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朝田 辰兵衛

todo94さん,沖縄県コンプおめでとうございます🎉 (2024/11/05 訪問)

todo94さん,沖縄県コンプリートおめでとうございます。また,豊見城城の情報もありがとうございました❢
にのまるさんからの解答がアップされたら,次は私が出題したいと思います。
とはいえ,準備していたのが,首里城復興エリアでした…。最新の投稿でまさにソコをレポートされていましたので,最近精力的に訪城している相模国の城に変更して出題いたします。

そうそう,気になっていたのですが,EXPOのカルタ会場にはおられましたでしょうか…❓
今回のかるたで私の一番のお気に入り読み札が高知城。todo94さんの作品です。見事に読み上げられましたョ❢
上五の読み上げで「高知城!」と叫んでいました…<笑>。ただ,高知城絵札が遠くにあったので,他の方がゲットされました。
私の近くには,天守のない絵札ばかりでした…<苦笑>。しかも,対面がイオさん,隣がチェブさんという,城びとオールスターズの強者に包囲されました…<笑>。
実は私も12月24日まで,温暖な太平洋側にいました。todo94さんの避寒の気持ちは身に染みるほどわかります。
私も数年ぶりに沖縄に飛びたくなりました…✈

大蔵館ですが,みなさん同様に第六天橋周辺を撮影して終了です。

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トク

今年やり残した事(ああ壮烈岩屋城へ(3/3)) (2024/12/20 訪問)

岩屋城の続き(3/3)です。二の丸の紹運の墓からさらに5分、標高281mの本丸にある「ああ壮烈」碑に到着しました(写真①②)。都府楼駅からはゆっくり歩きでトータル90分かかりました。

ここからまた眼下の筑紫平野から博多湾までを眺めました、いつ見ても爽快な眺めです(写真③④⑤⑥)。反対側に目を向けると、標高829mの宝満山も見えました(写真⑧⑨)。

本来の紹運の居城はあの頂上にある宝満山城で、岩屋城は支城にあたります。長男の宗茂を立花道雪(大友家臣筆頭)のいた立花山城へ養子に出し、宝満山城には次男の直次と妻子たちを残し、紹運は決戦の地に岩屋城を選びました。籠城し時間かせぎをするなら、高い宝満山城の方が向いていると思うのですが、なぜ岩屋城の方を選んだのでしょうか?🤔 ここを素通りされ直接立花山城が先に攻められるのを防ぎ、自分の子らを守りたかったからなのでしょうか?

そして島津の猛攻が始まってから14日目、ついに耐えきれず力尽き、もはやこれまでと紹運は自刃して果てました。櫓の扉にはこのような紹運の辞世の句が残されていたそうです。

 流れての末の世遠く埋もれぬ
 名をや岩屋の苔の下水

道雪殿! 私は大殿(大友宗麟)から頂いたお役目を立派に果たしましたぞ! 私もこれから道雪殿の元へ参りますゆえ、どうか我が子・・宗茂と直次をあの世からお守り下され~!

ここに立つと、紹運は最後にこんな言葉を残したのではないかと、私はふと想像してしまいました。高橋紹運(享年39才)、最後まで大友への忠義を貫いた見事な武将でした。

■岩屋城の戦い■
軍勢:大友軍763、島津軍3~5万
大友側戦死者 763(全員玉砕)
島津側戦死者 約3000(+負傷者多数)
 

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イオ

とことん一乗谷(上城戸外側) (2024/10/13 訪問)

一乗谷は2年ぶりの再訪です。前回はとことん一乗谷をめぐる! と意気込みながら、ほとんど山城だけで時間切れになってしまったので、今度こそは一日かけてあさみゅーも復原町並も朝倉館も下城戸から上城戸まで全部めぐる! と思っていたんですが、遠征1日目が仕事でつぶれたため、2日目の午前中は丸岡城(お城EXPO)に行き、午後に一乗谷をめぐることに予定変更。午後だけではとことんめぐり尽くすのは難しそうなので、せめて丸岡城に行く前に朝イチで一乗谷を訪れました。

一乗谷は一乗谷川沿いの谷筋に展開する城下町で、北端に下城戸、南端に上城戸を設けて城下を守っていましたが、上城戸の外側にも町屋が建ち並び、山裾にはいくつもの寺院が建立されていたようです。

