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赤い城

神須牟地神社 (2025/05/19 訪問)

御堂筋線の長居駅から徒歩で7分、JRからだと5分くらい。
神須牟地神社が砦の跡です。
遺構は残りませんが神社は周囲より一段高い場所に建ち、砦があったことを想像させます。
あとで皆さんのレポートを見たのですが近くに説明板があったのですね。
見逃してしまいました😓

環濠集落から発展した砦で、大坂夏の陣では徳川が陣を置いたとされています。

【見どころ】
 ・周囲より一段高くなった高低差

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todo94

ゴールデンウイーク後半・因幡の城めぐり⑤ (2025/05/04 訪問)

因幡山崎城からの転戦です。グーグルマップに載っている敬愛高校のグランドに、どうしてもたどり着くことができず、周辺の道路を何度もぐるぐると回ってしまいました。結局、野坂川の北側から歩いて橋を渡って何とかたどり着くことができました。ぴーかるさんが写真投稿されている登城箇所にたどり着いた時の喜びと言ったら。鉄塔が建つ主郭からの帰路はあさんと同じルートをとらせていただきました。

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しんちゃん

田尻城④改め矢筈岳 南北を崖に挟まれていて、なかなかおそがい。 (2025/06/01 訪問)

田尻城から矢筈岳攻めに目標が変わっています。どうせこの時間からでは鶴ヶ城を攻めるには時間が足りないので、この日は田尻城+矢筈岳に集中することにしました。長くなってきたので、さすがにガス欠になって来てます。そういえばしばらく携帯食のローテーションをしてなかったけど、大丈夫かな? 賞味期限をあえて見ないでアルフォートの箱を空けると、あっ 土みたいになってる。食えるんかコレ? う~ん・・アルフォートっぽい味はするな(翌日お腹の調子は悪くなりました)。
非常食のローテはこまめにやんないと・・。山頂は小さな二つの郭のようになっているけど、そんなに広くない。ここへ追い詰められたら自害するしかないのかな? 矢筈岳の東は両サイドとも崖で、見るからにヤバそうです。攻め手をひるませるには十分な険しさですね。先に進んでいくと尾根を絶つ堀切のような場所が有り、北は深い崖になっていて、竪堀が下に続いています。そもそも、こんな険しい場所に竪堀を掘れるのだろうか? ここを東の境界として、また田尻城に戻ることにしました。
やはりイオさんの投稿の通り北側から攻める方が、まだ安全のようですね。雨の日はここまで来ない方が良いと思います。

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しんちゃん

田尻城③ 和歌山県日高川町田尻 矢筈岳に向かう (2025/06/01 訪問)

主郭に到達して、案内板を確認。見たところ東側の防御が弱いかなと感じました。なんとなく矢筈岳が気になります。腰郭東側の石垣を確認し、堀切を越えて矢筈岳に向かうことにしました。ここからは矢筈岳の投稿になりますね。
案内板を見ると田尻城は手取城主・玉置氏の詰めの城として機能していたとされます。矢筈岳は南北が崖となった天然の要害で山頂部は二つの小さな郭のようにも見えます。防御の仕掛けが必要無いほどの天然の要害で、正直歩いていておっかないぐらいです。本来、詰めの城の詰めの城は無いはずなのですが、なんとなく「隠れ詰の城」の雰囲気はあります。明確な郭や堀は無いのですが、小規模な扁平地が各所にあり、うまく使えば守りの仕掛けとして使えそうです。矢筈岳の両側にこれらの扁平地が付いていて、脱出や防御にも転用できそうな気がしました。
この辺りに気になる岩がいくつかありました。なんとなく筋目を入れて切割っているように見えます。

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しんちゃん

田尻城② 和歌山県日高川町田尻 解りづらい遺構を眺めながら主郭に到達 (2025/06/01 訪問)

田尻城の続きです。尾根を登って行くと各所に扁平地があり、石積み遺構があります。実は登ってきた分岐から西の尾根を下って行った先にも石積みがあります。帰りに尾根を下って行く時に、東側に分岐が付いていて、そこを急なロープ場を伝って帰途につくのですが、注意しないとそのまま尾根を下って行ってしまいます。そそこにも城址の雰囲気があり、石積みも有ったりします。雰囲気に釣られて、そのまま下って行くと道が途絶えていて、道を違えたことに気づきます。とはいえ、そこも広義の城域だと思うので全く無駄ではないと思います。何にせよ、帰り道のルートは一つしかないので、そこから分岐まで戻る必要があります。

