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昌官忠

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇の4日間② (2018/10/20 訪問)

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇の4日間の2城目は大野城です。
100名城スタンプは「福岡県立四王寺県民の森管理事務所」で押しました。

以下、四王寺山史跡マップからの抜粋
◆大野城とは
大野城は天智天皇4(665)年に築城された朝鮮式山城のひとつで、「大野城跡」として国の特別史跡に指定されています。
7世紀の激動する東アジアの情勢の中、663年、唐・新羅連合軍に白村江で大敗を喫した日本は北部九州を中心とした防衛体制を固める為、664年に水城を、良く665年に大野城と基肄城を築造しました。これらの古代山城は、百済の亡命貴族の指揮のもと、朝鮮半島の技術が活かされていることから朝鮮式山城と呼ばれています。

◆土塁・石垣
大野城には尾根に沿って版築土塁が築かれており、総延長は約8Kmにおよび、南北はそれぞれ二重になっています。
また、谷部は石垣を築いて塞ぐ構造になっています。水ノ手石垣・大石垣・屯水石垣・百聞石垣・北石垣・小石垣などが確認されており、なかでも最大規模の百聞石垣は長さが百間(約180m)あり、壮観な眺めを見ることができます。

攻城時間は70分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇の4日間① (2018/10/20 訪問)

城びと入会時、「つぶやき」で投稿しましたが、ちゃんとしたメモも写真も残していなかったので再度投稿します。
クラブツーリズム九州7県日本の名城13制覇の4日間の1城目は福岡城です。
100名城スタンプは「鴻臚館跡展示館」で押しました。

以下、福岡城散策マップから抜粋
600年の関ケ原の戦いで徳川側の戦勝功労大なりとして、黒田家は豊前中津十二万三千石から五十二万三千石の太守となって筑前の国に移封された。
黒田如水・長政親子は博多湾の中央部にあった福崎の地にに1601年から7年の歳月をかけて800,000㎡(約240,000坪)の広大な平山城を築城した。
今も展望の素晴らしい天守台をはじめ、本丸・二の丸・三の丸と城郭全体の姿を残している。
戦略的に富んだ複雑な石垣の上に、応時、四十七櫓と十指に及ぶ諸門があった。天守閣については存在しなかったという説があったが、近年最初の10数年間存在したという説がでている。

草ヶ江の入り江を利用した大堀を含めた内堀を周囲にめぐらせ、さらに北は博多湾、南は赤坂山で守られている。
鶴が羽を広げた形に似ていることから、別名、舞鶴城とも言われ、同時に東西7キロ、南北3キロの広大な城下町が建設され、この地福岡の地名も誕生した。攻城時間は70分くらいでした。

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todo94

メインディッシュの前に② (2020/11/07 訪問)

大桑城攻城の前にもうひとつ、高富陣屋にも立ち寄っていきました。公民館とおぼしき美里会館の前に「陣屋の跡」と記された石碑が建っていました。

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赤い城

牛久沼に臨む (2020/11/28 訪問)

牛久駅から徒歩で30分少々。
牛久沼に臨む半島状の台地にあります。
東林寺の裏から登城、すぐに二郭の空堀があります。
かなり深い。
主郭部は畑で私有地ですが通路を歩くことができます。
主郭の土塁も一部残っていますが藪となっていました。
ここから河童伝説がある牛久沼を見渡せます。

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ぴーかる

感状山城 (2020/11/03 訪問)

【感状山城】
<駐車場他>瓜生羅漢峡入口南北2箇所無料あり。
<交通手段>車

<見所>羅漢石仏・礎石建物跡・曲輪・石垣・大手門跡
<感想>この日のメイン、感状山城。以前から行ってみたかった城跡で、涼しくなって早速攻城した。感状山城は築城年代は定かではなく、鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって築かれたとも、南北朝時代に赤松円心の三男赤松則祐によって築かれた説がある。南北朝時代、新田義貞の軍勢を赤松円心が白旗城、赤松則祐が感状山城に立て籠もり50余日にわたり足止めをした結果の功績により足利尊氏が,赤松則祐に感状を与えたことから感状山と呼ばれるようになったといわれている。総石垣による曲輪の構造で、戦国時代に宇喜多氏によって改修されたものではないかという説もあります。

