【座光寺南城】
<駐車場他>麻績神社駐車場に駐車しました。北の登城口<35.537884, 137.852259>にも1台駐車できます。それぞれの入口に城の冊子が置いてあります。
<交通手段>車
<見所>堀切・土塁・曲輪
<感想>日帰り飯田・伊那地方河岸段丘平山城の旅4城目。現地に置いてある城の冊子を要約すると、座光寺南城(以下南本城)と北東に位置する北本城と合わせて上野城と呼ばれています。上野城の築城主体は在地豪族である座光寺氏といわれています。北本城は伝承では鎌倉前半に築城され、広い丘陵地に曲輪が段状にあったようで、城主・家臣屋敷があったと考えられています。現在は小学校になっています。詰めの城が南本城となっていますが、規模の大きさや縄張りからみて座光寺氏単独で築城したとは考えにくく、大きな勢力の手が加えられているようです。冊子には4つの説が挙げられていますがここでは割愛、私の見た感想では北と南の入口に馬出しを備え、深く複雑な堀の造り、座光寺氏は武田氏が伊那郡に侵攻してから武田氏に仕え、秋山虎繁の配下になっていることから武田氏の助力があったように感じました。
城跡はおおむね南北に広がっていて、中心の主郭のすぐ北側を谷を利用した大堀切で南北に分けています。主郭は南面以外の3方に土塁があり北側に虎口が残っています。主郭から帯・腰曲輪が何重かに取り巻いていて主要部の防備は鉄壁です。主要部の南側に西曲輪と東曲輪が独立していて竪堀・横堀が複雑に入り組んでいて堀底を通る者は惑わされます。主要部の北側は北曲輪群となっていて、北曲輪は主郭程の広さがあります。北曲輪群の東側丘陵地上に巨大 Π状土塁が2連あります。佐久市平賀城で見た遺構とよく似ているので、何の施設か分からないが同じ施設(馬舎かな?)があったと思いました。思いのほか大規模城郭にびっくりしました。堀底を散策する楽しさ、スケールの大きな遺構に大満足しました。
<満足度>◆◆◆
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