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しんちゃん

石垣と堀が残る。 (2024/10/12 訪問)

萩原諏訪城は飛騨川左岸の河岸段丘に築かれていました。元々は諏訪神社を移動して築いた城ですが、廃城後に再び諏訪神社が戻されています。
天正13年(1582)に豊臣秀吉の命を受けた金森長近が飛騨一帯を統治していた三木氏を滅ぼし、その後に萩原諏訪城が築かれたとされています。元和元年(1615)の一国一城令の後は、高山城を本拠地にした金森氏が通行時の「旅館」として使用していましたが、金森氏が出羽国上山に国替えされると破却されたようです。
虎口は西と南に付き、東にも諏訪神社の出入口が付いています。南と東には堀が残り、石垣も残っています。北西を除く三方に櫓台が残り、北東には諏訪稲荷大明神、南西には諏訪忠魂者・他3社、南東には那智社などが祀られています。

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しんちゃん

主郭周辺の石垣。 (2024/10/12 訪問)

大洞城は一柳城とも称し、麓の案内板には一柳城で記載がされています。東を津保川が流れ、西を武儀倉川が流れています。津保川は折れ曲がって南方を西に向かって流れ、そこに武儀倉川が合流するため北を除く三方を川で挟まれた天然の要害となっています。
元々は一柳氏の城でしたが、一柳直末の移封後は斎藤道三の末子・斎藤利治が入り、天正15年(1587)郡上八幡城に稲葉貞通が入ると、大洞城は郡上八幡城に対し重要な位置にある支城として重視されたそうです。
車は麓の稲荷神社に駐車が可能ですが、降り易い方向を向けた駐車をする必要があります。地元の小中学生の登山の場と案内板には記載が有りましたが、倒木の数がエグいです。これじゃ子供は登るのは厳しそうです。 私はまたいだり、くぐったりして進みました。登りきると、南に郭らしき扁平地がありますが、北側が城址のようです。進んでいくと、いきなり郭の石垣が目に入ります。なかなかの物ですが隅部が崩されているようです。さらに先に進むと最高所に本郭があり周囲にも石垣が残っています。この石垣がいつの物か不明ですが桃山時代の可能性もありそうです。

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しんちゃん

そこに愛(洲)はあるんか? アイフル~♪ (2024/09/29 訪問)

一之瀬城は城びとの城以外にも西の城があり、両方回るのがルーティンになっているようです。もちろん私も両方、訪問しています。
実際両方とも良い城なのですが、私個人としては西の城の方が好きなんですよ。
まずは東の城の投稿からです。現地案内板には一之瀬城を本拠とする愛洲(アイス)氏は南北朝時代は南朝方の武将として活躍し、延元2年(1337)には後醍醐天皇の皇子・宗良(むねなが)親王を愛洲太郎左衛門らが迎えているとあります。比高は20m程度の平山城で南端は見張り台のようになっていて「宗良親王御遺蹟」の石碑が建っています。一之瀬神社の北側が城址になっていて、堀切や土塁が残ってます。主郭部分は二段になっていて、郭二と主郭に分かれ、主郭は一部削られているようです。
宗良親王「そこに愛(洲)はあるんか?」
愛洲氏「アイスル~ ♪」
いやいや‥そんなやりとり無いって。

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しんちゃん

居館跡(陣屋)も良い、山城も素晴らしい。 (2024/06/15 訪問)

小里城には2019年の12月に訪問しており、その時撮った写真もいっぱいあります。でもせっかく、うささんや、とある煩悩の登城目録さんが24年の写真を投稿されているので、もう一回やってまいりました。しばらく放置していたので4か月ほど過ぎてしまいましたが‥
ちょっと鮮度が落ちましたが、久々の小里城です。妻木氏の妻木城も麓に石垣の立派な居館があり、山上にも立派な石垣の城が残っていますが小里城も負けていません。城びとも多くの方が訪れています。
山上の城は土岐氏の支流である小里出羽守光忠によって天文元年(1532)頃に築かれたとされています。天正2年(1574)織田信長は武田勝頼に対抗し小里城と鶴ヶ城の改修を行い、小里城には池田恒興を配しました。信長の死後、小里氏は小里城を退去しますが、関ヶ原の合戦で東軍に付き旧領を回復し麓に居館(陣屋)を築いたとされます。
山上の城は一部、破城を受けたような痕跡はありますが、天守台周辺の石垣は良好に残っており、社か何かの石垣として保存が成されたのではないかと思います。壊さず残してくれた地元の方々に感謝します。

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しんちゃん

眺望が素晴らしい (2024/06/16 訪問)

