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しろちゃん

豊臣秀吉、小田原征伐拠点の一夜城 (2020/11/09 訪問)

30年振りに行って来ました。以前は、木に囲まれ視界が悪く、鬱蒼とした感じで、特に、井戸曲輪は、木で覆われて、薄暗く不気味さを感じていましたが、今回行ってみると非常に、公園として整備され、視界も良く、小田原城🏯天守閣が、ハッキリ見えるほどで居心地が良かったです。

この一夜城は、小田原城の西側にある早川の南岸の箱根外輪山から相模湾の方面にある嶺にある笠懸山に築かれた山城です。

歴史は、豊臣秀吉が、九州征伐を完了し全国の諸大名に対して、惣無事令をだし、領土拡大禁止を発令し、京まで挨拶諸大名を上洛させ、降参の意思表示する様に、発令しましたが、東国には、奥州の伊達政宗も白旗を挙げていなかったのもあり、関八州の北条氏は、無視をした挙句、群馬の真田領の名胡桃城を攻略してしまいます。これにより、命令を無視したとして、小田原征伐が敢行されます。
この小田原城は、難攻不落の城で、上杉謙信率いる10万の城攻めや、武田信玄からの攻撃も、落ちませんでした。両者とも、最初から落とす気は無く、北条氏の領土拡大を牽制する為だったと思われます。また、秀吉も、小田原城は、簡単に落城しないと踏んで、自分の権力を誇示する狙いもあり、22万もの大軍で攻め込んで来たという事になりますが、激しい攻防戦は行わず、側室の淀君や千利休を呼んで、茶会を開く程の籠城戦となりました。
そんな中、北条方に精神的にダメージを与える為、この石垣一夜城を築城が完成後、夜間に木を伐採し、夜明けと共に城が出現したことで少なからず北条方では、動揺が広がり降伏に繋がりました。
アクセスは、城跡前に、五十台位の無料駐車場があります。交通機関は、近くにバス停はないので、麓から登ることになります。

スタンプは、駐車場にある公衆トイレの入り口にあります。
この駐車場の隣には、鎧塚さんのケーキ屋さんもあるので、城跡を散歩してから、食べてみては如何でしょうか。

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カズサン

政宗の隠居城、数分で退散 (2020/10/27 訪問)

 日和山公園、石巻城を終えて急峻な道を避けて西方面の緩やかな道を通って三陸道石巻港ICより高速へ仙台東方面から若林城を目指す、仙台市、仙台城は城廻り、家内との旅行、出張などで何拾回と訪ねてますが中々若林城には足が向かず今回の城廻りで探訪に加える。
 GoogleMapの航空写真を拡大して見ると、現刑務所の通り沿いに駐車場が有り一時停止は出来るのではとナビを同駐車場に合わせ走行し駐車場に入れるが駐車出来そうに無く、案内板、標柱の所に一時停止させ写真撮影と刑務所の中央門を眺めただけ、どこか駐車場に停めるか公共交通機関で訪ね探訪するしか無いようです、数分で退散。
 若林城は現在宮城刑務所に成ってますが伊達政宗が隠居城として寛永4年(1627年)築城、土塁で四方を囲み周囲も濠で囲む、横矢構えを四方に造り、虎口は枡形造りこじんまりした良い造りです。(余湖図コレクションさんの俯瞰図による)

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カズサン

葛西氏の城跡、東日本大震災避難所 (2020/10/27 訪問)

 千石城を終えて千石城跡の大城跡の興奮が覚めぬ中東へ約30km程の石巻市石巻城(日和山公園)を目指す、ナビは公園駐車場に合わせ走行するが市役所を過ぎ北上川護岸辺りから示す方向が狭い急峻な道、ここをと思いながらギヤをローにして一気に登る、登り切った所に無料駐車場、トイレ完備、昼前で満杯状態何とか駐車出来ました、車で昼食を取りいざ探訪。
 城郭放浪記さんのGoogleMap頼りに探訪開始、頂部に鹿島御児神社、参拝して周辺散策、芭蕉の句碑、見慣れてる大鳥居、門前下に石巻城の石碑、案内看板、神社の裏手から遺跡が出たとの情報、日和山公園は曲輪群なのか?近年の作庭か?良く分かりません、神社山手の方向に石列が有ったり?良く分かりませんが山全体が城跡防御の拠点なのでしょう。

