鹿背山城は木津氏によって築かれたと考えられています。15世紀には南都興福寺の傘下の武将である古市氏らによって使用され、16世紀後半には松永久秀によって改修を加えられ、北方の防御の城として重視されたと考えられています。
南山城でも最大級の山城とされ、西から一郭(主郭)、二郭、三郭が並び、それぞれに腰郭が付いています。理想的な一城三郭の形態を持っています。余呉さんの縄張りを見ると、各郭の麓には池があり、主郭の北には水の手があります。東西の主要な郭には畝状の竪堀が付き、その縄張りの美しさを合体ロボで例えるなら「アクエリオン」実用性は「ダイオージャ」といったところでしょう。
なんのことかわからん?・・ググってくだされ。
西念寺の脇から大手道が続いていて、サブコースから回れば、すぐに城址に入ることが出来ます。早く畝状竪堀(空堀)を見たかったので腰郭群を登って行って西脇から訪問しました。比較的大きめの土塁が三条続いていて、その北側にも二条の土塁が竪堀と一緒に二条続いています。こちらの土塁は上の方で繋がっていて、西側を守っています。良く考えられた高度な縄張りで、隠れた築上名人として松永久秀の名を記憶する必要がありそうです(多聞山城・信貴山城・鹿背山城・龍王山城)。ちょっと地味かな・・。
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