国宝
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2024/09/08 07:56
2024/09/08 07:49
元寇と日本の為に戦った事に感激です。 (2024/09/03 訪問)
元寇からの進行に対して工事した防塁、今は分断されて点在してます。
場所によって様々な武将が携わった跡が見られます。
今まで見た事のないような武器や兵と戦った当時の武将の思いを感じて勝手に心熱くなってしまいました。
主には西新地区、今津、生の松原と残っています。
西新地区では街中の一画に残る防塁と、その側の大学の構内にも見事に保存されています。
大学は平日に見学できるようになってます。
今津では海岸に設置された防塁を見る事ができます。
当時の防塁や迫る元寇の雰囲気がかなり鮮明に想像できます。
生の松原にも残った防塁が見れます。
それぞれが積み方などの違いでどの地域の武将が工事に携わったのかがわかるそうです。
日本を守る為に戦った当時の武将の勇気、使命感の高さを想像して感激の防塁見学でした。
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2024/09/08 05:54
伊奈忠次 (2024/09/07 訪問)
関東郡代伊奈氏の祖、伊奈忠次の陣屋跡です。「伊奈氏屋敷跡」として説明板や案内標識が整備されています。土塁や空堀などが、いい感じで残っています。障子堀も見つかっていますが、は発掘調査後、保存のため埋め戻されています。ところが障子堀という案内標識が複数あり淡い期待を抱いて探してみました。やはり見当たりません。また藪になっている所もあり、時期的に蚊にも悩まされました。それでも十分楽しめる陣屋跡ですが、散策は冬の方がいいですね。
埼玉新都市交通ニューシャトル丸山駅からすぐの所に裏門跡があります。
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2024/09/08 05:38
2024/09/08 05:30
北浦和東公園 (2024/09/07 訪問)
岩槻城主高力清長の家臣中村吉照が設けた陣屋跡です。遺構はないようです。北浦和東公園にある針ヶ谷三山と天神山と記されている案内板を撮影して撤退しました。
北浦和駅から徒歩約15分くらいでした。
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2024/09/08 05:25
真鳥日向守 (2024/09/07 訪問)
畠山重忠の家臣真鳥日向守の城跡と伝わっています。日向不動堂付近にあったとされ境内に石碑があります。
南与野駅から徒歩10分くらいです。
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2024/09/08 05:20
佐々木盛綱 (2024/09/07 訪問)
平安末期佐々木盛綱により築城されたと伝わっています。名物うなぎ川魚割烹幸楽園さん付近が跡地で、遺構はないようです。看板に旧領ヶ城址とあり、撮影させていただき撤退しました。幸楽園さんのHPに旧領ヶ谷城址の説明があります。
南浦和駅より徒歩約20分です。
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2024/09/08 00:24
カレーは飲み物ですか? (2013/07/21 訪問)
スイカバーは来年までお預けでしょうか? それはさておき、スギ薬局でレトルトカレーが安売りしていたので、こんなものを作ってしまいました。琵琶湖の周りに戦国期の主要な城郭を配置します。うん、これで滋賀県が、ほぼ収まった‥「滋賀県カレー」と名付けよう!
