前日に引き続き丸亀城です。あの急坂(見返り坂)を二度登るとは思っていませんでした。天守が開館するまで、天守周辺の写真を撮りまくりました。9時開館と同時に入城。内部を見学したのですが、今まで見た現存天守と違って、なるべく手を入れないようにしているのか、若干怖さを感じました。(今、南海トラフ地震が起きたら倒壊するかな?という怖さです)
百名城スタンプ・御城印・百名城カードを入手して、帰りは搦手側から下山しました。麓の観光案内所で御城印帳も購入し、丸亀城を大満喫しました。
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2025/04/19 01:20
地元の友人と讃岐・阿波・淡路の城を攻めて来ました ③ 丸亀城リベンジ (2025/04/10 訪問)
前日に引き続き丸亀城です。あの急坂(見返り坂)を二度登るとは思っていませんでした。天守が開館するまで、天守周辺の写真を撮りまくりました。9時開館と同時に入城。内部を見学したのですが、今まで見た現存天守と違って、なるべく手を入れないようにしているのか、若干怖さを感じました。(今、南海トラフ地震が起きたら倒壊するかな?という怖さです)
百名城スタンプ・御城印・百名城カードを入手して、帰りは搦手側から下山しました。麓の観光案内所で御城印帳も購入し、丸亀城を大満喫しました。
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2025/04/18 22:58
小牧長久手と最古の天守 (2024/08/18 訪問)
小牧長久手の戦いの舞台として、またかつては日本最古の天守かと騒がれて知る人ぞ知るお城だが主郭は小学校にまるっと飲み込まれている。でも周囲との高低差が際立ちお城らしさはふんだんに漂っている(と感じた)。
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2025/04/18 22:29
謎の石垣がある。 (2025/04/04 訪問)
疋壇城は文明年間(1469~1487)に朝倉氏の将・疋壇対馬久保によって築かれたと現地の案内板に記載が有ります。
主郭周辺は畑地のようですが、訪れた時にはそれらしい痕跡は有りませんでした。急耕中なのかな? 最高所が主郭になっていて、南西に天守台と呼ばれる櫓台が有るようです。周囲にはいつの時代の物か良くわからない石垣が有り、登城道にそって堀切らしきものがが有りました。また西下側にも堀切があるようです。
駐車場は麓の疋田舟川の展示場の場所を使わせてもらいました。
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2025/04/18 21:42
カモシカを返してくれ (2025/04/06 訪問)
最近はどこに行っても熊の痕跡だらけ。イノシシなんかより圧倒的に多い。フンを見れば何の動物のモノかわかります。俺の好きなカモシカは何処に行った?? 生態系ヤバいです。環境省、仕事してくれよ。
とはいえ一本松城に今の所、熊はいません。登城道が無いだけです。案内板はいっぱいあるんだけどね。主郭には南側から直接登りましたが、北に回り込んでいくと、登り口の案内板が立っています。とはいえ、ほとんど斜面。城びとだったら、苦も無く登るんだろうけど、一般の人から見たら、たぶんドン引き・・。登城道が無いということは、当然城内も散策路はついていないわけで、ネイティブの遺構をそのまま見ることが出来ます・・が、良いことばかりでも無い。北側には竪堀などの遺構があり、尾根沿いに降りることもできるそうだが、正直気が進まない。しょうがないので、登城時に見上げていた竪堀を逆に上から下ることにした。まあ、このくらいならかわいいものか。
一応、雪っこちゃんはあるんだけど(笑)自分の行くところでは必要ないだろう。しかし、急に熱くなって来たなあ・・勘弁してくれよ。
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2025/04/18 21:07
武蔵松山城 (2025/02/16 訪問)
【武蔵松山城】
<駐車場他>吉見百穴駐車場
<交通手段>車
<見所>横堀・馬出・曲輪群
