1ヶ月前に攻城
破城の跡が、世の儚さを物語っています
また、お土産をいっぱい買いに行きます
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2021/07/11 14:02
2021/07/11 14:00
2021/07/11 13:55
因幡3城スタンプラリー〜鹿野城の巻 (2021/06/13 訪問)
1ヶ月前に攻城。
お掘りの美しさと、水鳥達の美しさに、目を奪われました。
今回も、バッテリー切れで、写真は残せませんでした。
また、お土産をいっぱい買いに行きます。
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2021/07/11 13:37
2021/07/11 13:05
2021/07/11 11:34
2021/07/11 11:03
2021/07/11 10:46
2021/07/11 10:32
2021/07/11 10:29
2021/07/11 10:24
織豊系以前の石垣の城だ (2021/05/02 訪問)
さすがは備前守護代浦上氏が本拠としていたお城だけのことはある。大手の石垣や、土塀だった可能性もある一直線の土塁には今もなお風格が漂っている。織豊系以前の石垣の城であることは疑いなかろう。もっと知られてよい城だ。
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2021/07/11 10:20
《お城川柳》
百名城 一城ごとに シンデレラ
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2021/07/11 10:17
2021/07/11 09:48
2021/07/11 08:35
ジャイアンツ球場の隣 (2021/06/27 訪問)
京王の稲田堤駅かよみうりランド駅が最寄りですがこの日は寺尾城から徒歩。
南側の登城口から登りました。
主郭には浅間神社の祠があり、東側の二郭との間に堀切。
二郭の下をぐるっと回ると北側の土塁との間に堀状になった部分も見られます。
主郭から西側に伸びる尾根道には井戸、その先に物見台がありました。
物見台西側の堀切は竪堀となって南北に落ちています。
観応の乱では足利直義が籠城、戦国期には北条氏と上杉氏が戦った交通の要衝にある城です。
さらに西側に進むと石碑と説明板があり、天竺坂を下るとジャイアンツ球場への坂道に出ます。
私はアンチGですがたぶん三軍の練習試合?を少しだけ見て行きました。
若武者の一所懸命さは見てても気持ちいいですね。
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2021/07/11 07:21
JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目:殿島城 (2021/06/29 訪問)
JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目の6城目は殿島城です。
福与城から転戦。城址公園駐車場(35.805921、137.961970)に駐車しました。
殿島城の創立は南北朝時代にまで遡るといいます。
歴史が明らかになるのは戦国時代になってからのことで、春日城主伊那部重成の次男重国が殿島氏を名乗り殿島城を居城としたということのようです。
武田信玄の伊那侵攻で殿島氏も武田氏に降るが、1554年(天文23年)に伊那衆は武田氏に対して叛旗を翻しています。
伊那衆の反乱はすぐに鎮圧され殿島重国は処刑されています。
その後は武田氏によって接収され武田氏滅亡の混乱の後に廃城となったらしいです。
現在城址は本丸跡が「殿島城址公園」として整備されており、殿島城大手口に模擬城門が建てられています。
土塁、堀が保存されていますが、 そのすぐ外側は住宅地になっています。
攻城時間は15分くらいでした。
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2021/07/11 07:10
JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目:福与城 (2021/06/29 訪問)
JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目の5城目は福与城です。
箕輪城から転戦。福与城跡説明板前(35.894389、138.0002)に駐車しました。
福与城の創立は鎌倉時代から南北朝時代にまで遡るらしいが具体的な出来事は伝わっていないようです。
戦国時代は藤沢頼親の居城だったが、高遠城主・高遠頼継とともに「宮川端合戦」で武田信玄と戦いましたが、これに敗れて信玄に降りました。
その後、頼親は反旗を翻し、1545年(天文14年)に信玄に攻められ落城しました。このとき福与城は焼失し廃城となりました。
1582年(天正10年)織田信長の甲州征伐で武田氏が滅亡すると、頼親はこの城を奪還しましたが、高遠城を奪還した保科正直に攻められ落城し、藤沢氏は滅亡しました。
城址は整備されており、土塁や空堀などの遺構を確認することができます。
10台くらいは停められそうな駐車スペース有ります。
空堀(土橋)下のトンネルにビックリしました。
攻城時間は20分くらいでした。
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2021/07/11 07:07
【お城川柳】
遊歩道と侮るなかれここは城
↓ほぼ崖
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2021/07/11 06:44
JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目:箕輪城 (2021/06/29 訪問)
JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目の4城目は箕輪城です。
上ノ平城から転戦。養泰寺駐車場(35.900965、137.983192)に駐車し、養泰寺西側の城跡標識(35.900952、137.982176)に向かいました。
当初は上ノ平城➡大出城➡松島城➡箕輪城の順で攻城する予定でしたが、千沢城での脱輪影響で大出城と松島城は城びと未登録でパスしました。
箕輪城は木曽氏の一族である箕輪氏代々の居城です。
戦国時代には福与城の支城として木下総蔵が城主を務めましたが、木下氏が下伊那に移ると福与城主・藤沢頼親の養子である藤沢左衛門尉重時が城主となりました。
その後、1545年(天文14年)の武田信玄による伊那進攻により落城すると、頼親らは伊奈の地を追われています。
現在城址は養泰寺の墓地になっていますが、周囲に土塁と空堀を確認することができます。
堀と土塁が良く残っています。 お墓なので踏み荒らさないよう気を付けましょう。
攻城時間は15分くらいでした。
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2021/07/11 06:36
JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目:上ノ平城 (2021/06/29 訪問)
JR飯田線/身延線沿線城巡り3日目の3城目は上ノ平城です。
藤沢城から転戦。城標識説明板前(35.930997、138.001507)に路駐しました。
上ノ平城は平安時代後期に信濃国伊那谷に土着した源為公(伊那馬大夫為公)によって築かれたと伝えられていますが、定かではありません。
以後、為公の嫡流が代々居住したが、鎌倉時代に諏訪氏の一族にあたる知久氏(為公の後裔とする説もある)の居城となったようです。
従来、鎌倉初期に城主であった知久信貞が承久の乱の後に下伊那の知久郷へ退去して以降は、改築されることなく廃城となったと考えられてきましたが、発掘調査の結果、戦国時代にも城として機能していたことがわかりました。
おそらくは天文年間に武田信玄が伊那へ侵攻した時期に使われたものと思われるそうです。
現在城址の大半は農地となっており、遺構はほとんど残っていませんが、堀や土塁などで構成された曲輪跡を確認することができます。
台地上の丘に広大な郭が広がる。郭は東西、南北の空堀で区切られている。三の堀(標柱)前のポストには現地マップも用意されていました。
攻城時間は15分くらいでした。
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