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dougen

2014.11.29登城 (2014/11/29 訪問)

霞ヶ城から国道20号で諏訪大社上社前宮へ。前宮に隣接する小山が干沢城址となります。
城址は市の史跡に指定されており、案内板が設置されており、城址も整備されています。
遺構は郭跡や堀切の遺構が確認できます。

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり② (2025/04/26 訪問)

横浦館からの転戦です。現地の説明板での名称は若宮館でした。強烈な藪漕ぎではないのですが、棘のある茨をかき分けるので神経を使います。途中から西側に杉林が現れ、下草のない帯郭が登城路として機能し、半島の先端の方までたどり着くことができました。最高所の主郭部分は藪がひどく踏み込んでいませんが、見どころである竪堀も確認できたので、これで宮城県の未投稿物件クリアのミッション、完了とさせていただきます。

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Tokyobay

インバウンドで盛り上がる人形町(元吉原) (2025/04/19 訪問)

十数年年前に来た時は閑散としていた小網神社だが、最近はインバウンドの名所らしく、参拝行列ができ警備員が整理する状態。そして、明治期に西郷隆盛邸があった場所へ。現在は日本橋小学校になっているが、なぜ人形町だったのかは不明。で、人形町と言えば元吉原だが現在は碑が残るのみ。存在していた期間は40年程度だったらしく、以外と短い。
それにしても人形町が外国人だらけだったのは驚き。以前水天宮界隈で仕事をしていて仕事帰りに人形町で飲む機会が多く、街並みというか店舗の入れ替わりもかなり激しいと感じたが、以前よく通った店が健在だったのでちょっと嬉しかった。

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空と城と散歩

弾丸安土城巡り (2025/04/24 訪問)

バイクの点検ついでに、安土城巡ってきました🏯
時間はあまりなかったのですが、しっかり天守跡まで登って楽しんできました☺️

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イタさん

碑だけの用土城跡・猪俣氏館跡 (2025/04/24 訪問)

1.用土城 埼玉県大里郡寄居町

寄居町の公式ページには、北条氏邦の義父である藤田康邦(用土新佐衛門)の隠居所として築城された城と伝えられ、発掘調査で薬研掘(やげんぼり)を確認しています。鎌倉街道上道(かみつみち)を押さえる要所に築かれましたが、現況は後世に建てた石碑や地名が残っているのみです、とある。
周囲より高台になるが、農業ふれあいセンター側の西がやや高く、東に向かって下がる傾斜地になり全く想像が出来ない。ぽつぽつと民家はあるが、ほぼ一帯は畑地になっている。

2.猪俣氏館跡 埼玉県児玉郡美里町

武蔵七党・猪俣党の代々の居住跡だが、碑の背後は美里町推しのブルーベリー畑になっている。碑があるのみで遺構は全く分からず。碑には保元、平治の乱、一ノ谷の戦いで活躍した、猪俣小平六範綱の名が刻まれている。

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田屋氏の城 (2025/04/26 訪問)

 浅井氏に仕えた海津衆の一人田屋氏の城と伝えられています。また賤ケ岳の戦いの時は丹羽長秀が改修した可能性が指摘されています。城跡は周囲を土塁で守られた五つの郭と縄張り図では捨て曲輪となっている郭で構成され、曲輪、土塁、竪堀、堀切、枡形虎口などが良好に残っています。竪堀は長く残っているものもあり、連続しているものもあり楽しませてくれました。石碑が建つ場所は櫓台と想定されています。
期待していた以上の城址でした。ぴーかるさんの「隠れた名城跡、百・続百名城に負けてない城跡」という投稿に賛同します。藪になりかけている所や伐採した木で見えにくくなっている所も一部にはありますが、登城路は整備されていて曲輪付近も雑草は歩行に支障を来すほどではなく遺構も明瞭に確認できるものが多い。気持ちよく散策できます。