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画第3弾2日目、ラスト5城目。現地説明板によると松山城の築城は新田義貞説、応永年間初期の上田左衛門尉説、応永23年(1416年)頃の上田上野介などがある。城郭としての体裁を整えたのは太田氏が江戸・川越・岩槻の各城を築いた時期に近いと思われる。城をめぐっての上杉・武田・北条の合戦は有名である。のち豊臣勢に攻められ1590年落城します。歴代の城主上田氏滅亡後は松平家広は松山藩1万石で入城しますが1601年浜松に転封されたため廃城となりました。国史跡の比企城跡群の1つです。
南の登城口から登りました。南の笹曲輪はちょっと藪化して平坦地がちょっと分からなかった。しかし梯郭式の曲輪群は各々横堀で囲んで馬出を取り込んでいます。横堀は繋がっている箇所も多く、堀底道を散策するのも楽しかった。城争奪の激戦地ということで、広い曲輪に大人数を入れて広い堀を防御に戦った様子が浮かびました。
比企城跡群の御城印4城を購入すると「比企城跡群」御城印がもらえます。先週から続いて最後の4城目でGETできました。ちょっと嬉し。これにてこの旅終了。埼玉の百・続百名城と比企城跡群を攻め落としたので翔んで埼玉もだいぶ大阪化してきたかと思うねん。1178㎞無事走破。
<満足度>◆◆◆
<吉見百穴>登城前に城跡隣にある吉見百穴に行きました。吉見百穴は古墳時代後期の横穴墓群の遺跡でここも国の史跡になっています。300円の有料ですが横穴石室が残り一見しても良い所でした。古墳カードなるものももらえます。お土産屋さんもあります。
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2025/04/18 20:41
2025/04/18 19:10
カンジキ大活躍しました…👻 (2025/04/13 訪問)
越後の冬山登城から活躍してきたカンジキも,ここで役目を終えました…👻
パネルの約100m手前からカンジキ装着。パネルの奥に空堀があり,2郭方向へは問題なく行けました。しかし,主郭方向には堀切があり,その先の主郭法面からすでに雪が解け始めていました。堀切と主郭は陽当たりが良いようで,堀切に近づくほどに積雪は緩くなっていきました。主郭は全く雪がないと思われます。この先,堀切を突っ切るのは危険と判断し,主郭は遠望に留めました。
空堀で1m程度の積雪。おそらくGW明けぐらいに雪解けし,問題なく散策できるでしょう。
空堀と主郭手前の堀切は見事でした。
明日,大曲のホテルをリザーブできました。白岩城に行ってきます。書き込みはお休みします…🙃
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2025/04/18 15:32
地元の友人と讃岐・阿波・淡路の城を攻めて来ました① 姫路城 (2025/04/09 訪問)
「讃岐・阿波・淡路の城を攻めよう」というタイトルなのに、いきなり姫路城です。
讃岐・阿波・淡路の城を攻める道すがら、入城料金が爆上がりする前に一度行っておこうという事で登城しました。
前回登城時に「御城印はありませんか?」と売店の人に聞いたら、『ナニソレ?』的な返しをされ、『コクホウノヒメジジョウサマハソンナモノウラナクテモオキャクサンクルンデ』というニュアンスを感じました。今回は普通に売っていて良かったです。
今回は狙った訳ではないのですが、桜が最高に綺麗でした。門や櫓の写真は前回撮ったので、今回は桜と天守の写真ばかりになってしまい、つい撮りまくってしまいました。iCloudのメモリがやばいっす。
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2025/04/18 14:41
【春の長崎天草を巡る①】(1)諫早城 (2025/03/26 訪問)
春の長崎天草を巡る旅、(1城目)は「諫早城」です。
諫早城は昨年秋の紅葉時にも訪れましたが、春はまたどうなっているのかな?と気になり再訪しました。お城の歴史は前回お伝えしましたので、今回は省略します。
「西九州新幹線リレーかもめ」(武雄温泉乗り継ぎ)に乗り、博多からわずか80分で到着です。西九州新幹線は2回目ですが、いまだに新しく木の香りがします。しかもまったく揺れなく静かなのでビックリです😲。技術の進歩には感動ですね。ヘッドライトが開業当時よりおしゃれになっていました(写真⑨⑩)(笑)。
「諫早城」は諫早駅から徒歩20分のところにあります。眼鏡橋の付近に予想外に桜が少なかったので聞くと、ここはシャクナゲの名所だそうで、4月12日からしゃくなげまつりが行われるとの事(事前調査不足でした)。でも東ノ丸から見た桜と諫早市街はきれいでした(写真①)。
