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ミッピのパパ

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で知った御着城 (2021/03/29 訪問)

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で御着城のことを知り、念願かなって訪れてみた。
” ここに昔、御着城がありました ” という碑があるくらいで、残念ながら城の痕跡を
垣間見るものはなかった。

でも、現場で城主の小寺政職(こでらまさもと)を演じる片岡鶴太郎さんの顔が
ちらつくのはなぜだろう。

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カズサン

安土城にそっくり直登大手道 (2014/05/04 訪問)

 名神高速道を何回となく上り下りし車窓眺めてる小牧山城ですが7年前の5月連休に平成大修理で修復成った伊勢亀山城を探訪散策終えて小牧山城を初登城しました。
 車は麓の駐車場と狙い走行するも入れず小牧市役所駐車場、隣接の商業施設駐車場と廻り昼食を兼ねて商業施設の駐車場を利用。

 昼食後、直登で有名な大手道からスタート、大手道を登り切った所から曲がりくねって本丸、天守曲輪へ天守閣風の歴史館を見学、本丸周辺は発掘調査中、発掘後の調査結果展示が所々地表表示さる、来た道を戻り大手道の上部より桜の馬場経由発掘調査後復元整備されてる史跡公園を探訪散策、小牧山全体が城域ですが全てを観察するのは大仕事です。
 大手道を見た時には安土城の大手道とは小造ですが同じ思想を感じました、天気も良く本丸の歴史館からの眺望、史跡公園散策とゆっくりさせて頂きました。

 古い投稿で同日重なり「だめなこ」さん ごめんなさい。投稿観てますよ❣

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小城小次郎

尊徳さんの治績 (2020/12/19 訪問)

小田原藩から分知された旗本・宇津(大久保)家の陣屋だが、荒廃した田畑を見事復興した二宮尊徳(今風に言えば再建請負人?)の治績を残す地としての評価があまりにも高く、戦前に国史跡の指定も受けている。

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だめなこ

山の上のお城\('ω')/ (2021/04/03 訪問)

先週ゎ足が痛かったし
時間もなくて行けなかったから、
今週またチャレンジしに小牧山城へ\('ω')/


アスファルトだからフツーにお散歩出来るけど
落ち葉が凄かったりで
滑ってこわいところもあったけど
横道が結構あって色々歩けたし楽しかった♪

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ヒロケン

金鯱は何処? (2021/04/03 訪問)

「伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張名古屋は 城でもつ」と歌われた名古屋城は江戸幕府御三家筆頭、尾張徳川家61万9500石の居城です。(尾張初代藩主 家康公の九男 義直公)
 関ヶ原合戦を制した徳川家康公は1609年旧城跡(那古野城)を拡大しての築城を命じ、牧助右衛門が検知縄張りを行い、西国の大名20家が築城に関わった「天下普請」です。
現在は、名古屋空襲で焼失を免れた、西南隅櫓・東南隅櫓・北西隅櫓・表二之門・旧二の丸東二之門等が国の重要文化財に指定されています。また、本丸御殿が再建されるなど、見所の多い御城です。

現在、天守閣の木造復元が進められており、天守閣の最上階に聳えていた「金鯱」が地上に下ろされ、二の丸にて公開されているとのことで、見学に行ってきましたが、4月2日で公開が終了されており、見学することができませんでした。((+_+))
また、鉄筋コンクリートで復元されている天守閣にも耐震性の問題で、入館できません。((+_+))ですが、圧倒的な壮大さと、圧倒的な華麗さで何度見ても、引き付けられずにはいられません(*^▽^*)。また、高くて長大な石垣・深くて広い堀・華麗で優美な三棟の隅櫓が彩を飾り、1年2か月ぶりの訪問ですが、何度来ても飽きさせません(*^▽^*)

この日、野暮用で名古屋に来ており、早めに用事が済んだことから、密を避けるため敬遠していた名古屋城に行くことを決め行ってきました。4月3日多くの出店が出て多くの人でがあり、本丸御殿には1時間待ち、特別公開されていた西南隅櫓は30分待ちと、どちらも諦めましたが、公園内に咲いていた桜が綺麗で御城と合わせ十分に満足できる訪城でした。

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織田晃司

円通寺より (2021/04/03 訪問)

10分程で主郭にたどり着きますが多くの郭を回っていると1時間はかかるでしょう。

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織田晃司

大堀切まで車で (2021/04/03 訪問)

登る事ができます。
大堀切から15分程で主郭にたどり着きます。

林道のそばに畝状竪堀群があり、南側の遺構も合わせると広大な城跡となってます。

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todo94

リニューアル城カード (2021/03/26 訪問)

