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しんちゃん

戦国事務兄さん (2025/05/09 訪問)

イオさん「戦闘員のお姉さん」と「事務兄さん」の画像ありがとうございます。まずはスマホorカメラ?の回答から。
私、長いことパナソニックのルミックスというデジカメを使っていました。性能は申し分ないのですが、ズームの機能が複雑で良く壊れました。まあ、私が酷使しすぎたのも原因なのですが。保証が聞くので、容赦なく修理に出し続けていたのですが、とうとう保証期間が切れてしまい、現在動作不良の状態です。スマホをグーグルピクセル9に代えたので急いでデジカメを買う必要はないのですが、一つ不便なことがあります。私は忘れっぽいので、山城で写真を撮るときに地形図の写真も一緒に撮るようにしているのですが、スマホで地形図をキャプチャで撮って写真のファイルの中に混ぜ込んでも、管理番号の形式が異なるので、他の写真と連動しないのですね。現状、スマホで写真を撮っているのだけど、またデジカメを購入するべきか考えてます。

「戦闘員のお姉さん」・・想像の斜め70度くらい上の人が来ましたね。なんとなくドロンジョ様落ちは予想していたのですが・・クシャナ電化風のお姉さんが良か・・いやいや、せめて付加キョンだったら・・いや、これ以上書くとお姉さんに芝刈れそうなのでやめにしましょう。お姉さんには「しんちゃん村」の「おしおき部屋」の責任者をお願いしたいと思います。

「ジムニーと事務兄さん」ジムニーも付いて来てますね。これで狭い林道もヒャッハーだぜ! って、乗れないじゃん(絵だから)。
事務兄さんには事務方をお願いしたいのですが、基本的にしんちゃん村は有事の際には男衆総出で村を守らねばならないので、事務兄さんにも訓練を受けてもらいましょう。後藤又兵衛先生、よろしく!
又兵衛先生「ワシの訓練は厳しいので、覚悟するように」
事務兄さん「ヒィ~~!」

ようやく正光寺城の投稿です。菊池十八外城の一つで、菊池氏の庶流・加恵氏の居城とされています。かつて十三基あった塚のうち、一つが残っていて、そこが城址とされていたのですが、それも消滅してしまい道路脇に土地改良で出土した五輪塔を集めて正光寺城址としているようです。墓石群も数奇な流れでここに集まっているわけで、ねんごろにお参りしていきました。

事務兄さんその後・・又兵衛先生曰く、事務兄さんはなかなか筋が良いそうです。時々購買部のお姉さんが訓練を見に来ているそうです。マッチョ好き? 又兵衛先生はけっこう本気で、お兄さんを後継に考えているようです。どこへいくのか戦国事務兄さん。

お兄さんの絵は下書きのままです。。30分くらい書いてへばってしまいました・・なにせこちらは手描きなので、ご容赦を。

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ぴーかる

カメラ派です。

 イオさんへ。雰囲気でお分かりかと思いますが、私はカメラ派です。2018年にCanonEOS Kiss M を購入し、いまだにこれを愛用しています。それまでCanonのIXY を使っていたのですが、画素画質がスマホに負けるくらいになってきたので買い換えました。カメラは全然詳しくないので参考にはならないですが、私の使用している状況を列挙しておきますね。

・カメラを購入して落としたことは無いですが、スイッチが入らなくなったり、起動しなくなったりで3回修理に出したことがあります。水に弱いのでスイッチ故障は水が混入したのかも。登城中の突然の降雨はカメラ最優先の防御になります。
・安物で小さいながらも一応一眼レフなので重たいです。山城直登するときは首にかけ、ブラブラさせて頑張って登ります。ストラップ自体はしっかりしていて、切れる事はこれまでなかったです。1度ストラップを新品に交換しました。都会や町中では40年以上前の海外旅行する日本人みたいな感じで格好悪いですが、最近は気にしません!東京でもこのスタイルで通した。
・私のカメラで城跡を撮影すると、画像がおおむね12~19MBになるので、城びと投稿する写真は画質を落とす編集をしています。
・見所の多い城跡はとにかく沢山撮影するので、電源を入れっぱなしにしています。予備バッテリーを2個用意しています。私の使用状況だとスマホ2個とポータブル充電器が要りそう。
・画質の高いカメラとスマホの違いがよく分かるのが石垣を撮影した時で、何故かスマホは映えますが、小さい間詰石などはややぼやけます。カメラですと映えませんが、くっきりと撮影されています。私はカメラ主体で撮影スポットや有名なシーンはスマホでも数枚撮るようにしています。何故か映えるので。
・私のカメラのレンズだと15㎜からの撮影でどうしても肉眼より少し拡大になってしまうように感じます。スマホだと0.5xがあるので肉眼より引いた視点での撮影ができますよね。めっちゃ高いカメラだとレンズが0㎜からがありますが、どんな感じなのかな。

