<オススメ>★☆☆☆☆
伏見城は豊臣秀吉の隠居城とするために築かれた。慶長伏見地震によって倒壊、関ヶ原の戦いの前哨戦となり落城。徳川家康が再建するも一国一城令に伴い廃城となる。現在は「伏見桃山城キャッスルランド」の跡地になっており、模擬天守などが遺されている。
<アクセス>
JR桃山駅 徒歩15分
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2024/12/24 17:47
「伏見城」 (2024/04/06 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
伏見城は豊臣秀吉の隠居城とするために築かれた。慶長伏見地震によって倒壊、関ヶ原の戦いの前哨戦となり落城。徳川家康が再建するも一国一城令に伴い廃城となる。現在は「伏見桃山城キャッスルランド」の跡地になっており、模擬天守などが遺されている。
<アクセス>
JR桃山駅 徒歩15分
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2024/12/24 09:22
今年やり残した事(ああ壮烈岩屋城へ(1/3)) (2024/12/20 訪問)
お城EXPOずいぶん盛り上がったようですね。城びとスタッフの皆様お疲れさまでした。1度は行ってみたいと思いつつも横浜はやはり遠い🤔。でも皆さんの満喫したレポートで楽しませて頂きました😊。
先月11月イノシシ出没のため自然遊歩道からの登城を断念した岩屋城。何か今年やり残した感じがあり、イノシシもやっと冬眠したようなので、リベンジで登城してきました。最近は膝に少し不安があったので、今回はじっくりゆっくり登ってみました。すると今まで気づかなかった新たな発見もあり新鮮な気分で登れました。なのですいませんが3回に分けて投稿させていただきます。
今回も西鉄都府楼駅から大宰府政庁までの「さいふまいり」の道を歩き(15分)、政庁前のコンビニでおにぎりとお茶を買ってからスタートです(写真①②)。
大宰府市民の森から入り、最初は舗装されていますが意外とここは傾斜のある道です。案内板が新しくなっていました(写真③)。春の森(桜が多い)と秋の森(紅葉が多い)と道が二つあります。そこに何と前回お伝えした、小弐経資・景資の父「小弐資能」の墓があると書いてあるのを見つけ、初めて知ったのでまずちょっと寄道して、それから秋の森を20分程歩きました(写真④)。おそらくこの墓の場所にかつては館があり、元寇当時の太宰小弐であった父の資能は、ここで元の大軍が来た事を知らされたのではないでしょうか?(写真⑤⑥⑦)。
そして市民の森のいちばん上(登山口)までたどり着くと、また新たな発見が! ここには石垣と建物跡のような空間がありました。おそらくこれは大手門(番所)があったのではないでしょうか。ちょうど政庁から大手道へ入る場所なので、城に出入りする者をここでチェックしていたと思われます(城へ登る家臣の休憩所も兼ねていたのかもしれません)。
ではここから登山道に入ります(2/3へ続く)。
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2024/12/24 09:16
元城町東照宮 (2024/12/14 訪問)
天守を見学後、まず天守門の手前まで行って浜松城の100名城をスタンプ帳に押印。それからコンビニのイートインスペースにて昼飯…昼休憩の最中…「家康がボロ負けした三方ヶ原の古戦場に行こうと予定してたけど…天守門に東照宮という存在をここに来てから知った」
熟考した結果…「三方ヶ原は止めよう。ここから少し離れてるし城から現地まで直通のバスがあるかも分からないし」「その代わりこの城見学に専念。天守以外の施設を可能な限り抑える。その方が安定した1日を過ごせるだろう」
という方向性に…🚶♂️ 天守門は中に入ると思ったより規模は小さく、石落とし(1枚目)がありました。敵が攻めてきた時にこの床板を開けて石を落とすなどして迎撃🪨
ビデオ上映があり、この天守門を再建した際の作業工程が紹介されてました。椅子が何個か置いてあったのでそこで小休憩も兼ねて視聴
