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刑部

絶景の館 (2023/10/07 訪問)

駐車場を探していたらいつのまにか空堀の手前まで来てしまいそのまま駐車、土塁の上から南側を眺めると絶景です!

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朝田 辰兵衛

驚きが2つも\(◎o◎)/!! (2023/10/08 訪問)

安居城の攻城後,せっかくなので終着のJR城端駅までやって来ました。油断していたら2つの驚きに遭遇。
まずは,推定地中心部といえる「城端別院 善徳寺」の散策中。鐘楼の石垣に「ナント!」と叫びました。加賀との国境近くとはいえ,ここは越中。金沢城と見間違う石垣に『どーゆー経緯で…』と目を疑いました。
もうひとつは城下。天然の堀となっている山田川の先にあるスーパーのネーミングです。その名も「A·COOP なんと セ●レ」です。「どこ出かけるの?」「セ●レに」という家族間会話が日常的に交わされているかと思うと,「ナント,おそるべし!」と言わざるを得ませんでした…。

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しゅか

笠間城へ (2023/11/06 訪問)

菊祭りを開催していた笠間稲荷神社。時期的にもタイミング的にもバッチリ、綺麗な菊と共に素晴らしいものを見れました!
菊柄の限定御城印も最高👍

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刑部

ドシャ降りの中 (2023/10/06 訪問)

レインウェアを着て遺構見つけながら歩く、予想以上に感動しながら身体は雨に濡れる。もっと時間かけて見たい所です。

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刑部

カニ飯の里 (2023/10/06 訪問)

天候悪く小樽から長万部へ来るのにあちらこちら通行止めに遭いやっと辿り着きました。時間が予定より遅くなりカニ飯諦めてラーメン。

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Yon5g

お遍路の道すがら (2023/09/25 訪問)

水城らしい写真です。

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詠狸庵

新府城と甲州の温泉+グルメ (2023/11/05 訪問)

松本でお城と飲み食いを堪能した後は、甲州市の温泉宿で二日をのんびり過ごしてから電車で甲府まで戻り、レンタカーで韮崎市の新府城を探訪です。

⚪︎新府城
新府城は武田一族最後の城として知られます。八ヶ岳の岩滓流「七里岩」の上にあり、武田勝頼により天正9年から築城開始、甲州流築城術の粋を集めて造られました。年末には躑躅ヶ崎館から移住。しかし完成を前に織田軍が進撃、自ら火を放って城を廃し、岩殿城へ移る途中天目山で武田家は滅亡。未完の城でした。
今となっては本丸以外なかなか全容をつかめませんが、一族滅亡の悲哀がひしひしと感じられます。お城はどこでもそうですが心霊話に事欠かず、この新府城も何かと噂があるようですが、武田家の無念に思いを馳せればむべなるかなとも思います。

⚪︎宿泊・甲州市塩山(えんざん)
松本から特急あずさ号と各駅停車で甲州市の塩山駅まで80分ほど。新宿からは特急かいじ号で90分程度。この地域はお気に入りで年に数回訪れ、色々な温泉に泊まります。大合併前は塩山市でした。小さな町で、観光客や地元客で賑わう松本とは異なり駅前でも本当に人が少ない。しかしその分静かでのんびりとした雰囲気が漂っています。また歴史を感じさせる町で近辺には多くの史跡、名所があります。
駅の近くにはこの地方独特の甲州切妻造りの庄屋屋敷である豪壮な旧高野家住宅(甘草屋敷)や、中世の居館於曽屋敷跡があり、また歴史ある寺社もいくつかあります。和歌に詠まれた塩の山、差出の磯もあり、江戸時代には甲府から大菩薩峠を越えて新宿までを結ぶ青梅街道の宿場町でもありました。少し足を伸ばせは勝沼から山梨市まで国宝の寺院が二つ、重文の神社が一つあります。また一帯は果樹園が広がり、春には一面桃の花で彩られ、まさに桃源郷の粧いとなります。城郭関係では於曽屋敷跡、連方屋敷跡、勝沼氏館跡等が近く、それほど遠くない範囲には岩殿城、躑躅ヶ崎館、甲府城、新府城、能見城等があります。

