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じゅんじん

城址碑 (2023/10/28 訪問)

きれいな街になっていました。一角のお店の入り口にひっそりと城址碑があります。

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じゅんじん

高速道路 (2023/10/28 訪問)

東名高速で分断されています。

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じゅんじん

慶元寺前 (2023/10/28 訪問)

喜多見氏(江戸氏)のお城です。慶元寺前にあったみたいですが何もありません。慶元寺は立派でした。

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じゅんじん

霊園 (2023/10/28 訪問)

緑ヶ丘霊園になります。鎌倉大河登場の稲毛重成さんのお城です。広くウオーキングやランニングにちょうど良い場所です。

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じゅんじん

早雲のお城 (2023/10/21 訪問)

北条五代の大河は実現するのかなあ。天地人も実現したからそのうちやるのでしょうね。

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キンヤ

家康初陣の地と云われ、渡辺半蔵守綱が構えた陣屋 (2023/11/04 訪問)

寺部城は、1469〜1487年に鈴木重時によって築城され、戦国時代は鈴木氏の居城でした。
1558年、鈴木重辰(日向守)は今川方から離反し織田方に付いたため、今川方が寺部城を攻めた戦いでは、家康(松平元康)が初陣を飾ったと云われます。
江戸時代には、徳川十六将の1人でもあり尾張徳川家家老の渡辺半蔵守綱の領地となり、寺部城の地に陣屋を構えました。

主郭は寺部城址の森公園として整備されています。
南東側の櫓台のような土壇上に城趾碑があります。
江戸時代以降の陣屋時の建物の礎石・石材が良く残され、他ではあまり見たことがなく珍しいです。
母屋・土蔵(2ヶ所)・書院・茶席の表示があり分かり易く、井戸跡は3ヶ所あります。
西側の薮の中には、鈴木氏時代の遺構とされる土塁があります。

主郭の東側の三ノ郭にかつては渡辺家家臣の屋敷が並んでいて、今は豊田市有形文化財の遊佐家長屋門、旧松本家長屋門(土日は内部見学可)が残されています。

そのすぐ東側の渡辺家菩提寺である守綱寺には、初代守綱と渡辺家代々の墓所があり、四角い墓石で珍しいです。

寺部城から東へ約1.3kmの場所には、寺部城攻めの時に家康が岩に掛けて采配を振るったと言われる烏帽子岩があります。

豊田市の挙母城(七州城)に寺部陣屋の書院・茶室を移築復元した又日亭があり(先行し挙母城で投稿)、安城市の城郭寺院 誓願寺の山門は寺部陣屋の城門を移築したものと云われます(2023年1月訪問)。

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キンヤ

七州城と呼ばれた内藤氏の居城 (2023/11/04 訪問)

挙母城からは七か国を望むことができたため、七州城とも呼ばれた内藤氏の居城です。
それまでの居城の桜城(挙母城)は矢作川の水害があったため、挙母藩二代藩主の内藤学文は、1779年に童子山丘上へ挙母城の移転を決め築城されました。

現在、本丸は豊田市美術館の敷地となっています。
南西側に隅櫓が復興されています。
隅櫓の石垣は当時の遺構とされ、切込接・布積、角は算木積の綺麗な石垣です。
西側には、同じ豊田市の寺部城の書院・茶室を移築復元した又日亭があります。

蓮池跡の南側の道路脇に堀状が見え気になり、遺構ではないかもしれませんが写真を撮りました。

挙母城は3年ぶりでしたが、今回はかつての城下町も巡り、挙母城から移築と云われる米蔵門なども見ることができ良かったです。

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HKISD

宇留津城散策 (2023/11/11 訪問)

黒田官兵衛が小倉城を攻略後、九州統一の為に攻めた城ですね。
海がすぐ近くで鳥居が印象的でした。

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岩崎城

第2回 空堀清掃

普段立ち入ることができない空堀エリアに溜まった落ち葉の除去や
草木の剪定などを行います!

