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しんちゃん

「GUNDAM FACTORY YOKOHAMA」 (2023/05/07 訪問)

横浜・山下埠頭の「GUNDAM FACTORY YOKOHAMA」は「動くガンダム」の展示が終了した時点でその役目を終了しました。その存在そのものが「動くガンダム」に特化した内容だったので仕方が無いのですが、横浜に行ったついでに珍しいガンプラを買えなくなるのは、少々残念ではあります。屋内展示では動くガンダムを人体に見立てた展示が成され、ロボットなどの展示も充実していました。動くガンダムで見せてくれた、腕部や指先などを稼動させる技術が、いずれ義手などに活用されてくれれば良いなと思います。
一見、ただのでかいオモチャのようにも見えますが、実は最先端の工業技術が詰まったすごい工業製品でした。まだ完全な自立と歩行は出来ませんが、上半身の動きは人体を確実にトレースしつつあると思います。次は何を見せてくれるのか、楽しみにしています。

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しんちゃん

油山寺 (2022/12/03 訪問)

古い歴史を持つだけあって油山寺の境内はなかなかに広く、方丈などの建物が有る場所より、さらに高所に境内が広がっています。眼病に効くといわれる「瑠璃の滝」からさらに上がっていくと国の重要文化財に指定されている三重塔に薬師本堂があります。
方丈のある麓からも天徳霊神のある丘陵にのぼる階段が続いていて、上部にも山道が続き、まるで山城のような雰囲気が漂っています。
確かに油山寺は周囲を丘陵に囲まれていて防衛上の立地条件も悪くないと思います。

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しんちゃん

油山寺 (2022/12/03 訪問)

静岡県袋井市にある油山寺には複数の城郭建築物が移築されています。書院は横須賀城より移築されたものとされ県の有形文化財に指定されています。古くは大宝元年(701)に行基によって創建されたとされ、孝謙天皇が眼病を患った際に当寺の「るりの滝」で眼を洗浄したところ全快したので勅願寺に定められたという由来があり、眼病平癒の寺として信仰を集めています。
紅葉の名所でありますが、12月はじめに訪問したのにもかかわらず、紅葉は今一つでした。今年ももう10月だというのに、蒸し暑い日々が続いています。良い紅葉の年になれば良いのですが。

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しんちゃん

石巻山城 昔はウサギがいた‥ (2024/09/22 訪問)

石巻山城の続き。とりあえず、もう魔雲天はいいでしょう。
主郭は山頂より一段低い扁平地にありますが、山頂部分は巨大な石灰岩がむき出しになっています。この日は前日から雨が降っていたので、岩の上が濡れています。気を付けて、見晴らしの良い場所まで登ると、豊橋の街並みを一望することが出来ます。
軽めの山登りに最適で、なかなか人気があり、次々と誰かが訪問してきます。中腹あたりまで車で来ることが出来、そこから頂上までの比高は100mちょっとで日本百低山、花の百名山にも選ばれてます。後ろ4枚の写真は2014年1月のものになります。そのころには、それなりに流行っていて、民宿なども営業していて、誰かがウサギを放し飼いで飼っていました。今ではすっかり寂びれて、ウサギもいなくなってしましました。ちょっぴり寂しいですわ。

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しんちゃん

ザ・魔雲天追悼特集 石巻山城 (2024/09/22 訪問)

ちょうど今しがた、伊勢志摩の城めぐりから帰って来ました。リピートの山城もあってちょっと疲れました。長島城のシダはなんとかなりませんかね‥(疲れた)。
今日は29日(にくのひ)です。ちょうど石巻山城の投稿の続きが有ったので、投稿させていただきます。石巻山は日本のピラミッドと称されるほどキレイな三角形をしています。当然どこから見ても、というわけでは無く、お勧めは南西側の畑地から見る角度が良いでしょう。
南北朝時代の南朝方の武将・高井主膳正の居城と伝わり、土塁や堀などの技巧的な遺構は無いのですが、登城道にそって郭らしき扁平地が幾つも存在します。山頂付近が主郭と見られ、この城址でもっとも広い郭があります。
そこから山頂に向かって道が続くのですが、山頂付近は巨大な石灰岩の塊がむき出しになっています。まさに信仰の山に相応しい異様さなのですが、周囲の眺望は良く、見張り台としての機能を有していたと推測します。

