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現存の赤門と大手門 (2025/02/27 訪問)

 嬉野温泉から中川(鹿島)行バスで向かいました。終点の「中川」のバス停から徒歩10分ほどです。鹿島へは佐賀からも鉄道・バスでアクセスできます。
 鹿島城は現在、本丸は佐賀県立鹿島高校(赤門学舎)になっていますが、高校の周囲は旭ヶ岡公園として整備されているので、そこを目指して見学をスタート!!
 中川のバス停から西に市街地を少し歩くと、鹿島城大手門があります。なんと大手門は現存。大手門前には、水堀と石垣もあり、城の雰囲気が一気に漂ってきます。大手門をくぐると、公園まで鍵の手状の坂道になっていました。道中には、ところどころ遺構があり、鹿島高校(大手門学舎)の校門近くにも、石垣がありました。
 旭ヶ岡公園に入ると、正面に現存の赤門があります。赤門は現在、佐賀県立鹿島高校(赤門学舎)の校門になっています。高校の周囲には水堀が残っています。
 また赤門のそばには、鹿島城赤門野外博物館 と銘打った説明板群があります。鹿島城の縄張り図や鹿島の歴史などが記された説明板が12個設置されています。縄張り図があるのは、本当にありがたかったです。
 旭ヶ岡公園の東側に向かうと、大規模な石垣が残っており、迫力満点でした。楠社の北東側には櫓台と考えられる石垣も残っています。
 櫓台の所から旭ヶ岡公園を出て、少し北に進むと、空堀跡があり、道路脇に土塁が残存していました。また本丸南側に行くと、鹿島藩家老の原氏の武家屋敷棟門が現存しています。

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シェル

城の起源 (2025/02/26 訪問)

 だいぶ時間が空いてしまいましたが、佐賀旅行で巡った城の投稿の続きです。
 唐津から列車を乗り継ぎ、吉野ヶ里へ。
 最寄り駅はJR長崎本線の吉野ヶ里公園駅と神埼駅です。
 私は西側の神埼駅側から吉野ヶ里公園駅へ向かうルートで見学してきました。
 神埼駅前に卑弥呼の銅像があります。卑弥呼の銅像の指が指し示す方向に田んぼ道を歩いていくと、吉野ヶ里歴史公園の西口に到着しました。西口で入場券を購入し、園内へ。ガイドの方が園内を走る無料のバスの乗車をおすすめしてくれたので、バスで東口側まで移動し見学開始。
 東口側のそばには、環壕と逆茂木があり、坂を上ると南内郭に至ります。
 南内郭は「大人(だいじん)」の生活と政治の場だったと考えられており、物見櫓や竪穴住居、集会の館などが復元されています。
 つづいて北内郭へ。こちらは、吉野ヶ里のまつりごとの最重要の場所で、壕が二重に巡らされています。主祭殿や司祭者の住居などが復元されています。主祭殿の内部では、儀式の様子なども人形で再現されているので一見の価値があると思います。
 北内郭から北に進むと、北墳丘墓があります。ここは王の墓とされ、お祈りをする祠堂もあります。北墳丘墓の手前に甕棺墓列という弥生時代の墓地があります。ここでは甕棺の産出の様子も復元されていました。
 一通り見学を終えて100名城スタンプは東口側の券売機そばで押印。帰りは吉野ヶ里公園駅から宿へ向かいました。
 弥生時代の遺跡ですが、壕を見ると、土の城を見慣れている関東の人間としては、城と言っても差し支えない遺跡だなと個人的に感じました。

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肉球

神戸海軍操練所・兵庫県神戸市   (2025/04/07 訪問)

30数年ぶりに訪れた神戸の街をぶらついた時に発見しました。
幕末に軍艦奉行であった勝海舟によってつくられた海軍操練所の防波堤の残骸と思われる大量の石が山積みとなっていました。

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カズサン

横地城の桜を求めて (2025/04/04 訪問)

