みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

風に立つライオン

潮見櫓復元工事、多聞櫓内部公開 (2023/11/05 訪問)

潮見櫓の復元工事が始まりました。場所は大濠公園すぐ近く。令和7年春完成予定。また、多聞櫓内部も公開中。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

二の丸堀外側ウォーキング(東→北) (2023/09/08 訪問)

二の丸東大手門の櫓内は豊富な資料と展示で、発掘と整備の過程についても、また、山形城が歩んできた歴史についてもたいへん勉強になりました。
櫓見学を終え、大手橋を渡って二の丸堀の外側ウォーキングに繰り出しました。最初に出会ったのはお堀沿いの弁天様。二の丸の大改築の際に堀より掘り上げられこの場所に安置されたのだそうです。
跨線橋を渡った(戻った)ところのコーナーは艮櫓跡です。しかし、緑に覆われ水堀越しに土塁の内側の様子は見えません。(あとで見に行きます。)
住宅の間の道を歩いて行くと塁線の大きな出っ張りに差しかかりました。横矢枡形と言っていいかと思うのですが「ちょっと見てくださいよ、このかっこよさを!」と誰かに声をかけたくなるようなビジュアルで、木々の緑と相まって濃い目の抹茶のような水堀さえも神秘的に感じます。
この上にあるのは肴町向櫓。艮櫓同様、堀越しには見えないだろうなと思ったら、櫓台石垣がちらっと見えました。
これは……!撃たれます!!逃げても横から狙われます!!!お城の遺構の“かっこいい”は即ち防御力の高さだと理解しているので、この一画はちょっとヤバそうな匂いがします。(肴町向櫓跡もあとで見に行きます。)
そして、ふと足元を見ると陸軍用地の史跡碑が。明治期からの陸軍駐屯地だった時代もお城の歴史として記憶しておかなければと思いました。

いよいよ北門が見えてきました。
<つづく>

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

三浦の晃ちゃん

七日市陣屋 (2023/11/05 訪問)

群馬県富岡市にある加賀前田家に繋がる藩の陣屋です。(前田利家の五男、前田利孝の系統) 一万石です。現在、敷地は、群馬県立富岡高等学校になっています。御殿と門が残っています。すぐ近くには、世界遺産の富岡製糸場が、あります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

AIAI

田辺城に行ってきたのです (2023/11/03 訪問)

城門を修復してます。その2階が展示スペースになっています。
元が平城にて周辺は開発されてしまい、遺構は公園の中に見えるだけです。
天守台は発掘で発見されたとのこと。公園の中でたたずんでいます。
小さい規模ながら攻め口が絞られ、大軍の展開がし辛い地形で宮津を捨て田辺に籠城した細川幽斎は流石としか言えないな。

この日は舞鶴祭りの日だったらしく、城門から出陣する姿を見ることができたのは僥倖でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ヒロケン

金沢城 光の祭 (2023/11/05 訪問)

チームラボ 「金沢城光の祭」が金沢城公園にて開催されています。2023年9月30日から11月26日まで、お一人様1800円でございます。
18:00~21:30 最終入城が20:45です。少々お高いですが、一見の見る価値ありです。
取り急ぎご連絡まで(*^▽^*)

プロジェクションマッピング 何を表現されているか自分には理解できませんでしたが、本当に引き込まれました(*^▽^*)ホントに凄い。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

石垣山 (2023/10/21 訪問)

良い天気でした。一夜城カフェのシュークリームおいしかった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

3度目 (2023/10/14 訪問)

南伊豆サイクリングのあとで訪れました。城内の堀が見どころ。北条氏特有の障子掘となっており大きいです。今回は長楽寺へ抜けてみました。ちょっと怖かった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

大畑城 (2023/09/10 訪問)

【大畑城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅2日目11城目。現地説明板によると大畑城は1184年、源義経が平家追討のために緒方惟栄によって築城され緒方一族の加来惟興が城主となったと伝えられます。加来氏は代々ここを居城としますが黒田官兵衛が豊前6郡が与えられるとその時の当主加来統直は反抗し国人一揆に加担します。黒田孝高・長政父子は毛利の援軍と共に大畑城を攻められ落城します。
 現地に遺構はあまり残されていないようで、七宮社入口に説明板があります。社と周囲の田んぼの辺りは道路に対して少し台地状になっていて曲輪土塁になっているようにも見えました。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

