ぬまじょう

沼城

岡山県岡山市

別名 : 亀山城
旧国名 : 備前

投稿する
畑の間の登城口
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

赤い城

別名は亀山城 (2024/10/13 訪問)

浮田小学校の先、新幹線の高架下に車を停めて登城。
畑の脇に二の丸へ向かう登城口の案内板があったのでこちらを進んで行きました。

少し歩くと段になった畑があり、ここが二の丸です。
右手に進み本丸へ。
本丸には石碑と説明板が立っています。
また、八丈島から株分けされた蘇鉄が植えられています。
その背後、一段高くなった部分には弁財天を祀る神社が鎮座します。

本丸には記念スタンプや訪問ノートが置いてありました。
「赤い城」って書こうとも思いましたがニッポン城めぐりアプリのイベントに合わせての登城だったのでそちらのHNでサインしておきました。

一旦降りて浮田小学校裏手の西出丸へ向かいました。
入口が分からなかったので見上げるのみ。
削平されていて曲輪がイメージできます。
直登しようとも思いましたが周囲には民家も多いので自重、再度本丸方面に戻りました。

最後、本丸北側の広い曲輪を歩きました。
弁財天の下あたりに井戸跡がありました。

当時は周囲が沼に囲まれる要害でその姿が亀のように見えたことから亀山城と呼ばれていたそうです。
宇喜多直家はここを拠点に勢力を拡大したことから直家飛躍の地と言われています。
そして秀家生誕の地でもあります。

砥石城、新庄山城と山城2城の後だったので良いクールダウンにもなったかな。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

新庄山城 岡山県岡山市 (2024/10/13 訪問)

城びと未登録の城です。
三徳公園に車を停めて北側の登城口へ。
鳥居の脇に石碑と説明板が立っています。

登り始めはやや急ですがハイキングコースになっていて歩きやすく、山頂部までは20分くらい。
主郭には石鉄神社が鎮座しています。
派手な遺構はありませんが南側に向けて段になった曲輪が続きます。

4郭の先に堀切があったとされますが、ハイキングコースを造る際に埋められたようです。
両脇の藪を覗いてみるとなんとなく竪堀っぽいのが残ります。
なんとなくですが。

この新庄山城、砥石城主の浮田大和守を討ち取った恩賞として浦上宗景から宇喜多直家に与えられた城とされています。
直家にとっては2番目の居城ということになります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

宇喜多直家飛躍の城 (2024/04/13 訪問)

【沼城】
<駐車場他>駐車場はなさそう。新幹線の高架下<34.707266,134.035401>に停めました。
<交通手段>車

<感想>日帰り今シーズン山城攻めラスト旅1城目。現地説明板によると亀山城(別名沼城)の築城は戦国時代に浦上宗景配下の中山信正(勝政)によって築城されました。1559年に宇喜多直家が浦上宗景よりこの城を賜り、1573年に岡山城に移るまでの14年間、宇喜多直家の壮年時代活躍の拠点となった城跡です。宇喜多秀家もこの城で生誕したそうです。1601年小早川秀秋が岡山城主となり廃城となったそうです。
 この城は丘城で登城口は城跡南側からの階段の真っすぐ登ればすぐ主郭跡に着きます。主郭の周囲を帯曲輪で取り巻いていて所々に腰曲輪があります。北西側の麓の民家の所が大きく掘りこんでいて、大手虎口のような感じも受けました。主郭は2段構造になっていて上下段それぞれ建物があったような感じを受けました。東方向に下って二の丸跡の削平地は現在はすべて畑になっています。西方向の平地にある西の丸跡には高土塁跡が見られます。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

この小さな丘の上で備前の戦国史は躍動した (2020/11/21 訪問)

「沼」であり「浮田」であるこの地は宇喜多(浮田)氏の本拠地だった頃の景観を色濃く残すようだ。この小さな丘の上で備前の戦国史は躍動し、備中高松城攻めの前後に秀吉が立ち寄ったことで日本の歴史にも大きく関わることになった。

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 中山信正
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な城主 中山氏、宇喜多氏、浮田氏
廃城年 慶長6年(1601)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
再建造物 石碑(亀山城跡)、説明板
住所 岡山県岡山市東区沼
問い合わせ先 岡山市企画局情報企画課
問い合わせ先電話番号 086-803-1047