うちおろしじょう

打下城

滋賀県高島市

別名 : 大溝古城
旧国名 : 近江

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登城口。左の金網フェンス沿いに奥へ
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イオ

登城案内 (2024/11/09 訪問)

ちゃんと下調べしていれば、普通は私のような間違い方はしないと思いますが、それでも登城口は結構わかりにくいので、簡単ながら登城案内を。

日吉神社の麓にある鳥居の手前を南に進み、金網フェンス沿いに細道を奥へ(写真①)。

小川に架かる小さな橋を渡って笹藪に突入します(写真②)。11月でもわりと茂っていたので夏場はもっと激しい状態かもしれませんが、笹藪は長くは続かないので、覚悟を決めてGo!

整備された登城道を進むと防獣柵のゲートがあるので開閉して(写真③)、谷を右手に見ながらさらに登って行きます。やがてガリバー堰堤と呼ばれるガリバー旅行記の絵(だと思います)が描かれた砂防ダムが右手に見えてくるはずです。

あとは案内表示に従ってひたすら登って行くと稜線に出ますので、長法寺跡との分岐(写真④)を打下城跡側に進めば5分ほどで到着です。


…ということで、皆さまが私のように、せっかくだから日吉神社にお参りしてから行こう(写真⑤)。登城口は日吉神社の南側だったよな、ああ、社殿南側のこのゲートかな(写真⑥)。道はあるけどほとんど整備されていないような…。あ、あれがガリバー堰堤だな……って行き止まりなんですけど!?(写真⑦) …なんてことにならないことを祈ります(ならねーよ(笑))。
 

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イオ

高島郡攻略の陣所 (2024/11/09 訪問)

戦国末期に浅井氏に仕えた林員清が高島平野と琵琶湖を見渡す城山に築いた城で、織田信長に降伏すると高島郡攻略の陣所となりました。林員清が内通の疑いで切腹させられると津田信澄が城主となりましたが、大溝城に居城を移したことにより廃城となったようです。

打下城へは日吉神社の鳥居の手前を南に進み、水路を渡って谷沿いに登って行くのが正しい登城道なんですが、何を思ったか日吉神社の社殿の南側から谷を左手に登って行ったところ、ガリバー堰堤と呼ばれる砂防ダムで行き止まりに…。「近江の山城 ベスト50を歩く」を見てみると「ガリバー堰堤を右手に見ながら」とあるので間違いに気付き、ということは谷の向こう側に登城道があるはず、と谷の水量が少なかったこともあって、少し戻ったところの梯子で谷に下りて対岸に渡り、何とか登城道に合流することができました。あとは案内表示に従って20分あまりで稜線に出て、長法寺跡との分岐から5分で中主郭南西下の堀切に至ります。

打下城は中主郭から派生する北・東・南の各尾根に曲輪を配し、南西方向を巨大な堀切と竪堀群で遮断しています。中主郭は土塁に囲まれた小さな曲輪で、北東部の虎口には石積みが見られました。虎口を出て東尾根を下って行くと、尾根を削り残して北辺の土塁とした広い曲輪が広がっています。虎口まで戻って今度は北尾根を下って行くと、小曲輪群が階段状に連続して北主郭へと続いていました。

北主郭の虎口は南側に開口していて、虎口に至る道は土橋状になっています。土橋の南東下には6条ほどの畝状竪堀群も見られました。北主郭は中主郭よりひと回り大きく、分厚く高い土塁で囲まれています。北主郭の東側と西側にいくつかの小さな曲輪があり、北東裾には畝状竪堀群も設けられています。

中主郭まで戻って最後に南郭を探索するつもりが、見当違いの方向に行ってしまい断念…。堀切や竪堀などそれ相応に見応えのある山城ですし、北主郭の石積みなども見落としているので、いつか再訪したいとは思いますが、わりとハードな山城でもあるので当面はちょっと勘弁かな、とも(笑)
 

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中川藤兵衛尉

打下城 (2020/10/12 訪問)

津田七兵衛尉信澄らが拠った山城。曲輪・堀切が良好に残り、石積みも所々にあります

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国人の城をベースに、浅井・朝倉、次いで、織田の城郭 (2019/04/06 訪問)

比良系の北端。麓には拝戸断層が走り、切り立つ山塊。花崗岩の山塊で、大石がごろごろしている。同じ花崗岩で断層により隆起している六甲山系と山体の感じが似ている。
尾根に至る道はリトル比良の登山道でもあり、手入れされているが、昨年夏の台風被害に追い付いていない。城跡も伐採の痕跡あるが、被害に追い付いていない。
登頂は、日吉神社左手に標識があり、そこから20mほどの右折標識(10枚目写真)を見つけられれば、迷うことはない。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 林員清
築城年 永禄年間(1558〜1570)
主な城主 林員清、織田信澄
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 滋賀県高島市勝野