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カズサン

加藤清正一番槍が伝わる冠山城 (2023/10/07 訪問)

 備中高松城攻め(水攻め)前哨戦での合戦が伝わる冠山城、加藤清正の一番乗り功名話も本丸の「冠山合戦を偲ぶ」掲示板に記されてる。

 駐車場:冠山城東麓の足守コミュニティハウスを利用、トイレ無
 参考資料:グーグルマップ、余湖図コレクションさん、城郭放浪記さん、城びと投稿による。

 3泊4日因幡、出雲、備後、安芸北部を終えて3日目の午後に造山城/造山古墳、亀山城、高松城を終えて、総社駅前のホテルに泊まり夕食は周辺の寿司屋さんで大将と女将との喋りと寿司に肴・日本酒で楽しく過ごしました。
 
 4日目の朝より備中、備前未踏の城廻3城目(1城目造山城、2城目亀山城)に当たる冠山城を初登城。
 前日確認していた足守コミュニティハウスの駐車場を利用して、確認済みの東側登城口より入城、集落の道を登り、大手門跡の看板、脇に竹やぶ内に窪みが在る、三の丸看板、二の丸看板を経て本丸切岸沿いの登城階段を登り虎口、本丸内部に進入、内部には立派な「冠山合戦戦死将兵慰霊碑」、供養五輪塔、冠山合戦を偲ぶ看板、看板には合戦の情報と「加藤清正一番乗り功名話」も載ってる。
 冠山城は本丸を中心に下段を帯曲輪が囲み、二の丸、三の丸と東側に多段曲輪の構えの様です、しかし遊歩道は問題ありませんが、他の個所は竹藪、倒竹で入り込めず、眺めるだけ。
 足守コミュニティハウスへの進入路の交差点に国指定重要文化財の葦守八幡神社鳥居が有ります、この鳥居は安芸の宮島の鳥居と同様な、神明鳥居の基部に稚児柱を伴う両部鳥居で石鳥居のこの形式のものは珍しいとの事です。ここが一の鳥居で約500m程北奥に葦守八幡神社が鎮座しています。

 この後は4城目早島陣屋へ向かいます。
 

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広島城

史跡広島城跡二の丸復元建物企画展「復元武将甲冑」

有名武将の甲冑が広島城二の丸にやってくる!

大河ドラマなど数々の時代劇甲冑を製作している甲冑工房 丸武の甲冑を、二の丸復元建物で展示します!
大陸から日本に伝わった甲冑は、時代とともに変化する戦闘方法に合わせて日本独自の発展をとげ、近年では、歴史資料としてだけではなく優れた美術工芸品としても評価されています。
本企画展では、毛利氏をはじめとした広島ゆかりの武将や、天下人など10体の復元甲冑のほか、甲冑制作の小物や資料も紹介します。

🏯会期 令和5年11月23日(木・祝)~12月21日(木)
    9時~16時30分(入場は16時まで)
🏯会場 史跡広島城跡二の丸復元建物(広島県広島市中区基町21番)
🏯入場料 無料

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イオ

田中城下屋敷 (2023/08/06 訪問)

室町期に今川氏の命により一色氏が築いた徳一色城を前身として、武田信玄の駿河侵攻で開城すると馬場信春が大改修して田中城と名を改め、山県昌景を城主としました。長篠の戦いの後は徳川家康の侵攻を再三食い止めるも、江尻城主の穴山信君の降伏に伴って開城。家康が関東に移封されると駿府城に入った中村一氏の支配下となるも、中村氏の米子移封により再び徳川方の城となり、酒井忠利が入って現在見られる縄張に拡張・改修しました。その後、駿府藩領や幕領を経て譜代大名が次々と入れ替わり、江戸中期に本多氏が入って明治まで続きましたが、徳川家達の駿府入りに伴って駿府藩領となり、やがて廃城となりました。

