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チェブ

初詣の大渋滞。 (2020/01/02 訪問)

富士宮焼きそばで有名な富士宮市の「大宮城」で大渋滞にはまりました。
私が行ったのは1月2日。
近くに富士山本宮浅間神社があり、初詣の方々の車と同じ方向なので大渋滞に同じように、はまりました。
あの渋滞の中で「大宮城」に向かっていたのは私だけだったと思います!

富士郡の国衆、富士氏により築城しました。
もともと今川氏の家臣でしたが、武田 信玄さんの駿河侵攻の際、降伏しました。
ちなみに、富士山本宮浅間神社の大宮司は富士氏だったそうです。
もしかしたら神社も「大宮城」の 一部なのかもしれません。
「大宮城」は富士宮市立大宮小学校がお城跡のようです。石碑や遺構はありません。
小学校の脇に路駐しましたが細い道だったので、すぐに出発しました。
渋滞中、陣屋長屋門を見つけました。
もう、車は停められません。
初詣時期を避けるか、公共交通機関がオススメです。

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イオ

常宣寺 (2020/01/05 訪問)

織田信長との石山合戦に際して本願寺方が築いた出城のひとつで、推定地の常宣寺は室町初期の創建であり、本願寺八世門主の蓮如が立ち寄って教化伝道するなど、本願寺との繋がりが深い寺院だったようです。

宅地化により遺構は消滅していますが、常宣寺には隅櫓風の太鼓楼や立派な山門や鐘楼堂があり、なかなか雰囲気があります。また、常宣寺の山門脇には説明板が設置されています。

この日はOsaka Metroの1日乗車券「エンジョイエコカード」を利用しての城(史跡)めぐりで、葱生城(常宣寺)は地下鉄の駅から少々遠いためバスに乗りましたが、城北公園前バス停からは徒歩3分で、本数の多い路線でもあったので、ほとんど待つこともなく非常に便利でした。

また、このエンジョイエコカード、Osaka Metroの地下鉄・バスが一日乗り放題(バスは一部例外あり)なのに加えて、大阪城天守閣と西の丸庭園、大阪歴史博物館、通天閣や天王寺動物園、四天王寺などの割引もあり、大阪市内の城めぐりや観光に最適かと。実際、この日は2,000円分以上乗って、600円(平日は800円)で済みました。
 

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カズサン

本丸を石垣で築き日南海岸の眺望は絶景 (2016/10/24 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り、高城、都於郡城を終えて南下し日南市飫肥城を見ながら日南市役所で南郷城の情報を得ようとして寄るが資料、情報はあまり無く地元の南郷城麓に中村ファミリーマート店長が詳しいとの情報得る、同ファミリーマートに寄るが店長不在、情報を城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんの俯瞰図で探訪。
 中村ファミリーマートから中村神社へ石造りの案内道標に従い細い林道をそのまま登れば本丸に到着、本丸手前の駐車エリアに停める。
 本丸は入口が虎口か?石垣造りの枡形風、本丸周囲は草に覆われてるが土塁か石垣か良く判別でき無し本丸下に帯曲輪が備わってる、本丸から日南海岸の眺望は大変素晴らしい、周囲には木製の歌碑が立って居る。

 関ヶ原後島津氏の備えとして伊東氏が築き元和の一国一城令で廃城との事

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【福山城築城400年×信長の野望コラボ決定!】

福山城築城400年記念事業の取組を幅広く情報発信をしていきたいという思いを,株式会社コーエーテクモゲームス様にご賛同いただき,歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」と「福山城築城400年」とのコラボレーションによるPRが決定しました!

PR企画の第一弾として,「信長の野望」に登場する武将の中から,初代藩主水野勝成とゆかりの深いキャラクター(9人)に今回,福山城築城400年応援サポーターに就任していただくことになりました。

水野勝成については,現在,福山城築城400年のオリジナルデザインをコーエーテクモゲームス様で制作していただいており,完成次第,発表いたします。

応援サポーターに就任した「信長の野望」の武将には,福山城築城400年記念事業のポスターやチラシ,パンフレット,公式サイトやフェイスブックなど様々な媒体に登場していただき,PRに協力いただくとともに,(スマホでプレイできる)アプリゲームを含めた,「信長の野望」シリーズとのコラボもしていただける予定です。

サポーターを活用したPRグッズも制作し,福山城築城400年記念基金への寄附に対する返礼品に活用するなど,PRを展開していきますので,応援よろしくお願いします!

