みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

POYO58

主郭が二つあるお城 (2024/08/25 訪問)

実はこれも2年ぶりなのですが、4連続の2年ぶりタイトルはウザいと思うのでやめておきます。
高天神城はもともと今川氏の家臣、福島氏が築きました。福島氏滅亡後は今川家臣、小笠原氏が支配しました。しかし、織田信長により今川義元が打たれると、小笠原長忠は徳川家康に味方し、のちに武田信玄の2万5千兵をたった2000人で撃退します。ただその後の武田勝頼による攻勢で小笠原氏は倒れ、高天神城は勝頼の手に渡りますが、後に徳川家康の兵糧攻めにより落城します。

2年前行った時は本丸探訪に留まってしまいましたが、今回は西の丸、二の丸も探訪。
本丸には枡形虎口が設けられ、土塁も残っています。昭和時代にもともと模擬天守が建っていたそうで、その天守台も残っていました。その行方はというと、第二次世界大戦で標的になることを避け、取り壊されたそうですが、詳しいことはわかっていません。
二の丸には大きな堀切とそれを跨いで長ーい横堀があります。どちらもなかなか大きいもので多分これが1番見どころ。
西の丸には大きな堀切があります。眺めも最高でした。
三の丸には土塁があちこちにあります。ちかくに着到櫓台があり、綺麗に土塁が高々と残っていました。
最後は追手門跡を通って帰りました。
さすが世界最強の城
評価★★★★☆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

義良親王 (2024/09/19 訪問)

 1338年南朝の義良親王(後村上天皇)が東国へ向かう途中、遠州灘で暴風雨に遭い、篠島に漂着しました。島の東に在った寺「妙見斎」に館を造り、滞在された場所ということです。山の上ということ以外、城跡らしい雰囲気はありません。

 名鉄河和駅から徒歩約5分の場所にある河和港から名鉄海上観光船の定期高速船に乗ると約30分で篠島港へ着きます。港から徒歩15~20分くらいで城址とされる城山水神天狗へ行くことができます。登城口から細い民家の脇の道を通りますが、迷うことなく行くことができました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

天守無しがアツい

住宅地になりすぎて城の遺構が… (2024/09/16 訪問)

(参考URL)https://www.house.jp/areainfo/tsurumi/tsurumi-teraojyoshi-w110-20220228/

JR鶴見駅からバスで20分くらいの場所に殿山というバス停があります🚏 そこから坂道を少し登ると…寺尾城址の案内板(1枚目)があります

ここの案内板が今回見た中で一番詳しく紹介されているのですが…私から見れば逆に分かりづらい案内にも思えてきます。特に右下の地図が…現在地以外、どこを指してるのかがよく分からない…

住宅街の道をひたすら歩きました…矢印の標識も無いため、切り札として地図アプリを活用。「寺尾城址」というキーワードを入力すると…ちゃんとルートが出てきたので坂道を上がる形で向かい…とうとうゴール

しかしそこは…なんと民家の前🏠 寺尾城址の石碑と案内板(2枚目)だけがそこにあると…イメージと違ったというのは正直否めませんでした😅

「寺尾城は領主諏訪三河守五代(約一四〇年間)にわたりこの地にあった。後北条氏に属し、貫高は二百貫文(およそ二千石)で、北条早雲が小田原城主になる以前からすでに居城していた」

「永禄十二年(一五六九)、武田信玄が小田原城を攻めた際に、廃城になったと思われる。数百年を経た今日、その遺構(空堀・土塁跡)の一部が殿山公園などに現存している。」

と案内板には書かれてました…とりあえず…家の中がなるべく写らないように、石碑と案内板を撮影。それから地図アプリを頼りに殿山公園へと向かいました

石碑の場所から坂を下って…徒歩数分の場所にその公園(殿山公園)はありました。親子がサッカーボールで遊んでる中を通らせてもらい、階段を上った先に(3枚目の)案内板がありました。それも読んでみたら…

