戦国時代のバチ当たり者の代表格といえば織田信長公ですが、鎌倉時代から心の荒んでいる武士は理由も無く坊主や通行人を殺したりすることがあったようです。仏罰を怖れていては武士は務まらないという考えかもしれませんが、殺される方はたまったものではありません。
それに比べると、信長公はいささかやりすぎた感もありますが、相手は信者をけしかけて戦を挑んでくる殺人ボ〇ズの集団ですから、多少の正当性はあると思います。あくまで「しんちゃん」の考えです。
明智光秀も延暦寺の焼討ちで吹っ切れたのか、城郭に好んで転用石を用いているようにも見えます。わざわざ天守台に、これだけ多くの転用石を用いているのも光秀なりの覚悟の現れでしょうか? でもまだまだ甘い。石段に石仏を配置している信長公の方が上ですね。
光秀の方が信長公より年上のはずですが、「悪逆非道」にかけては信長の方が「師匠」に相応しいのではないでしょうか。
ちなみに、けなしているわけでは無いです、ほめてます。戦国時代に於いては「裏切り」「挟撃」「悪逆非道」は普通に行われています。信長公は道を外し続けてきた仏教を「本来」の姿に回帰させた功績もあると思っています(オイオイ‥)。
※転用石を使っている城は他にもたくさんあります。姫路城や大和郡山城、熊本城にも使われているようです。
※信長公も光秀公もロクな死に方をしていません。やはり何事もほどほどにってやつですよ
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