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小城小次郎

快適なハイキングコース (2024/02/11 訪問)

撮影したのはもちろん今ではなく今年の2月。残雪が気にならないほど登城路がよく整備されていてハイキングとしてもお勧めの山城。浅井長政が織田に備えて拵えたものの調略によって全く機能しなかった残念なお城でもある。

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シャンシャン

姫路城~夏の特別公開~ (2024/09/21 訪問)

姫路城、夏の特別公開!普段非公開の「トの櫓・との一門・搦手周辺」を見ることができた!
公開エリア自体はそんなに広くないけど、姫路城の中では珍しい白漆喰ではない「との一門」や普段とは違う角度の大天守・小天守を見上げることができて新鮮だった。
その後、姫路城十景のひとつである名古山へ。これまで南側から見る正面か北に回ったシロトピアからの角度でしか見たことがなかったため、西からの角度はまた違った表情が見られてこちらも新鮮な体験だった。どの角度もかっこいい!
また、少し足を延ばして書寫山 圓教寺へ。展望台からかすかに姫路城を見ることができた。この寺は映画ラストサムライのロケ地にもなっており、観光地化しているものの、山の中にある大きなお堂は荘厳な雰囲気を醸し出していた。こちらも姫路を訪れた際はオススメ。

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小城小次郎

森山崩れの舞台ではあるが (2024/08/02 訪問)

松平清康が斃れた森山崩れの舞台となったお城であり、松平がここまで来ていたのかと驚かされるが桜井松平信定が新地として拝領し娘婿に織田信光を迎えたという流れで、もともと松平の城だったらしいということを初めて知った。

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とばつびしゃもん

ライトアップされた現存天守の城 (2024/05/05 訪問)

郷土料理のとうじそばとライトアップ天守を目指して松本へ。
11年ぶりの登城。夜間は本丸内には入れず、内堀越しに天守群観覧。黒い天守がライトアップされると白さが目立ち、昼間とは違う美しさがある。

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とばつびしゃもん

諏訪氏5代の城 (2024/05/05 訪問)

桑原城から車で10分、山の中腹にある板垣平と呼ばれる館跡へ到着。駐車スペースがあり、ここから歩いて山城中心部へ登る登城道があるが車で進む。細くくねくねした道路を6、7分進むと数台駐車可能なスペースがあり駐車して登城開始。
主郭と東側のはなれ山の間の大きな空堀を右手に見て、平坦な道を進むと金毘羅神社のある三の郭。三の郭からは麓の町並みが望め、板垣平からの登城道はここへつながる。物見岩と呼ばれる巨大な岩のある二の郭を通って主郭へ。主郭までは10分ほどで登城。
下城後、諏訪大社本宮へお詣り。

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ぴーかる

河越館 (2024/09/14 訪問)

【河越館】
<駐車場他>河越館史跡公園駐車場
<交通手段>車

<見所>館跡
<感想>1泊2日埼玉大阪化計画(映画:翔んで埼玉か!)の旅1城目。いよいよ関東平野侵攻です。夜中1:00頃に出立、7:00前に到着しました。来てみてなんと開門9:00とな、お家の門扉みたいなのが閉まってる。仕方ないので外側からの撮影のみとなりました。でもなんとか堀や土塁が遠目で見れました。
 河越館は平安時代末期に河越氏が築造し河越荘の開発領主として勢力を伸ばしました。河越氏は源頼朝に重用され娘が源義経に嫁ぎますが義経反乱の時に誅殺されます。しかし河越氏は鎌倉時代も有力御家人として仕え、河越館は武蔵国の政庁として機能します。南北朝時代に河越氏は一揆の中心人物となりその後没落します。

<満足度>◆◆◇

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T-Shionoya

難波田城 復元された低地の城 (2024/05/02 訪問)

忍城や騎西城もこのような城だったのではないか?
そう考えつつゴールデンウィークに訪問した埼玉県富士見市の難波田城。

嘗ては蛇行や分岐をして流れていたであろう入間川(現在の荒川)沿岸域の微高地に築かれた城。

鎌倉時代にこの地域を与えられ、その地名を名乗ったと伝わる難波田氏の居城。
戦国期の難波田氏は扇谷上杉氏に仕え、河越夜戦で小田原北条氏に敗れた後は北条氏方の持城となり、秀吉の小田原征伐で廃城に至ります。

現在は、田畑が広がるエリアに追手門から本城(本丸)馬出までの城郭の3割ほどが難波田城公園として整備された城跡。

訪問時、追手門を抜けると左には複雑な形に整えられた堀跡の池。
食違虎口から曲輪3に入ると、中堀の向こうに立派な角馬出。
馬出から宅地化した本城へ抜けられない点はおもしろさに欠けるところで、1度園外に出てから本城跡に僅かに残る土塁へ。

