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しんちゃん

主郭背後の大堀切は必見。 (2024/10/13 訪問)

傘松城と土城以外の「江馬氏城館跡」の城館は以前に訪問しています。新しい写真を求めてやって来たんですね。
この二週間で岐阜の城を「鬼攻め」で30城攻略しましたが、13城はリピートです。たったの30城?‥と思われるかもしれませんが山城ばっかりの内容で30城ハシゴはけっこうハードなんですよ。なんとか登れる間は、山城は主郭を含めひとしきり見ておきたいですね。
まあ戸吹城のようなとんでもない城は論外ですが‥。あと土城も無理して主郭までいかなくていいと思います。削られてるし、私も本当に「危険」と判断した所には行きません。
洞城は標高こそ高くありませんが石神城と連携して烽火台の役目を持っていたようです(江馬氏下館のガイドさん談)。街道上に江馬氏下館、高原諏訪城、洞城、石神城と並んで、街道上の敵を監視し本城である諏訪城に危険を知らせる役目を負っていたようです。
構造はシンプルで尾根上に浅い堀切→二郭→堀切→主郭→背後の大堀切と続きます。一つ一つがしっかり残っており、特に主郭背後の大堀切は必見でしょう。また主郭南側には腰郭が付いているようです。小ぶりなんですが、けっこう「城」しているんですよ。

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しんちゃん

ちょっと行きづらい城 (2024/10/13 訪問)

寺林城は「江馬氏城館跡」の一つとして国の史跡に指定されています。城址は玄蕃山の比高70mほどの中腹にありますが、土城ほどではないにしろ訪問しにくい城です。カーナビのルートに従っていくと、折り返し狭い道を降って、これまた狭い橋を通そうとします。
こんな狭い橋わたれるかって、バックでえっちら戻って一つ東の道から入ります。周囲に駐車場は無いし、明確な城址碑も案内板も無い。
はっきりした登城道も無い。入れるだけましですが、はっきりいって歓迎はされていません。
とにかく傾斜の緩い所から取りついて、尾根上を登って行けば踏みしろのような道が上に向かって続きます。スマホに地形図の読めるアプリさえ入っていれば、特に苦も無くたどり着けます。途中に落ちていたのは熊の落し物でしょうか?写真を見てもよくわかりませんでしたが、熊は一日に40kmは移動するので、近くに水場やエサ場が無ければ、すでに居ない可能性が高いです。国神城にも熊のフンは落ちていましたが思ったより岐阜の山中に熊はいないようでした。山奥に行くか、集落の近くに行くかで二分化しているようです。
一応熊のいる可能性もゼロではないので熊鈴を鳴らしながら進みます。城址は比較的あっさりしていて二郭らしき場所の西側に主郭があります。特にそれ以上は無さそうなので、主要部到達で終了としました。

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しんちゃん

キューピーの鼻より (2024/10/12 訪問)

標高173m、比高113mの伊木山の頂部に伊木山城は築かれていました。登城道はハイキングコースになっていて幾つもルートがありますが、駐車場から最短で登れる心臓破りの坂のルートからトライしています。
永禄8年(1565)織田信長は美濃の斎藤龍興を攻略するため伊木山を奪取し、伊木清兵衛忠次が城を築いたとされます。忠次は元の名を香川長兵衛と言いましたが、伊木山攻めの功績ににより「伊木」の名を与えられました。その後は池田氏に仕え、池田輝政が姫路城に52万石で入封すると、播磨三木城3万7千石を与えられています。

山頂部が主郭となっていて、ハイキングの人々で賑わっています。南・東・西に郭が配され、東の尾根をまっすぐ進んだ先に「キューピーの鼻」と称される展望所があり、そこからの眺望は絶景です。

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朝田 辰兵衛

トクさん,正解です(しかも,模範解答💯) (2023/07/16 訪問)