 羅漢峡入口の山道から少し進むと分岐右手方向が感状山城の登城口、直進少し進むと巨石群と瓜生羅漢石仏があります。先に羅漢石仏を見学、この石仏は誰がいつ彫ったものか定かではなく諸説あって謎めいている。江戸時代の書物には五百羅漢の記述があり、現存20体より沢山の石仏があったようです。石仏が安置されている周辺は巨石群になっていて、巨石の通路やうそつきが通ると崩れるといわれる巨石のトンネルがあります。お城とは関係ないかもしれないが、序盤から自分好みの巨石と石仏で興奮しました。お勧めです。

 城跡の登山道約500mの半分はつづら折りの山道、整備された階段になっていて所々の曲がり部分に石垣遺構が見られます。半分途中に大手道方向と物見台~本曲輪方向に行く分岐に分かれますが、先に本曲輪に行く方を選びました。大手道・大手門跡はⅢ曲輪からも以前は行けたようですが、現在は通行止めになっていてこの分岐からしか行けませんので注意です。登山道の残り半分は岩場になっており少し体力必要です。登りきった尾根状にまず物見岩にたどり着きます。物見岩は巨石群の集まりになっていて、白旗城で見た物見岩の曲輪と似た光景でした。物見岩の先にⅢ曲輪と出曲輪があります。ここもかつては総石垣であったようで、今はわずかに曲輪の輪郭に石垣遺構が見られほとんどが崩落してしまったようです。Ⅲ曲輪から先は鉄パイプで組まれた足場の階段と滑落注意の細い岩場を100m程登ると南の曲輪群(連郭)の中間辺りに出ますので一旦最下段まで降りてみると良いかと思います。下から見上げる石垣は圧巻です。また最下段の曲輪には石垣の虎口遺構もあります。南の曲輪群はすべての曲輪の法面に石垣が施されていて見応えあります。南の曲輪群を登りきるとⅡ曲輪に出ます。Ⅱ曲輪も総石垣で東側は木々でよく分かりませんが西側は見事な石垣遺構が見られます。Ⅱ曲輪と繋がるような形で北側上段に本曲輪があります。本曲輪にも石垣が取巻いていたようで、今はだいぶ崩落して巨石石垣が一部残っています。本曲輪には礎石建物跡も見られます。本曲輪から北西方向に北の曲輪群(連郭)があります。ここは山林になっており、石垣遺構は肉眼では見られませんでした。落葉や土の堆積で隠れてしまっているのかもしれません。ここには倉庫跡の曲輪もあります。最後に下山途中で大手道・大手門跡を見に行った。だいぶ疲労していて行くかやめるか一瞬躊躇しましたが、見れる遺構はすべて見る意志で頑張って行きました。自分では一番の見所、推しポイントで先に見に行くと良いでしょう。大手道は法面から崩落したかなりの数の巨石で埋まっていますが、かつて大手道山側法面は大規模な石垣であったことが良く分かります。大手門跡は石段と両脇の石垣が明確に残る虎口跡で中世以前の雰囲気が漂う見所ある場所でした。

 みたところ大規模な見事な造り、総石垣の城でやはり持城期間の長かった赤松氏が時間をかけて築いた石垣であったと思いたい。巨石・謎の石仏・山城の石垣と自分好みが3つも揃った大満足の城跡でした。続百名城に負けていない。

<満足度>◆◆◆

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ふゆづき

織田家の末裔 (2020/11/21 訪問)

