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カズサン

黒田氏石垣が残存見応えの有る山城です (2020/11/21 訪問)

 今回の鶴丸城御楼門探訪をメインにした九州未踏の城廻り第一弾、2年前に山城サミット安来大会の後北九州未踏の城廻りをしたのですが最終日台風24号の日本襲来により日出城近く宿泊の夜半から風雨が強く成り最終日予定の平田城、豊前松山城登城を断念し浜松まで台風と競争、台風24号は被害が酷く我が家も被災。
 そうゆう因縁の有る豊前松山城で2年振りに念願かなって登城へ、しかし松山城も水害の被災を受け山頂部崩落し登山禁止状態で麓の駐車場は閉鎖されてました。
 案内板を撮影して引き上げようとした時に松山城を守る会の方に会い危険な所を避ければ登城できる旨を教えて頂き又松山城のパンフレットも頂く、車は駐車場前の三角コーナーギリギリ交通に邪魔に成らない1台やっと停める。
 登城路は丸太の土止め階段が直道に近い形で山頂までこれが結構きつい、案内では25分と有りましたが私は40分で本丸下まで、本丸下の横堀と土塁、切岸を斜めに登る階段で余湖図コレクションさん俯瞰図の4郭と5郭の間へ5郭に降りる石段更に下の曲輪、4郭に登る石段、4郭から2郭への石段、眼前に1郭本丸、1郭の有名な石段と北法面が崩落して青シートで保全覆われてる、本丸南下帯曲輪は立ち入り禁止、西に在る3郭西下も崩落、本丸に登れない。
 豊前松山城の歴史は天平時代からの歴史が有る様ですが黒田官兵衛に九州征伐後豊前12万石与えられた北の守りの松山城として石垣を含めた改修が有ったのではパンフレットには桐紋の瓦が出土と有ります。
 修復回収の見通しは未定の様ですが暫くは登城禁止状態が続く様です、気が引けた登城でしたが折角遠い所から来たのにと教えて頂いた方に感謝です。
 ナビは城跡南麓の駐車場、福岡県京都郡苅田町松山1279辺りに合わせる。
 ガイドと情報は何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん俯瞰図に依ります。

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小城小次郎

3回落城して長い歴史を閉じた城 (2020/10/17 訪問)

阿波守護だった小笠原氏の一族は細川氏が阿波守護となった後も200年以上に亘ってこの城に居住した。そんなお城が立て続けに3回も落城して歴史を閉じ、城跡にあった小笠原神社の社殿倒壊とともに再び一つの歴史を閉じたようだ。

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いんげん丸虫

甲賀市巡り (2020/11/21 訪問)

遺構が完存してます。土塁、虎口、空堀、曲輪等とても良い状態で堪能できます。お勧めです。

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カニカニ

所要にかこつけた城巡り 1城目 (2020/11/11 訪問)

所用で福岡県に行くことになり、往復の各地の城をついで(?)に巡る、1城目。
(先に投稿の熊本城は、7城目です)
市内のどこからでも見える山の頂に、一見してそれと分かる石垣が見えた途端、心が萎えた。
ステイホームで運動不足の身体には、あの山は無理!!  夜通し運転して寝不足だし…。

擬宝珠橋は復元されていたものの、中の御門が工事中の為、中仕切門(西坂下門)から入る。
この高麗門は唯一残っていた建物であり老朽化が著しかったが、昭和50年に強風で倒壊。
同年に旧態復元したもので、復旧記なる文板が内側の高い場所に掲げられている。
それさえも45年の歳月を物語る風合いだが、復元時に使用した金具は従来のものを模造したとある。
いま目の前の金具は従来の元々の姿なのか? 45年の間に風化し変化したものなのか?
元々の錆具合や破損具合を模造したままなら、すごい技術だと思う。

すぐ上の石段の桜の古木と紅葉が、何とも言えない雰囲気で好い。
これは期待できるぞ、と さらに進むと… 。 整備された広い公園のような曲輪に出た。
石垣は積み直しされているようで、きれいに整っている。