トクさん,正解です。しかも,模範解答です…💯
赤い城さんが「お手上げ」と書き込みましたので,フライングではありません。
こちらとすれば,全然ヒントを出すタイミングがなかったのが,楽しみ半減ってカンジでしたが…<笑>。
クイズ画像は,長浜城天守から琵琶湖を挟んで,彦根城と佐和山城を眺望したものです。
かすかに見える天守のシルエットは,まさしく彦根城天守になります。
何年かぶりに長浜城に訪れたら,長浜駅から真っすぐのアプローチ道ができていてビックリ❢

今回の出題は,所用で行けなかった「びわ湖EXPO」を,少しでも宣伝することにつながるかな…という狙いもありました。

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たか

やっときた岩国城 (2024/10/08 訪問)

仕事の関係上、いつでも行けるさなどとしてずっと行ってなかった岩国城に行ってきました。
錦帯橋には鵜飼いや屋形船も含めてかなり来ていました。
岩国城がこんなにいいところだとは思わなかったです。

早速、車でロープウェー乗り場まで行って往復切符を買いました。
わたし自身ロープウェーはおそらく小学生以来だと思います。
まあ景色も良いですがこんな斜面を攻城するのは大変だろうと思いました。

到着すると今度は山道か舗装した道かの選択があります。
当日弱い雨でしたので舗装した道を選びました。
これは正解、木が生い茂っているせいで傘もいりません。
上がっていくと大きな井戸の跡、これは水もさることながら有事の際には逃げるための抜け穴と書いてありました。
さらに進むと石垣が!これが本来の天守台とのこと。
小ぶりではありますがなかなか素晴らしい石垣です。
皆さんは現在の天守閣に向かわれましたがわたしはそのまま奥へ進んで空堀を見学。
これはとても深くて素晴らしい。
写真では伝わりにくいんですが、苔とゴロゴロ下に転がっている岩と堀の傾斜がとてもマッチングしています。
わたしはこの場所を独り占め(笑)

それから裏をまわって景色を堪能しながら復興天守へ。
まずは御城印、カードを購入してスタンプを押印。
中の展示品は刀が多く少し急ぎで上へ(笑)
やはりここは天守閣からの錦帯橋を含めた眺めを見なければ!

少し弱い雨で煙っていた感じではありますが、いやいやこれは絶景!
錦帯橋もすごく小さい!お殿様気分とはこのこと!
なんだか童心に帰った感じになりワクワクしました。
あちこちの天守閣は登りましたがここは標高が高いせいか、あるいは見渡す広さが大きいせいかとても良かったです。
最後に下りのロープウェーを待つ間に広場のからくり時計が作動して童謡を聞きこれまた懐かしくて童心に帰るようでした(苦笑)

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たか

石垣のすばらしさ (2024/10/08 訪問)

皆さんの投稿で続々100名城に登録をなんて書かれていたので岩国城を登城した後に行ってまいりました。
高速道路の脇の道を登るとすぐに駐車場がありそこに止めて歩きました。

そしていきなり「なしの丸?有の丸?」という不明な郭あとが。
いきなりの掴みになんじゃそりゃなんて思いながら進んで行くとすぐに石垣が現れる。
説明板があって石に刻印があるとのこと。
すぐに発見。あちこち刻印探しに没頭(笑)
そのうえ、石を切り出すために利用した鏨の跡が無数にあるではないですか。
いやーこれは良いものを見せてもらったなと本丸の方へ行くと立派な石垣造りの枡形虎口に凄いと声が出たその時、虎口を抜けて天守台を見た時の感動。
「なんだこれは!」こんなに間近で立派な石垣はなかなかお目にかかれません。
そのうえそこから海への眺望。
柵の上になぜか誰かが置いた栗が二粒(笑)
その二粒が景色を楽しんでいるようで微笑ましい。

その後、本丸を降りて歌碑をスルー(すみません興味が無くて…)して下方からの石垣を撮影して感動!
タモリさんが石垣を好きだと言われて興味を持ち始めたこの城巡り。
わたしの中での現時点1位の石垣は間違いなく亀居城です!
ぜひ皆さん見に行ってください。
ちなみにわたしは日が暮れるまで景色も含めて堪能してしまいました。

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たか

南九州の山城はやはりすごい (2024/10/07 訪問)

シラス台地での山城第2弾。
知覧城に続いて志布志城を攻城しました。
やはりシラス台地の山城は空堀内を歩くと両サイドの切り立った土壁に圧倒されてしまいます。
知覧城もそうでしたがここも元は今よりも7m程度は深かったとありました。
これはとてもじゃないですが壁を登ることは不可能でしょう。
ですがここは肝付氏や楡井氏、島津氏と奪い合いをしたのですよね。
はたしてどうやってこんなところを攻め落としたのでしょう?