御所・安養寺跡(福井市東新町)
安養寺は朝倉孝景が建立した一乗谷で最も大きく格式の高い寺院で、朝倉義景を頼って下向した足利義昭は安養寺北麓を御所として9か月間滞在しています。発掘調査で石垣や礎石建物、柵列、溝などが確認されており、山裾の屋敷跡には石垣や土塁、安養寺跡には石仏や石塔があるようですが、山裾の遺構は見落としてしまいました…。

富田勢源道場跡(福井市西新町)
朝倉氏に仕えた富田勢源が開いた中条流の剣術道場で、伊藤一刀斎の師である鐘捲自斎や佐々木小次郎がこの地で修業したと伝わります。道場跡の北側と南側には穴太積みの石垣が遺っているようですが、こちらも見落としてしまいました…。

一乗滝(福井市浄教寺町)
一乗谷川を遡って行くと、源流にあたる一乗滝に至ります。この地の生まれと伝わる佐々木小次郎は一乗滝での修業により「つばめ返し」を編み出したとされ、滝を望む地に銅像が立てられています。

一乗滝で折り返して朝倉氏遺跡第4駐車場まで戻り、上城戸に向かいます(続く)。
 

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todo94

首里城の現在 (2024/12/23 訪問)

しんちゃんさん ご祝辞、ありがとうございます。極寒の地に暮らしている者ですので、寒い時期に暖かい土地で過ごせることはこの上ない贅沢なのです。全日空の株も200株持っていますが、今回は株主優待ではなく、格安の中でも低価格設定の共同運航便を春先には押さえていました。異様に仕事納めが早くなることが分かっていましたので。しんちゃんさんの沖縄行きが実現することを願っています。

さて、首里城です。正殿焼失の2019年の「新春の宴」以来の攻城です。前日夜にゆいレールの24時間券を購入しているので、豊見城城から奥武山公園駅に徒歩でアクセスし、儀保駅までモノレールに乗車しました。儀保駅が首里城の最寄り駅だと思っていましたが、首里城に続く細い道が、わかりやすくカラーリングされていました。首里杜館で昼食をとってから有料区域に向かいます。24時間券の提示で入場料400円が320円になりました。正殿の復興工事の様子をしっかりと見学してまいりました。焼失前に整備が進められていた池上永一著「テンペスト」の舞台・御内原も見学ルートになっていて東のアザナのてっぺんまで登ることができます。ちょうどその時、正午になりましたので、他の観光客は鐘を鳴らすイベントに参加していらっしゃいましたが、私は遠慮させていただきました。熊本城もそうでしたが、復興工事中ならではの城内の俯瞰ができるというのは大きな魅力だと思います。充分に首里城を堪能して、予約を入れてあるくもじ献血ルームへと向かいました。

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カズサン

移築復原御殿書院室内ラッキーに見学出来ました (2024/12/24 訪問)

 12月21日から公開が開始され開館は土日祝日の9時30分~16時30分、年末年始は12月28日~1月5日は閉館と静岡市HPにて情報公開されています。
 当日は閉館の日に当たり外回りの見学だけすればと訪れました。しかしラッキーな事に開いておりSBS(静岡放送局)撮影クルーが入ったばかり、SBSクルーの方と話、付き添いの方は静岡市文化財課の方、思い切って内部見学をお願いしたら、撮影が済んだら良いですと了解いただき、移築復原御殿書院に入り見学する事が出来ました。当日は仏滅でしたが大変ラッキーでした。

 東面に式台玄関が付き、玄関の間(4畳)、次の間②(8畳)、次の間①(10畳)、藩主の寝間(8畳)床の間付、が東西の続間に成って居る、次の間①の南に居間(10畳)床の間違い棚付き、居間を挟んで南側に板敷の廊下縁側が在る、北側には玄関の間から藩主の寝間にかけて畳敷き廊下(16畳)が走ってる。
 各部屋の間には欄間が拵えてある、内部の採光が少なく写真写りが今一です、各部屋北側の畳敷廊下側に説明パネルが設置されている。簡素な造りですが江戸時代からの部材木材を9割ほど活用して復原再建されたそうです。一見の価値はあります。
 見学終わりに夫婦の方が来られて臨時での見学対応されていました、静岡市文化財課の方々ありがとうございました。

