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冬の外堀散歩 (2024/12/21 訪問)

 外堀通りを歩いて外堀を観て来ました。この外堀の風景は好きで、時間があれば散策しています。夏に来た時より冬の方が、葉が落ちたりしているためよく観えます。石垣や土塁も一部残っています。前に投稿したときも書きましたが、昔は名鉄瀬戸線が堀の中を走っていました。その名残も観ることができます。

 昼食は地下鉄名古屋城駅から徒歩約5分の場所にある鰻木屋さんでうな重(竹)をいただきました。

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冬の名古屋城散歩 (2024/12/21 訪問)

 今年だけで3回目の登城です。地理的にも登城しやすい場所にあり、最近では機会があれば散歩に来るようになりました。天候は曇りでしたが、思ったより寒くはなくそれなりに冬の名古屋城を楽しく散策してきました。今回は地下鉄名古屋城駅から有料の本丸、二の丸、西の丸、御深井丸を散策した後、西北の水堀周囲をぐるりと回り、東大手から外堀通りへ出て、西の堀川近くを北に進み、金シャチ横丁エリア義直ゾーン北を通り大手二之門からドルフィンズアリーナ近くを抜けて名古屋城駅に帰って来ました。見学には葉も落ちて建造物や遺構が見やすい今がいいと思っています。土曜日でしたが、朝早かったこともあり見学者も少なかったので、久しぶりに本丸御殿も見学しました。ただ時間と共に観光客は増えてきました。
 公儀普請の城だけあって石垣、堀は見応えがあります。東南隅櫓(辰巳櫓)、西南隅櫓(未申櫓)、西北隅櫓(戌亥櫓・清州櫓)が現存しています。昭和の初期には本丸には東北隅櫓もあったようですが、空襲で焼失しました。土台の石垣が残っています。
 今回は堀の中に2頭の鹿を確認できました。母と娘ですね。もう高齢だと思いますが、元気でいるところを見るとほっこりします。


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シャンシャン

田屋城跡(広島県安芸高田市) (2024/12/20 訪問)

ほぼ獣道に近い山道を登ると現れる城跡。
かつて建物が建っていた石積みの区画や川沿いの石垣がよく残っている。
山の中にある苔むした石垣はちょっとラピュタの世界を思わせる。
井戸跡もあるみたいだけど発見できず(^^;

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シャンシャン

北田城跡(広島県広島市安佐北区) (2024/12/20 訪問)

小規模な山城跡ながら見どころはいっぱい。
大きな堀切や郭もよく残ってて、わずかながら石積みも確認できた!

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WEST

大分府内城探訪 (2024/12/05 訪問)

大分市内の府内城を訪問しました。築城は戦国時代に福原氏が、その後竹中氏が引き継いだとのこと。当時は天守をはじめ23の櫓と5つの門がありましたが、残念ながら現存する櫓は宗門櫓と人質櫓の2基だそうです。
現在は大分城址公園としていくつかの櫓や大手門や廊下橋が再建・整備され、見どころの多いお城です。大分駅からも近いのが嬉しいです。
内堀を挟んでまず目に入るのは土塀と櫓の数々です。次に大手門を入ると奥に天守台及び本丸櫓台が見えます。天守台跡は登ることができ、上からは全体を見渡せることができます。近代建築の建物とお城の櫓類の対比が市街地のお城らしさを表していますね。
なお、廊下橋から出た松栄神社の敷地内に築城時の慶長期の石垣の遺構を見ることできます。櫓や石垣を見ながら城外を一周しても小一時間で散策できますよ。

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城好きのメガネ

「龍野城」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★☆
龍野城は戦国時代には名門・赤松氏の支配にあった。羽柴秀吉が入ってからは羽柴家子飼いの武将や池田・本多・小笠原・京極と次々に領主が変わり、1672年に脇阪氏が入り廃藩置県まで治める。現在、石垣が遺されている。

<アクセス>
JR本竜野駅 徒歩25分

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カズサン

【遠江 堀川城】静岡県浜松市 家康唯一の撫で切りの城 (2024/11/28 訪問)