公式の方ばかりに投稿をさせておくのも申し訳ないので「城びと」が投稿させていただきます。お待たせしました。
標高271m、比高170mで麓から結構距離がありますが、いい所まで林道で登ることが出来ます。行くところまで行き切ったら、後は歩きです。城址の北側を進んで、回り込んで行って西側から攻めるのですが、なんとなく歩いていると城側から攻撃を受けている気がします。岩の影から見えない矢がいっぱい飛んで来ます。いててっ、こっちは無防備なんだから‥。
案内に従って南に進むとそのまま城域に入り、東西の尾根の中間が堀切になっていて東西の分岐点になっています。左手(東)が主郭の方向ですので、進んでいくと幾つか扁平地が有り最高所の郭が主郭です。主郭からの眺望は抜群で、できれば晴れの日に昇りたいものです。


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T-Shionoya

桑名城 水堀に浮かぶ公園 (2024/06/08 訪問)

6月に訪れた三重県桑名市の桑名城。

中世のこの地は、町屋川(現在の員弁川)と大山田川が揖斐川と合流するポイントで、1513年にその中州の1つに伊藤武左衛門実房が東城を築いたとのこと。
1595年に秀吉家臣の氏家行広が伊勢神戸城の天守を移築したと伝わり、現在の神戸櫓跡はその名残。
1601年には東海道の要衝として本多忠勝が川の流れを変え近世城郭に大改修。1617年以降は久松松平氏、奥平松平氏が城主を務めました。

現在、本丸から北東側は堀が埋め立てられ痕跡がないものの、南西側は水堀が城郭の名残を有する九華公園に。
また水門管理所が蟠龍櫓を模して建てられています。

実際に訪問すると、予想より城郭の雰囲気は薄く、大きな池に小島が浮かぶ"公園"。
本丸と小島を繋ぐ橋の位置は桑名城時代とは異なり、天守跡の石垣も1978年に巨岩を混ぜて積まれたもの。
一番の見どころは堀川東岸の城壁と呼ばれる石垣かもしれません。

複数の移築された建物遺構があるそうですが、それらは見逃し約2時間半の滞在。
絵図で魅かれる二之丸門が復元されないかと思う、私の城郭巡りの184城目でした。

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しんちゃん

川沿いに南東に600mほど進んで登り道を見つける (2024/06/16 訪問)

土田城は城址碑のある西の断崖からは現在登ることは出来ません。また降るのも危険ですね。私も下側から見ましたがかなり危ないです。
城郭放浪記さんの記事を参考にすると、川沿いに南東に進んでいくと谷沿いに南に昇っていく登城道が有るようです。東西の尾根の中間まで上がれば、西側が主郭。東が出丸になります。
大丈夫です!私も納得がいかない場合は同じ城に3回でも、4回でもトライします。何度でもトライしましょう、何度でも、何度でも‥
まずは西の主郭に向かいます。最初に郭があって、うっすらと土塁が残っているようです。そこから西に尾根沿いにしばらく進みます。

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じゅんじん

久しぶり! (2024/04/06 訪問)

やっぱり名古屋城が1番の推し城です!!

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じゅんじん

城の日 (2024/04/06 訪問)

桜が満開の静岡まつりでした。

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うさ

古渡城 (2024/10/20 訪問)

東別院内に石碑あり。
ドデ祭りの日に行ってしまって、たくさんの人で賑わっていました。隣の下茶屋公園は静かで城の名残りを感じました。

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じゅんじん

2年ぶり (2024/03/30 訪問)

校舎は解体かな。

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うさ

駿府城 (2024/10/02 訪問)

2回目の駿府城。前回は発掘現場は公開されていなかったので、発掘現場を見学したくて行きました。
これだけ大規模な現場を見れるのはなかなかないので、ゆっくり見させて頂きました。

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じゅんじん

豪族のお城 (2024/03/30 訪問)

駐車場あります。畑の奥に城址碑がありました。かなり広いお城です。

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とばつびしゃもん

佐渡島の城5 (2024/09/09 訪問)

宿営地を出発し雑太城(現妙宣寺。五重塔が見事)、佐渡国分寺を攻めてから、佐渡歴史伝説館観覧、西三川ゴールドパークで砂金採り体験し羽茂城へ。東門から登城開始。
羽茂城址略図と書かれた案内板を頼りに攻城。遊歩道を雑草と蜘蛛の巣を除けつつ進む。城内で高所の郭と思われる五所城跡(郭?)は木々に覆われ眺望を望めない。大門という案内柱から殿屋敷方面を目指すがヤブ化していて遺構確認できず、案内板に示されたその他の郭も進むことは困難。
遊歩道をどんどん下ると大手側へ出る。Uターンして戻り50分弱の攻城。城びと掲載の佐渡島5城をコンプリート。
小木のたらい舟体験、宿根木の町並みを見学した後、小木港から直江津港へフェリーで移動。上越市で宿営。

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ぴーかる

下津城 (2024/09/23 訪問)

【下津城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡碑向かいのJA愛知西産直広場下津店にて買い物し停めました。
<交通手段>車

