高森城からの転戦です。県道180号の林道入口(32.651431、130.988031)から進入し、林道上の空スペース(32.646410、130.988157)に駐車しました。
林道上の空スペースに行く途中に城門標柱、二の丸(32.647599、130.988702)があります。本丸はこの位置(32.646563、130.987628)です。
築城年代は定かではないようですが、1222年(貞応元年)に阿蘇大宮司惟次によって築かれたとも云われています。
阿蘇氏の後は豊臣秀吉の家臣で佐々成政、さらに宇土城に入った小西行長の所領となり、その家臣結城弥平次が城代となりました。
この小西氏の時代に大規模に改修されたとも云われ、城内から出土したクルス瓦(十字架と聖旗が描かれたキリシタン瓦)は、この弥平次がキリシタンであったからとも考えられています。
関ヶ原合戦後に小西氏が改易となると熊本城主加藤清正の所領となり、加藤氏の家臣長尾豊前守善政、加藤正直が城代となりました。
この加藤氏の時代にも城が大改修され三重の天守が聳えていたといわれています。
県道180号から入る林道はかなり狭いですが、進んで行くと広くなります。
本丸は畑で、その北東の土壇の上に説明板と標柱があります。
本丸の西に空堀を隔てて西にあるのが三の丸、本丸の北が二の丸のようですが、二の丸へ続く道には鎖があり進入禁止のようです。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=御船城に向かいます。
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