天守門の瓦(2枚目)…この辺りを発掘した際に出土した瓦も展示されてました。天守門の屋根には鯱瓦や軒瓦などの瓦が使用されており、建物は解体されても…その残骸までは徹底して撤去されないみたいで、当時の様子が伺える品々が地中に埋まって残るものなんですね
城の記念メダル販売機…こういう天守の存在する規模の大きな城ではありがちかとは思うのですが(小田原城、広島城などにもある)、気分的に買いたくなったので1枚購入🪙 刻印機で名前と日付も彫ってもらいました
天守門を訪れる前に…昼飯直後に元城町東照宮を参拝⛩️ 東照宮がここにもある事は…何とこの日初めて知りました。城内の案内板に「元城前東照宮◯m」という表示があり、「ここにもあるのか東照宮!ならば後で行ってみよう🫢」という気分になったから
少し迷いましたが何とか到着🚶♂️ まず(3枚目の)本堂で参拝しました。賽銭箱に投げたお金が弾かれて外に落ちてしまい、手を伸ばして今度はそっと投入…すると今度はちゃんと箱内に入りました。他にも外に落ちてるお金が何枚かあったので…全部入れてあげました🪙
境内には秀吉(右)と家康(左)の銅像(4枚目)がありました。この東照宮はかつて引間城というものがあった場所。天文二十年(1551年)に尾張を出た農民の秀吉が今川の居城であるこの城を訪れて松下氏に仕えた…という案内板のエピソードを読んで…
「そう言えば秀吉の偉人マンガ読んだ時そんな話あったわ…秀吉は気が利くというか主が求めてるものを瞬時に察知する…場の空気を読める能力に長けていたので松下氏からたいそう気に入られたが、それが他の家来の反発を招き「今度あいつ(若き秀吉)を懲らしめてやろう」と陰口叩いてるのを耳にした松下氏は…「あいつばかり贔屓しすぎたか…」と考えて、秀吉に金だけ渡して「ここを去れ…これ以上は何も聞くな😌」と告げる」
「秀吉は瞬時に「ああ俺…他の家来から妬まれてるのね…それで殿は大事に至らないうちに俺を逃がそうと…今までお世話になりました…このご恩は一生忘れません😭」と呟いて城を去る。その後天下人になった秀吉は松下氏を探し出して笑顔で彼をもてなし、恩返しをする事ができた…という心温まる話
他方で元亀元年(1570年)に今川から独立した家康は遠江を平定した際にこの地に住み、(引間(引く馬)というニュアンスの名前は縁起が悪いので)浜松に地名を変更したそう。そういう話の関係で2人が銅像になって祀られてる
銅像見てもう一つ思った事は…「秀吉幼くね?数え年で16歳…今の年齢で中学3年としても…これでは10歳くらいにしか見えない🧒」「絶対これ製作者のミスでしょ🤣」「いくら昔の人間は栄養が不足しがち…中でも秀吉は身長が140cmほどしかなかったそう…とは言ってもこれはねえ😅」「期待に胸膨らませてる天真爛漫な少年…という感じはするけどさ」ですね
東照宮は御朱印こそ存在するものの受付日が限定されており、残念ながらこの日は対象外でした…境内を後にして坂を下ると偶然…引間城の御城印受付所を見つけました。2種類あり、「徳川家康公ゆかりの地」を選びました(5枚目右)
浜松城のは天守で既に購入していたのでその隣に…御城印帳におさめました(5枚目左)。城公園には他にも大河ドラマ館跡…日本庭園…美術館もあり、それらはついでにざっと眺める程度に見学しました
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2024/12/24 06:17
お城EXPO2024翌日の攻城 (2024/12/23 訪問)
12月22日にお城EXPOに参戦した後、羽田から沖縄へと飛びました。目的は城びと登録の沖縄物件のコンプリートと城カードのゲットですが、まずはオードブルとして三重城へ。吉川弘文館の「沖縄の名城を歩く」では御物グスク、屋良座森グスクとセットで掲載されています。とはいっても御物グスク、屋良座森グスクとも米軍基地の敷地内なので遠望するしかありません。屋良座森グスクは米軍の軍港建設で完全に破壊されてしまっていますが、御物グスクはかろうじてその姿をとどめています。国場川に架かる明治橋の上から御物グスクを望んでみました。
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2024/12/23 21:49
塩津城 (2024/12/01 訪問)