廃城後、空堀はしばらく放置されており、江戸時代には宝永の大噴火による火山灰が積もった跡が見られた。学術調査により、武蔵国を扱う歴史書に寺尾城として記され伝承されている、戦国時代の城郭の存在の証拠となるものが発見された…という具合に書かれてました

この案内板…平成6年…つまり30年も前に設置されたものだからか、文字や画像がだいぶ薄くなっており、かなり読みづらかった…そして右下の画像に断層…というか土壁のようなものが見えたので、少し階段を降りて来た道を戻る形でそれらしきものを確認することにしました

思い当たるのが…殿山公園の…階段左手にある土の部分(4枚目)。「案内板にあった空堀や土塁跡ってここのことだろうか?」と思いながら眺めてみました…

けれど…そこは至る所草木に覆われていて…それらしき面影を見つけることはできませんでした😅🌱🌲 横浜市内の他の城跡(小机城や茅ヶ崎城)は公園として整備されており、土塁なり空堀なりを素人の眼からもしっかりと見てとる事ができるのですが…

ここは上記のように草木に覆われてそれが伺えない…それ以前にここは家が立ち並びすぎて…開発されすぎて、城の遺構が乏しい。平成6年の調査ではそれらしきものがあったとしても、それから時が流れてこのようになってしまったのか?🏠🏠🏠🏠🏠

おそらくここの住民は…寺尾城の存在自体さえ知らない。もしくは名前くらい…戦国時代あたりにこの辺りに城があった事はギリ知っていても、詳しくは知らない…方が大多数なのではないでしょうか?

案内板を見る限り、この城の廃城は1569年で、しかも割と簡素な説明…「廃城になったと思われる」…よく分かんないけど城は滅んだ的な表現に聞こえるため、研究者でさえよく分からないみたいですね。専門家でその有様なら、城跡に住んでいるだけの一般人は…尚更ですよね

+ 続きを読む

赤い城

仁尾浦を見下ろす (2024/09/08 訪問)

城跡には覚城院というお寺が建っています。
お寺の駐車場を利用し、石段を登っていきます。
石段の途中に石碑があるのみで遺構は残りません。
ただ、お寺への入口が枡形虎口っぽくなっていました。
名残なのかはわかりませんがなんとなく城跡を感じさせます。

覚城院本堂を参拝し、少し散策してみました。
隣接する大権現は少し高い位置にあり、鐘楼は国の重要文化財に指定されています。
さらに背後の高くなっているところを登ると墓地となっていました。
ここからは仁尾浦が見渡せ、瀬戸内の往来を監視できたのではないでしょうか。

築城の詳細は不明ですが戦国時代には細川頼弘が城主でしたがここも長宗我部軍に攻められて落城しました。

ちなみにこの近くには讃岐の隠れた名物である「たこ判」なるものが。
たこ焼きと大判焼きの間のようなもの。
以外とボリュームありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

道路もバスナカもキャパオーバーで… (2024/08/11 訪問)

小田原駅東口から箱根登山バスで,湯坂路入口を目指しました。バスはぎゅうぎゅう詰めで,箱根湯本駅からは道路も大渋滞という悲劇に見舞われました。外国人観光客が多かったので,単純に平日にシフトしても状況はあまり変わらないかと思います。
にのまるさん,赤い城さん,しんちゃんさんのように,一歩踏み込んだ散策に興味があったのですが,バス移動ですっかり疲れ果ててしまいました。
復路も同様に混んでいるだろうと想像すると,落ち着いて散策もできず…<泣>。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

九州鉄道記念館(門司城の帰りにちょっと寄り道) (2024/09/16 訪問)

門司城からの帰りに、門司港駅前にある「九州鉄道記念館」という所に、ちょっと寄り道してきました。祝日という事もあり子供連れがとても多かったです。懐かしい列車が野外展示されていて、ゲートをくぐるやいなや、いきなりテンションが上がってしまいました(写真④)。

蒸気機関車や、新1000円札の顔である「北里柴三郎」生誕の地(熊本県小国町)をかつて走っていたという列車もありました(写真⑤⑥)。という事は、柴三郎ももしかしてこの列車に乗っていたのでしょうか? 