次は(2城目)三城城に向かいます。
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2025/04/18 10:27
花見散歩横須賀城 (2025/04/05 訪問)
遠州路桜と城探訪2日目で3城目、掛川城から玉石垣で有名な横須賀城へ、東から入ってくると祭り囃子が聞こえてくる、横須賀の祭りで旧城下町は交通規制が掛かっていた。
駐車場は何時もの西の丸西下を利用と行きましたが満車、西の二の丸跡へ臨時駐車場有り利用した。花見客より横須賀祭お客さんの駐車が大半でした。
花見散歩ルートは西の丸下から大手櫓門へ、整地された大手櫓門前の空地も車で一杯、大手の玉石垣を眺めて本丸東虎口スロープより登る、なんと本丸東側土塁の後面が崩落してブルーシートに覆われている、痛々しい姿。本丸内、西の丸内、西の丸南下では花見客がチラホラ、西の丸西階段を降りて本丸裏の蔵屋敷跡を通って北の丸へ、北の丸は静寂で落ち着いて見学散歩、松尾山は眺めるだけ、三日月堀東の脇道から三の丸へ東大手門を出る。
祭囃子の音が大きく近づいてきたようなので、三の丸跡東隣接の西新町公民館前で、暫し屋台山車の運行と山車の練り山車の上でのひょっとこ踊り見学した、ひょっとこ踊りは横須賀祭の名物ハイライト、地元の方に聞くと山車は13台あり各町内山車を曳きひょっとこ踊りを披露するとの事。横須賀三熊野神社大祭は4月4日から6日まで丁度中日でした。屋台店が出て居り昼時たこ焼き500円を買い昼食代わりに頂きました。
三日月堀、大手櫓門前を通って駐車した二の丸跡へ。
横須賀祭の山車曳きとひょっとこ踊りは初めての体験見学でした、ユーモラスで大変楽しい踊り、また山車で若衆(年配者もいますが)の練りを見るのは初めての体験でした、皆楽しそうでした。
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2025/04/18 07:20
日帰りに予定変更の三河攻城④ (2025/04/12 訪問)
深溝城からの転戦です。深溝松平氏と同様、形原松平氏にも関心を持ち続けていましたので、この城も長らく訪れたいと思っていました。規模は全く比較にならないけれども伏見稲荷の千本鳥居のように鳥居が連なっています。稲荷社に登る石段の脇にお妙塚がありました。塚の近くから伸びている桜は満開を過ぎていましたが、まだ花が残っていました。港を望む眺望もなかなかのものでした。
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2025/04/17 22:26
前波吉継 (2025/04/17 訪問)
朝倉氏の拠点である一乗谷の下城戸口から北西に3.5Km北西に位置しており、一乗谷城の出城の一つと考えられている山城です。城主は朝倉氏の重臣前波吉継で、織田信長との戦いで朝倉氏を裏切り織田軍の侵攻の先導役を務めた武将として知られています。
城は尾根に堀切を幾条も設けている縄張りですが、古墳も利用しているようです。堀切、竪堀などが残っていて楽しませてくれます。主郭には土塁を観ることができますが、かなり藪となっていました。今回は行きませんでしたが、主郭から東側へ歩いて行くと北へ尾根が伸びていて進んで行くと上の城があり、主郭から西側へ下って行くと下の城あるようです。
住まいの展示場家の森の近くに波着寺の説明板があり、北側には波着寺跡へ向かう標識があります。まずは波着寺跡へ向かいます。道はありますが、倒木、倒竹などあり少し荒れていました。波着寺本堂跡から右手にテープが付けられている木があります。そこに階段があり登って行くと階段が途中で消えていて(実際は見つけられなくて)そこから直登しました。すぐに城域である尾根筋へ行くことができました。帰りは降り口がわかりにくのですが、赤と白のテープが巻いてある木が目印です。そこから下山するとすぐ下にと埋まった階段があり容易に下山できました。階段は堆積物で埋っていますが、両側の杭だけが出ていて通路は把握できます。登りのときも捜せば尾根筋近くまで続く両側の杭だけが出て埋まっている階段は見つけられたと思います。
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2025/04/17 22:17
いいところです (2025/03/15 訪問)
前日は赤穂城に行き、明石海峡大橋を渡り淡路島に上陸!
