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ぴーかる

日比津城 (2024/07/27 訪問)

【日比津城】
<駐車場他>大円寺駐車場あり。
<交通手段>地下鉄東山線本陣駅から徒歩

<感想>青春18きっぷで濃尾平野ちょこ城巡り第5弾4城目。城跡の説明板が無いので城びと情報から。日比津城は南北朝時代に野尻氏によって築城されたようです。遺構は残っていないようで城跡地である大円寺に野尻氏の墓碑五輪塔2基があります。お参りしました。

<満足度>◆◇◇

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カズサン

【甲斐 河口湖飛行舘】山梨県鳴沢村 南洋より回収復元日本軍機閲覧 (2024/08/24 訪問)

 河口湖自動車博物館・飛行舘が8月限定の公開開館があり、数年前から訪ねたいと願って居ました、南洋南方より回収し復元した日本軍の海軍機、陸軍機を展示されてる飛行舘を見学してきました。

 住所:山梨県南都留郡鳴沢村富士桜高原内
 駐車場:河口湖自動車博物館・飛行舘前の専用駐車場、50台位は可能。
 参考資料:河口湖自動車博物館・飛行舘HP、YouTube河口湖自動車博物館・飛行舘、グーグルマップに依る。
 
 浜松より新東名、東富士5湖道経由富士吉田・忍野SICをOUT、約5km程でゴルフトーナメントで有名な富士桜ゴルフクラブの近くで、道筋は大変便利です。

 10時開館で開館前から道筋が渋滞約20分ほど待って駐車場誘導員指示で駐車、飛行舘(1,500円)のみ見学。
 見たいと思っていた、海軍艦上偵察機彩雲、海軍一式陸上攻撃機は胴体復元中でしたが、実物大のレプリカに感激、他には海軍艦上戦闘機ゼロ戦21型、52型と陸軍一式戦闘機隼1型、2型、隼は初めての実物を見る事が出来ました。
 約1時間程見学し、土産にTシャツをゼロ戦設計図のプリント、彩雲プリントを購入。
 
 福岡のトクさんが投稿されていた、シンゴジラで公開されていた震電を機会が有れば福岡県大刀洗平和祈念館の震電レプリカを観たいとも思っています。
 
 

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国人の城→大毛利の城 (2024/07/28 訪問)

 五龍城から江の川沿いを下り、郡山城へ。五龍城では誰にも会いませんでしたが、さすがに郡山城、炎天下でもちらほら登城者の姿が。
 麓の毛利元就像を超えたところを右に行き、毛利の勢力がまだ国人規模の時期の城:本城に向かいました。途中に展望台があり、麓から見える、毛利の家紋が掲げられている所です。尼子が攻めて来たときの陣地がそう遠くない距離に見えます(吉田盆地は広くない)。本城は、郡山からいったん鞍部を経て岬状に伸びた尾根を利用しています。尾根の両側は急斜面で、背後を堀切って守ります。けっこう大きいですが、厳しい地形を利用した、国人規模と言えましょう。
 拡張された郡山城は規模で圧倒する感じ。城内最大の郭である勢溜の壇は、これだけで、本城よりも大きいです。本丸に行く道は、勢溜の壇の下を100mほども進みます。突破するのは無理。一族郎党が皆、郡山城内に居住したと。それで、300ほどもの郭が要ったのですね。
 毛利元就、一族墓所を経て、下っていくと、谷筋に内堀跡の説明板が。山麓および西の谷に堀があったのを知りませんでした。
 大毛利になり、郡山城と吉田盆地は、さすがに手狭になって、江の川下流 太田川河口に広島城を作って移っていきます。私も次に広島城に向かいました。

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カズサン

2度目チョイ寄り (2024/08/24 訪問)

 御殿場IC進入前に御殿場の深沢城に平成29年4月以来7年振りに、山梨県都留市城郭、河口湖飛行舘探訪見学の後チョイ寄りし稲穂が実る姿を眺めました。

 駐車場:無し、深沢城石碑案内板の反対側白線三角コーナー1台路駐可?(35°19'23"N 138°57'17"E h=420m)
 参考資料:グーグルマップに依る。

