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しんちゃん

平戸藩と山鹿素行 (2014/01/08 訪問)

平戸城の築城は古くは松浦鎮信による日之嶽に築いた城とされます。慶長18年(1613)に火災に会い、長らく平戸藩は「城なし」の状態でしたが元禄15年(1702)に再築城を願い出て翌年に許可が下りました。
二の丸の乾櫓が天守代用とされ、今は模擬天守が建っています。また狸櫓と北虎口門(搦手)は現存の建造物として残っています。
四代藩主・松浦重信は「武家時記」の作者である山鹿素行と親交が有り、平戸に招こうとしますが果たせず、後に一族の山鹿高基・義昌を藩士として迎え入れます。平戸城築城指導は義昌によって行われ、山鹿流軍学に基づく縄張りが成されているとのことです(wiki参照)。

話は変わりますが、白峰教授が論文の中で「武家事記」記載の関ヶ原の合戦図と、参謀本部の作成した「日本戦史関ヶ原役」を比較しています。非常に細かい部分まで丁寧に説明してくれているので、明治に神谷道一氏が書かれた「関原合戦図志」が「武家事記」を参考にしていることが良くわかります。
神谷氏は「武家時記」記載中の矛盾点も修正し、自らの視点を南宮山の布陣に反映させるなど非常に真摯に歴史に向かい合っています。
残念ながら、「武家事記」の内容そのものの信憑性が乏しいので、「関原合戦図志」の布陣図も正解とは思えないのですが、参謀本部に都合よく改修された現在の関ヶ原の布陣よりは、よほど好感が持てます。

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しんちゃん

ありし日の津山城 (2013/12/15 訪問)

慶長8年(1603)に津山藩が立藩し、森忠政が18万6千石で入封し、現在の様な近世城郭として整備がされたそうです。小倉城を模したとされる層塔型の天守を始めとして、広島城すらしのぐ77棟の櫓が立ち並んでいたそうです。
「ありし日の津山城」の絵画を見ると、高石垣の上に櫓や天守がびっしりと立ち並んで、非常に壮麗な城郭であったことが伺えます。集合アパート感が良く出ていて、ある意味では姫路城以上に美しい城であったかもしれません。本丸御殿の焼失後、廃城令で次々に競売にかけられ、これほど美しかった城も備中櫓(再建)をのぞいては石垣を残すのみです。
今は桜の名所となっています。

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しんちゃん

古代のロマン (2013/12/15 訪問)

鬼ノ城の投稿です。これも以前投稿した写真を選抜して使用しています。ご容赦を。
西門から回って南側から反時計回りに回って一周できます。特に前半部に多くの遺構が集中しています。自分は第五水門あたりまで行って引き返しましたが、そこまで行ったのなら一周してもたいして変わらん。今にして思えば回っとけ、回っとけといった感じです。
若かったなあ‥(今よりは)。
城めぐりを始めた初年に訪問してます。だいたい2013~4の2年で百名城と続百名城(まだやってない)は7割ぐらい回りました。比較的著名な城を回ると、あとからそれが続百名城になるといった感じですね。
百名城も96まではすんなり集まるけど、アイヌの城と沖縄が残ったまんま。首里城焼けちゃうし、どこかでエイやで訪問するしかなさそうです。鬼ノ城は百名城の中でもインパクトありました。吉野ヶ里もですが、古代ロマンいいですね。
手塚治虫の火の鳥が飛んできそうなビジュアルも最高ですよ。

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しんちゃん

国道・鉄道のクロスボンバー (2019/01/01 訪問)

またちょっと26い写真を掲載させていただきたいと思います、ご容赦を。北条家家臣・笠原信為が城主を務めていた時に組織した「小机衆」が歴代の城主を支え、その子孫は江戸時代になってもこの地に代々住んでいたようです。
城址は現在「小机城址市民の森」として管理され、遺構の保存がなされています。城址は北は鶴見川が流れ、JR横浜線と国道466号線がクロスしている場所に位置してます。線路が通り、国道に跨がれている状態です。まさに「クロスボンバー」を食らっているような状態ですね(29・肉の日?)。それだけ交通の要衝にあるということですね。
それでも本丸、二の丸などの遺構は良く保存され、土塁・空堀も良い状態で残り、竹林も良い味を出しています。地元の方の散歩コースとしてはうってつけですね。

