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しんちゃん

油山寺 掛川城・移築大手二之門 (2022/12/03 訪問)

静岡県袋井市村松にある遠州三山の一つ、油山寺は紅葉の名所として知られ、眼の守護・眼病平癒の寺として信仰を集めています。
古くは行基による創建とされ、山門は万治2年(1659)に建立された掛川城の大手二之門を明治初期に移築したものと伝わっています。
他にも書院( 元禄12年(1699)建立)は横須賀城より移築されたものとされ 、方丈(宝暦14年(1764)建立)は浅羽代官所より移築されたものと伝わっています。書院・圃場・本堂は静岡県の有形文化財として指定を受け、三重塔は国の重要文化財に指定されています。
寺院を巡りながらも城郭建築物を楽しむことが出来ます。

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たか

鯉城! (2024/09/12 訪問)

わたしが若いころに転勤で広島に来た時に鯉城パーキングというところがあったのを思い出しました。
これは広島城の別名だったのですね。

仕事の関係上頑張って1時間程度しか無かったのがとても残念。
しっかりと石垣と土塁、水堀まで堪能できず。
そのうえ天守に入ってもお客さん多くて途中で御城印買って退散。
外国人の方が興味を持ってもらえたことはとても嬉しい。
でもわたしは自分時間ができない悲しさ(笑)
また時間を作って必ず行きます。
毛利家とても興味があるんで!

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しんちゃん

清見寺 徳川家康ゆかりの寺 (2022/01/01 訪問)

静岡市清水区興津清見寺町にある臨済宗の寺院・清見寺は今川氏と関わりの深い寺ですが、徳川家康公とも繋がりの有る寺です。
古くは奈良時代の創建とされ平安時代には天台宗の寺院でしたが、鎌倉時代より禅寺となり足利尊氏や今川氏の帰依を受けて繁栄したとのことです。幼いころの竹千代(徳川家康)が住職である太原雪斎より教えを受け、「家康公手習いの間」が残されています。武田氏が駿府に侵攻してきた際には今川氏真が本陣を置きますが、家臣の離反が相次いだため、戦わずして駿府城に撤退しています。
徳川家康も後に、小田原征伐や会津征伐、関ヶ原の合戦に向かう途上など度々立ち寄っています。交通の要衝といえる立地条件にありますが、家康公にとっても幼い日の思い出の残る当寺は特別な存在だったと思います。

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たか

広大な山城のあとに (2024/09/11 訪問)

大野城にしっかりと登城して大宰府との関連性を確認して行ってきました。
この部分的とはいえ土塁の凄さ!
そもそも今から約1350年前にこれだけの土木技術で建造されたかと思うと感嘆しかありません。

車で行くと狭い道の交差点なのでどこをどう行くのか悩みますが早めに行って資料館の駐車場に止めることをお勧めします。
スタンプは大野城と併せて心のふるさと館でゲットしました。

心のふるさと館の展示もとても興味深くぜひ皆さん行ってみてください。

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しんちゃん

けっこうすごい城址だったのでは (2024/05/03 訪問)

青ヶ台城は「青ヶ台」と呼ばれる丘陵上に築かれていました。今は住宅地となって面影はほぼ残っていないですが、住宅地の合間から断崖のような切岸が垣間見え、なかなか難攻不落な雰囲気を漂わせています。
ぐるぐる回っていると阿王ヶ台公園なるものがあり、ここは少し城址の雰囲気を感じさせてくれました。いかんせん訪問時間が遅かったので写真が暗いです。釜利谷赤坂公園は未訪問です。

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しんちゃん

片参り。 (2024/05/04 訪問)

平山季重居館は京王線・平山城址公園駅の前のロータリーの場所が居館跡とされ、案内板と石碑が立っています。駅名がヒントになっていたとは‥ 南に平山季重神社と平山城址公園があるようです。皆さんの投稿にもありますね。これは「片参り」になってしまったようです。「行った」は押させてもらいますが、いずれ再訪するとしましょう。

