【観音寺城】
滋賀県の城びと城跡が残すところ2城となり、ずっと気になっていた城跡でした。というのは前回の訪城が2012年の13年も前で、百名城スタンプも収集していなく、城郭の知識もぺーぺーの頃でした。当時は観音正寺裏参道山上駐車場に駐車して右手上方に見える伝布施淡路丸の石垣やら佐々木城跡の石垣が遺構かどうかも判別出来ない知識で、ただ観音正寺に行って、そこから尾根道を通って伝本丸跡に行って、8月なのに半袖軽装で蚊の大群に襲われ早々に切り上げたのを覚えています。伝本丸跡も今ほど整備されておらず、曲輪内部は今の2/3程は藪化して埋まっていたかなと記憶します。本丸から伸びる大石段はありました。
石垣の残る名城跡の多い滋賀県で、百名城の観音寺城が殆ど巡れていないのは自己紹介の記述にも反しますし、語れない。城跡を観る目もだいぶ肥えてきましたし、滋賀県コンプリート目前の冬枯れの今しかないと思い立ち、1日1城の丸ごと観音寺城で攻めました。
観音正寺表参道山上駐車場に行くと、冬場は閉鎖で裏参道山上駐車場に駐車しました。伝布施淡路丸⇒佐々木城跡内をじっくり散策し観音正寺にたどり着くのに駐車場からなんと2時間もかかりました。佐々木城跡は一旦山のピークにあたり、巨石が多く巨石と石垣が組み合わさった虎口遺構は圧巻です。奥の院は当時も磐座の役目もしていたように思いました。観音正寺で御城印と入山料を納めて、伝本丸跡に向かいます。13年前に比べて現在は本丸内部は雑木が伐採されていて、曲輪遺構がくっきり露わになっています。本丸内部を1周して北虎口と井戸跡、本丸北側の切岸と北下段の曲輪を観察、本丸北側法面は全面に石垣があったように見えましたが、ほぼ全部崩落して崩落石が沢山転がっていました。本丸から南に伸びる大石段を下って三の丸跡⇒伝平井丸、虎口正面の巨石を組んだ石垣は見事です。伝落合屋敷と曲輪壁に取り付いて曲輪石垣をじっくり観察⇒伝池田丸、曲輪南西部の方形石垣がとにかくすごい。⇒大石垣⇒無名曲輪⇒観音正寺西下段曲輪群、ここにも高石垣遺構が残ります。⇒埋門跡のある伝木村丸⇒山の中腹まで下って御屋形跡、ここも見事な高石垣が残ります。⇒戻り道がてら伝平井丸の最奥部を見落としていたので観察して終了。4時間程度の滞在時間を予定していたが結局6時間かかり、昼食も取らず夢中で山中を歩きました。Googleマップに記載されている遺構はほぼ全部巡れましたが、繖山山頂方向、裏参道山上駐車場~観音正寺までの道のりの曲輪群、伝目加田丸から南方向の曲輪群はもう足がヘロヘロになって巡れず、終了しました。
大規模多数の曲輪群と曲輪石垣の遺構に圧倒されました。見応えでは自分の中で安土城跡を抜いてマイベストに入る滋賀県ナンバー1の城跡となりました。行って良かった大満足、やっぱり中世山城の大石垣は好きです。
<満足度>★★★★★(改訂)
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