自分の事ばかり書いて、だから?って感んじになっちゃいました、すみません。

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翡翠

姫路城 (2025/02/17 訪問)

姫路城、好きで良く行ってます。今回は、地元の方に教えていただいた夜景スポットに行って見ました。最高でした。前から見るのも良いですが、私はこっちが、カッコよくて好きかもです。

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dougen

2020.2.1登城 (2020/02/01 訪問)

小川町駅の南にある仙元山の南西に青山城址があります。

ハイキングコースとして整備されており、仙元山を目指す途中に青山城址のコース案内があり、特に迷うことなく、城址に辿り着くことができます。

町の史跡に指定されており、解説板が設置されており、郭や土塁、堀切などの遺構が確認できます。

落ち葉で埋もれて気づきませんでしたが、石積もある様です。

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カズサン

城下町はうだつの町並み (2025/05/14 訪問)

 脇城は天正13年(1585年)秀吉より四国平定の功績で蜂須賀家政に阿波の国を拝領、筆頭家老稲田種元が脇城に入城し、戦火で荒れた城郭、城下を復興していく。稲田氏は蜂須賀至鎮が大坂の陣の戦功で淡路一国を加増されて淡路洲本城代で脇城から洲本城へ移る事に成ります。
 城下町は、町に来て商売を営む者には、地子銭も諸役も免状され生国を問わないとし、讃岐、伊予、備前などからも諸商人が集まり繁栄が始まる。
 吉野川は現在と違い、石垣を洗いながら流れており、石垣の下は、平田舟の船着き場であった。
 文政12年(1929年)12月の大火で169軒の家を焼失した、それからうだつ(袖壁うだつ)を設けるところが増えた。
 現在、国の重要伝統的建造物群保存地区に昭和63年選定され85軒の歴史的建造物が残って居る。
 通りの両側に白壁造り、白壁のうだつが左右の屋根に建ち黒格子戸で白と黒の対比が見事、江戸期から明治、大正時代の建物が連なる景観は圧巻の佇まいです。素晴らしい景観です。
 うだつの町並みの写真を投稿します。

 うだつの町並み途中に在る美馬観光ビューローでトイレ休憩、里見浩太郎水戸黄門の撮影ロケが有った様でポスターが張ってありました。

 駐車場:県道12号線川北街道(吉野川の北堤防)「道の駅藍ランドうだつ」を利用。

 脇城城域へは近くなのですが(800m程北)車の駐車など不安で取り止めました。
  

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イオ

カメラ派? スマホ派?

先週末、とある集まりの旅行で松山に行き、初登城の松山城(後日投稿します)で写真を撮りまくっていた際に、ヘタってきていたストラップがちぎれてデジカメ(Canon PowerShot G9 X MarkII)が落下、破損してしまいました…。本格的に城めぐりをするようになった頃からずっと愛用してきた相棒でもあり、修理可能である限りは修理してもらうつもりですが、修理対応期間はあと1年あまりのため、それ以降に故障したら買い替えるしかないのかな…と思ってデジカメ市場の現状を調べてみてびっくり。デジカメ、それもコンパクトデジカメはすっかり衰退してしまっているんですね。スマホのカメラ性能が格段に向上していることを思えば、そりゃそうか。

スマホで写真を撮るのが苦手(下手)なので昔ながらのデジカメ派なんですが、デジカメを忘れてやむなくスマホで撮った写真を見ても(私の腕前程度では)デジカメで撮ったものと大差ありませんし、スマホで撮るのが苦手というのも、使っていいればいずれ慣れるでしょうから大した問題ではないのかもしれません。カメラ性能も苦手云々も問題にならないのなら、別々に2つ持ち歩かなくて済むのはかなりのメリットです。一眼は山城めぐりにはかさばりすぎるし使いこなせる自信もないので、次はやっぱりスマホになるのかなぁ…。

皆さまはカメラ派でしょうか? それともスマホ派でしょうか? デジカメでもスマホでも、何かしらおすすめがありましたらご指南いただけるとありがたいです。


それと…

朝田さん、遅ればせながら神奈川県コンプリートおめでとうございます。
しんちゃんさん、これまた遅ればせながらChatGPTによる「戦闘員のおねーさん」です。…ドロンジョ様やん。「ジムニーに乗る事務兄さん」もあわせてどうぞ。
 

