(1度目の参拝)
彦根城の近くに神社があります。滋賀県護国神社…ここは一言で表すならば…滋賀県版靖国神社です⛩️
顕彰館(1枚目)に入ると、まず全国にある護国神社がパネルとして紹介されてました。神奈川を除く全都道府県に必ず一つはあることをそこで知った私。東京には護国神社の代わりに靖国神社があり、そこが全国の護国神社の総本山と言えるのでしょう
その奥に進むと戦没者の遺影がズラリ…没年月日を見ると、その多くは太平洋戦争の期間でした。ここに英霊として祀られてる方々は滋賀県民…滋賀県だけでもこんなに多くの方が出征しそして戦死なされたのです
一人一人に目を通すと、20-30代で亡くなられた方ばかり…当時の徴兵対象は20-45歳あたりまでの男性と思われるので、亡くなられた方もどうしても若い方々ばかりになってしまうわけです💀💀💀
ベビーフェイスな方…イケメンな方…年齢不詳な方…着物を着てる方(昭和に入り若年層の多くは洋服を着る傾向あり、遺影の多くは学ランなどの洋装でしたが、それでも着物を着用される方は多少いたということでしょう。今のように全員洋服にまではなってないと思われる)…名前が◯◯右衛門と江戸時代風の方(戦前は親がそう名づけること、まだあったのかな?今では考えられないけど😅)
女性の遺影も1-2%の割合でしたがいました。この場合は戦闘によるものではなく、戦病死でしょう🏥 日露戦争のも少し混ざっており、死亡した場所が奉天という方がいました。この場合はロシア軍の機関銃に撃たれた…のが目に浮かびます⚠️
この神社には彦根に滞在した2日間で両日とも参拝。顕彰館を見学したのは2日目で、初日は本堂で参拝ならびに御朱印(2枚目)を授与しました
一期一会を含め二種類あり、「この神社…いや…彦根自体、人生で訪れるのはこの一回きりになるかも…いや、なりそう…」「ならばそれを表す一期一会で…」と考え、それにしました
境内の一角にシベリア抑留犠牲者の慰霊碑がありました。ソ連の国際法無視の行為により日本軍の捕虜がシベリアに連行ならびに強制労働され数万人が亡くなったそうですが、その中に滋賀県出身もいたので、この慰霊碑が設けられた…そう言えば顕彰館の遺影にそれらしき没年月日の方もいたな
(2度目の参拝)
ここで御朱印をいただいてから1年半ほど後…護国神社用の御朱印帳を入手した関係で…「その御朱印帳にもいただきたい」と考えた私
北陸に用があり、その際東海道新幹線を使って滋賀県に寄れるという地理的関係で…再び彦根市へ…そして滋賀県護国神社へ⛩️
鳥居を潜ったすぐ側に…「英霊を敬い英霊に感謝しましょう」の看板(3枚目)があったので…それを一通り目を通してから撮影
「戦いに敗れても国は滅びず…今日の(日本の)平和と繁栄の礎となりました」…なるほどね。日米開戦は無謀と言えばそうだったけど…約4年も戦線を維持できたのは…英霊の方々による奮戦のおかげというのはあるんだろうな🤔
あとは…原爆投下およびソ連の日ソ中立条約破棄による侵攻という状況で…本土決戦まではせずに無条件降伏を選択した…上層部の英断もあるのかね…もしあの時徹底抗戦を選んでいたら…少なくとももっと英霊が増える結果になっていたのは間違いないから👻
今回(護国神社用の御朱印帳に)いただいた御朱印(4枚目)…前回(令和五年)は「一期一会」バージョンを選んだわけですが、区別化を図るために…今回は「奉拝」に
「戦争で幾百万という兵士が戦死した…兵士には父や母がいて…妻や子がいた…」という碑文の前にある…倒れてるおとうさん像(5枚目)
太平洋戦争当時…幼くして父を戦地で失った子供…または生まれる前に父が亡くなってしまった…というケースは…多かれ少なかれあったのでしょうね…だからそのような惨事を2度と生み出さない為に…平和を願う為に…この像が造られた
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