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朝田 辰兵衛

獅子ヶ城散策2/2(本丸~南三の丸~出丸) (2024/07/06 訪問)

九州難読駅名筆頭格の厳木(きゅうらぎ)駅から,猛暑の中を徒歩で攻城しました。林道入口の碑まで,徒歩約40分。さらに城域までは,約15分。猛暑参考タイムということで…。
往路は延々と登り坂が続きます。バス停は残っていましたが,時刻表が掲載されていないので,たぶん廃線となったと思います。ま,最初からアテにしていませんでしたが…。
城内は比較的暑さを凌げて快適でした。城内で暑かったのは,本丸西側虎口ぐらいでした。
ここは石垣好きにはたまらない城だと思います。
攻城後,佐賀市内に戻りましたが,気温が36℃を超えていて,この日の次の攻城予定を取り止めました…<泣>。

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朝田 辰兵衛

獅子ヶ城散策1/2(北三の丸~井戸曲輪~本丸西側櫓台) (2024/07/06 訪問)

九州難読駅名筆頭格の厳木(きゅうらぎ)駅から,猛暑の中を徒歩で攻城しました。林道入口の碑まで,徒歩約40分。さらに城域までは,約15分。猛暑参考タイムということで…。
往路は延々と登り坂が続きます。バス停は残っていましたが,時刻表が掲載されていないので,たぶん廃線となったと思います。ま,最初からアテにしていませんでしたが…。
城内は比較的暑さを凌げて快適でした。城内で暑かったのは,本丸西側虎口ぐらいでした。
ここは石垣好きにはたまらない城だと思います。
攻城後,佐賀市内に戻りましたが,気温が36℃を超えていて,この日の次の攻城予定を取り止めました…<泣>。

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ぎりょう

今回は「名生館官衙遺跡」として探訪です (2024/10/05 訪問)

米どころとして名高い宮城県北大崎地方も稲刈りがすすみ、新米が出まわる季節になりました。この夏から始めた古代東北の城柵遺跡訪問の五ヶ所目として「名生館官衙遺跡」を訪ねました。この遺跡は「名生館」の名が示す通り、中世にこの地方を治めた奥州探題、斯波大崎氏の拠点の一つ名生城があった場所でもあります。名生城としてはこれまでに数度訪問しており、この欄に投稿済です。これまでは中世城館としての縄張りや遺構の確認が目的でしたが、今回は古代城柵をイメージしての訪問です。
ここは7世紀末から平安期まで使われた「玉造柵」に比定される古代城柵です。昭和55年の発掘調査では四面庇付き瓦葺き建物の遺跡も見つかっており、その瓦の製造された年代が多賀城跡のものより古く、多賀城創建(今年は多賀城創建1300年です)以前からこの地方が律令政府の支配にあったことを物語っています。
大崎地方の北西部、標高40m、比高10mの丘陵に位置し、東西700m、南北1100mの広さで、古代城柵としての規模は大きいといえるでしょう。古代東北蝦夷の三十八年戦争時代には征討軍の中継基地としても利用されたようです。宮沢遺跡(宮城県大崎市)は北東に9.4km、伊治城(宮城県栗原市)は北に30km、蝦夷の拠点胆沢(岩手県奥州市)までは北に82kmあります。
周辺はいま、民家や田畑となり、官衙としての遺構はありません。農家さんの倉庫脇にある説明板の推定復元図を見、政庁跡の平場から遥か北方を望み当時の威容を思うばかり。
東北自動車道古川ICから4km(9分)

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小城小次郎

実在したのかどうなのか (2024/02/12 訪問)

土気・東金酒井氏に属した黒熊大膳という実在したのか否かが定かではない武将が後北条方に傾いた酒井氏と仲違いして攻め落とされたとか。居館跡であろう蓮福寺を囲む丘陵全てを城塞化し岩盤を削った姿がいかにも上総っぽい。