話を登城途中に戻すと、石積遺構から城址までは、まだだいぶ距離が有ります。標高646mあたりにロープ張り矢印設置の作業の途中と見られる痕跡が有りました。イオさんが「城びと」に投稿した影響か?・・と思いましたが、正直「城びと」にはそこまで影響力は無いですな。いつかは玉越ですよ。標高684m地点で郭と、それについている堀を発見。
その上の郭にもうっすらと堀のついた郭が有るようです。堀はほとんど埋まっているので、判別は難しい、気のせいかもしれませんよ。
城址に近づいていくと大きな岩がゴロゴロしている。主郭北側には明確な石垣は有りませんが大量の石が散らばっている箇所もありました。



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しんちゃん

DIYみたいな石垣 (2025/06/01 訪問)

イオさん「金龍がゆく紀行」の続き、楽しみにしていますよ。トクさん凄いですね、鷹取山城は比高が500m以上もあるのに。その根性に頭が下がります。イオさんが攻略した田尻城も南側から矢筈岳を迂回するルートだと片道2時間はあるようです。
イオさんの投稿にあるように、北側の林道・小谷線 幅員3.5~4mのルートを使えば登城道から片道1時間弱ぐらいで城址に到達できます。登城道からの比高はおよそ315mぐらいでしょうか。とはいえ・・登城口まで1kmを切った辺りで岩崩れがあったので、脇に車を留めてそこから歩くことにしました。ついでに矢筈岳周辺を散策して、帰りに尾根を下って行ったら行きすぎてしまって、戻ったりしてで全部で4時間ちょっとかかりました。それと、本来登城口でないところに無理に登城口を付けてあるので、かなり急なロープ場が二つあります。ロープ場は他にもありますが最初の二つは、めっちゃ急こう配なので手のひらを怪我しないようにゴムの手袋を持っていった方が良いと思います。
岩場を切り崩して林道を通してあるので、林道の脇は高さ10mはある崖になっていて、それが道沿いにずっと続いています。分岐する箇所以外は、よほど迷うことはないと思いますが、入る場所も出る場所も一か所しか無いので、他の山城のように直で下って城址から脱出するという荒業は使えません。
登城口から右に林道沿いに登って行くと尾根にたどり着きます。尾根を城址に向かって進むと急こう配のロープ場が二つあって、その先から本来の登城道になると思います。明確な遺構は主郭及び腰郭と北・西・東の堀切までですが、北側の尾根の先の石積などの遺構や、西の採石場(石切場?)と見られる場所、東の矢筈岳の周辺なども城域として利用されていたのではと考えます。そう考えると、なかなかの広さを持っています。
城内で石を加工して、積み上げたりしているようですが、洗練された石積の方法ではなく、手探りの原始的な方法で石垣を築いているように見えます。一人で運べる人の頭大の石が多く、北尾根の先の方まで石積みの遺構が有るようです。次に多いのが直径50cmぐらいの石で、これは二人以上でないと厳しそうです。割り方も楔を使って矢穴を切って割るという方法では無さそうです。
何となく我々石積みの素人でも、頑張れば作れそうな石垣で、そこはかとなくDIY臭がします。このあたりは岩も土も崩れやすいので、石積みによる補強は必須なのかも知れません。

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ぴーかる

豊岡城 (2025/03/30 訪問)

【豊岡城】
<駐車場他>安来市役所伯太庁舎に停めました。
<交通手段>車

<見所>堀切
<感想>日帰り尼子十砦旅1城目。2024年2月に城郭放浪記さんのサイトを頼りに一度トライしましたが、登城口がよく分からず断念した城跡です。今回はGoogleのストリートビューを散々見て、西側の蛇喰川に木橋が架けられていそうなので西側からアプローチしてみました。木橋の地点が城跡北側を横断する谷の部分にあたります。倒木等荒れていて、地面はぬかるんでいますが、谷を東に向かって進むと右手に植林された場所が出てきます。登ると主郭の北端に入れます。東側から登城するには、畑地(私有地かどうかはわからない)を抜けて、左手にある笹のカーテンを押し分けて抜けると道がある。登るとみつばちの巣箱があって、主郭南側の2重堀切に行けます。
 
