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todo94

ゴールデンウイーク前半・最大の目標達成 (2024/04/28 訪問)

赤い城さんの投稿を拝見して昼寝城への登城が可能となったことを知り、このゴールデンウイーク前半最大の目的地として設定しました。赤い城さんの投稿内容通りで、片斜面で礫が浮いたガレ場は細心の注意が必要です。赤い城さんの足跡をトレースしてくまなく城めぐりができたと思います。井戸のような石積には銃眼のような穴が開いていて地中に潜ってはいるものの長岩城の石積櫓を連想してしまいました。貴重な情報をありがとうございました。連休中日ではありましたが、ここから帰路に着いて渋滞に全く遇うことなく帰着することができました。三連休最終日は岡谷のシルクフェアを楽しむことができて最高の三連休になりました。

これで、香川県の城びと登録物件は小豆島の2城を残すのみとなりました。今年の秋か来春にも小豆島行きを計画したいと思います。

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赤い城

やっぱりここは石垣だった (2024/05/02 訪問)

佐土原城から次も続100名城の延岡城に転戦です。
その前に「さやか」さんの辛麺で腹ごしらえ。
5辛がスタンダードだそうですが8辛でも全然イケました。

で、延岡城です。
城山公園北駐車場でパンフレットを手にして北大手門から登城しました。
ここの石垣も素敵です。
さらに登ると二の丸、お馴染みの千人殺しの石垣です。
やっぱり圧巻!この日は平日だったので近くの高校生が部活?で石段ダッシュを繰り返していました。
こんな環境での練習、(と若さ)羨ましいです。
そしてお約束の礎石プッシュ、何事も無くてよかった、ほっ。

管理事務所でスタンプをゲットすると練習が休憩中だったので石段を登り二階櫓、さらに二階門櫓を経て本丸広場へ。
さらに天守台へと進みます。
天守台からは城下を一望できます。
ここには鐘撞堂があり、時を告げる鐘として延岡の風物詩にもなっています。
天守台から降り、三階櫓跡へ、発掘調査中でした。

ほぼ石垣ばかりですが満足し下山、最後に外周を歩きました。
二の丸西側の石垣は民家からすぐ、ここの家の方は玄関を出るとすぐに石垣を見上げることができる。
なんとも羨ましい限り、素敵な環境ですね。

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小城小次郎

一段低い堀跡が残る (2023/11/04 訪問)

大型ショッピングモールの駐車場と民家とに挟まれた一段低い一角が堀跡と伝わる。地名としては現存しないがこの地域を示す「貴志」を名乗る武士(貴志教信)が在住したとも雑賀攻めの際に織田信忠が陣所にしたとも伝わる。

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しんちゃん

吉川氏城館跡 (2024/01/03 訪問)

吉川元春館の北西側、すぐ近くに松本屋敷跡が有ります。中央に門跡があり、なかなか趣向をこらした石垣が残っています。案内板によると吉川元春の妻が「ふもと」の「かり宿」に住んでいたとされ、松本屋敷がこれにあたるとされています。
現状は畑の石垣のようですが吉川氏城館跡(駿河丸城跡,小倉山城跡,日山城跡,吉川元春館跡,西禅寺跡,万徳院跡,洞仙寺跡,常仙寺跡,松本屋敷跡)の一つとして、国の史跡に登録されています。しかし、吉川氏城館跡 多いなあ。
城びとの城以外の遺構でお勧めなのは万徳院跡です。以前投稿させていただきましたが、吉川元春館跡・松本屋敷跡と合わせて石垣をじっくり見比べて堪能するのも有りだと思います。

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しんちゃん

天城越え~♪   (違う!) (2024/01/04 訪問)