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「大森氏館」?の巻き。 (2024/10/06 訪問)

先日、『北条 氏照フェス』に参加しました。
100名城の「八王子城」・続100名城の「滝山城」の城主が、北条 氏照さんです。氏照さんは北条家当主でなく、三男。なのに、信頼あって広大な領地を任されていました。
Googleで、氏照さんの領土を確認していたら、私の行動範囲内に『大森氏・加藤氏宝篋印塔』を見つけました。
他のサイトでは「大森氏館」と紹介されていたので、久しぶりの脱線投稿ができると出陣。
場所は
埼玉県 入間市 宮寺 2595-6 です。

駐車場はありません。路駐しました。
入口には案内板があります。ここから細い道を歩きました。巨大クモの巣と3戦し到着。
まさしく、大森氏と加藤氏の宝篋印塔があります。
大森 好長さんは、大坂の陣での功績で、この地に来たようです。
加藤氏は、大森氏の奥様の実家なんだそうです。
御寺があったようですが、幕府の許可無く建立したので廃寺になってしまったんだとか。
厳しいでしょ、徳川さん。許してあげて、と心の声。
奥と向かって右手に土塁があり、館の雰囲気がありました。

で、北条 氏照さんが置いてきぼり。
ぜんぜん、時代が違いました。
でも氏照さんのお陰で、また先人の功績に触れられた「大森氏館」攻めでした。

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ぴーかる

種垂城 (2024/09/14 訪問)

【種垂城】
<駐車場他>駐車場4台分程あり。
<交通手段>車

<感想>1泊2日埼玉大阪化計画の旅7城目。現地説明板によると種垂城は500年前の室町時代にはここに城があったようです。菖蒲城の支城であった説があり、また騎西城主小田顕家の隠居所としていたようです。
 現地は城址公園となっていますが遺構は残っていません。以外にも城びとマスターの方4名しか投稿されていませんね。前回の方より4年以上経っており、さらに公園は草が茂っておりました。石碑も銘が草で隠れて気が付かず遠目で撮影しました。

<満足度>◆◇◇

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シェル

空堀の迫力に脱帽 (2023/12/28 訪問)

 JR常磐線 東海駅から徒歩約40分。
 城跡は石神城址公園となっており、城址の北側と西側に駐車場があります。北側の駐車場にはトイレも設置されています。(西側駐車場にはトイレがないので注意)
 東から順に曲輪Ⅰ(遠見城)・曲輪Ⅱ(御城)・曲輪Ⅲの三つの曲輪で構成されています。今回は北側の駐車場側から一番西の曲輪Ⅲに入り、遠見城を目指して攻城‼
① 城の北側
 谷底の湿地帯になっています。湿地帯を抜けて曲輪Ⅲに登ると、公園入口のところでいきなり空堀がお出迎え!! 見事な空堀で、この時点でテンションMAXになりました。
② 曲輪Ⅲ
 特に西側に空堀、土塁が良好な形で残っています。また曲輪Ⅱ(御城)へ向かう土橋の手前に説明板が設置されています。
③ 曲輪Ⅱ・御城
 曲輪Ⅲから土橋を渡ると、食い違い虎口になっています。土塁と空堀がきれいに残り、程よく整備されていて非常に見やすいです。
④ 曲輪Ⅰ・遠見城
 ③の御城から当時は木橋でつながっていたと思いますが、現在はないので、空堀を登降して入ることができます。(かなり急ですので、足元に十分注意して空堀を登り降りしてください。)
 遠見城でも曲輪の周囲に土塁が良好に残存しています。
 遠見城の周辺の空堀は迫力満点です!!個人的に好きなポイントとしては、遠見城の南側の空堀です。写真(2枚目)だと分かりづらいかもしれませんが、西側の空堀よりもさらに一段深くなっています。これには思わず唸ってしまいました!!(遠見城の木橋跡から空堀の堀底に沿って南に行くとあります。)
 なお空堀内は一部、倒木があったので、見学される際は注意してください。
 全体的に保存状態もよく、空堀の迫力がとにかく凄いので、皆さんにもおすすめのお城です。

