うつやまじょう

宇津山城

静岡県湖西市

別名 : 鵜津山城
旧国名 : 遠江

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しんしんちゃん

朝比奈氏の城だったら良かったのに。 (2023/07/31 訪問)

宇津山城は浜名湖に突き出た丘陵地に築かれています。
正太寺から遊歩道が続いていますが、車道をそのまま城跡に
向かって進んだ方が早いと思います。
丘陵地の西側の尾根一帯が現在・宇津山城跡とされている場所で
墓地の北側に案内板があり大きな土塁が残っています。
左手から城域に入り北上して行くと
周囲を土塁で囲まれた主郭にたどり着きます。
この土塁、西側の主郭内側に石垣が残っているようです。
主郭北側にも帯郭があるようで、そこから見る主郭の土塁は
なかなかの高さがあります。
宇津山城は東の尾根にも遺構が残っています。
興味がある方は、お城一般での投稿の 宇津山城のおまけを
ご覧いただきたいと思います。

宇津山城の説明
宇津山城は今川方、朝比奈氏の城でしたが
徳川に通じていた朝比奈孫六郎真次が兄であり城主の孫太郎泰充
を殺害し、今川氏真に使わされた小原鎮実によって孫六郎真次も
討たれました。
徳川(松平)家康が遠海に進出してきたときの城主は
小原鎮実で、徳川方の酒井忠次、佐原、内藤、松野連合軍が
襲来した際、家臣 増田団右衛門が討死すると城に
爆薬をしかけ退去するも、爆薬の量が少なく、徳川方に
死傷者はなく、宇津山城はそのまま徳川の城となったそうです。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:宇津山城 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の15城目は宇津山城です。
千頭峯城から転戦。正太寺墓参用入口(34.755868、137.534936)進めば城跡に着く。

大永(1521年~1527年)の頃、遠州進出を図った今川氏親の家臣長池親能が浜名湖西岸に築いたといいます。
城主には長池親能、次に小原親高が入り享禄年間以降は朝比奈泰長が入りました。
1555年(弘治元年)氏泰が病没すると、その嫡男泰長が城主となります。
1560年(永禄3年)桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、自立を志す徳川家康が三河国統一に向けて邁進します。
1568年(永禄11年)12月、家康は酒井忠次を先鋒として、井伊谷三人衆の道案内により進軍し、小原鎮実(おはらしずざね)が守る城を攻め落とすと、松平家忠を城主にしました。
1572年(元亀3年)には松平清善が1,000貫文を賜って城番に命じられました。廃城になった時期は不明。
また山麓の正太寺には市の文化財に指定されている宇津山古城図が保存されており、宇津山城主の五輪塔が残っているようです。

現在城址には石垣が残っているようですが、雨の為に主郭のみの見学で引き返しました。
上記GPS座標から入り、先に進めば主郭付近まで車で登れます。5台以上停められるスペースもあります。
攻城時間は10分くらいでした。

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じゅんじん

浜名湖 (2010/02/28 訪問)

浜名湖が見渡せます

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正太寺鼻 (2020/04/04 訪問)

 この城址は西側に山頂を中心とした曲輪群と東に正太寺鼻という岬に連なった曲輪群で構成されています。縄張り図では前者を宇津山古城、後者を宇津山新城と書いてあるものもありありました。正太寺から道があり西の山頂部へ行く道があります。墓地として利用されている曲輪もあり、車で山頂部まで行くこともできます。山頂部の曲輪を囲む西北部の土塁の内側に石積みが見られます。内側だけに石積みかと思って外側に回って見ると、崩れている所が多いのですが外側にも石積みを見ることができます。西側には数段の曲輪があり、周囲を石積みで固められたような曲輪もありました。縄張り図に描かれていた竪堀はよくわかりませんでした。散策していると井戸の跡かと思われるような所もあります。岬側(東側)の曲輪へ行こうとしましたが、藪がひどく断念しました。この日は晴れていて浜名湖がきれいに見えました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 今川氏親
築城年 永正3年(1506)頃
主な城主 長池親能、小原氏、朝比奈氏、松平氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、石積、土塁
再建造物 石碑、説明板
住所 静岡県湖西市入出字城山
問い合わせ先 湖西市市民経済部商工労政課商業観光係
問い合わせ先電話番号 053-576-1230