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街道おじさん

今帰仁城登城 (2019/12/03 訪問)

壮大な石垣がたいへん印象的な沖縄の城。
城壁の曲線美が素晴らしい。

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橋吉

きしわだ自然博物館・岸和田だんじり会館とセットで (2019/11/18 訪問)

有料ではありますが、岸和田場周辺には駐車場が充分あります。

1952(昭和29)年に再建された外見復興天守は美しすぎるほどです。
ただ、天守内部に展示されていた模型をみると本丸は往時の様子を良く再現できているようです。

天守からは、諸葛孔明の八陣法をテーマにした八陣の庭を眺めることができます。

城を見学した後、きしわだ自然博物館・岸和田だんじり会館を見学しました。
天守閣入場とのセット券も販売されているので利用してみてはいかがでしょうか。

見学時間は、自然科学館・だんじり会館含めて2時間弱でした。

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うっちー幸村

始めての大垣🏯 (2019/09/14 訪問)

前は公園後ろはお城🏰❗銅像もあり、良い🏯でした。
天守の中は、ジオラマがありました。

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城好きのメガネ

「武蔵岡城」 (2019/12/07 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
武蔵岡城は太田道灌や太田康資の城館だったともいわれているが築城の時期や築城主などについて明確な遺構がない。黒目川西岸の舌状台地に築かれており、本丸、二の丸、三の丸などを一列に配置した縄張りになっている。現在は、城山公園として整備されている。

<アクセス>
JR北朝霞駅・東上線朝霞台駅 徒歩25分

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todo94

想定外の素晴しい山城 (2019/11/23 訪問)

さほど期待もせずに赴いたのですが、樹木が伐採されていて詰成から枡形や二の成をきれいに俯瞰することができました。宍道湖を望む眺望もすばらしく、お薦めです。南宍道駅、金山八幡宮側の登山道には駐車場がありませんが、坂口地区側の登山道には坂口農村公園に駐車場があります。

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まーやん

立藩400年記念事業もこれで終わり (2019/12/01 訪問)

日本最後の城郭建築である園部城址の園部藩は今年で立藩400年となり、多くの記念イベントが行われた。最後は2020年の大河ドラマの時代考証も手掛けられる広島大学名誉教授三浦正幸先生の講義の後のフィールドワークがあると聞きつけ、先生の話を聞きたくて行ってきた。

たった2万9千石の小大名である小出氏ではあるが10万石大名をも凌ぐ5棟もの櫓を配し、うち城外の小麦(向)山上には三重櫓(天守代用櫓)を建築している。元々陣屋であるが本丸は三重の堀で囲まれており、この辺りの謎を古文章を紐解きながら先生に説明いただいた。

フィールドワークでは、現存する本丸櫓門と番所、巽櫓の特徴と価値について、また狭間塀と片側土塀の貴重さについて教えていただいた。

櫓門、巽櫓とも屋根瓦が反り上がっている様は尾張名古屋城以外見受けない貴重なものとのこと。
また、これら明治維新に建てられた城郭建築は、戦用のものとして作られていない、恐らく寺社建築の大工によるものであることなどの指摘があった。
なお、巽櫓の石落としは二条城を模倣している可能性があるとのこと。

園部城は日本最後の城郭にして江戸~維新期の最もよく出来た城との評価をされていた。

近くにある南丹市文化博物館では御城印も販売されているが、模擬天守閣は市の施設なのでご注意を。

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水口御茶屋 (2019/12/07 訪問)

 将軍上洛時の宿舎用御殿として建てられた城址でパンフレットに( )で水口御茶屋と書かれていました。小堀遠州が延べ10万人の大工を動員して3年がかりで作りましたが、使われたのは徳川家光が京からの帰りに1泊したときだけということが驚きです。

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長束正家の城 (2019/12/07 訪問)

 バス停「新水口」で降りると登城口です。
公園となり歩きやすく、概ね縄張りも把握できます。一部の石垣や堀が残っていますが、空堀や堀切などは藪となっている所もあり、少し迫力に欠けます。

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土山鹿之助 (2019/12/07 訪問)

 貴生川駅からコミュニティバスに乗って近江土山で降り、バス停から徒歩5分くらいで登城口に到着。少し歩くとすぐに城域に入ります。土塁で囲まれた方形の主郭を中心に馬出や曲輪等があります。見ごたえのある土塁や空堀を見ることができます。主郭の北には堀切があります。道も整備され見学しやすい城址です。

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まるチョコ

鬼ノ城 (2019/12/07 訪問)

ビジターセンターに行く道、3km位すれ違い出来ないところが多いけど、待機せよの看板や、あと何メートルの細かいお知らせが、とっても親切。ビジターセンターの展示も良いのに、土曜日の昼頃独占状態。とっても不思議。鬼ノ城もお見事。

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まるチョコ

岡山城 (2019/12/07 訪問)

イベント開催中。冨永愛さんいらっしゃったみたい。お月様と岡山城、めっちゃ映える。

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朝田 辰兵衛

途中下車20分弱の… (2019/11/22 訪問)

公園散歩と形容できます。

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国重

備後・山手銀山城 (2019/12/07 訪問)

築城年代は定かではない。応永年間に杉原氏によって築城されたと伝わる。主郭部は三段からなり南側の曲輪3に虎口がある。曲輪4の石積みや曲輪4から曲輪3に向かう途中の畝城竪堀群など見どこが多い城である。