清掃直後の貴重な空堀写真や記念品を贈呈!
清掃いただいた方々のお名前をHPに掲載いたします。

【日時】令和6年1月27日(土)13:00~16:00(雨天中止)
【内容】岩崎城土塁両側の空堀内の枯葉掃除、小さな枝の剪定を行い、
空堀がきれいに見えるようにし、空堀内を実際に歩くことでその規模を実感してもらいます。
【場所】岩崎城址公園
【対象】どなたでも
【人数】先着30名
【募集期間】令和5年12月16日(土)~ 9時~17時
【参加費】1500円(保険、記念品、枯葉処分費などに充当)
【応募方法】岩崎城歴史記念館へ、電話またはメールでご連絡ください。

お問い合わせ
岩崎城歴史記念館
〒470-0131 日進市岩崎町市場67番地
電話0561-73-8825 FAX0561-74-0046

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チェブ

金木犀とバス停探し。 (2023/10/14 訪問)

東武アーバンパークラインの馬込沢駅から、30分~40分歩いたのではないかと思います。
Googleをビヨーンと伸ばしても、休憩できる所がなく駅近くのマックで体力回復させ出陣しました。
千葉県道8号線を、ひたすら歩きます。
交通量が多い道ですが、歩いているのは私だけでした。自転車と2台すれ違いましたが、、、。
歩道は草木で通りづらい所があります。右折し、住宅と畑がある方へ向かいます。

金木犀の香りがしました。
金木犀と言ったら私的に、トイレの芳香剤の香りです。
最近は、ハンドクリームやボディソープ等、人気の香りなんだそうです。
小学校のトイレ掃除を思い出しながら歩くとバス停を見つけました。
とある煩悩の登城目録さんの投稿文にあった京成バス『金杉町』でした。
と、言うことは、この神社が「金杉城」の城跡の1部です。
写真を写そうと思っても、ここも車の信号待ちで列ができ、離れて全体を写す事ができません。
写真③は神社横です。遺構が分からず土塁に見えて欲しかったので写しました。

これからは、バスも利用できるようになろうと思った「金杉城」攻めでした。

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イオ

とことん駿府城(寺社めぐり) (2023/08/05 訪問)

(続き)

駿府城の城下町めぐり、まずは静岡浅間神社内に設けられた大河ドラマ館へ。「どうする家康」は観ているものの、大河ドラマ館なるものにはさほど興味はないんですが、ニッポン城めぐりのイベントスポットでもあるので、さらっとひとめぐりすると静岡浅間神社へ。

静岡浅間神社は今川氏の氏神であり、徳川家康が今川義元を烏帽子親として元服した地でもあります。江戸期を通じて徳川将軍家の庇護を受け、江戸後期建造の社殿群には漆塗極彩色が施され、写真で見てはいたものの、大拝殿や楼門のあまりの巨大さと壮麗さには圧倒されるばかりでした。また、元服時に義元から贈られた紅糸威腹巻(静岡市歴史博物館で複製を展示)など、家康ゆかりの品が数多く奉納されているようです。

静岡浅間神社から北に1㎞の臨済寺は、今川義元が急逝した兄・氏輝の菩提を弔うために建立した寺院で、住持となった太原雪斎は軍師として義元を支え、人質時代の竹千代(後の家康)の文武の師ともなりました。大書院には竹千代御手習いの間がありますが、5月19日(義元命日)と10月15日(摩利支天祈祷会)の年2日以外は建物内は非公開なので境内から外観を眺めるだけでした(手習いの間の復元は駿府城の巽櫓で見られます)。今川氏の菩提寺ということで、左手奥の墓地には氏輝や雪斎の墓所があり、境内には氏輝と義元の石塔と位牌を祀った今川神廟が建てられています。氏輝の墓所と並んで家康の関東移封により駿府城に入った中村一氏の墓所もありました。臨済寺には家康が寄進した品々が伝わり、うちいくつかを静岡市歴史博物館の企画展で目にすることができたのはラッキーでした。