・宿 笛吹川温泉「坐忘」
お気に入りの地甲州市塩山で、今回は笛吹川温泉「坐忘」に宿泊。
ここは温泉街ではなく一軒宿で、ワイナリー「まるき葡萄酒」が直営する旅館です。かなり高級な宿でお値段もそれなりですが、本当にのんびりでき食事も非常に良いので年二回ほど利用しています。できれば二連泊がおすすめ。笛吹川の河畔に佇み静かな宿です。
食事は茶懐石に準じた形で地元の素材を中心に季節に合わせて次々と供され、夕食で一時間半、朝食でも45分はかかるので急ぎの旅には向きません。質、量ともに十分なので食の細い人、女性では完食できないこともあるようです。もちろん温泉宿なので堅苦しい作法はありませんし、浴衣で食事できます。ワイナリーだけに食事によく合う各種のワインや地酒などを取り揃えていて、また茶懐石なので抹茶も提供され、満足感は非常に高いです。食に関して非常にうるさい知人もここでの食事には相当の高評価です。その分、外での昼食は軽くしておく必要があります。
とにかく食事の品数が多くていちいち書き出すと長くなってしまうので、まとめた画像をご覧ください。

本館二階の八十畳ほどもある広いラウンジは庭に面していて0時まで開放され、ソファでくつろぎながら経営するワイナリー「まるき」の各種ワインやソフトドリンクを自由に頂くことができます。書籍も色々置かれていて、ここでのんびりするのも楽しみの一つです。

オプションとして火曜日に「まるき」のワイナリー見学ツアーもあり、無料で参加できます。また織田信長の焼き討ちに遭い「心頭滅却すれば・・・」の偈で有名な名刹、恵林寺までは歩いて十五分ほど、もう少し先には向嶽寺もあり、春には桃の花を楽しみながら散策するのも良いものです。
チェックインは14時から、チェックアウトは本館が11時、離れの別亭は12時までなのでゆったりできます。

肝心の温泉は源泉43度の掛け流し、この地域に多いアルカリ泉で嵯峨塩や塩山に比べるとアルカリ度は若干低いですが良質です。宿の収容人数が多くないので芋洗い状態になることはなく、湯量が多いのでいつもきれいです。浴場はかなり広く露天風呂も併設、サウナもあります。ただし0時から5時までは利用できません。アメニティも充実しています。内風呂のある部屋も多くこちらは24時間使えます。


⚪︎それ以外の温泉
・近隣の温泉宿
このほかよく利用するのは塩山温泉、嵯峨塩鉱泉、岩下温泉など、
塩山温泉は数軒ありリーズナブル。大菩薩嶺登山客がよく利用します。湯の質はとても良いです。嵯峨塩鉱泉は武田家終焉の地甲斐大和駅から日川渓谷を遡った雰囲気ある一軒宿で、湯量は少ないが高アルカリ泉。食事が美味しい。

・日帰り温泉
はやぶさ温泉、ほったらかし温泉、ぶどうの丘温泉天空の湯、花かげの湯などがあります。ほったらかし温泉は広い露天風呂からの眺望が素晴らしいのでよく知られています。天空の湯は併設のワインカーヴでの試飲、また多種類の甲州ワインを購入できます。



今回の昼食は次の通り

⚪︎「完熟屋」(甲州市塩山駅南)
ほうとう(豚)

ここのほうとうは手抜きがなくカボチャをはじめ野菜がたっぷりで美味しく、よく利用しています。暑い時期は冷たい「おざら」もよし。

⚪︎和菓子「三省堂」
どら焼き
塩山の和菓子店。とても美味しく塩山に来た際にはほぼ必ずここの和菓子を買います。


⚪︎「韮崎むぎとろ」(韮崎市若宮)
牛タンむぎとろ膳

完全予約制の店。むぎとろメインというより牛タンがメイン。焼き加減が素晴らしくむぎとろによく合います。サラダにまで牛タンが入りなんとも贅沢。ご飯は麦少なめ、お櫃で来ます。牛タン、とろろは量が選べます。牛タン以外のメニューもいくつかあります。