【塩津城】
<駐車場他>道の駅あぢかまの里に駐車しました。城跡東側の道路<35.523677, 136.166036>に退避所2台分があります。
<交通手段>車
<見所>空堀・曲輪
<感想>日帰り湖北陣城攻め旅1城目。塩津城は鎌倉時代に熊谷直高が築城したとされます。現地の城跡を見て遺構の感じから鎌倉時代に打ち捨てられているのではなく、戦国期に改変、使われていたように思いました。
城跡は上記の道路から皆が入ったために金網が下がっている場所から簡単に入れます。上記の道路がかつての堀切だったようで、東側からの山脈の突き出た尾根に堀切を設けて全体を城としたようです。東側以外の方向に段曲輪を無数に設けて麓から全体に高い切岸で削っているので麓から山に取り付くのは難しい。また現在は周囲は畑になっていますが、かつては湿地帯だったようにも感じました。
山頂の主要部は主郭の東側に南北に大きい空堀が縦断しています。空堀の東側が副郭になっています。主郭は中程度の広さで、東の空堀側に沿って土塁が南北に真っすぐあります。多聞櫓でも建ってたような雰囲気があります。主郭から西側へ向かっては綺麗に曲輪が3段連段となって落ちています。城跡の南側一帯が竹の倒竹で散策があまりできないですが、丘陵地全体の曲輪がよく残っていて見応えがありました。
<満足度>◆◆◇
<周辺観光>朝7時前の夜明け頃に高島市のマキノ町メタセコイア並木をみてから登城しました。ここから一番近いのは城びと登録城の田屋城ですが昨年田屋城に行った時、今年行こうと思っていました。朝早くにもかかわらず車は満車ぎみでした。日中国道303号まで渋滞でした。
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2024/12/23 17:59
2024/12/23 12:27
【遠江 初山宝林寺】静岡県浜松市 近藤家菩提寺 (2024/11/28 訪問)
細江町みをつくし文化センター、堀川城、気賀関所を往復の国道362号線沿いに気賀・金指近藤家の菩提寺「初山宝林寺」が在り、丁度特別公開展示中の案内で帰路久しぶりに寄りました。
住所:静岡県浜松市浜名区細江町中川65-2
駐車場:宝林寺東麓にアスファルト参拝者舗装駐車場有り、トイレは拝観料(400円)受付所に在り。
宝林寺は井伊谷三人衆の一人近藤家の菩提寺(金指近藤家、気賀近藤家)です、家康公遠州に侵攻の折り協力した近藤家、井伊直政配下に成りましたが独立して大名に取立て、江戸初期には数家に分かれて交代寄合旗本として気賀、金指を治めていました。寛文4年(1664年)旗本金指近藤家2代目当主貞用の招きで、黄檗宗の祖隠元禅師と共に明国より来日した独湛禅師によって開創された黄檗宗の寺院です。
中心に国指定重要文化財の仏殿、釈迦三尊像・24天善神立像が祀られている。その裏に石垣と白土塀・内門に守られて国指定重要文化財の方丈が在ります、今回の特別展は方丈で有りました。仏殿の東に報恩堂が在り宗祖隠元禅師、開祖近藤貞用の報徳の堂、近藤家代々の位牌安置されてる。方丈の裏手は山裾を利用した庭園、石仏五如来、西隣には金運上昇のご利益があるという?金鳴石と阿弥陀三石仏像が在ります。
山門は県指定文化財で国道362号線北側石階段を登った所に在ります。
奥浜名湖 湖北五山として
①初山宝林寺、近藤家菩提寺
②龍潭寺、井伊家菩提寺
③方広寺
④摩訶耶寺
⑤大福寺
が有名です。
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2024/12/23 08:36
日本100名城かるたワークショップ (2024/12/21 訪問)
お城EXPO 2024に参城しました。お目当てはもちろん日本100名城かるたワークショップです。当日は仕事が入っていたので、行きたいのは山々だけどやっぱり無理かな…と半ば諦めていましたが、3日前に城びと編集部の「皆さまと一緒に、かるた晴れの舞台を喜び合いたいです」の言葉で心に火が点きました。かるた大会は来年以降も開催されるとしても、かるたの発売を喜び合うのは今年しかない! 絵札も読み札も思いのほかたくさん採用いただいていながら、晴れの舞台を知らんぷりするわけにはいきません!!