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天守無しがアツい

畠山重忠 波乱の人生 (2024/09/29 訪問)

(URL)https://ranzan-shiseki.spec.ed.jp/%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E7%B4%B9%E4%BB%8B-1/%E8%8F%85%E8%B0%B7%E9%A4%A8%E8%B7%A1

菅谷館跡という城跡が埼玉県比企郡…武蔵嵐山駅から徒歩で15分ほどの場所に存在します。そこはかつて…鎌倉時代に幕府の御家人の1人、畠山重忠の館があったとされてる場所🏠

城跡の三の郭…つまり入口側に埼玉県立嵐山史跡の博物館があります。今回はそこのお話。ここの入場料が大人100円

受付を済ます前に、菅谷館は続日本100名城に登録されており、お約束のスタンプが用意されていたので、真っ先にスタンプ帳に押しました✌️ それから受付で御城印の購入(詳細は後ほど)

展示室に入ると…まず(1枚目の)畠山重忠人形…。「鎌倉殿の13人」では中川大志というイケメン俳優が演じていたので、それと比べると…どうしてもおじさん感があります🧔‍♂️

展示室の規模は小さめでしたが、展示品はそこそこ揃っていました。重忠に関する展示が多めになっており、彼の怪力伝説(相撲をとった時に、強いと評判の力士の肩を砕いてしまった…一の谷で奇襲攻撃をおこなった際に、馬を担いで急な坂を降った)

秩父平氏の系譜を引くことから、最初は平家側として戦ったが程なく頼朝に降り、それからはずっと源氏側として従軍…一の谷…屋島…壇ノ浦の合戦で功績を上げた…と紹介(2枚目)

「鎌倉殿の13人」では義経が命じた「平家軍の漕ぎ手を射る作戦にて、最もそれをおこなっていたそう(史実通りかはさておき、本人は最初…「世間から(卑怯者として)笑い物になりましょう」と躊躇っていた😅

出口付近に重忠の墓と伝わる五輪塔(レプリカ)もありました(3枚目)…頼朝の死後、幕府内で北条氏によって有力御家人が次々と粛清される内ゲバがあり、畠山氏もその一環として…滅ぼされました

平賀朝雅(北条時政と奥方の牧の方が、三代将軍実朝を廃して将軍に据えようとしていた男)と重忠の息子重保の間で揉め事があり、それを朝雅への悪口=幕府への謀反の疑いと見做した時政と牧の方にハメられる形で、鎌倉ではまず重保が殺され、そして謀反人を討ち取るための準備がなされた

鎌倉で騒ぎが起きてる事を伝える書状が届き、嫌な予感は多かれ少なかれしたかもしれないけど(おそらく敵意はない事を示すために)少数の兵で鎌倉へ向かった重忠🧔‍♂️👨‍🦳👨‍🦱🐴

しかし二俣川(同じ神奈川県内なので鎌倉の近くと言えば近く)で北条義時率いる幕府の大軍が待ち受けており、重忠は菅谷館には戻らずに武士として潔く散る事を選ぶも…多勢に無勢で…奮戦しつつも最期は討ち取られてしまう💀

(参考Wikipedia)https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%95%A0%E5%B1%B1%E9%87%8D%E5%BF%A0%E3%81%AE%E4%B9%B1

展示を見終えてから少しだけ時間があったので…自分で御城印を作ってみる…というのをやってみる事にしました

まず文字が印刷されただけの紙を渡され、それに自分で北条氏の家紋などのスタンプを押して…それから日付を筆で書いて完成(4枚目)

実は御城印を1枚買う毎に、自分で作る用の紙を1枚もらっていたので、購入した御城印に合わせる形でスタンプを選んで押印…それから来場日の日付を筆書き(書道に精通してるわけじゃないから、字が少し崩れちゃった)🖌️

