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チェブ

お城EXPO城、いざ投稿! (2017/12/23 訪問)

2017年のお城EXPOで『城びと』と出会い、楽しくお城LIFEを続けてます。
2017年大河ドラマ『女城主 直虎』を一生懸命に観ていたので、ゆるキャラの『直虎ちゃん』ばかり追っかけてました(*´∀`)♪

この日から、私の写真ホルダーは、お城でいっぱいになりました。

お城EXPO城は3回 登城。また、行きたいなぁ。

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シャンシャン

立派な石垣が残る館跡 (2023/11/11 訪問)

ドライブの途中にフラッと立ち寄っただけだけど、立派な石垣や館の基礎石などいろいろ見どころがあってびっくり(*_*;
夕暮れだったので、薄暗くてあまり見て回れず残念。今度ゆっくり再訪したい。

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宗春

丹波・但馬・播磨の名城を攻めてきました その⑤明石城【播磨】 (2023/11/25 訪問)

11/24(金)に休暇を取って4連休にし、友人と名古屋から車で攻城しました。

ふたつの櫓の事は以前から知っていたのですが、それ以外の遺構はよく知りませんでした。
石垣、堀、門跡がよく残されていて良かったです。惜しむらくは、イベントを行っていてテントの売店や人が多かったせいで、あまり良い写真を撮る事が出来ませんでした。残念。

また、石垣に草木が生え放題だった事が残念です。よく手入れしましょうよ。

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しんしんちゃん

主郭周辺の遺構はしっかりしている。北側の郭の多さは尋常ではない。 (2023/11/19 訪問)

林大城は信濃国守護職の小笠原氏の城で井川城や林小城とともに国の史跡に指定されています。二の郭の下に駐車スペースがあり、車でそこまで行くことが出来ます。私は道が途中から未舗装になっていたので途中から歩いて登りましたが、上まで車で上がっても問題は無さそうでした。その途中で三条の竪堀がありました。なかなか期待できそうです。
駐車スペースから南は主郭方面、北側は下りで三日月状の郭(扁平地が)幾重にも続きます。まずは主郭方面へ向かいます。主郭の下段に二郭らしき郭があり東屋が建っています。さらに南に進むと石垣跡の残る虎口を通過して本丸に入ります。本丸の周辺には土塁が残り、奥手に石垣が残っています。主郭南にも郭があって、さらに南の尾根上には左右に竪堀が配され城域を守っています。主郭の周囲を囲む帯郭から主郭に戻りますが土塁には石がちらほら残っています。主郭周囲の石は誰かにに持ち去られたのでしょうか?
南側の遺構は確認したとして、北側の遺構を見に行きます。ありますあります、アホみたいに郭がいっぱいあります。40~50はあるでしょうか?こんなに郭を造ってどうするんでしょう。家臣を家族ごと住まわしたんでしょうか?(人質?)
純粋に郭として使用したとしても後ろから味方の撃った矢が背中に刺さりそうです。あまり実用的な造りとは思えません。戦闘は周囲の山城に任せて権威の象徴として君臨していたのでしょうか?上に行くほど偉いってやつでしょうかね。火責めにされたらひとたまりも無いと思いますが。

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くうくう

松風清きお台場やと地元中学校歌に唄われる市史跡

安政2年(1855)浜松藩主井上正直が幕府の命により近くの農民に築かせた。砲身約5m、人の頭ほどの口径の大砲3門を備えていたそうだ。東、中、西の3ヶ所のうちの中台場で、およそ高さ6m周囲72mの円丘をなす土塊が残る。上に登ったり周囲を歩いたりしたが、台場的な感じはつかみ辛い。遠州灘の海辺まではおよそ600m。

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くうくう

三葉葵の紋発祥の城

15世紀中頃、本多定忠定助により築城。約150年間伊奈本多氏の居城だった。現在は円弧を描く土塁が残り、石碑・案内板など公園として整備され、模擬櫓や発掘に因み模擬逆茂木のある堀が再現されている。往時は三方を河川と沼地に囲まれた要害堅固な城で、城下まで大舟が入ったそうだ。

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しんしんちゃん

二の郭の南に石垣と畝状の空堀群(竪堀に変化)がある。 (2023/11/25 訪問)

真篠城は標高260m、比高50mほどの小山に築かれています。小さいですが駐車場もあり、案内板も立っています。「南巨摩郡誌」(昭和11年)によれば「武田信玄の時代の烽火場で原大隅守が警護し、その後真篠勇太夫が居館である」と記してあるそうです。
城郭大系には真篠砦として記載がありますが、実際に訪れてみるとなかなか城としての機能を備えているようです。
案内板から城址方向に歩いてみると段々の平坦地が現れます。最高所が主郭で南下に二郭と見られる郭。二郭の左手に土塁か土橋のようなものが主郭に続いていています。主郭の周囲は土塁で囲まれ虎口は北側についています。主郭西側にも郭があり、尾根上にさらに西に降りていくと堀切が尾根を遮断しています。ふたたび二の郭に戻って南に向い、下側に降りたところに石垣が残っています。
そこからさらに南に向かうと畝状の空堀群が郭の端に並んでいてその様は実に壮観です。空堀群はそのまま斜面に続いていて畝状空堀群に変化しています。普段山の斜面に付いている空堀群をこれほど間近に見ることはなかなか無いので、少し感動しました。守る方も動きづらいんじゃないかと思いますがどのような意図で作ったのでしょうか?この城以外ではなかなかお目にかかれない珍しい遺構です。