織田晃司

山崎城 (2023/11/03 訪問)

山崎ICを降りてすぐにある平城の山崎城。
紙屋門が現存として残る。

+ 続きを読む

チェブ

懲りない小山氏。 (2023/10/04 訪問)

1379年に小山 義政さんが築城した「犬飼城」。またもや入口付近をウロウロしてきました。

駐車場に着き、雨がポツポツ降ってきました。
傘を持って出陣です。
民家の横に『犬飼城入口→』の看板があり、迷わず右折。『見学コース』の小さな看板もあります。
親切な「犬飼城」です。

位置的に宇都宮氏の拠点に近く、小山氏の「犬飼城」かは不明との事です。
ただ、小山 義政さんを調べてみたら、宇都宮氏とのバチバチで、鎌倉公方に睨まれてしまいました。
幾度となく反省したふりして、また戦います。
小山氏、懲りません。
因みに息子さんも、公方を振り回しました。
こんな方だから、宇都宮氏の近くに「犬飼城」を築く事ができたのかも( *´艸`)

この日、東北道の降り口を間違えて鹿沼で降りました。で、目的地に戻らずに『お城を探す』で予定変更した次第です。
どの土地にも、すごい御城と、面白い先人がいるんだなっと、再確認。

「犬飼城」他、薄ぺたい情報で、保存会の方々に申し訳ないですが、再訪をすると誓い、栃木県を後にするのでありました。
私も、懲りません(^-^)v

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

いんげん丸虫

光寿庵砦 岐阜県高山市 (2023/10/29 訪問)

詳細不明。標高635mにある砦跡です。
尾根先端部に11m x 8mの主郭、大きな
2つの堀切に帯曲輪、小規模な縦堀が
確認できます。
ほぼ廃道になってる林道の獣避け柵を
開けて近くまで進み急斜面を数分、直
登します。

+ 続きを読む

WEST

深大寺城探訪 (2023/11/02 訪問)

東京のお城、深大寺城を訪問しました。場所は、都立神代植物公園水生植物園内にあります。
(地図アプリで深大寺城址で経路案内すると、入口のない場所が案内されますので注意してください。)
東京都内のお城ということで侮っていたところがありましたが、城内には立派な土塁、空堀等があり、なかなか良かったです。
公園ということで整備されており、安心して訪問できます。
近くには深大寺があり、訪問後に参詣されるのも良いかと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

WEST

麦島城探訪 (2023/10/26 訪問)

八代城の一世代前の麦島城を訪問しました。自動車での訪問でしたが、途中の道路は狭く、かつ小学校が近くにあり下校時等には運転に注意が必要です。
実際に訪問してみると、本丸の一部しか遺構がありませんでした。表示看板では「シルバーワークプラザ八代古城館」に石垣の一部があるそうですが、今回は断念しました。
近くに「キリシタン殉教者列福記念公園」があります。その表示看板には、小西行長の時代はここ八代がキリシタン隆盛の地でしたが、加藤清正の時代はキリシタン排斥の時代だということです。ここには悲しい歴史があるようです。

+ 続きを読む

WEST

八代城探訪 (2023/10/26 訪問)

八代城を訪問しました。散策の前に八代市立博物館に立ち寄りパンフレットを貰いました。
この城の見どころは石垣でしょう。パンフレットにも「八代城石垣の三大ポイント」と記載されており、当日は内堀の外を回りながら、その石垣を見てきました。これは必見ですね。
北の丸跡、二の丸跡にも石垣の一部が残っているとのことですが、残念ながらその場所を見つけることができませんでした。
八代城登城後時間があれば、くまモンポート八代に訪問するのも良いかもしれません。いろいろな表情のくまモンを見て心を癒されるのも良いかもしれません。
ちなみに八代城内の見どころの説明版にくまモンがいます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

いんげん丸虫

蓬ケ洞砦 岐阜県高山市 (2023/10/29 訪問)

東の広瀬城と西の高堂城の中間地点にある
砦です。
この場所には小規模な砦が5つあります。
蓬ケ洞砦2箇所、寺洞砦2箇所、オトシ砦。
この中で蓬ケ洞砦は遺構の残り状態が良い
ですね。62m x 25m の楕円形の主格の両端
に堀切、側面には長さ5m 位の畝堀が数十本
取り巻いてます。


+ 続きを読む

WEST

人吉城探訪 (2023/10/26 訪問)