天城陣屋は岡山藩家老・池田由成によって築かれた陣屋で、池田氏はあの大石内蔵助とも血縁があるようです。陣屋跡は倉敷天城高校グラウンドになっていて、坂を上がった所に石垣があります。石垣を見るとテンションが上がりますね。
石碑はそこから少し離れた所にあるのでネットの外側のヘリを歩きながら移動。ヘリ歩き、なかなか楽しいです。城郭放浪記さんの記載にあった静光寺の移築門も訪問。岡山藩次席家老家である天城池田家は3万2千石だったそうですが、赤穂浪士吉良邸討入の事件で2千石を引かれたそうな。どこを削られたのかは知りませんが、それで済んで良かったですね。

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しんちゃん

無理な林道 そりゃムリンドウだわ‥ (2024/01/03 訪問)

ぴーかるさん尼子十旗制覇、お見事です!快調ですね。
皆さんも快調にカッ飛ばしてますね。楽して山城を歩きたい男、しんしんちゃん。そんな私の挫折話でございます。
酷道とは‥酷い国道のこと。一部に強烈なマニア(変態)がいるようです。
険道とは‥険しい県道のこと。ゆるキャンでもやってました。
実際日本の山道ってこんなのばかりじゃないですか?自動運転で岐阜県とか走ったら、みんな崖から落ちるんじゃね?
山城も途中まで林道が続いているのが結構あって、私もショートカットで使わせてもらってます。たまに底をすりますが、まともに歩くと何キロもかかる道を登城道だけですむのは助かります。でも広島、山口の林道には閉口しました。車が通れない道が3つあって、やむなく断念してます。歩けばいいんだけど、城址までの距離が結構あるので、心が折れるんですよ。「ポキっ」とね
todo94さんの投稿にもありますが、頭崎城の林道は角度が急すぎてタイヤが空回りするんですよ。チェーンを装着して進もうと試みたんですが、またも空回り。ここは車はやめた方が良いです。南から登城道があるようなので、次回はそこからトライします。
写真は広島県の猿喰城のものです。最初は何とかなるかと思ったのですが、すぐに酷い有様に。頭崎城でひどい目にあったのですぐにUターンして引き返しました。早めに判断しないとマジで家に帰れなくなります。
山口県の伊賀道城の林道も酷かったですね。あれはもう道といって良いのか? 城跡まで先が長いのでサクッと引き返しました。この3城は心と時間の準備をしっかりしてから訪れたいものです。

そろそろヒザの腫れが引いてきたかな? なんか動かすと音がゴキゴキするんだけど、大丈夫かな?

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空堀散歩 (2024/05/23 訪問)

 この城の魅力はきれいに整えられている馬出と空堀です。内堀はカンカン井戸から少し進むと内堀内を少し散策でできます。外堀は二の曲輪大手馬出の諏訪神社付近から下に降りて行く道があります。ただ外堀内はこの時期草が茂っていて下りてはみましたが散策するのは遠慮しました。冬ならいいのかもしれません。本曲輪の東側崖になっている方面にも内堀があります。二重になっていて外側の堀は外堀かと思いましたが、パンフレットでは両方とも内堀になっていました。こちらはかなり草が茂っています。その内堀を進んで行くと水の手曲輪に出ました。いい空堀が多く残っています。
 また冬に来ていろいろと散策します(多分)。

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イオ

豊臣兄弟!

2026年大河ドラマ「豊臣兄弟!」、私も楽しみにしております。紫式部も蔦屋重三郎も全く詳しくないだけに、観れば知ることも多くて面白いんでしょうけど、どうせなら大河ドラマに関連して城めぐりできるほうがいいなぁ…と思いますし、徳川家康はゆかりの城が多すぎてきりがありませんでしたが、その点、豊臣秀長なら家康ほどは多くない上に、遠征先の城を除けばほぼ日帰り圏内なので、ちょうどいいかな、とも。

もちろん秀長という人物にも興味があります。秀長の死後ほどなくして豊臣政権に不協和音が生じ、そこを家康に付け入られた経緯も政権のまとめ役としての存在の大きさを物語っていますし、宗教勢力が強すぎて大名家の支配を受け付けなかった大和国と紀伊国を大きな混乱なく治めた手腕は並大抵のものではありません。秀長だけでは何もなし得ないとしても、秀長がいればこそ秀吉は天下人になり得たとも思うので、その兄弟がどう描かれるか…楽しみです。