詳しくはこちら→https://fukuyama400.jp/about/fund/supporter-kt_nobunaga

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カズサン

曲輪間の大堀切と大空堀に惚れ惚れ (2016/10/24 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り宮崎県も建物、石垣の残ってる所を主体に廻ってましたので土の城、山城廻りは今回の城探訪が初めて高城を終えて甥っ子からも都於郡城は素晴らしいと聞いており西都市都於郡小学校を目指し道路沿いに大きく案内標識西に向かって入っていくと大型駐車場が有ります、後は徒歩で案内図に従い本丸を目指す。
 南九州の特徴であるシラス台地を切り刻んだ曲輪間の堀切が幅広く深く大きい見事と言うしかない、本丸、大空堀を越えて二の丸、西の城、三の丸、戻って本丸北の奥の城と廻り十分に南九州土の城、伊東氏の本拠地的な城を十二分に堪能しました兎に角素晴らしい。

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todo94

胡麻駅で途中下車 (2020/01/11 訪問)

福知山までの往復切符の帰りの切符で順次、途中下車しての城めぐり、胡麻駅で途中下車して向かったのは塩貝城です。獣よけネットをめくってくぐらなくてはならないというのは知らなければかなり勇気がいるかと思います。山頂部の本丸、出丸とみられる鍛冶屋敷跡と遺構が視認できてなかなかの山城かと思います。

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勝野武士

官兵衛がいた『山崎の城』?? (2019/10/20 訪問)

篠の丸城は、山崎町の中心部にある標高324mの山上に築かれた山城です。
近世城郭である山崎城を訪れたあとは、やはりその前身たる篠ノ丸城に登城せねばなるまい…!

篠ノ丸城へは麓の山崎八幡神社に隣接した広い駐車場があるほか、最上山公園の上にある駐車場に停めると麓の駐車場に停めるよりは身体の負担は少ないかと。
ちなみに私は麓の駐車場に停めました。
麓の駐車場には『黒田官兵衛飛躍の地』と『黒田熊之助ゆかりの地』の二つの大きな石碑が建っています。
そうです、ここは羽柴秀吉による宍粟攻めによる落城から四年後の天正十二年(1584)から天正十五年(1587)豊前中津に移封となるまでの三年間、秀吉の命によりこの地を統治しており、『黒田家譜』に記述されている『山崎の城』はここではないかという説があります(但し、ここではなく長水城もしくはその山麓にいたのではという説もあり)。
また、黒田熊之助は官兵衛の次男として、この山崎の地で生まれたと推定されています。

篠の丸城の歴史は古く、南北朝時代に赤松貞範の子顕則により築城されたと伝えられており、室町期以降に守護代をつとめた赤松一族出身である宇野氏の拠点でした。
天正八年(1580)、本城の長水城とともに落城し、毛利方についていた宇野氏は滅亡しました。

平成25年度に行われた航空レーザー測量と発掘調査の結果、城跡(郭群)は南北250m、東西200mの尾根上に配置されていること、主郭(本丸)は南北50m、東西40mの規模(なんと城全体の1/4!)で播磨北西部では最大級を誇ること、主郭周囲に配された40余りの方形郭群を通路(犬走り)が取り囲む特殊な構造であること、更に北西の傾斜面の3つの尾根に多数の畝状竪堀群が配されていることなどが確認されました。
これらの測量成果に基づき主郭の一部が発掘調査されましたが、残念ながら建物遺構は検出されなかったそうです。

実際に行ってみると、まず九合目あたりに腰郭があり、東側の眺望が見事です!
清流揖保川を眼下に見下ろし、揖保川を挟んで対岸には、秀吉が宍粟攻めの手始めに攻略した聖山城跡があります。
聖山城を落とした秀吉はここを宍粟攻めの本陣とし、長水城及び篠の丸城攻略の指揮を執ったそうです。

腰郭から少し登れば、いよいよ主郭です。
第一印象はとにかく「広い!」。まるで方形館の様相です。虎口や土塁、そして北側に展開された郭群の遺構も非常に明確です。どんな建物が建っていたのでしょうか…主郭全体の発掘調査はまだのようですので、今後に期待です(もうしないかもですが)。

