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チェブ

藪と雑木林。 (2023/10/04 訪問)

小山 朝村さんが築城した「薬師寺城」。

遺構を、藪に隠し侵入を拒絶します。
この日は、雨があがって曇り。お日様が出て、藪はぐんぐん元気になるのでしょう。
周りは畑と、民家。
路駐をして、さっさっと写真を写して退陣です。

藪は「薬師寺城」の説明板の近くにも、寄せ付けてくれません。

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Pylori

麓から見上げる迫力は圧巻 (2023/10/29 訪問)

曲輪が素晴らしい。さすが謙信公

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朝田 辰兵衛

二上山万葉ラインを東から西へ… (2023/10/07 訪問)

改変されて見どころの少なくなった守山城を,徒歩で「二上山万葉ラインを東から西へ…」などというルートで散策する変態は私ぐらいかと思います。
古国府城から西へ300mほど進むと,二上山万葉ラインに入ります。そして,最初のピークが「平和の鐘」。自由に鐘をつくことができます。自動販売機,トイレも設置されており,休憩場所としてチョイスしました。
「平和の鐘」から先は谷となります。守山城から見れば,天然の東側防御施設になっていると思います。そしてまた登りが続き,みなさんがアップされている「大伴家持像」にたどり着きます。さらに先が守山城。眺望はバッチリなんですが…。
結局,そのまま西へと。国道160号線に出て,二上山万葉ラインを歩き切りました。200mほど南下して,新守山バス停から高岡市内中心部へと向かいました。

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トク

76【関ケ原の26人】 (24) 島津義弘 (島津義弘と飯野城) (2023/10/17 訪問)

(24人目)島津義弘の続き⑦です。
義弘が最も長い26年間(30~56才頃)を過ごした「飯野城」と義弘が天下にその名をとどろかせた「木崎原古戦場」を訪れてきました。飯野城へはえびの文化センター前から再度同じバス小林駅行バスに乗り10分「飯野」で下車しそこから徒歩20分の所にあります(写真①)。

人吉城の相良氏の抑えと日向の伊東氏の薩摩進攻に備えるため、義弘は1564年に平松城からここ飯野城へ居を移します。そしてここから出陣した、木崎原の戦い(1572年:対伊東氏)、耳川の戦いと豊後攻め(1578年:対大友氏)、根白坂の戦い(1590年:対豊臣)と数々の義弘伝説をここ飯野城から出陣して作っていきました。

ここもシラス台地を利用し三方を川内川と急峻な崖に囲まれ、本丸・二の丸・三の丸・物見曲輪から構成された強固な作りの城でした(いかにも島津らしい城だ🤔)。物見曲輪からは木崎原古戦場も見えました(写真⑩)。

1590年「根白坂」で豊臣秀長軍に大敗した義弘は、再びここ飯野城へ逃げ戻り籠城します。しかし義久が秀吉に泰平寺で降伏したため、徹底抗戦を叫ぶも結局は兄には逆らえず、また義久には薩摩を義弘には大隅の安堵の条件を秀吉から提示されたため、自らも剃髪しここから秀吉の元へ行き降伏しました。

そしてその直後、この日向の飯野城を離れ、自領大隅の松尾城(栗野城)へ移り、さらに秀吉の命により朝鮮へ出兵します(文禄の役)。帰国後1594年そこから南の海に近い帖佐に館を構えそこに移り住み、また再び朝鮮へ出兵します(慶長の役)。そしてその帖佐から1600年の関ケ原へと出陣して行ったのでした。

次は、木崎原古戦場に続きます。
 

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うさ

寺部城 (2023/11/01 訪問)

ちょっと分かりにくい所にあります。駐車場もないです。住宅街にあります。

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うさ

市場城 (2023/11/01 訪問)

駐車場も旗が立っていて分かりやすく、近くの観光案内所で御城印も頂けます。
とても登りやすい山城です。

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うさ

上田城 (2023/10/14 訪問)

たくさんの観光客の方がいらしてました。
無料駐車場も目の前にあります。資料館もあります。

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半布里コミッティ

「山城に行こう!2023」に加治田城ブース出展します!

山城に行こう!2023 美濃金山城跡国史跡10周年~心に響いた10の山城~ に
加治田城ブース出展します!(11日・12日両日共)

加治田城の新しい御城印をご用意しました。
(加治田城主の家紋、花押イラスト入り)
その他にイベント時限定の御城印やグッズもあります!