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しんちゃん

ダイバーシティでガンプラ買いたい (2018/08/26 訪問)

横浜の山下公園の「動くガンダム」も大阪に移動して、こっちではガンプラが買えなくなりました。いろいろな意味で残念‥
福岡は遠いし、お台場のダイバーシティに行かないと珍しいガンプラが買えません。というか城めぐりに忙しくて作ってるヒマがない。
部屋の中がだいぶ狭くなってきました。
品川台場は江戸末期に築かれた砲台跡で、第三台場が公園として残され、歩いて渡ることが出来ます。第六台場は貴重な史跡として海上に保全されています。

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しんちゃん

鎌刃城 (2017/05/20 訪問)

今日は26日ですので、ちょっと26(ふる)い写真を掲載させていただきたく思います。
東海コンプは‥ちょっと休憩。前回、無印で使用した写真の使いまわしですが、ご容赦を。
東海4県は地元なので、かなりリピートで回っています。菩提山城は写真がロストしたので、もう一回登っています。愛知に限っては、ほぼコンプの状態で城びとに参戦しましたが、もう一回、巡回して新たに写真を集めて来てます。すごく以外なんだけど東海4県ってコンプした人がいないんですね。皆さんあまりコンプに興味ないのかな‥
私はコンプで新しい遊びを考え出しました。制覇した国や県を石高換算してみると、私は260万石になります。まあ、掲載が完了してないので、ちょっとフライングですが。東海4県って案外石高高いのねと思いました。美濃が54万石と思っていたより高い。

鎌刃城は堀氏の城ですね。標高384m、比高250mの山頂に築かれ、石垣と櫓台、石垣で築かれた枡形虎口が良く残っています。
以前はゲートから歩いたのでかなりの距離になりましたが、林道からのアクセスも可能なようです。鎌刃状の尾根を見逃しているので、もう一回訪問してみるのもありですね。まずは一度正式登録させていただきます。


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todo94

秋の乗り放題パスでの攻城⑥ (2024/10/13 訪問)

富松城から徒歩にてアプローチしました。ここは荒木村重の有岡城を織田信長が攻めた時に陣がおかれた城だったのですね。有岡城落城後、一族家臣がここで処刑されたということで大きく立派な故六百三十餘人之碑が建てられていました。イオさんの情報で昭和公園東側の道路が堀跡とのことでしたのでこちらにも脚を伸ばしてきました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)7日目:高田城 (2024/09/28 訪問)

高田駅から徒歩10分くらいで、城碑説明板前(34.511779、135.746999)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、高田氏によって築かれたと云われています。
1447年(文安4年)には越智・古市方の布施氏によって攻められ、五重の木戸を四重まで攻め落とされながらも撃退したそうです。
松永氏と筒井氏が対立すると高田氏は松永氏に属しましたが、1571年(元亀2年)松永氏が筒井氏に大敗すると筒井氏が大和国を支配することとなり、高田氏は中坊で殺されたそうです。

高田城は片塩小学校一帯に築かれていたそうです。
遺構はありませんが、小学校の南側にある小公園に案内板と石碑が建っています。
電車の時間がせまっている為、攻城時間は5分くらいで速攻で撤退しました。次の攻城先=今井環濠を目指す為、高田駅から電車で畝傍駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)7日目:片岡城 (2024/09/28 訪問)

下牧南口バス停から徒歩10分くらいで、説明板前(34.576370、135.708824)に着きました。

片岡城はこの地域の国衆、片岡国春によって築かれた城です。1569年(永禄12年)、城主が片岡春利のときに松永久秀に攻められ城を奪われ、このときに城は改修されたようです。
その後、1577年(天正5年)に久秀が織田信長に反旗を翻すと、明智光秀によって攻められ落城しました。

見学路が整備され、主郭に入れるようになりました。 
案内板を正面に見て左側に30mほど下った所に登城口があります。 2分ほどで主郭に着きます。 その道以外は私有地のため、立ち入らないように気をつけてください。
現在城址には、空掘を確認することができます。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=高田城を目指す為、畠田駅から電車で高田駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)7日目:恩智城 (2024/09/28 訪問)