 尚、SBSの撮影は来年の1月19日アッコにおまかせの後に放映されるようです、外部、室内の映像、ドローンでの空中撮影を見る事が出来るそうです。

 建物が建って御殿書院の他に今後書院北側の御殿跡地に御殿建物地表表示が予定されている。詳しくは静岡市HPの小島陣屋で検索されれば平成29年史跡小島陣屋跡整備基本計画が公表されています、完成予想図(案)がよく分かります。関心のある方はどうぞ見てください。

 駐車場は搦手裏門跡側の通り山手側に在ります4,5台可能。

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しんちゃん

todo94さん 沖縄県コンプおめでとうございます。 (2024/12/22 訪問)

todo94さん 沖縄県コンプおめでとうございます。というか正直うらやましいです。私も今は東海道関係の城郭めぐりで いっぱいいっぱいですが、沖縄はぜひ訪問したいと かねがね思っております。EXPOの会場で沖縄の方々にも是非来てねと言われておりますし・・。
ひょっとしたら会場のどこかで、お会いしているかもしれませんね。

成瀬城の投稿です。成瀬城は恩田川の南岸の丘陵に築かれていたとされ、公園が城址で、南側にも二の丸が接続していたようです。鎌倉時代初期には横山党藍原氏の一族、鳴瀬氏の所領であったとされますが、中里伊賀守が城主であったとする説もあり、はっきりしていません。

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しんちゃん

居ましたよ (2024/12/25 訪問)

遅ればせながらご報告。皆さん気づいていなかったと思いますが、実はわたしも「かるた大会」の会場にいました。渋滞にはまったり、パシフィコの駐車場が空いてなかったりと、けっこうヒヤヒヤする場面もありましたが、無事整理券をゲットすることが出来ました。
先に並んでいた方とお話をしたところ、なんと朝田さんでした。城びとの方ですか?と聞かれたので「いつも、変な投稿をしている者です」と答えたところ、「ひょっとして、しんちゃんさん?」と正解をいただきました。
それで通じるんですね・・嬉しいです!(感無量)
わたし かるたの会場にいましたよ(汗)。朝田さんの邪魔をしてはいけないので、あえて探しはしませんでしたが、左の集団の前から三番目の列の席に座っていました。イオさんの写真にバッチリ写ってますね。「ひごまる」の帽子が置いてあるところです。
イオさんや、チェブさん、にのまるさんも会場にいらしていたようですね。お会いできなかったのは残念ですが、またの機会を楽しみにしています(いつやねん)。
城びとスタッフの方とも少しお話ができました。「今日はヤキトリじゃないんですか?」「もしかして、しんちゃんさんですか?」
正解ありがとうございます! 会場の窓から青く澄みきった空に向かって不死鳥(フェニックス)が羽ばたいていくのが見えたような気がします。城びと フォーエバー(笑)。

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todo94

お祝いクイズの答え

にのまるさん、早速のお祝い、ありがとうございます。かなり忖度していただいた問題のように感じますが、川中島の古戦場でよろしいでしょか。姨捨付近の篠ノ井線の日本三大車窓の写真とお見受けいたしました。写真には写っていませんが、右側に妻女山があるはずです。(現在旅先なので関連写真の投稿ができず、申し訳ありません。)

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ぴーかる

田上山砦 (2024/12/01 訪問)

【田上山砦】
<駐車場他>城跡南600m手前の登城口まで車で行けます。3台分程のスペースがありますが、途中道が悪くバンパー下を擦る恐れがある箇所があります。麓付近の小溜池<35.508464, 136.228090>付近に駐車して徒歩で登っても無難かと。
<交通手段>車