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カズサン

二俣城・秋分の頃‐3/4 (2024/09/25 訪問)

 ※二の丸・大手門跡編(2/4本丸~二の丸編の続きです)

 二の丸の南東部に石垣の大手門跡が在り、二俣城の見所の一つです、大手門跡は二の丸南側土塁の南東端の石垣造りと、二の丸東側土塁の南端の石垣で挟まれた虎口です、上部から見ても、下部から見上げても迫力あり圧巻です、本丸天守台と双璧です。
 時期的に彼岸花がポツンポツンと咲いております、秋の10月下旬11月上旬が黄色い銀杏、赤い楓の見頃が紅葉と石垣がマッチしていい写真が撮れる事でしょう?。
 二の丸南土塁下には3号堀に当たる大堀切も見所です。
 
 4/4南の丸Ⅰから大手道登城口へに続きます。
 

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ヒロケン

ホテルからの画像 (2024/08/14 訪問)

8月14日早朝に福山城を宿泊先のホテルベッセルイン福山駅北口から撮影した感じの良い画像がありましたので、投稿させていただきます。また、三蔵稲荷神社からの撮影ポイントと福山八幡宮からの福山城も併せて投稿させていただきます。

トクさん人吉城の画像、お気遣いいただきありがとうございます。トクさん、そうなんですよねー。見逃しちゃったんですよねー。再建された隅櫓・長塀・多門櫓、見たかったです、撮りたかったです、妄想したかったです。二の丸の中御門の石垣、御下御門の石垣、水の手門跡、はね出しの石垣を見てあまりの恰好良さに満足しちゃったんですよねー。
初めて攻城した城ということもあり、見るもの全てが感じよく670年間の歴史がつまっているかと思うと、終始、妄想しっぱなしで忘れちゃったんですよねー( ;∀;)でも、トクさんの画像を見て、少し気が晴れました。(人''▽`)ありがとう☆

自分はというと、8月14日福山城攻城以来、吉田城などの近隣の城に行くぐらいです。感じの良い福山城の画像がありましたので、投稿させていただきます。

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ぴーかる

石田堤 (2024/09/14 訪問)

【石田堤】
<駐車場他>石田堤見学者駐車場
<交通手段>車

<見所>土塁
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画の旅4城目。石田堤は名の通り秀吉の小田原征伐の際に石田三成軍が成田氏長が籠城する忍城を水攻めするために築かれた堤防です。現地説明板によると石田堤史跡公園の東側に堀切橋があり、当時はこの辺りから堤防が決壊して水攻めが失敗したそうです。駐車場から史跡公園までが土塁上の道路が通っていて楽しめます。堀切橋を渡り、史跡公園は見張り場だったそうですが土塁はだいぶ薄くなっています。堤の南端に位置するようで、北側の忍城は見えませんが北方向にかけて緩やかに標高が上がっていくのが私の肉眼でも分かりましたので相当高い土塁を築かねばならなかったと思います。

<満足度>◆◆◇

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二階堂神社など (2024/09/28 訪問)

 二階堂氏の城と伝わっています。二階堂神社のある付近が本丸で石碑が立っています。近くの長松院付近には空堀と土塁が一部ですが、残っています。神炊館神社には外濠跡がありました。

 JR須賀川駅から徒歩約15分行くことができます。

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北塩原村活性化センター (2024/09/27 訪問)

 石積みなどもよかったので、追加で投稿させていただきます。散策していると、各所に石積みを見ることができます。土塁や切岸も楽しむことができます。

北塩原村活性化センターの駐車場が柏木城見学者用駐車場となっています。バスなら北塩原郵便局前が最寄りのバス停ですが、本数が少なく要注意です。

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伊達の進行に備えて (2024/09/27 訪問)