内城の本丸に行ってみたところ、しっかりと虎口があり、周りを土塁で囲っていました。
木があって見えませんが志布志港が見えたのではないでしょうか?
急な階段を下りながらゆっくりと下山。
降りたら小学校横にあった若宮神社に感謝のお参り。
その後松尾城の方へ。
こちらは案内に整備されていないので気を付けてとのことだったのですが、意外と道は悪くない。
入り口付近は過去には民家が数件あったんですね。
登ると楡井氏の石碑があってあまり苦労することなく攻城終了。
なかなか満喫することができました。

時期的に虫は大丈夫かと思ってましたが、残暑のせいかやはりまだ耳障りな羽音が聞こえます。
それが以外は森林浴効果でしょうかマイナスイオンを浴びて清々しい気持ちになりました。

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飛騨市

飛騨の山城ツアー ~江馬氏が見守る秋の高原郷~高原諏訪城跡から江馬氏下館まで~

飛騨市神岡町にある国の史跡「江馬氏城館跡」8つの山城のうち2箇所を巡るツアー開催!
帯曲輪や堀切などの遺構は目をみはるものがあります。紅葉の中、神岡の街を一望しながら江馬氏の興亡を紐解きます。

お昼は、江馬氏下館で巨石が並ぶ庭園を眺めて、殿様気分で神岡名物の蒸し寿司をいただきます。

歴史好き、山城好きにもお勧めのツアーです。


開催日
2024.11.9 (土) 雨天時中止

時間
09:00 – 13:00

開催場所
岐阜県飛騨市神岡町

集合時間  9時
集合場所 道の駅スカイドーム神岡

スケジュール
9:00  高原諏訪城跡へ

12:00 江馬氏下館にて中世の庭園を眺めながらの昼食

13:00 終了予定


料金
5,000円(ガイド料、入館料、昼食)

お申込み期限
2024.11.2 (土)

詳しくはこちらをご覧ください
北ひだの森を歩こう https://hidamoriaruki.com/

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飛騨市

飛騨の山城ツアー ~江馬氏が見守る秋の高原郷~高原諏訪城跡から江馬氏下館まで~

飛騨市神岡町にある国の史跡「江馬氏城館跡」8つの山城のうち2箇所を巡るツアー開催!
帯曲輪や堀切などの遺構は目をみはるものがあります。紅葉の中、神岡の街を一望しながら江馬氏の興亡を紐解きます。

お昼は、江馬氏下館で巨石が並ぶ庭園を眺めて、殿様気分で神岡名物の蒸し寿司をいただきます。

歴史好き、山城好きにもお勧めのツアーです。


開催日
2024.11.9 (土) 雨天時中止

時間
09:00 – 13:00

開催場所
岐阜県飛騨市神岡町

集合時間  9時
集合場所 道の駅スカイドーム神岡

スケジュール
9:00  高原諏訪城跡へ

12:00 江馬氏下館にて中世の庭園を眺めながらの昼食

13:00 終了予定


料金
5,000円(ガイド料、入館料、昼食)

お申込み期限
2024.11.2 (土)

詳しくはこちらをご覧ください
北ひだの森を歩こう https://hidamoriaruki.com/


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カズサン

南美濃未踏の城探訪5/7 福束城 (2024/10/14 訪問)

 八神城跡、移築門(眞福寺)を終えて、西北西に約7.2km程、木曽川沿いから長良川を渡り揖斐川東岸側の福束城跡(福満寺)を初探訪。

 駐車場:無し、福満寺南の白髭神社参道南のジャリ空スペースに一時駐車( 35°17'53"N 136°37'21"E h=0m)
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップに依る。