 遠州路城と桜を求めて、勝間田城を終えて帰路菊川市の横地城を8年振り訪ねました。
 桜は麓、駐車場も満開、初代横地太郎家永の幟旗が桜の中にはためいている、車は横地城麓の専用駐車場利用、20台は可能な大駐車場、トイレも有ります。
 初代横地太郎家永の名前は家長とも有り説明板などに両方用いられています、八幡太郎義家の落胤で横地姓の初代、横地氏は今川義忠に滅ぼされるまで約400年超この地を治めていました。
 駐車場から千畳敷に繋がる急な坂道を登って踊り場から丸太階段を直登り、千畳敷は西の城二の丸と中の丸の間の広い城域です周囲には桜が満開で広場公園と成って居ます、西の城は神社鳥居前まで、千畳敷の桜を堪能して、中の城へ登って降りて、本丸金寿城へ間の土橋は桜の覆われて見事な景観、金寿城本丸を下から見上げる桜の囲まれている、一騎駆への道は通行止め、金寿城の井戸を確認、北からの本丸登城路は危険の為に通行止め、南からの登城路で本丸頂上へ、南見下ろすと桜に浮かんでいる様な素晴らしい景色。
 カメラが途中故障して予備の古いデジカメで写真対応しました。
 陽も傾いてきましたので桜と横地城中枢を見て終了。近くても中々来れません。
   

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トク

今見直される佐賀の乱(江藤新平特別展) (2025/04/13 訪問)

佐賀城の「鯱の門」には、今でも無数の弾痕跡が残っています(写真①②)。これは1874年(明治7年)にあった佐賀士族と官軍との戦い「佐賀の乱」で官軍が放った銃弾によるものです。この士族の先頭に立ち乱を主導した罪で、旧佐賀藩士の「江藤新平」は処刑され、41才の若さで亡くなりました。彼は本当に乱を主導した反逆者だったのでしょうか? 今その歴史が見直されているそうです。

佐賀城の本丸歴史館で開かれている、「江藤新平特別展」を見に行ってきました(写真⑤⑥)。幼い頃を藩の弘道館で蘭学を学び、藩主の鍋島直正(写真⑨)にその才能を見出され、戊辰戦争では朝敵と見なされぬよう奔走して佐賀藩の窮地を救います。その後、明治政府に入ると十傑と称され、司法卿(現在の法務大臣)となり検事弁護士制度や全国に裁判所を設置し、三権分立や議会制度を作って大日本帝国憲法の編纂をするなど、今ある司法制度の礎を作った人物とされています。そこまで明治政府に貢献した江藤が、なぜその明治政府によって処刑されたのでしょうか?

征韓論に端を発し、徴兵制度により士族は職を失い、佐賀の士族たちは新政府に不満を抱き、県庁のあった佐賀城を占拠し直談判します。その藩士たちを説得しようと、同郷の大隈重信(写真⑦)が反対するのを押し切って江藤は佐賀へ戻ります。そこへ大久保利通が官軍(徴兵制により組織された政府の軍隊)を送ったため、士族たちは反乱軍と見なされ攻撃を受けました。これが佐賀の乱と言われるもので、弾痕跡はこの時できたものです。

征韓論で西郷隆盛と対立する大久保は、西郷に同調する江藤を、この機に反乱軍のリーダーに仕立てる事で排除しようとしたのではないかと言われています。藩士たちを説得しようと佐賀へ戻った江藤ですが、官軍と戦う気などは全く無いにもかかわらず、攻めて来られれば反撃するしかありません。しかしこのままでは不利と悟り、西郷に協力を求めるため薩摩へ行くも断られ、ならば政府を説得するため東京へ戻る途中に土佐で捕らわれてしまいます。そして弁護弁明の機会が与えられる事もなく、大久保は江藤の作った司法制度を無視して、即時に死刑を命じてわずか2日後に執行されたようです。

