黒田六端城の一つ。麻底良神社下宮の駐車スペースを利用。本丸に鎮座する麻底良神社参拝後、東西尾根に配される曲輪にも足を延ばしたが、曲輪下の目立たぬ所に石垣がかなり残っている
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2026/01/02 22:52
20190418麻底良城(福岡県朝倉市) (2019/04/18 訪問)
黒田六端城の一つ。麻底良神社下宮の駐車スペースを利用。本丸に鎮座する麻底良神社参拝後、東西尾根に配される曲輪にも足を延ばしたが、曲輪下の目立たぬ所に石垣がかなり残っている
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2025/06/13 09:13
黒田六端城を行く:(6城目)麻底良城 (2025/02/18 訪問)
黒田六端城を行く、最後6城目は「麻底良城」です。筑後川沿い豊後へ通じる日田街道を見渡せる地に、黒田長政は家老筆頭の「栗山備後守利安」に18,000石で与えます。大河ドラマ軍師官兵衛では、「濱田岳」さんが演じられていましたね。
西鉄朝倉街道駅から[41]杷木行のバスに乗り50分、国道386号沿いの「志波」で下車(写真②)、そこから左の円清院の標識に従い10分程歩くと、左側に(写真①)の景色が見えてきます。そこから50分程登った麻底良山(295m)の山頂に麻底良城はありました。車の方は、麻底良神社下宮(写真④の裏)に3台程の駐車場がありますが、途中の普門院から先は道がとても狭く、おそらく軽でギリギリ幅、普通車はやめた方が無難です。途中の円清院には栗山利安の位牌と子の栗山大膳の墓碑がありました(写真③)。
下宮から先は、1m幅の土なので歩きやすかったですが、傾斜が急なので意外と足にきました(写真⑥⑦)。最後に階段があり、そこを登った山頂が城跡で現在は麻底良神社上宮が建っていました(写真⑧⑨)。江戸元禄時代(1700年頃)に政所(藩政の中心)は麓の円清院周辺に移され、跡地にこの神社(上宮)が建てられたようです。杉に囲まれて山頂からの眺望がなかったのがちょっと残念でしたが、登山道の途中に眺望がありました(写真⑩)。眼下には筑後川と原鶴温泉、中央の大分自動車道の下に志波のバス停があります。
【注意】ナビを信じるな!
下宮から先の道が、案内標識が何もなく分からなかったので、スマホのナビを使用して登ると、ナビは写真④の下宮の先の分岐から右へ行けと出ます(写真⑤)。信じて15分程登った所で道は行き止まり(あれ~🤔?)。果樹園農家のおじさんがいたので訪ねると、戻って下宮の杉の木の間にある細い道を登れと言われました(写真⑤)。皆さんもナビに騙されないよう気をつけて下さいね! 30分もロス、地図か案内標識くらい付けてくれよ~!😩
【後書き】黒田六端城を行くはこれで終了です。全7回読んでいただき有難うございました。「みんなの投稿」から「黒田六端城を行く」で検索していただければ、私の六端城7回分のバックナンバーを見ていただく事ができますので、登城される方の参考にして頂ければ幸いです。
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2020/10/03 10:58
九州遠征 (2019/10/14 訪問)
普門院前の舗装された細い道を登って行くと左右良城址の石碑があります。さらに登って行き麻底良神社下宮の駐車スペース(33.374606、130.769890)に駐車して攻城。
本丸跡には麻底良神社上宮の神社があるそうですが、自分は時間の都合で本丸までは行っていません。登山口にある普門院は小早川隆景や栗山利安によって修復された寺だそうです。また、山麓の円清寺は黒田官兵衛が死去した1609年にその冥福を祈る為に栗山利安によって建立された寺院で、黒田如水・長政・栗山利安の位牌が安置されているそうです。こちらも時間に都合で行っていません。(黒田官兵衛好きな自分としては断腸の思いです) 攻城時間は45分くらいでした。
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| 分類・構造 | 山城 |
|---|---|
| 築城主 | 秋月種実 |
| 築城年 | 天文年間(1532〜1555) |
| 主な改修者 | 黒田長政 |
| 主な城主 | 喜津瀬因幡・喜津瀬主水(秋月氏家臣)、仁保隆康(小早川氏家臣)、伊藤雅楽介(小早川氏家臣)、栗山利安(黒田氏家臣) |
| 廃城年 | 元和元年(1615) |
| 遺構 | 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 福岡県朝倉市杷木志波 |
| 問い合わせ先 | 朝倉市総務部企画政策課広報統計係 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0946-22-1111 |