織田家の末裔が築いた柏原陣屋を訪問しました。
JR.柏原駅から徒歩10分かからないところに所在します。駅を降りると織田家の木瓜が記された飾りをあちらこちらにみることができます。
小藩であったため、陣屋で執務していたようですが、現存するのは往時の1/5の大きさとのことです。
陣屋の前には長屋門があり、唐様式の御殿の玄関と併せて往時を偲ばせてくれます。
陣屋から少し離れた処には太鼓櫓(商店街の中にあり、注意しないと見逃しそうです)と織田神社(観光案内所の前)がありますので、訪問するのを忘れないようにしてください。
陣屋と太鼓櫓だけならゆっくり見学して1時間少々というところだと思いますが、八幡宮をまわるとなるともう少し時間が必要かと思います。

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カズサン

神武天皇東征所縁の地に在る海城 (2020/11/21 訪問)

 中津耶馬渓に在る白米城(平田城)を終えて耶馬渓景観を楽しみながら降りた上毛SICより東九州道を通り日向ICを降りICより約4km程の大御神社駐車場、隣の観光案内所駐車場(宮崎県日向市伊勢ケ浜186)にナビを合わせる。
 今回の鶴丸城御楼門九州未踏の城廻り第3弾伊東氏48城の日知屋城を初登城、駐車場は七五三参り、観光客で両方とも満車、空き1台をやっと確保し駐車出来ました。
 神社駐車場に日知屋城の石碑、案内図が有り遊歩道完備道に沿って、登城門、虎口門、本丸下、柱状節理の岩盤が石垣の様、東の曲輪、同土塁石塁、岬に出て岩礁の絶景を眺める、頂上部の曲輪と東屋、下に降りて本丸へ、もう一度東の曲輪を通って枡形、西の曲輪、堀切、土塁、東屋を通って大御神社参拝。遊歩道がよく整備され案内板も有り探訪しやすい城跡ですが大御神社の方が超有名です。
 大御神社は神武天皇東征の折りに祈願されたと伝聞あり、東征出港はここより南の美々津浜と伝わっています、この神社には君が代に歌われてる日本最大級のさざれ石が祀られてる、神代の時代と柱状節理の奇岩の景勝地です。
 寄りませんでしたが龍神伝説の鵜戸神社が海岸側に在りTV等で放映された岩盤切込逆光の昇り龍が有名です。

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ねりきり

どこから観ても麗しい✨ (2020/11/28 訪問)

紅葉の美しい秋のよく晴れた日に登城してきました。

破風や花頭窓など装飾性の高い天守は、どの角度から観ても見惚れてしまいました。隠し狭間があるなんて、とても想像つきません。
現存する建造物が多い中でも日本で唯一の馬屋もとても良い状態で残っていたり、天秤櫓も威厳があり圧倒されました。

天守同様に見惚れてしまったのがひこにゃん。思ってた以上にゆるくて可愛かったです。毎日、3回も登場するらしく「なんて働き者なんだ!」とそのサービス精神に感銘を受けました。尊いです。

ひこにゃん、博物館、玄宮園とお城以外の見所も多いので所要時間4時間で足りなかったです😅玄宮園は閉園間際に入ってしまったので、日が暮れかけていて天守があまりよく見えなかったです。晴れている日中かライトアップされる夜間に行けば良かったなと反省。


夢京橋キャッスルロードの【政所園】の抹茶ソフトクリームも歩き疲れた体に丁度良いです🍦

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カルビン

村上氏館 [長野県埴科郡坂城町坂城1148] (2015/04/30 訪問)

武田晴信に2度の大敗を与えた村上義清の主城は葛尾城ですが、葛尾城はあくまでも詰めの城。
本拠地となる村上氏館の跡地がその山城の麓・満泉寺になります。

訪問した日、既に砥石城と松尾古城を攻略済で肉体疲労・・・というより高所恐怖症の中の2城攻略による精神疲労で葛尾城にアタック出来る状態では無かった為、せめてもの麓の村上氏館の見学となりましたw

村上氏館としては遺構は残っておりません。
代わりにお寺のところにある周辺マップに満泉寺が村上氏館跡である事が書かれておりました。


ここから南東にちょい行った場所・田町十王堂には村上義清の供養塔があります。

村上義清は武田晴信に追われ長尾景虎(後の上杉謙信)を頼って領土回復を目指したものの、第四次川中島合戦で重症を負い、この地での復興を諦め、越後の地で亡くなった様です。