栃木と福島に行って来たのでお土産のラーメンがけっこうありますが、思ったより消費期限が短い。一月持たないんですね。
今屋は佐野ラーメンです、「べこ」たちが寄って来ました。うるさい「だるま」達まで来る前に早く食べてしまおう。

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拾荒山男

本丸丑寅櫓 (2024/09/20 訪問)

本丸丑寅櫓

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/09/21 訪問)

紀伊半島南部城廻で登城
※赤木城跡と共に登城
※城廻のほか熊野古道を歩いたり熊野三山詣と合わせた旅でした

新宮駅から城跡、スタンプ設置場所の歴史資料館、更には熊野三山の一つ速玉大社まで徒歩圏内です。(速玉大社は駅からバスでも行けます)



なお、今回は熊野三山、熊野古道散策も予定していたので、名古屋駅からJRの南紀熊野古道フリーきっぷ(中辺路コース)を利用しました。熊野市駅ー道の駅熊野九郎兵衛間の路線バスはフリー切符対象外ですが、名古屋から熊野市や新宮までのJR特急での往復運賃よりフリーきっぷの方が安価で、翌日、翌々日の熊野三山詣で、熊野古道中辺路散策のための交通手段すべてフリー切符範囲内でした

【本日の行程は以下の通り】
6:00東京(新幹線)、7:34,8:02名古屋(JR特急南紀1号)、11:13熊野市
11:25熊野市駅(路線バス:2番乗場(瀞流荘行))、12:10道の駅板屋九郞兵衛
 (道の駅内)続百名城スタンプ(10:00-17:00(平日16:00))
 ※道の駅で電動アシスト付レンタサクル(3H500円)、赤木城跡まで片道5.6km往路25分+復路20分
 赤木城跡散策60分

14:51道の駅(路線バス)、15:34,16:05熊野市(JR特急南紀5号)、16:24新宮 
 (駅徒歩8分)新宮市歴史民俗資料館(続百名城スタンプ9:00-17:00月休)
 (資料館徒歩10分)新宮城跡
18:30新宮駅前(路線バス)、19:07紀伊勝浦
 泊:紀伊勝浦駅付近

 ※翌日那智山、那智の滝、大門坂散策、更に本宮大社近くの熊野温泉に泊
 ※翌々日に熊野本宮、熊野古道中辺路散策、速玉神社参拝し、名古屋経由東京へ

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2024/09/21 訪問)

紀伊半島南部城廻で登城
※新宮城跡と共に登城
※城廻のほか熊野古道を歩いたり熊野三山詣と合わせた旅でした

藤堂高虎の縄張のお城で石垣がしっかり残っていました。縄張はさほど広くなく、各曲輪すべて廻っても1時間あれば余裕かと。
本丸や南曲輪とかには桜の木が植えられていましたが、櫓などを復元しないなら個人的には何も植えないほうが好きですが・・・

熊野市からスタンプのある熊野板屋九郎兵衛道の駅までバス、そこからレンタサイクルで登場しました。電動アシスト付自転車ですが、これまで他所で借りたものよりアシスト力が弱く行きはまあまあ脚力が要ります
名古屋からの特急も数時間かかり、公共交通手段では思ったより行きづらい場所でした

なお、今回は熊野三山、熊野古道散策も予定していたので、名古屋駅からJRの南紀熊野古道フリーきっぷ(中辺路コース)を利用しました。熊野市駅ー道の駅間の路線バスはフリー切符対象外ですが、熊野市や新宮までのJR特急での往復運賃より安価でした

【本日の行程は以下の通り】
6:00東京(新幹線)、7:34,8:02名古屋(JR特急南紀1号)、11:13熊野市
11:25熊野市駅(路線バス:2番乗場(瀞流荘行))、12:10道の駅板屋九郞兵衛
 (道の駅内)続百名城スタンプ(10:00-17:00(平日16:00))
 ※道の駅で電動アシスト付レンタサクル(3H500円)、赤木城跡まで片道5.6km往路25分+復路20分
 赤木城跡散策60分

