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RARA

ご先祖様 (2015/02/27 訪問)

ご先祖様のいらっしゃったお城に思いをはせています

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RARA

ご先祖様 (2014/09/23 訪問)

ご先祖様がいらっしゃったお城に
思いをはせています。
どんなことを思い 事を解決して生きていかれたのか、廃藩置県の時どんな思いで、ご両親と別れ遠いところへ行ったのか。

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ぴーかる

神楽尾城 (2019/12/28 訪問)

【神楽尾城】
<駐車場他>神楽尾公園駐車場を利用するといいです。私は不精して登城口周辺が畑を切り開いているので、畑の間に車を停めました。
<交通手段>車

<見所>馬場・曲輪・虎口
<感想>城跡にある説明板の抜粋・まとめるとこの城は「室町時代、山名氏と赤松氏が戦いをくりひろげましたが、その後1566年毛利元就が尼子義久をやぶると、毛利方のだいじな城として2人の武将が守っていました。その後、宇喜多方の花房職秀との戦いに負けて落城したといわれています。」とあります。

 城は尾根を切り開いた典型的な中世山城で1~3の曲輪群に分かれていて規模は大きい。登城口から行くと土橋・切通しを通って二の曲輪群に入る。二の曲輪群の中心曲輪は仕切り土塁があり櫓跡の表示があるが遺構はよくわからず。次に広く長い馬場に入って三の曲輪群は中心に円形の削平地に帯曲輪で囲んでいる。虎口は整備され明確。一の曲輪群は山頂に本丸、多数の腰曲輪を配して、一の曲輪群入口に馬場と繋がる広い武者溜りの曲輪がある。本丸は「山の頂上をスパット切りました」といった感じの形の円形の曲輪で中心に櫓台の土塁が残る。案内板の縄張り図にある泥田堀というのは堀というより谷になっています。三の曲輪・一の曲輪にある竪掘り群は笹で埋まっており遺構は全くわからずでした。
 一応ハイキングコースになっており、運動で山頂の往復をされている地元であろう年配の方が何名もおられました。登城後車で下山していくと狭い山道、途中側溝にはまってしまっている車があり対向車が数台つまっていましたが、ちょうど手前で切り返せるスペースがあり、地元の方に別ルートをおしえてもらい助かりました。

<満足度>◆◆◆

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イシテル

本丸の周りに築かれた多くの竪堀 (2020/01/18 訪問)

本丸郭の周辺は多くの竪堀で囲まれ、これだけの竪堀が綺麗に残る山城は初めて。
竪堀と畝が繰り返し畝堀となっているのが圧巻です。
竪堀群を廻りながら最後の斜面を登ると、土塁に囲まれた本丸郭に到着。
足軽になったつもりで竪堀の中で登ったり降りたりしていると結構疲れました(翌日、足がだるだる)。
午前中、郡上八幡城を廻り、郡上八幡駅から長良川鉄道に乗り、徳永駅で下車。
駅から約2kmを歩いて篠脇城の登城口へ到着。そこから本丸までは700mの山歩きですが少し急な山道です。
でも登城道は木の階段で整備していただいており、歩き易い登城道でした。
整備いただいている地元の方へ感謝致します。

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イシテル

最古の木造復建天守 (2020/01/18 訪問)

郡上八幡城は、明治4年(1871)の廃藩置県とともに廃城となり、石垣を残してすべて取りこわされ、昭和8年(1933)に当時の大垣城を参考に再建された日本最古の木造復建天守閣。復建模擬天守ですが、歴史のある木造建築が重厚な趣を感じさせられます。
今回2回目の登城。前回は美濃太田駅から長良川鉄道で郡上八幡駅へ行き、城下町を歩いて登城しましたが、今回は岐阜駅から高速バスで郡上八幡へ行き、郡上八幡城下町プラザで下車、車道を歩いて登城。長良川の景観を味わいながら長良川鉄道の列車旅も良いですが、高速バスは当日の利用客は5名程度、1時間15分程度で到着。長良川鉄道が岐阜駅から美濃太田駅乗換えで約2時間、今は外国人観光客で満席状態なのを考えると高速バスもお勧めです。

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はる

松江城の紙芝居 (2019/12/21 訪問)

お城EXPOで、松江城の紙芝居を見ました。
とっても面白かったです。
忍者ジャンケンもしました。
負けてしまって残念でした。
前から松江城に行きたいと思っていたけど、もっと行きたいと思いました。
お父さんとお母さんに、お願いしてみようと思います。

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はる

まっすぐできれいな石垣 (2020/01/13 訪問)

まっすぐに揃ったきれいな石垣でした。
石も、とっても大きくてびっくりしました。
きっと、寝転んだぼくの3人分くらいの長さがあると思います。

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はる

江戸歴史散歩コーナー (2020/01/14 訪問)

江戸城に行く時に、市ヶ谷駅の中で『江戸歴史散歩コーナー』を見つけました。
地下鉄を作る時に発見された、江戸城外濠の石垣とか、古地図とかがあって、色々見ていたら、30分も経ってました。
地面の大きな古地図を見ながら、色んなことを想像するのが楽しかったです。