佐賀の乱の2年後の明治9年、この乱を契機に大久保は廃刀令を出し、武士が刀を持つ事を禁ずる事で士族の力を奪おうとします。しかしその狙いとは逆に、士族たちの不満は頂点に達し、翌明治10年には西郷隆盛と薩摩士族を中心とした西南戦争へと突き進んで行きました。

佐賀市内にある神野公園には、その江藤新平の銅像が建てられています(写真⑧)。今でも命日の4月14日には銅像祭りが開催され、その遺徳が偲ばれているそうです。

もし江藤が生きていたら、西南戦争も起きる事はなかったのではないか🤔? そんな事をふと考えていたら、本丸歴史館の大広間では「佐賀の八賢人」なる寸劇が行われていました。ユーモアを交えた分かりやすい寸劇なので、最後は八賢人を楽しく学ぶ事ができました。開催日時等は(写真⑩)を御覧下さい!(入場無料)。
 

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赤い城

瀬戸内海交通、防衛の要衝 (2025/03/20 訪問)

丸亀港から塩飽諸島、本島行きのフェリーに乗ります。
この日は無料デーでしたが朝一番の便なのでスムーズに乗船できました。
本島港から徒歩で30分くらい、瀬戸大橋を望みながら北西側の登城口に着きます。

登城路は整備されていて少し登ると説明板のある北側の郭に着きました。
説明板では東山城と記載されています。

尾根伝いにさらに進むと主郭北側の堀切。
進むと東に向けて竪堀となり落ちています。
東側には腰曲輪も見られました。
堀を戻り主郭へ。
結構な広さです。
西側には土塁が付いていて南側は深い堀切で守られています。

この堀切にも入ってみます。
途中折れていて一部が二重になっています。

戦国時代には天霧城の香西氏の甥、福田又十郎の居城でしたがここも長宗我部氏の侵攻により落城しました。
帰りは専称寺側に下山、小規模ながらも見どころのある城でした。

【見どころ】
 ・主郭の南北にある堀切
 ・主郭西側の土塁

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楓景斎泰山

桜霞 (2025/04/12 訪問)

夜20:30頃行ったがまだ駐車場が満車だった。

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しんちゃん

すべて俺の庭。

朝田さん、良く見ていますね。残雪も熊もクソ喰らえです。
こちとら腹はとっくにくくっているんで、お構いなく。俺は何処にでも出ますよ。責務だの縄張りだの俺の前では何の意味もありません。
ところで、こんな企画いつまでも続けているといつかケガ人が出ますよ。
俺はアウトローなんで、何が有ってもすべて自己責任です。でももっと皆が楽しく参加できるやり方があるはずです。
コンプとパーティーを繋ぎ合わせるのは危険だと思いますよ。にのまるさんも皆が無事で楽しく参加できるほうが喜ぶと思います。
この無茶な企画にブレーキを掛ける役を朝田さんに期待していたのですが、残念です。

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朝田 辰兵衛

にのまるさん,赤い城さん,正解です🎊

上山城,晴れている日に行くと,高楯城がとても近くに見えて,血が騒ぐと思います…<笑>。
原田城,「登城したお城しりとり」で「原」フォロー手札に苦慮したので,「さっさとここに行ってれば…」ということで記憶に残っています。小田原城,島原城,佐土原城,原城…どうつなぐか…とても悩みました。

さて,秋田の未投稿6城攻めですが,無事に5城行ってきました。一番行きたかった檜山城に後ろ髪を引かれながらも…。
残してしまったのは角館エリアの白岩城です。風が強く,日が暮れてきたので,クマやイノシシが風で落ちた木の実を狙い始めるころかな…と思ったので。今の季節はほとんど木の実はないですが,習性として。
戸沢城は,残雪具合が危険で,主郭は遠景に留めました。秋田コンプリートを目指すことになれば,戸沢城には再訪を考えます。
白華城,小友館,雀館,明利又城,戸沢城は,随時レポートしますので,しばらくお待ちください。
今度の土日で無事にホテルをリザーブできれば,角館に行ってきたいと思います。

