椿尾下城(奈良市北椿尾町・城びと未登録)は、室町期に大乗院衆徒の椿尾氏が築いたとされ、当初は古市氏に従っていましたが、後に筒井氏に従うようになり、松永氏との抗争の中で改修されて椿尾上城の支城として機能したようです。
激ヤブ城として(悪)名高い椿尾下城ですが、遺構自体は見応えがあるようなので上城の前に挑戦してみました。南西側から登って行くルートがしんちゃんさんから案内されていますが、この日は北東側からのルートを選択。登城口(34.63443074145962, 135.87241355004616)近くの広くなった道路脇に路駐して、擁壁の切れ目から登って行き、立木付近の笹藪のわずかな隙間にあたりをつけて突入! 笹藪を突破したところが北東端の堀切でした。堀切にも笹が茂っていますが、真冬でもありこの程度なら問題ありません。堀切は西側に竪堀となって落ち、竪堀を越えて尾根の西面を南西に進んだ先にも竪堀が落ちています。竪堀の堀底を上って行くと主郭部北側の堀切に到達。なかなかの幅と深さで北東尾根を遮断していました。
堀切をよじ登ったところが主郭北下の腰曲輪で、主郭との間に土塁が設けられています。土塁を回り込んで主郭に足を踏み入れると…噂に違わぬ激ヤブ状態! それでも主郭の南東下に堀切があるはず、と笹藪に突入して下りられそうなところを探すも見当たらず、探し回る中で主郭南裾の藪の中に何やら石積みらしきものを発見しました。古墳の石室跡?? 結局、南東尾根の堀切は見付けられず、いったん諦めて南西下の帯曲輪をたどって主郭西側に回り込むと、堀底道のように分岐した横堀がめぐっていました。
主郭部に続いては支尾根をめぐります(続く)。
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