…ということで、朝イチで仕事先に顔だけは出して、どうしても外せない用件(かるたです(笑))が…と早々に抜け出して新幹線で横浜へ。これでワークショップの整理券が取れなかったらシャレにならんぞ、との懸念もありましたが、無事7番を確保。ひと安心したところで、まずは腹ごしらえにアネックスホールで昼食(横浜といえば崎陽軒のシウマイ弁当)を摂り、ワークショップの時間まで9年目にして初登城のお城EXPOを観て回りました。関西での出張版や特別版には参城していますが、さすがは本家本元、規模が圧倒的ですね。入念に下調べしても時間の使い方に頭を悩ますところでしょうが、前日まで休む分の仕事の穴埋めに追われていたので、全く下調べなしのぶっつけ本番、実に効率の悪い回り方になってしまいました。
城めぐり観光情報ゾーンでは、関西でのイベントでは見かけない関東の城のブースが多い(当たり前)のが印象的でした。遠征先ではどうしても(続)100名城メインになってしまいますが、いつか行ける日のために資料だけはたくさんいただきました。福山城天守北面鉄板や九鬼嘉隆の鉄甲船の模型など興味深い展示も多く、時間があればじっくり見て回りたいところですが…。定番の(続)100名城パネル展はアネックスホールでしたが、観光情報ゾーンではヨーロッパ100名城のパネルが展示されていました。興味はあるものの、(続)100名城もまだまだなのにヨーロッパなんてとても考えられないな…。公式お城グッズ売場では香川元太郎先生を偲んで特設コーナーが設けられていました。観光情報ゾーンの展示にも受け取る資料にもいたるところに香川先生のイラストが用いられていて、改めて香川先生の足跡の偉大さと失われたものの巨大さに呆然とさせられます…。日本100名城かるたのコーナーも設けられていて、幾人もの人がサンプルを眺めているのを見かけました(買って~)。
2Fに上がるとニッポン城めぐりブースの手裏剣で亀寿を射止め、3Fでは「城の自由研究コンテスト」優秀作品のレベルの高さに驚愕し(年少ながらもいっぱしの研究者だ…)、フォトコンテストには城びとでお見掛けする名前があったり、企画展示「城郭からみる日本遺産」では行ったことのある城(土丸・雨山城)の展示などもあってなかなか興味深い内容でした。4Fの城ラマ展は長篠の戦いや上田城の戦いなど「籠城戦を戦い抜いた城」の展示、「自選余湖図30選」では余湖さんが受付に座っていたので、「いつも参考にさせてもらってます」と一言お礼を言いたいところでしたが、他の方とお話中だったため断念して次へ。シン・忍者展では忍び足体験(早々に御用だ!)や手裏剣投げ(まずまずの的中率)、奪口クイズ(全問正解!)などの忍術修行を体験しました。
そうこうするうちに時間になったので、いよいよ本題の日本100名城かるたワークショップへ。この中に城びと常連の皆さんもいるんだろうけど、全員初対面だからなぁ…などと考えていると、スタッフと挨拶を交わす男性の姿が。朝田 辰兵衛さん? と思いながら様子を窺っていると隣席の女性と談笑しています。にのまるさん? チェブさん? 加藤理文先生の解説が始まり、画面に表示された城名をその男性が答えた時に「私の投稿なので」との発言があり、やっぱり朝田さんだ! と確信。解説に続いてお試しかるた取りに移る際にお声がけすると、はたして朝田さんであり、隣席の女性はチェブさんでした。チェブさん、ちょうど一年前にはかるた絡みでとち狂ったことを口走ってしまい大変失礼いたしました。
そしてお二人と同じグループでかるた取り開始。飛騨高山ツアーでのかるた大会に向けて絵札・読み札ともに二回ずつチェックしてあった私に対し、お二人を含む他の方は初見だったようですが、結果は朝田さんが10枚獲得で1位、私は6枚で2位でした。完敗です…。でも、勝ち負けよりも、城好き同士でわいわいとかるたをするのは想像通り、いや想像以上に楽しく、城びとでのレポート用に「かるたに興じる参加者」の写真を撮るつもりが、撮るのを忘れるほど私自身がかるたに興じてしまいました(それでもせめて一枚くらい撮っておけよ…)。