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POYO58

江戸城1 (2023/08/13 訪問)

夏休みに約5年ぶりに東京に帰郷しました。江戸城は小さい頃行ってましたが、確か公園で遊んでた気がします。
そんななか江戸城に改めて訪問しました。ただこの日は運悪く土砂降り。最初はパラパラだったんですが、富士見櫓を写真撮っている間に急に大雨になってしまいました。
最初は駐車場で車をとめて、平川門から行きました。やっぱり江戸城の門は全部大きいですね。驚きました。
その後はいくつか石垣や虎口を見ながら北桔梗門に辿り着きました。そしたらすごいいい写真が撮れました♪高石垣と水堀がとっても美しかったです。ただ門の前に警備員さんが必ずいてなんか生きづらかったです。その後にはもう天守台に着いていました。行く順番絶対間違ってる。

とりあえず一旦ここで切ります。
続く

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ダイエティシャン

湯村中山城Ⅲ (2021/06/15 訪問)

吉岡温泉旅館 【湯菜花】家族のリクエストでハート型の目玉焼き(写真10 )

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ダイエティシャン

湯村中山城Ⅱ (2021/06/15 訪問)

綺麗に整備されていました。

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ダイエティシャン

湯村中山城Ⅰ (2021/06/15 訪問)

偶然見つけた湯村中山城を攻城。鳥取市吉岡温泉町にあります。鳥取城から南に数分。

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ダイエティシャン

鳥取城Ⅱ (2021/06/15 訪問)

念願の天球丸

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ダイエティシャン

鳥取城Ⅰ (2021/06/15 訪問)

念願の天球丸

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カズサン

城名石碑だけでも有難い (2023/11/12 訪問)

 常陸吉田城を終えて水戸城方向へ移動し丁度中間に在る武熊城に初登城。水戸城からは南東に1.5km程の水戸市竹隈市民センターの東角に城名碑が側面に由来書きで立っています。

 駐車場:水戸市竹隈市民センターの駐車場を利用
 参考資料:古城盛衰記さん、グーグルマップに依ります。

 竹隈市民センターに車を駐めて、東角の有る城名石碑を確認、側面の由来書きを確認し、周辺を確認するが住宅地、竹隈市民センター東角の生垣の中に石碑が立っている、ごみの集積地の様で黄色いネットが置かれてる。

 石碑の由来によると、かってこの地には東西550m南北400mに渡り武熊城が存在した。吉田の豪族石川望幹が築城したと伝えられる。その後江戸氏の支配を経て、天正18年(1590年)佐竹氏が水戸城を攻略し城主となるに及んで、一族の東義久の居城となった。
 佐竹氏移封後は廃城と成った。慶安4年(1651年)柳堤築造の時、採土されて城跡は無くなった。と記されています。
 
 この後近くまで来ましたので水戸城へ、イチョウのモミジを観たさに寄りました。
 
 

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WEST

大洲城探訪 (2023/11/22 訪問)

大洲城を訪問しました。河後森城から自動車にてのアクセスで、駐車場は大洲市観光第一駐車場を利用しました。(無料です)
大洲城の歴史は鎌倉時代の宇都宮氏から始まり、現在の天守の姿は慶長年間に築城されたのこと。しかし、明治時代に天守が取り壊されることになり、天守好きには残念なことです。
とはいえ、平成時代に木造復元天守として再建、楽しみにして登城しました。他の見どころは平成時代に再建された木造復元天守と当時からの建物である4つの櫓、下台所です。
また、麓には城下町としての街並みと現存する南隅櫓が残っており、登城後の散策にピッタリです。南隅櫓の内部も見学できますので是非寄ってみてください。
最後には肱川越しの天守を撮影するために肱川橋まで行ってきました。大洲城の守りの固さがわかります。
なお、大洲城は、日本初の城泊「大洲城キャッスルステイ」ができるとのこと。城主気分にて宿泊したいものですね。

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WEST

河後森城探訪 (2023/11/22 訪問)

河後森城を訪問しました。交通の便を考えて、自動車での訪問です。登城は風呂ヶ谷駐車場からとなります。駐車場にはパンフレットが用意されていますので、登城の参考になります。
河後森城は山城ですが登城路は整備されており、軽装でも登城できます。登城日も下草の刈り込みをしており、登城者にはありがたいですね。
また、案内板も岐路等にはありますので、迷うことなく目的地に行くことができると思います。
登城口から登りはじめ、西第十曲輪から順に進み、西第二曲輪を過ぎて本郭にはゆっくり回っても30分程度で到着できます。幸い天気も良く本郭からは松野町の街並みが良く見えました。山城の良いところです。
帰路はそのまま降りて駐車場にも行けましたが、時間もあり古城、新城にも寄って降りました。これらを回ってもさらに30分あれば十分でした。

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ダイエティシャン

若狭城が城Ⅷ番外編 (2021/07/01 訪問)

若狭町には若狭鉄道が走っています。

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ダイエティシャン

若狭鬼が城Ⅶ (2021/07/01 訪問)

続きです。

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ダイエティシャン

若狭鬼が城Ⅵ (2021/07/01 訪問)

続きです。

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ダイエティシャン

若狭が城Ⅴ (2021/07/01 訪問)

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