14:51道の駅(路線バス)、15:34,16:05熊野市(JR特急南紀5号)、16:24新宮 
 (駅徒歩8分)新宮市歴史民俗資料館(続百名城スタンプ9:00-17:00月休)
 (資料館徒歩10分)新宮城跡
18:30新宮駅前(路線バス)、19:07紀伊勝浦
 泊:紀伊勝浦駅付近
 ※翌日那智山、那智の滝、大門坂散策、更に翌々日に熊野本宮、熊野古道中辺路散策、名古屋経由東京へ

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イタさん

遺構は畑・学校 (2024/09/23 訪問)

遺構は見当たらず、幼稚園・中学校・畑などに変わっている。本丸跡碑の北西に飯玉神社があり、鳥居の南へ行くと名和小学校敷地内に、那波城址碑と設置経緯を記した説明板がある。本丸跡の碑の一帯は、畑・幼稚園・中学校になっている。諸先人の記録を参考にさせて貰うと、南東に昌雲寺が建ち、周りを堀で囲んだ一郭を構成していたようだ。大きな城址碑の建つ名和小学校辺りまで城域だったのだろうか。

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トク

人吉城散策(2/4):跳ね出し石垣から二ノ丸へ (2024/09/18 訪問)

西外曲輪の芝生の上を歩き、跳ね出し石垣の下に着きました。やはりいつ見てもカッコイイです(写真①②③)。ヒロケンさんと同じやはりテンションが上がってしまいます。でもなぜここをこのような形にしたのか、みなさん御存知ですか?(🤔試験に出たような?)。1862年2月、川向こうの鉄砲町で起きた火事(寅助火事)の時、乾燥した北西の強風で火の粉が球磨川を越え城内まで飛んで来て、その飛び火で城はほぼ全焼したそうです。その後二ノ丸で焼失した藩主御殿は、この石垣の上の現在の相良神社(写真④)の位置に再建され、その藩主御殿を再び火事から守るために、石垣を跳ね出しの形にしたそうです。よってどちらかと言うと防御のためではなく防火の意味合いの方が強かったというのが正解です(😯思い出したぞ!)。

写真②から右側、相良神社の下側はまだ石垣の補修工事がなされていて、車は通行止めです(前回写真⑩の馬責馬場の道が通行止めです)。よって車の方はこの撮影位置後ろに臨時駐車場が設けてありますので、ここに止めていただく事になります。もう残っている工事箇所はここだけのようです。ここと歴史館以外は、以前あった工事中の看板やロープによる規制は全てなくなっていました。

次は石垣の横にある堀合門から登ります。この堀合門は寅助火事でも運よく焼け残ったようで、一度移築されたもののまた現在の元の位置に戻されたという人吉城で唯一の現存の建築物です(写真⑤⑥)。そこから三ノ丸に登ると景色が見え始めました(写真⑩の下段が三ノ丸です)。ここ三ノ丸は西南戦争の時、田原坂で敗れた西郷隆盛が追って来る官軍を迎え討つため砲台を置いた場所です。でも川向こうの丘の上に陣を敷いた官軍まで砲弾は届かず、逆に官軍の砲弾はここまで届いたとか。西郷にとっては相当ショックだったでしょうね。

三の丸を過ぎると、中ノ御門がありました(写真⑦)。かなり大きな門だったようです。ここが藩主や奥方が居た二ノ丸御殿を守る最後の砦だったわけですね。その門の先には、その焼ける前まで御殿があったとされる二ノ丸がありました。籠城のための塩蔵跡もありました。今では杉の木が生い茂りうっそうとしていますが、ふとそこから見下ろした人吉温泉街の景色は、とても気持ちよかったです。でもよくあそこからここまで火の粉が飛んできたものです(写真⑧⑨⑩)。

次は、さらに本丸まで登ってから、球磨川の方へ下ってみようと思います。
 

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イオ

整備された公園?? (2024/09/08 訪問)

