我が家から最も近い山城。夕暮れ前にお散歩がてらに初登城。上洛を目指す武田信玄の本陣が一言坂の戦い後、社山城→亀井戸城→二俣城と攻略して行ったのであろう。登城すると木がおいしげって隙間からしか下界が見えないが、当時は眼下に天竜川、約7km先の二俣城まで見渡せただろう。諸説あるようだが、一連の二俣城攻略を信玄公は亀井戸城ではなく、この社山城から指揮を取ったのではないかと私は想像する。なぜなら、武田信玄が陣を張ったと言われる社山城から2キロほど北に行った合代島地域は、つい最近まで北東に鬱蒼とした山を抱えており、奇襲攻撃を受けやすかったと思うからだ。しかも信玄は病持ち。難行不落の二俣城を落とすのを見届けたら、天竜川渡河点の城塞として築かれたこの城からさっさと天竜川を渡って西に急ぎたかったはずだ。徳川対武田の攻防図からも、何となくそう感じる。社山城の縄張りは、典型的な中世期の山城でわかりやすい。
PS.次の日亀井戸城も行ってみた。今は城の面影も寂しく、社山城に比べるとこじんまりとしている。ただ、地元の人に聞くと一般的に言われている位置と違い、もっと高い位置にあったそうだ。これからの発見を期待したい。
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