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国重

五重堀切は見れませんでした (2019/12/07 訪問)

戦国時代、熊野盆地を支配した渡辺氏によって築かれた山城跡です。渡辺氏は、初めて草戸に本拠を置いていましたが、戦国時代の初頭、越中守の代に毛利氏後押しでこの地に入り、この城を築きました。背後を堀切で断ち切り前面に曲輪を階段状に並べた戦国期の山城の遺構がよく残っています。(案内板より)

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カルビン

渋滞激しかった (2015/03/21 訪問)

車ではるばる近畿地区へ遠征した際に、国道25号線の大渋滞に巻き込まれて一旦休憩しようと立ち寄ったのが神戸城。
※亀山や鈴鹿付近だけで90分くらいかかりました(汗)
元々立ち寄る予定では無かった為、お城自体はすぐに見つけられたものの、城址公園以外に遺構がある事は全く持って知りませんでしたorz

でも当時は石垣を見れただけでも大満足していたのですが(笑)


無料駐車場に車を停め、公園内に残っていた天守台の野面積みの石垣、鉢巻土塁、城碑、土塁、水堀の名残等を見学しました。

残念ながら地域の開発が進んでおり、神戸城の大部分は隣接する神戸高校の敷地になって整備されてしまっておりますが、天守台のみ残ったのが奇跡的なのかもしれません。


時間帯にもよるとは思いますが、車だと混雑が予想される地区なので、近鉄鈴鹿線・鈴鹿市駅からのアプローチの方が良いかも・・・

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YAICHI

駅から0分 (2019/12/01 訪問)

大塚氏は近江守護六角氏の家臣で天文年間には湖水の船手奉行をしていました。城域は駅舎のとなりで線路によって分断されていますが、北西には土塁の内外に水堀が遺っています。ブッシュが酷く城内を歩くのは困難でした。

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ぴーかる

能勢氏中世の城 (2019/11/16 訪問)

【丸山城】
<駐車場他>登城口前に駐車スペースあり。
<交通手段>バイク

<見所>竪掘り・堀切・帯曲輪
<感想>バイクで摂津国の城巡り第2弾、1城目。以前から着目していた城跡で、初の登城投稿をさせていただきます。まずは城の歴史の説明を。
 この城は摂津源氏の源頼国が能勢氏を名乗りこの地に丸山城を築き土着、中世を通して本拠地としていたらしい。信長時代には能勢頼道という人が当主で荒木村重と同調したが後に開城、信長軍の能勢進行に対して最後まで反信長を通したかは不明。能勢頼道は南にある山下城(兵庫県川西市)の塩屋氏に謀殺された。弟の能勢頼次が次の当主となり、塩屋氏を打倒したが、明智光秀軍に攻められその幕下に入る。本能寺後は光秀側になった為秀吉に攻められ落城、能勢頼次は落ちのびることとなる。関ヶ原後は能勢氏が再興し地黄陣屋を築いた時にこの丸山城は廃城となっているので本能寺~廃城まではよくわからないですが、度々攻められて戦闘の地になっている城です。次に城跡の説明をします。

 城跡は南北に長い尾根筋がある平山城で比高は40m程、国道477号線沿いに登城口スペース・城跡碑・案内板があるのですぐわかるかと思います。登山道は東側から登るがきれいに間伐されていて比較的登り易くなっています。登り切ったらまず三の丸に出ます。まあまあの削平地、二の丸は本丸を囲む帯曲輪になっていて、幅は最大10m程。西側斜面と北側の遺構がすごくて、竪掘りあり、空堀あり、堀切あり、武者隠しの土抗ありの見応え十分です。北の大堀切の向こう側に天王丸という出丸っぽい要塞がある。本丸下段の帯曲輪北東隅(まさに鬼門の方角)に添付写真の忘れ去られたような石仏があり、すごーく良くてお祈りさせてもらいました。
本丸は帯曲輪から3~4m程高くなっていて、くふうをこらした主な虎口は見受けられず、南北に細長い削平地になっている。本丸内はあまり整備されておらず歩き回りにくく遺構の状態もわからない。本丸北隅が一段高くなっていて、おそらく櫓台遺構と思うが一番木が鬱蒼としていた。

 あまり登城口の縄張り図を確認せずに攻めてみて、三の丸から一旦南西側の大手道をある程度降りて遺構を探しながら道ではない西斜面を登ろうとしたが、斜面がきつくて直に登ることができずに結局北の方北の方に流されて、竪掘りを発見した時は「かつてこうして攻めた足軽達も竪掘りの罠にはまったのだなあ。」と実地体験をしました。
いい遺構が沢山あるのに、山にある土の遺構の写真撮影の難しさ、腕前の下手さも実感した。
予想よりも印象に残るいい城跡でした。満足度高い。

<満足度>◆◆◆

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響ちゃん

曇り (2019/12/07 訪問)

階段で転んだぽい

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響ちゃん

曇り (2019/12/07 訪問)

立派な樹があるっぽい

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小城小次郎

周山城

明智光秀はいったい何を思い、京にもほど近いこの山にかくも巨大な総石垣の城を築いたのだろう。光秀が志半ばにして倒れたことで、永久に解くことのできない大きな謎が残ることとなった。

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