リニューアル城カードのゲットを目的に松江城へ。入城料をEdyで支払おうとしたところ、カードが見当たらない。昼食を購入した石見銀山のローソンのセルフレジに置き忘れてきてしまいました。城カードだけ購入して慌てて80km以上も戻ることになってしまいましたのでこの日の攻城はこれでおしまい。国宝天守周りの桜がきれいに咲いていたのでのんびり楽しみたかったなあ。残念。

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昌官忠

東京近郊11城巡り⑥:烏山城 (2021/04/01 訪問)

東京近郊11城巡り6城目は烏山城です。
千歳烏山駅から徒歩5~6分くらいでに烏山神社鳥居前(35.668142、139.605684)着き、その後、世田谷文学館(35.666882、139.608510)に向かいました。

烏山神社付近はかつて半城塞寺院だったと言われる泉沢寺(現川崎市)があったそうです(神社内の案内板にも記されています)。
泉沢寺は世田谷城城主でもあった吉良氏ゆかりと伝えられています。
後北条氏が、同じく近くの深大寺城の扇谷上杉氏の備えで近くの豪族であった高橋氏をこの地に烏山砦を築かせ守らせたと言われているそうですが、明確なことはあまりわかっていないようです。

烏山塁(烏山砦)は時代的に前期と後期に分かれ、城址の場所も少し異なるようです。
しかしいずれも烏山川上流部の低湿地に面した微高地に築かれたとされています。
前期の城址は世田谷城の吉良氏により築かれ、川の西岸に面した烏山神社の境内地にあったとされています。
後期の城址は江戸城の奪還をうかがう深大寺城の上杉氏に対抗する為、北条家重臣の高橋氏により東岸のウテナ本社付近の緩い丘の上に築かれたようです。

土塁などの遺構はなにも無いが石碑はありました。
世田谷文学館横の芦花翠風邸門前に「あしたのジョー」展の案内がありましたが、~3/31(昨日)まででした。自分の少年時代のヒーローです。懐かしい、見たかった、白く燃え尽きた。
攻城時間は20分くらいでした。

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昌官忠

東京近郊11城巡り⑤:金子氏館 (2021/04/01 訪問)

東京近郊11城巡り5城目は金子氏館です。
狛江入道館より徒歩27~28分くらいで島屋敷遺跡解説板前(35.673647、139.573923)に着きました。

築城年代は定かではないが、金子時光の居館があり、天正年間(1573年〜1592年)には金子弾正がいたといわれています。
江戸時代には柴田勝家の孫柴田勝重が徳川家康に仕えて三千五百石の旗本となり、1614年(慶長19年)頃に陣屋を構え、1698年(元禄11年)頃まで続き、柴田氏転封の後には代官所として利用されたようです。
その当時の様子が周囲の低湿地に囲まれ島のようだった事から島屋敷と呼ばれたそうです。

島屋敷は現在の新川団地の辺りに築かれており、発掘調査によって中世から近世の遺構が検出され、団地内にはそれを示す案内板が設置されています。
攻城時間は5分くらいでした。

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サトシ城

神社じゃない! 城だ! (2021/04/03 訪問)

甲府駅からまっすぐ伸びる道の先にある鳥居がよく写真で使われてますが、そこはなかった物で、大手門は右側です。
見所は、息子にために作った西の曲輪です。枡形小口がいい形で見られます。土塁の上をぐるっと歩けるのも素晴らしいです。

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朝田 辰兵衛

来迎寺城(新潟県長岡市) (2021/04/03 訪問)

【らいこうじ じょう】JR来迎寺駅の南西約1kmに位置します。登城口は安浄寺。安浄寺鐘楼ワキから墓地へと道が整備されています。その墓地を抜けると来迎寺城の城域です。GW過ぎからヤブ化していくので,雪解け後の今が旬です。
歴史的には,この城の城主であった青木主馬重勝は美濃の出身で,永正年中に越後守護・上杉民部大輔房能を慕って入封。御館の乱では景勝方につき,功をたてたとのこと。後に秀吉に仕え,朝鮮の役では加藤清正に属し渡海して武功を上げたそうです。『温故の栞』より。

《しりとり業務連絡》(←おぉっ,なつかしぃ~!)
todo94さんが「周布城」をしりとり回顧の宿題登城されており(…たぶん),感化されました。
来迎寺城は,超貴重な「ら」のフォロー手札となります。
また,ぴーかるさんが津和野城の尾根伝いの「中荒城」を攻城されたとのこと。これは300名城に「荒戸城」が入ってきたら有効な「荒」アプローチ手札です。私も実は机上調査済で,今年の11月に攻城を予定しております。鷲原八幡宮から中荒城を目指し,尾根伝いを約30分歩いて津和野城かな…と計算しております。その後,高速バスで萩城へ…。ぴーかるさんのレポート期待しております。