<見所>堀切・虎口・土塁
<感想>日帰り湖北陣城攻め旅2城目。現地説明板によると「信長公記」には1573年に朝倉義景が田上山に布陣したとあります。賤ヶ岳の戦いにおいては羽柴秀長の陣城で実質的には秀吉方の本陣であったようです。
 上記登城口から古墳のような盛土や意冨良神社上宮跡を通過して城跡にたどり着きます。砦跡は主郭を中心に南北と主郭から西側に長く曲輪が伸びています。主郭から南側は南郭、南堀切があります。南郭は土塁囲みの曲輪で副郭であったようです。主郭から北側は堀切土橋、北曲輪、北曲輪の北側に馬出し、広い尾根曲輪の先に北外郭があります。北外郭の北虎口は小さいながら枡形が2つ繋ぎになった珍しい形状の虎口でした。北外郭の更に北側に谷を利用した堀切になっていました。主郭の西側は尾根を下がりつつ竪土塁があり真ん中辺りに堀切があります。西郭は匚状に土塁があり郭の西側に堀切、さらに西側にも堀切があります。
 縄張り的に北郭の北側が広大な削平地になっていて武者溜まりであったように感じました。北からの攻撃を沢山の兵で押さえる北側を意識した造りになっていると感じました。陣城の小さいながら凸凹の遺構が明瞭に残る見応えある城跡でした。

<満足度>◆◆◆

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にのまる

todo94さんおめでとうございます🎊

沖縄県の城びと登録城コンプリートおめでとうございます🎉
先日のご投稿で香川県立直と書かれていたので、香川県コンプお祝い用におめでとうクイズを用意していたのですが、沖縄県が先に来るとは∑(゚Д゚)

今回はお城ではなくて古戦場(と撮影場所)です。
秒殺されると思うのでノーヒントです。
では、お願いいたします!

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トク

今年やり残した事(ああ壮烈岩屋城へ(2/3)) (2024/12/20 訪問)

岩屋城の続き(2/3)です。大手門の前を過ぎるといよいよ登山道に入ります(写真①)。

登山道は落ち葉も少なく整備されているので比較的登りやすいです(写真②)。しかし三の丸から二の丸への道は、掘底の中を登るような道になっていました(写真③)。これは後で掘られた道ではなく、当時からこのような道だったのではないかと思います。わざと深くして敵から身を隠し移動できるよう、また敵がここを攻めてくれば矢や鉄砲を撃ち、また上から巨石を転がしたりして防いだのではないでしょうか。

そして虎口があったような跡がありました(写真④)。左側はすごい傾斜の切岸です。という事は🤔・・・敵は狭いこの間を通らないと上へは登れないという事? さらに登っていく途中にふと下を見ると、まださらに大きな竪堀と切岸が! これはすごい角度です(傾斜角70度はあります!)(写真⑤⑥)。これなら島津軍も容易には落とせなかったはずだと納得しました。私には足がガクガクする程のすごい迫力なのに、確かに写真にすると伝わりにくいですよね。私もうすうす思ってはいましたが、POYO君はそれをストレートに表現していたのでびっくりしました(NICE! )。でも市場城の写真よく撮れてますよ!

そして大手門から登ること30分、二の丸に着きました。二の丸には高橋紹運の墓があります(写真⑥)。紹運はここで討ち死にしたようです。首は島津忠長の本陣に届けられ、胴はここに埋められ、そこにお墓が立てられたそうです。

そして二の丸から舗装されている車道を横切って本丸への最後の階段を登りました(写真⑩)。車で本丸のみ見たい方は、大宰府駅前から浦之城橋を渡ってここまで来る事ができます。写真⑩の前の路肩に2台くらい停められるスペースがあるので、そこに路駐されたらいいと思います。その先は大野城までつながっています。車で来て下から私と同じ登山道を登りたい方は、大宰府政庁前に30台程の無料駐車場がありますのでそちらを利用されたらいいと思います。

次は(3/3)本丸へ続きます。
 

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イオ

プロジェクションマッピング (2024/10/12 訪問)

今年2度目の遠征は福井県。岡山県に続いて日帰り圏内ですが、10月の三連休には丸岡城で「出張!お城EXPO in 坂井・丸岡城」と「丸岡古城まつり」、一乗谷で「一乗谷文化祭」、福井城で「越前若狭お城フェス」が開催されるため、城めぐりがてら各イベントをはしごしよう、ということで福井県に決定。ところが12日は丸岡城、13日は一乗谷、14日は福井城に行くつもりが、12日午後に外せない仕事が入ってしまい予定変更。せめて13日は朝イチから動けるようにと12日夜のうちに現地入りしました。