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翡翠

和歌山城 (2025/02/15 訪問)

初和歌山城です。時間がなくて急いで見ましたが、良かったです。

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり㉒ (2025/04/28 訪問)

多賀城からの転戦です。城びとのマップのポイント付近には、仙台臨海鉄道が走っており、ちょうど貨物列車が通り過ぎていって萌えてしまいました。ただ、遠藤館の記載はグーグルマップにはなく、検索してみると三陸輸送のあたりという情報もみつかりました。限りなく不発弾化の香りが漂ってきてしまって投稿は差し控えようかとも思いましたが、遠藤館の前身ともいえる沼向遺跡の地図に引っかかる場所は撮影できていたので、沼向遺跡の地図と共に投稿させていただきます。2025年ゴールデンウイーク前半の城めぐりはこれにて終了。渋滞を避けて帰着することができました。

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赤い城

一向一揆に備えた城 (2025/04/29 訪問)

北陸への旅、最終日も朝駆けで少し城を廻りました。
まずは太田本郷城、一向一揆に備えて上杉謙信の家臣、河田長親が着陣しました。

遺構は確認できませんが発掘調査では堀が見つかり、石碑と説明板が立つ北郭と円光寺を含む南郭の二郭以上の郭を持つ平城だったことが分かっています。
周辺は農耕地と住宅地になっていました。

近くには国の重要文化財、浮田家住宅もあります。
訪問はここを目指すと良いですね。

せっかくの越中、前夜は少し奮発して海鮮の美味しいお店へ。
きときとの魚介を頂きました。
ホタルイカの天ぷらは絶品、イカの黒作りもお酒に合います。
美味しかったので写真も出しておきます。

【見どころ】
 ・農耕地となった北郭
 ・近くの浮田家住宅

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しんちゃん

稲荷櫓と稲荷曲輪門 (2025/03/15 訪問)

甲府城は天正11年(1583)徳川家康家臣・平岩親吉によって築かれたとされています。家康の関東移封後は豊臣家臣の武将によって本格的に築城がなされています。現在の主な縄張りが完成したのは加藤光泰の時代とされています。江戸時代においても江戸を守る城として重視され将軍の血縁者や幕府の重臣ら城主となり(柳沢吉里を除いて江戸定府)、後に天領になっています。
現在舞鶴城公園として整備されているのは本丸(天守曲輪)、二の丸、稲荷曲輪、鍛冶曲輪の4の主要な曲輪で、南東の楽屋曲輪は山梨県庁、北西の清水曲輪はJR甲府駅周辺となり石垣が復元されています。思っていたより城域が広く周囲を水堀で囲まれていました。
稲荷曲輪門は稲荷曲輪と鍛冶曲輪を繋ぐ門で、発掘調査で柱の跡などが見つかっています。明治初年までは存在していて、平成11年に復元されました。稲荷曲輪にある稲荷櫓は城内の鬼門に位置することから艮(うしとら)櫓とも呼ばれ、江戸時代には武具蔵として使われていたようです。現在の稲荷櫓は平成16年にできるだけ元の姿で復元したものです。

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しんちゃん

大手周辺の縄張り (2025/03/15 訪問)

新府城の大手には周囲を土塁で囲まれた枡形虎口が有り、外側に丸馬出が付いています。丸馬出の下方には三日月掘が確認されており、丸馬出の東側にも小さな枡形虎口らしきものが付いています。丸馬出に設置されている案内板を見ると西側の空間も枡形虎口であるように描かれています。城内に設置してある案内板は時期が異なるのか、詳細が微妙に異なっていますが、この大手周辺の遺構が非常に手の込んだ構造をしているのは間違いが無いようです。武田氏の城や、土の城好きの好む巧妙な仕掛けが凝縮しており、訪問時にテンションが上がるのは間違いないと思います。三日月堀の底の形状は平らな箱堀であることが発掘調査で明らかになっています。

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じゅんじん

武田の拠点 (2024/07/07 訪問)

武田方の拠点ですね。公園化されるのかな?

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じゅんじん

雨上がり (2024/07/05 訪問)

まだ橋がありました。渡れません。

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じゅんじん

夕暮れ (2024/07/04 訪問)

出張ついでに寄りました。

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じゅんじん

寄り道 (2024/07/03 訪問)

城址碑のみです。

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赤い城

お返しクイズの回答

日月で遊びに行ってて遅くなりました。
小田原城はわかるのですが場所は?