 立派な石碑と案内解説板を観て、裏の三日月堀、私有地民家の有る三の丸、馬出の標柱、三の丸の稲穂が実った田圃、下馬溜り標柱を見て、畦道の草刈が終わってる処で引き返し、二の丸、本丸はパス。石碑から西側の北に伸びる村道を馬伏川に架かる橋まで進行し蛇行した馬伏川と深沢城の二の丸西法面切岸側を眺めて西方向に富士山を見つけるが雲に隠れて頭は見れず、水田は金色に稲穂が実っています。

 境目の城で。今川氏、武田氏、北条氏、徳川氏と勢力範囲が代わり秀吉北条氏征伐後には廃城と成った様です。

 家内を都留市勝山城谷村城、河口湖飛行舘と連れまわしましたので、深沢城から近くで御殿場IC近い「とらや工房」で癒しの喫茶休憩しどら焼き葛餅を冷たいほうじ茶、温かいほうじ茶で頂き、隣の東山旧岸邸見学、とらや羊羹を土産に購入。
 とらや工房:静岡県御殿場市東山1022-1、広い駐車場完備。

 東名御殿場ICより東名、新東名で帰路へ、道中富士から静岡辺りまでゲリラ豪雨で前も見えないくらい、夕刻には浜松着。その時から台風10号、昨日まで静岡県は南の湿った風で天候不順、レベル4の豪雨が続きました、被害も所々発生してる様子。

 7月8月の暑さで城探訪は取り止め、9月も様子見です、10月11月頃からボツボツ始めますかね?
 
 
 

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にのまる

三万の 鋲の整列 息潜め 城兵のごと 北面守る (2024/08/06 訪問)

岡山から庭瀬城・撫川城・笠岡城と駒を進め、県境を越えて福山に到着しました。
福山城は新幹線で通るたびに目を凝らして見ていましたが、下車して足を運ぶのは7年ぶり。築城400年プロジェクトで天守(福山城博物館)北面の鉄板張りが復活してからは初めてです。
坂道をのぼりながら刻印石を愛でるその先に赤く空襲の焼け跡の残る石垣。奇しくもこの日は広島に原爆が投下された8月6日。福山空襲は8月8日だったそうですが、容赦のない真夏の日差しを浴びながら、歴史の真の語り部とは他でもない、長い年月を生き抜いてきたこの石たちなのだという思いを新たにしました。

伏見櫓を見上げ筋鉄門を潜り本丸に足を踏み入れると、湯殿・月見櫓・鏡櫓・鐘櫓がぐるりと見渡せます。近世城郭は城の時代の集大成ともいえるもので、目の前によみがえったこの光景をいつまでも記憶していたいと思いました。
そしてそれらに見守られるように静かに佇む八方よしの松。この松もまた幾多の危機を乗り越えて今ここにあるのだと知り、これから先ずっと平和の象徴としてこの場所に居続けてくれることを願いました。

木々が伐採(適正管理)され見晴らしのよくなった中に堂々と聳え立つ天守。7年前の印象とかなり異なります。さまざまな角度、方角から眺めながら、戦後20年、福山城を愛する市民の力でよみがえった天守のこのたびのリニューアルは往時の姿に近づけるものでしたが、向かうのは過去ではなく未来なのだとしみじみ思いました。幾人かいらしたお客さんがそれぞれの場所で足を止め、見上げておられます。きっとみなさん、お気に入りのポイントを見つけたのでしょう。

そしていよいよこの旅いちばんの目的である“鉄板”と対面します。
かっ…、かっこいい!
ぎりぎりまで近づいて、少し離れて、だいぶ離れて、また近づいて。
素材や工法は安全に配慮された現代式だとのことですが、遠目にはわからなかった細長い鉄板と規則正しく斜めに並んだ鋲の美しさに見入るばかりです。2,000枚の鉄板に3万個の鋲。それは“姫路城のスプリンクラー1,000個”以来の驚きの数字でした。
お腹いっぱいになるまで鉄板を眺めたあとは、愛してやまない旧天守の礎石。好きすぎて落ち着いて見ていられませんでした。
水野勝成像、阿部正弘像にご挨拶しつつ城内をまわり、福山をあとにしました。

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しんちゃん

厨二病談義 (2016/07/10 訪問)