> トクさん

和歌山城は県民には紀州徳川家の城の認識なので、大河ドラマ館は設けられないかな、と思います(まだわかりませんが)。大和郡山城は最後の居城であり、現在に至る城下町を築いた秀長は今なお顕彰されていますので、こちらは設けられそうですね。和歌山城も大和郡山城もよく整備されていて見応えありますし、両城の間には藤堂高虎の最初の居城とも云われる猿岡山城もありますので、「豊臣兄弟!」にあわせてぜひご来訪下さい。
 

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馬場美濃守信春 (2024/05/23 訪問)

 久しぶりの諏訪原城です。丸馬出と深さが残っている空堀が魅力的な城址です。
JR金谷駅より徒歩にて登城しました。以前は金谷駅から金谷坂石畳を登って登城しましたが、今回は東側の出曲輪方面にある登城口から水の手下の内堀をカンカン井戸へ向かうルートで登城しました。カンカン井戸を過ぎて内堀内を少し歩いた後に各曲輪、馬出を散策しています。整備された散策しやすい城址です。曇っていて富士山は見えませんでした。

 約2年前まで静岡県に住んでいたこともあり複数回登城しています。最近も来たつもりでいましたが、確認すると平成の頃が最後でした。薬医門もビジターセンターもなかったですね。案内板等も新しくなっていました。冬に来るつもりでしたが、こちらに来る機会があり寄らしてもらいました。また冬に来るつもりです。ただ、いつの冬かはわかりません。

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源平古戦場&わら屋 (2024/05/29 訪問)

山上の古代山城を散策したあと、麓の源平古戦場へ。平家の陣は、当時は島であった屋島の東山麓の浜を中心に構えられていました。一ノ谷と同様に、後ろに険しい山(屋島)を背負い、前に海があります。さらに、前の海は入江であり、対岸に庵治半島がそそりたっています。安徳天皇行宮も屋島東麓に。
有名な那須与一 扇の的の場所には、祈りの岩(写真を撮るのを忘れました)と駒立岩があります。祈りの岩は、弓を射る前に祈った対象、駒立岩は、見事に扇を射て、両軍から歓声があがったときに馬を止めたという、平たい岩です。駒立岩は、引き潮の時に見えるそうですが、しっかり現れてました。そして、用水路の先を見ると、扇の的を立てて招く船の絵が。那須与一が射た的までの距離は、55〜65mあり、的を射るのは至難のわざとか。絵の中の扇は、遠く、小さく見えます。これはすごいねえ。
高松出身の知人に、屋島登り口にある、うどん屋 わら屋を紹介されてたので、寄りました。赤い城さんも行かれた所です。四国村ミウゼアムは休みでしたが、受付の建物に、わら屋や四国村の設立趣旨が掲示されてました。地元の運送業社長が、年をとったり、体が弱い従業員の第二の職場として、わら屋を始めたこと、徳島祖谷の古民家をわら屋店舗に移築したことが、四国村の主発点であったことが、書かれてました。ちなみに神戸から移築された異人館カフェは、四国村敷地外にあり、営業してました。

トクさん、私の奈良県コンプにおほめをありがとうございます。ぴーかるさんが、言うとおり、奈良県の城は、奈良盆地とその周辺にかたまっているので、比較的サックりコンプ可能です。
トクさんの物語性がある投稿を興味深く読ませてもらってます。

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イオ

ゆかりの史跡めぐり (2024/03/31 訪問)

江戸初期に青木一重が築いた三方に堀をめぐらせた方形の陣屋で、青木氏14代のもとで明治を迎えました。

阪急宝塚線・大阪モノレールの蛍池駅西側一帯が陣屋跡ですが、宅地化により遺構は消滅しています。ただ、この地で250年以上続いた陣屋だけあって周辺には麻田陣屋や麻田藩にゆかりの史跡がいろいろとあるようなので、阪急レンタサイクルでめぐってみました。