私が持ってる八幡山古郭からよりちょっと東側でしょうか?
駅周辺かな?
Googlemapでみると東横インがありますね。
前ににのまるさんとのやりとりで東横イン・・・。
全く自信ありません。

にのまるさん、よろしくお願いします🙇

わからないので私のゴジラ岩もアップしておきます。

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しんちゃん

アディオス福岡 また来年。 (2025/05/10 訪問)

須崎台場は幕末の文久3年(1863)に福岡藩によって築かれた台場の一つです。12貫目砲など15問の大砲が据えられ、現在も福岡県立美術館の北西に石垣が残り、周囲は小公園になっています。ちなみに12貫目は約45kgらしいので、けっこうな威力だったのではないでしょうか。とりあえず、美術館の駐車場に車を留め、ゆっくり石垣を見てこようかなと考えていましたが、いつまで待っても駐車場から車が出てこない・・これはもしや?と考えて、車から出て石垣の写真を撮って戻って来ました。その間、駐車場近辺では何の動きも無し。
結局、駐車場には入らず、バックで退散して本州に向かいました。帰りに長浜ドラゴンというラーメン屋に寄りました。自分は本格的なとんこつラーメンを食べるとお腹をゴロゴロさせるので、ライスを一緒に頼みました。
実際に食べてみると、おもったよりあっさりで、お腹にも良さそうです。麺の量もしっかりあるので、替え玉も必要ないぐらい。ライスは要らなかったな・・と思いながらも全部いただきました。

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しんちゃん

長い間、相馬氏の居城であった。 (2025/01/01 訪問)

朝田さん、双六館の投稿待っておりました。ゴジラ岩の写真も良かったです。いずれ訪問する時の参考にさせていただきます。
美女ふたり(?)が崖の向こうで「おいで~ おいで~」をしていたら、連れてかれてしまうのではと心配しましたが、無事に帰ってこられて良かったです(私は自信が無い)。
小高城は南北朝時代に相馬氏によって築かれたとされています。慶長元年(1596)16代・相馬義胤が居城を牛越城に移すも、関ヶ原の合戦で佐竹氏の与力大名であった義胤は徳川方に協力しなかったとして改易されますが、周囲のとりなしもあって再興が認められると、再び小高城を居城としました。慶長16年(1611)8月に会津地震、次いで10月に慶長三陸地震が起きると、居城を相馬中村城に移し、長らく相馬氏の居城であった小高城は廃城になりました。
小高城は前川の北の丘陵にあり、今は小高神社が建っています。境内は広く、複数の郭が残り、神社の北側には土塁も残っているようです。ちょうどこの日は元日だったので、初詣の人々で賑わい、獅子舞も披露しておりました。

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朝田 辰兵衛

双六館散策2/2(主郭,周辺観光のゴジラ岩も紹介) (2025/05/18 訪問)

双六館の主郭は「御前落とし」という悲話を伝承しております。戦国時代は安倍千寿丸の居館であったとされます。ある時,脇本城主の脇本五郎脩季攻撃を受け,50日ほど持ちこたえたがついに敗れて自害。奥方は双六館の断崖から身を投げました。
天正17(1589)年,湊合戦で湊安東勢と檜山安東勢がぶつかります。脇本五郎脩季は湊安東勢に組しました。しかし,次第に劣勢となり脇本城落城。脇本五郎脩季は自害。脇本五郎脩季の奥方は双六館まで追い詰められ,断崖から身を投げました。
奇しくも,自らの夫に滅ぼされた安倍千寿丸の奥方が身を投げた断崖という…。

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チェブ

酒井と酒々井。 (2025/05/01 訪問)

前回の『大椎城』から転戦。
と、言っても『行った』をポチッとしたかったから寄ったが正解です。
城趾の『本城寺』を目指しましたが、民家の間を通過し畑道。車では通る事が難しそうな場所でナビは『目的地に到着しました。』と言いました。
相方は『車の向きを変えておくから写真、写しておいで。』
と暗黙の、1人で行って来いオーラをキラキラさせてました。
しゃーない行くか!と写真②を走ります。
抜けると意外と広く散策できそうです。
鋳銅鰐口の説明板の中に『酒井 定隆さんの居城』とあり、写真を写して退陣しました。
千葉県で酒井氏か?三河から分かれたのかな?
等など調べていたら、千葉県には『酒々井町』があり、酒井氏と関係がないか検索しました。
、、、ぜんぜん、関係なし。
『酒々井町』は『しすい』と読みます。
由来は、親孝行の息子が父の為に井戸の水を徳利に入れたら、酒になった。とか、酒の井戸になった等でした。

この日のお城攻めは「中野城」で終了。
お城もだけど、地名の由来が『日本昔ばなし』で語れそうな場所ばかりでした。

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