「近江の山城を歩く70」を帰宅後見てみると「田屋城主体部から谷を挟んだ北東にある尾根は「馬かけ場」と呼ばれる緩斜面が続き、標高230mの地点にも城郭遺構が築かれている」と記載されていました。少し離れた場所にも遺構があったのですね。あいかわらずの予習不足です。

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さらら

郡上八幡城 (2025/04/26 訪問)

新緑が綺麗でした

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トク

【春の長崎天草を巡る⑧】(6)島原城 (2025/03/30 訪問)

春の長崎天草を巡る旅、(6城目)は「島原城」です。

白漆喰と桜のコントラストはとても綺麗でした。ちょうど桜祭りが行われていて、琴の演奏や茶会も行われていました。何やら女武者も見参!

今の島原城は具雑煮で有名な姫松屋の前から直接本丸へ車で入る道(駐車場)があるので、大部分の方(ほぼ99%の方)はそこから入り直接天守のある本丸へ行かれると思います。しかし当時はそのような道は無く、島原城は本丸から北へ二ノ丸、三ノ丸と続く連郭式の縄張りで、それらは一本の廊下橋でのみつながれていました。三ノ丸から進むと、この廊下橋があった場所や、深くて大きな堀、見事な高石垣や桝形門の迫力が堪能でき、連郭式の縄張りだった事がよく分かります。

そして、島原城は難攻不落の城でした。それを実証したのが島原の乱です。一揆軍は圧倒的に優勢だったにもかかわらず、この島原城を落とす事ができませんでした。それはなぜだったのでしょうか? 三ノ丸から本丸へ向かって歩くと、なるほどそれがよく分かります。そして堀底を歩きながら、ゆっくりと廊下橋跡を渡り、迫力ある高石垣や桝形虎口を見て、本丸への階段を登り、それから天守に入って島原の歴史を学び、最上階に登って普賢岳と有明海を眺めて爽快な気分になり、お腹を十分空かしてから具雑煮を食べに行くと(ああ美味しい)😊。

次は(7城目)日野江城へ向かいます。
 

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todo94

ゴールデンウイーク前半・陸前の城めぐり① (2025/04/26 訪問)

金曜の夜19時過ぎに家を出発、佐久インターから上信越道に入ったところですぐに仮眠。その後も結構、頻繁に仮眠をとって石巻に到着しました。すき家にて朝食をとってまず向かったのが横浦館。県道で分断されているとのことですが、結構、遺構が残っているようにも見えました。この館のかなり上の方には、女川いのちの石碑が建っていました。ということは、この館は東日本大震災の津波で完全に水没したということになりますね。

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遠州

観桜 上田城 (2025/04/19 訪問)

04/19 上田城を訪れました
桜の満開は過ぎていましたが、枝垂れ桜など見頃の桜もあり楽しめました。
個人的には「けやき並木遊歩道」の雰囲気が好みでしたが、桜を交えての櫓の撮影など満喫しました。

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しんちゃん

夜討ち (2024/12/30 訪問)

「新編武蔵国風土記稿」に「荏原義宗日蓮を崇信の余、ついに其子を薙染せしめて日朗の門に入しめしなり、後に義宗館地を捨てて寺とし、八幡社を作り郎慶をして別当職を務めしとぞ」と記載があるようです。
この薙染せしめたこと言うのが二子徳次郎とされ、名を郎慶と改めたとの事。義宗が居館を捨て、寺を建てた場所が法蓮寺と郷社旗岡八幡神社周辺とされています。
旗岡八幡神社の由緒には長元3年(1030)平忠常の乱を平定すべく、朝命を奉じた甲斐守・源頼信甲が下総へ赴く際、この地に宿営した折、霊威を感得して源氏の氏神たる八幡大神を奉斎し戦勝を祈願したのが、その発祥と記載がされています。

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しんちゃん

夜討ち (2024/12/30 訪問)

品川氏館は小高い場所に有る貴船神社が館跡とされていますが、ここも推定地です。大井氏の庶流・品川氏の館跡ではないかと伝わり、近くを鎌倉街道が通っていたことが根拠の一つになっているようです。推定値で神社仏閣の城であるとはいえ、夜討ちの時の写真ではどうかなと思っていましたが、もういいや、載せてしまいましょう。

