現在の赤穂城は正保2年(1645)に53500石で入封した浅野長直が近藤正純に命じて慶安元年(1648)から寛文元年(1661)まで13年をかけて完成させたとされています。縄張りは甲州流軍学によって成されたとされ、本丸の周囲に二の丸を配し、北に三の丸を配しています。
石高を上回る規模の総石垣の城として築かれ、かつては瀬戸内海に面した海城で有りました。今でも本丸・二の丸・三の丸の周囲に水堀が残っています。三の丸に三箇所(大手門・塩谷門・清水門)の枡形を有し、二の丸と三の丸の境目に一箇所、本丸の本丸門に一箇所と五つの枡形を有していました。二の丸にも二ヵ所の仕切を設け、事実上別の郭となっています。
本丸も12~13の辺をもつ複雑な形状をしていて、海側から攻めてきた敵は本丸門にたどり着く前に各辺に設けられた狭間から攻撃を受け、やられてしまいそうです。個人的には二の丸門と本丸門の間に、もう一工 夫が欲しい所です。
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