西側には二の郭があり、こちらは北、西、南の眺望が利きます。北には長水城、南には山崎の町を一望できます。西は山林に隠れて見づらいですが、三段の深い堀切が尾根をしっかり遮断しています。
二の郭から北の斜面を、少し崩れて見づらいですが畝状竪堀がビッシリと掘られています。
この方向にあるのはなんと、味方であるはずの宇野氏の本城である長水城です。
『仮想の敵』は誰なのか??私は織田方でも毛利方でもなく、長水城主である宇野政頼であると考えています。
実は戦国期、宇野政頼の嫡男満景が城主となりましたが、天正二年(1574)に政頼が父子の不和に起因する確執の末に満景を廃嫡の上殺害するという事件がありました。
もしこの大規模な竪堀を満景が掘らせたのだとしたら…なんとなく自然な流れに思える気がするのですが、如何でしょう??

また、城域をぐるりと取り囲む犬走りも見所の一つです。確かに、こういった構造は案外珍しいかもしれません。

とまぁ見所たっぷりの篠の丸城、是非訪れてみてください。城好きならきっと楽しめますよ!

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K-ZZ

定番撮影 (2020/01/19 訪問)

犬山城は、どこからでも、どの季節にでも、最高に映える一番好きなお城です。

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天下布武

今、ときが動き出す (2020/01/19 訪問)

大桑城は美濃守護土岐氏の最後の居城として、標高407.5mの古城山に築かれた山城で山麓には城下町も構成されました。
登山口は二か所整備されており、それぞれ説明板と駐車スペースがあります。
1.椿野広場側登山口(35.553927, 136.769858)-山麓からの登山口となり山頂までは約1時間となります。
2.はじかみ林道登山口(35.561444,136.772922)-はじかみ林道経由で中腹まで上がるため時短コースとなります。

大河の影響により整備が施されたようなので確認の為椿野登山口より城址全域を再確認しようと再訪登城しました。
遺構の案内等や急勾配部にロープが新たに設置されたり、木が伐採され竪堀等の遺構がかなり見易くなっているのが嬉しいです。
今日も2018年時に登った時と比べると多くの人が訪れるようになったようですが、土岐氏×斎藤氏との国盗りがあった地として大河ドラマ関係で触れられたらさらに訪城者が増えるのでしょうね。
下山後、周辺スポットで明智光秀の墓所とされる「桔梗塚(山県市中洞1020)」へ寄ってから、本日放映開始する「麒麟がくる」を楽しみに帰路についた。

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しろちゃん

難攻不落の高城 (2019/01/19 訪問)

難攻不落の高城を是非とも訪れたかった場所である。

この高城は、北から東へ向かって切原川が流れ、南側は、小丸川が流れ、その間の細長い台地上に城が築かれている。
北、東、南側は急峻で腰曲輪が配され、防御体制を取っている。唯一、西側のみ台地が繋がっているが、
幾重も深い堀切で遮断されている。

難攻不落の高城の由来は、都於郡城の伊東氏が島津氏に追われ、大友宗麟に頼り、日向北部の軍勢を率いて南下し、この高城を
攻撃を開始した。
大友宗麟側の陣地は、切原川の北側の台地上に構え、五万の兵で攻撃するも、なかなか攻略出来ず。高城救援に来た島津軍は、小丸川の南側の台地上に構え、対峙します。

島津軍は、高城の東側に少数で大友軍に挑み、負けたフリをして軍を引き、逃げたと思った大友軍が追撃しますが、引いた先には、伏兵によって総攻撃をくらい、大敗北がしました。これが、有名な釣り野伏せです。
但し、この戦いでの大友宗麟本隊や大友義統軍は、延岡に駐屯し、キリシタンの布教の準備をしていた様です。

二次の高城の戦いは、大友宗麟が島津氏に追われ、救援を豊臣秀吉に頼み、大軍をもって、九州征伐に繰り出し、この高城を包囲さますが、島津軍本隊が敗北し、和睦するまで持ち堪えました。

いずれも、山田有信が城主として落城しなかったってことは、堅固な高城だけでなく、山田有信を中心にまとまっていたからだと思います。

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カズサン

天正期小天守台も発掘発見、駿府城天守台4年間の発掘調査報告会 (2020/01/19 訪問)