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スティクラ

葛城山→金剛山→千早城跡 (2021/04/03 訪問)

今年最初の城跡訪問。千早城は楠木正成公が兵力差で劣りながら鎌倉幕府を迎え撃った城。城がある金剛山は勾配がきつい場所が多いため攻めるのは難しかっただろうと推測。

金剛山では物足りないと思ったので、葛城山からダイヤモンドトレールで金剛山へ。葛城山の下りと金剛山の上りで体力の限界にたっし、下山はロープウェイで帰ろうと思ったが、なんとロープウェイでずいぶん前から老朽化のため、運休に。(廃線になるらしい…)
金剛山の頂上1時間くらい滞在し、うどんやソフトクリームでなんとか体力を回復。
金剛山の下山途中に千早城跡があるので別ルートで城跡へ下山。

千早城の面影はほとんどないが、ところどころに置かれている人形がなんか不気味だった(笑)。

下山し100名城スタンプと御城印がある山麓のまつまさへ。
購入し、バスで富田林駅に向かい帰宅。
久しぶりの登山で2つを登るのは無謀だった。
次は計画的に行きたい。

今回のルート
①近鉄御所→葛城山(約1時間20分)
②葛城山下山(金剛山方面)(40分)
③金剛山登山(2時間40分)※通常であれば2時間くらいかも。
④金剛山下山(千早城跡経由)(1時間)※通常であれば40分くらいかも。

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山城昇

鬼の棲む城?

登ってはいませんが、下から見ても岩山が圧巻の凄い山城。
今度機会があれば登りたいです

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チェブ

しばし 御待ち下され!鳥居 強右衛門殿! (2018/12/28 訪問)

只今、『みんなの投稿巡り』の毎日です。
皆さんのワクワクするような、紹介文と写真を拝見して楽しんでいます。
ありがとうございます(*´-`*)

戦仕度がまだ整ってないので少し前に、東京の端っこから名古屋に出陣した時に寄った「長篠設楽原PA」を紹介します。
新東名高速道路の下りにあります。
いつもの如く、予習はしていないので寄ってから『織田信長本陣跡』がある事が分かりました。
真夜中ですが目が覚めました!
小高い丘の上の本陣まで、整備されていて夜中でも楽々 歩けます。
長篠 設楽原の合戦の緊張感は公園化され感じません。
でも、みんな 教科書にも載ってる 長篠 設楽原の合戦を思い出すんじゃないでしょうか。
そーいえば、私は日本史の教科書の信長さんにサングラスを落書きしました。ザビエルさんもひどい姿にしてしまったような、、、。
と、ドライブの最中のネタになります。

馬防柵もあり、敵が武田家だと思い出し、いつか武田 勝頼本陣跡があるなら行ってみよう!と思いました。
『長篠設楽原PA』は建物も戦国風で、レプリカの鎧等々の展示があります。
おしゃべりする自販機があり、またもや目が覚めます。
私は長篠 設楽原の合戦と言えば、鳥居 強右衛門さんの勇気ある行動が好きです。
「長篠城」に行ったら褒め称えます。
私の教科書には、鳥居 強右衛門さんが載っていませんでした。
張り付けの強右衛門さん。どうか、落書き されませんように、、、。

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刑部

お墓参りの帰りに (2021/03/28 訪問)

お墓のある場所からは関宿城天守が見えます、お墓参りの後 車を置いて歩いて関宿城へ。車通行不可の橋を2本渡り城址公園の桜を見て周りました。約1時間の散歩でした。

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ぴーかる

津和野城 (2021/03/14 訪問)

【百名城57城目】
<駐車場他>リフト乗り場下る無料駐車場
<交通手段>車

<見所>石垣・堀切・馬場先櫓・物見櫓
<感想>1泊2日中国地方西部の旅2日目6城目。先に麓の藩庁跡にある現存の物見櫓・馬場先櫓・藩庁門跡を見て後リフトにて山頂の城跡に行った。北にある織部丸は工事中で入れず残念だった。いよいよ城跡前まで来て雨男、突然の雨に見まわれたがちょうど建設中の東屋に避難して30分程雨宿りした。城跡東門跡一帯も工事中で一部立入禁止となっていた。西門跡周辺には瓦片が散乱していました。台所の郭には土塀の控え柱が残っています。山頂の三十間台と呼ばれる広い郭が本丸となっており、北側に1段下った所に天守台があり特徴的。太鼓丸・人質櫓の高石垣も見応え十分。門跡の石垣3箇所も見応えあります。南門から南に下るとすぐ土の要塞南出丸(この次に別途投稿します)、さらに南に中荒城(城びと未登録)(次々回投稿)がありここはお勧めですので津和野城に行った際には是非お立ち寄りを。

