うちおろしじょう

打下城

滋賀県高島市

別名 : 大溝古城
旧国名 : 近江

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主郭虎口
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ぴーかる

打下城 (2025/11/29 訪問)

【打下城】
<駐車場他>近江高島駅前のコインPに駐車しました。日吉神社の境内は最近整備されたようで、ハイキング等の駐車は遠慮してとの看板がありました。
<交通手段>車

<見所>曲輪・土塁
<感想>日帰り滋賀県制覇旅ラスト2城目。打下城は永禄年間(1558年〜1570年)に近江高島郡の土豪、林員清によって築城されました。林員清は信長方に属しますが、のちに浅井・朝倉軍を手引きした疑いで切腹を命じられます。その後は織田信澄が大溝城を築城するまでの居城としていたようです。
 登城口は日吉神社の鳥居をくぐって左手、境内にあります。しばらく進むと防獣柵とゲートがあり開けて入ります。分岐は川を右手に登っていくと砂防ダムがあります。ここに山頂まで1200mの標識がありますので神社からだと1500mくらいあります。最初先達の鳥居をくぐって左手を日吉神社の左手と勘違いして東側にある宅地予定地のゲートから入りしばらくさまよったので大分体力を消耗しました。遊歩道の登山道はだいぶ遠回りに行くようで、途中にいつの時代か分からない石積みの窯跡群があります。
 頑張って登ると尾根上に出ます。左方向が城跡で右方向は馬の足と呼ばれる巨石と寺院跡があります。城跡を見たあと巨石までは行きましたが寺院跡は距離の表示が無くだいぶ進みましたが断念しました。尾根上から左方向に進んでいくと尾根曲輪になっていて、虎口・木戸跡のような巨石があります。城跡の搦手から入るようで、尾根の薄い堀切を超えたり、2連竪堀があったりして主郭の背後に着きます。主郭背後の大空堀は幅が10m以上あって見応えがあります。堀切も兼ねていて竪堀となって下に落ちています。主郭の切岸は急峻で登り着くと小さい主郭があります。土塁囲みだったようですが、背後の空堀側と正面の虎口跡に土塁が残ります。正面虎口跡には石積みが僅かに残っていますが年月でだいぶ崩れてしまっています。大手道側がかなり急峻で主郭の下に2段程腰曲輪がある程度で織田信澄が仮居城としたと思われるような広い曲輪は見受けられませんでした。大手道の方を下って行けば近道できそうな感じはしましたが、来た道を戻りました。走行距離371㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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昌官忠

(東海&関西)遠征6日目:打下城 (2025/05/20 訪問)

事前に、びわ湖高島観光協会でレンタサイクルを予約していたので、JR近江高島駅構内観光案内所に向かいました。
JR近江高島駅構内観光案内所でレンタルできる自転車は普通車のみ(電動はありません)です。
5月15日の豊橋での悪夢が脳裏をかすめます。(城跡間に登坂があると恐怖です。移動時間が計画より多くなりそうです)
JR近江高島駅構内観光案内所から、自転車で2~3分くらいで、打下城跡登山口標識付近(35.291998、136.006763)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、永禄年間(1558年〜1570年)に林與次郎左衛門員清によって築かれたと云われています。

永禄年間(1558年〜1570年)頃は小谷城主浅井氏に従っていました。
1570年(元亀元年)浅井長政が織田信長を離反した後、1572年(元亀3年)織田信長が朝倉・浅井軍を追い込むと、打下城主の林員清は信長に降伏しました。
1575年(天正3年)林員清は越前国北之庄にて信長によって切腹を命ぜられたそうです。
その後は磯野員昌の養子となっていた織田信長の甥信澄が、1578年(天正6年)信澄が大溝城を築くまで居城としていたと云われています。

獣害防止柵を開け砂防ダムを越え川沿いを進みますが、滑落の危険があると感じた細い道が数ヶ所あるので気を付けて進みます。(自分は少し高所恐怖症気味です)
曲輪、堀切、土塁、石積、虎口などは確認できましたが、説明板はみていません。(先人の方の写真ではあったはずですが・・)
攻城時間は95分くらいでした。次の攻城先=大溝城に自転車で向かいました。

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林員清 (2025/04/29 訪問)

 永禄年間に土豪の林与(與)次左衛門員清が築城したといわれています。ただ普請に伴う土木量は一土豪による構築とは考え難く、織田氏あるいは浅井・朝倉による構築が想定されているようです。城は主に南ブロックと北ブロックに分かれ南側の曲輪が主郭とされています。曲輪、土塁、土橋、畝状竪堀などが残っていました。土塁は北側の曲輪の方が高さもあり見応えがあります。所々に遺構の標識がありました。概ね散策しやすい城址です。
下山して気が付きましたが、説明板を見ていません。それなりに散策しましたが、見逃したのでしょうか。あるいは撤去されたのでしょうか。

 JR近江高島駅から徒歩約5分の場所にある日吉神社の鳥居前左側に打下城の案内標識があります。その先にポールがあり右折します。そこにも案内標識はありましたが、地面近くにあり草に隠れていました。ネットの評判より藪ではなかったのですが、少し行くと前方を倒木が道を塞いでいました。このまま荒れているのか思いましたが、そこを越えれば倒木はあるものの大したことはありません。少し迂回して倒木の下を潜り、後は道なりに川沿いを上流に向け登りって行くと迷うことなく城址に行くことができます。要所に小さな案内板があり、道が正しいか否か不安になることもありません。ただ道は細く歩きにくい所もありました。途中で右手に見える砂防ダムは圧巻です。

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イオ

登城案内 (2024/11/09 訪問)

ちゃんと下調べしていれば、普通は私のような間違い方はしないと思いますが、それでも登城口は結構わかりにくいので、簡単ながら登城案内を。

日吉神社の麓にある鳥居の手前を南に進み、金網フェンス沿いに細道を奥へ(写真①)。

小川に架かる小さな橋を渡って笹藪に突入します(写真②)。11月でもわりと茂っていたので夏場はもっと激しい状態かもしれませんが、笹藪は長くは続かないので、覚悟を決めてGo!

整備された登城道を進むと防獣柵のゲートがあるので開閉して(写真③)、谷を右手に見ながらさらに登って行きます。やがてガリバー堰堤と呼ばれるガリバー旅行記の絵(だと思います)が描かれた砂防ダムが右手に見えてくるはずです。

あとは案内表示に従ってひたすら登って行くと稜線に出ますので、長法寺跡との分岐(写真④)を打下城跡側に進めば5分ほどで到着です。


…ということで、皆さまが私のように、せっかくだから日吉神社にお参りしてから行こう(写真⑤)。登城口は日吉神社の南側だったよな、ああ、社殿南側のこのゲートかな(写真⑥)。道はあるけどほとんど整備されていないような…。あ、あれがガリバー堰堤だな……って行き止まりなんですけど!?(写真⑦) …なんてことにならないことを祈ります(ならねーよ(笑))。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 林員清
築城年 永禄年間(1558〜1570)
主な城主 林員清、織田信澄
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 滋賀県高島市勝野