藤