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ランフランコ

#33 虎臥城 (2024/09/14 訪問)

天守閣はなくとも、やはりここは最高の城。

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todo94

佐久島からの帰路の攻城① (2024/09/15 訪問)

3連休の初日に所用が入っていたため、あまり遠くない行き先を思案していたところ、2024年9月の駅すぱあとのメルマガ、駅すぱあとアンテナに三河湾に浮かぶアートの島・佐久島が紹介されていたので日帰りで行くことにしました。直線距離は熱海の初島の方が近いと思いますが、うちから最もアクセスしやすいのが佐久島だと思います。高温多湿で、大汗をかきながらスタンプラリーを思う存分楽しむことができました。佐久島の渡船が発着する一色港からの帰路の途上、最初に立ち寄ったのが、此処、大浜陣屋になります。先達の皆さんに倣ってお向かいのスーパーに駐車させていただきお買い物。渥美半島産の一度も冷凍していない釜揚げしらすの新物を購入しました。帰宅後、さっそく食べてみましたが、非常に美味しかったです。大浜陣屋広場は小さな公園なのでサクッとみてくることができました。

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にのまる

18きっぷラスト(8回目) (2024/09/07 訪問)

興国寺城に行くか諏訪原城に行くか、東海道線が静岡県に入っても決められずにいたのですが、〈より行きたいのはどちらなのか?〉と自分の心に尋ねてみたところ、〈諏訪原城〉という答えが返ってきたので、片道約5時間の旅となりました。JREポイントを使い尽くしていたのでグリーン車には乗りませんでしたが、313系の転換クロスシートをはじめとして全て座れて快適でした。

金谷駅から旧東海道の石畳を歩きます。「平成の道普請」として復元してくださった石畳の道は杉木立に覆われ、時代劇の中に迷い込んだような錯覚に陥ります。編笠被って脚絆を付けて…が似合いそう。
すんなりと一歩を踏み出せたのは、この道がどこまで続いているのか、ゴールが見えなかったせいかもしれません。歩き出すとなかなかハードです。しかし旅人が歩きやすいようにと山石を敷いてくださったのですから、きついのは気のせいだと思うことにしました。“すべらず地蔵”も過ぎてようやく到着です。

前回訪問時はビジターセンターはなかったので早速入ってみました。金谷駅前の観光案内所が無人案内所になっていたので現地施設は助かります。“ご自由にお持ちください”のミニうちわもありがたかったです。
整然と並べられた出土品の鉄砲玉や地元高校生作のジオラマなど、選び抜かれたに違いない展示を楽しませていただきました。

諏訪原城で気になっていたものの一つに〈勝頼ハンコ〉があります。屋外のスチールボックスの中に続100名城スタンプと一緒に入っていた勝頼ハンコ。まだあったら押しまくりたいなぁと思っていたのですが見つけられませんでした😢

いよいよ城内探検です。
順路が示してあり、マップも説明板も備えてくださっています。
にもかかわらず逆まわりをしてしまい、わりとすぐにわけがわからなくなってしまいました(*_*)
もう、この際とことん迷うことにして歩き続けます。
ここはどこ?
どっちから来たっけ?
がずっと続き、新しい場所に出るたびに“おぉーっ!”となって、巨大迷路の中を歩いているみたいでした。

多分水の手曲輪以外は案内書にあるポイントは全て行けたのではないかなと思います。前回カモシカに遭遇して途中退散してしまい、これほど大きな城郭とは思っていなかったので、行けてよかったです。三日月堀や復元薬医門、大きな外堀、広大な曲輪と惹かれるものはたくさんありましたが、堀底のカンカン井戸がいちばんグッときました。

本曲輪東側から望んだ大井川。自然地形を利用していること、交通の要衝であったことがよくわかるポイントです。
再び石畳道を歩いて金谷駅へ戻り、電車でひと駅の島田で下車。つぎにその大井川を渡りに行きました。


【蓬萊橋】
島田駅から徒歩20分くらいです。
蓬萊橋はギネス認定の世界一長い木造歩道橋。(現在の橋脚はコンクリート)。
“越すに越されぬ大井川”を歩いて渡れるなんて!一生に一度でいいから経験してみたい!!
897.4mは関門人道トンネルよりも長い!本州から九州に渡るよりも遠い!!
ワクワク☺️が止まりません。
渡し賃100円を支払い、往復しました。
日差しは強かったけれど吹き抜ける風が気持ちよくて、長さがある分満足度も高く、いい思い出になりました。