小さな城跡でありながら、資料館と古民家ゾーンも含めると滞在時間は2時間強。
モダンな雰囲気を発しつつも城の要素を持ち合わせた難波田城が、私の城郭巡りの183城目となりました。

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しんちゃん

追悼!ザ・魔雲天 石巻山城(石巻山) 愛知県豊橋市石巻町 (2024/09/22 訪問)

福島・栃木の4泊5日(車中泊)旅行から帰ってきたら、自室のBDレコーダーが暑さでへばってキン肉マンの録画が出来ていませんでした。あわてて、今回の放送内容をチェックしたら「ザ・魔雲天」回でした。これがキン肉マンやブラックホールの主役回だったらダメージは大きかったところなのですが、魔雲天なので‥まあいいやと思ったのですが、すぐに考えを改めました。
魔雲天は悪魔超人なので、性根は残忍なのですが、実に仲間思いのナイスガイです。今回もリーダー格に返り咲いたバッファローマンに対する悪魔将軍の期待を感じ取り、捨石として最強の敵ストロング・ザ・武道と戦う決意を固めたわけです。
そんな悪魔のクセに立派な魔雲天に対して、まあいいや「魔雲天」だし‥と考えた自分が恥ずいですわ。
そんなわけで(どんなん?)魔雲天ばりに尖んがった山城を追悼の意味を込めて投稿しようと考えた次第です。そんな都合の良い山城有るわけない‥と考えたら、有るじゃないですか!しかもすぐ近くに。これは天慶です。

石巻山は日本のピラミッドとも称されるほどキレイな三角形をした山です。魔雲天も三角形の山に手足が着いたような外見をしているので、追悼の意味としてはうってつけです。南北朝の時代の南朝方の武将・高井主膳正の居城である石巻山城が中腹から山頂付近にかけて築かれており、多数の曲輪が連続して続いています。では早速、追悼登城に出発です!

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しんちゃん

一色城と今川義元公胴塚 (2024/09/22 訪問)

一色城は愛知県豊川市牛久保町に築かれていたとされ、牛久保城とは200mほども離れていません。永享11年(1439)三河守護職一色氏の同族・一色刑部少輔時家によって築かれたとされています。時家は後に家臣・波多野全慶に討たれますが、全慶は時家の重臣・牧野古白(成時)に討たれ、一色城には瀬木城を次男・成勝に譲った古白が入ります。
古白は永正2年(1505)に今橋城を築いて移りますが、翌年今川氏との戦いで討死、永享2年(1529)一色城主の牧野成勝が牛久保城を築いて移ると、ほどなくして一色城は廃城になったようです。
境内には桶狭間の合戦で織田信長に討ち取られた今川義元の胴塚と、一色刑部少輔時家の墓があります。義元公の胴塚には、今川家の家臣が首を失った主の躰を急いで隠し、近くにあった手水鉢を目印に置いていったという伝承が残っています。当時の物かは不明ですが、義元公の胴塚の基部は確かに手水鉢の形状をしています。また城址とされる大聖寺には土塁が残っています。
この日は一色城と合わせて、牛久保城も訪問しています。

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しんちゃん

猪苗代湖と中秋の名月 (2024/09/17 訪問)

福島をひとしきり回って、とりあえず見ておきたいものは見て来たけど、求めていた答えにはなかなかたどり着かない‥。またじっくり行きますか。帰りに猪苗代湖に寄ったら、すでに暗くなって月が出ていました。この日は月が綺麗でした。あとでこの月が中秋の名月だと知って、なるほどな‥と納得。磐梯山は始終お隠れだったけど、良い名月に会えました。
久しぶりに会津に行ってみたけど、やはりここは東北の中でも屈指の良い所です。平野がとても広くて土地は豊か、猪苗代湖が水を大量に蓄えていて、まるで京都に対する琵琶湖のような役割を持っています。
中秋の名月(十五夜)は旧暦の8月15日とされ、今年は9月17日がそれにあたります。旧暦は1年が354日しかないので(月の周期29.5日×12)3年に一回、月が加算されます。かなり大雑把な暦になっているので、年ごとに中秋の名月が早かったり、遅かったりするわけです。
そのためかは知りませんが旧暦の9月13日(十三夜)にも月見の日があり、年に二回楽しめるようになっていたようです。
昔の人の名月と月見に対する執念を感じますが、もし二回とも雨で月が見えなくても残念会で結局、盛り上がったのではないでしょうか。この場合は「月より団子」といったノリですね。

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赤い城

姫田城 徳島県鳴門市 (2024/09/16 訪問)