昔の特急「にちりん」(写真⑦)の展示もありました。これとても懐かしいです。私が20~30代の頃は、博多-大分間の日豊本線でこれ何十回も乗りました。他にも、寝台特急「さくら」(写真⑧)なども展示されていました。今はその「さくら」の名前は新幹線に引き継がれています。

記念館の館内には、昔の切符や制服やプレートや各部品、タブレットもありました(写真⑨)。さあこの「タブレット」とはいったい何に使われていたでしょうか?(わかるかな🤔?)。シアターでは九州内を走る列車が紹介されると、巨大なジオラマの中にあるその列車の模型が動き出すなど、とてもよくできていて、もう目が釘づけになる展示もありました。

また運転手になった気分になれる運転シミュレータがありました(写真⑩)。これ実におもしろいです。私が運転したらスペースワールド駅のホームをオーバーランしてしまいました(くやしいな~!)。列車のブレーキ操作って意外と難しいですね。よしもう1回挑戦と夢中になっていたら、「おじさん早く代わってよ!」と順番待ちの子供たちから怒られてしまいました(😩~)。

入場料わずか300円で結構楽しめます。門司城を訪れた際は駅前にあるので、ぜひ立ち寄られる事をオススメします。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

佐久島からの帰路の攻城③ (2024/09/15 訪問)

緒川城では移築城門を見逃すという失態を演じてしまいましたが、ここ、重原陣屋では願行寺の移築門、十応寺(廃寺)の移築玄関をしっかりとチェックすることができました。駐車場所が確保できるのか不安でしたが、浄福寺にも願行寺にも数台はとめられる駐車場があり、ほっとしました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

あの水野ではない水野氏のお城 (2024/08/02 訪問)

水野を本拠としていた平姓水野氏(徳川と親しいあの水野とは別系統)が新たに開いた(新居)土地に築いたのがこのお城。公園化による改変も大きいが土塁にも堀にも切岸にも十分な趣がある。公園内には模擬天守「旭城」も建つ。

+ 続きを読む

HKISD

引地山城散策 (2024/09/15 訪問)

私有地になっており近く迄は行けませんでしたが回りを散策し到津八幡神社で参拝しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

【近江・4徳川氏御殿】滋賀県 (2024/06/24 訪問)

 近江の国滋賀県には4ヶ所の徳川氏御茶屋御殿が有りました、家康、秀忠、家光3代が上洛下向の折りに宿泊休憩に使用した御殿です。
 4ヶ所は水口城、永原城、伊庭御殿、柏原御殿を指します。

 【水口城】 滋賀県甲賀市水口町本丸4ー80  駐車場:北側の水口公民館裏駐車場
       最終訪問日:令和5年8月6日
       外枡形の水口城資料館に復元水口城立体模型が展示されて、方形の本丸石垣造り四方に平櫓、内側四方に雁木石垣、外枡       
       門と内枡形門が構えて、一部多聞櫓、土塀が囲っていました、本丸御殿は格式高い杮葺きでした。
       現在は水口高校のグラウンド、四方の石垣は近江鉄道に売却されて、土手土塁上です、唯一乾櫓台の石垣が残って居り四
       方は濠です。
 【永原城】 滋賀県野洲市永原1093     駐車場:東側本丸堀埋立地砂利駐車場
       最終訪問日:令和6年6月24日
       野洲市歴史民俗博物館に永原御茶屋復元立体模型が展示されています(滋賀県野洲市辻町57-1)、本丸四方角に平櫓が建
       ち、腰巻石垣上に土塁を盛土塀で囲っています、南と東に平虎口櫓門、二の丸、三の丸が控えて居ました。
       現在は本丸は私有地で真竹で覆われており、令和4年3月に「史跡永原御殿跡」整備計画書が作成されて、概ね6年程で
       第一期の本丸と本丸外周堀の復元整備が行われる予定です、整備と発掘調査が並行して行われて時々には発掘調査現地説
       明会行われて居るようです、ただ真竹の伐採、地下茎の根絶が大変でしょう。
       楽しみに待ちたいところです、年齢的にギリギリかも?
 【伊庭御殿】滋賀県東近江市能登川町(御殿地広場) 駐車場:御殿地広場南前路駐
       最終訪問日:令和6年6月24日
       現在発掘調査で発見されて石垣などが地表展示されています。域内進入禁止中。
 【柏原御殿】滋賀県米原市柏原2137(小公園)  駐車場:柏原宿観光駐車場
       最終訪問日:令和6年6月24日
       小公園として整備されていますが、案内板と石碑のみ。