丸岡城では3年ほど前からNAKEDによるプロジェクションマッピングが実施されていて、せっかく泊まりで行くならぜひ観てみたいと思っていましたが、仕事を終え高速を飛ばして何とか2回目(21時~)の上映に間に合いました。10月からは特別篇「丸岡城が語る400年時代絵巻」と過去作品の二本立てで上映されていて、2回目の過去作品は「平和の祈り篇」でした。特別篇は丸岡城天守の破風を目に見立てて、天守が見守ってきた400年の歴史と四季が語られるという内容で、平和の祈り篇は戦災や福井地震、豪雪、豪雨から何度も復興を果たしてきた坂井市から、平和の祈りを復興の象徴であるフェニックスに乗せて世界に届けたい、という想いを込めたものなんだとか。上映前のカウントダウンには丸岡城ゆかりの武将たちも映し出されていました。

お天守マッピング上映後は、一筆啓上作品を施した行灯の灯された石段を下りてお天守前公園へ。公園の地面には人の動きに合わせて動くプロジェクションマッピングが上映されていました。そして、お天守前公園から天守を見上げて夜の丸岡城を後にしました。

NAKEDといえば二条城のプロジェクションマッピングで知られますが、丸岡城もさすがの美麗さでした。規模や上映時間が違うとはいえ、これほどのものが毎日無料で公開されているあたりに坂井市の力の入りようが窺えますね。2回目の上映中に背広姿の一団がやってきて、2回目終了後に3回目の上映があった(音声がお天守前公園まで聞こえました)のも、今にして思えば、お城EXPOや古城まつりに出展している姉妹都市・延岡市や現存天守のある自治体や観光協会の人たちに、丸岡城での取り組みを紹介していたんだろうな、と。城めぐりは基本的に日中のみなので、こういう夜の楽しみが他にも広がってくれると嬉しいな、とも思います。

…ということで、横浜に続いては2か月以上遡っての丸岡城です。考えてみれば、この時はお城よりも仕事を優先したんだから、横浜では仕事よりお城を優先しても罰はあたらないですよね、うん(自己正当化)。
 

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赤い城

鏡山公園 (2024/12/08 訪問)

城びとオールスターズの皆さん、EXPOのかるた大会レポートありがとうございます😊
転居後は参加も難しくなり、かるたも出遅れて未入手の状態なんですがレポートのお陰で参加した気に・・やっぱりならないか。
何よりも皆さんとお会いしたかった・・
次回があることを期待しつつ鏡山城のレポートです。

福山での忘年会翌朝、東広島まで足を伸ばしました。
鏡山公園に車を置き登城、公園の奥から登ります。
しばらく登ると直進が主郭への近道、左手に行くと散策路に。
散策路を選びました。
竪堀が多く施され、堅城であった事をしのばせます。

東側からの主郭方面への階段があり、これを登ります。
途中、左手にピンクリボンが、つい引き寄せられそちらに。
少し進むと沢のような堀?渡ってさらに東へと伸びる尾根道が。
進むと堀切や竪堀があり、奥に曲輪があります。

引き返し主郭へ、その前に南側の曲輪群を見学しました。
小ぶりで綺麗に並ぶ畝状竪堀を見上げます。
小ぶりでもやっぱりフォトにすると微妙です。

引き返してダバと呼ばれる曲輪を経て御殿場と呼ばれる主郭へ。
眺望はよく、紅葉で色づいた山波が映えていました。
帰りは北側から、こちらにも畝状竪堀がありますが大きくやはりフォト映えしないのが残念です。

大内氏が築いた城ですが、当時尼子方にあった毛利元就の攻撃により落城。
公園と思いなめてましたが本格的な山城、西側の藤の丸へ行かなかったのが悔やまれますが満足度の高い城でした。

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todo94

沖縄県の城びと登録物件コンプリート (2024/12/23 訪問)