えっ? 滋賀県はもっと広い? 琵琶湖は滋賀県の六分の一? ‥‥じゃあ琵琶湖カレーでいいです。
安土城の石段には「石仏」を配置しています。うう‥細かい、でも安土城にはこれがないと。さあカレーを注水、あれっ なんか琵琶湖の形がおかしい‥。うーん、低い方に流れてしまったか、でも坂本城がギリ水没していないし、良しとしよう。
長浜城の方向から声が聞こえてきます。「俺をダシに使うんじゃない!」すみません、今からやります。長浜城は坂本城と同じく琵琶湖に面して築かれた「水城」です。正確な往時の姿は不明ですが、二重の外堀と内堀に囲まれていて、南北約1.2km、東西約0.7kmの規模を持っていたとされます。かつては琵琶湖に面し、坂本城や長浜城、安土城が築かれ、竹生城などを含めて戦国期と思えないほどの優雅さを誇っていたと思います。
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2024/09/07 23:20
広い城域を持っています。 (2014/05/17 訪問)
最近コンビニでスイカバーを見ません。スーパーにも無いです、何かの陰謀でしょうか(夏季限定?)。
それは置いておいて、少し古い写真を掲載させて頂きたいと思います。車で番所あたりまで行くことが出来るので、この日は最高所である大嶽城まで訪れています。徒歩で来られた方は、そのまま福寿丸、山崎丸を経由して下山されるのも良いでしょう。東西の尾根に曲輪が連なり、かなりの城域を持っています。また主要な部分は東側に築かれています。
この日のルートは「金吾丸」「御茶屋」「御馬屋・御馬池」「首据石」「大広間」「赤尾屋敷」「本丸」「御局屋敷」「中丸」「京極丸」「小丸」「山王丸」「六坊・月所丸」「大嶽城」の順になります。
「金吾丸」は大永8年(1525)に六角高頼が小谷城を攻めた時、越前の朝倉金吾教景がここに布陣したと伝わります。
「番所」は主要部への入り口に当たり、番所が置かれていた場所になります。この近くまで自動車で来ることが出来、温存できた体力で大嶽城までたどり着きました。
「御茶屋敷」は番所の上に配置され、名前にそぐわぬ高い防御力を持った曲輪です。「御馬屋」周辺には井戸や、池があり馬に関係する曲輪かどうかについては意見が分かれているようです。
「首据石」は黒金門の手前に置かれ、天文2年(1535)1月に六角氏との合戦の際に初代・浅井亮政は敵に内通の疑いがあった家臣の今井秀信を神照寺で殺害し、首をここに晒したとされています。
「赤尾屋敷」は重臣・赤尾氏の屋敷で、重臣の屋敷としては本丸の最も近くに配されています。天文元年(1573)9月1日に浅井長政が自刃した場所としても知られています。
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2024/09/07 21:54
ヒルにヤラレました…😨 (2024/06/24 訪問)
相生駅前~瓜生東まで,路線バス(ウイング神姫)を利用しました。交通系IC可【460円】です。瓜生東バス停から,徒歩約20分で登城口到着。バス停からは,羅漢の里を目指すと良いでしょう。
この日は雨上がりで,暑さへの心配はありませんでした。これが,油断につながったのだと思います…。
井戸跡に向かおうと少し足を進めていたら,左足に数匹のヒルを発見。慌てて払いましたが,1匹どこかに隠れていたようです。下山後に確認したら,左足のスネ付近をヤラレてました。その痕はまだ消えていません…😨
結局,井戸跡への散策は断念しました。
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2024/09/07 19:15
松山の番組紹介とミュージアムと鯛めし (2024/09/05 訪問)
松山城の続きです。今度はその他情報ですいません。
