二見には二度見する、振り返ってもう一度見る、みたいな意味もあるようです。じゃあ、その辺にセクスィ~なお姉さんが‥(いません!)
あついっすねー! 最近、あまりの暑さに言動が少し怪しくなって来ています。そう、全ては暑さのせい。
二見城は吉野川にせり出した台地の上に築かれていました。妙住寺のあたりが本丸跡で、南側は二の丸跡になります。妙住寺の御勝手口から入っていくと、吉野川が見え、城址跡としての雰囲気を味わうことが出来ます。
二見城の始まりは南北朝時代に南朝に味方した二見氏の居城とされています。戦国時代、筒井氏三家老の一人であった松倉重政が豊臣秀吉に仕え8千石を領し、慶長13年に1万石に加増され、現在の二見城を築いたとされています。
松倉重政は五條では良政を敷きましたが、大坂夏の陣の功績で肥前日野江に4万3千石で移封すると、石高に似合わない島原城を築いたり、領民から過酷な取り立てを行いました。また、キリシタンの弾圧を幕命により徹底したため、後の「島原の乱」の原因を作ったとも言われています。五條市では今でも名君「豊後様」として称えられ、江戸時代には「松倉祭り」が行われていたようです。島原との落差が半端じゃないっすね。
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