猛将も武田晴信の甲州金の利用方法等での調略に開眼された後は一気に落ち目になっていったんですね。。。
(とはいえ村上義清も周辺を治める為に汚い手を何度も使ったようなので、晴信狡し!とは言えなかったでしょうな(汗))


ちなみに葛尾城の本丸近くまで車で行けるのを知ったのはこの後結構時間経ってからでした・・・
が、4WDの軽自動車でなければ結構厳しい林道みたいなので、改めて麓から登るしかないかな・・・(途中に姫城もあるし)

コチラは世間が落ち着いて、体鍛え直してからの挑戦になりそうです(何時になる事やら・・・orz)

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カズサン

景勝地に黒田時代の石垣が残る平山城 (2020/11/21 訪問)

 ここも2年前に台風24号の襲来で登城を諦めた処、ここの城の認識は城郭放浪記さん毎月放浪履歴で紹介が2018年8月に有り黒田官兵衛改修石垣が残ってるの情報にて登城しなくてはと2年前の北九州未踏城廻りにリストアップした所以。
 豊前松山城から東九州道で上毛SIC降り山国川沿いの国道212号線を日田方面へ耶馬渓の景勝地を走行し有名な青の洞門、奇岩絶景を見ながらの走行でした、石橋の馬溪橋辺りから城跡が見え沿道には平田城の幟旗が城跡まで連なってる。
 車は東麓登城口の駐車場を利用、トイレ完備、10台は可能、ナビは駐車場(大分県中津市耶馬渓町大字平田948-2)に合わせるがGoogleMap航空写真で微調整して下さい。
 平田城のパンフレットは本丸東屋の資料設置箱に有りました、本丸には忠霊塔が立ってます、本丸周囲に黒田氏時代の石垣が残ってます、本丸の在る南台と、谷を挟んで北台の曲輪群が南台より大規模、フェンスが張られてひれない様子、谷道を歩きながら北台の曲輪群の稜線が杉林間に見え一部石垣も目ます。一部しか公開されてませんが素晴らしい構造と遺跡が大切にされてます見応え充分です。
 本丸の南東部に山国川を挟んで耶馬渓の奇岩「名勝耶馬渓、立留りの景」が眼前に迫って来ます、山国川には石橋の馬渓橋と名勝真っ只中と言う感有り。
 歴史的には長岩城主野仲氏の領有で戦国期平田掃部介の居城、天正16年(1588年)黒田官兵衛豊前を拝領し豊前の諸城を抑え長岩城攻めに戦功の有った栗山備後利安に平田城を与えた、黒田騒動の栗山大善が生まれた城としても有名。(パンフレット抜粋)
 平田城は最近の呼称で以前は白米城(マッタケジョウ)と呼ばれていたそうです。

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ふゆづき

蒼空に吸い込まれる城塞 (2020/11/29 訪問)

熊本を訪問したついでに豊後竹田の岡城址を訪問しました。
熊本市内から阿蘇を横目に車で約2時間といったところだと思います。
地震の影響で、途中で一部迂回しなければならない道もありますが、復興のため無料化されている自動車道もあり、山道とは思えない総じて快適な道のりです。

訪問した当日は天気が良く、入城口前の駐車場に車を止めて、城郭を心ゆくまで見ることができました。
通常とおり、大手門方面から登城。欧州の城塔を思わせるような大手門の石垣を通過し、西の丸を横目に見ながら、三の丸、二の丸を経由して本丸に到達しましたが、印象的なのは、西の丸を少し越えた辺りから、谷を挟んで本丸側を見た風景です。
この風景に現れる太鼓櫓・鐘櫓の石垣を初めとした石壁が連なる様は圧巻です。
また三の丸・二の丸の高石垣もどうやってこのような足場を組んだのかと感じるものです。
本丸からは、搦め手の下原門まで行き、西の丸方面い引き返し、家老屋敷跡を見てから大手門経由で戻りましたが、滞在時間は約3時間であり、その強大な城郭には本当に圧倒される思いでした。