 城跡は概ね南北に長い連郭式で最北の曲輪が城びとのフラッグ位置にあたります。南は交差点・蛇喰川が東に曲がる地点までしっかりと曲輪が残っているので、南は川の段丘上からのはじまっているのかと思われます。連郭の曲輪段は間に数カ所堀切で仕切られています。城びとフラッグの最北の曲輪とGoogleマップの位置は少し南で、どちらも主郭といえる広さがあります。その間に深い2重堀切で仕切られています。最北の曲輪には北端に土塁があり、土塁下から西側に尾根が伸びていて尾根を分断する2重堀切があります。城跡内部は少し灌木があり荒れていますが、なかなか見応えありました。

 ウィキペディアに尼子十砦に豊岡城があり、行った時はそうだと思って、はりきって攻めたのですが、今回の投稿時の調べで気づいたのですが、城郭放浪記さんのサイトには豊岡城の南にある城びと未登録の亀遊山城が尼子十砦の1つであるそうです。Googleマップにもそうあったので失敗した~無念。旅のタイトルも尼子十砦制覇旅にしていたのに変更して、制覇は後の楽しみ(船上山城も雪で行けなかったのでその時に)に取っ置くとします。行った時は、「山陰地方尼子氏には珍しい堀切を多用した城跡だな」と思っていたら、毛利氏の築城でした。あとから納得しました。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

民家を抜けたら,左側の杉林を目指せ❢ (2025/06/01 訪問)

岩手県道275号線沿いに,末崎城入口碑があります。民家の敷地内を抜けたピーク付近から左側に進みます(右側に目印になる木が1本アリ)。すると,正面に杉林が見えます。そこが末崎城。
草むらの中,歩みを進め,杉林に近くなったところで「館が崎角岩岩脈」のパネル。そこをさらに進むと虎口アリ。パネルから杉林に入ると帯曲輪と空堀です。

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トク

黒田六端城を行く:(3城目)鷹取山城(2/2) (2025/02/21 訪問)

鷹取山城の続き(2/2)です。山頂からの360°の眺めは最高でした。汗をかいたので風がとても気持ちよかったです。前回写真⑦の説明で太兵衛が日本一だと言っていた、ここよりまだ高い福智山がドンと目の前に見えます(写真①)。あの上からこの鷹取山城を見下してみたいですが、私の足がもう限界と言っているので無理そうです。ここで持ってきたお茶とおにぎりを頬張りました(うまい!)。神社からここまで誰にも会わず、この雄大な景色をゆっくりと一人占めできました!(写真②③)。結局平日のせいか、行きも帰りも最初から最後まで誰にも会いませんでした。

鷹取山城は二段になっていました(写真④)。上段の主郭には隅櫓の礎石跡があります(写真⑤⑥)。下段の外郭にも櫓の跡がいくつかありました(写真⑦)。また四方に虎口があります(写真⑧)。当時はさらに上段・下段とも多聞櫓で厳重に囲まれていたようです。斜面には石垣の跡や畝状竪堀も見られたので、破却前はいったいどんな城だったのか? かなり壮大な城だったように思えました。

帰りは福智山ダムルートで下山しました(前回写真⑨)、というか同じ道を下るつもりが間違えてしまい、1時間も遠回りしてしまいました。結局全行程4時間くらいでバス停まで戻り着くだろうと甘く考えて登り始めたのですが、私は健脚でないにもかかわらず、さらに道まで間違え遠回りしてしまったので、終わってみれば7時間もかかってしまい、翌日筋肉痛に襲われたのは言うまでもありません(笑)。
 

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駿府城

模型で見て、現地を感じるー駿府城のスケールを体感しよう!

