三方ヶ原古戦場を訪れてきました。浜松駅からバスで奥山行に乗り40分「三方ヶ原墓園」で下車します。このあたり一帯が、信玄と家康が最初に激突した場所のようです(写真③)。墓園というだけあり、お墓がすごくいっぱいある場所でちょっと不気味でした(😱~)。
バス停の前には、三方ヶ原古戦場の石碑と説明板がありました(写真①②)。そしてここから北の方角、祝田(ほうだ)の方へ歩いてみました。10分程歩くと確かに下り坂がありました(写真④)。今は改良された広い緩やかな下り坂の道路ですが、当時は崖で獣道のような狭い急坂ではなかったかと思います。
徳川家康は地の利を生かし、この祝田の坂(崖)を下るであろう武田軍を後ろから追い落とす作戦だったようです。しかし、武田信玄はそれを読み、逆に坂の手前で「魚鱗の陣」を敷いて、おそらくこの(写真③)位置で待ち構えていました。そして徳川軍は大惨敗、家康は浜松城へ向け、命かながらおもらししながら敗走します。
では、私も徳川軍の気持ちになって、浜松城へ向け全力で走ります! と思いましたが結構距離があるので、とりあえずトイレに行き、それからバスに乗ってまた戻ります(😯え?)。
次は、徳川軍が最後に抵抗した「崔ヶ崖」へ向かい、この続きを「どうする家康」の名場面で振り返ろうと思います。
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【余談】2026年大河ドラマ
2026年の大河ドラマは、豊臣秀長が主役の「豊臣兄弟」に決定したようですね! 秀長と言えば大和郡山城・和歌山城という名が私は思い浮かびます。和歌山と言えば地元イオさんおめでとうございます! 私は、秀長に見出され和歌山城の築城で頭角を現した藤堂高虎を誰がどう演じられるのかも楽しみです。昨年(19人目)の藤堂高虎を追って、宇和島城→大洲城→今治城→関ケ原(大谷吉継と五助の墓を立てた美しい話や、捕らわれた石田三成に一人だけ最後まで敬意を表した美しい話)→津城(伊予で対立していた加藤嘉明を広い心で許し徳川秀忠へ加増推挙した美しい話)などを訪れて知り、高虎ファンになってしまい好プレー賞をあげたのを思い出します。また豊臣秀長と言えば、九州では根白坂の戦いで総大将を務めた事でも有名です(昨年高城を訪れた時に見た秀長本陣跡写真⑤)。まだ2年先の話なので早く来ないかな😊。その前に私はまだ恥ずかしながら、奈良・和歌山県には行った事がありません。奈良県をコンプされた「あ」さんや、近畿を本陣に縦横無尽に駆け回る「ぴーかる」さんは、すごいなと思います。私はせめて秀長のゆかりの地だけでも、できれば来年にはできるであろう大河ドラマ館とあわせて、奈良・和歌山にも一度は行ってみたいものです。
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P.S あっちゃん様
私も以前に姫路城から桑名城を訪れた時、千姫の美しい話に出会い、千姫の人生を追ってしまいした。次は地元桑名城を再度訪れ、千姫パワースポットなども見られてはいかがでしょうか? 詳しくは、お城を探す→桑名城 で検索していただければと思います。
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