最近、兵庫の竹田城、奈良の高取城といった定評のある山城を訪問したばかりでしたが、これらの城と比較してもこの城の強大さは印象的であり、最強の城に選出されたことは伊達ではないと思わされました。
山城好きは訪問して損は無いと感じた一日でした。

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きぬさや

新発見された池田照政の石垣 (2020/12/03 訪問)

朝刊に掲載されていた、『吉田城2例目となる池田輝政の石垣』を見に行ってきました。本丸の東の門近くの堀を固める場所で、典型的な野面積の石垣です。

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昌官忠

越後遠征2日間⑧・西条城 (2018/11/11 訪問)

越後遠征2日間の8城目(遠征ラスト)は城びと未登録の西条城(にしじょうじょう)です。
この城は「上越妙高山城マップ」に載っており、妙高市指定史跡になっています。

車は西条城登城口付近の駐車場(37.016074、138.271528)に停めましたが、駐車場のGPS座標入力では車で進めないルートになりますので、目標を(37.019216、138.271046)付近に設定し、後は道なりに車を進めれば駐車場に着きます。ただし、細道だったと記憶していますので気を付けてください。

以下、「上越妙高山城マップ」からの転載です。
城主や築城時期はわかっていません。
通称荒城山に立地していて、眼下に高田平野が広がり、対岸の丘陵部に立地する鮫ヶ尾城や鳥坂城を見通すことができます。
武田氏が治める信濃に隣接していることから、信濃国境の防備のために築かれたと考えられています。
山頂の主郭を中心に、三方に延びる尾根筋を断ち切る空堀や曲輪からなり、強固な守りの城の姿を留めています。
平成12年の部分的な発掘調査では、ふもとの曲輪で建物の柱穴が見つかりました。

駐車場から山頂まで約10分です。攻城時間は25分くらいでした。

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イオ

丹波国三大山城 (2020/11/21 訪問)

詳細は不明ながら、室町期に丹波国守護代・内藤氏の拠点として築かれた城で、同じく丹波国三大山城に数えられる八上城の波多野氏や黒井城の赤井氏との抗争の中、キリシタンとして知られる内藤ジョアンが城主となったようですが、明智光秀の丹波攻めにより落城。その後、明智秀満が入城し、しばらくの間は亀山城の支城として機能したようです。

城山山頂から四方にのびる尾根に曲輪群を配した大規模山城で、本丸の説明板の縄張図によれば、主な曲輪には屋敷があったとされる守将の名が付けられています。
本丸(内藤備前守)には西端に土塁、南西部に金の間と呼ばれる櫓台、その隣に虎口があり、本丸の周囲にはところどころに石垣が見られます。本丸からの眺望は素晴らしく、周山方面から亀山(亀岡)方面にかけてを一望することができます。本丸北東下の腰曲輪には明智光秀が勝鬨をあげたと伝わる岩がありました。本丸北西部の枡形虎口を出た先は二の丸で、尾根沿いに細長く続いていますが、中央部に櫓台状の土壇があり、その西側に堀切を設けています。また、二の丸南西部(内藤和泉)には土塁が、北西下には石垣が見られます。

八木城の見どころは中心部だけでなく、四方に連なる曲輪群も見逃せません。(続く)
 

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ブラタヌシ

別名 千束城跡 (2020/12/02 訪問)

千塚原古墳の石を利用している石垣。

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昌官忠

越後遠征2日間⑦ (2018/11/11 訪問)

越後遠征2日間の7城目は箕冠城です。
車は箕冠城跡公園駐車場(37.024146、138.304833)に駐車して攻城しました。

箕冠城は春日山城の支城郡のひとつで、大熊朝秀の居城として知られています。
現在城址は「箕冠城跡公園」としてよく整備されており、曲輪や土塁、堀などの遺構が状態よく保存されています。
攻城時間は35分くらいでした。

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ブラタヌシ

空堀と土塁が敵の侵入を防ぐ山城 (2020/12/02 訪問)