 9年前の東日本大震災、津波の被害も大きく山頂部より北の北上川中州は砂州に成り以前の住宅街は消滅、南の海辺の方は復興工事中、以前の写真が展示され現状と対比出来ます、神社に参拝しながら被害に合った方々に黙礼を致しました、まだまだ復興は先の様です。

 歴史的には秩父平氏の流れ関東の葛西氏が源平の戦いで軍功上げ更に奥州合戦の手柄で陸奥に領地を得て日和山に拠点を置いたとか。
 

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昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/10 訪問)

犬山城からの転戦です。犬山駅(名鉄小牧線)から電車を乗り継ぎ名城公園(名古屋市営名城線)下車。そこから名古屋城へ徒歩移動。
名古屋城は3回きています。1回目が2016/09/17に次男と二人、2回目が今回一人で、3回目が2020/03/03に夜景を撮る為に一人(投稿済)で攻城しています。
1回目の攻城は城内に入りましたので、今回は外堀沿いに攻城することにしました。外堀(水堀)御市に見る西北隅櫓や石垣は素晴らしい。
城びと未登録ですが、名古屋城築城前には「那古野城」があり、信長の叔父である小田信光や重臣の林秀貞が城主を務めていたそうです。名古屋城の二の丸に石碑があります。攻城時間の予定は2時間でしたが、早めに切り上げて、もう1城(蜂須賀城)攻城することにしましたので45分でした。

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イオ

坂本の町史跡めぐり (2020/10/24 訪問)

(前回からの続き)

坂本城下は穴太衆の石積みの町として知られますが、町並みを楽しみながら散策すると、坂本城や明智光秀ゆかりの史跡があちこちに見られます。

天台真盛宗総本山・西教寺は比叡山焼き討ちにより全焼しましたが、光秀が坂本城の陣屋を寄進して大本坊を再建するなど復興に努めたことから、大本坊(現在の建物は昭和に改築されたもの)には光秀と妻・熙子の位牌が安置され、境内には光秀と明智一族、熙子の墓、妻木一族(熙子の実家)の供養塔が祀られています。また、書院の隣には明智光秀公資料室が設けられ、光秀が寄進した坂本城の陣鐘(非公開)、戦死した家臣を弔う光秀直筆の供養米寄進状、光秀所持と伝わる硯箱、明智秀満の湖上渡りの際の鞍と鐙など、ゆかりの品が収蔵されています。その他、総門は坂本城から、客殿は伏見城からの移築されたもので、客殿庭園は小堀遠州の作庭によるもの。大河ドラマ放送期間は西教寺内の禅明坊光秀館でびわ湖大津「麒麟がくる」展と近江の光秀ものがたり展が同時開催されるなど、見どころ盛り沢山です。

聖衆来迎寺には坂本城の移築門のほか、宇佐山城主・森可成の墓があります。志賀の陣の際にこの地で討死した森可成を敵方にあたる天台宗・聖衆来迎寺の住職が弔ったことから、後の比叡山焼き討ちの際にもこの寺だけは被害を免れたと伝えられています。

また、明智寺とも呼ばれる盛安寺は穴太積みの石垣が見事なお寺で、境内には光秀の供養塔や位牌が祀られ(未確認)、光秀ゆかりの陣太鼓が伝えられている……んですが、陣太鼓は来年2月まで大津市歴史博物館で展示されていて、この日は目にすることができませんでした。

他にも、四ッ谷湖岸緑地から県道沿いに北に徒歩1分の志津ケ池は、光秀が坂本城で茶会を催したときに使用した霊水と伝わるなど、坂本の町を歩くと、光秀が確かにこの地にいたことを実感させられます。
 

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昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/10 訪問)

宿泊先のホテル(アパホテル岐阜羽島駅前)から新羽島駅(名鉄羽島線)➡笠松駅(名鉄名古屋本線)➡名鉄岐阜駅(名鉄各務原線)➡犬山遊園駅に到着。そこから徒歩で15分弱で犬山城です。犬山城は今回2回目です。1回目は2016/09/18に次男と二人できました。
犬山遊園駅から歩きながら、「前日、上茜部城攻城後、岐阜駅周辺に宿泊していれば、名鉄岐阜駅と新羽島駅(岐阜羽島駅)間の移動にかけた往復1時間以上で、もう1城は攻城できたなあ」と、ぼんやり考えていたら犬山城到着。
攻城当日、犬山城付近で「ランニングフェスティバル」があるようで自分が着いた時は関係者の皆さんが準備されていました。
自分は犬山城の空破風と付櫓が好きです。空破風は正面から見ると口を開け鼻下に髭を生やしているように見えて愛嬌があります。
天主正面右手前の東南付櫓。平屋の切妻造りだから「切妻付櫓」。破風に梅鉢懸魚が施されています。
もうひとつ、西北隅にある西北付櫓(今回写真を撮っていません)。こちらも東南付櫓と同じで平屋の切妻造りだから「切妻付櫓」。破風に梅鉢懸魚が施されています。あと、袴腰型の石落しが外から確認できます。
「白帝城」と呼ばれるほど木曽川の対岸から見る犬山城は美しいと言われているので、次回は木曽川の対岸から見てみたいです。犬山遊園駅からの徒歩ルートでは見ることができないので、新鵜沼駅か鵜沼宿駅から木曽川を渡るルートがよさそうです。攻城時間は70分くらいでした。

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うさぎ屋

算額 (2020/01/13 訪問)

冲方丁の『天地明察』は、この神社を舞台に始まります。
原作を読んだときはあまり意識しなかったのですが、
映画を見たとき、作品の舞台になっていることに、
あらためて気づかされました。

天文方の渋川春海(安井算哲)と関孝和が出会うフィクションで、
作品中、この神社の算額が度々出てきます
(城勤めの場面では江戸城も出てきます)。

この神社には奉納された算額が3点展示されています。
大抵は長方形ですが、扇型の珍しい形のものが見られます。
状態の良い算額なので、書かれた問題や図も読めます。
そのうちの一点は、関流の門人が奉納したもので、
和算の問題としては、よく見る典型的な易し目のものです。
実物の算額は幾何学で、色彩もあり、興味深く感じます。

かつて和算は広く普及していたものの、明治になると廃れました。
今では知る機会も少ないため、
特定の人しか興味を持たないものになっています。
貞享暦の誕生、寺院や城郭建築にも欠かせない学術だと思います。
和算を知ることで、あらためて江戸時代の人の視点も分かります。

都内の神社や上野の博物館で、偶に算額を見ることができます。
ただ、城址で算額を見られるのはここだけだと思います。

渋川春海(安井算哲)の墓も少し離れますが、
品川の東海寺墓地にあります。

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todo94

朝駆け (2020/10/04 訪問)

米沢のホテルをチェックアウトし、朝駆けしました。なかなか良い感じで土塁が残されています。そして土塁の上には小さいながらも城址碑もありました。この後、近くのローソンにて朝食を調達しました。1週間後、この城にほど近い川西町の住宅近くで老人が熊に襲われるニュースが報道されました。

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橋吉

熊出没注意 (2020/10/25 訪問)

岩櫃山は、群馬県東吾妻町のシンボルで、標高802.6mの奇岩・怪石に覆われた山です。南側の正面は高さの200m断崖絶壁となっています。

平沢登山口の近くに広い駐車場があります。

少し歩いたところにある平沢登山口観光案内所で、続日本100名城のスタンプを押すことができます。
所在地: 群馬県吾妻郡東吾妻町原町1965-2
開館時間: 9:00~16:00(4/1~11/30)

東吾妻町ではここの観光に力を入れているようで、ポケットティッシュとボールペンを配っていました。

さらに、沼田城・名胡桃城とあわせて続日本100名城の真田三城を訪れたことを言うとクリアファイルがもらえました。

岩櫃城は、岩櫃山の中腹に位置するので、観光案内所から10~15分で本丸跡に着きます。

左は尾根通り、右は沢通り、どちらからでも本丸にいけますが、登りは尾根通りで下りは沢通りを選択しました。

栗がたくさん落ちていました。
中には実をほじくり出した形成も見られます。
人ならば現地でこんなことはしないので、熊のしわざでしょうか。
登山口には「熊出没注意」の表示もありましたし、今年は熊野被害があちこちから報告されていますので気をつけなければいけません。
もちろん、熊よけの鈴はつけています。

所要時間52分でした。

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にのまる

津軽富士と。 (2020/09/30 訪問)

「眺望クイズ」第1弾1枚目の写真で解説していただいた『今なら岩木山と天守の2ショット写真が撮れる』がずっと頭の片隅にあり、その姿を眺め、写真を撮るのを楽しみに向かいました。一昨年の訪問時には現存天守、櫓、門の計九つの建築遺構と烏賊の石と竪石を見る(探す)というミッションを掲げていて、でもそれがなかなか大変(北門と丑寅櫓が見つけにくかった)で、風景を楽しむ余裕が全くなかったのです。
 なので今回の第一目的地は天守のある有料区域の中なのですが、たどり着くまでに櫓や門、水堀、石垣といった数々のステキポイントがあり、それらに引きずり込まれてどんどん天守から離れていってしまいました。たくさんの遺構がある本当に素晴らしい城跡です。
 そして念願叶い展望デッキから天守と岩木山を望むことができました。太宰治の「津軽」を思い出します。弘前城は津軽の人たちの心の拠り所であり、太宰自身にとっても故郷の大切な場所であることが熱く語られ、また津軽の歴史についてもその地に暮らした人間の目と思いで綴られている津軽愛に溢れる紀行小説で、本州最西端出身の私の最北端の地への憧憬も含んだお気に入りの一冊です。
 弘前城、前回は夏、今回は秋の訪問だったので、この次は桜や雪の時期に行けたらいいなと思うのですが…。

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カズサン

岸壁切岸、堀切が凄い大城郭です (2020/10/27 訪問)

 彫堂七館を終えて南に約4km程の千石城を目指す、千石城も4年前素通りした城、今回初登城です、城跡の松山御本丸公園頂部まで車で登れるとの情報でナビを御本丸公園に合わせ走行、頂部の前に三段に成って駐車場が在るので三の丸直ぐ下の駐車場を利用、トイレ完備。
 標高70m程、駐車場から三の丸へ御本丸公園と成って居りコスモス園とも、コスモスの盛りは過ぎてましたが花は残ってます、駐車場には熊注意の看板、コスモス園のスピーカーから音楽が流れて居り熊予防に成ってる。
 丘陵先端が広い三の丸、西奥に大きな櫓台の様な展望台、南側の高みに向かって続曲輪、堀切、二の丸、堀切、本丸と続く、南側は崖、三の丸より本丸に向かって切岸下に通路が通ってる、特に二の丸南側は岸壁を削った様な垂直な切岸で絶品である、現在各曲輪は橋で繋がってる。
 本丸南側、東側下にも曲輪群が備わって居り、本丸南下に大堀切が有るとの情報でしたが登り降りが大変なので頂部の曲輪のみ、また三の丸周辺には土塁の跡が残って居り三の丸北側にも曲輪群が備わってる、丘陵全体を要塞化したような大城郭です、ここを探訪するまでこれ程の大きさとは想像もしませんでしたチョイ寄りは難しい。
 案内説明板は駐車場、三の丸、各堀切下、本丸に在ります。
 兎に角いい城です東北宮城にお越しの節は是非とも寄って見て下さい車で上がれて便利です。

 歴史的には鎌倉時代遠藤氏によって築かれた、戦国期伊達氏の対大崎構えの城、北の鳴瀬川が境か?奥州仕置き大崎葛西一揆を経て伊達領に遠藤氏は御一門として登米に移封、伊達家臣が城主と成り、麓に館を造り城主は移り、三の丸に城番が務めたと。

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shige

米沢城、上杉神社へご参拝! (2020/10/18 訪問)

上杉神社にお参り、参道には上杉謙信公、直江兼続公、上杉鷹山公と銅像がお出迎えしてくれ、撮影スポットになってます。伊達政宗公の生誕の地でもあるようです。

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赤い城

おそらく私有地だが整備されている (2020/11/01 訪問)