零汰さんへ、私は心が広いので(笑)「愛」のあるニックネームであれば大丈夫ですよ。またいろいろ考えてみてください。
トクさんは心が美しい方なので、ほどほどにしたほうが良いかも。「城郭放浪記」さんは零汰さんの好きな第六天魔王ぐらいでも良いかもしれません。おそらく城好きの皆さんへの貢献度はピカ一ではないでしょうか。ん?魔王より鬼神の方が上なのかな‥
でもマンガだと魔神(デビル)より魔王(サタン)の方が偉いし、デビルマンだと妖獣ゴッドが悪魔王ゼノンの親衛隊長とかやってたし、よくわからん。
「城郭放浪記」「古城盛衰記」「余湖くんのお城のページ」御三方で三巨頭(ビッグ3)といったところでしょうか。今日は関ヶ原に関するいろんな人の論文やら動画やらを見ていたら、頭がパンクしました。なつかしい犬山城の写真を見て脳ミソを癒します。
犬山城は織田信長の叔父、織田信康によって築かれたとされています。兄・信秀との仲は良好だったようですが、息子の信清は信秀の死後、信長の姉を妻に貰い、最初は信長に従いますが、やがて反旗を翻し敗れ、甲斐に逃れて犬山鉄斎と名乗ったそうです。

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零汰

環濠:宮園城:福岡県みやま市 (2022/01/29 訪問)

この頃は環濠に対してちょっとしたブームが来ていました。今回は佐賀県に続き川を隔てた福岡県周辺の環濠地帯です。基本は佐賀県と同じくクリークに囲まれた城や館で集落を見る事は有りませんでした。佐賀県と違いその多くが消滅している事で、登録城では佐留垣城でクリークの一部を見る事が出来ますが他は消滅して石碑や表示板程度のみとなっています。おそらく消滅したその城は環濠だったと考えて良いと思います。佐留垣城やその他数城で部分的な環濠を見る事は出来ましたが大規模な環濠を見たいとやってきました。

宮園城はみやま市の東照寺の一体が城域だったそうですが実際はそれよりも広いのではと考えられているようです。現在は当時の濠を一部を除き間知石で補強されていますが平地部分は当時のままでクリーク全体を把握する事が出来ます。北側の川から取水口がついていて当時の水の流れも理解が出来ます。環濠に興味のある方にはお勧めの城跡です。

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零汰

屋山城:大分県豊後高田市 (2019/07/27 訪問)

城キチShinさん、すみませんね、50代半ばだと言うのに中二臭抜けなくて。二つ名付けるのが好きなんです。鬼神城郭放浪記さんとか、2年以上掛けて大作を連載していらっしゃる大作トクさんや、投稿が毎回毎回爽やかな爽やかモトさんとか。しかし最近は鬼神城郭放浪記さんは控えています、雲の上の方なので知ったら怒られやしないかと。

屋山城はⅠ郭が標高548mにあり、東西15~20m、南北400m程の細長い城域にⅠ~Ⅲ郭で構成されており、各々堀切で遮断されています。しかし各々の郭はフラットでは無く数か所の段が付いているので現地では三つの郭で構成されているようには感じません。こちらで時に印象的なのは写真3の勾配のキツく雨の日の登城が大変そうな大手通で両脇に竪堀が施されています。この大手道は両側に側溝を設定し、道路の中心部にムクリを付け、両側に勾配を取っています。まるで現代の道路の構造と同じで雨の日の登城の際は水はけがよかった事でしょう。実際は経年による風化で形造られたのかもしれませんが。遺構さえあれば様々な考えが浮かんできて楽しいですね。

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hitoritabi

天守跡までは結構ハードな山道でした (2024/06/08 訪問)

水筒忘れて喉はカラカラ

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hitoritabi

はるばる出雲から (2024/06/08 訪問)

遠かった

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hitoritabi

明智の町 (2024/06/08 訪問)

場内展示は充実してます
太鼓橋が印象的

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駿府城

「発掘情報館きゃっしる」の展示物を一部変更しました!