標高130mの丘陵に有りますが、空堀と二重土塁で囲まれてます。
虎口もしっかりと残ってます😃

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昌官忠

越後遠征2日間⑥ (2018/11/11 訪問)

越後遠征2日間の6城目は鮫ヶ尾城です。
続100名城スタンプは「斐太歴史の里 総合案内所」で押しました。この案内所の開館は4月初旬~11月下旬(9:00~17:00、10月は16:00、11月は15:00)になりますので、気を付けてください。閉館中のスタンプはたぶん「神の宮温泉かわら停」だと思います。

車は「斐太神社」前の「斐太歴史の里駐車場(37.053890、138.235709)」に駐車しました。

「斐太歴史の里 総合案内所」のおばさん(お姉さん?)の接待が凄いです。お茶、複数種類の漬物など、出るわ出るわ。まだ、いらっしゃるでしょうか。感謝感謝です。

攻城ルートは総合案内所で頂いた散策コース案内図「コース5 斐太遺跡+鮫ヶ尾城跡」を歩きました。
鮫ヶ尾城は上杉謙信の後継者争いである「御館の乱」の際に敗れた上杉景虎が自刃して果てた城として知られています。
コースを歩くと尾根づたいの曲輪やたくさんの堀切を確認することができます。攻城時間は90分くらいでした。

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todo94

メインディッシュの前に (2020/11/07 訪問)

今年3度目の麒麟が来る紀行ドライブです。メインターゲットは大桑城ですが、オードブルとして朝駆けで関城を頂いてきました。関市役所に車を駐めて徒歩でトンネルをくぐって安桜山公園にアプローチ。山頂には美濃市の小倉山城を彷彿とさせる展望台が建っていました。岐阜県の趣味なのでしょうか。

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にのまる

その1 (2020/10/16 訪問)

最初に5年前のGWの思い出です。(ごく一部を軽―く投稿済みです。)
その日は初めての金山城訪問だったのですが、スタンプ小屋が閉まる時間が迫っていたので、夕暮れ迫る中、ガイダンス施設からハイキングコースではなく、城址に近い急坂を這いつくばるようによじ登りました。獣道のようなところもあり、スリル満点、不安もいっぱいで、ドキドキしっぱなし。
何とか登りきり、スタンプも押してほっとしていたら、近くにいた見知らぬ方に「家はどこ?」と聞かれました。突然だったので「こんな山の中で…何かヤバいかも⁉︎」と(小娘でもないくせに)警戒してしまい、咄嗟に「近くです」と答えてしまいました。(今思うと近くに家なんてない。) すると「じゃあ持って行って」とタケノコをどっさりくださったのです。今さら「実は東京から電車で来たので持って帰れません。怪しい人かと思って嘘つきました。」なんて言えません。スーパーの袋に入れられたタケノコを頂戴し、下山することにしました。(一刻も早く下山しないと日が暮れるという状況。)
獣道を下るのは怖すぎるので、帰りはモータープールから車道を通ることにしました。しかしずっしり重いタケノコの袋を抱えて歩くのは辛すぎです。と、そこへお散歩中のような二人連れがいらしたので、タケノコをもらってもらえないか聞いたところ喜んで(←多分)受け取っていただけました。(リュックに入る1本は自分で持ち帰りました。)
身軽になったところで人里めざして下山です。すると、そこへ自転車こいで下から登ってくるお兄さんが!!その方に、この道を下っていけば帰れると教えてもらって一安心。もしお会いしていなかったらかなり心細かったと思います。お兄さんはスタンプ目指して驀進中でした。間に合っていればいいけれど…。
そして相当長い距離を歩き(ほぼ記憶がありません)、駅に出て、2時間以上電車に乗って家に帰って…からの、タケノコの下処理。せっかく背負って帰ったのでがんばりました。この日出会ったみなさん、たいへんお世話になりました。あと、近所の人のふりしてごめんなさいm(__)m

という、おばかすぎて呆れられそうで封印していた一日を懐かしく思い出しながら、先々月登城してきました。二度目ですが、5年前↑はほとんど何も見ていないのでノーカウントで(^^;)
<続く>

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