【金川城】
<駐車場他>御津町郷土歴史資料館
<交通手段>車
<見所>随所石組井戸・堀切・土塁・石垣跡
<感想>日帰り今シーズン山城攻めラスト旅3城目。上記資料館で頂いた資料によると1339年に松田元喬が金川城を築いた説があります。この頃の備前松田氏の本拠は富山城で1480年に松田元成が金川城に本拠を移して改修または築城したとする説があります。1568年に松田元賢の時、妻の父である宇喜多直家に攻められ落城し松田氏は滅びます。その後宇喜多直家の弟宇喜多春家が入城し関ヶ原後小早川秀秋の時廃城となりました。
登城は2ルートあり、妙覚寺からとからと岡山市役所御津支所前からがあります。いづれの登城口にも縄張り図のある案内図が置いてあります。私は妙覚寺から登って御津支所へ下山しました。妙覚寺から登城するとまず道林寺丸・道林寺址の連段の曲輪があります。城主の松田氏は日蓮宗に信仰が厚かったそうで、城内に道林寺の道場を造ったそうです。石垣も一部残っています。道林寺丸を過ぎると本丸跡へ行けますが通過して北の北の丸・大堀切・白水の井戸跡に行きました。白水の井戸は扇状谷の下部斜面にあり、石組です。谷全体が井戸曲輪のようになっています。その北にある北の丸は広く2段構造で大石の磐座もあります。北の丸の北側に4重堀切があり、1重目が巨大、2重目が中くらい、3・4重目が超ちびの堀切になっています。見応えあります。
主要部主郭は北に堀切があり、南東側斜面に降りていくような縄張りになっています。北端に天守櫓台と思われる段があり巨石がゴロゴロ落ちています。櫓台の東側曲輪壁面の巨大井戸があり「天守の井戸」と名付けられています。直径8mあり、石組であったであろうと思われる壁面に残り数個だけ残っています。この井戸も圧巻の見応えです。主郭南端には土塁の残る枡形虎口跡があり、細曲輪を通過して二の丸跡に入ります。二の丸跡には杉の木井戸という斜面にではなく曲輪内部に周囲を掘り下げて石垣で囲んだ井戸があります。二の丸跡から下山して途中に出丸跡の削平地があり麓に着きました。
廃城となった際にどうも破却されているようで、主郭の櫓台や主要部の石垣跡は僅かに残るだけですが、散策と石垣跡を探索する楽しさ、井戸跡に見応えを感じる城跡も珍しい。いい城跡でした。
<満足度>◆◆◆
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