二の丸虎口には、登り石垣というか、石土居というか…。  (全体像撮れず、掲載なし)
山裾を登ってるからやっぱり登り石垣か?
登り石垣にしては中途半端だしなー。   ”登り石垣だ。” とは、なんか言いづらいなあー。
石土居っぽいんだけどなー。    造った狙いは分かるけど、ホントの名称はなんだろう?
ここに説明板は欲しいよなー。  

いつものように、1人問答が始まったが、結論出ず。

三階櫓石垣の天端角石に刻まれた銘文説明を読んでみて、各地の城跡にもまだ埋もれた状態で
似たような物がかなりあるんじゃないのー、と思ってしまう。
天球丸へ向かっていると、”熊出没注意!” の看板が。    これで言い訳の理由は完璧!!
ところが天球丸虎口を入ろうとすると、山の上から私と同年代のご婦人たちが数人下ってきた。
完璧が、崩れた。

気を取り直して…
天球丸付近の縄張りや石垣の配置は、二の丸に比べかなり防御性が高いなー。
こっちが大手だから、と言ってしまえばそれまでだけど…。  ブツブツブツ…

それにしても天球丸巻石垣だが、だれがこの方法を考えたのだろう?
そんなに効果があるのなら、他の城跡に採用されていないのはなぜだろう?。
幕府が許可しなかったのか?

登り石垣(?)や巻石垣の ”?” が残ったのと、山上ノ丸に登らなかったことでちょっと消化不良でした。

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イオ

土造りの西の城 (2020/11/21 訪問)

(続き)

西曲輪群から2本の大堀切を越えて尾根伝いに西に進んだ先には、西の城と呼ばれる出曲輪群があります。総石垣の本城に対して土造りの城で、南北にのびる尾根の3つのピークに曲輪を設け、南の曲輪は南下に腰曲輪、北端に土塁があり、中の曲輪には北側と中央部に土塁を設け、主郭と思しき北の曲輪には南部と北西部に枡形虎口が開口しています。西の城まで行く時間がない方も、せめて2本の大堀切までは行ってみて下さい。相当な深さに掘り込まれていて見応え充分ですので。

さて、総石垣の城と土の城でお腹いっぱいのところですが、山麓の見どころも少々。登城口近くの慈眼寺の釈迦󠄀堂には、くろみつ大雄尊と呼ばれる墨塗りの明智光秀座像が安置されており、拝観もできるようですが、拝観時間外だったため未確認です。
慈眼寺から南に徒歩1分行くと篠山藩の周山代官所跡があり、道路沿いの石垣が遺構か否かは不明ですが、後背の山が綺麗に紅葉していました。代官所跡は駐車場になっており、この日はここに駐車して周山城に登城しています(登城口まで徒歩5分)。

今回の登城は時季的に落葉が多く、未明から小雨が降っていたためトレッキングシューズを履いていても斜面で2度転倒し、ストックのおかげで滑落は免れたものの、隅々まで見て回る気力が尽きてしまい(正直、怖くなりました)、本丸北下と二ノ丸北下の曲輪の先にそれぞれ連なる小曲輪群に行けなかったのが心残りです。ただ、そうでなくても再訪したい素晴らしい城なので、次の機会にはきっと隅々まで制覇したいと思っています。
 

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昌官忠

越後遠征2日間⑤ (2018/11/11 訪問)

越後遠征2日間の5城目は高田城です。御館からの転戦です。100名城スタンプは三重櫓入館券売り場で押しました。
車を高田公園第7駐車場(37.111042、138.254730)に駐車して攻城。