 残暑といえど酷暑で厳しい日々、城探訪もままなりません、秋の彼岸が過ぎれば涼しさも増し城廻もそろそろと言った感じですが、足腰は鈍ったままです。まだ城探訪の企画は出来て居ません。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

門司城と関門海峡の潮風 (2024/09/16 訪問)

JR鹿児島本線に乗り終点の地「門司港駅」に着きました、降りてホームからふと見上げると今日の目的地「門司城」が見えました(意外と高い😯)(写真①)。

門司港駅前から「和布刈(めかり)」行きのバスに乗り15分、「和布刈公園」で下車しました(写真②)。ここが登山口です(車もここから入れます)。そして舗装されているとはいえ、かなりの傾斜の道を登ること25分、駐車場のある所に着きました(写真③)。9月も後半というのに気温36度の酷暑の中もう汗ダクです。しかもこの傾斜で足もけいれん気味。さらにそこから最後の力を振り絞り遊歩道を5分程登ると山頂の「門司城」到着しました(写真④)。

ここから関門海峡を眺めた景色は実に気持ちがよかったです(写真⑤)。ここで30分間、汗が引いて足が回復するまで、石碑にもたれて潮風に吹かれながら、この景色をずっと眺めていました(誰も来なかった)。

しかしこの美しい景色とは裏腹に、ここは「毛利VS大友」が何度も争奪戦を繰り広げたという激戦の地でもあります。特に1556~1562年6度に渡って繰り広げられた「門司城の戦い」は壮絶だったようです。鎌倉室町時代から続く貿易商人の町「博多」を何としても大友氏から奪いたい毛利元就、そのためにはこの関門海峡の制海権を得なければなりません。元就は小早川水軍全軍をもってこの門司城を攻めるよう命じます。そして5度目の戦いでついに小早川軍が勝利しました。その勢いで吉川元春も合流し毛利軍は博多に迫ります。それに対する大友宗麟も自ら全軍を率いて豊後を出陣、両軍合わせ8万の軍勢が、博多と立花山城との間の多々良川で対峙しました。しかしその時、何と尼子家再興を計る尼子勝久・山中鹿之助が月山富田城を攻め落とし、毛利は背後をつかれます。もはや大友氏どころではなくなり、体制を立て直すべく吉田郡山城へと撤退しました。

この後、大友宗麟は耳川の戦いで島津に敗れ衰退。門司城は南下した豊臣秀吉により占領されます。さらに関ケ原の戦い後には、領主となった細川忠興が小倉城を築城し拠点を小倉にしたため、一国一城令で門司城は廃城となりました。今では大友時代の石垣が少しだけ残り、当時の面影をわずかに見る事ができます(写真⑥)。まぎらわしい感じの新しい石垣が多々ありますが、それは太平洋戦争時、日本軍がここに砲台を築いたためその時のものと思われます。その砲台跡と火薬庫が山頂にありました。

帰りは山を反対側(東側)から下りました。すると壇ノ浦の戦いの最後の決戦地「田野浦海岸」が眼下に見え、その展望台には壁画がありました(写真⑦)。そして下りた場所は、壇ノ浦の戦いで安徳天皇が入水したという場所で、その石碑がありました(写真⑧)。そしてそこから3分程歩いた場所は関門橋の真下にあたり(写真⑨)、関門トンネル人道口と和布刈神社がありました。神社にお参りした後バスで戻ろうかとも思いましたが、次のバスまで時間が30分もあり1つ手前の始発のバス停(和布刈)まで海沿いの遊歩道がきれいに整備されていたので(写真⑧)、潮風に吹かれながら歩きました。するとそこはトロッコ列車の駅(和布刈駅)もあり、発車時間にまだ間に合い乗れそうだったので、トロッコ列車に乗って門司港駅に戻りました(写真⑩)。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

駿府城

駿府城夏まつりに出店しました!