 一時駐車した白髭神社を参拝して、揖斐川東堤防下の道を北に移動し福満寺西裏より入り、「丸毛兼利と福束城の戦い」グーグルマップ史跡マーク地点の、「関ケ原の戦い、丸毛兼利と関ケ原の戦い」の解説板を訪ね解説を読み写真撮影、木曽川三川改修で遺構は無くなっているようですが、解説板の内容と図説で往時を偲ぶ。 西軍に属した福束城・丸毛兼利は関ケ原の前哨戦南美濃掃討戦で東軍に敗れて落城し大垣城に敗走した。関ケ原後、丸毛兼利は加賀藩前田利常に仕えたと、解説板に記載されている。
 東本願寺派福満寺に参拝して周囲を見渡し終わりとする。

 次は揖斐川を渡って養老山脈?山麓にある津屋城を目指します。
  
 

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todo94

秋の乗り放題パスでの攻城④ (2024/10/13 訪問)

秋の乗り放題パスの二日目、この日は11:30に三宮献血ルームminamoに献血の予約を入れてあったので、兵庫県へと向かいます。まずは、塚口城。イオさんが投稿されているスポット、ほとんどかぶっていますね。この3連休は非常に天気に恵まれたのですが、門跡に建つ祠はかなり逆光になっていて撮影には難渋しました。また、この日は塚口神社の秋祭りにあたっていまして、祭り装束の皆さんが行きかっていました。正玄寺は閉まっていましたが、朝一での城攻めは正解だったと思います。

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トク

横から口出ししてすいません

辰兵衛さん、赤い城さん、横から口出ししてすいません。
もしかしたらこれかな? と思ったのでつい・・・間違っていたらすいません。

私の(23人目)石田三成からです。
佐吉(=三成)は、秀吉の小姓として初めてここ長浜城で仕え始め、そしてあそこに見える佐和山城が最後の居城となったのが、何かとても私には不思議な光景に思えました。そして左のホテルの後ろに、辞世の句に出て来る筑摩江があると思います。という事は、三成は亡くなる直前、ここからのこの景色を思い浮かべていたのかな~、なんて思った時の写真なのですが・・・🤔?

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いたち

EXPO初参加しました (2024/10/20 訪問)

出張! お城EXPO in 滋賀・びわ湖 2024に行って来ました。開場の10分前に着いたのですが凄い行列で、入場出来たのは、開場後30分経っていました。小和田先生の講義に間に合うかと冷や冷やしていましたが、何とか間に合いました。講義内容は私は楽しめましたが、予備知識が全く無かった家族にはつまらないと感じたようです。彦根城に行く約束で家族に付き合ってもらったので、彦根城へ行ってきました。壮大な敷地と立派な石垣、秋晴れでとても気持ち良かったです。数年前彦根城に初めて行った時、石垣の素晴らしさに初めて気づきました。まだまだ行っていない所ばかりですが、これからゆっくり城攻めしていくつもりです。

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赤い城

お手上げ・・・ (2024/10/20 訪問)

朝田さんのクイズ、全くわかりません。
そもそも城からの眺望なのか、もしくは城の超遠景なのかも。

手前のホテルっぽい建物と向こう側に見える造船所っぽいオレンジの建造物がヒントになるのでしょうか?
海は瀬戸内海っぽい感じもしますがわかりません。
引き伸ばすとなんとなく天守っぽい影も??

とりあえず勘で答えるしかなさそうです。
最近朝田さん下関に行かれてたのを思い出し、下関からの小倉城遠景にしておきます。

写真は関係ないですが昨日土佐に出かけ、黒潮本陣さんで食べた鰹のたたき定食です。
戻り鰹の旬で美味しかったです。
ここ、宿泊や日帰り入浴も可能です。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:村雨城 (2024/09/26 訪問)