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とばつびしゃもん

茶色い天守の城 (2024/05/05 訪問)

宿営先から徒歩で攻城。冠木橋を渡り冠木門を通り抜けるとそこは本丸。
茶色く見える復興天守へ入城。1階に設置された続日本100名城スタンプポン。天守内部は資料館。高島藩の後継者争いである二の丸騒動に関する展示が多くあり興味深く見られました。
天守を出てから本丸内を見てまわり、本丸南東部にある陸橋からうっすら見える富士山を眺める。本丸を離れて二ノ丸跡、三ノ丸跡を歩いて大手門があったとされる場所まで行くが遺構は確認できず。
本丸へ戻り、2時間の攻城を終える。

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まつたく

宿泊したい

福山城に宿泊できるらしい。どなたか宿泊した体験を教えてもらえないだろうか?

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とばつびしゃもん

穴城と呼ばれる城 (2024/05/04 訪問)

13年ぶりに登城。三の門近くの有料の第1駐車場に駐車し登城開始。
三の門料金所から二の丸を経由し、黒門橋を右に進み水の手展望台へ。眼下に千曲川を見下ろす眺望は気持ちよい。本丸へ入って天守台に登る。天守台には柵がなく、それほど高さは感じないものの端から見下ろすと少し恐い。
「懐古園」の大きな額が目を引く三の門を抜け大手門へ。巨大な櫓門を見上げると圧倒される。
大手門横の茶店で休憩の後、駐車場に戻り75分ほどの攻城。諏訪湖畔で宿営。

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ぎりょう

中世山城発掘現場を見学 「兵六館」 宮城県富谷市西成田 (2024/09/07 訪問)

宮城県富谷市の中世山城「兵六館」跡を訪れました。富谷市文化財課は今年6月から西成田地区にある九ヵ所の遺跡の調査を行っており、この日は県考古学会の中世・近世部会に向けた発掘調査現場の見学会でしたが、会員と同行した私も見学させていただきました。
総面積14ヘクタールの調査地のうち、8ヘクタールが兵六館の城域とのことで、山城跡は樹木が伐採されとても見やすい状況になっていました。標高70mほどの山上に曲輪、腰曲輪、堀切、土塁の遺構が確認されており、主曲輪では複数の掘立式建物跡も見つかっています。自身ここ数年地域の中世山城の調査を行ってきましたが、城の縄張りの全容が確認できる発掘現場の見学は初めてのことであり、大変勉強になりました。
この地域は多賀城にも近く古くからの交通の要衝。「仙臺領古城書上」や、「安永風土記御用書立」の成田村の項にも記載が無く、運用時期や館主は不明ですが、遺構の状況から15世紀末から16世紀前半かとの説明がありました。
なお、9月29日(日)には一般向け現地説明会も予定されており、詳細は富谷市のHPで確認できます。

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ヒロケン

2万2千石の大城郭 (2024/08/13 訪問)

人吉城は、球磨川と胸川の合流地点に築かれ、最高所に本丸、南側と東側は急崖、北側と西側を二の丸が囲み、さらに三の丸が囲む典型的な梯郭式の平山城です。中世の人吉城は近世人吉城の後ろに広がる城山、シラス台地上にあり、大堀切や谷で区切られている群郭式の城で、その一つの曲輪を改修して石垣を加えたのが近世人吉城です。

鎌倉時代、地頭として相良氏が人吉に入って以来、廃藩置県まで35代670年間取り潰しや国替えを経験せず相良氏が人吉を治めた珍しい例だといえます。

この日、ホテルを朝4時頃出て、5分ほど走り岩下門辺りから城内へ入り、トイレがある御館御門橋横の駐車場に駐車、まず、人吉城歴史館で100名城のスタンプを押し、御館御門橋から相良神社境内を散策、相良神社から脇道に入り三の丸へ。ここまでは、「やっぱり2万2千石だな」との思いがありましたが、三の丸に入ってすぐに二の丸を囲う石垣が目に飛び込んできて「すっげー」テンション爆上がり、特に中御門跡の石垣が恰好が良い(#^.^#)角度を少しづつ変えながらパシャパシャ画像を撮りまくり、二の丸、本丸を散策、興奮冷めやらず間に、御下門まで下りてきて、また興奮(#^.^#)、堀合門、水の手門跡、はね出し石垣見学後、気付けば6時過ぎ、汗だくなのでシャワーを浴びて朝食をと取らねばと思い、急ぎホテルへ直帰。朝食を済ませ予定通り、ホテルからすぐのICから九州自動車道へ。「しまったぁ~」再建された隅櫓・多門櫓北側長塀など見学するのを忘れてる。満足した人吉城ではありましたが、忘れ物を撮りにまた再訪しようと考えています。

