案内板には看初城とあり、溝辺孫太郎の居城であったという。延文3年(1359)畠山国明より肝付越前守兼国が代わって城主となり明治新政府までつづいたとのこと。城址は左右を河川に狭い間隔で挟まれた、南北に長い丘陵上に築かれていて斜面は急になっています。
先にネタばらししますが、主郭のある丘陵の北側は高い小山になっていて、そのまま登るのは危険です。主郭の北にある丘陵も城址を構成する部分と見られ、幾段かの扁平地が有りました。北の丘陵と小山の間は深い堀切になっていて、小山をうかつに攻めて落ちると高低差で大けがをするかもしれないので注意が必要です。
宮崎県、鹿児島県の城址は危ない城をほったらかしにしているケースがけっこうあるので、攻略には注意が必要です。
溝部町麓から城址近くまで車道が付いています。案内板のあるあたりから城址に向かって道が付いているので、それに沿って歩いていると北側の郭に取りつけそうな道や踏みしろが幾つか有りました。腰郭などもあり、北の郭もなかなか広いのですが、藪が多くて全体を見渡すことが出来ません。尾根伝いに主郭のある丘陵まで行けるかと思い進んでみたが、たどり着けません。一度側道に降りて進むと主郭との間は深い堀切で断ちきられていました。目の前には小山が鋭くそそり立っていて、威圧感たっぷりです。小山に向かって道が付いているようですが、そこに行っては行けないと肌で感じます。先ほども書いたけど、鹿児島の城は「土の城」とはいえ本気で「殺す」気で縄張りをしているので注意が必要です。
こういった場合、迂回して回ればたいがい、安全に登れるルートが付いていたりします。
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