雷山中腹の谷に築かれた古代山城。不動池周辺に列石など神籠石特有の遺構がしっかり残っているが、中でもいまだ水が流れる北水門の存在感は特筆もの
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2026/01/03 15:29
20220110雷山神籠石(福岡県糸島市) (2022/01/10 訪問)
雷山中腹の谷に築かれた古代山城。不動池周辺に列石など神籠石特有の遺構がしっかり残っているが、中でもいまだ水が流れる北水門の存在感は特筆もの
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2024/12/06 09:27
対新羅最前線基地(2/3):雷山神籠石(南水門)と雷山千如寺 (2024/11/28 訪問)
北水門から不動池に沿って南水門へ来てみました。わずかに石や列石が見られたのみで、こちらにはあまり遺構は残っていないようでした(写真①②)。
当時、北水門からは玄界灘が見渡せていて、新羅の襲来に備え見張りをしていたらしいのですが、今では木が生い茂っていて、ここから海は見えませんでした。しかし西の白糸の滝方向へ5分くらい行った所に眺望が開けていた場所があったのでそこから眺めて見ました(写真⑤⑥)。当時の兵(防人)たちは、毎日ビクビクしながらこの海を見張っていたのでしょうね。
またここから東へ車で10分程行った所には、「雷山千如寺」があります。境内には美しい庭園と雷山観音がありました(写真⑦⑧)。聖武天皇時代からある、かなり由緒ある寺のようで、多くの仏像や五百羅漢も圧巻でした(仏像などは撮影不可のためパンフレットで:写真⑩)。1588年の九州征伐で、高祖城に籠る原田信種を攻め落として伊都の地を制圧した豊臣秀吉が、寺の安堵を認めたという朱印状も残っていました(写真⑨)。
次は、その雷山神籠石から80年後に築城された「怡土城」(いとじょう)を訪れます。
【余談】紫式部(まひろ)と周明の運命は?
その雷山神籠石が築かれてから400年後(室町中期)の時の様子が、先週の大河ドラマ「光る君」で描かれていたのには驚きました。紫式部(まひろ)が大宰府から松浦(まつら)に行く途中に元(刀伊)の賊に襲われたという「船越の津」は、(写真⑥)の左端の所です。ならば藤原隆家が警固門(=鴻臚館=現在の福岡城)から出陣して戦ったのは、おそらくこの写真⑥の海岸付近だったのではないかと思われます。船越で(まひろ)を助けようとして矢を受け倒れた、あの周明の命はいったいどうなったのでしょうか? そして(まひろ)は賊に捕まってしまうのでしょうか?(それは明後日の放送のお楽しみ😲!)。
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2024/12/05 09:40
対新羅最前線基地(1/3):雷山神籠石(北水門) (2024/11/28 訪問)
「雷山神籠石」は、663年白村江の戦いに破れた天智天皇が、新羅の反抗を恐れ(大宰府政庁・大野城・基肄城・水城)の防衛ラインに加え、さらなる最前線基地(兼見張台)として、670年頃に954mある雷山の中腹450m付近に築いた神籠石系山城です(石碑写真①)。
中央の不動池を挟んで、南に南水門、北に北水門があります。まず北水門を見学ました(写真②より入る)。排水溝は石垣で築かれていました。また今でも多くの水が流れていたのには驚きました(写真③④⑤)。また北水門から西と東の斜面には斜面を補強する列石もありました(写真⑥⑦)。この石垣の技術で築かれた水門や列石を見ると、今から1350年も前(まだ奈良時代より前の飛鳥時代です)に築かれた物とはとても思えません・・・石を削って並べるという発想があった事自体が驚きです😲! いかに新羅の脅威から必死に守ろうとしていたのかを感じました。
雷山神籠石が築城されてから620年後の鎌倉時代になると、鎌倉幕府(北条時宗)の命で元の侵攻に備え元寇防塁とともに高祖城(たかすじょう)を築いた原田種継の支城となり、ここは「筒城」と呼ばれていたようです。北水門にはその名の石碑がありましたが、それ以外の城の遺構はありませんでした(写真⑨)。
不動池は江戸時代に築かれた農業用溜池なので、もしかして館跡などの遺構はこの池の底に眠っているのかもしれません(写真⑩全体図)。
次は、「南水門」から「雷山千如寺」の方へ行ってみようと思います。
P.S 私がここを訪れた直後に放送された先週の大河ドラマ(12/1放送)で、紫式部が何とこのすぐ目の前の所まで来ていた事を知った時は驚きました(😱~!)。 そのあたりの話題も合わせて、次へ続きたいと思います。
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2024/05/20 15:46
ハマっている古代山城シリーズ。この水門は一見の価値ありです! (2024/05/09 訪問)
古代山城シリーズの神籠石と水門跡です。
列石の神籠石も水門跡に関してもいずれも1400年前の遺構という事を考えて、その技術力と美しさに感動します。
やはり国を守らなくてはという国家プロジェクトで作られた壮大な城跡という事も心踊る要因の1つです。
特にここは南水門が素晴らしかったです。
きれいに積まれて作られた水門にうっとりです。
また、その水門から東西に配置された列石もなんとも言えない雰囲気です。
池の北には北水門の跡もありますが、ここは壊れてしまってます。
遺構までは車でかなり近くまで行けます。
道はコンクリートで作られた林道ではありますが、結構荒れてます。
スピードをゆっくり進めば問題ないかとは思いますが、あまり油断してますとガタガタの所にタイヤをやられますよ。
慎重に進んだ先に見る事ができる遺構に大満足ではありますが、くれぐれもお気をつけてください。
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| 分類・構造 | 神籠石式山城 |
|---|---|
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 不明 |
| 築城年 | 7世紀中期? |
| 主な城主 | 不明 |
| 廃城年 | 不明 |
| 遺構 | 水門、列石 |
| 指定文化財 | 国史跡(雷山神籠石) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 福岡県糸島市雷山、飯原 |
| 問い合わせ先 | 糸島市教育委員会文化課 |
| 問い合わせ先電話番号 | 092-323-1111 |