麻田藩陣屋跡(豊中市螢池中町)
陣屋跡に石碑と標柱、説明板が立てられています。金柵越しながらまた見られるようになっていました。今後は公園として整備されるようです。また、近くの民家に陣屋門が移築されているようですが、見落としてしまいました…。

報恩寺(豊中市春日町)
麻田藩主邸表玄関が書院玄関として、陣屋門が山門として移築され、麻田藩主邸表玄関の説明板と標柱が立てられています。

上西家長屋門(豊中市刀根山元町)
西門とも云われる番所を備えた長屋門が民家に移築され、説明板が立てられています。

中家茅葺門(豊中市中桜塚)
茅葺の長屋門が民家に移築されています。説明板等は見当たりませんでした。

正光寺山門(池田市住吉)
山門は麻田陣屋からの移築(再移築)と伝わるものの、疑義もあるようです。また、麻田藩主にまつわる「夜泣き岩」の伝承もありますが、一般公開はされておらず、訪問時は山門は閉ざされていました。

佛日寺(池田市畑)
麻田藩二代・青木重兼が創建した麻田藩主の菩提寺で、藩主累代の墓所がある…んですが、何故か山門の写真だけ撮って次に向かってしまい、未確認です。下調べもしてあったのに何をやってるんだか…。

屋敷山稲荷(箕面市箕面)
麻田陣屋とは直接関係はないようですが、屋敷山稲荷が麻田藩支藩の陣屋跡です。陣屋としての遺構は見当たらないものの、台地の突端に位置することは感じられました。

…と、豊中市、池田市、箕面市と広範囲に3時間あまりかけてめぐりましたが、それでも210円。阪急レンタサイクル、マジぱねぇぜ…。街中の史跡めぐりには駐車場所に悩まされずに済む自転車がベストですね。
 

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todo94

早朝散歩で城カード(艮櫓)をゲット (2024/04/28 訪問)

高松のホテルに泊をとったので、朝食前に高松城の周りを一巡りしてきました。玉藻公園は日の出時刻が早まってくると開園時刻が早まりますので非常にありがたいです。無事、艮櫓の城カードを購入することができました。玉藻公園には入っておらず、申し訳ない限りです。前日とは打って変わって青空が広がっていてすがすがしい早朝散歩になりました。

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ぴーかる

尼子十旗制覇 (2024/03/30 訪問)

【夕景城】
<駐車場他>前回の投稿と同じ場所に駐車。
<交通手段>車

<見所>曲輪・虎口・居館跡?
<感想>日帰り尼子十旗制覇の旅1城目。前回2月に行って未踏破の反省を踏まえて朝7:30に到着、麓居館跡と思われる平段の遺構には寄らずにすぐ登城を開始しました。登城口は平段の脇を流れる沢が狭くなってジャンプして渡れる場所がありますのでそこを越えて進みます。沢を渡った所から杉が植林整備されていて一帯にも平段曲輪があります。正面に急斜面の尾根が降りてきているのでそこから登ります。登城路ほぼ全般道は無いですが、ほぼ全般植林杉の落葉が堆積してクッション状になって登り易いです。ルートは尾根筋に沿って大きく時計回りに回り込んで登っていく感じです。1時間程登ると東のピークの出丸跡東端に到着します。
 出丸は東側が1段高くなっていて、東の大馬木地区が遥か下に見えます。西側に広めの削平地があります。土居が無く、周囲が急斜面なので結構怖いです。出丸の西側から東側のピークとの大きい山の鞍部があり中心部にこぶのような土塁があります。土塁は地表面が出ていて岩場のようになっているので、当時は前後の谷がもっとV字状に深い岩場の2重堀切のようだったかもしれないことをうかがわせます。
 西側のピークが主要部の曲輪群で山の鞍部から切岸を登ると、南端最上段の主郭に入り込めます。主郭は一部土居で囲み、南端に石塁跡が残る土塁があります。おそらく虎口跡と思われます。主要部は主郭を入れると全部で7段(4~5段目に虎口跡と思われる小さな段を入れると8段)が北に一直線に並んでいて、なかなか圧巻の見応えです。主要部の北7段目に水造の札が木に掛けてあり井戸か水源があるかと斜面を散策しましたが見当たりませんでした。7段目の先は急斜面になっています。
 出丸は笹薮、主要部は灌木と楪の若木が胸辺りまで伸びて密林のようになっています。数年前のサイト城郭放浪記さんの写真より密林化しているので尼子十旗制覇を目指す方は近いうちに攻城した方がいいでしょう。行った山城の中で比高さは最大級でこんな高い所まで敵が攻めてくるのだろうかと思わせる、尼子十旗の中で九番目の城とは思えない堅牢な、ある意味いい城跡でした。車に戻ったらちょうど3時間かかっていました。平段跡も見るのなら半日は取ったほうがいいと思います。
 未整備や積雪に阻まれ苦労しましたが、3度目にしてようやく夕景城(馬木城)を攻略でき嬉しく思います。苦労しただけ達成感は大きい。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