本丸を四重の堀で同心円状に囲んだ円郭式縄張が特徴で、湿地帯に囲まれ、主な虎口に丸馬出を6箇所も設けた甲州流の城として平城ながら難攻不落を誇りました。

下屋敷の駐車場に車を駐め、積んできた折りたたみ自転車で円郭式の縄張をめぐる…前に、まずは下屋敷内の見学から。田中城下屋敷は江戸後期の城主下屋敷跡で、泉水や土塁のある庭園が復元され、田中城の関連建物が移築されています。

本丸櫓は本丸南東隅の石垣上に建っていた「御亭」と呼ばれる2階建の建物で、本丸櫓内には田中城のジオラマや田中城と徳川家康に関する様々な資料が展示されています。田中城は大御所時代の家康の鷹狩の宿所であり、死因とも云われる鯛のてんぷらを食べたのも田中城だったんですね。2階からは下屋敷を広く見渡すことができました。本丸櫓の他にも下屋敷の庭内から移築されていた茶室、城内から移築されていた仲間部屋と厩、長楽寺村の郷蔵が移築復元されています。下屋敷の庭園にあった築山や稲荷社は失われていますが、泉水や土塁が往時の面影を伝えています。また、下屋敷から南東に約400mの旭傳院には田中城の不浄門が移築されていますので、こちらもどうぞ。

さて、下屋敷の受付で田中城跡散策ガイドと田中城遺構図を(下屋敷のパンフレットも)もらって、円郭式の縄張めぐりに向かいます(続く)。
 

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赤い城

レオマワールドを見下ろしながら (2023/11/05 訪問)

綾歌森林公園の駐車場に車を停めます。
駐車場には西長尾城の案内板もあるのでわかりやすい。
公園を経て舗装された登城路を登ります。
カーブする部分には曲輪を見ることも出来ます。
途中、見晴らしの良いエリアがあり、レオマワールドを見下ろすことができます。
そういえば車で来る途中にレオマワールドへの入口もありました。
さらに登っていくとちょっと脇に入れそうな道?が。
例のごとくそちらへ。
すると登城路の脇に竪堀がありました。
よく見るとこの登城路と合わせて二重になっているようです。
登城路の方は動線だったとも思われます。
登ると石が転がっている部分が。
虎口っぽく門のようになっています。
さらに登ると通常の登城路へ、連郭式曲輪列に出ました。
ここからは整備されていて、下には井戸跡や竪堀も残っています。
もう少し上にも連郭式曲輪列があり、今度はここから下に降りて見ました。
未整備ですが藪も枯れていて歩きやすかったです。
先の曲輪の下には堀底道っぽい通路?が。
きっと堀底道に違いありません。
と言い聞かせながら本丸を目指しました。
本丸からは眺望もよくここでも達成感を感じることが出来ました!
しばらく景色を眺めたあと今度は東側の尾根に降りて行きます。
ヤグラの先には曲輪列との間に堀切、さらに尾根の先には二重の堀切が守っています。
長尾氏代々のの居城でしたが長宗我部氏に攻められて落城。
ほぼ土の城で見ごたえあり、整備もされているのでおすすめのお城です。

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しんしんちゃん

道路を歩きながら郭や堀切を確認。 (2023/11/12 訪問)

赤須城は天竜川の支流の宮沢川の北側の丘陵の先端部に築かれていて、城址の中央を道路が通過し、道路の両脇や周辺に遺構が残っています。南北朝時代に北朝方だった船山城の片桐(切)氏の分流片桐孫三郎為幸がこの地に城を築き赤須氏を称したのが始まりとされています。主郭の西に二の郭が続きますが、両郭とも見事に道路で分断されています。二の郭の西側には土塁がよく残りますが、郭自体は藪に覆われています。東端には外城があって形がそのまま残りますが、土塁などはなく藪におおわれています。各郭の間は堀切で区切られ、二の丸の西側一帯にも添郭や茶の城、室屋などの郭が配されていたようです。

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シェル

佐白山編 〜茨城が誇る石垣の山城〜 (2023/11/16 訪問)