 本日1月19日駿府城三の丸静岡市民文化会館大ホールで午後1時半より4時まで「4年間の発掘調査の集大成!駿府城跡天守台発掘調査報告会」開催され出席して来ました。
 
 静岡市歴史文化課の方が4年間の発掘調査成果を発表の後、城でお馴染みの日本城郭協会理事の加藤理文氏の講演で発掘された駿府城天守台の現地展示案には関心を持ちました有意義な報告会でした。

 報告会に先立ち今月7日の静岡市よりプレスリリースされた天正期の小天守台が発掘発見されたとニュース報道されて居ましたので発掘現場に寄って天正期小天守台石垣を確認と飛び込みましたが青シートを被り見学できないとの事、「発掘情報館きゃっしる」で天正期の小天守台石垣写真、1月7日プレスリリース展示を見学確認写真保存しました。
 これらの情報は静岡市歴史文化課のホームページに掲載されてます。
 これで中村一氏時代天正期の大天守台、小天守台も発掘発見され連結型天守構造も確認され様子で大御所時代の天守台、天正期の天守台と今後の保存整備が益々複雑に成って来ましたがどちらも大切な歴史遺産知恵を絞って後世に残していきたいものです。

 今回発掘発見された天正期の小天守台の発掘現地説明会は2月22日に開催。

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ぜろきゅう

古宮城とセットで (2020/01/20 訪問)

作手歴史民俗史料館で古宮城と併せて説明していただきました。
縄張り図もいただけます。
お互いの城が見える最前線です。

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ぜろきゅう

ぜひ亀山城とセットで (2020/01/19 訪問)

歴史民俗史料館で古宮城(武田方)と亀山城(徳川方)について教えていただきました。
ほとんど整備されてないので史料館で縄張り図をいただいてからいくらよいかと思います。
武田×徳川の最前線を感じました。

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BUGTI

宇都宮氏が改修した城 (2020/01/18 訪問)

多気山の全山が要塞化された、規模の大きな城となっている。東の峰の上部から主郭にかけて、木が切り払われて眺望が良くなっている。それ以外の峰にもたくさんの曲輪があるようだが、藪となっていた。山頂の主郭にはしっかりとした土塁が残されていました。時間をかけてじっくり探索したい城です。

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しろちゃん

日向三城の一つ (2019/01/19 訪問)

塩見城は、南側が塩見川が西より東へ流れて、台地の上に山があり、その山頂に築かれた山城です。

塩見城の築城は、土持氏によって築かれた城で、戦国時代、伊東氏の勢力下に入りますが、島津氏との高城の戦いによって大敗北をきっし、島津氏の所領となりますが、その後、豊臣秀吉の九州征伐により、延岡の高橋氏の所領となり、廃城になりました。

塩見城へは、日向市街地から国道327号線を西へ進み、水月寺を目標にして、国道から、右折『交差点名、覚えてないので、後で調べます』し、水月寺に向かって登りになります。城山墓園を通過し水月寺の後方の山が塩見城です。水月寺の左側の車道を進むと、右前方に登る道があるので、そこを登ると城跡に到着。
車3台程停めれそうでした。

城跡は、冬場であった為か、草刈もされていて遺構の状態も把握しやすかったです。
本丸と思われる一段高い所は、細長く、その本丸から東側は、駐車した場所になり、一方で南側へ降る道があり、虎口がありその下はL字型の曲輪がありました。
見晴らしは良いです。

この、城びとには出てませんが、塩見城の麓にある国道327号を更に西へ10キロ弱進むと、山陰城の出城と思われますが、西城があり公園化され曲輪と堀切が残っています

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カルビン

雪の為予定変更 (2020/01/19 訪問)

昨日新潟遠征を予定していたものの関東地方雪の予報だったので、今日に延期したんですが・・・今日は新潟が雪予報で・・・
急遽早朝に遠征先変更して宮城県に行ってきました。

で、JR仙山線には伊達家に関する居館がいくつかありますが、今日そのうちの1ヶ所・西館に訪問しました。

陸前落合駅から徒歩15~20分で西館の場所に到着すると、大々的に工事をしてまして・・・これは時期を誤ったかな。。。と思ったら工事していたのは史跡の横で、西館は無事でしたw