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しんちゃん

夜景 (2024/12/30 訪問)

御殿山城は東京マリオットホテルの南にある、御殿山庭園が推定地とされています。遺構は全く残っていませんが、庭園の滝が独特の雰囲気を出しています。「城郭大系」によれば「新編武蔵国風土記稿」は「道灌日記」を引用して、長禄の頃、太田道灌がこの地に居住していたが、夢のお告げで江戸城を築いて移り、この地には宇多川和泉守長清を置いたとのことです。
徳川家康の関東移封の後は、この地を鷹狩りの仮御殿としたことから御殿山の名が付いたとのことです。東京の城址の大多数は旧態を留めていない城が大多数ですが、城郭大系には記載がされています。これも都市部の城の特徴でしょうか。大阪、名古屋でも同じことが言えますが。

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WEST

本證寺探訪 (2025/04/19 訪問)

本證寺を訪問しました。三河一向一揆で有名なお寺で、国の史跡にも指定されています。
駐車場は境内にあり、大門を通って入ります。訪問日は平日のためか自動車は少なめでした。
本堂にてお参りをしてから寺内にある経蔵、鐘楼、鼓楼、裏門を巡りました。鼓楼は太鼓にて時を知らせる機能の他に物見櫓の機能を有しているそうで、まさにお城にある櫓そのものですね。
その後、裏門から出て、北側の現存する土塁と堀を見学しました。近年史跡として整備を進めているため、一部の木が伐採されており、その姿が良く分かりました。
最後に境内を出て、外堀の一部である場所まで足を運びました。
見どころ満載ですので徳川家康関連の史跡巡りにお勧めですよ。

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WEST

桜井城探訪 (2025/04/19 訪問)

安城市にある桜井城を訪問しました。この城は桜井松平家の居城となります。現在は城山公園として整備されており、公園入口に駐車場(3台程度駐車可)があります。
城内を散策してみましたが、城址碑のある土塁のようなところが遺構となるのでしょうか。
また、隣接して桜井松平家歴代の墓所があります。

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しんちゃん

可能性の獣 (2025/03/10 訪問)

今日は休日ですが「城攻め」はお休みです。珍しいですよね・・でもたまには休まないと倒れます。2024年にいっぱい未投稿の城を残しているのですが、ついつい最近訪問した城を投稿してしまいます。なんというか、申し訳ないとしか言えない。順番に投稿して行けばいいんだけど、テンションがあがらないんですよ。
百名城・高岡城の投稿です。個人的には地味な百名城だと思います。近年発掘調査などで株価馬鹿上がりの小牧山城のほうが百名城に相応しいのではないかと内心思っていたりします。そう思いながらも、高岡城に来るのは楽しみだったりする。以前にも来たけど久々に来ると、以前無かった感動を味わえるかもと、ちょっぴり期待。
入り口付近に大きな案内板があるのですが
「富山県内唯一の日本100名城」「城の魅力は天守だけじゃない!」「城郭考古学者も絶賛!」正規の案内板なのに、なんか痛い見出しがズラリ・・。ゴメン、俺が悪かった。高岡城はまさしく百名城に相応しい城です。県内唯一って微妙に不満そうな・・しょうがないじゃん、富山城あんななんだし(これもゴメン)。
車を小竹藪の駐車場に留め、小竹藪から朝陽橋を経て本丸へ。この本丸の堀は幅が広くて、なかなか壮観。本丸は広大な面積があり、広場と射水神社が隣接しています。本丸北側には天守跡と前田利長公の銅像が有ります。実に特徴的な兜ですが、真横から見ると少し変、一番良い角度が斜め前から見上げる感じで・・正面から見ると、そこには「可能性の獣」が!! それでも、それでも・・とつぶやきながら二の丸方面へ向かいます。写真を見ると、なんだかんだで楽しんでいたみたいです。