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イオ

とことん駿府城(東御門・巽櫓~坤櫓~紅葉山庭園) (2023/08/05 訪問)

(続き)

歴史博物館の北側には二ノ丸堀をはさんで巽櫓と東御門が再建されています。東御門橋を渡り高麗門をくぐると櫓門と多聞櫓で囲まれた枡形になっていて、堀に面する土塀には狭間と雁木が設けられていました。櫓門を抜けて駿府城公園内に入り、まずは北側の東御門・巽櫓入口へ。入口脇の券売機の東御門・巽櫓と坤櫓、紅葉山庭園の3施設共通券は販売終了になっていましたが、歴史博物館で購入済みなので問題ありません(…とこの時は思っていました)。

東御門の櫓門と多聞櫓、巽櫓には駿府城に関する様々な資料が展示されています。歴史博物館が主に徳川家康と駿府の町についての展示なら、こちらは駿府城に特化した内容になっていて、なかなか見応えがありました。中でも駿府城全体のジオラマに東御門・巽櫓や天守台、大手御門の模型など、模型の展示が充実していたように思います。さすがは「世界の模型首都 静岡」というところでしょうか。また、巽櫓の2階には臨済寺の「竹千代手習いの間」が復元されています。通常は臨済寺の建物内は拝観はできないので、復元であっても目にすることができるのは嬉しいですね。

巽櫓を出て、公園内をぶらぶら見て回りながら坤櫓へ。入口で共通券を示したところ、少し慌てた様子で紅葉山庭園にも行かれますかと尋ねられたので、そのつもりですと答えると、入園は16時までなので15時50分には坤櫓を出るようにして下さい、とのこと。…って、あと5分もありませんけど!? 伝統工法により再建された建物内や各展示をゆっくり見学する暇もなく、一周しただけでやむなく坤櫓を退出しました。

坤櫓から徒歩だと7~8分とのことですが、自転車なので5分かからずに紅葉山庭園に到着。何とか間に合いました。それでも16時30分には閉園になるので、気ぜわしく庭園内をひとめぐり。紅葉山庭園は駿府城当時の庭園ではなく、発掘調査では徳川頼宣や徳川義直の御殿とも考えられる礎石建物が確認されているんだとか。庭園は駿河国の名勝を織り込んで作られており、富士山に見立てた築山とサツキの畝の茶畑が特に目を引きました。

…ということで、とりあえず共通券は無駄にせずに済んだものの、紅葉山庭園に続いて行ってみた天守台発掘調査現場も入場は16時までのため見学できませんでした。天守台は駿府城で一番のお目当なので諦めるわけにはいかず、遠征2日目の予定を変更して翌朝の開場一番に再訪することに。考えてみれば、2月に駿河遠征を計画し下調べした際に、駿府城の各施設は閉まるのが早いので、先に駿府城公園内をめぐってから歴史博物館や大河ドラマ館に行こうと考えていたはずだったのに、遠征が半年延期になるうちにその段取りをすっかり忘れてしまっていたとは……いやはや我ながら情けない。

各施設は閉まってもまだまだ8月の日は高く、気を取り直して駿府城公園内を散策するとしましょう(続く)。

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赤い城

由良山城 香川県高松市 (2023/11/03 訪問)