城びと未登録、勝瑞城の外城で三好家家臣の姫田藤家の居城です。
中富川の戦いで落城しました。

県道12号線から少し入った葛城神社に車を停めさせていただき、背後の道を進みます。
住宅地を抜けると祠と石碑がありました。
遺構はなさそうですが道路は堀跡かな〜と。

城とは関係ないですが、四国八十八ヶ所霊場は鳴門市から始まります。
ここから西にある霊山寺が1番札所、外国人のお遍路さんもいらっしゃいました。
さらに西に少し進むと2番札所の極楽寺。
ここには空海お手植えと云われる杉の巨木があります。

今のところ城めぐり優先ですがせっかく四国に住むことになったのでもう少し歳をとったら挑戦してみようか、とも思います。

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ヒロケン

福山城ライトアップ (2024/08/14 訪問)

福山城は備後国の陸海路の要衝に位置し、江戸幕府開府以来、西日本で最初の譜代大名となった水野勝成公により1620年に築城された輪郭式の平山城です。天守は天守建築の完成期に築かれた五重五階地下一階の層塔型複合式で、全国唯一の天守北側に鉄板張りを有しています。(現在は、鉄筋コンクリートで外観復元)
更に、伏見城から移築されたといわれる国重要文化財の伏見櫓と筋鉄御門。鐘櫓、御湯殿、鏡櫓、月見櫓が外観復元されています。また、二の丸南側の石垣、鬼門櫓台の石垣、本丸・二の丸を囲う石垣等々、大変見所の多い城跡です。

今回、熊本県の城跡(4城)・福岡県の城跡(2城)・大宰府天満宮・鍋ケ滝・阿蘇神社・阿蘇大観峰等を巡り最終日に目指したのが、この広島県の福山城(*^▽^*)皆さんの投稿で知り得た鉄板張りとシャンシャンさんの投稿でライトアップされた神々しい天守が見たく最終の予定地としました。
皆さんの投稿通り、北面の鉄板張り何とも格好が良い(*^▽^*)また、黒と白のコントラストがライトアップされ何とも素晴らしい(*^▽^*)
熊本から関門海峡を越え、6時間半の運転で少々お疲れ気味ではありましたが、頑張って良かったと思っています。
ライトアップされる期間の終了日は未定で、日没から24時まで毎日ライトアップされているとの事なので、是非、行かれてみてはと思っております。

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朝田 辰兵衛

山科中央公園にチョイ寄り🚊 (2024/06/24 訪問)

JR相生駅から新快速で移動してきました。イイ加減退屈になったので,公園で約6mの土塁に登ってポチっていうのも悪くないな…と。
戦国時代には「寺中広大無辺にして荘厳,さながら仏国の如し」と,その威容を謳われたそうです。寺域は,南北約1㎞,東西約800mにおよんだとされています。

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しんちゃん

玩駄無選手権・福島 「へたれガンダム」 (2024/09/16 訪問)

そこには不思議な世界が広がっています。福島県福島市の田園風景の中に「手作り感」満載のガンダムが自立しています。
実は結構有名で、癒し系満載のフェイスに緩い感じの直立スタイルはニュースなどでご存じの方も多いと思います。こう見えて多い日には400~500人ほどの人が訪れる、なかなか隅に置けない観光名所なのです。製作された佐々木さんは、このガンダムを寄贈された翌年に他界されており、このガンダムが遺作となっております。2020年5月にガンダムが手にしていたビームライフルが盗難にあいました。これまたニュースにもなったので、ご存じの方も多いと思います。このニュースに心を痛めたファンからモデルガンなどの武器が次々と寄贈されました。いまガンダムが手にしているのは福島工業高校の生徒と教諭が1週間かけて製作した金属製のビームライフルです。
横浜の「動くガンダム」や福岡のニューガンダムは、ほぼ等身大の巨大なものですが、この「へたれガンダム」の身長は成人と同じくらいで、その分近親感も湧いてきます。福島ののどかな田園風景の中で地元の方々やファンから愛されている「へたれガンダム」。これからも末永く人々を見守ってほしいです。
ガンダム選手権、個人的には「へたれガンダム」と横浜の「歩くガンダム」が同率一位です。
惜しくも次点は、ららぽーとの「ニューガンダム」です。個人的に自らの二本の足でしっかり自立出来てる「へたれガンダム」は好感度が高いのです。やはり「ガンダム」は大地に立ってナンボですよ。

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駿府の街散策 (2024/09/21 訪問)

 駿府城周辺の街を彷徨っていると城下町であった頃の建物などを示す石碑や説明板があります。幕末に西郷隆盛と山岡鉄舟の会見の地などもありました。静岡駅から徒歩3~4分の場所にある懐石料理で有名な浮月楼は最後の将軍 徳川慶喜公が大政奉還の後、約20 年過ごした屋敷跡です。
 最後にhug coffee 静岡市歴史博物館店さんで家康抹茶ラテをいただきました。