<感想>日帰り少し涼しくなったので伊勢湾ぐるり平山城行けるかな旅6城目。下津城は1400年頃尾張守護に任ぜられた斯波義重が下津に守護所を置いたのが始まりとされます。応仁の乱以降斯波氏は家督争いを繰り返すようになり、室町時代末期には守護代の織田敏広が入城し居城としました。織田敏広は分家の織田敏定と争い城は焼失したようです。
 石碑はGoogleマップにある場所に移動されたようで下津小学校の端っこにあります。フェンスの外に置かれているので南側の道路から見れます。遺構の土塁ももう残っていないようです。
 この城にて濃尾平野の城びと城跡を制覇(愛知県・岐阜県の城はまだまだ残ってる)しました。自宅から約200㎞圏内のちょこ城をだいぶ制覇してしまったので、まじ来年の夏場はどこ攻めようかと。

<満足度>◆◇◇

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小城小次郎

麓の石碑だけ (2024/02/20 訪問)

天候の関係で登城できず写真は石碑だけ。長宗我部元親の三男・津野親忠を誅し結果的に長宗我部を改易へと追い込んだ久武親直の居城に山内一豊の主席家老・深尾重良が入り、改めて麓に土居屋敷を構えたもの。

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じゅんじん

公園 (2024/03/30 訪問)

畑の奥にありました。

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カズサン

南美濃未踏の城探訪4/7 八神城 (2024/10/14 訪問)

 加賀野井城を終えて、木曾川沿い南に約3.6km程の所に在る八神城を訪ねる、竹ヶ鼻城跡の羽島市歴史民俗資料館特別展で八神城は学習しましたので、銀杏の木が遠くから見えて判り易い。

 駐車場:特に無し、八神城跡銀杏の南前がジャリ地で駐車可能
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 銀杏の南前土塁に、八神城跡のイチョウ標柱、八神城跡のイチョウ、八神城跡、八神城絵図の案内板が立っている、又銀杏の下に石碑が立ってるが刻んだ文字が黒くて読み取れないが情報では八神領□館跡?、西下に八神尋常高等小学校跡の石板碑が立て居り、明治期に成って八神城の館が小学校に利用された歴史が刻まれている、南の用水前建屋の東前庭に八神城跡標柱が立っている。
 今もご子孫の方が住まわれていると歴史民俗資料館の係り員の方に聞き、もし表に出て居れば話を聞きたいと思いましたが見当たらず、周辺撮影して移築一の門が更に木曽川沿い約1.6km程南の眞福寺の山門として残ってるとの事で訪ねる。
 眞福寺(岐阜県羽島市桑原町)
 駐車場は無く山門の東前木曾川堤防道路下の道路に幅寄せして一時路駐(交通量は少ない)、山門を表、裏と撮影して本堂参拝し早々に引き上げる。

 八神城の歴史は、イチョウの大木樹齢約300年が目に留まるここの在地の領主として明治までの400年余にわたって領地を守ってきた、清和源氏の嫡流八幡太郎義家からの家柄で、土岐氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏に仕え、江戸期に入り尾張徳川氏の随身(宿家老)が叶い、八神の地(3000石)を長く治めて明治を迎える。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:鹿伏兎城 (2024/09/26 訪問)

鍛冶ケ坂城(城びと未登録 三重県亀山市)から徒歩10分弱で、神福寺門前(34.841670、136.339431)に着きました。
今回は時間の都合で、鹿伏兎城への攻城は諦めました。

鹿伏兎城は亀山城主・関盛政の四男である鹿伏兎讃岐守盛宗が築いた城です。盛宗を祖とする鹿伏兎氏は以後10代にわたって鹿伏兎谷を支配しました。
当初は牛谷城と呼ばれていましたが、7代・定好のときに改修して鹿伏兎城と呼ばれるようになり、さらに定好の子である定長が、将軍・足利義晴に白鷹を献上したことから白鷹城と呼ばれるようになりました。
1583年(天正11年)に起きた織田信雄と神戸信孝との跡目争いでは、鹿伏兎定義は信孝方に与したため信雄方の羽柴秀吉の軍勢に攻められ落城しました。

山麓にある神福寺が居館跡といわれており、電車の時間の都合上、そこで説明板と石碑を確認して攻城としました。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=福地城を目指す為、加太駅から電車で柘植駅に向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:鍛冶ケ坂城(城びと未登録 三重県亀山市) (2024/09/26 訪問)

加太駅から徒歩15分弱で、石碑前(34.840425、136.332445)に着きました。

1543年(天文12年)鹿伏兎城7代城主の鹿伏兎近江守定長の弟の鹿伏兎蔵人定住が築城し、坂氏を名乗りました。
1583年(天正11年)織田信雄,羽柴秀吉軍の攻撃による鹿伏兎城落城と運命をともにしたようです。

城跡は居館跡とされる常光寺の後方の山になるようですが、時間がないので城址碑の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=鹿伏兎城へは徒歩で向かいました。

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