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天守無しがアツい

短期間で消えた模擬天守 (2024/12/13 訪問)

(高天神城 参考サイト)
https://takatenjinjyo.com/

静岡県掛川市…掛川駅からタクシーで15分ほどの所に、高天神城があります🏯 本当はバスで行きたかったけど…最寄りのバス停を通るバスを見つけられなかったので、楽な手段(タクシー)を選んだ私🚕

その代わり片道3000円…往復6000円少しの出費を強いられました💸 北口の駐車場で降ろしてもらい、鳥居を潜ると…城全域の想像図という大きな案内板が(1枚目) これを見て「予想してたより城の規模がデカい🫢」と思えました

奥へと続く道は階段が石を敷き詰めた造りになったおり、少し上がっただけなのにもう腿にくる…肉体的疲れを伴いました🚶‍♂️ ある程度進むと道が2つに分かれており…片方が本丸行き…もう片方が高天神社行き⛩️ でした

城巡りに来たからには…まずは城跡…本丸を見学したかったので、そっちから行くことに🚶‍♂️ 途中にこの城の歴史…誕生から武田氏の拠点になり…それから武田勝頼と徳川家康の抗争の場となり…最後は1581年に徳川方の攻撃を受けて落城🏳️ 直後に廃城となり現在に至る…流れを紹介した年表が左手にあったので少し目を通したりもしました

本丸には天守は無く…石垣さえ存在しませんでした(2枚目)。ただし西側は土塁(少し離れた所にクランク状の土塁があり)…東側は絶壁となっており、天然の要塞。案内板の説明によると、籠城に備えて食料や武器などを収納した倉庫のような建物がこの辺りにあったそうです

この付近に石碑が色々建っており…日清戦争において掛川から出征した陸軍歩兵のものがありました。高天神城とは直接の関係は無いんじゃ…とツッコミたくもなりますが、それでも何故かあるのです😅

本丸→三の丸へ向かう途中に徳川方の居城跡が見えるスポット(3枚目)が写真付きで紹介されていました。火ケ峰砦という(3枚目右上に見える丸い球状の森)場所などがそれ…そこを拠点にここ高天神城を攻めていた

高天神城アプリというものをインストールしていれば(3枚目左下に写る)指定の場所にスマホを置いただけで…当時の様子を復元した映像が流れるそうです。けれど私はそのアプリの存在を知らない…のでそれを見ることはありませんでした

御前曲輪跡(4枚目)…ここも本丸と三の丸の間に位置し、しかもここには二層の模擬天守が存在していたそう🏯 昭和9年に建てられるもの昭和20年に落雷が発生して焼失⚡️🔥 今は(ご覧のとおり)天守台だけ残る小さな場所

本丸には天守どころか天守台さえ無かった…「やはり天守が無いとお城として満足できない…よし、こうなったら作っちゃえ😁」というノリで戦前の軍医少尉が建てたらしいのですが…史実に反するというか、史実を捻じ曲げる存在にさえなってしまうと思うので…(どうせ短期間で無くなってしまう運命だったのだし)造らないほうがよかったんじゃないですかね?😅

入口から本丸まで向かう際…実は分岐点があり、左は本丸…右は三の丸および個室が使用不能なトイレと表示されてました。まずは本丸へ向かい…再びその分岐点に戻ってきたので…今度は三の丸方面を選び…そして辿り着きました

三の丸に存在する休憩スペース(5枚目)。この城が現役だった頃は…この辺りにも食糧や武器を収納する建物があり、武田勝頼の家臣である小笠原与左衛門により、250騎という僅かな手勢で徳川軍の侵攻を迎え撃っていたそう

おそらく相手の方が数では勝っていた…けれど土塁や空堀、崖という天然の要塞を生かして、味方は少数でも…何年も耐えていたのでしょう。それでも度重なる攻撃と数の暴力に耐えきれず…武田氏滅亡の前年に落城🏳️

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しんちゃん

足立右馬充遠元 (2024/05/06 訪問)