恩智駅から徒歩10分ちょっとで、恩智城址公園入口(34.606491、135.633082)に着きました。

建武年間(1334年〜1338年)に恩智左近満一によって築かれたと云われています。 恩智氏は河内国二宮恩智神社の社家の後裔だそうです。
恩智左近は元弘年間(1331年〜1334年)に楠木正成に従って千早城籠城や、飯盛山城攻撃に加わり、楠公八臣の一人だそうです。
1348年(貞和4年・正平3年)楠木正行に従って四條畷に出陣し討死したそうです。

恩智城は恩智神社へ向かう参道の途中の南側にあり、現在は公園となっています。
公園西側の一段高くなった所に、石碑が建っています。
電車の時間がせまっている為、攻城時間は10分くらいで速攻で撤退しました。次の攻城先=片岡城を目指す為、恩智駅から電車と奈良交通バスで下牧南口バス停に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)7日目:高安城 (2024/09/28 訪問)

近鉄の高安山バス停から徒歩10分ちょっとで、レーダ観測所(34.616262、135.656412)に着きました。

高安城は古代の天智天皇6年(667年)に築かれた「古代高安城(たかやすのき)」と戦国時代に築かれた「中世高安城(たかやすじょう)」の2つがあります。
古代高安城の遺構としては倉庫跡の礎石が発見されており、この遺構は簡単に見ることができるそうですが、時間の都合で行っていません。
中世高安城は信貴山城主となった松永久秀が出城と築いたと伝えられ、高安山の山頂に築かれていました。
中世高安城では、いくつかの曲輪と土塁、横堀が確認できるようです。

今回、高安山山頂(34.616938、135.657495)に向かう予定でしたが、ケーブルの発車時間が迫り、途中で断念しました。攻城時間は10分くらいでした。
次の攻城先=恩智城を目指す為、ケーブル高安山駅からケーブルと電車を利用して恩智駅に向かいました。

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じゅんじん

赤い (2024/10/13 訪問)

神社でコンサートの準備をしてました!

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しんちゃん

(本来なら)眺望は素晴らしい (2024/10/19 訪問)

菩提山城は良い山城です。だから登った方が良いですよ~。個人的には菩提山城と松尾山城を国の史跡に登録して欲しいと思っています。
何せあの竹中半兵衛の城ですからね。遺構も素晴らしいですよ。
実は大谷吉継陣跡の背後にも遺構が広がっていて、太田牛一の「内府公軍記」には宇喜田秀家の陣が山中にあったとされています。
南宮山(朝倉山から入りました)一帯にも大軍を駐留できるスペースが有り、後で確認したところ神谷道一氏の書いた陣跡とほぼ一致しています。南宮山の北側の尾根にある郭は神谷氏が毛利秀元陣跡とした場所と一致し、周辺からは関ヶ原を一望できます。
松尾山城の北西にある小山には出城があり(北側の崩れから訪問)白峰氏の言われる、一次資料にある岡の可能性もあります。そもそも松尾山は戦をするにしては標高が高すぎます。
吉川家文書には広家も南宮山に登ったという記載がある(小池氏の文書から流用)ので、いずれ関ヶ原に関する遺構の洗い直しと保存を検討するべきでしょう。

菩提山城に話を戻しますが、ハイキングコースとして整備されていて、とてもかわいいクマの注意書きがあります。イラストは可愛いですが、ひっかかれたら顔の半分が吹っ飛びますよ(笑)。まあ、この山はよほどのことが無ければクマは出ません。
比高335mと結構な高さと距離があります。大手曲輪を経て三の丸を訪問します。台所曲輪は立入禁止になっていますが、西の曲輪は訪問することが可能です。まずは本曲輪と二の曲輪を目指します。

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しんちゃん

小牧山城が見える。 (2024/10/20 訪問)

岐阜の城攻めもこれで終了。これが東海4県最後の城です。とはいってもまだコンプではありません。掲載を、あと4つ(!)残しています。大桑城で体力をだいぶ削って、本来なら帰還も考えるところですが、ちょっとだけ無理をしました。最後ですからね。
猿啄城はハイキングコースになっていて、思ったより多くの人が来ています。けっこう登りはきついけど、眺望が良いし、展望台があるので人気があるようです。特に遺構は見当たりませんが、眺望は良く、小牧山城も見えます。年配の家族連れがいるので、ほどほどにして帰りました。どうやら西側にも遺構が残っている様子。まあ基本、眺望メインの城ということで‥。