12日(日) 12:30-13:30
「地元の山城ここだけの話」にて、富加町職員が山城事情を語ります。
 ※トミカニミタケ(富加町、可児市、御嵩町)の職員によるトークです。


また、可児市特別顧問による講演会や、城跡紹介ブース、物販・体験ブースなど
楽しいイベント盛りだくさんです。


開催日時 : 令和5年11月11日(土) 12:00~16:00 / 12日(日) 10:00~16:00

会場   : 広見地区センター  (メイン会場)
         可児市広見7-77

入場料  : 無料

多くの方のご来場をお待ちしております。

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ダイエティシャン

甘南備寺山城跡(仮名) (2023/10/29 訪問)

【石見銀山領33ヵ所巡り 2】のイベント講演会に参加。
山城が発見されたそうです。現在、入山には林野庁の許可が必要だそうです。なので、攻城は出来ていません。お寺の裏山に存在していた可能性がある、山城だそうです。
写真2は、講演会会場で販売していたクッキーです。「ばく」の形が可愛かったです。
石見国にはあまり知られていない興味深い山城が沢山あるようなので、また攻城したいです。

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カズサン

段丘微高地に築かれた中世方形城館 (2023/10/04 訪問)

 出雲平田城を終えて、山陰道、無料松江道、中国道を経由して備後三次の高杉城へ、無料の松江道は大変ありがたい、更に無料尾道道で山陽道に繋がって大変便利になっています。
 赤い城さんが今年8月登城9月投稿の記事を拝見し、中国道往来城廻の途中にでも登城しようとチェックを入れていましたが、今回こんなに早く廻って来るとは、中学卒業60年合同同級会と故郷檀家寺行事の間4日間城廻の広島県北部未踏の城探訪の一つに入れました、当初は3日目の終わりに入れていましたが、出雲平田城が早めに終わり、松江道が意外に早く走行出来て陽も高く、三次のホテルチェックイン前に初登城しました。

 駐車場:高杉城跡(知波夜比古神社)の西側通り沿い(34°46'38"N 132°53'55"E)、鳥居前に案内図あり、参考にした古城盛衰記さん情報による。
 参考資料:古城盛衰記さん、城びと投稿者、グーグルマップに依ります。

 高杉城は方形の城館跡で現在知波夜比古神社が鎮座してる、周囲は土塁と堀が廻り、北側、東側は明確にわかる、西は土塁が有りますが堀は道に成っている、南は虎口で土塁あり、堀は埋まっています、南東部は住宅で消滅してる模様。
 案内板が鳥居の南約60m程の用水路の南に建っています平成28年でまだ新しい、鳥居を潜った西横に城名石碑と高杉城跡案内板が設置されています。
 先ずは鎮座してる備後国二之宮知波夜比古神社を参拝、境内東側に虎口が在り土橋と東側の土塁と堀を確認、境内より北東部の土塁、虎口を確認、続く北側土塁の確認、西虎口を出て北側の堀と土塁、北東部から東の堀と土塁を確認する、西側の土塁、南西角、南側の土塁確認、堀は道または埋まっている。

 歴史的には、中世の国人領主江田氏と関係の深い知波夜比古神社の祝(ハフリ)氏が拠った所で江田氏の支城、祝氏の関係から観応年間(1350年~52年)頃築城されたと考えられる。
 尼子方の高杉城は天文21年(1552年)に毛利氏との戦いにより攻め落とされ、祝甲斐守父子は滅ぼされています。その後弘治2年(1556年)毛利元就、隆元父子によって本殿が再建されています。(案内板抜粋)
 落城後本殿が直ぐに再建されて高杉城の城館跡周囲の土塁、堀が神社保護で良く残ったのでしょう。
 

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AJ

アプリ

「城びと」のアプリ、作ってほしいなぁ、、。
本当にただのつぶやきですみません。みなさんはいかがですか?

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todo94

阿波からの転戦 (2023/10/28 訪問)

八石城に続いて初投稿いただきます。ここまでどなたも投稿されていない山城というのはかなり不安を感じるものです。事前に「古城盛衰記」さんの記事を読ませていただきました。登城口の写真、鉄塔を目指してという内容、とても助かりました。ありがとうございました。鉄塔の先も赤いペグ、木肌への赤いペイントが目印となっていて無事に山頂にたどり着くことができました。ただ、今まで経験したことのないほど沢山の蜘蛛の巣が張っていて、木の枝を片手に振り回しながらの登城でした。山頂部に「中世山城を楽しむ会香川」のプレートがかかっていましたが、この中世山城を楽しまれている方はあまりいらっしゃらないのかなと感じました。

これで讃岐の城びと登録物件は小豆島の2城と昼寝城を残すのみとなりました。昼寝城の通行止めの解除を気長に待ちたいと思います。

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赤い城

雨滝山 (2023/10/28 訪問)

雨滝自然科学館に車を停めさせてもらいました。
登山名簿的なものに名前を記入、ここから歩いて登りました。
車でも行けそうですが後悔しそうな道です。
歩いている途中天気が急変、雨が降ってきました。
濡れながらしばらく登ると登城口があります。
ここから登るとすぐに土橋、両側に竪堀が落ちます。
これは期待大!さらに登っていきます。
登城路は整備されて歩きやすいです。

桝形虎口を経てさらに登ると主郭に。
主郭についた頃には雨もあがり日が射してきました。
虎口も残っていましたがやや藪。

ここからまずは北側の曲輪に降りてみます。
虎口部分には石積も見られ、曲輪は何段かに連なっていました。

主郭に戻り、説明板の脇から東側に。
こちらにも曲輪が連なります。
石垣も何ヶ所か残っていて櫓台の部分が特に良好でした。

安富氏の居城でしたが長宗我部氏に攻められ落城、規模も大きな城だったようです。
眼下には津田港を望む眺望もgoodでした。

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にのまる

三度目の本気 (2023/09/08 訪問)

3年ぶり3度目の山形城です。
過去2回の訪城で、本丸一文字門や二の丸東大手門など見どころと言われるところはひととおり見尽くした気でいたのですが、実は全然まだまだ歩ききれていなかったということが判明したので、イチから出直しました。

todo94さん、山形城、正解です🎊
一分の隙もない解説にひれ伏すしかありませんm(__)m
霞城セントラルや東大手門が写り込んでいる写真もあったのですが、それではかえって失礼になるかもしれないと思い、堀と線路以外なーんにも写っていない写真を選んでみたのでした(‘◇’)ゞ

東京駅7:12発のつばさ123号に乗車、山形駅着は10:06。
二の丸南大手門に直行し、雁木は登れないから見るだけにして土塁歩きをスタートしました。
横矢(説明板あり)を過ぎて最初のチェックポイントは坤櫓跡。
発掘調査で検出された石垣は雁木の二段目まで。復元部分との境目がはっきりわかるのがありがたいです。角石も然りで、根石の安山岩、その上に加工して積まれた流紋岩・花崗岩・デイサイト(手元にある発掘調査現地説明会資料を参考)から当時の姿が浮かびます。
この坤櫓跡までは以前来たことがあるのですが「このまま下りれなくなって土塁の上を一周することになったらヤバイ」と思って引き返してしまっていました。
今回は一周する気満々です。
どんどん歩いて西不明門へ向かいます。土塁の上から覗き見る堀と門石垣のカクカクッがもう素敵👀
<つづく>

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いんげん丸虫

県指定史跡 (2023/10/29 訪問)

標高778mの山城です。
三角形の主郭が山頂にあり、三方向
の尾根に平場の遺構があるのですが
目立った堀切、土塁などは無いので
やや面白味には欠けるでしょうか。
瓜巣公民館に案内板、駐車場があり
ます。

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ぴーかる

中津城 (2023/09/10 訪問)

【続百名城60城目】
<駐車場他>中津城第1駐車場
<交通手段>車

<見所>石垣・門跡・総構え遺構
<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅2日目10城目。上記駐車場に駐車し本丸南側石垣と堀⇒歴史博物館⇒西門跡⇒小倉口⇒おかこい山(総構え土塁)⇒金谷口跡⇒藩校跡⇒生田門⇒大手門跡⇒天守西側の薬研堀~北側に歩き⇒中津川に面した黒田氏時代石垣を堪能⇒水門跡⇒本丸・天守内部の順に散策しました。総構えの遺構、門跡の石垣は見応えあります。また中津川に面した黒田氏時代の石垣は巨石を用いてかなり見応えがあります。懸け造り風の模擬天守もなかなか眺めが良かった。2時間半たっぷり散策しました。これにて百・続百名城の大分県制覇。

<満足度>★★★

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武者之小路

遺構らしきものは畝状竪堀群以外は有りませぬ (2023/10/01 訪問)

何度か行っては迷いリタイヤしたりしました。

3度目の正直で無事登城する事が叶いましてござる(;´∀`)

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武者之小路

結構キツかった(;´∀`) (2021/05/08 訪問)

散歩がてらぐらいで登ったら大変でした Σ(゚∀゚ノ)ノキャー

石垣などが所々に見受けられます。

本丸跡からは見晴らしの良き風景が楽しめます。

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りあそーる

駐車場 (2023/10/06 訪問)

までの一本道が注意!すれ違うと大変。帰りに隧道のトンネル側に左折するときのタイミングも注意です。

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ぴんぴん

初めての岸和田城 (2023/11/01 訪問)

出張の合間に時間が取れたので岸和田城に行って来ました。
こじんまりとしていましたが姿がカッコいいお城でした。

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