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堀周辺散歩 (2024/09/21 訪問)

 本丸堀は埋め立てられていましたが、発掘調査により一部を見ることができます。二の丸堀はよく残っています。三の丸堀は東側と南側の一部が埋め立てられていますが、全体の四分の三が現存し石垣も観ることができます。久しぶりに外堀の散歩道を散策しました。県庁所在地にあってこれだけ堀と石垣が残っているのはありがたいことです。外堀の散歩道を歩いていると当時の城の大きさが実感できます。

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御門めぐりなど (2024/09/21 訪問)

 城内、城周辺を散策していると各地に門の跡の説明板があり石垣がある程度残っています。二の丸御門は塞がれていて約70m東側に出入口が設けられています。

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徳川家康 (2024/09/21 訪問)

 今年も駿府城へ行って来ました。
縄張りは三重の堀を備えた輪郭式の典型的な城で、外側から三の丸、二の丸、本丸となっていました。二の丸の東御門、巽櫓、坤櫓が復元され雰囲気を醸し出しています。以前に見学したことがあったので、前回登城時はスルーしましたが、今回は久しぶりに櫓内など見学しました。本丸と二の丸をつなぐ二の丸水路は興味深い構造です。天守台発掘調査の現場は天正期と慶長期の石垣に表示がありわかりやすくなっています。

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しんちゃん

玩駄無選手権・横浜 動くガンダム (2023/05/07 訪問)

横浜・山下埠頭の「GUNDAM FACTORY YOKOHAMA」の動くガンダムは2024年3月31日に最終日を迎えました。元々は2020年12月19日から22年3月31日までの期間限定で公開がされる予定だったのですが、コロナ禍もあり2年間の延長がされたようです。おかげで私も関東に城めぐりに行った際に拝観することが出来ました。サイズはほぼ原寸大で、通常TVなどで目にするガンダムとは細部の詳細が異なります。
とはいえガンダムは様々なバリエーションが存在し、アムロの乗っていたガンダムであるRX-78-2でも何十というバージョンがあるようです。プラモデルだと決定版と言える PG(パーフェクトグレード)UNLEASHEDはネットだと4万円近い値が付いていたりします。とはいえ定価でも3万はするのでお金持ちかよっぽどのマニア用のアイテムと言えるでしょう。
最近だとRG(リアルグレード)のVer.2.0 が発売されておりネットでは8千円~1万円で取引がされています。私はあるルートを通じて定価で購入しております。
動くガンダムは動きは少々緩慢で完全に自立出来ているわけではありませんが、目の前で動いているのを見るとやはり感動します。大阪万博で動かない状態で展示されるという話があるようで、アムロばりに「こいつ‥動かないぞ‥!」などと言わずに見守ってあげたいと思います。実際に大阪万博に行くかどうかは、すごく微妙な所ではありますが‥。

実はガンダムは戦国時代と密接な関わりが有ります。SD戦国伝シリーズは30年以上前から展開されており、関連する商品は300を超えるのではないでしょうか。私も押入れをさばくれば、かなりの数のSDガンダムが出てくると思います。
一番人気は何と言っても武者頑駄無で、モデルはRX-78-2ガンダムです。MG(マスターグレード)でもリアルタイプが商品化されています。

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しんちゃん

頑駄無選手権・福岡 ららぽーと (2022/12/31 訪問)

勝手にガンダム選手権・九州代表・福岡県ららぽーとのニューガンダムの原寸大立像です。ニューガンダムは通常は背中にフィン・ファンネルという放熱板のような形状をした遠隔攻撃兵器を6基搭載しているのですが、このニューガンダムは代わりにロングレンジ・フィン・ファンネルという大型の武装を背中にしょいこんだ形で直立しています。ニューガンダムは歴代のガンダムの中でも特に大型で、この立像も頭頂高20.5m、最高部で24.8mとかなりの大きさを誇っています。重量はなんと80tもあるそうです。
実際のニューガンダムは頭頂高22mで全備重量が63tなので、設定より1.5m小さく、重量は17t重いわけです。実際にこの大きさで金属製のロボットがあったら数百トンは行くはずですが、モビルスーツは全体的に軽量に設定がなされているようです。
このニューガンダムも横浜の動くガンダム程ではないにしろ、右肩と首が動くようで、一時間間隔でパフォーマンスが行われているようです。お城とガンダムの関連付けはなかなかハードルが高いですが、どこかで伏線の回収を行いたいと考えております。
ちなみに風車に変形するガンダムはいます。Gガンダムに出演していたネーデルガンダムです。
私はGガンダムだとマンダラガンダムとマーメイドガンダムが好きですね。

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