 笠間城主下屋敷跡から東側に進み、治功神社そばの階段から登城口の遊歩道に入ります。(車の場合は的場丸(千人溜)に駐車場があります)
 遊歩道を進み、車が通れるほどの道との分かれ道があり、そこを車の通れる道の左に進むと、途中に石垣がありました。石垣を過ぎ、道なり進むと、的場丸(千人溜まり)の駐車場に着きます。
 的場丸からは、空堀にかかる土橋を渡って大手門跡へ。こちらには正面に石垣が残っていました。そこから石垣そばの階段の方の道を登っていくと、玄関門跡に着きます。玄関門周辺にも、見事な石垣が残っています。玄関門跡からは本丸に入ります。
 本丸の南側の八幡台櫓跡周辺には、立派な土塁があります。
 八幡台櫓跡の東の空堀にかけられた土橋を渡り、その先の石段を登った先に天守曲輪があります。ここの石垣は東日本大震災の影響で一部は崩れていますが、岩盤と石垣の迫力がとても凄かったです!!
 石垣が一日も早く修復されますように。
 帰りは本丸の西側にある宍ヶ崎櫓跡を見学して、宍ヶ崎櫓跡から笠間藩主下屋敷跡へと続く遊歩道を通って下山しました。
 なかなか険しい山道でした!!

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シェル

佐白山麓編 〜笠間の菊まつりとゴジラ御城印〜 (2023/11/16 訪問)

 JR水戸線 笠間駅から徒歩20分ほどで、笠間城(佐白山)の麓にある かさま歴史交流館井筒屋に到着。
 ちょうど「第116回 笠間の菊まつり」が開催されており、井筒屋は菊の花で埋め尽くされていました。
井筒屋の建物の入口の所に、続日本100名城のスタンプがあります。井筒屋の2階には、笠間城の模型などが展示されています。
 また笠間市の筑波海軍航空隊記念館で『ゴジラ−1.0』のロケが行われ、それを記念したゴジラとのコラボが井筒屋で開催されていました。
 コラボ企画で笠間城のゴジラ仕様の御城印が、期間限定で販売されていたので、購入してきました!!
 実はゴジラ好きなので、このコラボは嬉しくて堪らないです〜!!
 御城印を購入した際に、『笠間城跡めぐり案内』MAPをいただき、まずは北にある真浄寺へ
 真浄寺には笠間城八幡台櫓が移築されています!!
 真浄寺から井筒屋に戻り、井筒屋の裏手の坂を登ると、大石邸の跡があり、大石内蔵助の銅像が立っています。
 大石邸そばの笠間日動美術館と駐車場の間の道に入り、坂を登った所に笠間城主下屋敷跡があります。こちらには、立派な時鐘楼がありました!!

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しゅんいち

吉田郡山城 (2023/10/07 訪問)

安芸高田市役所前までバスで行き、そこから徒歩で登城しました。
毛利元就の墓所から登ります。本丸を中心に放射状に尾根が延びており、どの方向にも遺構があります。城域は広大で、一日がかりでも回り切れません。
「釜屋の段」から北東に向かうと「羽子の段」という曲輪があります。ちょっと遠いですが、羽子の段の手前にある見事な堀切は必見です。

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小幡上総介 (2023/11/16 訪問)

 武田氏が上杉氏の南進を抑えるために築いた城です。曲輪跡、堀切、竪堀、土塁等が残っています。主郭・二の郭・三の郭の3つの郭があり、堀切で仕切られています。主な曲輪の周辺は公園として整備されています。主郭の背後、北東部には尾根を堀切で断ち切るように整えられていますが、こちらは藪あり倒木ありと散策に少し難渋しました。いい感じの堀切や竪堀があります。しかし倒木などで観づらい状況です。腰曲輪がいくつもあり横堀や竪堀、土塁を見ることができます。今回は余湖くんのホームページの図を参考に散策しました。幾本も竪堀が描かれていますが、数本は確認できました。
説明板には水堀の表記があり、その方へ降りて行きました。余湖くんのホームページでは水が溜まっている場所があったようですが、水堀は見つけられませんでした。ただ、歩いていてグチャリと柔らかい地面があり水がなくなった跡かもしれないと思われる場所がありました。
主要な曲輪付近を観るなら散策しやすい城址だと思います。たださらに堀切、竪堀を観ようとすると先に述べたように少し難渋します。景色はとてもよいです。