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しんちゃん

畝状竪堀群 (2024/10/14 訪問)

広瀬城は畝状竪堀群が見事な土の城の傑作です。周辺の土の城の中でも一番好きな城ですが、城郭大系に載っていません。
もともとは広瀬氏の山城でした。広瀬氏が三木氏(姉小路氏)に敗れた後は高堂城と共に三木自綱の居城になりましたが、天正13年に羽柴秀吉の差し向けた金森長近の軍に降伏しています。
三木氏の居城時に今の姿に改修を受けたとされます。ゲートには例によって「熊出没注意」の注意書きがあります。このあたりの城のお約束ですが、熊鈴を鳴らしながら入ります。
南西の尾根には大きな堀切が切られており、西の郭には畝状竪堀が付いていますが、藪に覆われ見えません。東側の主郭と思われる郭の先にも堀切があります。その先の東の郭の周囲はぐるりと畝状竪堀群で囲まれています。
いろいろと畝状空堀という言葉を使えという圧力がかかっているようですが、私は畝状竪堀という言葉の方がセンスが良くて断然良いと思います。
畝状空堀の中に含まれる畝状竪堀ってことじゃダメなんですかね?

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ぴーかる

弥勒寺山城 (2024/09/28 訪問)

【弥勒寺山城】
<駐車場他>山頂のトイレ横に3台程の駐車場があるが、北の登り口に柵がしてあるかどうか未確認
<交通手段>JR紀三井寺から徒歩で雑賀城⇒徒歩で来城しました。帰りは和歌山バス「秋葉山」から和歌山駅まで行きました。

<感想>>電車で和歌山ちょこ城巡り、写真消えた旅ラスト5城目。秋葉山の交差点からプールに行けるエレベーターがあるので乗り、プールの駐車場横の階段から山頂方向へ行きました。登った方向には山の中腹斜面には表面観察では遺構らしきものは見受けられませんでした。山頂部は広い削平地(改変されているかも)になっていて、公園化されています。山頂部の東側に土塁が30m程残っています。
 この城は雑賀孫市が雑賀合戦において奮戦した地であります。司馬遼太郎先生の「尻喰らえ孫市」は好きな作品の一つです。作中では孫市は本願寺の衆徒ではないのだけども惚れた女の為に本願寺側に引きずり込まれ織田軍と戦うことになるというお話でしたね。
 雑賀城からこの城跡まで国道42号線を歩いている時に、和歌山駅行きのバスがブブーンと通ったので「なんやバスがあるやん!」って気づいて、もう歩けへんかったし帰りは和歌山駅までバスに乗りました。この日は城びと中野城跡も行こうかと思いましたが、電車もバスも50分待ちで、歩くのももう辛かったので(結局写真がパアになったので結果オーライか)やめて終了としました。

<満足度>◆◇◇

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朝田 辰兵衛

谷津から先の登城道が見当たらず… (2024/10/05 訪問)

高瀬小学校から村山高瀬川に架かる橋を渡ります。田んぼの先のほうにフェンスが見えます。畦道を進みながらフェンスへと。フェンス沿いにちょっと戻るとフェンスの扉が見えます。丸太5本の橋が用水路に架かっており,ここを渡ります。1本腐っていたので,慎重に体重をかけてください。無事に渡ると「いのは山」の案内標識があります。整備された道を行くと,谷津に開けた平坦地に出ます。
ここから尾根道までのアクセスルートが見当たりませんでした…<泣>。
地形図を眺めると,山頂から東側にかけて等高線が緩やかだったため,約250mを直登しました。土の感覚と草木の生え具合が自分のフィーリングに合いそうだったので,即決状態でした。ハゲ山で水分の少ない土だったら断念したと思います。たぶん…。
山頂近くに巨石がありました。巨石を過ぎると監視用と思われる帯曲輪。帯曲輪からさらに登ると山頂到着。ここが南の郭。山頂から北へ進むと祠のある主郭に到着。
下山時に尾根道を進みましたが,途中までしかピンクリボンがなく,谷津に開けた平坦地へは斜面を選んでたどり着きました。
なので,夕方の登城は危険だと思います。あくまで自己責任という自覚で登城願います。