 会津の蘆名氏が、伊達政宗による侵攻に対し防衛の拠点とした山城です。遺構の保存状態は比較的良好で、馬出、堀切、竪堀、土塁、切岸などの遺構を楽しむことができます。石積みを多用されていたことが知られていて、所々に見ることができました。
北塩原村活性化センターから登城口が設けられていて、北曲輪群、西曲輪群を経由して主要な曲輪への道が整備されています。標識、説明板が各所にあり迷うことはありません。北曲輪群、西曲輪群は藪になっていて散策は困難ですが、主要な曲輪は手入れがよくされていました。各曲輪の形状が確認でき縄張りもよくわかります。
予想以上のすばらしい城址でした。帰宅してから資料を見ると見逃した遺構があるようなので、できれば冬に近い時期に再訪して散策したい。という願望はありますが、遠方なので難しいとも思っています。

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蒲生主計介郷貞 (2024/09/27 訪問)

 空堀と土塁が一部残っています。空堀の堀底へ下りてみたかったのですが、「危険!ですので、中に入らないでください」という湯川村教育委員会が設置した標識が各所にあり上からの景色だけを楽しみました。少し離れた道の傍らに説明板があります。

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佐原次郎廣盛 (2024/09/27 訪問)

 1193年、佐原次郎廣盛によって築かれたとされています。土塁の上に石碑があり、前に説明板がありました。

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城四郎長茂 (2024/09/27 訪問)

 平安末期に築かれたとされる城です。城四郎長茂が木曽義仲に敗れ籠ろうとした「藍津之城」がこの城だと伝わっています。二重掘りがよく残っています。堀底は藪となっていることも多いのですが、南側の内堀、外堀は少しの距離なら散策できました。郭内は畑などがあり中には入っていません。入口に説明板があり、幟が立っていました。

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横須賀時連 (2024/09/27 訪問)

 佐原義連の孫、横須賀時連が築いたといわれています。主郭は方形で堀に囲まれ、外郭も存在したようです。城址碑が立っていて、主郭周囲の堀跡が残っていました。説明板があったようすが、今はありませんね。

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日枝神社 (2024/09/27 訪問)

 佐原氏の居館と伝わっています。日枝山王神社が跡地です。空堀、土塁が残っていました。空堀は思った以上に良好に残っていましたが、藪になっていて見にくいところもありました。先輩方の投稿を見ると、もう少し寒い時期の方が草もなく見学しやすいと思います。

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トク

ニイタカヤマノボレ 一二〇八 (2024/09/28 訪問)

所用で友人の車で佐世保まで行く事があり、途中の西海橋PAから針尾送信所を眺めました。この橋は下を徒歩でも渡れるようなので渡ってみると、足が震える程の海の上の絶景空中散歩でした。ここで以前のtodo94さんの投稿を思い出し、おそらく送信所の左の山が針尾城だと思いました。

城まで行きたかったのですが、さすがに城に興味のない友人から拒否され(笑)、送信所までならいいという事なので、送信所まで行ってきました。よって城の詳細はtodo94さんの投稿を御覧下さい(すいません)。

この送信所は高さ134mもあり、下から見上げると唖然とする高さです。この3本の塔を電線でつなぎ電波塔としていたようです。とても大正時代の建造物とは思えません。当時は中国と戦争状態に入る事が避けられない状況だったため、現地の日本軍との通信のために建てられたそうです。そして昭和16年(1941年)、ここから北太平洋を航行中のハワイ真珠湾攻撃に向かう機動部隊に対して上記電文が打電された事は有名です。開戦日は12月8日(日本時間12月9日)に決定されたという意味の内容です。
 

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街中散策 (2024/09/26 訪問)

 飯森山の白虎隊が自刃した場所からは鶴ヶ城がよく見えました。街中にも遺構が残っています。土塁や甲賀町口門跡、外郭南町口遺跡などを散策しました。土塁は2カ所に説明板がありましたが、内容は同じでした。帰って来てから阿弥陀寺御三階を見逃していたことに気がつきました。痛恨の極みです。

ソースかつ丼は会津若松市の名物グルメです。今回は寿 治左エ門さんで「ひれ煮込みソースかつ丼」をいただきました。

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お堀端散策 (2024/09/26 訪問)

 鶴ヶ城は堀もよく残っています。時間の許す限り堀周辺を散策しました。

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石垣など散策 (2024/09/26 訪問)

 天守閣が目立つ鶴ヶ城ですが、石垣もよく残っています。どこを歩いてもいい石垣に遭遇します。

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