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侍ホリタン

18年ぶりに一般公開中の二条城本丸御殿 (2024/09/10 訪問)

7年前の平成29年から耐震補強などの工事が行われていた世界遺産二条城にある本丸御殿、この度工事が完了、9月1日より18年ぶりに一般公開されています。一般公開はwebによる事前予約(別途拝観料も事前支払い)が必要で、予約した少人数のグループ毎に建物の中を見て回ります。事前予約は二条城のホームページで受け付けています。
本丸御殿は、明治27年(1894年)に明治天皇の命により京都御所の北東部にあった桂宮御殿を移築したもので、後の大正天皇、昭和天皇の宿泊所として使用されました。
江戸時代から近代にかけての宮廷文化、建築を知ることのできる貴重な建物で国の重要文化財に指定されています。

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渋川城 (2024/09/14 訪問)

 夏の終わりの尾張城散歩。愛知県尾張旭市にあった城です。城びとには未登録の城址です。遺構はありません。北島公園に説明板がありました。中世の平城で堀と土塁に囲まれていたことはわかっていますが、城主や築城時期などは詳しくわかっていないようです。

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印場城 (2024/09/14 訪問)

 夏の終わりの尾張城散歩。愛知県尾張旭市にあった城です。城びとには未登録の城址です。遺構はありません。尾張旭市西部浄化センター前に説明板がありました。平地に造られた平城で、堀と土塁に囲まれていました。調査では、当時の人々が使っていたとみられる天目茶碗や漆器類、木製品などが発見されています。
城主は坂井弥兵衛と伝わっていますが詳細は不明です。

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瀬戸川城 (2024/09/14 訪問)

 夏の終わりの尾張城散歩。愛知県尾張旭市の三郷小学校の西側にあった城です。城びとには未登録の城址です。石碑と説明板がありました。井田城主浅井玄播允の弟である浅井源四郎が築いた城と言われていますが、詳細はわかっていないようです。1977年から始まった発掘調査では、平城で、土塁と堀があったことが分かっています。

尾張旭市内の城跡は、新居城を除いて、平城で川のそばに築かれています。これらの城は、防御の意味だけでなく、水利を支配する目的もあったのではないかと考えられています、と尾張旭市のHPに書いてありました。

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井田城 (2024/09/14 訪問)

 夏の終わりの尾張城散歩。愛知県尾張旭市にあった城です。城びとには未登録の城址です。八反田公園に石碑と説明板がありました。昭和53年の発掘調査で東西約66m、南北約67mのほぼ正方形で土塁と堀を巡らせていたことがわかっています。
浅井玄蕃充の居城と伝っています。戦国時代には林三郎兵衛正俊の居城になっていたようです。

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本地城 (2024/09/14 訪問)

 夏の終わりの尾張城散歩。瀬戸市西本地町付近にあった城です。城びとには未登録の城址です。遺構はありませんが、石碑と説明板がありました。城主松原平内は、今村城の松原広長の叔父にあたる人物で、広長と共に安戸坂の戦いで亡くなり、本地城はその後、廃城になりました。
お城は現在石碑が建っている場所ではなく、北に流れる矢田川の更に100m位北にあったようです。

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今村城 (2024/09/14 訪問)

 夏の終わりの尾張城散歩。松原市の城で愛知県瀬戸市共栄通の八王子神社付近が城址です。城びとには未登録の城址です。応仁・文明の頃、今村城主であった松原広長は桑下城主である永井氏と安戸坂の戦いで戦死したと伝わっています。城の規模は東西50 間(90m)、南北60 間(108m)、四方に幅5 間(9m)一重の堀を巡らせ、南側のみ二重の堀となっていました。土塁の高さは2丈(6m)の城構えであったことが推定されています。八王子神社北西端に外堀の一部が池として残っています。井戸もありました。

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大津城 (2024/09/14 訪問)

 夏の終わりの尾張城散歩。愛知県瀬戸市にある城です。城びとには未登録の城址です。児童公園となっていて「大津氏祖宗碑」の石碑と「大津城由緒」の説明板がありました。大津八郎右衛門重俊が1555年(弘治元年)に近江よりこの地に赴き大津城を築いたとされています。元亀~天正年間に、武田軍に攻められて落城し、天正年間に廃城となったという説もありますが、武田氏がここまで攻め込んできたのか否か疑問です。

