矢筈岳から田尻城に戻ります。田尻城と矢筈岳の間には、加工中と思われる石が幾つか有りました。おそらく、北の尾根の先の石積のあたりと、矢筈岳の山頂付近には見張の番兵が居たのではないかと思います。途中にある怪しい石は手の空いている番兵が暇つぶしに刻んだものだろうか? 狭い山城の中で、やることも無いので、石を刻んでいたら割ることができて、せっかくだから積んでみようか?みたいなノリで積み上げて行ったのかな? 本城の手取城には石垣は無いみたいだし、周辺にも石垣のある城は無いんじゃないかな?
田尻城に戻って、南腰郭の下に回って石垣を見に行きます。腰郭は二段になっていて、上段の腰郭の東側と南側にはっきりとした石垣が付いています。南側の石垣は東西に比較的長く続いています。ここは雨が降ると土がどんどん崩れてくるので、とにかく囲んでやろうという感じですね。石垣によって防御力を高めようという感じは、それほどはしませんでした。
城郭放浪記さんの記事によると県下でも有数の標高を持つ山城のようです。池田城は遺構が確認できないとのことで、779mの要害守山城に次ぐ標高751mを誇っています。810mの矢筈岳も城域に入るとは思うのだけど、明確な遺構は見当たらないし、主郭では無いからダメなのかな。
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