8月17日(土曜日)・18日(日曜日)に駿府城公園で開催された「駿府城夏まつり」に皆さん足を運ばれたでしょうか?
今年の駿府城夏まつりは「若者と作る静岡の未来」をテーマに、県内の大学生や企業などが連携し、音楽ライブやお笑い芸人のステージ、夏らしい屋台などが出店しました。
駿府城公園エリア活性化連絡会(注)では、楽しく歴史に触れることができるブースとして、スタンプラリーや甲冑(かっちゅう)体験などを実施しました。

(注)駿府城公園エリア活性化連絡会:歴史文化課・歴史博物館・駿府城公園3施設・葵舟・駿府ウエイブ・するが企画観光局が連携して、エリア周辺の賑わいと活性化を図る団体

両日とても暑い日でしたが、多くの方々がスタンプラリーに参加されました。
現在、スタンプラリーは行われていませんが、発掘情報館「きゃっしる」では、スタンプを重ねてしおりになる金箔瓦のスタンプを置いています。
 
金箔瓦には金色のインクが使われているため、本物さながらにキラキラ輝きます。
駿府城跡天守台発掘調査現場を訪れた思い出になりますので、お越しの際はぜひご利用ください。

+ 続きを読む

トベシュン

新潟4名城高田城、春日山城跡、新発田城、村上城跡めぐり (2024/09/14 訪問)

新潟の4名城高田城、春日山城跡、新発田城、村上城跡めぐりしてきました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トベシュン

新潟4名城高田城、春日山城跡、新発田城、村上城跡めぐり (2024/09/14 訪問)

新潟の4名城高田城、春日山城跡、新発田城、村上城跡めぐりしてきました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トベシュン

新潟4名城高田城、春日山城跡、新発田城、村上城跡めぐり (2024/09/13 訪問)

新潟の4名城高田城、春日山城跡、新発田城、村上城跡めぐりしてきました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トベシュン

新潟4名城高田城、春日山城跡、新発田城、村上城跡めぐり (2024/09/13 訪問)

新潟の4名城高田城、春日山城跡、新発田城、村上城跡めぐりしてきました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トベシュン

愛知・三重・岐阜・愛三岐に佇む8名城と2古戦場めぐり (2024/09/08 訪問)

愛知・三重・岐阜・愛三岐に佇む8名城長篠城跡、岡崎城、岩村城跡、岐阜城、犬山城、松坂城跡、伊賀上野城、名古屋城と
2古戦場三方ヶ原古戦場跡、設楽ヶ原古戦場跡めぐりしました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トベシュン

愛知・三重・岐阜・愛三岐に佇む8名城と2古戦場めぐり (2024/09/08 訪問)

愛知・三重・岐阜・愛三岐に佇む8名城長篠城跡、岡崎城、岩村城跡、岐阜城、犬山城、松坂城跡、伊賀上野城、名古屋城と
2古戦場三方ヶ原古戦場跡、設楽ヶ原古戦場跡めぐりしました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トベシュン

愛知・三重・岐阜・愛三岐に佇む8名城と2古戦場めぐり (2024/09/08 訪問)

愛知・三重・岐阜・愛三岐に佇む8名城長篠城跡、岡崎城、岩村城跡、岐阜城、犬山城、松坂城跡、伊賀上野城、名古屋城と
2古戦場三方ヶ原古戦場跡、設楽ヶ原古戦場跡めぐりしました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トベシュン

愛知・三重・岐阜・愛三岐に佇む8名城と2古戦場めぐり (2024/09/07 訪問)

愛知・三重・岐阜・愛三岐に佇む8名城長篠城跡、岡崎城、岩村城跡、岐阜城、犬山城、松坂城跡、伊賀上野城、名古屋城と
2古戦場三方ヶ原古戦場跡、設楽ヶ原古戦場跡めぐりしました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ131