おおさきじょう

大崎城

鳥取県鳥取市


旧国名 : 因幡

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①虎口
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征10日目:大崎城 (2026/05/20 訪問)

本日は15:00頃から雨が降る予報なので、雨が降りだす前に多くのお城を攻城します。
会下城から車で20分弱で、大崎城跡駐車場(35.524621、134.106389)に着きそこから、入口消化ボックス(35.524359、134.104870)に向かいました。

築城年代や築城者は不明のようですが、1544年(天文13年)尼子晴久の因幡侵攻の際、大崎城は攻略されたそうです。この時の城主が誰であるかも不明のようです。
1581年(天正9年)羽柴秀吉による鳥取城攻めのときの城主は諸説あるようで、樋土佐右衛門、あるいは田公高次で、毛利方の城でした。
鳥取城攻めの際には毛利方の城として泊、勝山城とともに攻撃目標に挙げられおり、松井康之の水軍によって城の山下が焼き払われたが、落城までには至らなかったようです。
しかし、その後、樋土佐右衛門は宮部継潤を通じて秀吉に降り、宮部継潤の家臣となったそうです。
1582年(天正10年)吉川経家の孝養に報いるとして因幡国へ侵攻した吉川元春は、杉原氏率いる1500の軍勢を大崎城へ差し向けました。
当時、大崎城は木下民部大輔ら因幡国人衆800余名が守っていましたが、不意を突かれた木下氏ら混成軍は総崩れとなり、460余名が討ち取られ瞬く間に落城したそうです。
以降、大崎城に関する記述は見えず、まもなく廃城となったと考えられています。

主郭は山頂にあり土塁が残っています。主郭下と3郭付近に崩れた石積が残っていました。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=丸山城に向かいしました。

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しんちゃん

主郭 (2024/09/12 訪問)

大崎城の主郭は西端の最頂部にあり、面積も最も広くなっています。周囲に良く土塁を残し東側に虎口があり、その先に小さな腰郭が有りました。東に連なる郭の幾つかには石積がありますが、いつの時代のものかはわかりません。
今回井戸はスルーしたのですが、あとから口コミを見てみるとけっこう訪問している人が多い。まだ本調子には遠いけど調子が良くなったら訪問してみようかな。しばらく城攻めをしていなかったせいで体が重い・・

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しんちゃん

東西に郭が連なる (2025/10/12 訪問)

某アプリのイベントで必要な道の駅のサッカー台のQRコードを読み込みたいのですが、まだ開いていません。時間をつぶすために適当な城を訪問することにしました。ちなみにサッカー台とは買い物をサック(袋詰め)するための台のことです。サッカー台じゃわかんないぞ。

大崎城の駐車場はサーファー用との兼用です。道理で道の駅に留まった際にダイビングスーツを乾かしている車が多かったわけだ。城址に向かって道が続いていて、途中から船溜りに向かう道が分岐しています。
城址は丘陵の頂部に主郭があり、東に向かって郭が続いています。南側に道沿いに土塁が付いていますが、いつの時代の物かは不明です。
登城道を登って行くと東端の8郭にたどり着き、そこから日本海と船溜りを俯瞰できます。船溜りには人っ子一人いません・・気味が悪いな~ちょっとコワいわ。6郭の南側に土塁がわずかに残っていて、4郭あたりの隅部に石積が残っていました。

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todo94

ゴールデンウイーク後半・因幡の城めぐり② (2025/05/04 訪問)

会下城からの転戦です。海に面したかなり急峻な山城です。砂浜伝いに城にアプローチすると、城の看板が見えました。その看板の建っている展望所の先は尾根伝いに山頂まで雛壇のように郭が連なり、但馬八木城の土城に通じる佇まいに見えました。この日に攻城した城はすべて事前に「城びと」の投稿に目を通していませんでした。先達の皆さんが触れられているはしごで降りていく井戸、見ておきたかったなあ。ここも再訪するしかありませんね。ただ、この日は天気に恵まれましたので、途中の展望所や山頂の主郭からの素晴らしい眺望を楽しむことができてラッキーでした。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 山名氏?
築城年 不明
主な改修者 不明
主な城主 樋土佐右衛門、田公高清、木下民部大輔
廃城年 天正10年(1582)以降
遺構 曲輪、土塁、堀切
住所 鳥取県鳥取市気高町奥沢見