「発掘情報館きゃっしる」の展示を変更しましたので紹介します。入り口を入って左側の映像スペース付近です。

来場者100万人達成の垂れ幕を更新しました。

来場者数が100万人を突破した令和6年5月9日(木曜日)の記念式典で使用された垂れ幕を展示しています。これに加えて、オリジナルのきゃっしる新聞も一緒に展示してありますので、ぜひご覧ください。
 
駿府城跡天守台発掘調査現場では、徳川家康公が晩年を過ごした駿府城天守台を間近で見学することができます。その大きさは江戸城を超える大きさで、圧巻の迫力です。
また、発掘情報館「きゃっしる」では、駿府城の基本情報をわかりやすく解説していますので、歴史に詳しくない方でも楽しめます。
熱中症対策をしてぜひ駿府城跡天守台発掘調査現場へお越しください。

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朝田 辰兵衛

教信寺と野口神社…⛩ (2024/06/23 訪問)

加古川城から,徒歩で転戦。国道2号線とほぼ並行して走っている西国街道を極力選び,歴史を想像しながら歩きました。野口城の位置はハッキリ特定できていないため,教信寺と野口神社を巡りました。オカゲでグルメにはありつけませんでした…。

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しんちゃん

杭瀬川が! (2023/04/08 訪問)

正直、私の地元の豊橋には台風がなかなか来ないので、油断して浮かれておりました。トクさんの投稿が無ければ杭瀬川がそんなことになっているとは知る由も有りませんでした。被災された方々のご無事を祈るとともに、お見舞いを申し上げます。杭瀬川の昔の写真を見ると、じつに穏やかな小川で、こんなのどかな所が、このような災害に見舞われるとは、その時は思いもしませんでした。
トクさんのご想像の通りに、氾濫箇所は杭瀬川古戦場の周辺一帯で、①の写真は北東側から撮影しているようです。被害に会っている場所は田畑や墓所、グラウンドなどが有る平野が主ですが、住宅地も含まれているようです。また、映像を見ると池田町一帯にも幅広く被害が出ているようです。
状況が現在より少しでも回復することを願うばかりです。

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しんちゃん

和田三郎義盛 (2024/05/03 訪問)

野庭関城は現在は野庭中央公園になっています。築城者は和田三郎義盛とする伝承があるようで、遺構は残っていませんが、それだけでも来た甲斐がありそうです。公園北側付近が本曲輪であったとされ、建暦3年(1213)には和田義盛に与する武者たちが立てこもり、20日以上の籠城戦の後、壮絶な最期を遂げたとされています。

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トク

杭瀬川の氾濫

今頃になってニュースで知ったのですが、2日前に杭瀬川が豪雨で氾濫したそうです。今はもうだいぶ引いているとは思いますが。私が(6人目)「島左近」を追って訪れた時は、ここで合戦があったとは思えない程の、水量も少なく穏やかで小さな川でした。なので驚いています。被害にあわれた方々にはお見舞い申し上げます。ちなみに合戦が行われたのは1600年同じ9月です(14日)。(私はこの地方の地理にはうといので、もし写真の場所がずれていたら大変すいません)。

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しんちゃん

飛んでけスペースシャトル! (2024/09/02 訪問)

どぅもShinです。一つ断ってきますが、改名ではないです。一時的ですよ、期間限定ですよ~~(汗)。
佐賀県の環濠集落なつかしいです。奈良も多いですが、佐賀県の環濠の多さには「狂気」を感じますね。ん‥これは、環濠集落カレーを作っちゃいなヨという「振り」でしょうか? 城カレーは飽きたので、また暇になったらチャレンジします(塩)。
今日は豊橋駅前精文館に本を探しにやってまいりました(なかったけど)。駅前駐車所を降りると、見えてきました、USAのスペースシャトル。夜中にやってるアニメ「負けヒロイン」で最近有名になっています。いつの間にか豊橋のシンボルみたいな扱いになってますね。
駅や精文館をうろつくと、あちこち「負けヒロイン」に占拠されています。この辺も「聖地」の扱いになって来てるんですね、3話くらいから見てますが、作画もストーリーもしっかりしていて、なかなかの良作です。作品がしっかりしていれば特に派手なキャンペーンは必要ないですね。これくらいで十分。
今回は吉田城城下町からのレポートでした。

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零汰

佐賀平野:環濠集落

城郭と呼ばれる中に環濠集落という分類があるそうだ、何とも城郭の裾野はとてつもなく広い。それまで環濠集落なんて耳にした事は有りませんでした。

佐賀県にはクリークと呼ばれる農業用水と直結している濠に囲まれた大規模な城跡が幾つかあり、登録城にも含まれています。5年前に勢いだけで訪問しました。大きすぎて掴み所の無い印象でピンと来ませんでしたがそのままにしていました。2年前に佐賀侵攻中に佐賀平野で環濠集落を見る事となりました。