NHKで明日9月8日より毎週日曜夜11時から「坂の上の雲」という番組が全26回(3月まで)で放送されます。17年くらい前にあった番組の再放送なのですが、時代は武士の世が終わり明治の近代国家へと進む日本の話です。冒頭(第1話)は、松山城で子供の頃の「秋山真之」と「正岡子規」が遊ぶシーンから始まります。二人が松山城で花火を上げいたずらをするシーンはちょっと笑えます。第3話からは「夏目漱石」なども登場してきます。全体的には日露戦争へと続く物語なので、回を追うごとに少しずつ内容に抵抗を感じる方もおられるかとは思いますが、第1話の廃藩置県直後の松山城がどんな様子だったのか、そのシーンだけでも見られたらおもしろいかと思います。主役の本木雅弘さん・香川照之さん・阿部寛さんのユーモアや、若い頃の管野美穂さん・松たか子さん・石原さとみさんのシャイな演技もちょっといいです。今回訪れた時、松山の街ではいたる所でこの「坂の上の雲」の看板やポスターが貼られているのを見かけました。伊予鉄電車の中もポスターがいっぱいで、地元はそうとう盛り上がっているなと感じました。私も前回見た時はとても元気をもらった番組なので、この再放送は松山を元気づけるためにNHKが企画したのではないかと思いました。
松山城で私は、その番組冒頭で(好古・真之・子規)の三人が写真を撮っている(写真⑤)場所がどこか探しました。でもどこかわかりません。そこで切符売場の係りの方に訪ねると、現在立ち入り禁止の良門から天守を見上げた場所だそうです(写真⑥)。自分も同じ場所から同じポーズでかっこよく撮ってみたかったのですが残念です。
松山城の前には、その「坂の上の雲ミュージアム」があります(写真①②)。松山城の登城口「大街道」電停の前です。また道後温泉には「正岡子規記念館」もあります(写真④)。私も今回両方見学してきました。松山城を訪れた際には、もしお時間があれば立ち寄っていただきたい場所です。
以上、松山に関する紹介でした。
(NHKにあっぱれ!😊)
【余談】松山名物「鯛めし」
松山と言ったら、この鯛めしが私は大好きです。帰りにロープウェイ下の「もとやま」でいただきました(写真⑨)。ここオススメです。地ビールも一緒にいただきます。まず刺身は贅沢に大盛りで注文しました(身のきれいなぷりぷりした天然鯛です。ごはんも無料でおかわりできますので二杯楽しめます)。そしてまず刺身をご飯の上にのせ、地たまごをだし醤油で溶き、ねぎなどの薬味やわさびを入れそれを上からぶっかけると、もう言葉にならない程おいしかったです😋(写真⑩)。
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2024/09/07 17:10
松山城の豪雨被害の状況を見てきました (2024/09/05 訪問)
松山城は豪雨による崖崩れ(2024.07.12)あれからまもなく2カ月が経ち、さらにまた台風10号による豪雨もあったので、ふと気になりJRとフェリーを乗り継ぎ訪問してきました。
松山城に到着後まず登れるようになった天守へ! 太鼓門から見上げる威風堂々とした現存天守はいつ見ても感動します(写真①)。そして天守の最上階から河野氏の湯築城を眺めます(写真②中央の小さな木々の丘が湯築城で、そのすぐ左が道後温泉です)。湯築城に籠り松山城の築城を妨害する河野氏を牽制するために、加藤嘉明は天守をこの向きにしたそうです。
そしてここから本題へ入ります。まず崩落現場を天守から見下ろしてみました(写真③)。下に見える良門櫓の右(木と木の切れ目)が崩落場所なのですが、ここからは思った程よく見えませんでした(この下は立ち入り禁止なので近づけません)。ならば次は切符売場の横から覗いてみました。ここからは左の太鼓門からだけでなく右へ良門櫓から天守へ登城する道もあったのですが、そこは危険なため立ち入り禁止になっていました。よって崩落現場の真上までは行けませんでした。そこで売り場横からできる限り近く行ける所まで行き覗いてみました。崩落上部にはビニールシートがかけられ、斜面には崩落防止のネットが張られています(写真④⑤)。ごっそりと土が削られ斜面がほぼ垂直になっていて、何やらとても恐怖に感じました。自然の力は本当に恐ろしいものです。
切符売場の係りの方に聞くと、わざわざ古図で説明してくれました(ありがとうございます)。昔は斜面の途中に池があったそうです(という事は地下水が流れ出ていた)。たぶんそのためそこから下の地盤が弱く、先にそこが崩れ始め(写真⑥のA)、それによって少し時間をおいて上(写真⑥のB)が耐えきれず崩れ落ちたとの事です。ボーリング調査で立入禁止区域以外の登城路は安全性が確認されているので、皆さん安心して登城されて下さいとの事でした。私はこれ以上崩れないようにと、神様・仏様・嘉明様にお願いしました(写真⑦)。
今度はロープウェイの下(大街道)から北へ10分程歩いた住宅地の中、崩落場所の崖の下に行ってみました。重機で更地にされているこの一帯には以前数件の住宅があり、そこに住んでいた3名の方が亡くなられました(写真⑧⑨)。本当に悲惨としか言いようがありません。これ以上近づく事ができず、下から見上げてみましたが、杉の木で崖はよく見えませんでした。この杉の木の向こうには高さ100mの巨大な崩落した崖があります。これをどうやって補強するのでしょうか? おそらく鉄筋で壁を作ってセメントを流し込みながら固めてたりしていくのではないかと推測しますが、でもそうすると城の景観が悪くなってしまわないかと心配です。でもぐずぐずしていると、崩落がさらに大きくなって現存天守に影響が出たり、下に住んでいる方々に再度被害が出てはもっと大変です。城を管理している松山市(役所)には、これ以上被害が大きくならないよう、かつ景観に配慮しながら何とかがんばってほしいと思います。また住民との補償交渉も始まったようで、真摯に向き合ってほしいと思います。
さらに係りの方に、今回の台風10号での被害はなかったのか聞いてみると、南堀端(市役所前)の石積が、長さ10mに渡って崩落したとの事なので行ってみました。確かに崩落があり、「通行注意」の看板がありました(写真⑩)。電車通り沿い市役所前の歩道で人通りも多い場所なので、注意してほしいと思います。
以上、被害状況の報告でした。
(きばれ松山!😠)
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2024/09/07 17:07
藪に埋もれる空堀と土塁 (2024/01/19 訪問)
JR常磐線 岩間駅から徒歩約1時間かけて登城‼(岩間駅からの道中に旧宍戸城表門が移築されていますので、セットで巡ってきました。)
別のアクセス方法はJR友部駅から茨城交通の「旭台団地経由水戸駅行」または「旭台循環」のバスで、「住吉団地入口・友部スクエア」で下車して、徒歩35分ほどです。
城跡の北西側から県道16号を通って登城。周辺に本覚寺と工場と思しき建物があり、それを目印に向かいました。本覚寺はだいぶ荒れている様子でした。
入り口の道は、二か所あり、一つは本覚寺(北西)から来る路地のような道と城の脇を走る市道とのT字路の少し北側にありますが、舗装されておらず分かりづらいです。二つ目は、市道沿いにある神社の鳥居の少し北側の入り口です。私は北西側の一つ目のルートで進み、道沿いに藪になっていましたが、折れがある空堀と土塁がありました。道から離れ少し南西に行ったところに本郭の北側虎口と土橋がきれいに残っています。赤い城さんやdougenさんが以前の投稿で断念されていた城址碑についてですが、この北側虎口の北東側の空堀(藪)の手前にあるのを確認できました。
また本郭の西側の神社そばまで空堀が延びているようです。神社側は、あまり藪になっておらず、神社脇の市道などから見学できるようですが、完全に見落としました…
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2024/09/07 15:38
楠木正成騎馬像 (2019/10/01 訪問)
国会議事堂を見学した帰りに江戸城に寄って来ました。議事堂から堀と土塁を見ながら外桜田門と桜田門を経て城内に。江戸城は以前訪問したことが有るので、この日は周囲を散策して楠木正成公の銅像を見に行きました。少々いかつい顔をしておられますが非常にかっこいい。
騎馬像では楠木公と山形城の最上義光公の像が抜きんでて格好良いですね。この銅像だけでも見に来る価値が有ります。周囲は皇居外苑になっていて、とにかく広いです。周囲には高層ビル群が迫って来ていて近世と近代の狭間の不思議な空間が広がっています。
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2024/09/07 15:21
居館はどこだ? (2024/06/29 訪問)
石上城の続き。最初は城址の場所が良くわからず、登福寺背後の丘陵を散策しています。特にこれといった遺構は見当たらず、沢を挟んだ東の丘陵に大頭龍神社を見つけ、そちらも訪問してみることに。
道が分からず最初はうろうろしていましたが、集会場の脇から向かうのが正解でした。城址そのものは手狭ではあるので大頭龍神社か登福寺いずれかに居館が有ったのではないかと考えています。
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2024/09/06 23:55
城主・石上兎角之助は二俣城の戦いで討死 (2024/06/29 訪問)
石上城は登福寺の東の尾根上に築かれています。最初は道が分からず難儀しましたが、登福寺の前の集会場の案内板のあるあたりから、道が続いています。澤が登福寺の背後の丘陵との間を流れ、天然の堀の役割をしています。
案内板に従って進んでいくと大頭龍神社のある広い扁平地に至り、城址はその背後になります。尾根を進んでいくと堀切があり、その先が二の曲輪(案内板)、そして虎口を経て本曲輪に至ります。本曲輪の周囲には土塁が残りますが、広さはそれほどでもありません。本曲輪の北側には堀切や竪堀があり、尾根はその先に続いているようです。
南北朝の時代より、存在していたとされ、徳山城の支城として南朝方に属していたようです。戦国時代には石上氏が城主を務め、今川氏から武田氏に従い、天正3年(1575)に城主・石上兎角之助は二俣城の守衛の任に付いている時に二俣城の戦いで討死し、石上城は廃城になったとされています。城址自体はそれほど広くは有りませんが、大頭龍神社や登福寺、その背後の丘陵までを守りに活用できれば、なかなかの規模になると思います。
この日は石上城を攻略した後は、奥池ヶ谷城を攻めました。二城とも静岡の城の中では外れの位置にあり、この日は大雨も来ていたことも有り移動には難儀しました。狭い県道(林道に近い)が通行止めになっていて迂回して大幅に時間をロスしています。
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2024/09/06 23:05
「北楯大堰」開削功労者の居城 (2024/09/01 訪問)
6月に庄内町清川に行った際、世界かんがい施設遺産に登録されている「北楯大堰」を知りました。最上義光の臣狩川城主北楯大学助利長が開削した農業用水で、工事は慶長17年(1612)に着工され、総延長10kmもの堰は現在も米どころ庄内平野の水田を潤しています。
戦いに明け暮れた戦国時代の終わりにこのような大規模な工事をと意外な気がしました。しかし戦国大名は築城や、城下町の設計、道路の整備、鉱山開発や治水などの土木工事を領国経営のために行っていたのだと思います。
所用で庄内を訪れることとなり、気になっていた狩川城を攻城しました。城跡は庄内町狩川にあり、現在は桜の名所楯山公園として住民に親しまれ、この日も本丸跡ではグランドゴルフ大会が開催されていました。
比高40mほどの丘陵北端に位置し、西側は切り立った崖、南北に長く広い本丸に、小ぶりの二ノ丸、三ノ丸が続く連郭式縄張り。本丸は公園化でかなり改変されているようですが、本丸南端の土塁や大規模な堀切、虎口跡など遺構を観ることができ、中世城館の面影も感じられました。
当時原野だった庄内平野も見渡すかぎり田んぼが続き、北楯大堰のありがたさを感じました。
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2024/09/06 22:33
「ゆで理論」 (2024/05/03 訪問)
キン肉マンネタ、アラフィフしか解らないかもしれません。置いてけぼりの方も多いと思いますが、ご容赦ください。
ゴジラやゴモラもよく城を壊しますが、現存天守は壊していないんですね。キングギドラの羽ばたきで、松本城の瓦が吹き飛んだぐらいだったと思います。ちゃんと手加減しているのが偉いですね。
その点「キン肉マン」は違います。国宝だろうが世界遺産だろうが、お構いなしです。姫路城が鉄筋コンクリートの名古屋城と合体して、空を飛んでいくのです。だって「ゆで」だから‥。我々「ファン」はこういう時に決まってこういうのです。
「ゆで」だから‥ これは通称「ゆで理論」と呼ばれていて、キン肉マンの世界では我々の通常の考えでは及びもしない出来事が普通に起きます。科学も物理法則も、全部すっとばしていくその論法は慣れてしまえば、強力な説得力に変わるのです。だって「ゆで」だから‥
私としては全国のキン肉マンファンにも城の良さを理解してもらえると嬉しいです。城好きにもキン肉マンのファンが増えるといいなと思っています。私は多感な少年時代にキン肉マンから多くのことを教わったと思います。「友情」「努力」「勝利」そして「相互理解」と「ゆで理論」。この「相互理解」はキン肉マンの世界でも一貫して続いているテーマです。やはり考え方や主義・主張が異なるもの同士が分かり合うのは難しいということでしょう。
岡津城は三嶋神社の周辺が城址とされています。岡津小学校のあたりが主郭と見られ、江戸時代には陣屋(代官所)が置かれ周辺は天領とされたようです。
空を見上げると合体した姫路・名古屋城が西に向かって飛んでいきます。どうやら今だに論争がさめやらぬ「かの地」に向かっているようです。
※「ゆで理論」の「ゆで」とはキン肉マンの作者である「ゆでたまご」先生の略称です。古くからキン肉マンに慣れ親しんできたファンたちから諦観と崇拝の意味あいを含めて「ゆで理論」と名付けられています。物語の合間にさりげなく入れることで絶大な威力を発揮しますが、あまりにも頻発すると読むほうもだんだん疲れてくるようです。
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2024/09/06 22:20
この城か前田城が前田利家生誕地 (2024/07/27 訪問)
【荒子城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>地下鉄東山線高畑駅から徒歩
<感想>青春18きっぷで濃尾平野ちょこ城巡り第5弾5城目。現地説明板によると荒子城の築城は天文年間(1532~1555年)に前田利昌によるとされています。その子の利久、同じく利家、利家の子の利長が相次いで居城しました。城は1重の堀で柵を廻らした砦程度の規模だったようです。天正3年に前田利家が越前府中に、同9年に利長が同地に移ったことから廃城になりました。
現地は天満天神宮になっていて遺構は残っていませんが、城跡碑と説明板、前田利家生誕地の幟が沢山あってなかなか城跡地らしい雰囲気ある場所となっています。
<満足度>◆◇◇
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2024/09/06 20:21
土塁・完:柴立城:鹿児島県南九州市 (2024/08/08 訪問)
北海道の陣屋跡のインパクトは大きく、方形館跡を地元でも見る事は出来ないかと考えていました。鹿児島市は平野部が少なく合併前の鹿児島市に限って平城は全滅、今のところ他の地域で残存率40%程度の方形館を漸く見れるだけです。早速城郭放浪記さんで調べてみた所それらしき城跡があっさりと見つかりました。あれだけの量の城跡を漠然と眺めていても記憶に残らないけれど、探す目的が決まっていると割と見付かるものらしいです。
南九州市でお馴染みのメジャー城と言えば知覧城、そこから南に直線距離1.7kmに柴立城はあります。体感で70m角程度の大きさで外周に土塁が廻っています。東西を当時の大手口~搦手口をトレースするように道路で分断されていて、北側の入口には土塁の折れがそのまま残っています。城と付いていますが館跡と考えて良いかと。結果から言いますと方形館では有りませんでした。何より空堀が見当たりません。ですが全体的に土塁の残存率も良くて気に入っています。到着した時に気が付いたのですが、樹木が土塁上に植えられて、根が表面に現れています。今のままでも倒れないかと感じました。先日の台風は大丈夫だったのでしょうか。
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