‥‥‥ (2024/05/22 訪問)

形原一色城は橋本伊賀守の居城とされ、神明社の南東の道沿いに石碑が建っています。橋本氏は南朝方の武将で四っの支城を持ち、この地方に勢力を持っていたようです。五代目・一把は織田信長の鉄砲師範を務め、その子道一は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に鉄砲頭として渡海したそうです。

本日は中尾彬さんを偲んで、急遽 夕食を中尾鍋にすることにしました。白菜と豚バラ肉を水と焼酎で蒸したシンプルな料理ですが、柿ピーのように白菜と豚肉の相性が良く、いつまでも美味しくいただけます。蓋を取った時、白菜の甘い匂いが周囲に広がりました。
けっこう使う焼酎の量が多いです。アルコールは煮込まれて飛んでいるはずですが、少し酔ったような気がします。
去年の大河の家康公も良かったですが、私は中尾さんの演じる徳川家康も見て見たかった気がします。悪くてズルくて、愛嬌のある家康公になりそうで真田びいきの私も、中尾さんの演じる家康なら、そっちについていってしまうかもしれません。
謹んで、お悔やみを申し上げます。
私は西部邁氏や石原慎太郎氏にも長生きしてほしかったですね。彼らが今の日本を見たら、いったい何て言うでしょうか?

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朝田 辰兵衛

城址碑の字体がキリリとしてます✨ (2024/04/06 訪問)

城址碑の字体がキリリとしていて,カッコイイと感じました。大手登城口も搦手登城口もわかりやすいです。東側の堀切は見落とし注意です。
こちらのアクセスは,JR奥羽本線の真室川駅となります。鮭延城南西側の踏切を渡り,道なりに進むと左側に搦手登城口。搦手登城口には駐車スペースがありませんので,車を利用の方は南西側の踏切を渡ったら,左折して約200m線路沿いを北上してください。砂防ダム手前に到着しますので,そこに数台駐車できます。そのままそこが大手登城口となります。

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しんちゃん

万徳院 国指定史跡・吉川広家の兄 元長の菩提寺 (2024/01/03 訪問)

万徳院は史跡吉川氏城館跡の一つとして国の史跡に登録されています。吉川元春館、松本屋敷を訪れた際には是非訪問していただきたい場所です。吉川元春の嫡子・元長によって建立され、石垣や礎石建物跡が良好に残っています。
天正15年(1587)に元長が病死し、三男の広家が吉川氏の家督を継ぐと、万徳院は元長の菩提寺として改修を受けました。関ヶ原の合戦の後、広家が周防国岩国に転封になると、万徳院も岩国に移転され、慶長11年に死去した吉川元春の正室・新庄局もそこに埋葬されたとのことです。
万徳院跡は旧本堂を模したガイダンスホールから参道が真っ直ぐに伸びて、正面に門跡を備えた立派な石垣の上に本堂、庫裏、風呂屋や庭園の跡が残っていて、現在は万徳院跡歴史公園として一般公開されています。
万徳院跡歴史公園‥山県郡北広島町舞綱