現在、静岡市歴史博物館では、特別企画展「模型で見る駿府城と日本の名城」を開催中です。静岡市内の模型メーカー・株式会社ウッディジョーとのタイアップにより、まさに“模型のまち静岡”ならではの展示が実現しました。1/150スケールで再現された駿府城をはじめ、江戸城や姫路城など、日本の名城が展示されています。※詳細は前回の記事をご覧ください。
 
模型をじっくり鑑賞したあとは、ぜひ実際の駿府城跡へ足を運んでみてください。静岡市歴史博物館から徒歩圏内にある「駿府城跡天守台発掘調査現場」では、かつて徳川家康が築いた駿府城の天守台石垣を間近で見学することができます。その圧倒的なスケールと構造の迫力を、ぜひご自身の目でご体感ください。
この貴重な機会に、ぜひ駿府城跡天守台発掘調査現場にお越しください。

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にのまる

大野城の登城口 (2025/03/20 訪問)

今回此の地を訪れた理由は、他でもない大野城再チャレンジのためでした。
とはいえこの素晴らしき歴史遺産をただ通り抜けるなんてできません。しっかりゆっくり見学させていただきました。
頭に詰め込み記憶し続けるキャパの限界のせいか、何度来てもそのたび新鮮です(^^)

ひととおり見学し、後背の山をを見上げます。
「あの山のてっぺんに登るのか!」
武者震いがしてきました。
兵糧と水分は政庁前の「ベストマート」さんで調達しました。
しゅっぱーつ!!

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イオ

鉈尾山城(岐阜県美濃市曽代) (2025/02/01 訪問)

鉈尾山城(城びと未登録)は、戦国末期に佐藤清信が鉈尾山頂部に築いた城で、佐藤方政が関ケ原の戦いで西軍に与したことにより改易されると、飛騨・高山城主の金森長近に与えられました。長近は隠居するといったん鉈尾山城に入ったようですが、長良川沿いに築いた小倉山城に移ったことにより廃城となりました。

この日は金森長近の足跡をたどる「金龍がゆく紀行」の一環として長近の隠居領である上有知を訪れました。美濃市運動公園の第1駐車場に車を駐めて、弓道場の脇から登城開始。登城ルートは南回りの大手道と北回りの搦手道がありますが、所要時間が短い(急坂だが歩く距離は短い)搦手道を選択。登城道はよく整備されていて案内表示も随所にあるため迷うこともなく、登城口から約40分で山頂部に到達しました。

鉈尾山城は古城山とも呼ばれる鉈尾山頂部に南北に曲輪を連ねた連郭式山城で、西側は断崖絶壁、東側には帯曲輪をめぐらせています。比高350mの高所だけに本丸からの眺望は素晴らしく、長良川と郡上街道に睨みをきかせる位置であることがよくわかります(小倉山城も見えます)。北端には土塁が搦手道に立ち塞がり、曲輪群の東面には随所に石垣が施されていました。南端の大手口には算木積みの石垣(石塁)があり、一番の見どころと言えるでしょうか。大手口の少し南側から西側に落ちる竪堀脇にも石垣が見られました。

そして大手口から大手道を下山しましたが、大手道はあちこちにある巨岩の間をぬうように通されていて、往時はこの巨岩を防衛に活用していたのかな…などと考えつつ歩いていると、どうせ搦手道も大手道も両方通るのなら、大手道から登城したほうがより雰囲気を楽しめたかも、とも感じました。
 

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todo94

ゴールデンウイーク後半・因幡の城めぐり④ (2025/05/04 訪問)

鵯尾城からの転戦です。2016年に案内板を撮影したのみだったのに「行った」をポチってしまったのはどう考えても詐欺ですね。すぐに攻略するつもりだったのに9年も経ってしまいましたが、今回、しっかり攻城できてほっとしています。主郭に向かう登城路の途中に浅い堀切がありましたが、そこから竪堀が落ちていてその竪堀の上部に石塁がありました。続100名城の要害山城を想起させられました。

かつて、藤崎城に行った際に揖斐川上流の徳山ダムの放流をゴールデンウィークに拝んだ経験がありましたが、今回も殿ダムの放流を拝むことができました。ちなみに殿ダムの読みは「とのだむ」のようです。競馬ファンとしては、「しんがりだむ」と読みたくなってしまうのではありますが。

帰ってきてから、ぴーかるさんの投稿を拝見してまたしても愕然としてしまいました。斜面に張り付いての石垣チェック、できていません。ここも再訪せざるを得ないようです。

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赤い城

我孫子城・新堀城 大阪府大阪市 (2025/05/19 訪問)