三重城から遠路、徒歩にてアプローチしました。この日の最高気温は23℃でかなり汗をかいてしまいました。長らく立ち入り禁止となっていた豊見城城。城址公園の整備工事は2025年2月27日までの予定ですが、主郭にあたる豊見瀬御嶽への迂回ルートの案内もあり立ち入り禁止にはなっていないようです。これにて漸く沖縄県の城びと登録物件のコンプリートを達成しました。吉川弘文館の「沖縄の名城を歩く」に所収のグスクには未訪のグスクがまだまだ残っていますし、山頂を極めていない伊是名グスクなど、再訪を期したいグスクも多々あります。整備工事が完了した豊見城城も。避寒の沖縄行きは今後も計画していきたいと思います。

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朝田 辰兵衛

城熱の一歩が踏み出された気が…🐾 (2024/12/21 訪問)

にのまるさんへ…
もしかして,サタデーナイトプログラムに参加されてましたでしょうか…❓
私の着席時に(かるた2セットを詰め込んだ)リュックが,前席の方の背もたれに衝撃を与えました。その方が「ケルナ!」とこちらを振り向かれた時,私の中の「にのまるさんセンサー」が反応し,「えっ!」としか声が出ませんでした。「すみません」すら出てきませんでした。その場で尋ねるわけにもいかず…。
ちなみに,私の席は「H18」でした。
そうそう,かるた会場で,城びとスタッフに自己紹介していれば,引き合わせていただけたと思います。私とチェブさんも,スタッフから引き合わせていただきました。
お会いできなかったのは痛恨の極みでしたが,いずれどこかでお会いしましょう。

イオさんへ…
ビズモードで駆けつけてきてくださり,大変にありがとうございましたm(__)m
2024年のお城EXPOコンプリート,おめでとうございます❢
また,詳細にレポートしてくださり,感謝申し上げます。

チェブさんへ…
あんなに会話が弾むとは思いませんでした…<笑>。
おかげで,イオさんとのアプローチにつながったと思いますので,ムダではなかったです。
そうそう,一点聞けなかったのがあります。足の爪は完治しましたか❓

しんちゃんさんへ…
12:30から並んで,約30分を退屈せずに済みました。2番の整理券をお持ちのハズ。かるた会場ではお見かけしなかったような…。

城びとスタッフのみなさまへ…
発売に向けて大変な苦労があったかと推察します。今回のEXPOでどのぐらい売り上げたのか,後日発表していただければと思います。CFの時の数をを軽く超えているのではないかと感じました。
他の方の投稿でも見られるように,明らかに「城熱の一歩が踏み出された」と確信します。
大変にありがとうございましたm(__)m

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しんちゃん

履いてる? (2024/12/24 訪問)

蕨城は和楽備神社の南にある蕨城址公園の周辺が城址とされ、渋川氏歴代の居城とされています。渋川氏は足利氏一門の名門で長禄元年(1457)渋川左衛門佐義鏡は将軍足利義政より関東探題に任じられ蕨城に入りました。
渋川氏は後に小田原北条氏の勢力下に入りますが、北条氏綱に追われた上杉朝興に攻められ蕨城は落城します。渋川氏は北条氏の力を借りて蕨城を奪還しますが、永禄10年(1567)安房里見氏の三船城攻めの際に討死したそうです。蕨城の跡地は徳川家康によって鷹場御殿として利用されたようです。
現在はかつての水彫りである池や、土塁が残っているようです。

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カズサン

移築復原御殿書院完成し公開開始 (2024/12/24 訪問)

 令和4年4月より令和6年11月の工事期間を終えて国道52号線沿いに公民館として使用されていた元小島陣屋御殿書院が陣屋主郭の元在った場所に移築復原されました。
 12月20日に移築完成式典が春風亭昇太師匠を迎えて行われて、ニュース、YouTubeなどで放映されていました、何時か完成と頭に入っていたのですが細かくチェックして無く、昨日YouTubeニュースで確認して早速本日小島陣屋を訪ねました。
 静岡市HPでは12月20日完成、12月21日から土日祝に開館、年末年始は12月28日~1月5日まで閉館、早くて1月11日土曜日が開館日。
 中に入らなくても外から御殿書院を見学出来ればいいとの思いで訪ね、新しき出来た駐車場に車を駐めて搦手裏門跡から入城、すると
雨戸が空き放されて居るではないか?SBS静岡放送局の撮影クルーが撮影に入ったばかりの状態。
 書院の建物の周囲を観察撮影、主郭下に降りて建物と主郭石垣を入れて撮影。
 大手門跡、大手枡形、馬場跡、陣屋の東5段石垣側へ雨の災害で石垣が崩落しており青シートが懸かり崩落防止、一部北側は石垣の構築下準備中、石垣の下馬場跡側の民家は石垣崩落での撤去なのか5、6軒無くなっており、崩落した状態ですが5段石垣の姿が良く観えるようになりました。以前は民家と民家の間の隙間から覗くのみでした。