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ヒロケン

但馬 八木城 (2014/10/25 訪問)

八木城は八木氏時代に本丸、二の丸を中心に東西、南北四方の段丘状に削平地の曲輪を並べ、この主要部分に別所重宗時代に高さ9.4m、幅50mの野面積みの石垣を張り付けた。城域は東西340m×南北260mある。本丸の北西に天守台、南東隅に櫓台、東隅に枡形虎口も設けられた。西側は虎口のみ石垣が積まれている。本丸の周囲には帯曲輪を巡らせ、八木土城に向かう方向には幅15mの堀切、南側には7段の曲輪、南西には6段の曲輪、北側には3段の曲輪が配置されている。(Wikipediaより抜粋)

2014年現在(古くてm(__)m)でも、本丸台、曲輪と土塁、食い違い虎口跡、井戸跡、そして野面積みの石垣が良好に確認できます。

周辺に駐車場はなく(2014年現在)、町の公民館らしきところに車を駐車し、登城しました。(記憶が曖昧で、撮った画像より推定) 登城後、車に乗り込んだところ、態々、横の民家の方が八木城のパンフレットを持って出て来てくれてパンフレットを頂きました。八木城とどの様な関係の方か分かりませんが、車を止めてあったのを見て、来てくれたのだと思います。ありがとうございました。

年が明けて名古屋城に行ったきり、何処にも行けてません(涙)、寒いし、週6勤が続くし、年末、年始で金を使い果たし金ねーしで、テンション下がり気味。そんな時、ぴーかるさんの「ヒロケンさんの投稿を見て・・」という言葉を読んで、凄く励みになりました。
ぴーかるさんありがとうございます。大分、古いですが、戦国後期の大好きな山城・八木城を投稿させて頂きます。(ぴーかるさん行かれてますね)

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和田惟政 (2020/01/18 訪問)

 入口に説明版があり、登城路は整備されています。
主郭は方形で周囲に土塁を巡らしていますが、高さが場所により異なります。標識は各所にありますが、主郭内は藪になりつつあります。他に支城、屋敷跡がありますが、今回は行っていません。

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上野主膳正 (2020/01/18 訪問)

 土塁、横堀、堀切などを見ることができますが、特に土塁は迫力があります。
油日駅より歩いて5分くらいの所にあります。
道沿いに案内が出ていて登城口はわかりやすいのですが倒木などあり歩きにくい所もありました。別のルートから降りました。歩きやすい道でしたが出口にロープが張ってありました。

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滝川一益ゆかりの城 (2020/01/18 訪問)

 油日駅より徒歩にて登城しました。
尾根の先端部に築かれている城址です。土塁、堀切などを見ることができますが、藪となっている所が多く見学しにくかった。主郭には池らしきものがありました。近くに滝川西城、滝川支城がありますが、今回は行きませんでした。

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高尾城 (2020/01/17 訪問)

 甲賀市鮎河地区には4つの城跡があり、そのひとつです。
鷹尾山地蔵堂の墓地横より登りました。
鮎河城ほどではありありませんが、登るのがやや難渋しました。主郭や帯曲輪などあります。竪堀、畝状竪堀と表示ありましたが、よくわかりませんでした。主郭の真ん中に獣除けのフェンスがあり見学しにくかった。

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北西ルートから (2020/01/17 訪問)

 城域は整備され歩きやすい。土塁、横堀、堀切などが残っていて見ごたえがあります。石垣の痕跡らしきものが残っていました。
「YAICHI]さんの投稿を参考に北西の林道方面から登城しました。獣除けのフェンスを開けて舗装された道を行くとカーブの所で未舗装の道路が直進してあります。この道を行くと城の北部に到達します。

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表示はありますが (2020/01/17 訪問)

 道沿いに鮎河城の案内板があり、登城口はわかりやすいのですが、途中から直登となります。比較的新しい案内標識が崖の途中に立てられていましたが、道はよくわかりません。崖を降りて行く自信がなかったので、下山するときには尾根を降りて行きました。正等院跡へ向かう道があります。そこを進んでいくと比較的楽に降りられました。ただ登るときにはこの道はわからないと思います。主郭周囲の表示も比較的新しいようですが、道は整備されていません。
主郭と南北に横堀を確認できます。堀切と思いますが表示は横堀でした。

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甲賀地方では比較的大きな城 (2020/01/17 訪問)

 比較的大きな城域を持ち、甲賀の他の城で見られるような単郭方形ではなく複雑な縄張りをしています。土塁、掘切、横堀、石垣、雁木などを見ることができます。
よく整備されていて、歩きやすい城址です。
貴生川駅からコミュニティバスに乗り鮎河口で降りました。(250円) バス停から歩いてすぐの所の獣除けフェンスに案内があります。獣除けフェンスを2つ通過すると、すぐに「大手道」の登城ルートの立て札があります。