室町中期に山名持豊が此隅山城の出城として亀山に築いた城崎城を前身とし、羽柴秀吉が但馬国を平定すると宮部継潤が入って城と城下を改修・整備し、名を豊岡と改めました。宮部継潤が鳥取城に移った後は次々と城主が入れ替わり、杵築から入封した杉原氏が三代続くも江戸前期に無嗣断絶により改易され、豊岡城も廃城となりました。

北麓の豊岡市立図書館駐車場から登城開始。亀山(明治に神武山と改名)の頂部に本丸、西下に笠の丸、北下に萩の丸、東下に階段状に曲輪群を配した連郭式山城で、城跡は神武山公園として整備されている…はずなんですが、時季的に草木が生い茂るのはやむを得ないとしても、この夏の間ほとんど草刈りされてないんじゃないかと思えるほどの伸び盛りぶりでした。本丸には天守台や石垣もあったようですが、天守台跡に標柱と説明板が立てられているのみで、いずれも失われています。説明板の絵図によれば、笠の丸の南東下には竪堀があったようですが、藪に沈んでいて全くわかりません。さらには笠の丸から萩の丸へ続く(はずの)遊歩道は倒木で進めませんでした…。東下の階段状の曲輪群は遊歩道から確認できましたが、こちらも藪に覆われてかろうじて曲輪の形状がわかる程度でした。

よく整備された公園だろうからとTシャツにスニーカーの軽装で登城したため、藪には踏み込めず倒木を乗り越えて進むこともできずで往生させられました。いくら公園化されていても、やはり平山城にはそれなりの装いで臨まないといけませんね。
 

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朝田 辰兵衛

碑は山中城,ワッフルは取り揃えてありません… (2024/08/11 訪問)

本厚木駅北口から路線バスで枡割バス停へ。厚木市北消防署前になります。住宅地を抜けて,国道412号線へと向かえば,公園に出ます。そこが荻野山中陣屋。碑は山中城となっております。

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甚右衛門

二十年ぶり二回目の攻城 (2024/09/16 訪問)

高島城の前に攻城。外堀の復元が結構進んでてびっくり。暑い上に外国人団体も観光中で人も多く、天守閣だけで結構疲れてしまった。前回も月見櫓が修理中だったような‥。内側から写真撮れたけど、やっぱり月見櫓から外が見たかった。復元がもっと進んだらまた来たいと思う。

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しんちゃん

芸術の街 (2024/09/16 訪問)

梁川城の一部は伊達氏梁川遺跡群として国の史跡に登録されています。古くは3代・義広か4代・政依のころより本城として使われてきたと考えられていますが、はっきりはしません。大手は北についていたようで、旧梁川小学校の正門のあるあたりは江戸時代には門として使用されていなかったようです。東と南に二の丸が配され、西に三の丸、さらに西側と北側には侍町が配されていたようです。
梁川町にはブロンズ像が多く据えられています。広瀬川にかかる広瀬橋には2体のブロンズ像があり「風呂上り橋」‥じゃなかった、「芸術の街」の雰囲気を感じさせてくれます。近くに梁川美術館があるので周辺にも設置されたようです。男性像もありますが、なんか後から「履かされた」感があります。倫理的な問題ですかね。

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ぴーかる

川越城 (2024/09/14 訪問)