望月支城(城びと未登録 滋賀県甲賀市)より自転車で5分ちょっとで、入口碑付近(34.914514、136.157194)に着きました。

村雨城の詳細は不明のようですが、「甲賀郡中惣遺跡群」のひとつとして国の史跡に指定されています。
戦国時代の永禄年間(1558~70)の織田信長の近江侵攻を背景に、甲賀武士は連合して「甲賀郡中惣(ちゅうそう)」という組織を作り、地域を支配しており。その城館の1つでした。
甲賀武士は近江守護六角氏の主力として活躍しましたが、1570年(元亀元年)野洲川の戦いで敗北し、信長の配下に入りました。
その後、羽柴秀吉の兵農分離により改易され、郡中惣は終焉を迎えたそうです。

甲賀特有の二城連結城で、村雨城を主郭として、寺前城を副郭としていたと考えられているようです。
城址には主郭部を囲んだ土塁のほか、食い違い虎口や切岸、堀切などが確認できます。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=寺前城へ自転車で向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:望月支城(城びと未登録 滋賀県甲賀市) (2024/09/26 訪問)

望月城より自転車で2~3分くらいで、登り口付近(34.917505、136.148816)に着きました。

築城時期は不明のようですが、室町時代、甲賀忍者の一族で甲賀五十三家の筆頭格だった望月氏によって築かれたようです。
1568年(永禄11年)に織田信長が観音寺城の六角氏を攻めた際、六角義賢・義治父子は城を捨てて甲賀へ逃亡しましたが、このときに頼ったのが望月氏でした。

望月城から谷を隔てて南側の尾根先にあります。
登り口から入って2~3m、主郭右曲輪の切岸が急すぎて自分には登れませんでした。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=村雨城へ自転車で向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:望月城 (2024/09/26 訪問)

竹中城より自転車で5分くらいで、山側の登り口(34.919260、136.150119)に着きました。

築城時期は不明のようですが、室町時代、甲賀忍者の一族で甲賀五十三家の筆頭格だった望月氏によって築かれたようです。
1568年(永禄11年)に織田信長が観音寺城の六角氏を攻めた際、六角義賢・義治父子は城を捨てて甲賀へ逃亡しましたが、このときに頼ったのが望月氏でした。

現在城址には堀切、横堀などが確認できますが、クモの巣だらけでした。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=望月支城(城びと未登録 滋賀県甲賀市)へ自転車で向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:竹中城 (2024/09/26 訪問)

甲南駅のレンタサイクルで自転車を借りました。
甲南駅より自転車で7~8分くらいで、民家垣根沿い北側の虎口(34.925720、136.159281)に着きました。

竹中城の詳細は不明のようですが、竹中氏の居城と推定されています。新宮城や村雨城とともに「甲賀郡中惣遺跡群」のひとつとして国の史跡に指定されています。

城址は竹藪となっています。土塁は確認できましたが、虎口や空堀は竹が茂っていてよくわかりませんでした。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=望月城へ自転車で向かいました。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:福地城 (2024/09/26 訪問)

柘植駅より徒歩30分くらいで、芭蕉公園入口(34.835459、136.247321)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、南北朝時代に福地伊予守によって築かれたと云われています。 福地氏は平宗清を祖とするそうです。
1581年(天正9年)第二次伊賀の乱で福地伊予守は、織田信長に与して伊賀侵攻の案内者となり、福地氏城には信長の家臣不破彦三を置きました。
伊賀平定の後に所領を安堵されましたが、裏切り者としていたたまれず、他国へ逃亡したそうです。

芭蕉公園として整備されています。松尾芭蕉はこの福地氏の一族であるため、「奥の細道」は幕府が芭蕉を隠密として旅させたものだともいわれています。
主郭は虎口に石垣を用い、高土塁で周囲を囲んでいます。
電車の時間がなく、攻城時間は15分くらいで引き上げました。次の攻城先=竹中城を目指す為、柘植駅から電車で甲南駅に向かいました。

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しんちゃん

江馬氏城郭群の西の端 (2024/10/13 訪問)

政元城は江馬氏城館群の一角を成す国の史跡です。比高は40m程度で山城では無く平山城の部類とされ、登城がもっとも容易な城郭です。
主郭の南西には堀切があり橋が架けられています。南にも郭が設けられていますが全体的に小規模な城址で、江馬氏城館群の中では最も西の外れに築かれていることから、数河街道や越中東街道を見張る監視用の砦の様な物と考えられているようでうす。

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