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カズサン

高城川合戦で有名な高城 (2016/10/24 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会参加後九州城探訪、伊東氏と島津氏との攻防、島津氏と大友氏との攻防は特に有名で高城川合戦(耳川合戦)大友氏が大敗、島津氏と豊臣氏との攻防で島津氏は敗北するが高城は大友氏、豊臣氏には落城せず堅城を誇っていた。
 東に延びた舌状台地を活用したい城郭で東端の本丸までの尾根筋に1から5の空堀を設け麓までの竪堀に繋がってる現在は橋が架かり通路に成ってる、本丸には模擬天守風の展望台が有る
 駐車場は本丸下段に有り手短に探訪できる山城です。

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刑部

上杉謙信 奪回の城 (2020/01/16 訪問)

行く途中から関東管領 平井城の旗が沢山あり城址が直ぐわかりました。 駐車場・案内板が立ち並び地元で親切にアピールしてます。

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勝野武士

いざ、信貴山へ!(short ver.) (2019/09/07 訪問)

『城びと』の皆様、お久しぶりですm(_ _)m
前回の投稿から、実に四ヶ月以上…もう忘れ去られているかもしれませんが、今年もどうぞ宜しくお願いしますm(__)m

さて、本年一発目の投稿は、昨年9月に登城した信貴山城です。
信貴山城といえば、『稀代の梟雄』松永弾正久秀の居城として、また壮絶な最期を遂げた事で有名ですね。

今回は初めての信貴山。
信貴山は元々聖徳太子が物部氏との戦(丁未の役)に臨み戦勝祈願をして以来、今日まで一千四百年以上人々の信仰を集め続ける朝護孫子寺の境内であります。
信貴山城を最初に築城した(古代山城の高安城を利用したとも?)のは南北朝時代、楠木正成といわれていますが真偽は不明。戦国時代に木沢長政が信貴山上に築城し、永禄二年(1559)に松永久秀が大改修しました。
信貴山頂(雄嶽)を本丸(三層の天守?)として、大和國を牽制するかのように山頂から尾根を中心に扇状に無数の郭群を展開し、雌嶽や朝護孫子寺も取り込んだ大城郭だったようです。
織田信長によって落城したのは天正五年(1577)。久秀による大改修から18年後の事でした。

先に書いておきますが…すみません、朝護孫子寺を隅々まで堪能し過ぎました(汗)。
山頂へ向かおうとしている時間はすでに午後3時を過ぎていましたので、急いで本堂近くの虚空蔵堂横からの石段から、山頂の空鉢護法堂を目指しました。

約700mの九十九折れの山道を登り詰め、山頂に近づくにつれて郭跡らしき平坦地が所々にあります。

途中、雌嶽方面に別れる山道がありますので、まずはそちらへ。結構すぐに雌嶽山頂に着きます。
山頂には小規模ながら細長く明瞭な郭跡を見ることができます。

そして山頂へ。空鉢護法堂の手前、一段下がったところに石碑と説明板が設置されています。
山頂の空鉢護法堂一帯が本丸、そして久秀が平蜘蛛の茶釜とともに自ら爆死したという三層の天守があったとされるところです。
境内地ですので往時の面影を探るのは少々難しいですが、空鉢護法堂が一段高いところに建っていますので、なんとなくイメージ出来る…かも。
山頂の見所はやはり、久秀もかつて天守から目にしたであろう絶景でしょう。山道を急ぎ目で登ってフラフラの身体には眼福であり、澄み渡るそよ風が心地良かったです。

信貴山城はほとんど石垣を使用しない『土の城』だったようで、面影を探るにはやはり郭跡を堪能しましょう。山頂から少し下ると夥しい郭群を見ることができます。
中腹には久秀の日常生活の場と推定されている『松永屋敷跡』があり、城内でも最大の敷地面積を誇るとか。
そんな城跡内一番のメインであろう『松永屋敷跡』に向かおうとしましたが、この時点で午後4時40分…いよいよ薄暗くなってきたわ帰りのバスの時間も迫ってきたわで、ここまできて無念ですが、泣く泣く断念しました…。
松永屋敷跡、いずれリベンジします…(;´д⊂)

以上、隅々まで見ることが出来ませんでしたが、実際に訪れてみると思ってた以上に大規模な山城でした。
是非とも朝護孫子寺とセットで、マイカーで行くのがベストですが、ケーブルカーやバスなどで行く場合は夕方で便が終わっちゃうので、出来るだけ朝早くから訪れたほうが吉です。

そうそう、空鉢護法堂横の管理棟には、なんと本物の白蛇様がいらっしゃいます。堂守のご夫婦に申し出れば、見せていただけるかもですよ。
ちなみに私は見せていただけましたが、丸まって眠っておられました(^_^;
もっとも今は冬眠中な為ダメだと思いますが、ご興味のある方は如何でしょうか(笑)?

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響ちゃん

曇り (2020/01/18 訪問)

富士山見えなかったぽい

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