つばいじょう

椿井城

奈良県生駒郡

別名 : 椿井山城
旧国名 : 大和

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左近くん (2024/02/03 訪問)

 登城口には奈良県平群村のマスコットキャラクター左近くんが城を守るように立っています。島左近の居城であったという説もありますが、確認できていないようです。椿井井戸登城口から登城し椿井春日神社へ下りてきました。登城路は整備されていてそれなりの山道ですが、まあまあ歩きやすくなっています。「北郭部分は平成25年4月1日より当面、見学を制限します」と書かれた案内板あり、まだ北郭へは行くことができません。北郭への道も藪になっていてわからなくなっていました。南郭の堀切、土橋、石積等を観ながら散策しました。椿井城案内板の縄張り図に描かれていた石積下の竪堀は藪になっていてわかりませんでした。

 近鉄生駒線竜田川駅から徒歩15分くらいで登城口に行くことができます。

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イオ

半分だけでも (2022/01/15 訪問)

室町期に在地土豪の椿井氏が居城として築いたとされ、松永氏のもと信貴山城の出城となったとも、松永氏滅亡後には嶋左近の居城となったとも言われますが、詳細は不明です。

矢田丘陵南端の南北ふたつのピークを中心に連郭式に曲輪群を配した山城で、北郭群が主城と考えられますが、北郭群は遺構保護のため見学路が整備されるまで進入禁止になっています。

道の駅の第二駐車場に駐めさせてもらって登城開始。東側に聳える山並みが椿井城のようです。登城口までは10分ほど歩きますが、あちこちに案内標識があって迷う心配はありませんでした。登城口は、地名の由来であり聖徳太子ゆかりの椿井井戸側と椿井春日神社側の二つあり、北郭群と南郭群の間の鞍部に続く椿井春日神社側が大手道にあたります。なお、椿井春日神社境内の西隣には宮山塚古墳と呼ばれる円墳がありますが、墳丘から大手口まで土塁が築かれ、墳丘は削平加工されて、大手口の防衛施設となっていたようです。

大手口から登ること約10分で鞍部に到着。北郭群側には進入禁止の案内表示と柵が設けられていますが、笹藪と化していて整備している様子は窺えません。鞍部から南に数段の曲輪を抜けると南郭群の主郭です。主郭には椿井城ののぼり旗がはためき、西側には平群谷と生駒山地の眺望が開けています。説明板によると主郭東下には石積と竪堀があるようですが、笹藪の中でよくわかりませんでした。主郭の南端には土塁があり、土塁の脇から下りて行くと副郭との間を隔てる深い堀切が設けられています。副郭には新しい説明板(2020年12月)とのぼり旗が建てられ、南端の浅い土塁の先には堀切と土橋があります。遺構保護のためか滑り止めか、土橋に人工芝が敷かれているのは残念ですが、土橋は細く両側は鋭く落ち込んでいて怖いほどでした。南郭群はここまで。土橋を渡って登城道を下って行くと山麓に宮裏山古墳があり、そのすぐ下が椿井井戸登城口です。

何年か前から北郭群の整備が済んだら訪れようと様子を見計らっていましたが、なかなか進展が見られないので、しびれを切らして来てしまいました。南郭群だけでは規模的に少々物足りなくはあるものの、眺望は良く、堀切は深く鋭く見応えがありました。説明板によれば発掘調査は済んでいるようなので、これからいよいよ北郭群の整備が進められるんでしょうけど、以前は登城道すらない藪の中の城だったのがここまで整備されたんですから、気長に待つことにします。
 

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マダム卑弥呼 

島左近の城へ

左近くん(キャラクター)もなかなかかわいかったです。車を置いた道の駅で買った「おにぎり」が絶品です。ぜひ。

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ぴーかる

椿井城 (2020/11/14 訪問)

【椿井城】
<駐車場他>椿井春日神社の登城口前に駐車できそうです。私は「道の駅大和路へぐり」に駐車して徒歩で行きました。
<交通手段>車

<見所>曲輪・堀切
<感想>椿井城の築城年代は定かではないが、室町時代から戦国時代にかけて築城され、当初は椿井氏の居城であったようです。戦国期には諸説あり椿井氏の居城、島左近の居城、松永久秀の信貴山城の出城等様々な説があるが史料では確認がとれていない。
 登城口は2箇所あり春日神社境内の北側横からと春日神社の50㍍程南手前からとありますが、城跡を1周するので片方側に最後出ます。春日神社境内前が広い土のグランドになっていて、車の轍もあったのでコンパクトカーくらいなら駐車してもよさそうです。
 私は境内横の北側から登城しました。登って行くと右手に竹林奥に連郭の曲輪群らしきのが見えてきますが、ちょっと未整備で入り込めず、山道を登りきったところが南曲輪群の北端の曲輪に出ます。主郭まで170㍍の立看板がありましたが、北曲輪群と主郭方向への道は草刈がしておらず行ける状態ではなかったので断念した。南曲輪群の北端の曲輪と堀切を挟んで南隣の南副郭跡が整備され、巨大で立派な幟が立てています。この2つの曲輪は堀切・土橋があり見応えがあります。そこから南の南曲輪群は細い尾根状にあり南端に堀切があり堀切を西に下って山麓に戻ります。山麓手前に古墳跡の巨石があります。

<満足度>◆◆◇ 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 椿井氏
築城年 室町時代
主な改修者 松永氏?、嶋氏?
主な城主 椿井氏、嶋氏、松永氏?
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、土橋、土坑
住所 奈良県生駒郡平群町椿井、平等寺
問い合わせ先 平群町教育委員会総務課
問い合わせ先電話番号 0745-45-2101