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しんちゃん

城山の 秋の空気が ゆらゆらと 歩く速さで 躰に当たる(お城短歌) (2024/10/20 訪問)

せっかく古今伝授の里に寄ってきたので一句作ってみました。さわやかな秋の空気が山城を攻める火照った体を冷ましてくれます。
だいぶ山城に登りやすくなってきましたね。こないだまで、暑い中・蜘蛛の巣と格闘しながら藪の中を彷徨っていたのと比べると雲泥の差です。時間に余裕があるので麓より登ります。山頂まで2.1km、比高320mの道のりです。
登り始めて、いきなり堀切に出くわします。ここから岩門(番所)跡まで特にこれといった遺構は無いので、時間と体力に余裕に無い方は「はじかみ林道」登山口から登られた方が良いでしょう。そこからだと石垣1の地点まで約720mなのでだいぶ体力を温存できると思います。そちらのルートは比較的新しいもののようです。
番所跡から尾根に登ると、南西に馬場がありますが、まずは主郭を目指します。途中・石垣のビュースポットが三か所あるので、見逃さずに進みたいと思います。

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しんちゃん

藪を抜ければパラダイス (2024/10/05 訪問)

比自山城は第二次天正伊賀の乱の際に伊賀衆が籠り丹羽長秀らをさんざんに手こずらせた堅城です。大規模な縄張りを持つと言われますが、その内容は不明な点が多く、イヤな予感と期待が混ざり合った心境でやって来ました。
主郭周辺、特に北西に遺構が良く残ります。ただし、主郭にたどり着くまでには藪を突破しなくてはなりません。メガネやゴーグルをされてない場合は多少遠回りでも安全なルートを見つけて攻略すると良いと思います。
主要部にたどりつくと堀切が南北を隔てています。北側が主郭と思われ、周囲に土塁が残りますが、南の郭から攻めていきます。南の郭には一部突出して南方に突き出している箇所があります。それ以外に特に何とて無いので、堀を越えて主郭に入ります。
主郭の北側にも郭があり、城域が広がっています。そこから戻って北西を目指すと堀切が郭の周囲を囲み北西にも郭がひろがっています。
堀は二重で、上の郭に向かう土橋もついています。ネイティブで謎のイメージが強い城だったので、その遺構の見事さのギャップに一本取られたかんじです。はやく藪を刈って、史跡認定しましょうよ。

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和歌山城公園をライトアップ「和歌山城~光の回廊~」&点灯記念イベント

四季を通じて夜の和歌山城の魅力を創出する和歌山城~光の回廊~がついにスタート!
夜の和歌山市・和歌山城へNight Outしよう!

(ライトアップ期間)
冬季:2024年11月24日(日曜日) ~ 2025年2月28日(金曜日) 時間:17時00分~23時00分(予定)
春季:毎年3月下旬~5月上旬
夏季:毎年7月下旬~8月下旬
秋季:毎年9月下旬~11月上旬
※春季以降の詳細な日程等は季節に応じて順次発表いたします。
※ライトアップの演出・時間は季節に応じて変更していきます。

〇 和歌山城~光の回廊~ライトアップ記念 WAKAYAMA LIGHTS 2024 和歌山城ドローンショー presented by FeStA LuCe
和歌山城~光の回廊~のライトアップを記念し、株式会社タカショーデジテック様及び株式会社ドローンショー・ジャパン様のご協力により、和歌山城“初”・和歌山“最大”となるドローンショー「WAKAYAMA LIGHTS 2024 presented by FeStA LuCe」を特別開催します!
光に彩られた和歌山城公園・夜空に浮かぶ和歌山城天守閣と最先端のドローン400機によるコラボレーションを是非お楽しみください。

日時:2024年11月24日(日曜日) 19時00分~(約15分間)
観覧場所:和歌山城公園 西の丸広場等を予定

主催:フェスタルーチェ実行委員会 株式会社ドローンショー・ジャパン
共催:和歌山市

注意事項
・ショーの前後は、天守閣周辺、砂の丸広場及び付近で立入規制を行います。
・当日の天候により、ショーは中止となる場合があります。(振替日:2024年11月26日(火曜日))

詳しくはHPから
https://www.city.wakayama.wakayama.jp/kankou/1010182/1060229.html

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