しんちゃんさん,何気に富山の未投稿城をコツコツ攻略してますね。残雪と野獣に気をつけてください。
なんだかんだ言いつつも,岩手県の未投稿城をを視野に入れている気がします。それ以外を埋めても,誰も文句は言いませんのでご安心を。

todo94さん,ありがとうございます。階段国道や,竜飛岬の「津軽海峡冬景色の碑」を愛でた「青森愛」はハンパではないと確信しました…<笑>。

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にのまる

芥川山城下山後に行きました。 (2025/02/07 訪問)

前々回訪問時は発掘調査中、前回訪問時は建設中だった高槻城公園芸術文化劇場が完成していました。
矢穴や刻印など趣向を凝らした再現がされていて、芸術や文化に触れながら“気づいたらお城に詳しくなっていた!”なんて最高!!と思いました。

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しんちゃん

ユルくやるでござるよ。 (2025/04/13 訪問)

今年のGWは東北をゆっくり回って未踏の城を全部、引っこ抜いて来る予定だったんだけど、おかしな企画のせいでヘンな空気に・・
みんなちょっとマタに力が入りすぎではないでしょうか(肩だろ!)。ちょっと股間を冷やしては(頭・・・)。
イオさんを見てください。〇〇〇の〇〇とか言っていたくせに、沖縄でのあの余裕ぶり。悔しいけど俺よりフリーダムです(イオ師匠)。
それでいいじゃないですか。
ぶっちゃけ俺、予定調和とか苦手なんだよな・・ロンリーウルフだし。目の前に城があったらぶった斬る。
「城・即・斬!」 幕末において俺たち「城びと」が唯一共有した正義のはず・・ 

何の話だっけ? ああ・・池田城の投稿か。どうも、初投稿みたいです。こんなグダグダですみません。ちょっと心が病んでます。
城址の南から車道が城址に向かって伸びているんだけど、これがメチャクチャ狭い。かといって車を停める場所も無し。
軽自動車以外の人は歩いて行った方が良いです。堀切に土橋がかかっていて、その先に複数の郭があり、頂部が主郭になっています。
簡易的な公園か、農園のようになっていて、主郭の周囲に複数の郭が有りました。先ほどの堀切意外に特に目立った遺構は無かったと思います。

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カズサン

三の曲輪北二重高土塁が絶景の見所 (2025/04/04 訪問)

 三の曲輪の北側の大木が全面伐採されて、初登城時鬱蒼とした森林で薄暗く現在の虎口にたどり着くまで不安に成ったものですが出曲輪の茶畑を過ぎた辺りから視界が一挙に開けて三の曲輪北壁城塁がよく視認理解できる様に成り、二段の高土塁が聳えて、中段の土塁上には横堀が伸びて西に落ち込み竪堀と成って居る、三の曲輪東の尾根には二重堀切が構えている。素晴らしい景観です。
 三の曲輪内部には窪地的な馬洗場、西側に建物跡あった西三の曲輪、東の三の曲輪内部には桜が植わって居り満開状態で勝間田城に華を添えている。
 南側東西に高土塁が構えて二の曲輪と隔てている。
 若干雲が出て居ましたが青空もあり日も差し大変気分の良い城探訪でした、のんびりできます。
  

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T-Shionoya

意外と中世な田原城 (2025/02/22 訪問)

愛知県田原市の田原城。数年前から度々近くを訪れてきた地で、今回はついに城跡へ。

渥美半島付け根の北側、田原湾および汐川西岸の標高約15mの台地の舌状部に築かれた城。
東側は江戸初期まで存在した干潟に守られていたとのこと。

1480年頃に戸田宗光が築城し、渥美半島とその周辺を領有した戸田氏5代の拠点。
1500年代後半は今川(朝比奈)や徳川(本多)、池田(伊木)の配下へと移り変わり、池田時代に近世化が進んだ模様。
関ケ原の翌年からは戸田氏3代、1664年から幕末までは三宅氏12代が城主となります。