三ツ木城はかつては雑木林となっていて周囲はドブ田に囲まれていたようです。現在周辺は城山公園として整備され、見違えるほど立派になりましたが、肝心の城址は雑木林のままのようです。城山公園と名がついていますが、今 城址に入れば、はたから見るとただの変人に見えるでしょう。そんな状況になっているんですね。
別に今さら失うものもないので、周囲の親子連れの視線を無視して雑草のなかに分け入って城址に入ります。主郭は雑木林となっていますが周囲に土塁が残っています。基本的に単郭で周囲を土塁と堀に囲まれた城址でした。
三ツ木城の城主は平治元年(1159)に右馬充に任じられた足立遠元とされ、平治の乱においては源義朝に従い、源氏が敗れた後は東国にひそみ、源頼朝が挙兵した際に隅田宿へ真っ先に駆けつけたということです。

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しんちゃん

無量寿寺 (2024/05/06 訪問)

野本氏館は延喜15年(915)に鎮守府将軍に任じられた藤原利仁の居館であったとする説もありますが、現地の案内板には源頼朝の信の暑かった野本基員を初代とする野本氏の一族の居館と記載が有ります。現在、館跡は無量寿寺の境内に土塁と堀の一部を残すのみになっています。

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しんちゃん

ロキソニン (2024/05/06 訪問)

石戸城は15世紀後半ごろに上杉氏の家臣・藤田八右衛門によって築かれたとされています。北上してくる北条氏の脅威に備えるため、岩槻城、松山城、河越城を結ぶ防衛線の一部を担っていたと考えられられています。
四の郭の周辺には土塁と堀らしきものが残っているようです。一の郭、二の郭を散策している際に足の豆がつぶれて、めっちゃ痛かったのでロキソニンを飲んでやり過ごしました。そんなわけで東にある一夜堤までは行っていません。

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じゅんじん

旧小学校 (2024/10/18 訪問)

眺めよしです。
城趾碑がありました。
神社もよきです。

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TNK

熱中症寸前 (2024/08/12 訪問)

最寄駅から城までの高低差を調べず夏休みに行きました。
途中の旧東海道石畳の急坂で、脈が異常な早さになり、意識も朦朧。
誰もいないこの道で命の危険を感じ、麦茶を飲み、木陰で少し休みながらようやく辿り着きました。
もう一度飲み物で補給し、空堀や曲輪を散策。
城からの眺めは最高!
遠くに大井川、下車した金谷駅から延びるJRと大井川鐵道の線路。
こんなに登ってきたのか!と、真夏の無謀さに反省。

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じゅんじん

河内の中心 (2024/10/18 訪問)

若江公民館近くに城趾碑と説明板があります。近くの若江鏡神社は城主畠山氏の崇敬を受けてます。

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じゅんじん

旭神社 (2024/10/18 訪問)

お社がいくつかあり城趾碑もありました。

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TNK

10月なのに暑すぎ! (2024/10/19 訪問)

この日は本佐倉城と佐倉城のはしご。
電車と徒歩でまわったが、炎天下で駅まで速歩でギリギリ乗車。
成田からの外国人乗客だらけの車内で、1人汗だく乗車。

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赤い城

畝状竪堀 (2024/12/07 訪問)

この日は福山で忘年会。
早めに入り、行けそうな城を訪問しました。
まずは楢崎城、県道56号線沿いに無人販売所があり、駐車できるスペースがあります。
ここから安全寺を目指します。
安全寺の西側の登城口から登っていきますが、登城路は整備され、歩きやすくなっています。

程なく城域へ、切通状の堀切に。
まずは左手に進んでみましたが尾根道になっていて遺構はなさそうです。
引き返し主郭方面に。

主郭の下の郭には井戸跡、さらには石垣も残ります。
主郭には東屋と祠、石碑が建っていました。
主郭から降りて下の郭を奥に進むと畝状竪堀群が。
畝状竪堀は実際にみると凄いのですが写真に入り切らないのが難点です。
地味な存在の城ですが、なかなか見どころも多いと思います。



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さんちゃん

夏の福山城 (2024/08/07 訪問)

夏新幹線に乗る前に立ち寄りました。新幹線のホームからもよく見えかっこいいです。中の設備や説明も分かり易く一番好きな城です

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カズサン

【尾張 志賀城】愛知県名古屋市北区 信長守り役平手政秀宅跡 (2024/11/24 訪問)

