ここは中、東、西の道がありました。
横には皿倉山、見下ろせば八幡の風景が一望できる所でした。
中から登り四ノ丸、三ノ丸、二ノ丸、本丸と続きました。
西の道は上りやすく、碑がありました。
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2025/04/03 23:14
2025/01/29 10:49
花尾城(2/2):井戸周辺は圧巻です (2025/01/22 訪問)
花尾城の続きです。過去のとある煩悩さんの投稿に、井戸を観るために行ったとあり、何の事だろうと思いながら登りました。でもその理由が行ってみて分かりました。確かに!この井戸を観ずして何しにここまで登ったのかという感じです。本丸から下の段への石垣の左に(写真①)の標識がひっそりとありますので見逃さないように。そこから下はすごい角度の急斜面、鎖につかまりながら下ります(写真②③④)。すると二つの登り石垣と井戸が(写真⑤⑥)、またその横には石垣・畝状竪堀・大堀切があり(写真⑦⑧⑨⑩)、これはもう圧巻でした。大内・毛利・大友・豊臣など、東から攻めて来る強敵が多かったので、防御の中心を本丸の東側にあたるこの地に置いていたのではないかと思われます。きっとここで数々の戦が繰り広げられたのでしょうね。
とある煩悩さんが、この二つの登り石垣に囲まれた井戸にはどのような意味があるのだろうか? と思われていたようなので私も井戸の前に立ち考えてみました。すると二つの事が思い浮かびました。
まず一つ目は、ここは湧き井戸というより溜め井戸だったのではないでしょうか? 雨が降ると二つの登り石垣の間を雨水が川のように流れ落ち、一番下にある井戸に溜まっていくようにしたのではないかと思います。おそらく石垣の間は今では土が堆積していますが、当時は土などなく底には石を敷き詰めて流れやすくしていたのではないかと推測します。そして二つ目は、これもあくまで推測ですが、この井戸の中にはもしかして抜け穴があったのではないでしょうか? 二つの登り石垣の間は、今では土が堆積して浅いですが、当時はもっと深く、敵から見えないよう身を隠しながら移動する事ができ、そして井戸から城外へ出られる抜け道があったのではないかと推測しました。もしそうなら、城外の援軍との連絡や最後の脱出経路として使われたのかもしれません。井戸の底の横に小さな穴らしきものが見えたので、あそこの石を一つ外せば人が這って入れるトンネルがあるのでは?・・・なんて想像してしまいました。
いや久しぶりに、想像をかき立てられる、いい山城に出会えました。
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2025/01/28 09:45
花尾城(1/2):山頂からの眺望は抜群なのですが・・ (2025/01/22 訪問)
花尾城は、標高351mの花尾山の山頂に築かれた山城で、麻生氏が築いたとされています。大内・毛利・大友などに攻められ、幾度も戦場になったようです。そのせいか、至る所に石垣や畝状縦堀、大堀切や登り石垣といったものが見られ、かなり見応えがありました。麻生氏は、最後は豊臣秀吉に屈して所領を没収され、その後は筑前に入った小早川隆景の家臣となったようです。
ちょうど黒崎駅バスターミナル内で、花尾城の発掘調査に携わった木村幸雄さんという方の展示会が開催されていたのを偶然知り、これはラッキーと見学してから行きました。模型や発掘品や調査記録などがありました。とても尽力された方のようです(写真⑦⑧⑨⑩)。
黒崎駅バスターミナルから[73]の八幡駅行に乗り、花尾西登山口で下車(写真①)ここから歩いて40分程で山頂へ着きました。バスが標高150mの登山口まで登ってくれますので、残りの登りも最初の5分以外は緩やかでさほどきつくなく、ハイキングにはちょうどいい山だと思います。私もとある煩悩さんと同じ、中登山道から登り東登山道から下りました。
山頂本丸からは、北に洞海湾と戸畑・八幡・若松の街並みや、黒崎城も小さく見えました。また東には皿倉山も見えて眺望は抜群です。ただ晴天なのに何故か?・・・「もや」がかかっていて、響灘までよく見渡せなかったのがちょっと残念でした(写真⑤⑥)。天気予報によると、ここ1週間は3月並みの暖かい日が続いていたので、今年は早くもPM2.5が飛来して「もや」がかかっているそうです。今年は黄砂の飛来や花粉も早まるとの予報も出ているので要注意ですね。
次は、この城の最大の見どころ登り石垣と井戸を見て来ます。
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2024/03/22 15:28
井戸周辺を観るために (2024/03/22 訪問)
皿倉山、帆柱山から延びる花尾山山頂に位置する連郭式の山城です。麻生氏の城と伝わっています。周囲には畝状空堀があり、石垣も多く残っていました。ただ後世の石垣もあると思われ要注意です。本丸の東側の曲輪から北へ降りて行くと、長さ約50m、比高差25mにおよぶ2列の登り石垣があり最下部には方形石組みの井戸があります。井戸には今も水が湧き出ているようでした。登り石垣に囲まれた井戸がどのような意味があるのかわかりませんが、他で見たことはなく一番の見どころだと思っています。非常に興味深い遺構です。井戸へ降りて行くとき振り向くと東側に畝状竪堀がありました。北九州の城らしく畝状竪堀も多く配置されています。さらに馬場に向かって歩いて行くと大堀切がありました。
見どころが多い城址だと思います。花尾公園として手入れもよくされていて散策しやすい城址です。
八幡駅もしくは黒崎駅からバスに乗り花尾西登山口もしくは花尾東登山口で降り花尾公園まで急坂を10分くらい歩くと花尾公園の入口に行くことができます。入口から少し歩くと中登山道と東登山道に分かれます。自分は中登山道から登り東登山道を経由して下山しました。ほとんどが緩やかな坂で歩きやすくなっています。
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分類・構造 | 連郭式山城 |
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築城主 | 宇都宮重業 |
築城年 | 建久5年(1194) |
主な城主 | 麻生氏 |
廃城年 | 天正14年(1586) |
遺構 | 曲輪、石垣、堀切、竪堀、井戸跡 |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 福岡県北九州市八幡西区大字熊手 |
問い合わせ先 | 北九州市八幡西区役所まちづくり推進課 |
問い合わせ先電話番号 | 093-642-1441 |