高田城は2回訪問しています。
1回目は2017/4/8にクラブツーリズムの「高田夜桜 信州8つの桜吹雪」ツアーで訪問。
2回目が今回の訪問です。

江戸時代の築城にも関わらず、石垣はなく土塁が採用されており、これは「大阪冬の陣」直前の工事を急いだことが原因だと考えられているようです。
現在は高田公園として整備されています。1回目の訪問時は三重櫓に入館しなかったので、今回は入館するとともに周辺の水堀や土塁を見学しました。攻城時間は40分くらいでした。写真は今回と前回の夜桜分も併せて投稿します。

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昌官忠

越後遠征2日間④ (2018/11/11 訪問)

越後遠征2日間の4城目は御館です。春日山城からの転戦です。
現在は御館公園として跡地が残っていますが、駐車場所がない為、公園周辺に路駐(37.167326、138.235309)し、説明板と石碑の写真を撮って、速攻で撤退しました。攻城時間は2~3分でした。

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昌官忠

越後遠征2日間③ (2018/11/11 訪問)

越後遠征2日間の3城目は春日山城です。100名城スタンプはものがたり館で押しました。
前泊した上越妙高駅でレンタカーを借りて春日山城へ向かう前に上越妙高駅前の謙信公像の写真を撮影。若かりし頃の謙信公なのか女性ぽく感じます。

その後、ものがたり館駐車場(37.153030、138.222577)に向かい、まずは100名城スタンプをゲット。
ものがたり館周辺の復元土塁と堀、東城砦、春日神社等を見学した後、春日山の山城二向かいました。
車は謙信公銅像下の駐車場(37.146603、138.209610)に停めました。

山城は千貫門コース(春日山神社➡千貫門➡空堀➡直江屋敷➡毘沙門堂➡本丸➡大井戸➡景勝屋敷➡御成街道➡二の丸➡三の丸➡謙信公銅像前)で巡り、ものがたり館周辺見学と併せて攻城時間は2時間30分くらいでした。

訪れたのが紅葉時期でしたので、山城は紅葉映えで綺麗でした。山城の謙信公銅像は恰幅が良くたくましい感じでした。

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todo94

ゴルフ場内に二重堀切 (2020/10/31 訪問)

この日の締め。圏央道をくぐって城址とおぼしき丘の近くまで歩いてアプローチしてみました。ゴルフ場内に二重堀切があるそうですが、一生、ゴルフをする気のない私が拝むことはできそうにありません。

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R.K.C

絶景

麓のお寺から徒歩40分~60分。かなりきついですが、頑張ればご褒美が待っています。なお、お寺の方が作成されているのでしょう、お寺の前にガイドマップがあるのでそれを参考に登るとよいです。

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姫街道

三河一向一揆に加担した城 (2020/11/29 訪問)

寂しい遺構。やはり城主が三河一向一揆に加担して家康と対峙していた。「三河武士」というと、強い忠誠心と団結力をイメージするが、織田との戦いの最中に裏切ったり、一揆に加担したりと内情は苦労してた事がわかって面白い。榊原康政誕生之碑がまだ新しいのに斜めになりながら建っているが、城主に仕えていた康政は小姓として家康に見いだされ徳川四天王の一人になった方。筋金入りの三河武士も出た城だ。

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姫街道

岡崎城の支城的役割か (2020/11/29 訪問)

遺構は残っておらず、神社があるのみ。
ただ、立地的には岡崎城に対して北の抑え的な位置にあり、近くには井田野古戦場跡や千人塚など、三河・尾張の士豪が100年間にわたって戦場となった地。この井田城は空堀や土塁に囲われた屋敷形状の城だったという。
公園の形がかろうじて面影を写す。
城の東側は山手となっているが、あまりに宅地化が進んでいて、現状では要塞であったか否かはわからない。

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姫街道

14代400年この地を治めた中根氏の城 (2020/11/29 訪問)

道根六郷(箱柳、小呂、田口、板田、岩谷、中畑)村をこの城を拠点に長年に渡り支配していた中根氏。城も川を渡ってうっそうとした竹藪の中にある。周囲を石仏遊歩道として整備してあるようで、古い歴史を感じる。
竹藪の中、石積み上に「箱柳城跡」の小さな看板が立つが…後世の段々畑跡の雰囲気も若干あり…
勿論、この地に由緒ある城があった事は疑いようもない。岡崎は〇〇松平が多いなか、この中根氏の城は一見の価値あり。