洲本城の麓にある洲本温泉の旅館に宿泊、淡路島の味覚を余すことなく堪能できました。
旅館に向かう際には、ライトアップされた洲本城も見れました。
朝一で、洲本城登城。私の私見ですが、こじんまりとしてるのですが石垣も縄張りもすごくしっかりと残っており、
珍しい造りの石垣がとても楽しめる城跡だと思います。
模擬天守は竜宮城(見たことも行ったことももちろんありません)みたいでカワ(・∀・)イイ!!
天守台で大浜を眺めていたら、地元の高校の若者が駆け上がって来て、想像するにかなりキツイ部活トレーニングのように
思うけれど洲本城は生活の一部なのね、心がほころびました。
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2025/04/17 22:16
藤堂高虎の初期作ともされる荒々しい石垣がよく残る山城 (2025/03/30 訪問)
1574(天正2)年、羽柴秀吉に居城の此隅山城を落とされた山名佑豊によって築かれました。
しかし、1580(天正8)年、再び秀吉の弟秀長に攻められ有子山城は落城した後、城主となった秀長が藤堂高虎に石垣を築かせたとされます。
その後、1604(慶長9)年、城主となった小出吉英が山麓に出石城を築き、有子山城は廃城となりました。
麓の出石城から有子山城への急な登りはキツく、雪・アラレが降ったり止んだりして大変でしたが、疲れを忘れさせてくれる見事な遺構が見られ、見所が多い素晴らしい城でした。
山頂部では、本丸から西側に6段の曲輪がに続き、藤堂高虎の初期作ともされる荒々しい野面積み石垣がよく残されてます。
石垣は本丸北側以外はほぼ全て金網で保護されており見辛いですが、特に第三曲輪の石垣が見応えがあります。北西から南西側にかけて高さがあり角はシノギ積みで、南側へ石垣が長く続いてます。
本丸北側の石垣は金網がなく見事な姿で苔もなく美しいです。
本丸と千畳敷の間の大堀切は圧巻で、これまで山城で見た中で最も大きいかもしれません。
千畳敷は広大な曲輪で、築地塀跡・礎石・石敷・庭園跡と思われる遺構が見られました。
山腹の南側にある帯曲輪には石切場があり、矢穴が残る石が数多く見られます。ここは出石城石垣用の石を切り出された場所と推定されるそうです。
山腹の各尾根は堀切・竪堀で防御されていて、特に東・北西側の堀切・竪堀はダイナミックで見応えがありました。
最後に北西側の尾根から井戸曲輪の下に行くと、見事な 7段の石垣が見られました。
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2025/04/17 22:06
しまねっこ御殿🐱 (2025/04/15 訪問)
松江城の三の丸跡の島根県庁内に誕生した、しまねっこ御殿🐱=しまねっこの家を訪問。
残念ながら、しまねっこは留守でした。
かわいい御殿なので、松江城攻城の際にはお越し下さい。
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2025/04/17 21:40
あの梶原氏が拠っていたという (2024/08/18 訪問)
小牧・長久手の戦いの中で出てくる「羽黒の戦い」が近くで行われているが戦いの際にはまだ羽黒城は荒廃したままだった。元の主は実はあの梶原氏で、お城の近くには今もかの磨墨を葬ったとされる磨墨塚まで残されている。
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2025/04/17 21:08
本丸と城山 (2025/03/30 訪問)
入山城は南側にある本丸と北にある城山の二つに分かれており、まずは本丸を攻めることにします。民家の先に案内板が付いているので南に進むと遺構が見えてきます。主要の郭の周囲に複数の扁平地を擁し、南に虎口が付いているようですが、藪化していて写真では少しわかりづらい。