 JR替佐駅より徒歩15分くらいで登城口である駐車場へ行くことができます。この時期、各地で熊の出没報告があり不安で熊鈴をつけて散策しましたが、それ以上にすぐ下にある上信越自動車道を走る車の音が大きかったですね。

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POYO58

三の丸、北千畳 (2023/11/03 訪問)

雲海を見た後は竹田城に行きました。ってかもう行く道から怒り勃発!道の駅でも駐車場が満帆で並び、道の駅から歩きましたがめちゃくちゃ時間かかりました。しかも歩いている道が山に続く道路!車で行かせてください…。
受付で入場料(高校生以上500円)を払って登りました。もう早速高い石垣が立ちはだかっていました。最初は大手門をくぐり、三の丸を見上げながら北千畳に行きました。まだ8:30という早い時間でちょっとだけ雲海が見えました。大手門を通ってからはガイドさんがついてきていろんなことを教えていただきました。三の丸虎口には門跡が残っていることや、石垣の中にあった隠し門を現している石垣の境界線などを知りました。(写真7)
ちょっと文章が短いですが、ここだけでだいぶ写真があるのであとは続きでお会いしましょう。

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いんげん丸虫

仲深山砦 (なかのみやま) 岐阜県恵那市 (2023/11/04 訪問)

明智城の南にある標高515mの砦です。
2つの大きな曲輪に帯曲輪、二重堀切、竪堀
など多くの遺構を見ることができます。
現在、雑草は刈られ看板、道等整備されて
ます。

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詠狸庵

高山陣屋と紅葉 (2021/11/09 訪問)

この年の秋は紅葉が美しく、高山陣屋でも鮮やかな色が見られました。コロナが明けてからは海外の観光客も爆増して、最近は落ち着いて撮影でき難い状況です。

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しんしんちゃん

大草城  長野県上伊那郡中川村大草 (2023/11/12 訪問)

大草城は南に天竜川の支流が流れる丘陵地(河岸段丘?)に築かれており現在は城址公園として地元の人によって整備されており、三郭(外郭)が駐車場になっていて、すぐに主郭にたどり着くことが出来ます。大鹿村の大河原城主香坂高宗の支城と見られ、香坂氏は後醍醐天皇の第八皇子、宗良親王を大河原に迎えていますので、南朝方の重要な拠点と見られます。南朝方の城らしく高低差をうまく活用していて各郭は急峻な斜面で守られています。二郭の西側の斜面は特に急峻です。構造としては主郭が最高所にあり、西に二郭、北に三郭を配しています。主郭にはその高低差を生かした滑り台が取り付けられていて、下から見上げるとなかなかの迫力でありました。

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ぎりょう

落ち込む気持ちを海鮮丼で! (2023/11/06 訪問)