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姫街道

織田対今川・松平の激戦地 (2020/11/29 訪問)

安城古城に行ってから安城城へ登城した。
松平氏というのは、織田に熾烈なまでに攻撃を受けていたのだろう。なんと10年間で3度に渡って安城城争奪戦が繰り広げられたとある。その中で松平方は今川に頼らざるを得ない状況だったのだろう。
遺構は、本丸が寺で二の丸が神社となっている。立派な歴史博物館が隣接しているので、城巡りというより博物館へ行くとした方が良かったかも。

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姫街道

対織田における松平の前線 (2020/11/29 訪問)

城びとの地図でいくと住宅街の中、狭い交差点付近にたどり着く。北を向くと竹藪と、いかにも城道っぽい狭い道。少し竹藪に向かって歩けば、そこが古城跡であった。古城らしくギリギリの土盛。ただ、市指定にしてあるところは、さすが安城市。織田信長の父織田信秀対家康の祖父松平清康の勢力争いがこの地であった事に想いを馳せる。

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姫街道

遺構がほとんど残ってないワケ (2020/11/29 訪問)

安城市はさすが家康公のお膝元、どこも遺構がよく残ってると感じていたが、どうもここだけは、遺構がほとんど無い。。。調べてみると、城主であった桜井松平氏の祖、信定がどうも一癖あった方みたいで、家康の祖父である松平清康とソリが合わなかったようです。なるほど納得。
けど、まだ公園になってるだけマシです。

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姫街道

三河一向一揆の拠点 (2020/11/29 訪問)

家康公に激しく対決した遺構は、ことごとく潰されていると思いきや、国指定をもらってます。寺の裏が魅力的だと伝え聞き散策した。土塁が大きく回っていて素晴らしいが、何となく立ち入り「迷惑」っぽい雰囲気。
寺の裏手な池だったのか、腐葉土で埋めつくさているが、落ち葉の上を歩くとズブズブと沈んでいくので注意が必要。ただ、寺の中庭は紅葉も色付き圧巻の雰囲気。堀に蓮子が咲く時期にも来てみたい。

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姫街道

3つの顔を持つ城 (2020/11/29 訪問)

今川時代の大浜城、家康時代の羽城、江戸時代の大浜陣屋。結構、似たような場所にあったのでしょうが、基本的には大浜陣屋跡として公園化してあります。
陣屋周辺の道も狭く、当時が忍ばれます。
陣屋でも殺伐とした雰囲気の所もありますが、ここは車通りがあるスーパーのまん前にある殿様的な雰囲気がする陣屋。
ただ、位置的に舟運の重要拠点であったのは間違いなく、陣屋周辺の散策とセットで楽しみたかった所。

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姫街道

屏風折れの土塀と土塁 (2020/11/29 訪問)

見所満載で、観光地としてもお手軽人気の西尾城だが、私の注目ポイントは「屏風折れの土塁」です。
何となく駿府城や浜松城から屏風折れは石垣のイメージがありますが、ここでは土塁も綺麗に折れてます。ライトアップもしているようで、夜はさぞかし綺麗だろうなと思います。
西尾城の特徴として、ニの丸に天守があります。ニの丸の櫓と屏風折れ土塀に1億を超える予算をかけたとか。。。
天守台の石垣も準備万端ですし、近いうちに天守再建が見られるかも。

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小城小次郎

脇の甘さを露呈した (2020/10/17 訪問)

三好氏の遠い親戚として武田信顕が招聘され三好氏の脇を固めるはずだったが肝心の信顕は長宗我部と三好の間を行ったり来たりと脇の甘さを露呈した。蜂須賀時代には重臣の稲田氏が入り、名脇役(阿波九城)として機能した城でもある。

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