静岡駅前に戻って、小梳神社へ。人質として駿府にやってきた竹千代が小梳神社で装束を改めて今川義元と対面したと伝わり、駿府城の守護神として尊崇され長きにわたり徳川家の庇護を受けた…とのことですが、一見して街なかの小さな神社にしか見えず、ニッポン城めぐりのイベントスポットになっていなければ来ることはなかったろうな、という感じでした。

小梳神社から南西に500mの宝台院は徳川秀忠生母の西郷局(於愛の方)の菩提寺として知られ、境内には西郷局の墓がありました。明治初めには徳川慶喜の駿府での謹慎地ともなり、謹慎が解けるまでの1年あまりを宝台院で過ごしています(石碑が建てられていました)。また、この日に歴史博物館でその名を知ったばかりの家康の侍女・ジュリアおたあが信拝したと伝わるキリシタン灯篭も駿府城内から移設されています。駿府の様々な歴史にゆかりのある寺院なんですね。

…と、このあたりで薄暗くなってきたので、この日はここまで。明朝は早起きして堀めぐりに向かいます(続く)。
 

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織田晃司

切り立つ岩はまさに楯の如し (2023/11/03 訪問)

楯岩城の名前の如く南面には石垣や巨大な自然石が多く存在します。
ですが土塁や縦堀も見どころです。
城内には古墳の石室もあります。

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ヒロケン

信越国境の城 (2023/10/07 訪問)

鮫が尾城は、遺構が確認された部分で約10万㎡、天険の要害を形成する自然地形まで含めると約22万㎡にも及ぶこの地方最大級の山城で、尾根筋に大規模な堀切や曲輪を配し、本丸中心部を取り囲むように切岸も確認できます。
発掘調査で、16世紀後半の遺物が殆どであったことから、武田信玄公の北信濃への侵攻への備えとして鮫が尾城の防備が強化されたものと考えられています。
上杉謙信公の没後の跡目争いの「御館の乱」では、勝敗が決する舞台となり、上杉景虎公自刃の地としても有名です。

鮫が尾城は「斐太歴史の里」に面しており、車で行かれる方は「斐太歴史の里」の駐車場に駐車されるとよいでしょう。また、山小屋風の案内所にトイレ・鮫が尾城から出土した炭化したおにぎりや古墳から出土した鉄剣なども展示されていますので、忘れずに見学されると良いと思います。また、続100名城のスタンプもこの案内所に設置されています。
城跡に行かれる際は、この案内所に立ち寄りルート等を確認されることをお勧めします、親切丁寧におば様が教えて頂けます。

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浅井長政 朝倉義景 (2023/11/11 訪問)

 古墳を利用した城で、浅井朝倉軍が織田信長と対峙したときに築いた陣城です。壺笠山だけではすべての軍勢を布陣させることは不可能ではちが峰、あほ山にも陣取ったようです。木々により景観が望めませんが、城域は散策しやすかった。腰曲輪があり石垣が所々残っていますが、土塁、堀切等はありません。
 京阪穴太駅より徒歩で登城しました。主なルートは湖美が丘団地経由と平子谷林道経由の2つがあります。自分は湖美が丘団地経由での登城路を選択しました。倒木等が一部ありましたが、道は整備されていて概ね歩きやすい。帰りは平子谷林道を経由して帰って来ました。こちらも歩きやすかったです。

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三浦の晃ちゃん

会津 蘆名氏の先祖かな? (2023/11/11 訪問)

たぶん、三浦氏関連の、お城です。会津の蘆名氏の御先祖がいたのではないでしょうか。国道134号線から、大楠小学校に向かって行く途中で、左側の細い階段を、降りて行きます。

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ぴーかる

岐部城 (2023/09/10 訪問)

