土佐泊浦背後の松瀬山に城跡があります。
皆さんのレポート通り、南海病院の敷地となっています。
どうやら新病棟の工事中で病院に行くのも躊躇してしまいました。
周囲を一周して退却、とりあえず「行った」のポチはしておきます。
長宗我部氏の阿波侵攻で唯一落ちなかった城なのでいつか公開される日が来てほしいですね。
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2025/01/24 06:45
2023/08/21 00:17
立ち入り禁止。ハメ(毒ヘビ=ニホンマムシ)や毒ハチがいますよ。 (2023/08/13 訪問)
土佐泊城は南海病院の敷地内にあり、現状立ち入り禁止です。
駄目もとで登城許可を申請に行ったのですが、
しばらく整備がされていないのでヤブ化が進んでいて
ハメや危険なハチが出没するので非常に危険だとのことです。
もちろん許可を得ることはできませんでした。
ハメというのはこの地域での毒蛇のことを言うらしいです。
徳島県には蛇が10種生息していて、そのうち2種がウミヘビで
残り8種の中で毒を持っているのはニホンマムシとヤマカガシだけです。
頭部の形状を聞くに、このハメというのはニホンマムシのことを
いうみたいですね。この後も山の整備をする予定はないらしいので
立ち入り禁止は当面続くと思われます。
入れない城と判断して「いった」をポチらせていただきました。
ちなみにヤマカガシもニホンマムシに引けを取らない危険な毒ヘビです。
マムシが夜行性、ヤマカガシが昼行性の違いがありますが、
ヤマカガシはキバが口の下側についているので毒の注入効率は悪いですが
毒自体はマムシの三倍の強さを持っていて、かつて兵庫県で二人の中学生が
ヤマカガシにかまれて亡くなっています。
毒蛇の種類によって血清が異なって来るので、噛まれた毒蛇の種類を
把握することは重要なことのようです。
ネットからダウンロードしたヘビの写真を使うのは気が引けるので
ノリで描いてみました。ふだん絵など描いたりはしないのですが
案外うまく描けたのではないでしょうか?
ペンは画材屋さんで買いました。コピックは高いので色付けは
色鉛筆です。学生時代以来ですね、水彩絵の具のほうが良いのかな?
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2022/08/21 07:20
2022夏の青春18キップ遠征7日目:土佐泊城 (2022/07/26 訪問)
撫養城からの転戦です。岡崎公園付近(34.181922、134.622886)に駐車しました。
天文年間(1532年〜1555年)森元村によって築かれました。
森氏ははじめ名東郡黒田村いたが板野郡土佐泊に移住しました。 森氏は土佐泊を要害として船団を構え細川氏が伊予国に攻め入ったおり戦功をたてています。
1585年(天正13年)二代目城主である森志摩守村春のときに、蜂須賀家政が阿波国の領主となると、蜂須賀氏家臣となりました。
森村春は九州征伐や小田原征伐にも参戦し、主君の武功を支えたが、1592年(天正20年)文禄の役で戦死しました。
村春の弟は村吉、子は忠村である。村吉の長子・森村重は森甚五兵衛家を興し、強大な水軍を持ち、大阪の役で戦功を挙げ、全国に知れ渡りました。
蜂須賀氏は水軍を持たなかったため、森氏は17代にわたって阿波水軍の地位を世襲し、1868年(明治元年)の明治維新まで蜂須賀氏に仕えました。
現在、城址は南海病院の敷地となっているようです。
攻城には南海病院の許可が必要とのことなので、岡崎公園付近より海越えの土佐泊城方面を眺め、写真撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。
四国一周の城巡りは、ここがラストです。レンタカーを返却する為、一旦、西明石駅に戻ります。
その後、明日の攻城先=三津寺砦を目指す為、電車で本日の宿泊先がある大阪の長堀橋駅に向かいました。
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分類・構造 | 平山城 |
---|---|
築城主 | 森元村 |
築城年 | 天文年間(1532〜1555) |
主な城主 | 森氏 |
廃城年 | 天正14年(1586) |
遺構 | 曲輪 |
指定文化財 | 市史跡(土佐泊城跡) |
住所 | 徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦土佐泊 |
問い合わせ先 | 鳴門市役所生涯学習人権課 |
問い合わせ先電話番号 | 088-686-8807 |