佐賀平野には150か所程度の小規模な平城や館が用水路(濠)に沿うように残っています。時代の変化により、濠を埋立たり、RC擁壁で補強したりと変化は有りますが、往時のままで残っている場所もあります。それら小規模な城跡を見た事により、5年前の大規模な城跡を漸く理解出来ました。そしてその中に環濠集落が10か所程度あり、それ対して不思議に思えました。そのうち分かる時が来るだろうと今もほったらかしいます。

写真1~5・・・大石環濠 : 写真6~9・・・余江環濠、共に佐賀県神埼市
写りの良かった場所を選びました、場所が違えども殆ど濠が廻っているだけで大差は有りません。

5月に青森の高屋敷館が環濠集落だという事でヒントは無いかと考えて訪問しましたが全く別物でした。共通しているのは濠に囲まれている集落という1点のみでした。(その他に気が付いた事は武士の時代とは逆に、濠が土塁の内側に配置されていたって事です。)

高屋敷館は分類上城郭で問題ないと思われますが、佐賀平野の環濠集落は城郭の分類なのでしょうか?もし仮に今後、用水路(濠)に囲まれた農地が宅地化され、数件の家が建ち集落化した場合は環濠集落と呼ばれてもおかしく無い気がします。その際は城郭に分類されるのでしょうか。時代が最近だから分類されないのなら現在の集落はいつの時代から有ったのでしょうか。城郭に分類されるのにはいつ頃の年代からになるのでしょうか。2年前から不思議に思えています。(分類がおかしいから何としろとか、白黒はっきりしたいとか、佐賀県にお住まいの皆様を不快にさせる意図は有りません。単純に不思議と感じていて特に解決を望んでいる訳でも有りません。)

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ぴーかる

守山崩れ (2024/07/27 訪問)

【守山城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>名鉄瀬戸線矢田駅から徒歩

<感想>青春18きっぷで濃尾平野ちょこ城巡り第5弾3城目。現地説明板によると、守山城の築城年・築城者とも詳細は不明だが1526年にはここに城があったようです。1535年にはここは清洲織田氏の城で以降最後の城主の織田信次が長島の戦いで自刃するまで清洲織田氏の城でした。また同年にここに陣を構えた徳川清康が家臣に殺害される守山崩れが起きた所でもあります。
 城跡碑・土塁跡に行くにはアパートの前に説明板と案内板がありアパートの中を通り土塁上まで行けます。土塁と宝勝寺の間に空堀が残っていますが竹林が鬱蒼として堀内には降りられません。宝勝寺が主郭跡なのですが気付かず行きませんでした。

<満足度>◆◇◇
<グルメ>地下鉄栄町駅まで戻り中日ビル「ユウゼン」にてあんかけスパに初挑戦しました。イタリア風のミートソースとは少し違う野菜の甘味のあるアンでした。隠し味に味噌?

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零汰

小山田城:大分県南海部郡 (2019/10/14 訪問)

城キチShinさん、改名おめでとうございます。その柔軟な所が多様性に繋がっているんですね、とても素敵です。私も見習って頭の中を柔らかくしていきたいと思います。←イジリ無

訪問する時には縄張り図の無い状態が多いのですが、縄張図があると少なからず助かります。極々稀にデフォルメされた縄張り図や鳥観図によって脳内がそれに引っ張られて遺構を見逃す事があります。こちらの城跡の案内板はそんな感じです。(厳密に言うとこちらの案内板は公園全体を表示しており、その目的なら特に問題は有りません。少なからず縄張図風に表現しており良く確認しなかった私に非が有りますので、決してディスるつもりでは有りません。)

栂牟礼城から西に直線距離700m、単郭で標高178m、東西に約180m南北に150m程度の城跡です。栂牟礼城との関係や築城時期は不明だそうですが、別名小山田新城とも呼ばれているようで関係は有ったかと思われます。写真2は最新の縄張り図です。分かる通りこの城は単郭ながらとても防御性に優れていて、畝堀が40本以上施されています。特に北側の畝堀は天端の直ぐ上に腰曲輪が廻っており畝堀の最終型に近い作りになっています。そう考えると戦国末期の極手前の時期に築造されたのではないでしょうか。写真は少な目です、こちらについては近くに行く際は再訪問しようと考えている城跡です。

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