江曽島駅から徒歩で30分くらい。
入口の案内板に沿って行くと民家。
矢印が分かりにくくさらに進んだ先に登城口がありました。
説明板の先にいきなり土橋と横堀。
墓地があるのでここはおそらく私有地なのでしょう。
見学路は整備されていました。
主郭と二郭の間にある空堀や土橋が見所でしょうか。
よい城でした。

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ぴーかる

金鑵城 (2020/10/25 訪問)

【金鑵城】
<駐車場他>城跡公園駐車場無料12台分程あり。
<交通手段>車

<見所>横堀
<感想>この地は青野ヶ原台地とよばれるところで、比高差60m、城が築かれる以前の弥生時代には高地性集落がありました。竪穴式住居があったそうです。城は赤松氏の家臣中村氏が城主だったらしく、後に別所氏の持城となったようです。
 城跡は夢の森公園という名で公園整備され、駐車場・トイレ完備です。駐車場が西の郭跡にありすぐ横が主郭との堀切がはしっています。主郭は土塁囲みで礎石建物跡がありますが、モルタルで埋めています。主郭の東方向に物見曲輪に模擬物見櫓がありますが櫓内は立入禁止となっています。主郭・物見曲輪から北方向以外の小野市の平野部が見渡せます。

<満足度>◆◆◇

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カルビン

勝見城 [千葉県長生郡睦沢町寺崎1932] (2015/02/14 訪問)

個人的に訪問した中でどこからどこまでが城域か解らずに不思議な気分になったお城が千葉県にあります。

東光山歓喜寺~キャンプ場を含めた[やすらぎの森]一帯が城域と思われます勝見城になります。

キャンプ場の奥の池付近に駐車して、そこから適当に道を進んだのですが、正直お城の遺構なのかどうかはっきりしない不思議な地形が続きまして。
(窪地になった井戸の無い井戸郭のような場所や、山裾を堀切が複数分断したとも言えるようなジグザグ裾道とか)

道筋あっているか不安になる中、裾道を進んだ先にあった人工的な鎖つり橋を発見。
事前調査でこれが目印だったのでやっと一安心も、足場不安定でつり橋揺れまくり(汗)

つり橋の先の細い曲輪と思われる場所にようやく勝見城の解説が。。。やっとお城と証明されるものが ε=(ーДー;A

この場所を起点にして周辺散策しましたが、見れば見る程不思議な地形で。。。お城の遺構と解る事は解るんですが、今まで見た事無いアメージングな雰囲気を味わう事が出来ました。
(※あくまでも個人的感想なので・・・しいて言えばちょっとだけ真里谷城に似てるかもw)


公共交通機関での訪問が厳しい場所の為気軽に訪問し辛いですが、お城好きな方なら行って損は無いかと思えた勝見城でした。

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カズサン

曲輪、土塁、堀が公園とし良好に保全管理されてます (2020/10/27 訪問)

 古川城、搦手門を終えて東約10km程の彫堂七館(エリドウシチダテ)を目指す、途中昨夜ゲットしたGoTo割クーポン券をコンビニで昼食用の食料等に変える。
 ナビは彫堂七館、蜂谷森公園の西側に在る駐車場に合わせ小牛田駅方向から入り駐車場にピッタリ到着。駐車場東に聳える切岸にビックリしっかりした造りだ探訪にワクワク感が満ちる。
 トイレも完備、駐車場は10台は可能かな?、駐車場北の登城路から探訪開始、余湖図コレクションさんの俯瞰図頼りに探訪1郭(小館)北虎口より1郭内部高い切岸で護られてる、1郭と2郭(陣館)間に堀切、橋が架かってる、2郭と3郭(狼之介館)は一段低い、3郭と4郭(彫堂館)の間に堀切と木橋、4郭は現在浄水場タンクが設置、その先東は下に降りる登城路、南側全体は高い崖で防御されてる、東、南からの勢力を意識してる造りでしょう。
 私一人の探訪でした構造物を観察しながら熊注意看板も無く私一人の時間を堪能しました。
 4年前に岩出山城、涌谷城を探訪した折、国道108号線沿いに気に成ってた城郭群の一つでした、4年振りの初登城です。
 