ん・・? 通った・・どうせなら「ひじかた」を通るようにして欲しいな。

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しんちゃん

富山城 (2025/03/10 訪問)

今週は城攻めはお休みの予定です。ニッポン城めぐりを始めてから、ひっきりなしに飛び回っていたので、たまには休まないとね。
タイヤも夏物に変更して、家の駐車場も直さないと・・。
富山城の写真がまだ残っていました。けっこう飽きっぽい性格で、凝るときには、けっこう凝るんだけど途中で飽きてくると放り出してしまうケースが多いです。典型的なO型なんだけど、プラモと城めぐりだけはダラダラと継続してますね。最近パソコンの調子が良くないので、一度掲載してから、内容を追加させていただきたいと思います。けっこう頻繁に落ちるんですよ(この数分後にネットの回線が切れる)。そろそろ次のやつを用意しないといけないな。
富山城はかつては三方に二重の水堀を配し、10万石の平城としては規模の大きい城であったようです。神通川が天然の堀として北と西を守り、東はいたち川、南は四ッ谷川が外郭を守っていました。城址公園は史実と異なる形で整備が行われ、縄張も一部変更がされ、かつては土塁で有った個所も石垣で復元されているようです。城好きとしては、かつての姿に近い富山城を楽しみたいという気持ちがありますが、これが現代の富山城だと受け入れるしかないですね。人は城に天守を求めるようで、模擬であれ天守があると人が寄ってきますね。なんだかんだいって、人はみなお城好きということでしょうか?

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赤い城

正法寺城 愛媛県四国中央市 (2025/04/20 訪問)

城びと未登録の山城です。
松尾城から国道を少し南下、林道への登り口にスペースがあるのでここに車を置きます。
この日4城目だったので体力も消耗、無理なら引き返そう、と心に決めて登りました。

少し登った時点で「無理かも」と思いつつなんとか足を進めていきます。
かなりの急勾配ですが林道が付いているのでなんとか登っていけました。
30分くらいでようやく案内板を発見🤩
ここから入ります。
すぐに堀切、さらに先にも深めの堀切があり、この堀切は竪堀となり登城路に向けて落ちています。

ここから堀切を直登し四郭へ、土塁が付いています。
4郭と3郭の間にも郭を隔てる堀切があり、端に土橋がかかります。
広い3郭には井戸もあったようです。
2郭は一段高く、その先が主郭です。
その背後は急な崖で守られていました。

脚力は限界を迎えていましたが登って良かった、と。
達成感に浸りながら下山。
先ほどの長い竪堀を降ります。
下部には畝状竪堀も施されていました。
未登録ですが見応え充分、機会があれば行って欲しい城でした。

【見どころ】
 ・堀切から落ちる長い竪堀と付属する畝状竪堀
 ・3郭と4郭の間の堀切と土橋

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Tokyobay

日本橋の表記ミステリーに感動 (2025/04/19 訪問)

日本全国の橋は、日本橋(橋の起点)方面が漢字表記、日本橋逆方面がひらがな表記となっている(とタモリかキンシオが言っていたような)。じゃあ、日本橋はどうなっているのかと言うと、両サイドが漢字ひらがな両面表記という起点ならではの唯一の扱いになっていることに感動する。
ちなみに、「日本橋」の字を書いたのは徳川慶喜でかなり達筆。東京五輪の突貫工事で「日本橋には空がない」と批判されるが、2040年には地下化で空が誕生するようで、まだまだ変貌する江戸城下町を見届けたいと思った次第。

※ 日本橋は錦絵に多く描かれているので関心あれば国会図書館サイトで
 https://www.ndl.go.jp/landmarks/sights/nihonbashi/

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小城小次郎

案内板が吉川愛に溢れている (2022/06/05 訪問)

駐車スペースも確保され楽々登城かと思いきや時期を間違えると草ぼうぼうの憂き目に遭う。鳥取で散った吉川経家を送り出した城だからか案内板からして吉川愛に溢れている。

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