 移築復原御殿書院に戻るとSBSクルーと静岡市文化財課の方が2名アテンドでいらっしゃり、開館日で無い日の見学を厚かましくお願いした処、クルーの仕事が終わったら良いですよと了解いただき、来年の1月11日に再訪かなと思っていましたが願いが叶って書院内部を見学観察する事が出来ました。完成となりやっと見学が叶いました、感謝感謝です。
 静岡市文化財課の担当の方々にお礼を申し上げます、ありがとうございました。

 駐車場:搦手裏門跡から北東道沿いに約50m程の所(35°57'07"N 138°30'41"E h=60m)小型車4台軽1台の舗装駐車場
 トイレ、ガイダンス掲示:駐車場の西隣に建設予定、場は整備中で近日出来上がる予定?

 先ずは建物写真投稿し、久しぶり探訪の主郭石垣、枡形、大手門跡、5段石垣へと投稿を続けます。
 

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/12/06 訪問)

岡豊城跡とともに登城
日本百名城、続日本百名城の最後の訪問個所は高知県。今回で計200城制覇しました

現存する天守はもちろん本丸に御殿が残っているのは高知城だけ。それらをじっくり見るだけでなく、石垣、門、櫓など見どころたくさんの城です。何度目かの高知城ですが、今回訪問時はライトアップならぬシャドーアップ(影を天守や石垣に当てて楽しむ)イベントが開催されていました。高知市内泊だったので、昼と夜(夜は天守や本丸御殿は入れません)ともに楽しめました

※今回の行程は以下の通り

7:30羽田(航空機)、9:00高知空港
9:05高知空港(リムジンバス)、9:37,9:44高知駅バスターミナル(路線バス)、10:09学校分岐
 (徒歩10分)歴史民俗資料館(続百名城スタンプ9:00-16:30)+岡豊城跡散策
12:42学校分岐(路線バス)、13:18高知城前
 (徒歩5分)高知城(9:00-16:30)+高知城歴史博物館(セット券有)
 泊:高知市内

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/12/06 訪問)

高知城とともに登城
日本百名城、続日本百名城の最後の訪問個所は高知県。今回で計200城制覇しました

岡豊城は、四国の覇者長宗我部元親の城、天守や櫓などの建造物や壮大な石垣は残っていないが、当時の山城の縄張りを楽しめる城跡でした。曲輪、堀切や土塁が多くあり、山城の比高もさほど高くないのでハイキング感覚で回ることができます
歴史民俗博物館では、丁度長宗我部氏関連の展示もあり事前勉強になり、一緒の見学をお勧めします。歴史民俗資料館から城跡への向かう際に四国の地図の上に立つ元親の銅像が立派でした

※今回の行程は以下の通り

7:30羽田(航空機)、9:00高知空港
9:05高知空港(リムジンバス)、9:37,9:44高知駅バスターミナル(路線バス)、10:09学校分岐
 (徒歩10分)歴史民俗資料館(続百名城スタンプ9:00-16:30)+岡豊城跡散策
12:42学校分岐(路線バス)、13:18高知城前
 (徒歩5分)高知城(9:00-16:30)+高知城歴史博物館(セット券有)
 泊:高知市内

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城好きのメガネ

「伏見城」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
伏見城は豊臣秀吉の隠居城とするために築かれた。慶長伏見地震によって倒壊、関ヶ原の戦いの前哨戦となり落城。徳川家康が再建するも一国一城令に伴い廃城となる。現在は「伏見桃山城キャッスルランド」の跡地になっており、模擬天守などが遺されている。

<アクセス>
JR桃山駅 徒歩15分

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