鶴岡・酒田の旅、二日目は酒田方面に。庄内藩の本城鶴ヶ岡城の他に城として認められていた亀ヶ崎城跡を訪れた。この城は、最上川が現在より東側を流れていた時代、新井田川との合流地点に三重の堀と土塁によって築かれた平城。本丸と二の丸が並んで配置され(かつては一つの曲輪とも)、その外側を三の丸が囲む珍しい縄張だったようだ。中世から「東禅寺城」として国人領主の拠点としての歴史があるようだが詳細は不明のようだ。天正以降は上杉氏、最上氏の支配となるが、最上氏改易後に酒井氏が庄内に入部すると城代が置かれ、幕末まで続いたという。
明治五年の全国城郭存廃調査記録である「陸軍省城絵図」には「亀崎城絵図」として本丸・二の丸・三の丸の堀と土塁、本丸御殿、二の丸城代屋敷、土蔵、長屋、三ノ丸には内舛形の大手門、各曲輪をつなぐ橋と門が描かれており、廃城前の有様が判る。また、現在は旧二の丸跡西外側に位置する八幡宮が往時は二の丸内の東北隅に祀られていたようだ。
城址は現在酒田東高校の敷地となり、旧二の丸には校舎が建ち、旧本丸はグランドとして使われている。旧三の丸もすべて住宅が建ち並び堀はすべて埋め立てられている。ただ、旧二の丸西側に土塁が一部残っており往時を偲ばせてくれる。また、酒田市吉田伊勢塚の円通寺に廃城時に移設された旧搦手門が残っている。ただし、市街地からはずれ、城址から車で15分6.5kmほどの距離。
訪問前に見た亀ヶ崎城の投稿写真が皆さん同じだったので、なにか目新らしい場所をと意気込んでいたのだが、場所が学校で登校日であり、周囲を一回りするにも個人宅が取り囲んでいるため断念。残念でしたが早々に退散、「さかた海鮮市場」に向かい鮮度のよい海鮮丼に舌鼓でした(笑)

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カズサン

秋の陽が傾く頃に散策しました (2023/10/06 訪問)

 備中高松城の新しい資料館が出来上がったとの情報も有り、造山古墳/造山城、亀山城を終えて、次の登城先冠山城の登城口、駐車場確認をして、まだ陽も有り冠山城山林部は明日に回し、平城ならば暗くなっても大丈夫と新資料館の確認に出掛けました、当然高松城城域も何度目に成るか分かりませんが、秋の夕日に照らされた備中高松城をぶらり散策しました。
 新しい備中高松城資料館が奇麗に完成していました、ただ時間的に遅く着きましたので入館できず、以前のナマコ壁土蔵造りの資料館も残って居ました。
 近くの方か犬を連れての散歩、夫婦での散歩、女学生グループのダンスの練習?など良く活用されてる備中高松城でした。

 駐車所:三の丸駐車場利用、北にも駐車場とトイレ有、資料館南部に閉館時でも利用できるトイレ有

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カズサン

造山古墳の近く寄ってみました (2023/10/06 訪問)

 造山城/造山古墳を終えて、城びと登録の「亀山城」が西へ約2km程にあり、城びと投稿者「あ」さんの投稿写真も有り、最初の投稿写真を頼りに寄ってみました。
 グーグルマップには亀山城の史跡マークが無く、備中国分寺88ヶ所.68,69の史跡マークが有り、ナビをそこに合わせて走行、あさんの写真と同じ構図の風景、此処なのだと確認。
 しかし駐車する所が無い、アスファルト舗装の農道、林道は有るが対向車が来た時に避ける幅が無い、駐車も儘ならず、北側の農道を走って様子を窺うだけにとどめる。(この間10分程、他車の通行はありませんでしたが?)
 あさんの進入ルートの畦道から入れば遺構が確認できたでしょうが駐車問題で諦め周辺を眺めるだけとしました。

 次に冠山城の駐車場の確認、近くの高松城を陽の有る内に探訪へと向かいました。
  

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イオ

とことん駿府城(城下町めぐり) (2023/08/06 訪問)

(続き)

天守台発掘調査現場の見学を終えると駿府城を後にしたんですが、最後に、前日とこの日の早朝にめぐった城下町の史跡などについて少々…。

静岡駅の北口を出て左手すぐに竹千代君像と今川義元公像が、その70mほど西に徳川家康公之像が建てられています。人質時代の駿府で義元や太原雪斎から受けた薫陶が後の天下人・家康の基礎になったことを象徴するような像だなぁ、と。

静岡駅から西に約200mの料亭・浮月楼は、謹慎を解かれた徳川慶喜が宝台院から移り住んだ屋敷跡で、北側と西側の入口脇に徳川慶喜公屋敷跡の石碑が建てられています。その後、慶喜は東海道線の静岡開通に伴って駿府城北西の西深草に転居しており、西深草ポケットパークに屋敷跡の石碑が建てられています。