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イオ

北城と南城 (2024/03/31 訪問)

鎌倉後期に原田氏が豊中台地の南西端に築いて居城とした城で、丘陵上の北城と集落内の南城からなります。戦国後期には細川晴元軍に攻められて北城が落城し、以降は南城が原田氏の拠点となったようです。荒木村重の謀反により織田信長が有岡城を攻めた際には、中川清秀と古田織部が廃城となっていた北城を大改修して陣を置いたとされますが、その後は北城、南城ともに廃城となりました。

阪急宝塚線・曽根駅から登城(北城まで徒歩約7分)。北城は巨大な堀で囲まれていたことが発掘調査により確認されていますが、現在では堀は失われ東半分は宅地化されて、西半分が原田しろあと館として土日の12:00~16:00(入館は15:30まで)に無料公開されています。原田しろあと館南側の道路沿いには原田城跡の標柱と説明板が立てられ、西麓に回り込むと台地の突端に位置することがよくわかります。周辺を見て回った後は原田しろあと館へ。入口を抜けると北城跡には和洋折衷の旧羽室家住宅が建ち、庭園が広がっています。庭園西辺の築山が北城の土塁で、かつては北城の四方にめぐらされていたようです。土塁の前には説明板があり、スタッフに申し出れば土塁に上っての見学もできます(私も案内していただきました)。国登録有形文化財の旧羽室家住宅は昭和初期の住宅であり原田城とは無関係ですが、住宅内の一室には原田城のパネルやジオラマが展示されており、原田城のリーフレットもいただけます。ミニコンサートや落語会、市民講座や紙芝居、囲碁・将棋なども開催され、市民交流の場となっているようです。

南城の遺構は宅地化により消滅していますが、発掘調査により二重の堀が確認されています。原田会館のあたりが堀跡のようですが……現地に行ってみても痕跡は感じられませんでした。

街中の城跡であり、遺構は原田しろあと館内で土塁が見られるくらいですが、スタッフさんは土塁だけでなく旧羽室家住宅内も熱心に丁寧に案内してくれますので、どうせなら開館日時にあわせて訪れてみて下さい。
 

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にのまる

久しぶりの36見附めぐり(2日目) (2024/04/19 訪問)

前回ゴール地点の数寄屋橋門からスタートしました。

(13)鍛冶橋門
 鍛冶橋交差点という名前が残ります。石垣が移設展示してある丸の内トラストシティと八重洲大丸前にも寄りました。

(14)呉服橋門
 呉服橋交差点という名前が残ります。地中にはいろいろなものが埋まっているんだろうな。

(15)常磐橋門
 先月久しぶりに行ってみたら様子が変わっていたのが今回の36見附めぐりのきっかけです。

(16)神田橋門
 荷揚場跡も見どころです。

(17)一橋門
 ど根性石垣があります。東御苑入り口のひとつである平川門が目の前ですがまわる順序としてしっくりこないので行きません。

(18)雉橋門
 近くに刻印ありの石垣がありますがこれはどこかから移設されたものらしく、雉橋門石垣は市ヶ谷駅構内に展示されています。

(19)竹橋門
 内郭の始まりです。平川門にかけての帯曲輪を歩くのが夢です。

(20)清水門
 お濠越しの眺めがすてきです。

(21)田安門
 大きな玉ねぎでイベントがあり大勢の人がいました。待ち合わせのペンフレンドさんと会えたかなぁ。

(22 )半蔵門
 警備が厳重な門。一般人入場不可。千鳥ヶ淵は季節を問わず美しいです。

(23)桜田門
 目の前に桜田門駅がありますが有楽町線のみのせいかあまり利用者は多くなさそうです。ここは最後にもう一度来ます。

(24)日比谷門
 見附石垣が残ります。説明板の高麗門のふりがなが「こまもん」となっているのが気になります。心字池は堀の名残で土手石垣には刻印、三笠山にも矢穴石がたくさんあります。