【岐部城】
<駐車場他>駐車場あり<33.665273, 131.625374>20台程度
<交通手段>車

<見所>石垣・曲輪・堀切
<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅2日目ラスト14城目。岐部城は鎌倉時代に岐部氏によって築城されたと伝えられます。岐部氏は大友氏の麾下となり大友水軍の中心的存在となります。大友義統が改易されると一族の中で義統に近侍する者もいたが、この時城は廃城となったようです。
 一族の中にペトロ・カスイ岐部という者がいて1587年生まれ、キリシタン追放令により1614年にマカオに追放されるがローマやエルサレムまで行き司祭となります。1630年に帰国して禁教令のなか布教活動を続けて仙台藩に捕縛され1639年に処刑されます。城跡東麓に記念公園があります。
 駐車場のそばに岐部氏の墓地があり横の登山道から登って行きます。登り初めてすぐにある高石垣と櫓台石垣は当時のものではないようなのですが、主郭跡にも石列と石垣跡が見受けられましたので、櫓台から先にある虎口跡付近の石垣は当時のもの(朽ち方や崩落具合が違うように見えた)かとも思いました。尾根上に上がると展望台と木のベンチが沢山ある曲輪跡に出ます。そこから南に登って主郭を目指します。ほぼ直線の尾根を南に登って行くと主郭手前に2重堀切があります。なかなかの見応えです。主郭部分は南北に長く、西側に並行して下段に帯曲輪があります。西側曲輪壁に石列、石垣跡が見受けられます。東側は斜面がきつく降りられませんが遠目で石が見えて石垣が崩落したような感じにも見えます。主郭南側奥にも仕切り堀切があるだろうと進みますが、最奥は舗装道が現れて網柵があって遮っていました。
 下山したのが18:00頃で豊後高田にも行きたかったのですが、陽も落ちて薄暗くなっていたのでここで今回の旅を終了しました。国東半島には行ったことがなく、地形を見るからに火山で出来た半島で不毛の地かとも思っていましたが、海岸沿いは平野部、田んぼもあって印象が違っていました、すみません。岐部城から国東半島の中心部を縦断して帰りました。全走行距離1530㎞無事走破。

<満足度>◆◆◇

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いんげん丸虫

前田砦 岐阜県恵那市 (2023/11/04 訪問)

前田砦(ぜんだ)。
砦といっても6つの曲輪に巨大な堀切と迫力の
ある遺構がみれます。
上村合戦の激戦の舞台になったようで、武田氏
の関与もあるそうです。
急勾配の切り岸には自然の木材で踏み段が付い
てます。踏み段がないと適当な所を登り降りし
て、地形が削れちゃいますからね。
良い整備だと思います。
登り口に駐車可能で10分位で素晴らしい遺構が
みれます。

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赤い城

高木古城 香川県高松市 (2023/11/03 訪問)

多肥小学校の南側にある住宅地の小さな公園に説明板が着いています。
40メートル四方の単郭の館だったようです。
説明板によると乃生元忠の築城だそうです。
北側の畑には城の権現さんと呼ばれる城の神さんという小さな祠も建っています。
わざわざ行くことも無いと思いますが高松に住んでるのでちょっとした時間で行ってきました。

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織田晃司

山頂に (2023/11/03 訪問)

石垣の要塞、長水城。
夏は山ビルに要注意。

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POYO58

人生初の雲海! (2023/11/03 訪問)

竹田城に8年ぶりにやってきました。11月2日の午後10時に自宅を出発し、車で約4時間の後11月3日の午前2時に駐車場につきました。しかし、こんな真夜中でももう駐車場は満帆で駐車場に続く道路も車がずらりと止まっていました。とりあえず、道沿いに車を止めて、午前3時半に登城口で並び、午前4時半に登城開始しました。展望台は3つあり、上から第1次、第二次、第三次となっています。最初は1次展望台の一番前でスタンバイ。午前6時までは竹田城がライトアップされていました。星空も綺麗で、星を見ながら夜が明けるのを待ちました。
6時半までは一次展望台で雲海を見ましたが、結構竹田城より下に雲がかかっていたので第二次展望台へと移動しました。(ちなみに結構混んでます)
2次展望台では少し雲が山の上方にかかっていました。人生初の雲海に感動しました。
おそらくですが、カメラでの撮影になると第一次展望台の方がよくて、人の頭が写ってしまいますが、なるべく上に行ってみるのもありです。
しかし、第二次展望台ではスマホの撮影が結構いいそうです。

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