花尾城の続きです。過去のとある煩悩さんの投稿に、井戸を観るために行ったとあり、何の事だろうと思いながら登りました。でもその理由が行ってみて分かりました。確かに!この井戸を観ずして何しにここまで登ったのかという感じです。本丸から下の段への石垣の左に(写真①)の標識がひっそりとありますので見逃さないように。そこから下はすごい角度の急斜面、鎖につかまりながら下ります(写真②③④)。すると二つの登り石垣と井戸が(写真⑤⑥)、またその横には石垣・畝状竪堀・大堀切があり(写真⑦⑧⑨⑩)、これはもう圧巻でした。大内・毛利・大友・豊臣など、東から攻めて来る強敵が多かったので、防御の中心を本丸の東側にあたるこの地に置いていたのではないかと思われます。きっとここで数々の戦が繰り広げられたのでしょうね。
とある煩悩さんが、この二つの登り石垣に囲まれた井戸にはどのような意味があるのだろうか? と思われていたようなので私も井戸の前に立ち考えてみました。すると二つの事が思い浮かびました。
まず一つ目は、ここは湧き井戸というより溜め井戸だったのではないでしょうか? 雨が降ると二つの登り石垣の間を雨水が川のように流れ落ち、一番下にある井戸に溜まっていくようにしたのではないかと思います。おそらく石垣の間は今では土が堆積していますが、当時は土などなく底には石を敷き詰めて流れやすくしていたのではないかと推測します。そして二つ目は、これもあくまで推測ですが、この井戸の中にはもしかして抜け穴があったのではないでしょうか? 二つの登り石垣の間は、今では土が堆積して浅いですが、当時はもっと深く、敵から見えないよう身を隠しながら移動する事ができ、そして井戸から城外へ出られる抜け道があったのではないかと推測しました。もしそうなら、城外の援軍との連絡や最後の脱出経路として使われたのかもしれません。井戸の底の横に小さな穴らしきものが見えたので、あそこの石を一つ外せば人が這って入れるトンネルがあるのでは?・・・なんて想像してしまいました。
いや久しぶりに、想像をかき立てられる、いい山城に出会えました。
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