現在は桜門と二ノ丸櫓が復元され、本丸・二ノ丸・三ノ丸・出曲輪に神社や博物館などが建つ城跡。
藤田曲輪は宅地化のため1990年代前半に削られました。

訪問時は、惣門跡から入口も出口もクランク形状の大手通りで城郭主要部へ。
桜門や石垣を擁した水堀から近世城郭をイメージしていたが、本丸手前に深い土の空堀が構えられ、よく見ると本丸西側に長い土塁が残存。出曲輪の西にも巨大な土塁が残り、意外と中世的な印象。

二ノ丸櫓1階が無料の小さな田原城博物館となっていた、私の城郭巡りの198城目でした。

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Gun

宮城県多賀城の御城印 (2025/04/13 訪問)

桜が見ごろな事から、お花見ついでに多賀城御城印を購入。
御城印NFTで多賀城観光案内所に貼付してあるQRコードから1枚300円で購入する流れで、
仮想通貨は不要でカード決済でした。

NFTには購入日が記載されていました。

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亀ヶ頭

唐沢山城に行ってきました (2025/04/04 訪問)

唐沢山城に行って来ました!天気も快晴だったので富士山も見えまてよかったです

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カズサン

北尾根曲輪が樹木伐採整備 (2025/04/04 訪問)

 昨年の登城から1年振り、北尾根曲輪上段下段の東側面の樹木が伐採されてすっきりして居ました、大木を切断した切面が真新しい、整備が少しずつですが続いており大変ありがたい、益々見やすい城跡に成って来ました。
 

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カズサン

東尾根曲輪からの眺めが最高 (2025/04/04 訪問)

 相良城を終えて今年も昨年に続き勝間田城の桜を求めて登城する。車は麓の専用駐車場利用、トイレ有、パンフレットも揃っている。先客も後客も無しの貸切状態。
 勝間田城には桜は多くありませんが三の曲輪、二の曲輪、本曲輪、山桜が少々、登って二の曲輪辺りで北尾根曲輪の東面がスッキリしたなぁ~と感じ、樹木伐採整備がされた様子、先ずは東尾根曲輪最高峰に登り全体を俯瞰する、ここからの眺めが最高です。
 運が良ければ静岡空港への離発着飛行機が観れます、二の曲輪、三の曲輪の俯瞰桜も咲き最も良い時期です、東に俯瞰すれば五連続堀切方向先には山桜が咲いている、五連続堀切への傾斜道が有るが私の脚力では不安でパス眺めるだけ、西の本曲輪にも桜が咲また楓の若葉と合わせて奇麗です、暫し眺めて風情を楽しむ。
 この時期富士山は見えません。
 

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にのまる

大手道の石垣とやっと対面できました。 (2025/02/07 訪問)

2019年1月、自然災害のため立入禁止の時に(行けないんだから仕方ないよね…)と言い訳をして「高槻しろあと歴史館」でスタンプだけ押して【行った】をポチ。
しかしその後、自分レベルで行けるのに行かないのは矜持に悖ると思い直して【行きたい】に変更。
2023年3月に登城し、晴れて正式に【行った】をポチしました。
ところがその際〈大石垣〉を見逃すという大失態を演じてしまい、モヤモヤ継続。
今回行ってやっとスッキリしました\( ˆoˆ )/


JR高槻駅で久しぶりにお会いする城友さんと待ち合わせし、バスで向かいました。
搦手道から登って東曲輪群へ。井戸や池を確認し、曲輪の先端まで行って下を覗き込むときれいに連なる曲輪群が!感動しかないです!!
竪土塁、土橋を経て主郭へ向かいます。途中大石垣の案内を確認しましたが、とりあえずあとまわしにして先へ進みます。
主郭に着いて眼下を眺望。翌日予定している高取城はどっち方面だー?など地理を勉強しました。
2年ぶりに対面した三好長慶さんの大パネル。
182.6cmからの視界はさぞかし眺望がきいただろうと感じ入っていたら、城友さんから「それ身長じゃなくて標高」と指摘され…😱