城山の方に向かうと、やはりこちらも案内が付いている。尾根上を道にそって北上して行くと遺構が見えてくるので、北側から取りつく。最高所が主郭で土塁を備え、北にも土塁を備えた腰郭が付いている。「余呉クンのお城のホームページ」さんの縄張りを見ると南側に三重の堀切が有るようなのだが、藪化が進んでいて、良く見ることが出来ない。せっかくウェルカムの雰囲気が出ているので、じっくり遺構を楽しみたいのだけど・・。
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2025/04/17 20:49
良好な山城としての遺構が残っている。 (2025/03/30 訪問)
八幡山城は熊野水軍・紀伊安宅氏の詰めの城で、本城の北にある八幡神社の背後の丘陵に築かれています。八幡神社から道が続いており、比高はそれほどでもありませんが、登って程なく遺構が姿を現して来ます。最高所に主郭があり、祠の背後の土塁はなかなかの大きさが有ります。南西に築かれた二郭が最も広く、土塁が良好に残っています。構造として西側の方が傾斜が緩いようで土塁と横堀を備えた堀切が続いています。
なかなか高度な山城としての機能を有しており、享禄3年(1530)の安宅氏の内輪揉め以降も改良が施されているように見えます。
最後に登城途中から気になっていた北側の大堀切を確認して下山しました。
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2025/04/17 20:46
【春の長崎天草を巡る⓪】前書き
壱岐・対馬に続き、次は春の長崎天草13城を桜の時期に巡りました。
図のように時計回りで(内回り→外回り)と渦巻のように2回に分けて延べ10泊で回りました。この1ヵ月間で、壱岐・対馬に始まり、島原・天草・長崎・五島と、合計すると30時間も船に乗りました。ちょうど2月に定年退職したので、この機にゆっくりした船旅をしてみたくなり、急に思い立って行ってきた次第です。でも船旅はとてものんびりでき、ほとんど雨も降らず天気にも恵まれ、各地で桜が綺麗だったので景色もよく、気持ちよくゆっくりと過ごす事ができました(皆さんのおかげかな😊?)。
まさに「長崎の海を制する者は、長崎の城をも制す!」 という感じの満足感ですね!(・・・🤔?)。その様子を明日からシリーズで、またお伝えさせて頂かこうと思っています。よければよろしくお願いいたします。
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2025/04/17 19:15
ここではカンジキの出番を想定していたのですが… (2025/04/13 訪問)
会社から払い下げで入手したカンジキ(←旧式)も,山形攻めの上野館,中山城でさすがに老朽化を感じ,この秋田遠征で廃棄する予定でした。一番に出番を想定していたのが明利又城でしたが,全くの不要とは…。
逆に,この次に訪れた戸沢城ではカンジキを想定していなかったのですが,バリバリの出番となりました。廃棄前に活躍することができ,成仏できたかと思います…<笑>。
今後も冬山登城がありそうなら,新式(プラスチック製)のカンジキを購入しようかと思います。フィーリングが合うかどうか…ですが。旧式がいいな…。
明利又城ですが,登城口から向かって右側の山の急斜面を直登します。長野県の松尾古城→遠見番所ルートに似た斜度。ただし,松尾古城のような岩場ではなく,水分を含んだ土です。根を張った樹木を推進力としてグイグイ登る感覚です。準備運動不足だと,膝やふくらはぎにダメージを被るでしょう。
主郭背後に空堀がありますが,ここも全く残雪ナシ。眺望も格別でした。
下山時,登城口の作業小屋の管理者と会い,お礼を言いました。かなりビックリされてました。山には全く雪がなかったことも伝えました。そもそも,城跡であることの認識もなかったです。集落の入口にパネルがあるにもかかわらず…。
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