日本100名城かるたの企画が立ち上がった時から、これは面白そうだ、ぜひ欲しいと思って投稿もすれば応援もしてきましたが、こうしてめでたく商品化され、お試しとはいえかるた大会にも参加できて、まさに感無量です! その上、この機会に朝田さんとチェブさんにお目にかかることができましたし、行かずに後悔するくらいなら行って後悔するほうが良い、という思いで横浜行きを決めましたが、後悔どころか大満足のお城EXPOでした。うだうだと迷っていた背中を押して下さった城びと編集部の投稿には感謝しかありません。ありがとうございました。ワークショップに参加されていたにのまるさんにご挨拶できなかったのは残念ですが、来年のお城EXPOでは日本城郭協会主催でかるた大会が開催されるようですし、またの機会を楽しみにしております。そして、来年はどういう口実で仕事を休んだものか考えつつ、新幹線で帰途につきました。ああ、楽しかった…。
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2024/12/23 06:54
旅立ち前の参戦 (2024/12/22 訪問)
今年は仕事納めが異様に早かったため、お城EXPOに参戦してから旅立つという年末の予定となりました。荷物になってしまうので100名城かるたは送料を支払って事前に購入しましたし、いつも無節操にもらいまくるパンフレット類もかなりセーブしたつもりです。厳選プログラムは昇太師匠と加藤先生のトーク。もやもやがキーワードでしたが、城びと未登録のチャシが数多く登場して大変そそられる内容でした。来年のトークも今から楽しみです。
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2024/12/22 20:45
弾痕が歴史を伝える鹿児島城 (2024/11/08 訪問)
11月の屋久島観光の際に訪問した鹿児島県鹿児島市の鹿児島城。
鹿児島港を擁する鹿児島湾西岸。
稲荷川と甲突川の河口部の標高107mの城山とその東麓に築かれた城。
南北朝時代の上山氏の山城をもとに、1600年の関ヶ原の後に島津義弘から家督を継いだ家久が築城。
幕末までの島津氏12代の居城となりました。
現在、堀と石垣が残る本丸は歴史の展示・研究施設となり、2020年に御楼門を復元。二之丸には図書館や美術館などが建ち、御厩は病院に、城山はホテルと公園に変貌。
実際に訪れると、本丸と御厩南東面の石垣は一直線で壮観。
枡形の御楼門以外は非常にシンプルな城ですが、石垣に残る弾痕は西南戦争の歴史を伝えるもの。図書館と美術館の石垣にも似た凹みがありましたが、これも当時のものでしょうか。
大手口から登った城山も要塞感は薄いものの、二之丸曲輪の3面に分厚い土塁が存在。
周辺観光や休息を挟みつつ、滞在時間は約4時間。
薩摩藩77万石の鹿児島城が、私の城郭巡りの188城目となりました。
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2024/12/22 17:59
躑躅ヶ崎館 (2024/12/22 訪問)
躑躅ヶ崎館跡に行ってきました。
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2024/12/22 17:56
甲府城 (2024/12/22 訪問)
甲府城跡に行ってきました。
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2024/12/22 16:38
空城の計 (2024/12/14 訪問)
(HP)https://www.entetsuassist-dms.com/hamamatsu-jyo/
浜松駅からバスで10分…もしくは遠州鉄道で遠州病院下車そこから徒歩10-15分の場所にある浜松城🏯 城の面積はかなり広くて入口から天守まで辿り着くのにも10分ほどかかったかな🚶♂️