高松市内南側に位置する由良山が城趾です。
南北朝時代の城のようです。
麓の清水神社に車を置き、東側登城口から登って行きました。
登城路は整備されています。
ロープが張ってありその外側は立入禁止です。
15分くらいで山頂に到着、ここも高松市内から瀬戸内海を望むことができます。
この山、江戸時代には由良石と呼ばれる貴重な石の採石場となっていて北側は山頂部から麓まで大きく削られています。
由良石は黒雲母安山岩で皇居東庭の敷居などにも使われているそうです。
で、遺構はほぼ見ることは出来ませんでした。
帰りは西側登城路へ、途中に竪堀と土橋のように見える部分もありましたが果たして?
麓からは先ほどの削られた山を北側から見上げました。
これはこれで江戸時代の貴重な遺構かもしれません。
清水神社に戻る途中には第二次世界大戦中の防空壕も残っています。
南側の採石跡には睡蓮の池もあり、水面に削られた岩肌が映るのを綺麗に見ることも出来ました。
また、麓の道路脇には由良城跡の石碑ガあります。
おそらくこの辺りに館が建っていたと思われます。
遺構はほぼ無く城として訪問するには淋しいですがそれ以降の歴史を踏まえると興味深い場所でもあります。

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じゅんじん

山中城 (2023/10/28 訪問)

障子堀、畝堀が見どころの北条のお城です。

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カズサン

福原氏居館跡(2/2) (2023/10/06 訪問)

 毛利元就生誕の城で館跡が福原氏居館跡として整備保存されています、害獣除けフェンス扉より約100~150m程で福原氏居館跡に着きます、結構広くて南北に長さ約50m、幅約20m程あります。
 中央奥に自然石に刻まれた「毛利元就生誕の碑」が有ります。
 
 これで広島県北部未踏、登城探訪は終了し岡山県備中、備前の城郭探訪へ
 

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カズサン

鈴尾城山頂郭周辺(1/2) (2023/10/06 訪問)

 鈴尾城は別名福原城と言われて、毛利元就の生誕の城と言われている、広島県北部未踏、登城探訪の3日目で10城目に成ります。

 駐車場:登城口の墓場前に数台の駐車可能(34°38'10"N 132°40'01"E)、トイレ無
 参考資料:城郭放浪記さん、古城盛衰記さん、グーグルマップに依る。

 前泊の三次よりR54を走り、五龍城を探訪し、安芸高田市歴史民俗博物館前を通り前日登城した隣の鈴尾城(福原城)へ前日下見をしていましたのでスムーズに駐車場へ到着。
 登城口に毛利元就誕生伝説の地との石碑と案内板が設置されている、害獣除けのフェンス扉開閉して入城、緩やかな登城路を登って行くと広い福原氏居館跡、案内板に、自然石を使った毛利元就誕生の碑、南奥から折れ折れの道を登って行く、合名石碑も有り登りに目安が付き登りやすい、主郭から北東に伸びた尾根の先端に小さな曲輪が切岸で突出目立つ、北の降りると井戸跡、先端曲輪から主郭に向かって4~5段の曲輪、主郭の丸太登城路一部崩落していた登り危険を感じる、降りも危険、主郭は傾斜地で三段に成り最上段に城名碑「福原城址」と案内板、俯瞰図は剝げて識別困難、最上段主郭の南下に曲輪が一つある。
 主郭直前は登城路荒れているが概ね登りやすい城です。
 案内板を写真掲載しましたので、詳細は写真をお読みください。
 

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ぴーかる

富来城 (2023/09/10 訪問)

【富来城】
<駐車場他>城跡地前の道路脇に2台程度駐車できる。
<交通手段>車

<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅2日目13城目。現地説明板によると富来城は1261年に富来氏によって築城されます。富来氏の始まりは鎌倉時代に豊後守護となった大友氏に従って下向した永井実貞が在地名を称したとされます。富来氏はその後も大友氏の重臣として仕えますが耳川の合戦で当主が戦死、秀吉の朝鮮の役で多くの一族が戦死し、大友氏の改易と共に没落します。1594年豊臣秀吉の家臣垣見家純が2万石で入封します。垣見家純は関ケ原合戦の際は西軍側として大垣城に入りそこで謀殺されてしまいます。富来城はその時黒田官兵衛軍に包囲されていましたが主君の死を知り開城します。城は一国一城令により廃城となったようです。
 城跡地は公園化されており残る遺構は僅かです。公園の小丘と南側曲輪壁に僅かに石垣が残りますが蔦が伸びて石垣を埋めておりかなり見にくい状態でした。