(25)馬場先門
 二重橋まで一直線の眺めがすてきです。

(26)和田倉門
 スタバで休憩したかったけれど混んでいて無理でした。

(27)大手門
 櫓門を入ってすぐのところに仮設の案内所兼お手洗いが完成していました。期間限定の眺め。いつか「あの時はこうだったなぁ」って懐かしく思うんだろうな。

(28)平川門
 白鳥濠、二の丸庭園、汐見坂、梅林門などを見ながら退出しました。

(29)北桔橋門
 すぐに再入場。荷物チェックも二度目。

(30)中雀門
 天守台で本丸跡を眺めながらしばし休憩。周りはほとんど外国人さんで、日本語が聞こえたらびっくりするレベル。石室、富士見多聞、松の廊下、富士見櫓をまわって中雀門へ。
本丸石垣は焼け跡が痛々しいです。

(31)中之門
 土塀と櫓門を想像再建して眺めるのが好きです。

(32)下乗門
 同心番所のところです。平川門へ抜ける時も通ったのでこの日2回目。大手門から退出しました。

(33)桔梗門(内桜田門)
 一般参観の際の入り口です。今回は見るだけ。

(34)坂下門
 乾通り通り抜けの際の入り口です。今回は見るだけ。

(35)西の丸大手門(皇居正門)
 着いたのが16時54分。見学時間は17時までですが、17時には見学エリアから完全退出していなければならないとのことで入れなかったのでズームして撮りました。

(36)西の丸玄関門
 感動のラスト!と行きたいところですが二重橋(奥の鉄橋)のところなので近づけません。前回は一般参観に申し込んで見に行きました。


36見附めぐり二日目(24見附)は約7時間のウォーキングで何とかゴールイン。桜田門を通って退出しました。(写真は10枚ピックアップしました。)

きれいに残されているところばかりではなく、交差点や架道橋に名前が残るだけだったり、高架下で水がポタポタ落ちてくるところ、鳩がたくさんいて怖いところもありました。
それでもひとつひとつチェックしながら歩くのは楽しかったですし、新たな気づきもありました。
【江戸城見附めぐりデジタルスタンプラリー】のようなものがあったら歩く励みにもなり達成感も得られてより楽しめるだろうなと思いました。
〈おわり〉

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー75城目 (2024/04/27 訪問)

高山城に続いての攻城です。スタンプラリーは2回目ですが、続100名城選定前にも2回訪れているのでこれが4回目の攻城となります。今回はリーフレットを片手に西の丸の先、北の丸を回り込んで竪堀跡を初めて目にすることができました。私の目には畝状竪堀のように映りました。曇天であった所為もあって比較的良く撮れたのではないかと思っています。高山城と新高山城でたっぷりと時間を使ってしまったので、福山城の城カード(天守)ゲットは断念せざるを得ず、この日の宿泊地の高松に直接向かいました。瀬戸中央道を利用したのは何年ぶりだろう?

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しんちゃん

鞆城の警護も果たした海城 (2024/01/04 訪問)

大可島城は円福寺周辺に築かれていました。康永元年(1342)伊予を拠点とする南朝方と備後一帯に勢力を持つ北朝方が燧灘で合戦となり大可島城に籠る南朝方は全滅したとのことです。戦国期には村上水軍の一族が鞆の浦一帯の制海権を握っていました。
足利義昭が鞆城に滞在している間は、大可島城主がその警護の役割を果たし、かつては独立した島であった大可島城も鞆城の建設に際し、陸続きとなったそうです。現状は海に突き出た小さな半島状の地形で、港街の風情が良く出ています。

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