駿府城下のあちこちに町名由来の石碑と説明板が設けられていますが、札之辻󠄀町は東海道沿いに設けられた高札場に由来し、両替町には京の伏見に次ぐ銀座が設けられていました。十返舎一九の生家も両替町にあったようです(標柱と説明板があるようですが…見落としました)。またブラタモリでも紹介されていましたが、銀座だけでなく金座も設けられており、町名が今に残るほか、金座当主・後藤庄三郎光次の屋敷跡とされる金座稲荷神社や日本銀行静岡支店も金座町にあります。日銀の東は静岡銀行本店、北は清水銀行静岡支店と、400年を経た今なお金融の中心地なんですね。

…ということで、取りこぼしもいくつかありますが、今回のとことん駿府城はこんなところで。現存の建物はないものの、堀や石垣はしっかり遺っていて、天守台発掘調査現場も見応えがあり、今川期以降の史跡も数多く、駿府城と城下を存分に堪能させていただきました。

なお、宿はホテルオーレ インに宿泊しました。ビジネスホテルとしてはやや高めですが、駐車料金は無料で、朝食ビュッフェに加えて夕食のカレーも無料、最上階の天然温泉大浴場はチェックイン時間内はいつでも入れるなど、内容から考えると決して高くありません。温泉では長時間運転と城めぐりの疲れを癒せましたし、朝食ビュッフェは質・量ともに充実していて、朝からつい食べ過ぎて苦しくなるほどでした。次に静岡市内で宿泊する機会があればぜひまたお世話になりたいと思っています。おすすめです。
 

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todo94

別名・絵島ヶ丘城 (2029/10/29 訪問)

淡路SAにて玉ねぎ御膳の昼食をとった後、インターチェンジを降りて向かいました。岩屋ポートパーキングに駐車しましたが、20分以内でしたら駐車料金は無料です。恵比須神社の奥にある岩樟神社の洞窟があいている山が岩屋城のようですね。そこからは登城路がないので裏手に回って攻めてみました。あまりよく遺構はわかりませんでした。絵島ヶ丘城の別名がある通り、目の前の海には絵島があります。せっかくですので立ち寄って参りました。最後にパーキングの屋上からの遠景を撮影してみました。

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しんしんちゃん

北側の三重堀切は圧巻 (2023/11/12 訪問)

殿島城は天竜川に面する河岸段丘に築かれているようです。本丸の周囲を土塁が囲みその外側は幾重にも堀切が巡らされています。南側の二の丸は宅地化が進んでいるようで、本丸の西側は藪がきつくて見に行ってないですが切岸になっているようです。天文年間初めに春日城から分家した殿島大和守が築いたとされ、大和守は武田信玄の伊那侵攻に最後まで抗い狐島で磔にされ黒河内(長谷)の八人塚に葬られたそうです。本丸の北東側に門が再現され、本丸の北側は三重の堀切を良く確認することが出来ます。

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しんしんちゃん

主郭南の堀切が大きい。巨大土橋をトンネルが通る。 (2023/11/12 訪問)

福与城は天竜川の東岸の河岸段丘に築かれているようです。天文年間(1532~1555)に藤沢頼親が城主の時、武田信玄に攻められ人質を出して講和し城は放火されたとのことです。城址のすぐ近くまで車で行くことが出来、駐車スペースも確保されていて助かります。南城周辺は広大な畑地になっていて、大きな堀切を越えるとすぐに主郭にたどり着きます。主郭から北城と二の郭を俯瞰することが出来ますが、北郭は一部沼化しているように見えます。二の郭には主郭南のトンネルを通っていけばすぐにたどり着けます。訪問時すでに4時半を過ぎていたので周囲はすでに暗くなりかけています。トンネルの中はなかなか不気味に感じますが、正直すでに今さらな感じがしますので、サクサク通過して確認して帰りました。

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