(4城目)金田城の続き(3/4)です。
山頂から東家まで下った分岐点まで戻り、今度はそこから左に折れピングシ方向に向かいました(写真①)。(ピングシ山)→(二ノ城戸)→(一ノ城戸)→(大吉戸神社)→(三ノ城戸)→(登山口)のルートで帰ろうと思います。
東屋から15分程下ったピングシ山には、掘立柱建物跡群がありました。という事は、かなり多くの防人たちがここで暮らしていたようです。その建物の回りは土塁や門で固められていました(写真②③)。
ピングシ山から15分程下ると、二ノ城戸がありました。高さは5m程あります。真ん中にはおそらく門がありました。発掘調査後、再び積み直して再現されたようですが、昨年の豪雨でまた崩れてしまったようです。城戸の下は立ち入り禁止になっていました(写真④⑤⑥)。下から見上げてみたかったのですが残念です。
さらに10分程下り一ノ城戸に着きました。櫓台のように張り出して積まれた巨大な石塁がありました。そしてこの石塁の特徴は上段と下段で積み方が異なっているところです(写真⑦⑧⑨)。上段は平たく削った石を布積のように積んでいるので、後世のものと思われます。金石城もこのような積み方だったので、おそらく幕末に積まれた(積み直された)ものではないかと言われているそうです。異国船監視のためにこのように補強されたのでしょう。
またさらに5分程下ると海岸に出ました。海水は透き通っていてとてもきれいだったのですが、ハングル文字の入ったゴミが多数漂着していてちょっと残念な光景でした(写真⑩)。金石城にいた韓国の観光客たちに持って帰ってほしいくらいですね。
(4/4)に続きます。
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