城を訪れる場合…優先すべきは御城印&(対象地なら)100名城スタンプ…それは本丸に設置されてることが多いので、どうしてもそこから巡ったほうが効率としては好ましい
なのでまず本丸の天守へ(1枚目)🏯 これは昭和中期に再建されたものであり、かつて建っていたものは、この1.5倍の大きさがあったそうです。今は三層からなる造り
入城してすぐの場所に三方ヶ原で奮戦するも惨敗して、命からがら逃げ出した家康の紹介(2枚目)がされてました。この時…30歳(数え歳で31)…実年齢以上の見た目を感じたのは気のせいでしょうか?😅
領内の城が次々と落とされ、浜松城にて戦々恐々と待ち構える徳川軍。しかし武田軍はそこを素通りして西進🐎 「領内を素通りする敵を黙って見過ごす臆病者と見做されては末代までの恥😡」と感じた家康は追撃して三方ヶ原で武田軍に遭遇
地形的に有利と踏んでここまで来た家康一行。しかし武田軍はそれを読んでおり万全の布陣で待ち構えていた…懸命に戦うも味方の武将が次々に討ち取られ命からがら撤退(その最中ウ◯コ漏らした説もある🏇💩🤣)
敵兵に迫られて絶体絶命…そこで家康はワザと城門を開けさせて…「一見すると攻めるには絶好の好機…けれどうますぎる…もしかしたら罠があるのではないか?😓」と敵に思わせるハッタリをおこなう
これは三國志において蜀軍が馬謖の作戦ミスにより大敗して、敗走中に追いつかれた時…諸葛亮がとった策(空城の計)。魏軍の司馬懿はそれを見て深読みしたがために手を出さずに撤退を命じ、蜀軍は九死に一生を得た…
諸葛亮と家康が生きた時代には1300年ほどのブランクがありますが、家康は吾妻鏡といった歴史書を愛読していたそうなので、おそらく古代中国の兵法書も読んでいて…空城の計も知っていたのでしょう
けれど「もしも相手が脳筋タイプでチャンスとばかりにそのまま攻めてきたら…」という不安が頭をよぎると、読みが外れた場合のリスクがデカすぎるので、そう簡単にこの作戦はとれません。もしもそうなっていたらここで家康は戦死…江戸幕府の設立も無かったのは濃厚なので、彼は強運の持ち主でもあった…と思えてきますね😮
2階に上がると、浜松城と周辺のジオラマ…城の変遷が映像で紹介されてました(3枚目)。それを見て初めて知ったのは…家康が城主の頃…三方ヶ原の戦いの時点での城の造りは…木造の館が幾つかあるだけの…地味な造りだったという事です🏠
その後秀吉の天下統一により家康が関東に移動させられると…次の城主は城を大改築。現在あるものより規模の大きい天守が誕生し、二の丸に櫓も整備されて現在のような敷地面積の大きい城になったそうです
2階にはその他にも…城から出土した茶碗や屋根の破片…脇差に火縄銃が展示されてました。そして昭和中期に天守が再建された時に関するものが順路の終わりに(4枚目)
再建の際には結成同盟会が作られてその活動の中心的存在に…設計図も多数寄せられておりそれも何枚か展示されてました。けれと数が多ければそれだけ設計図も多様になる…ボツになったものも多数あり、採用された設計図のもと今の天守が造られた🏯
ちなみにここにはかつて…ロープウェイや動物園が設けられていたそうです🚡🐘 当時のモノクロ写真にその時の様子が紹介されており…古き良き昭和の香りがしました。しかし時代の流れで両方とも現在は無い
3階は展望室になっており市内を一望することができました。そこにいたガイドが…「総工費は1400万円…そのうち900万が市民からの寄付金」「1400万と言っても昭和中頃の金額…今(令和6年)ならその金額では造れない😅」「ちなみに天守門(天守の手前にある門)が平成になって再建されてるが、その総工費が1億💸」と語ってました
門だけでも1億…なのですから、天守は(令和の金額にすると)10億ではないでしょうか?そして江戸期のより小さい現在の天守ですが…もしかしたら予算的にそのコンパクトサイズしか造れなかった?
