説明板には、正治3年(1201)頃の佐々木盛綱入道西倉の旧跡とあるが、遺構からは鎌倉初頭の頃ではなく、永禄5年(1565)頃に武田信玄が築いたもの・・・と載る。元々あった物を信玄時代に改修したものか。
南駐車場から入ると、正面に城塁と横堀?が、右にも横堀がある。先の三の丸虎口を過ぎ、段がある傾斜した三の丸へ。北側に馬出とあるが草が多く分からず。馬出の先は二の丸虎口で郭内に虚空蔵菩薩を祀る。西に高土居があり、ほぼ埋まった堀を渡れば本丸内へ。右手に田村神社が建つ。二の丸ほど手入れがされず、木々・草が多く図の北側に標示する土塁などが分からない。搦め手口の標示から出て二の丸へ戻り、物見平とある櫓台に行けば、東下には回り込んだ横堀の眺めがよい。
+ 続きを読む