<満足度>★★★★☆

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にのまる

多摩の山城一気攻めの① (2021/03/17 訪問)

 武蔵五日市駅起点の山城3城がこの日のターゲット。檜原城がいちばん遠くで秘境だったらどうしよう…と少し不安でしたが、麓の吉祥寺のあたり(本宿)は役場やコンビニもあり檜原村の中心部のようでした。

三ツ鱗が北条氏の故地であることを物語る吉祥寺の十三仏巡拝入口アーチが登城口。ところどころにある分岐道が十三仏へのアプローチになってたのでいくつか寄りながら登りました。仏さまの方への道は険しめのところもありましたが山頂への登城路はひたすら歩くものの危険と感じるところはありません。山裾ではびろーんと広がっていた竪堀も登るにつれてだんだんとそれらしくなってきて、がんばれー!と励まされている気分。

 山頂は標高449メートル(比高200メートル)。天下取ったどーの眺望、連続する袖郭、その先の堀切。南郭と北郭の間の土橋からずどーんと落ちる竪堀。小さな空間に見どころが凝縮されていました。「攻め手を足止めさせる役割をもった境目の城」というのも実際にこの場所に立つとイメージがよく湧きます。

 久しぶりの初訪問の山城(戸吹城は除く)で、満足のいく心地よい時間を過ごせました。

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昌官忠

東京近郊11城巡り④:狛江入道館 (2021/04/01 訪問)

東京近郊11城巡り4城目は狛江入道館です。
深大寺城より徒歩12~13分くらいで晃華学園門前(35.663630、139.560511)に着き、その後、里の稲荷神社(35.661700、139.559053)に向かいました。

詳細不明ですが、武蔵七党狛江入道増西の屋敷と伝えられています。
狛江氏は、西党の有力分家由井宗弘の次男二郎にはじまるとされるが、詳しい系譜は明らかでないようです。
狛江入道増西(道西)は、1208年(承元二年)に武蔵国威光寺の寺領に狼藉をはたらいたとして、『吾妻鏡』に記録がある人物だそうです。
他方、館跡南西中腹にある「里の稲荷」は、佐須村名主温井三郎左衛門の先祖とされる佐須豊後が建造したものと伝えられています。
佐須豊後は、村の鎮守虎狛神社の謝辞であったとされるが、出自など詳細は不明だそうです。

女子高はおじさんにはハードルが高いので、生徒のいない学校の春休み期間を狙って攻城しました。
校門付近をカメラを持ってウロウロしていたら、門横の守衛室のおじさんがこちらを見ています。
私は不審者ではありませんと心で叫びながら、校門の写真を撮って里の稲荷神社に向かいました。当然、敷地内の石碑の写真は撮れませんでした。
攻城時間は15分くらいでした。

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昌官忠

東京近郊11城巡り③:あいていない深大寺城 (2021/04/01 訪問)

東京近郊11城巡り3城目は深大寺城です。
調布駅より徒歩25分ちょっとで水生植物園入口(35.666443、139.551285)に着きました。

深大寺城の築城年は不明ですが、16世紀には扇谷上杉氏が北条氏に対する南武蔵の防衛ラインとして使用されていたようです。
1530年(享禄3年)6月、上杉朝興は深大寺城に、北条氏康は多摩川対岸の小沢城に陣を敷き、小沢原で合戦になりました。
1537年(天文6年)には上杉朝定が難波田弾正広宗に命じて深大寺城を増築させています。
しかし、北条氏綱が深大寺城を迂回して扇谷上杉氏の本拠である河越城を攻略したことにより、戦略的価値が失われ廃城となりました。
北条氏による改修が行われなかったことで、数少ない「扇谷上杉氏の城」としての遺構が残されています。
現在、城址は神代植物公園の附属施設である水生植物園となっており、空堀や土塁を確認することができます。

開園の30分前の9:00に着いたので、開くまで深大寺近辺を散策し、食事処は開いてはいないので、お蕎麦は諦めてゴマ団子をいただきました。
9:30をすぎても門は開きません。散歩中の方に確認したらコロナの関係でやっていないとのこと。
確かに門に「12/26(土)~当面の間」の張り紙がありましたが、去年の12月から休園中なんて、他のお客さんもビックリでした。
仕方がないので、写真は水生植物園外から撮った園内の写真と深大寺近辺を散策した際のものを投稿します。
攻城時間は40分くらいでした。(付近の散策時間です)

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