それほど遺構が多いわけではありませんが、曲輪の他に虎口・横堀・蔀土塁・切岸等を見る事が出来ました。

仙台駅近郊には未訪問で行ってみたい場所多いので、今度は宿泊してお城・居館を根こそぎ訪問したいものです。


ちなみに1つ隣の愛子(あやし)駅には南館跡がありますが、こちらは田んぼになっており、遺構は見当たりませんでした(標柱のみだった)

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todo94

いさじょう (2020/01/11 訪問)

福知山駅の京都寄り、隣の駅が石原駅。駅から至近の石原城です。洞玄寺の周りに、すてきな空堀と土塁が残っています。

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チェブ

麒麟がくる前に。 (2020/01/02 訪問)

お正月、東京から浜松方面に向かう途中、新東名高速道路を降りて寄った「間門城」です。
2020年は「浜松城」からスタートするはずだったのですが、急いでも100名城スタンプが押せる時間に到着できないと分かり富士市からスタートする事にしました。
北条氏が築いた「間門城」、新東名高速道路の下にありました。赤淵川が流れる立地です。
写真の3枚目、竹林になっている所をナビは「目的地周辺です」と言いました。
確かに写真の1枚目のような土塁が見られます。
「間門城」の石碑等はありません。
近くに間門浅間神社があり、「史跡 蝦夷城跡」の石碑があるそうです。すいません、行ってません。
「間門城」=「蝦夷城」かもしれませんね。

ところで、
前に「岩櫃城」のガイドさんと大河ドラマの主役は誰がいいか、という話題で盛り上り 明智 光秀さんがいいが、話が1年はもたないだろうからガラシャちゃんと2代は?等々、「岩櫃城」の真田家そっちのけで話したのを思い出しました。
「麒麟がくる」
私もですが、ガイドさんも喜んでいるでしょう。
皆さんの光秀さん関連のお城の投稿をチェックしながら楽しみたいと思います。

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のん

きらびやかな二の丸御殿と櫓の公開 (2020/01/03 訪問)

お正月に念願の名古屋城に行きました。

天守は改築が決まり内部は見学できませんが、壊すためには、国宝になっている天守石垣が崩れたりしないための方法を国からお墨付きをもらわねばならず、時間がかかっているそうです。そのおかげで外部はそのまま見ることができました。
2018年から公開されている本丸御殿は、非常に豪華絢爛。入り口から奥に進むに従って、襖絵、天井、欄間、釘隠しにいたるまで、豪華に変化していく点など見所満載。当時の人々の技術力の高さに圧倒されました。表裏で欄間の絵柄が異なるように掘る技術は、現代では復元不可能だそうです。一体どうやって掘ったのでしょう。



1月は江戸時代から現三ヶ所全ての櫓内部の公開をしており、江戸時代の方と繋がってるような思いで見てきました。大手門近くの西南隅櫓だけは、瓦屋根の御紋が菊になっており、明治に入り天皇の御所として使われた時期の修復に菊にしたそう。

お城に来た時ガイドさんに毎回有料でお願いしているのですが、名古屋城ではなんと無料でした。門を入って黄色の法被を着ている方がガイドさんです。スタート時間までに他の方からの希望がなかったため、うちの家族のみでガイドしてくださいました。
何十年もガイドをされてる方で、お城や知識だけでなく、歴史への造詣も深く、様々なことを教えていただきました。ありがとうございます。



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赤い城

雪のない会津 (2020/01/18 訪問)

今年は暖冬すぎて会津に雪がないとのことで行ってみました(熊も冬眠中だし・・・)。
公共交通機関だと会津本郷駅から徒歩で20分。
麓の向羽黒山城跡整備資料室前に続100名城スタンプがあります。
この時期はここから上は車の進入が出来ないのでここに駐車し徒歩で本丸を目指します。
白凰山公園を過ぎしばらくで三曲輪、その先にトイレと駐車場があり、ここから登城。
すぐに空堀や虎口を見ることができます。
水手曲輪を経て二曲輪、駐車場もあります。
一曲輪への登城口に説明板が立っていて登るとすぐに長い竪堀。
資料室から主郭までは40分くらい。
見所もたくさん、本気で見ると半日~1日かかりそうです。
主郭からは古城の道を下りましたがこちらにも大きな堀切がありました。
本当に広い城域で、来て良かったと思える城でした。
時期によっては熊に注意ですが・・・。

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