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菱野城 (2024/09/14 訪問)

 夏の終わりの尾張城散歩。愛知県瀬戸市にある城です。城びとには未登録の城址です。赤津川南の民家の近くに説明板がありました。それによると近くの水路が堀跡を利用した唯一の遺構だそうです。
瀬戸ぺディアによると「山口川(矢田川)の高座橋のやや下流左岸(南側)には、羽根屋敷と呼ばれる小高い台地状の土地がある。ここには戦国時代に林次郎左衛門が居城したとされる菱野城跡である。林次郎左衛門は永正十四年(1517)の菱野熊野社の棟札にもその名が残り、田幡(名古屋市北区)から狩宿・井田(尾張旭市)周辺まで勢力を伸ばして織田家の重臣も輩出したとされる。
 また別の考証では、鎌倉時代初頭に山田荘の地頭職に補された山田重忠がこの地域を支配し、その後その係累の山田泰親・親氏兄弟が居城、城構えは東西三十九間・南北五十三間、土居・堀跡などの一部を残す現在地がそれという。山田泰親はその後上菱野に山口城を築造している。」とあります。

 瀬戸市には瀬戸ぺディアという瀬戸市の歴史、自然、文化などを紹介する瀬戸市の百科事典を自称するサイトがあります。城址の事も丁寧に掲載されていて助かります。さっそく利用してみました。


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山口城(上菱野城) (2024/09/14 訪問)

 夏の終わりの尾張城散歩。愛知県瀬戸市にある城で、城びとには未登録の城址です。本泉寺が跡地です。山門近くに説明板がありました。土塁と堀の一部が残っています。鎌倉時代、山田泰親が子の山田重元に地頭職を譲って隠居するにあたり居館として築城したと伝わっています。本泉寺を建立し1283年に廃城となりました。

 瀬戸市にある城址の多くには「せとモノがたりの会」の方の説明板が設置してあります。よく知られていない城が多く感謝しています。

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三浦の晃ちゃん

整備された。 (2024/09/14 訪問)

20数年ぶりに、訪問しました。以前に来た時は、まだ、大学が移転したばかりの頃でした。
今は、復元されているものも多く、見応えがありました。石川門の中に入れたのも、面白かったです。

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にのまる

天空の城下町 (2024/09/04 訪問)

沼田駅から急坂を登りますが、心臓破りの滝坂も河岸段丘体験中と思えばきつさも楽しさに変わります。
観光案内所に寄ってから園内を散策しました。沼田公園のシンボルである鐘楼、二重櫓があったとされる西櫓台石垣、想像力で再建してみる天守台、長大な石垣が足元に埋まっている本丸堀。小松姫と真田信之像は正面から見ても甲冑に身を固め心に秘めた決意がにじみ出る表情がすてきですが、後ろから見ると二人が信頼しあい、同じ方向を見ているのだということをより一層感じました。また、展望所から名胡桃城をさがしたり天空の城下町を実感したりと、心ゆくまで楽しみました。

その後、小松姫の墓所である正覚寺に向かいました。途中、市営の駐輪場があり、駅に近いわけでもないのに何でだろう?と思ったのですが、ここはまだ坂の上で、駅までの急坂を自転車で上り下りするのが大変なんだろうなと思いました。

立派な山門やコウヤマキが目を惹く正覚寺。小松姫(大蓮院殿)のお墓は彼女の印象そのままの背が高く上品な宝篋印塔で、今でも沼田城下を見守っているかのようでした。また同所には大正時代に沼田城の荒廃を憂い、敷地を購入して公園整備して町に寄贈された久米民之助翁の墓所もありました。久米翁によって息を吹き返した沼田城は、ひとつには市民が憩い活動する場として、もうひとつには歴史の証人としてかつての姿を後世に伝えるという役割をもって在り続けています。その二つがうまく重なり合ったすばらしいお城だと思いました。

そして帰りなのですが、沼田駅で試運転中のSLに遭遇!本当はこの3日後のSLぐんま運転日に沼田へ行こうと思っていたのですが進行方向窓側の席が予約で埋まっていたため諦めてこの日にしていました。なので偶然の出会いにびっくり。人生何がどう転ぶかわからない。名胡桃城から2時間かけて来たのもここに導かれるためだったのかと(極めて都合よく)解釈し、出発の汽笛を高らかに鳴らし、もうもうと黒煙をあげて彼方(高崎)へと走り去る姿を見送りました。そしてつかず離れずの間隔で上越線で追いかけました。

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