 駐車場に在る案内板によると大崎氏の東端の守りを固めた城なのかと?対葛西氏、対伊達氏として。(抜粋)
 詳細説明は地元先達のぎりょうさんの投稿をお読み下さい。

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カズサン

移築搦手門が有名 (2020/10/27 訪問)

 4泊5日の下越奥州城廻りの最終日GoTo割を利用して泊まったホテルを朝早く出発し古川城を目指す、現在は古川第一小学校に成ってる。
 車は近くの大崎市役所駐車場を利用、出勤前でガラガラ、徒歩で数分、緒絶川を渡って東より校門に至る、校門を入り写真でよく見てる石碑案内板が有る、昨日人首城で動かなく一眼レフカメラの調子が戻り写真を撮る、ここから南に古川城の搦手門が移築されてる瑞川寺が5、600m程の所に在る、同参拝者駐車場を利用し参拝と見学、立派な2階楼門です。
 古川城は大崎氏の城ですが奥州仕置きで改易、秀吉配下の木村氏が入城するが大崎葛西一揆の不始末で改易、後伊達領に家臣の鈴木氏が入部、瑞川寺は鈴木氏の菩提寺に成って居り鈴木氏が搦手門を山門として寄進した模様。

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カズサン

名生城の帰りチョイ寄り (2020/10/26 訪問)

 名生城を終わって南に約1km程の中新田城に寄りました、近々ぎりょうさんの投稿が有り近くに在る事を認識し今回の城廻りに予備として加えて置きました、陽が沈み頃でしたがぎりぎり写真を撮れる光量も有りナビを長興寺駐車場に合わせ走行しましたが国道347号線の走行車が多く城石碑を目視し駐車場入口を通り過ぎUタンして長興寺参拝者駐車場を利用させて頂きました。
 城跡は駐車場の直ぐ北、国道347号線沿いです、大崎氏の城で立派な城名石碑、大崎氏の祖斯波家兼公の像、神社が鎮座、陽も陰りその辺りを探訪し引き揚げ古川駅前のホテルへ直行。
 説明解説は地元先達のぎりょうさんの投稿をお読み下さい。

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カズサン

以前より認識しやっと初登城 (2020/10/26 訪問)

 高清水城を終えて陽が沈み前急いで名生城を目指す、以前より大崎地区の名城として知っていましたが4年前に岩出山城を登城しながら近くの名生城を越えて涌谷城の桜を優先、今回下越奥州城廻りに加えました。
 ナビを城郭放浪記さんGoogleMap地図より取り敢えず史跡マーク名生城と浄泉院北の進入路辺りに合わせ走行、近くの大崎神社に着きほっとしましたが丘陵を登り村中の道が狭いナビ目的地に着くと名生城の案内解説板が有りその前が私有地の駐車可能場所、浄泉院への案内指示板も有り、道も狭く不安なので史跡マーク名生城周辺での探訪に終わりました。
 名生城は低い丘陵地北東に各曲輪を堀で囲み群郭式の城郭、案内板が有る所が大館、浄泉院の有る所が北館、大崎神社の有る所が小館、名生城、名生館官衙遺跡に詳しい方にガイドをお願いしてゆっくり探訪したい、一人でふらっと来ての探訪は難しいような気がします。

 歴史的には名家斯波氏の流れで斯波家兼が大崎氏の祖、奥州探題を務め大きな勢力を持ったが小田原征伐に参陣せず奥州仕置きで領地没収改易と成る。
 詳細説明は地元先達のぎりょうさん投稿をお読み下さい。

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昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/09 訪問)

城びと未登録の「上茜部城」について投稿します。川手城から徒歩15分くらいで着きました。
堀秀政の先祖にあたる堀資重によって築かれた城で秀政の生誕地とされています。秀政は「名人久太郎」の名で知られ織田信長、豊臣秀吉に仕えました。現在、城址に遺構はありませんが、国道157号の道路脇に城址碑と説明板があります。
攻城時間は5分くらいでした。攻城後、名鉄岐阜駅に戻るのにバス停で30分以上待ちました。寒かった記憶があります。

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