 来年令和7年1月19日浜松市細江町「みをつくし文化センター」で小和田哲男教授の「堀川城の戦い ~家康には珍しい皆殺し作戦~」と題して講演が有り、チケット販売も開始されたので、みをつくし文化センターへ出向き購入、近くでも在り久しぶりに寄って来ました。

 住所:静岡県浜松市浜名区細江町気賀、近くの細江警察署南西に約400m程
 駐車場:堀川城址小公園前に縦列幅寄せ2台は可能、私はみをつくし文化センター駐車場利用で徒歩

 先のNHK大河ドラマ「女城主直虎」でも放映されていました堀川城合戦、チョット悲惨ですが家康唯一の撫で切りの戦として伝わっています、城址は浜名湖、都田川の湖岸河岸でしたので跡地は良く分からず「伝堀川城址・古戦場」として小公園整備されて石碑、首塚、伝堀川城跡解説板、堀川城の戦い解説板が建立設置されています。周りは干拓された田圃で囲まれています。
 歴史は投稿の写真でご確認ください。

 近くには気賀関所、うなぎで有名な清水家があります(気賀関所より東に600m程)。
 

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todo94

【城びと未登録物件】淡路由良城 (2024/12/08 訪問)

せっかく成ヶ島に渡ったので、高崎台場に石垣の石が転用されたという由良城にも足を伸ばしてみることにしました。表示は何もありませんでしたが、遊歩道から分け入ってグーグルマップのポイント辺りを目指してみました。なんとなく、城の雰囲気だけは感じることができました。綺麗な公園として整備されている辺りまで城(成山城)と言ってよいようですが、遺構は残っていないようです。

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朝田 辰兵衛

明日,パシフィコ横浜に向かいます🚊 (2024/11/04 訪問)

⛄越後は明日8:00台から冬型の予報です…。なるべく早く家を出る予定ですが,公共交通が乱れると13:00に間に合わなくなる可能性があります。先着40名は,秒で埋まったりして…。城びとブースがないということは,先着40名に入らないと「日本100名城かるた」は購入できないということかな…❓
昨年ぶりに城びとスタッフのみなさんにもお会いしたいし,城びとオールスターの方々ともお会いできるのを楽しみにしております。
そして,サタデーナイトプログラムのチケットも取れましたので,お祭り気分を満喫したいです。
投稿を拝見すると,にのまるさんとお会いできる可能性が高いですネ。以前より「勝負だ!」と言われていたのを忘れておりません。勝負パンツを履いていきたいと思います…<爆笑>。

赤い城さん,POYO58さん,畝状竪堀撮影のレス,ありがとうございましたm(__)m
ホント,城それぞれに規模が違いますので,難渋します。さらに,浄福寺城もそうでしたが,逆光を避けるため,撮影方向が限定されます。あまりに喜び過ぎて接写することが多かったので,浄福寺城では引き気味で撮ってみたのですが,迫力に欠けてしまいました…。
その点,POYO58さんの市場城は,絶妙だったと思います。

さて,小田野城ですが,小田野トンネルの真上です。最寄りのバス停は,タウン入口。観栖寺台公園にパネルがあり,進入できます。また,南側の団地からも進入経路がありました。お好きなほうでどうぞ。
これで,東京都のお城の残りは全て23区内に限られました。
また,攻城数が「664城」となり,にのまるさんに並んでEXPOを迎えることとなりました。
「勝負だ!」

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しんちゃん

御免那須って (2024/09/18 訪問)

神田城は天治2年(1125)に那須氏の祖、藤原資家(須藤貞信)によって築かれ、以後4代に渡って須藤氏(那須氏)の居城として使われたようです。屋島の合戦で扇の的を射落とした那須与一宗隆は嘉応元年(1169)に那須資隆の11男として、この地で生まれたとされています。主郭は畑地になっており、土塁の上にある社に続く道から眺めるだけです。普段は史跡保護のため郭から土塁を眺めているので(登るときもある)あべこべで、ちょっと面白い。正門は南辺中央に設けられ、大手門は東辺に付いているようです。

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城好きのメガネ

「柏原陣屋」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>
柏原陣屋は、織田信長の弟・織田信包が立藩したが3代続いて断絶。一時、天領となったが、宇陀松山藩から織田信長の次男・織田信雄の孫・織田信休が陣屋を構え廃藩置県まで治める。現存、御殿・長屋門が遺る。隣接する「柏原歴史民俗資料館入場券」で陣屋跡も入場可能。柏原八幡宮・柏原藩主織田家廟所・織田神社など見どころは多い。

<アクセス>
JR柏原駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「三日月陣屋」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★☆
三日月藩は1697年、津山藩・森家の改易に伴い、初代・森長俊が当地に陣屋を構えたことが始まりとされる。廃藩置県まで森家9代175年続く。物見櫓・表門は三日月藩の現存建築物である。旧藩校・武家屋敷群など見どころも多い。

<アクセス>
JR三日月駅 徒歩15分

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todo94

淡路島の城びと登録物件コンプリート (2024/12/08 訪問)

成ヶ島に渡る前に由良要塞から高崎台場を俯瞰しようとしましたが、灌木が視界を遮ってしまっていました。気を取り直して渡船発着所へ。往復料金300円を支払うとすぐに成ヶ島に送っていただけます。帰りは電話を入れて迎えに来てもらうシステムです。車は桟橋に停めさせていただくことができます。渡船発着場から高崎台場までは淡路橋立と呼ばれる砂州を通って片道3km余。折角なので巨大なテトラポットを乗り越えて東海岸側の石垣も拝んでまいりました。

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赤い城

酔い覚ましに夜の福山城 (2024/12/07 訪問)

福山での忘年会、会場もホテルも駅近だったので散会後福山城を散歩。
ライトアップされ、天守や伏見櫓など夜空に映えていました。

少し前に小次郎さんがレポートされていたのでフォトが被りますがご容赦ください。

朝田さん、畝状竪堀のフォトは難しいですね。
そもそも範囲が広いので入り切らない、引くと凹凸が微妙ですし滑落の危険性もあるし。
次のレポートで出す予定の広島の鏡山城にも綺麗な畝状竪堀がありましたがフォトを後で見ると・・・。
POYO58さんの市場城、よく撮れていると思います。

もっと腕を磨こうと思うとともに人間の眼の性能の高さには感服してしまいます。

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天守無しがアツい

100名城スタンプの押印は慎重に (2024/12/13 訪問)

掛川城2回目の訪問となる今回は…御殿のみを記事化します(天守は前回記事にした&今回竹の丸は入ってないから)

前回は(大河ドラマで使用された)金箔ドクロを見たいがためにこの地を訪れた当時の私…しかしすでにそれは無く…悔しさと切ない心境を短歌にして募集箱に投函😂

今回はそういうのは無く、まず日本100名城のスタンプを押印しました。御殿の中央にそれはあり、家族3人が先客としてそれを押してました

彼らはスタンプ帳ではなく、他の用紙にそれを押していて…私も最初の頃は集印帖や余った紙に押していた…のですが、「100名城に行こう」の本を買ってからは、それに付属しているスタンプ帳に押すようになりましたね

ちなみにこのスタンプを押す時は…まず試し押し用の紙切れにそれを押して…問題ないと判断できたらスタンプ帳に本押ししてますね。何せ失敗は許されない…押し間違いしたら(上から紙でも貼らない限りは)修正できない作業ですから…😅

上下逆になってないか?インクが薄くなってないか?(前の客が押したばかりだとちょっと薄くなってる事もある)押す箇所間違えてないか?を念入りに確認してから…少し強めに…しっかりと押印…いつもそうしてます

100名城スタンプ押印という最優先事項をやり遂げ一安心した私は、御殿の奥にて城の概要を解説した展示パネルを撮影。それを1枚目の添付画像にしました

安土桃山期の天守を再現したジオラマがあり、まずはそれを撮影したのですが、その後に天守と御殿…両方を木材で再現したジオラマ(2枚目)を見つけてしまいました

天守の出来自体は(カラーという事もあり)前者の方がクオリティ高かったのですが、後者は御殿もセットで付いてる…1記事に添付する画像は5枚程度…というのが我がポリシーなので(惜しくもありましたが)前者を削除しました

ちなみに今年(2024年)は天守復元から30年…という事で30thのノボリが飾られてました。そう言えばあの天守…内部の木目が少し輝いていて新鮮味があるんですよね🏯 御殿の床や壁よりも明らかに色合いが若い

御殿見学の後に15分ほど天守に入ったのですが、その見た目若いは今回も衰えておらず、手入れが行き届いてるように感じました✨

歴代掛川城主の鎧が庭側の部屋に飾られており、こういうの見ると本能的に撮影したくなるようでパシャリ…📱(3枚目) 他の部屋ではどっかの学生?らしき団体が内部の測定をやってましたね。どういう目的でそれをしてるのかは不明…その邪魔をしないように…御殿内を30分ほどウロウロしました🚶‍♂️

様々な種類の御城印が飾られてる部屋(4枚目)。デザインを公募したところ…これだけの応募が来たそう。その中で左側の5作品が入賞…中には公式販売品になったものも…あるかもしれません(詳しくは御殿入口の売店にある御城印のメニュー表を見てください。私はそれを覚えきれなかったのではっきり言えない😅

ちなみに売店では御城印は買わずにメダルだけ書いました。御城印は…実は掛川観光協会(掛川駅ビル内にある施設)で他のと3枚セット(高天神城・横須賀城)で既に買っており(5枚目右)「これ以上買わなくていいかな」と思えたからです

買ったのは通常版…見た目はシンプルというか地味でもありますが、まだ持ってないものを…どの種類を買おうか迷ったら…スタンダード版を買うのが定石でしょ

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石垣など (2024/12/19 訪問)

 散策していると多くの石垣を観ることができます。追加で投稿させていただきます。
今回は大松山城など広範囲で散策しましたが、心残りは下太鼓の丸跡へ行けなかったこと、御城主であるさんじゅーろー様に会えなかったことですね。

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大松山城 (2024/12/19 訪問)

 天守閣方面からは水の手門跡を下りて道なりに進んで行くと案内標識があり迷わずに辿り着けます。
縄張り図通り本丸、二の丸、三の丸と二の丸と三の丸の間の堀切、井戸跡などを観ることができます。周囲には腰曲輪も確認できます。説明板には「本丸と二の丸の間にも堀切が存在した可能性が高くなっています」と記載がありました。今は埋まってしまってほぼ平坦になっています。登城路は比較的整備されていて散策しやすくなっています。以前備中松山城を訪れたときには時間の関係もあり断念したので、いつかは行きたいと思っていました。

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しんちゃん

聖天山歓喜院 斎藤別当実盛ゆかり (2024/05/05 訪問)

聖天山歓喜院は当地の庄司であった斎藤別当実盛公が本尊・妻沼聖天を治承三年(1179)に祀ったのが始まりとされています。本殿である「歓喜院聖天堂」は宝暦10年(1760)に再建され、非常に煌びやかな装飾が施され国宝に指定されています。
境内には実盛公の銅像が置かれ、春の穏やかな気候と相まって、これから死地に赴く前とは思えないほどの、穏やかで落ち着いた雰囲気を醸し出していました。

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水の手門跡より (2024/12/19 訪問)

 今回の目的のひとつは大松山城方面を散策することでした。水の手門跡から坂を下りて行くと橋がかかった堀切があります。進んで行くと番所跡、車井戸、相畑城戸跡、せいろうが壇跡などがありました。「せいろうが壇」というのは何かわかりませんでしたが、削平地となっていて曲輪の跡と思われます。岡山県古代吉備文化センターのHPには井桜ヶ壇の文字が使われていました。井桜ということは櫓でもあったのでしょうか。その後、天神社跡となっている天神の丸跡、大池から大松山吊り橋近くの切通および番所跡付近を散策しました。切通、番所跡には石垣も残っていました。こちらも登城路は整備されていて歩きやすいと思います。

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しんちゃん

平城でありながら、防御は堅い。 (2024/05/06 訪問)

菅谷館は源頼朝に仕えた御家人・畠山重忠の館跡とされています。長享2年(1488)菅谷原において山内上杉家と扇谷上杉家の合戦が行われ、山内上杉顕定方の太田資康(太田道灌嫡子)によって改修がされ、戦国時代の城郭として再興されました。
平城でありながら、堀や土塁で防御を固め、横矢がかりなどの仕掛けも充実した、高度な縄張りに仕上がっています。

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