最後に紹介するのがこの施設で購入した御城印(5枚目)…4種類あり、そのうち3種類は地元の学生と共同で考案して作成したデザインと紹介されていました

一つ目はスタンダードタイプ(5枚目右)をまず選び、二つ目は菅谷館跡と書かれたものの中から…重忠像が載っているものが私に「これだ!」という印象を与えたので…それを選ぶことにしました

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山崎古戦場 (2024/10/05 訪問)

 明知光秀と羽柴秀吉が戦った山崎の戦いの古戦場へ行って来ました。公園になっていて石碑が立っています。自販機には明智光秀と羽柴秀吉がラッピングされていました。
 近くには明智光秀の本陣跡もありました。境野一号墳という古墳を利用して本陣としたようです。発掘調査で空堀跡が多数見つかっています。

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高槻城公園 (2024/10/05 訪問)

 明治維新まで存続した城ですが、明治初期に鉄道建設資材として石垣が使用されたり、陸軍が城内を利用したこともあり遺構はほとんど残っていません。公園の東縁に三の丸と外堀の段差の説明板があります。見ると確かに段差はあるのですが、この時期は草が生えていてわかりにくかった。先人の投稿を見ると冬に来た方が明瞭ですね。

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高槻城公園芸術文化劇場周辺 (2024/10/05 訪問)

 久しぶりの登城です。近くまで来たので気軽に登城したのですが、高槻城公園芸術文化劇場周辺など整備され城址らしい雰囲気が漂っていました。

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知ってはいましたが (2024/10/05 訪問)

 高槻市の最北端に位置する樫田地区にある桂香寺の裏山が城址です。
ぴーかるさんの投稿で登城が不可であることは承知していましたが、近くまで来たので行って来ました。「私有地のため登山はご遠慮ください」と書かれた説明板の写真を撮り登城は遠慮しました。登城口のある桂香寺まで行きましたが、寺の説明板にも裏山が城址であったことの記載があります。またアンタコという地域の地名伝承の案内板もありました。

 JR高槻駅前よりバスに乗り樫田校前バス停で下車。徒歩1分くらいのところに説明板があります。

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赤い城

三好氏の居城 (2024/09/16 訪問)

勝瑞駅から徒歩で10分、駐車場もあります。
旧吉野川の堤防上に築かれ、回りを今切川と湿地帯で囲まれていました。

勝瑞城は三好氏の菩提寺、見性寺の境内になっていて三好氏四代の墓や勝瑞義家碑があります。
城を囲む堀の他、一部土塁が残っていました。

道路を挟んだ斜向かいに勝瑞館跡があります。
鉄工所の跡地だそうですが、発掘調査が続いています。
濠跡や建物礎石、枯山水庭園等が復元された広大な公園になっています。
史跡勝瑞城館跡展示室が隣接し、ここにスタンプやパンフレットが置いてあります。

遺構だけみると続100名城としては物足りないかもしれませんが阿波の実権を握った三好氏の居城として歴史的には重要な城だと思います。
中富川の戦いで長宗我部氏に攻められ落城、その後は阿波も長宗我部氏が支配することになりました。

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小城小次郎

このお城の真価は (2024/02/12 訪問)

山の下から見上げれば格好いいのに下半身が無防備に見える天守風展望台がやたら目立つがこのお城の真価は山の中腹に広がる断崖状の切岸にあると思う。もう少し遊歩道が綺麗になったら見栄えもよいのだろうけれども。

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カズサン

周辺観光 (2024/09/28 訪問)