<満足度>◆◇◇

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しんしんちゃん

姉小路一族(小島氏)の最期となった城。 (2023/11/04 訪問)

小島城は姉小路家から分家した小島氏の城で安峰山の西北に位置する標高620mの尾根先に築かれています。天正13年(1585)豊臣秀吉によって金森長近が三木氏を討伐した際、小島城も攻められ落城し、城主小島時光は討死したと案内板に書かれています。麓から登山道が続いているようですが、時間と体力の都合で(暑いのに日が短い)北側の林道を使って城址のすぐそばまで行くことにします。まず害獣除けのゲートを開いて舗装された林道を進みます。もちろんゲートはしっかりと閉めておきます。思ったより道はしっかりしています。時々石が落ちているのが気になりますが、それさえクリアできれば問題なく駐車場までたどり着きます。城跡は最高所の主郭を中心に東側に東郭、やぐら台があり西に西郭があって、西郭の先端部の周辺には石垣が良く残っています。その先はロープが張られていて石が露出する急こう配になっています。降りた先は郭になっていますがその先は遺構は見当たりません。あとから考えると降りる先を間違えたようで、西側に降りていくと古城まで行けたようですが、この日はここで切り上げました。

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しんしんちゃん

石垣と堀の一部が残る。 (2023/11/04 訪問)

増島城は金森長近の養子可重によって築かれた城です。可重が二代目高山藩主となって高山城に移った後は長男の重近が入りました。後に金森氏が出羽国上山に移封になり飛騨が天領になった際に廃城になったようです。現在は堀と石垣の一部を残すのみで石垣の上には増島天満宮が奉られています。城郭放浪記さんの情報をたよりに古川町殿町にある円光寺に移築された表門と、古川町片原町にある林昌寺にある城門を見てきました。他にも移築された門があるようですが、時間の都合で確認できていません。

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カズサン

五龍城麓廻り(2/2) (2023/10/06 訪問)

 五龍城を下城して、半島状に伸びる巨岩山城五龍城を江の川と本村川の合流点辺りより暫し眺める、大変攻めにくい山城です、本村川に架かる旧R54五龍橋は4本の橋柱は龍の柱、西側に1本龍橋柱が有り、5本で五龍を表している。
 尾崎丸下にもう一つの登城口が有り、階段前に宍戸司箭神社の鳥居が有り、その脇に城名石碑と広島県史跡五龍城跡案内板が設置されてる。
 新しいR54は五龍城跡をトンネルで貫いている。
 宍戸氏も関ケ原前は15万石を領有していたようですが、関ケ原後毛利氏周長二州に移封の際これに従い、周防三丘1万2千石に移った。(案内板より)
 

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しんしんちゃん

本丸周辺に残る石垣が良い。 (2023/11/04 訪問)

鍋山城は標高753mの鍋山城の山頂の尾根一帯に築かれています。元々は鍋山氏の城ですが、飛騨の国を平定した金森長近が入城し、政務を取った期間もあります。長近公はその後、高山城に移ったとのことです。登城道は四天王神社の麓の西側にあります。ゲートを開けて山道を登っていきますが、しばらく行くと林道に合流します。この合流地点は少しわかりづらいので、帰り道に見失わないように注意が必要です。しばらく登城道を登っていくと、いくつか扁平地があり左手が出丸方向で、右手の山へ登っていく道が本丸へ続く道になります。本丸を目指して登ってくとやがて周辺に残る石垣が見えてきます。虎口の南側と東側に良く残っているようです。そのまま東側より本丸に侵入し、西へ進むと二の丸へ続く道が続いています。すこし急な岩場を下りながら尾根上を西へ向かうと西の峰上が二の丸になっています。派手な遺構は無いのですが、本丸周辺の石垣を見ていると登ってきて良かったと思います。やはり山上で見る石垣は一味違いますね。

