志知城-2/3 石碑・案内板・展示物編
(2025/05/15 訪問)
志知城-1/3 保存会の竹林伐採整備で見易い編の続です。
先に本丸西側竹林伐採整備の本丸土塁切岸?広い犬走?残存石垣の栗石?残存石の写真を投稿しましたが、史蹟志知城趾石碑二基、志知城跡案内板、太閤石と同説明板、TV番組堀、池の水抜きで志知城跡水堀の水を抜いて発見されて石垣の石展示とも有り写真投稿致します。
志知城は賤ヶ岳七本槍の一人、加藤嘉明が城主(1585~1595年)あったとの事も有り是非見学したいとの思いが有りました、秀吉が信長の命で淡路島を攻略、本能寺の変を経て黒田官兵衛孝高が預かり天正13年(1585)加藤嘉明が15,000石の城主で入城、約10年在城して文禄4年(1895)伊予松崎へ6万石で転封、以降秀吉の直轄領で代官石川紀伊守が入城して川口の叶堂に新城(志知城から北に約3km程)を築き志知城は廃城と成った。
加藤嘉明はこの間、秀吉の九州攻略、小田原征伐、朝鮮出兵には淡路水軍を編成して出陣しており志知城は瀬戸内海に出る、淡路水軍の重要基地であった。
(案内板による)
グーグルマップを見ると、大日川へ近く、大日川も以前は褶曲し、スーパーマルナカの北側には水路水堀跡?の様なものも在り、北側、南側に舟入りが大日川に接して設けられていた様子が窺える。
登城中、家内はスーパーマルナカ南あわじ店駐車場に車を駐めて留守番、買い物土産として旬の玉ねぎを購入、帰ってからの酒の肴(玉ねぎスライスおかか掛け)と成りました。
志知城-3/3 搦手側より駐車場編に続く。
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