奇跡的に相方が当選した髭男のライブで大阪に。
盛り上がった翌朝、会場だった長居スタジアム周辺を散歩しました。
2つとも城びと未登録で遺構も残りません。

まずは我孫子城、御堂筋線の我孫子駅から徒歩で5分くらい。
あびこ観音(大聖観音寺)が城跡です。
早朝だったので境内には入れませんでした。
周囲を一周、道路に折れのある部分もあり、辛うじて城跡だったことを想像させます。

ここから徒歩で25分くらい。
長居運動公園近くの新堀城へ移動しました。
保利神社周辺が城跡推定地ですがここも遺構は残りません。
周辺の道路がゆるくカーブしてたりするので心眼に頼ります。

いずれも石山本願寺の出城だったとされています。
写真の撮れ高が少ないので前日のお昼に食べた美津のさんのお好み焼きを載せておきます。
結構な行列でした。

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しんちゃん

清水城 和歌山県有田川町 (2025/06/01 訪問)

清水城の続きの投稿です。城址の遺構については一稿目に、ほぼ書いてあります。ルートとしては、あさんの投稿にあった、八幡宮のゲートから入って、城址北側尾根の遺構を見て引き返してくるルートになると思います。小学校の先生の了承を得ることが出来れば、城址西側に沿って進む道から城址に入ることも出来ます。尾根に付いている堀切から南に進めば堀切が三つ付いているはずです。すでに記憶が薄れてきていますが・・。
北の腰郭の上が主郭になっていて、周囲に石垣が付いています。これは元・神社の石垣のようですね。山城が神社として活用されている場合が多く、おかげで多くの遺構が残されているのですが、いつの時代の物かわからない石垣もあります。

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しんちゃん

あらぎ島 (2025/06/01 訪問)

今回の近畿訪問では和歌山県の元未訪の城「清水城」「田尻城」も回って来ました。「鶴ヶ城」は別の機会の楽しみにします。
今回は二番手の訪問になるので、先人のあさん、イオさんの投稿を参考にさせていただいています。お二人ともわかりやすく解説をつけていただいているので、訪問の助けになっています。ありがた山・・もとい感謝します。二番手も悪くはないですよ。
とか言いながら、清水城は搦め手から攻めています。県道わきの空スペースに車を留め、狭い道から八幡宮を目指して行きますが、どうも城址に向かっていく道が気になる。登った先は小学校でけっこう車が留まってます。地形図を見るとここから城址に道が付いているので、職員室にいる若い先生と話をして、通していただけることに。小学校内にもゲートがありますが、そこを通らずに脇道から進んでみます。そのタイミングで、頭にGPSらしきものを着けた中型の猟犬らしいのが二匹校内に入って来ました。首輪をつけずに放し飼いの状態で、先に道に入って行ったので、後からついていくことに。進んでいくと地形図の転線からそれて北の尾根に沿って道が続いています。途中に竪堀が有り、上から続いています。
少し進むと、相方を見失った犬が狭い道をうろついています。すぐ脇にいるので、話しかけてみるけど通じない。攻撃してくる気配は有りませんが、相方がいないので不安そうな表情をしています。さらに進むと北尾根に堀切を見つけたので、ここから城址に入ります。尾根から城址に向かっていくと、大きな堀があり、竪堀となって下に続いています(先の竪堀との関連は不明)。
その北側が城址で、浅い堀があり、腰郭が高低三段の構造で西側まで回り込み、その下にさらに腰郭があります。三段の腰郭には礎石の様な物があり、城びとの情報にも建物礎石とあるので、腰郭に建造物が有った可能性もありそうです。
最上部が城址で、南側に腰郭が二つ以上あり、南南西にあさんの投稿にもあった、大きな竪堀が付いています。これはなかなか迫力が有りますね。人工的な扁平地を南に進むと西手に、堀切がありました、先の竪堀と続いているのでしょうか? 下って行った先のゲートから出ると、そこが八幡宮になります。

あさんの投稿を参考にしているので、当然あらぎ島展望所も尋ねています。なんかミャクミャクみたいな色の奴がいますね。季節によってはイルミネーションもやっているようなので見てみたいけど、ちょっとハードルが高い。