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石川数正 (2023/11/09 訪問)

 近くまで来たのでふらりと立ち寄りました。昨年の11月に来ているので約1年ぶりということになります。前に来た時に周辺を歩いたので、今回は時間の制約もあり天守閣周囲のみを散策しました。天守閣が魅力的な城ですが、堀越しに見る天守閣が好きです。毎回同じような写真を撮っていますので、投稿する写真も同じような写真ばかりになりますね。

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カズサン

三の丸切岸で登城断念⁉(1/2) (2023/10/06 訪問)

 五龍城は常陸宍戸から安芸甲立荘に下向し、江の川と本村川合流の半島状に突出た岩山に築いた城です、ようやくこの年に成って辿り着けた山城ですが、さすが人を寄せ付けない堅固な山城、三ノ丸前までやっとの思いでたどり着けましたが切岸の登城路で、手摺は不安定、階段は真砂土で埋まり且つ滑り私にの脚力では滑落不安になり三ノ丸を前にして登城断念しました。残念です。

 駐車場:旧R54沿いで五龍橋を渡った直ぐ西に砂利駐車場有数台可(34°41'57"N 132°45'23"E)ここを利用、道の反対東側にもアスファルト舗装駐車場有、トイレ無。
 参考資料:城郭放浪記さん、古城盛衰記さんによる。

 駐車場から宍戸の里碑、案内板を確認し木村川沿いの道から階段を登って先端の尾崎丸へ、折れ折れの登城路は少し崩落も有り危険な状態、尾崎丸の上段に宍戸司箭神社が鎮座、神社西奥の物見の段より尾根の細く、竪堀の様な岩崖横道も細くひやひやもの道を通り、一位ノ段へ、櫓ノ段手前の坂道に桜の大きな枝が倒れて道を塞いでる、手前からの取り除きは危険なので枝と枝の隙間を潜り抜けて、上から谷方向へ落とし込む、広い櫓ノ段、祠有り、上方向に土塁と細い虎口、虎口を通り一位ノ段の土橋と堀を登り、三ノ丸手前の切岸、登城路が三段の折れ折れで不安定な手摺、一段目の折れまで登ったが真砂土で滑り、私の脚力では滑落の恐れも心配し此処でこれより上の登城は断念する。残念ですが仕方ありません。
 前泊した三次よりR54で約15km程にあり、広島県北部未踏、登城探訪の3日目9城目に成ります、前日の桂城が8城目でした。
 
 縄張付き案内板を写真掲載しますので詳細は案内板をご覧ください。
 この後は下城して麓を探訪。

 

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奈良井城 (2023/11/09 訪問)

中山道34番目の宿場町奈良井宿にあります。城びとには未登録の城館跡です。南は崖、西は沢になっていて、東と北に堀を作り防御を固めた城館です。堀が明瞭に残っています。
 奈良井治部少輔義高の館と伝わっています。諸説ありますが、奈良井義高は木曽氏の支族の洗馬の三村氏の子で、幼いころに人質として木曽義在のもとへと送られ、木曽源五郎と名乗ったとされています。成人して奈良井宿に館を構えて奈良井治部少輔を名乗りました。塩尻峠の戦いでは小笠原長時、木曽義康と共に戦い先鋒を務めています。小笠原長時は奈良井義高を気に入り、娘を嫁がせました。その後、武田氏、徳川氏など時代に翻弄され最終的には木曽義昌に切られたと伝わっています。

奈良井宿
 鳥居峠近くに位置する宿場町ですが、江戸時代には木曽の宿場町の中では最も賑わっていて奈良井千軒といわれるほど栄えていたようです。今でも宿場町の風情を残しています。
散策中、古民家カフェ「松屋茶房」さんに立ち寄りコーヒー(トラジャ)とリンゴタルトをいただきました。

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