永禄年間に土豪の林与(與)次左衛門員清が築城したといわれています。ただ普請に伴う土木量は一土豪による構築とは考え難く、織田氏あるいは浅井・朝倉による構築が想定されているようです。城は主に南ブロックと北ブロックに分かれ南側の曲輪が主郭とされています。曲輪、土塁、土橋、畝状竪堀などが残っていました。土塁は北側の曲輪の方が高さもあり見応えがあります。所々に遺構の標識がありました。概ね散策しやすい城址です。
下山して気が付きましたが、説明板を見ていません。それなりに散策しましたが、見逃したのでしょうか。あるいは撤去されたのでしょうか。
JR近江高島駅から徒歩約5分の場所にある日吉神社の鳥居前左側に打下城の案内標識があります。その先にポールがあり右折します。そこにも案内標識はありましたが、地面近くにあり草に隠れていました。ネットの評判より藪ではなかったのですが、少し行くと前方を倒木が道を塞いでいました。このまま荒れているのか思いましたが、そこを越えれば倒木はあるものの大したことはありません。少し迂回して倒木の下を潜り、後は道なりに川沿いを上流に向け登りって行くと迷うことなく城址に行くことができます。要所に小さな案内板があり、道が正しいか否か不安になることもありません。ただ道は細く歩きにくい所もありました。途中で右手に見える砂防ダムは圧巻です。
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