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カズサン

洲本城-9/9 下の城・史料館編 (2025/05/15 訪問)

 洲本城-8/9 東の丸二段の郭編の続です。

 洲本城を15年振り3度目の登城、樹木伐採されて景観が整備されてきた、東登石垣も樹木伐採されて見易く成って来たとの情報も有り立寄りましたが、本丸、天守郭、西の丸、南の丸、東の丸、二段の郭に、武者溜、大手周りと廻り、家内が私の遭難?騒ぎをよそに約2時間見学探訪の後、下の城、淡路文化史料館を訪ねる。
 車は淡路文化資料館前に駐めて、史料館入館@500、洲本城の歴史文化の資料展示を閲覧、洲本城の立体模型、洲本城跡赤色立体地図写真は特に注目でした。

 史料館を出て前の東櫓台、西櫓台、東土橋、西土橋、水堀前面の石垣塁、三熊山頂上に聳える洲本城模擬天守を仰ぎ見る。
 全体で3時間超の探訪と成りました。家内は良く付き合ってくれました。

 洲本城9編に渡って長々とご覧頂きありがとうございました。
  

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カズサン

洲本城-8/9 東の丸二段の郭編 (2025/05/15 訪問)

 洲本城-7/9 東の丸東端高石垣編の続です。

 武者溜側より東の丸東端高石垣を観察見学し、東の丸東端高石垣北端より東の登り石垣を感激の見学観察して、東二の門を通て東の丸下、八王子木戸より東の丸二段の郭に入り込む、二段の郭の南側下には樹木で鬱蒼とした東の丸がある、二段の郭下段虎口があり進入、上段に入り、上段東端南北いっぱいに多門櫓台が一段高く石垣が積まれている、北側は景色眺めは絶景、多門櫓台東下には一段下がって曲輪が在り、武者溜で見た東の丸高石垣の上面内部に成って居る。
 多門櫓台?には瓦片が少し散見されましたが江戸期の物なのでしょうか?
 三度目の登城で東の丸、二段の郭に初めて踏み込む事が出来ました、樹木伐採の効果でしょうか?大変ありがたい。

 長く洲本城西の丸、武者溜、東の丸、登り石垣の探訪で本丸の喫茶店に待たせた家内のもとへ、長かったせいかスマホに連絡を入れたそうスマホの音を消音にしていましたので気付かず、着いて遭難したかと?と言われてしまう。
 コーヒーとケーキを頂いて下の城・洲本文化史料館へ移動しました。

 洲本城-9/9 下の城・史料館編に続く。
 

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カズサン

洲本城-7/9 東の丸Ⅰ東端高石垣編 (2025/05/15 訪問)

 洲本城-6/9 武者溜編の続です。

 武者溜の西端から15年前は樹木で鬱蒼として良く観察できなかった東の丸東端が明るく見通しの効いた高石垣を観察見学出来るようになりました、本丸ほどの高さは有りませんが、東の丸下段、東の丸二段の郭東端の高石垣が見える様に成って感激での初体験実感を味わいました。
 洲本城の一大特徴である東の登り石垣、西の登り石垣が存在しており初登城では観察できず、二度目は西の登り石垣の麓部分を探訪観察しておりますが、今回は是非樹木が伐採されて観察できるようになった東の登り石垣を是非見たいとの願いを叶える事が出来ました、東の丸北東角の高石垣下より東の登り石垣を観察見学しました、脚力が弱くもう少し北側の狭い足場に踏み込めず階段状の立体感ある登り石垣を観たいとの気持ちが有っても足が動きません、ですが確認観たことに変わりは有りません、大満足です。
 
 洲本城-8/9 東の丸Ⅱ二段の郭編に続く。
  

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にのまる

勝山御殿 (2025/03/10 訪問)

コロナ禍で2年以上帰省できなかったこともあり、5年ぶりの訪城でした。
後背の勝山城へは踏み込めないままです。関東であればお城仲間に声をかければどなたか同行してくださるかと思うのですが、故郷とはいえ高校までしか住んでいなかったのでこっちにはお城仲間がいないのです(><)
このままでは体力的に無理😭となってしまうかも。
いつかのチャンスのために体だけは鍛えておこうと思います。

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