 結婚記念日ランチで袋井市中心街に出掛けましたので、久野城、遠州三山の法多山、法多山では厄除団子を購入、油山寺を序でに訪ねました。

 遠州三山は下記の通り
 Ⅰ:法多山 静岡県袋井市豊沢2777   厄除団子が有名 久野城から南東に約5.5km。
 Ⅱ:油山寺 静岡県袋井市村松1番地    目のご利益、掛川城大手二の門が移築 久野城から北に約2.3km。
 Ⅲ:可睡斎 静岡県袋井市久能2915-1 春の牡丹、近くのユリ園 久野城から北西に約1.3km。
  今回可睡斎には雷が鳴り始め雨に成り寄りませんでした。

 又、袋井市内には城びと登録の馬伏塚城が在ります。
 Ⅳ:馬伏塚城 静岡県袋井市浅名1156 久野城から南へ約6.4km。(最終訪問令和5年3月10日、投稿令和5年4月20日をご覧ください)

 投稿写真は①久野城大手門橋近くに在る松下期の久野城復元図。
 ②~⑦油山寺の掛川城大手門移築の山門、同解説板、山門櫓への登り階段、山門の主柱副柱梁等の木組み、切通堀切、高土塁の様な土塁法面。
 ⑧~⑩法多山本堂、仁王門、厄除団子。

 記念ランチを入れて約6時間ほどの城探訪と法多山、油山寺参拝でした。結婚記念の食事も年々簡素に成って来ましたが達者で長生きが一番です。
 

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しんちゃん

シダ好きにはたまらない城 (2024/09/29 訪問)

正直、シダのことばかり記憶に残っていて、城址の印象があまりありません。西側に連続竪堀などがあるようですが、確認してないですね。本郭まで行って、ほうほうの体で帰って来てます。これが1月や2月だと、もっとじっくり散策しているのですが。
温暖化の傾向は城めぐりをする側にとっても厳しい話です。冬場に集中して山城を巡りたいですが、どうしても夏場に(もう秋ですが)訪問せざるを得ない場合もありますので。
シダ好きにとっては天国ですが、そうでない者にとってはエグいです。これ以上、比高が高かったら無事に帰ってこれるかわからないですね。
まあ‥お勧めは冬場ですが、夏場でも他の城では出来ない体験をすることが可能です。「蓼(たで)食う虫も好き好き」といいますので‥。

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しんちゃん

和歌山城 紀州青石と和泉砂岩  (2024/02/25 訪問)

しかし和歌山城の紀州青石の敷石は雨に濡れるとじつに、良い色をしています。青というより緑に近いような、いかん!また石の写真ばかりになってきてる。でも和歌山城は石を楽しむ城だと個人的に思っています。紀州青石は雑賀崎で採取され、和泉砂岩は友ヶ島(未訪問)や加太などで採取されます。また一部に花崗斑岩が用いられています。
石垣の使用部が見た目にわかり易く、また採取地も判明している稀有な城で、石垣の採取地と合わせて訪問すると、いっそう楽しめると思います。友ヶ島はまだ訪れたことが有りませんが、日本のラピュタと呼ばれる、旧日本軍の遺跡の眠る島は一度、訪問したいと思っております。

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しんちゃん

和歌山城 紀州青石 (2024/02/25 訪問)

今さらですが和歌山城の続きです。前回は天守まで投稿したので、今回は復興櫓から多聞櫓を周遊してから本丸までの道筋です。天守曲輪の東に本丸御殿跡があり、そこに至る道は紀州青石の石畳が敷かれています。紀州青石は雨に濡れると青みを増し、美しい光沢が出るので、この日のような小雨の日は和歌山城の訪問に適しているといえるでしょう。
以前の投稿の内容になりますが、天守台の石垣は天正13年(1585)に羽柴(豊臣)秀吉が弟の秀長に命じて和歌山城を築かせた時の遺構だとされています。和歌山城の石垣の中でも最も古い石垣とされ、紀州青石(緑泥片岩)が積まれています。

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朝田 辰兵衛

春日神社から軽い登山となります⛰ (2024/09/28 訪問)