【百名城70城目】
<駐車場他>本丸御殿前に無料駐車場あり。
<交通手段>車

<見所>本丸御殿
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画の旅2城目。7:30前に到着、本丸御殿見学者の駐車場が空いていなかったので初雁公園駐車場に駐車し周辺散策を先にしました。蓮池門跡石碑⇒虎櫓跡⇒三芳野神社と土塁⇒富士見櫓跡は高土塁上にある櫓跡で天守の代わりだったそうで礎石の残る曲輪はなかなか。周辺遺構はあまり無いのですぐに見終わる。9:00まで車で待機しましたが本丸御殿が開館しないので、博物館を先に見学し⇒そのあと本丸御殿、本丸御殿も現存するのは一部だそうですが、修復時のVTRが流れていて大がかりな工事だった様子がよく分かる。唐破風の玄関を入って大広間にある襖絵は見応えがあります。
 本丸御殿見学後に⇒中の門堀跡⇒西にある小江戸の通りを通り(すごい人の数)時の鐘を見て終了しました。期待した現存本丸御殿は良かったですが、その他の遺構の見所が少なかった。また御城印が販売終了となっていて残念‥‥百名城なのに‥‥。
 老中を多く輩出している川越藩の天守代用の富士見櫓台でさえ石垣造りではなく土塁盛とは、幕府に遠慮してか、はたまた藩主は江戸住まいがほとんどでお城は気にしてなかったか。

<満足度>★★☆☆☆
<グルメ>小江戸の街の飲食店が開店前だったので名物太麺やきそばを本丸御殿前の小峰商店にていただきました。

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しんちゃん

道の駅ばんだい 福島県磐梯町 (2024/09/16 訪問)

「道の駅ばんだい」は福島県耶麻郡磐梯町にある道の駅です。愛称は「徳一の里 きらり」ですが、お土産コーナーの一角にバンダイのプラモデルを販売しているコーナーがあり「ばんだい」の名称のほうが先行して有名になっている感があります。
店舗入り口に飾ってあるガンダムの立像は、だいたい「へたれガンダム」と同じくらいの大きさです。うん、こうして見ると「へたれガンダム」とは違った良さが有りますね。へたれてないガンダムも悪くないです。
特筆すべきはバンダイのプラモ売り場の上段に、ちゃっかり古川プラスチック製の「べこプラ」が売っていることです。基本的なパーツは2つ(!)。一応「赤べこ」の名称の書かれたパーツは付属しますが、本体を形成するパーツは2つです。
価格は税込み1450円‥私、プラモ暦長いですが、正直な感想を申し上げると「高くねぇか?」 しかもパーツが2つ? 
首とか可動しないんだ‥。正直買うべきかどうか悩んだので、店の人に聞いてみたところ、昨日発売されたばかりで30個以上売れているとのこと。売れてるんだ、コレ‥あきらめて買うことにしました。これをどうやって仕上げるか、完成はしばらく先になりそうです。

※道の駅ばんだいに「へたれガンダム」は入っていません。

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広島城

こどものトレジャーウォーク 秋 ~ 広島城を歩こう!サッカースタジアムで歴史発見!~

広島城天守前から出発し、広島城内の史跡の場所での解説及び、今年2月にオープンしたサッカースタジアムの中に入って、江戸時代にどういった場所だったかを広島城学芸員が解説します。
天守を背景に写真を撮っていただく時間やサッカースタジアム内の芝生近くまで入る体験もできます!
是非、ご参加ください。


🏯 日 時:令和6年10月19日(土)13時~15時00分
      (受付開始は12時40分~)
🏯 場 所:広島城、サッカースタジアム内及び周辺
🏯 対象者:小学生4年生~中学生の児童とその保護者(小学生は保護者同伴必須)
🏯 定 員:20組(40名程度を想定)
🏯 事前申込制(無料)、受付期間9月1日~10月4日、多数の場合は抽選。
   参加費:無料
   主 催:広島市、広島城

申込はこちらから

https://www.city.hiroshima.lg.jp/soshiki/46/394271.html









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ryu

五稜郭 (2024/09/14 訪問)

早朝、函館駅から市電で五稜郭へ
五稜郭タワーはオープン前で先に五稜郭内を探訪してからタワーに登り、五稜郭を俯瞰する。その後、もう一度五稜郭内に入り、箱館奉行所を見学。
函館駅に戻って、函館朝市でサーモンとイクラ丼をいただく。

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ryu

志苔館 (2024/09/13 訪問)

上ノ国勝山館から木古内経由で函館空港近くの志苔館まで94km、約1時間半の距離をレンタカーで移動。志苔館には駐車スペースがなく、近くの志海苔ふれあい広場 第1駐車場に車を停めて歩く。

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