風が強く、時折小雪も舞い、かなり寒かったのですがここでお弁当タイムにしてから念願の大手道の石垣を見に行きました。
ストックを使いながら下ったところに、それはそれは見事な石垣が出現。崩落の痕跡が痛々しくも荒々しくもあり、また残された石垣が逞しくも見えで、さまざまな想像を掻き立てられました。これが見たかったんだ!と大満足でした。

一旦主郭に戻って西曲輪は回避して田の丸から下山しました。
“ここは何かあったっぽい”と感じたところがビンゴ!だったらすごく嬉しくて。見えない“見どころ”は想像でクリアしたり、倒木を乗り越えたり払ったりしながらせっせと下山。
たどり着いたフェンスのところが大手道との分岐だったんだとわかって感動そして納得。

約3時間の山中散策で下界に戻ってきました。
すごく楽しかったです。
芥川山城を守る会の方にもお会いし、また黄色いテープの案内にはずいぶんと助けられました。
その中で〈塚脇BS〉はbus stopのことだろうと思ったのですが、〈GF〉が何を指しているか分からず。guideナントカ?
…次回の課題です。

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カズサン

史料館で大河ドラマ館始まっています (2025/04/04 訪問)

 遠州桜と城廻り、小山城を終えて相良城へ、「NHK大河ドラマべらぼう」が放映され始め、気に成って居た田沼意次築城相良城、牧之原市相良はどうなって居るだろうかと訪ねる、車は史料館、相良庁舎の専用駐車場利用無料。

 史料館にはお馴染みの大河ドラマべらぼうの顔、蔦重役の横浜流星の大看板が田沼意次像の前方に在り、ドラマ館が始まってる感が出ている。
 期間は2025年1月26日~2026年1月12日間
 場所は静岡県牧之原市相良町275-2牧之原市史料館2階
 入場料は無料、(1階の資料閲覧は有料220円)

 ドラマ館見学前に史料館1階の資料展示を見学しました、当日見学時は丁度遠く岡山からの観光バスで団体客40名位が見学終わった頃見えられました、見学中に係りの方に聞くと平日は70名位、土日は400名位との事、この史料館としては前代未聞の事態、大賑わいです、NHK大河ドラマの威力は絶大です。一昨年のどうする家康でも浜松ドラマ館は大賑わいでした。中の展示はパネル展示がほとんどで、田沼意次役の渡辺謙が着用した着物、小物の展示が有りました。
 パンフレットは静岡県牧之原市編、田沼意次役渡辺謙主体で編集、又他の東京都台東区編は蔦屋重三郎役横浜流星主体で編集、更に福島県白河市編は松平定信役寺田心主体で編集されて居り、パンフレットが各編在りましたので頂いてきました。

 この後さらっと相良城跡廻り仙台河岸はパス、史料館裏に桜が一本満開です他にはなし、二の丸土塁と黒松、腰巻石垣、案内パネルを見て終了、発掘調査で発見された三重櫓台石垣の写真がパネルに有りましたが、史料館の方に伺う埋め戻したとの事です。
  

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しんちゃん

雨宿りしながら (2025/04/13 訪問)

稲村城の投稿です。富山県は、朝から雨模様で登城道も無いような山城は命の危険があるので中断。
冗談抜きで本当。稲村城には登城道が付いているようなので行ってみることに。地元振興会の立てた看板があるので傘を持ちながら行けるかな❓️と思っていたけど登城道を見て、すぐに戻ってストックを2本準備。先端を引っこ抜いて本気モードで行きます。雨に濡れようが怪我をするより良い。ちょっと富山の山城を甘くみていた。
踏みしろ程度の道を登っていくと堀切が二つ(三つ)あって、上り詰めると主郭に到達します。主郭は思っていたよりは広く西側に櫓台のようなものがあり、その先にも小さな郭がありますが足元が滑って危ないので引き返しました。

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