平清水館の北西にある,春日神社から軽い登山となります。春日神社は狭い生活道路の行き止まりに登り口があります。駐車場はありませんので,マイカー登城の方はご注意ください。ゴミステーション前に1台路駐がやっとだと思います。
崩れかけた石段をしばらく進むと,春日大神があります。さらに進むと削平地がありますが,実態はわかりません。冬期間はここより先は閉鎖されるであろう,チェーン用の杭が2本ありました。
ここからは道は悪くなりますが,ひたすら尾根を進みます。やがて,春日神社に到達します。
さらに尾根を進むと,雷神山山頂となり,約5m四方の平坦地があります。ここが平清水館。雷神塔の祠アリ。

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トク

117【関ケ原の26人】(26)井伊直政 (直政と箕輪城 (1/4)-箕郷支所と観音口) (2023/12/09 訪問)

(26人目)井伊直政の続き⑲です。
少しブランクが空いて申し訳ありません、浮気の話からの続きです。

直政最初の居城「箕輪城」を訪れました。訪れたのは昨年の12月なので、ちょっと古い写真ですいません。

高崎駅西口から群馬バスの伊香保行で30分「箕郷田町」(写真②)で下車しました。まずバス停そばにある高崎市役所箕郷支所(写真③)でスタンプをGETし登城開始します。

箕郷支所の前の旧下田邸には、忠臣蔵四十七士の中で隋一の剣豪「堀部安兵衛」の作と伝わる庭園がありました(写真④)。新発田藩の浪人であった安兵衛は、何度かこの下田邸を訪れ剣術の指南をしていたそうで、その時に依頼されてこの庭園を作ったとされています。そして安兵衛はその後、赤穂藩家臣の堀部氏の婿養子となり赤穂藩へ仕官する事ができたようです。ちょうど晩秋できれいでしたが、もう一週間早く来ていれば、もっと紅葉の色が鮮やかだったようで、そう思うと少し残念です。

箕輪城は大きく3つの時代(長野氏→北条氏→徳川氏)に分けられるそうです。まず箕郷支所からいちばん近い観音口から入ります。すると水の手曲輪に最初の長野氏の遺構がありました(写真⑤⑥⑦⑧)。武田との戦いの激戦を物語る歌碑で、水の手を断たれてよほど苦しかったのでしょう。しかし水を汲みに行った者はだれも帰って来なかったという悲惨さを詠んだ歌でした。そしてその武田が滅びると、直政が使者を務めた北条との交渉で、箕輪城は鉢形城主「北条氏邦」の持城となります。北条時代は現在の搦手口が登城口だったようです。氏邦は南東から西側にかけて空堀や郭馬出を作るなど、土造りの巨大な城を完成させ、その空堀や馬出は今でも残っています。

北条氏が滅びると、1590年徳川家康は秀吉の命で駿府から関東へ移封、江戸城の築城を始めます。直政はここで上野国を賜り、徳川家臣団で最高の12万石で箕輪城に入ります。そして北条時代の城を拡張し、更なる大改修を始めました。三の丸の要所には石垣を積み、さらに櫓門や木橋などを作り、城下町を整備します。1598年直政が高崎へ移った後、1615年箕輪城は一国一城令で廃城となったため、その後は手を加えられる事もなく、そのおかげで直政当時の石垣などが現在もよく残っていて、その直政時代の櫓門や木橋が現在再現されています。直政この時30才、15才の時に浜松で小姓として一介の草履取りから始まり、あれから15年後、ついにここ箕輪で徳川家臣団の筆頭にまで登り詰める事ができました。

私は観音口から登って、木俣から高崎市街の方向を眺めてみました(写真⑨⑩)。家臣団筆頭となり箕輪城主となった直政は、どんな気持ちでこの景色を眺めていたのでしょうか? きっと自分が家康様をここから天下人にしてみせると、この景色を眺めながら、固く心に誓っていたのではないでしょうか?・・・

次はいったん麓へ下りて、今度は直政時代の登城口である大手口から再度登城してみようと思います。
 

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