都区内5城巡り2城目は石神井城です。
愛宕山砦より7~8分位で三宝寺入口(35.735330、139.597782)に着き、山門を確認した後、石神井氷川神社(35.736701、139.595903)➡城址碑/説明板付近(35.737341、139.596553)と巡りました。
築城時期は定かではないが、平安後期から鎌倉時代にかけて、武蔵南部に力を及ぼしていた豊嶋氏の関連城館であったようです。
1476年(文明8年)長尾景春が武蔵鉢形城で関東管領上杉氏に対して挙兵(長尾景春の乱)すると、それに呼応して豊嶋氏は1477年(文明9年)練馬城・石神井城などで挙兵、当時扇谷上杉氏の家宰として名を馳せていた太田道灌の居城・江戸城と扇谷上杉氏の居城・川越城を分断しました。
道灌は江戸城の守備を固めると4月13日、豊嶋泰明の平塚城を攻めます。
豊嶋泰経は石神井城・練馬城から援兵を出したが、翌14日、江古田原・沼袋原で太田軍と闘って泰明は戦死、豊島軍は大敗しました(江古田・沼袋合戦)。
泰経は石神井城に敗走し立て籠もるが、道灌の攻撃に泰経は4月18日、石神井城の破却を条件に和議交渉を行います。
しかし泰経は開城をせず、逆に石神井城の守りを固めようとしたため、4月28日、道灌の力攻めに遭い落城、泰経と残党は平塚城に敗走しました。
豊嶋氏の敗走後は廃城となりました。
現在、城址は石神井公園として整備されており、内郭の空堀と土塁がわずかに残っていますが、開放日以外は見学できません。。
空掘や土塁などは見ることができませんが、フェンスに囲まれた入口は確認しました。(石神井氷川神社から石神井公園に入る途中にあります)
三代徳川家光が狩をした時の休憩所とした三宝寺の山門は立派でした。
石神井氷川神社は豊嶋氏ゆかりの神社です。
攻城時間は25分くらいでした。
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