 織田信長の守り役と言われてる平手政秀屋敷跡が田幡城跡の金城小学校東門前の通りを北に約6、700m程行くと志賀公園がその故地となる。
 平手政秀邸址石碑と彰徳碑は志賀公園の中心地に樹木、四方石柱垣に囲まれて存在しています。

 住所:愛知県名古屋市北区平手町2(志賀公園)
 駐車場:公園南側の金城コミュニティセンター駐車場が有る。
 参考資料:城郭放浪記さん(志賀城名は城郭放浪記さんの呼称による)グーグルマップに依る。

 平手政秀は若山富三郎、織田信長は中村錦之助の時代劇?を思い出させますが、田幡城跡・金城小学校を訪ねた折り近くに平手政秀屋敷跡と有ったので、足の裏が痛み始めましたが徒歩で進行。野球場も有り、池の在る回遊式庭園も有り、森林浴をする林も有る広い公園です。

 公園の西端が大津通りに繋がって居ましたので南進して名古屋城登城を目指しましたが、歩きがつらく丁度市バスが来ましたのでバスを利用し名古屋城近くまでバス利用。
 
 

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TNK

屋根・石垣の造形、紅葉美に感動 (2024/12/13 訪問)

建物が多く残っていて、入り組んだ屋根と石垣の造形に感動です。
もちろん紅葉も!
ロープウェイは使わずに徒歩で往復。
お陰で身体は暖まり、色々な角度から景色も楽しめた。

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さんちゃん

夏の広島城 (2024/08/05 訪問)

とても自然豊かでお城も見やすかったです。

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POYO58

マイナーで小さいが… (2024/12/14 訪問)

一ヶ月半ぶりのお城探訪となりました。一ヶ月半前は修学旅行で五稜郭に行きましたが、あいにくの雨と自由時間が短かったため、あまり探訪できませんでした。
山城は三ヶ月ぶりです。
市場城に行ってきました!
豊田市ということで比較的家に近かったので行ってみました。
車で途中まで行けます。駐車場は登山路の向かい側にあります。トイレもありました。
最初は長い上り坂ですが、一周するのに大体15分程度しかかからず、かなり山城にしては探訪しやすいと思います。全然疲れませんし。
市場城は1502年に鈴木親信が築き、以後は鈴木氏が支配し、1592年、家康によって廃城になるまで90年役割を果たしました。
今見られる遺構は4代の鈴木重愛が家康に命じられて改修されたものです。鉄砲の伝来の影響もあって、石垣造の城となっており、中世の城郭から、近世の城郭へと変化しました。

今回紹介するのは主に二の丸と本丸です。後ほど枡形門、畝状竪堀群の紹介をします。
二の丸には空堀、土塁、櫓台石垣が見られます。櫓台石垣は約5メートルほどの高さで野面積みとなっています。
本丸にも南部に石垣が残っていました。近年本丸は地元小学生による発掘調査が行われたそうです。

それでは次は竪堀群へと向かいます。 続く

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TNK

愛媛県初入り (2024/12/13 訪問)

夜行バスで松山へたどり着き、路面電車で湯築城のある道後温泉駅へ。
名城スタンプを押す資料館では、ボランティアのおじいさんから折り紙の兜を頂きました。
寝不足の状態で城へ登り、頂上からは向いにある松山城が!
朝のため、湯築城も道後温泉も観光客はまばら。
景色の良さに目が覚め、路面電車で松山城へ。

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小城小次郎

幻の「鞆幕府」を警固するために (2024/03/23 訪問)

3月のオフ会で訪ねた際は雨ざんざんでさんざんだったが面白かったことだけは確か。足利義昭の幻の「鞆幕府」が一時ここの常国寺にあったらしく義昭警固の一役を担った渡辺氏が頑張ってこれだけ厳重なお城を築いたのだろう。

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TNK

透き通ったお掘りの海水 (2024/12/13 訪問)

13日最後のお城は、観光客がまばらな今治城をゆっくり散策。
お掘りの水が透き通って綺麗でした。

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TNK

上陸出来ず (2024/12/14 訪問)

船運航条件の最少催行人数10人に達せず、残念ながら上陸出来ませんでした。
また今度。

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TNK

石垣修復中 (2024/12/14 訪問)

修復が終わったら、また訪れたい。
職人さん頑張って下さい!

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