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2024/12/22 16:29
!!!!!!の1日。 (2024/12/21 訪問)
健康診断の結果が悪く、前週の金曜日に再検査。入院する用意をしてきてくださいと、看護師さんからの諸注意に、お城EXPOには行けないかも、意気消沈で過ごしてました。すぐに結果は大丈夫だと分かり、その瞬間からお城EXPOでカルタ大会のシュミレーション。城びとオールスターの方々にお会いしたら、あれを伝えよう、これも伝えようと、テンションが舞い上がってしまいました。
当日券を購入。12時30分に着陣。カルタの整理券には早かったので、グッズ売場でカルタを手にした時は感動しました。
1時になり整理券の列に並びました。(8番だと思っていましたが9番でした。)
整理券をもらったら一安心。ブースを周ります。私は『城の自由研究コンテスト』が好きで、研究発表を手に取り読ませていただきました。その後、ご逝去された 香川元太郎先生の本を購入しにグッズ売場へ。
カルタを忘れ、迷路絵本に引き込まれていました。(お城復元イラストじゃないんかーい。)
と、カルタ大会10分前になり会場へ。
朝田 辰兵衛さんとご挨拶ができ、言いたかった事が嬉しくて空回りしてしまいました。
加藤先生のカルタの解説は楽しく、会場が和やか。意外にも子供武将の方々が、お城に詳しくビックリしました。
さーカルタだと、席を移動すると、イオさんがお声がけしてくれて、嬉しいのなんの、声が大きくなってしまいました。
一晩経ち、先ほど『みんなの投稿』を見たら、にのまるさをんもいらっしゃっていたなんて。お話したかったです。
私、圧が強めだから、声もかけずらいですよね。
最後になりましたが、城びとスタッフの皆様、ありがとうございました。
お城を通じて、たくさんの方々と繋がれた事に、感謝しかありません。
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2024/12/22 14:24
中津城探訪 (2024/12/06 訪問)
日本三水城で有名な中津城を訪問しました。黒田氏が築城し細川氏、小笠原氏、奥平氏と城主が変遷しながら、明治を迎えたとのこと。
アクセスは自動車で、無料の中津城第一駐車場が城内にあります。
天守は5重5階の模擬天守で、内部は奥平家歴史資料館となっています。最上階からは眺望が良く、中津川、その奥に周防灘を臨むことができます。
天守北側の本丸石垣には黒田時代、細川時代の石垣を見ることができます。
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2024/12/22 12:14
2024/12/22 11:47
【遠江 気賀関所】静岡県浜松市 姫街道の関所 (2024/11/28 訪問)
気賀関所は東海道の三大関所の一つ、気賀を治めていた旗本近藤家が関守を拝命していた。平成元年(1989年)に復元再建された。
住所:静岡県浜松市浜名区細江町気賀4577
駐車場:みをつくし文化センター駐車場他隣接の駐車場が有ります。
来年1月に開催の小和田先生講演会チケットを購入時、隣接の気賀関所にチョット寄りました、7年前のNHK大河ドラマ女城主直虎の放映時みをつくし文化センターでドラマ館が設けられ観覧した以来の気賀関所となります。
入所料は大人150円、70歳以上は無料。
東口に松並木が有り冠木門を通り、本番所、人形が置かれて当時の関所を表しています、向番所は女改めて、牢屋が設置、南東角に東見番所も有り二階建ての物見櫓、西口は町木戸門で気賀の宿場と接していた。
南に細江警察署、東にはみをつくし文化センター、旧細江町役場で現在は浜名区の行政センターが在ります。
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2024/12/22 07:25
2024/12/22 07:21
是非行ってください (2024/12/21 訪問)
今年初めてお城EXPOに行きました。小牧長久手の合戦、という一つのテーマをじっくり紐解いて行く試みが魅力的でした。最終的にナイトプログラムの中で四人の先生達によるディスカッションで、肩の力を抜いた楽しいトークでまとめ上げられました。先生方のお城に対する熱意が直接に伝わってきて、大いに刺激を受けました。横浜まで足を運んで本当に良かった!この時期は夜のイルミネーションも素敵です。行った事ないか方は来年是非行ってみてください。
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2024/12/22 00:01
かるた大会 (2024/12/21 訪問)
本日、予定通り横浜に行ってきました。
最大の心配ごとであったかるたワークショップの整理券を無事ゲット、15:30の開始時間までは主に1Fのブースをまわりました。それぞれのお城の最新情報を直接いただけ、とてもありがたかったです。
15:30からのワークショップは加藤理文先生の解説のあと、グループに分かれてかるた大会。ついにこの日を迎えることができたと感慨深かったです。
読み札、絵札、商品化への進捗をずっと追ってきたものの、事前購入をしていなかったので現物を見るのは初めて。本気モードで戦いに挑みましたが、自信を持って答えられるものは少なく、まだまだだなーと思った次第です。
でもすごく楽しくてあっという間に時間が過ぎてしまいました。遊び方もくふう次第でいろいろできそうですし、お城の知識も得られて、完成にこぎつけていただいたスタッフの方々には心から感謝申し上げます。
そして、同じグループで遊んでくださったみなさま、ありがとうございました。
会場にいらしたはずの城びとのみなさま、どなたがどなたなのか知るすべもなく、小心者ゆえ勘でお声かけする勇気もなくて、ご挨拶できずに失礼いたしました。
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