人吉城を訪問しました。人吉城は令和2年の豪雨災害による被災のため、災害復旧工事により一部区域が立入禁止となっていました。人吉城歴史館も被災により休館中でした(パンフレット、スタンプはOK)。
復旧途中ではありますが、城内は草刈り等の整備が良くなされ、三の丸、二の丸、本丸と散策し易いお城でした。
見所は、西洋式石垣の「はね出し石垣」です。相良神社横から球磨川側の堀合門に抜けると見ることができます(石垣下の通路は工事中でした)。
西外曲輪側の胸川・球磨川の合流地には角櫓や多門櫓が復元されていました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

【安芸万徳院】広島県北広島町 国史跡万徳院跡(2/2) (2023/10/05 訪問)

 万徳院跡は史跡吉川氏城館跡群の一つで国史跡に成っており、毛利元就の孫で吉川元春の嫡男が建立した寺院です、此処の石垣も吉川元春館の石垣の様に立石を使った特徴ある立石垣です、これで立石垣を吉川元春館、松本屋敷、万徳院跡と3ヶ所確認体験しました。
 寺院の南端に立石垣、中央に表門と石段、東脇に通用門跡と北に続く通用門スロープ、発掘調査されて本堂跡、庫裏跡は礎石地表展示と説明板、風呂屋が復元されています、池庭の復元、坪庭風小庭復元されて奇麗に整備されています。
 一番の見所は立石垣塁でしょう!
 吉川氏城館跡群の国史跡の内、吉川元春館、万徳院跡、小倉山城跡の三ヶ所は発掘調査のうえよく整備されて大変見学探訪し易くなっています。
 
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

【安芸万徳院】広島県北広島町 参道とガイダンスホール(1/2) (2023/10/05 訪問)

 万徳院跡は吉川氏城館跡群の「国史跡万徳院跡」と成っており、現在は発掘調査によって万徳院跡歴史公園として整備されています、寺院の建立は吉川元長(吉川元春の嫡男)が天正2年(1572年)頃と言われています。

 住所:広島県山県郡北広島町舞綱、万徳院跡歴史公園
 駐車場:万徳院跡歴史公園の専用駐車場、余裕の駐車、トイレはガイダンスホール青松内を利用。
 参考資料:グーグルマップ、吉川元春館戦国の庭歴史館でパンフレット入手「万徳院跡」による。

 7年前吉川元春館探訪時には万徳院跡はスルーしていましたので、今回は是非にと松本屋敷、吉川元春館探訪の後吉川元春館から国道433号線の北側に案内板が有りそれに従い舗装された林道を約1km程、途中の分岐点にも案内板あり、駐車場は整備されて奇麗、同利用。
 駐車場北にガイダンスホール「青松」が有り、無人でしたが施設内は展示、休憩、トイレ利用、ガイダンスホール青松は発掘調査の成果を基に本堂復元した建物です、ガイダンス東横より参道が続き、南端に折れが有り参道入り口からは本堂が見えない様にされて居ます、折れからは約150m程の直線の参道が伸びて居ます、道端には排水用の溝も有ります、寺院南端の立石垣を今か今かとワクワクする参道の歩みでした。
 続く
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

健御名方富命彦神別神社 (2023/11/04 訪問)

 第2次川中島合戦のときには長尾景虎の本陣となった城で善光寺の近くにあります。健御名方富命彦神別神社付近が城址です。社殿背後には土塁と思われる地形がありました。説明板は城山公民館の前にあります。

 久しぶりに善光寺にも行きましたが、多くの観光客と七五三の子供、ご家族で賑わっていました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

飯山城跡公園 (2023/11/04 訪問)

 戦国時代は上杉氏と武田氏の激戦の地で、江戸時代は飯山藩として明治まで栄えた地にある城です。飯山城址公園として整備されています。本丸周囲には枡形を含めた石垣が残っていました。土塁、切岸、復元城門などを見ることができます。周囲には水堀があったようですが、今はありません。三日月堀跡の説明板が飯山高校グランド近くにありました。

 新幹線飯山駅より徒歩20分くらいで城址に行くことができます。
余談ですが、今回は行っていませんが飯山市にある真宗寺は文豪・島崎藤村の小説「破戒」に出てくる蓮華寺のモデルとなったお寺です。(読んだことはありませんが) 藤村はこの町を「雪国の小京都」とよんだそうです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ133