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チェブ

あべのハルカスくらい? (2021/02/20 訪問)

東京都あきる野市にある「阿伎留城」を見上げてきました。

鎌倉時代に三内氏が築城しました。
三内氏、初めてましての御名前です。

JR五日市線の踏切を渡ると鳥居があります、、、。
夕方ですし、先には進みません。
階段があり、その先に天竺山に登るハイキングコースがあるそうです。天竺山に三内神社があり、「阿伎留城」跡になります。
なので、「阿伎留城」を見上げてきました。

天竺(インド)まで見られるほど高いから、天竺山と名付けられたのでしょうか?
調べると天竺山は標高300mくらいです。
だいたい大阪の『あべのハルカス』の高さと同じくらいです。
それじゃあ、「阿伎留城」の三内氏は周辺に睨みがききますね。
踏切の手前に写真③の石碑に三内家の名前があります。

『あべのハルカス』がある大阪に1度しか行った事がありません。
コロナウイルス終息後は、きっと大阪にも城攻めに出陣するでしょう。
『あべのハルカス』を見上げて「阿伎留城」を思い出します。
、、、高所恐怖症ですから、やっぱり見上げます。

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とってぃ

伝逸見曲輪跡発掘調査説明会 (2021/03/20 訪問)

伝逸見曲輪跡の門の跡も特定された。
いくつかの年代の重なりや崩されているであろう様子もあった。
不明な点がいくつかあることも教えていただき興味深かった

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カズサン

平成化粧直すぐの真っ白天守閣 (2014/11/04 訪問)

 平成の大修理を終えてグランドオープン(H27/3/27)の約五ヶ月前、母の七回忌法要終えた翌日城崎温泉泊まり、竹田城、生野鉱山坑内廻り、生野町巡り、生野代官所を訪ね、平成大修理の大屋根、仮設足場が取り払われた姫路城へ、ドキドキの対面です、この歳ですので昭和の大修理、平成の大修理と二回のチャンスに会いました大感激です。
 車移動は播但道経由して姫路城東曲輪の市立美術館側に有る姫山駐車場を利用。
 姫山駐車場から東より進入、喜斎門、井戸曲輪下、山里曲輪、三の丸広場、桜門、内濠外から眺め望遠で撮影、今しか(H26/11/4)見る事の出来ない真っ白い姫路城天守閣です、大切にして守って行きたい日本の宝ですこの巡り合わせに感謝です❣
 こてこてと天守写真を掲載しますが見て頂ければ幸甚です。
 

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カルビン

勝手に第二次籠城企画 延長戦 [人取橋古戦場] (2015/10/24 訪問)

緊急事態宣言明け前最後の投稿になると思います・・・そもそも緊急事態宣言自体最後にしたいですな(汗)

伊達政宗率いる伊達軍7千(8千とも1万とも)vs鬼佐竹こと佐竹義重率いる佐竹連合軍3万が戦った事で知られる人取橋古戦場をup致します。

そもそも合戦のキッカケが政宗の父・輝宗を畠山義継が人質に取って亡き者にした返討で、畠山氏にキツイ処遇を与えた政宗の責任・・・という声も多いものの、実際反省しなかった畠山義継に問題があったと思われます(勿論この時代の常識においてですが(危))

二本松城の畠山一族の救出という名目で政宗を潰そうと目論んだ、数に物を言わせた佐竹軍に対し、狭い橋の人取橋でなんとか戦局を持ち堪えた伊達軍でしたが、ここで老将・鬼庭左月斎が打ち取られてピンチのまま初日を終え。。。

覚悟を決めていた伊達軍だったものの、翌朝佐竹連合軍は姿を消していた・・・伊達軍はギリギリで行き延びたわけです。
伊達軍の太宰金七率いる忍軍・黒脛巾組の活躍(北条軍が攻めてくるとの情報を流したり、佐竹義重の軍師的役割で叔父の小野崎義昌を暗殺した・・・等が言われている)で救われた説が有力です。

ちなみに1日目の戦いを終えた際に、縁起を担いで豆を刀で砕いて餅とあえて食べたのが陣打(じんだ)⇒ずんだになってずんだ餅と呼ばれるようになった・・・とかw


この日人取橋古戦場にたどり着いたのが日没前ギリギリでした・・・最寄りの駅手前で真っ暗な畑道を通ったのがもう5年以上前なんだなぁ・・・と。。。
すでに1年以上史跡巡り出来ていないです。。。はやくワクチン接種して気軽に遠征したいです(望)

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T-Shionoya

葛山城訪問 (2004/05/08 訪問)

過去のお城巡りの振り返り、第6段は静岡県裾野市の葛山城。
私が最初に訪問した中世山城がここでした。

愛鷹山東の扇状地を拠点としていた葛山氏は鎌倉期の名門。
戦国期は今川、北条、武田と苦しい関係を強いられ、最後は武田勝頼と共に滅び廃城となったのですね。

さて、尾根に挟まれたその東西に長い扇状地は、まさに武士の里といったエリア。今でも中世の生活が残っているような雰囲気。
また江戸期に箱根関所ができるまで主要な道だった足柄道(矢倉沢往還)の沿線でもあり、その通行も管理していたのではないかと。

葛山城があるのは、そのエリアの北の尾根。
東曲輪と西曲輪は、曲輪というより尾根道といった感じ。
城郭中心部がそれらの曲輪と2重の深い堀切で分断されているのが特徴。
本丸と二の丸には薄っすらと土塁が残り、城の北側は急峻な谷。
以前は本丸から富士の頭が見えたのですが、先月久しぶりに行ってみると、木々が伸びて見えなくなってました。

大きくはないものの山城の基本のようなつくりで、山城を理解するための良い教材と言った印象。
ただ個人的には戦いの城というより、大切な米などを野盗から守る場所だったようにも感じます。

そして300mほど離れた場所にあるのが葛山館跡。
100m四方の区画が立派な土塁で囲まれており、南側は大久保川が流れ、北側と東側には濠があったとのこと。
館と山城がセットになった中世城郭形態を今に残す貴重なお城ですね。

※写真は2004年と2021年のもの

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昌官忠

佐倉酒々井印西近辺攻城:臼井城 (2018/04/02 訪問)

臼井城址公園駐車場(35.737852、140.178570)に駐車して攻城しました。

享徳の乱の折、1478年(文明10年)12月10日の境根原合戦で千葉自胤に敗北した千葉孝胤は、臼井教胤の養子となっていた一族の臼井持胤の守る臼井城に籠城しました。
7ヶ月に及ぶ籠城戦の末、1479年(文明11年)には太田道灌の率いる上杉方に攻められ落城しましたが、このとき道灌の甥の太田資忠らが討ち死にし、現在も臼井城の土塁の上に資忠の墓が残されています。
その後、足利政氏の次男足利義明が小弓城を征圧し小弓公方を自称した際には、臼井城主の臼井景胤は小弓公方側に立ち、千葉孝胤の嫡男勝胤とは立場を異にしました。
だが1538年(天文7年)10月第一次国府台合戦で足利義明が討ち死にした後は千葉氏の影響下に復しました。
その後も千葉氏の家臣、原胤貞が城主を務めていた1566年(永禄9年)には上杉謙信(当時は輝虎)に攻められる(臼井城の戦い)など、何度も合戦の舞台となっています。
1574年(天正2年)に原胤栄(胤貞の子)は里見勢に生実城を追われたため、その後原氏が臼井城を本拠とします。
1590年(天正18年)、小田原征伐により原氏が滅びたのちは豊臣側に接収され、酒井家次が封じられましたが、1604年(慶長9年)、酒井家次の高崎移封に伴い廃城となりました。
現在は城址の一部が臼井城址公園として整備されています。

土橋は土のままであってほしかった。駐車場は10台くらいは停められそうです。
攻城時間は20分くらいでした。

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昌官忠

佐倉酒々井印西近辺攻城:本佐倉城 (2018/04/02 訪問)

防火水そう近く(35.727752、140.254395)に路駐して攻城しました。
後でわかりましたが、本佐倉城跡駐車場(35.728734、140.260910)がありました。

本佐倉城は2回攻城しています。
①2018/04/02  一人で攻城
②2018/09/01    続100名城スタンプ押印目的で一人で攻城

室町時代後期に千葉宗家を倒して家督を奪った馬加氏は、将軍足利義政の命により千葉実胤と自胤を支援した東常縁に討たれ滅亡しました。
また太田道灌も実胤・自胤を支援し江戸城を築城するなどしたそうです。
だが、馬加康胤の子(異説あり)千葉輔胤は、古河公方足利成氏と結んで下総国を平定したことで宗家の地位を確保し、文明年間に従来の亥鼻城よりも内陸のこの地に城を築いて本拠地を移しました。
なお、1479年(文明11年)に太田道灌が千葉輔胤を攻めたときに追い詰められた輔胤の籠城先が臼井城であったことから、この時点ではまだ本佐倉城は完成していなかったと推定されています。
その後、9代にわたって戦国大名千葉氏宗家の本拠地となったが、1590年(天正18年)千葉氏が小田原征伐後に改易されると、徳川氏に接収されて一旦は破却され、代わりに城下に陣屋が設置されました。
1602年(慶長7年)12月に5万石で松平忠輝が封じられるが、ひと月余後の1603年(慶長8年)2月、信濃国川中島に移封されました。
1610年(慶長15年)軍事上の必要から同地に封じられた小笠原吉次、土井利勝が再び本佐倉城に入って佐倉藩の藩庁が置かれました。
1615年(元和元年)藩庁の佐倉城への移転と一国一城制により廃城となりました。
なお、本佐倉の城下町は酒々井宿に移設されて成田街道の宿場町になったと考えられています。

車で行きましたが、ナビがとんでもない道をナビゲートした為、防火水そう付近に路駐して、城址西側(八幡神社側)から攻城しました。
土塁や空堀などの遺構がほぼ完全な状態で残っています。
続100名城スタンプは酒々井町中央公民館で押しました。パンフレットもたくさん置いてあります。
攻城時間は2回目の酒々井町中央公民館も併せて90分くらいでした。(ほとんどは1回目の時間です)

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にのまる

品川区と大田区の区境未訪6城一気に塗り潰しのラスト (2021/02/07 訪問)

①梶原氏館(梶原稲荷神社)
②新井宿城(熊野神社)
③池上氏館(本行寺)
④馬込城(湯殿神社)
⑤荏原氏館(旗岡八幡神社)
⑥品川氏館(貴船神社)👈👈👈ゴール🏁

 日も傾く頃に到着した品川氏館は文献のない推定地とのことですが(「日本城郭大系」より)、めちゃくちゃ達成感ありました。
 さすがにお腹も空いてきたのでソッコー帰りました。
よい一日でした(^O^)/

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名古屋城の金鯱は思った以上にピカピカ! (2021/03/19 訪問)

『名古屋城金鯱展 KIN-SHACHI EXHIBITION ~守り神降臨、海と山の祈り~ 』プレス内覧会に行ってきました!
2021年3月20日(土・祝)~4月2日(金)、名古屋城二ノ丸広場にて16年ぶりに地上に降臨した金鯱を間近に見られるイベント。名古屋城の金鯱は「海シャチ」と「山シャチ」だそうですが、思っていた以上の大きさと金ぴかさにびっくり!

イラストレーター2yangさんの絵画と一緒に「山シャチ」を楽しんだり、水盤に優雅に浮かぶ「海シャチ」と記念撮影できたりと(記念撮影スポットでの撮影は有料)、とても楽しいイベントでした。

せっかくなら、二の丸茶亭の金シャチモーニングと一緒に楽しむのがおすすめです! トーストに小倉餡とホイップクリーム、そしてかわいいシャチが!! しかも、ホイップには金箔も!!

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小城小次郎

いつかまた自由に見られるようになるといいな (2020/12/19 訪問)

地主さんの事情で現在は非公開なので、散策路を順路通りに歩くと強烈な肩透かし感を食らわされるのだが、下から見上げただけでも残存状況の素晴らしさが窺い知れる。いつかまた見られるようになることを祈らずにはいられない。

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ダイエティシャン

亀山城跡(島根県江津市江津)ニ楽閣跡 甍街道 (2021/03/13 訪問)

江津市亀山城を目指しましたが、またまた辿り付けず。近くのニ楽閣跡(じらっかくあと)も、通行止め(1枚目)でした。
近くの【天領江津本町甍街道】は行く事が出来ました。【天領江津本町甍街道】は、かつて天領として栄えたそうです。豪商屋敷跡や、船の様子跡が保存されています。(2〜6枚目)
駐車場は【山辺神社(山辺神宮)】の高い大看板を抜けた奥、【甍街道交流館(旧江津町役所)】(8枚目)の前、7台位駐車可能。
山辺神社(山辺神宮)】(9,10枚目)にもお参り。コロナの収束を願いました。

今回早起きして、6城 目指しましたが、調査不足の為、1城(浜田城)しか辿り付けず。【時は今】ではないかもしれません。
我が領内では、コロナ感染の再拡大も懸念される中、4月からは、領内の攻城になりそうです。

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ダイエティシャン

本明城(ほんみようじょう又は もとあけじょう)福屋城 (2021/03/13 訪問)

本明城(ほんみようじょう又は もとあけじょう)又は福屋城
島根県江津市有福温泉本明けにあるそうですが、調査不足の為、辿り着く事が出来ませんでした。
益田氏庶流の【福屋氏】の居城だそうです。

代わりに、近くの有福温泉にある本明城の地図と有福温泉【御前湯】と手湯の写真を載せます。
【御前湯】とすぐ近くの2湯あり、外湯巡りも楽しそうです。
足湯ならぬ【手湯】があります。
古き良き温泉街です。

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ダイエティシャン

浜田城 (2021/03/13 訪問)

今回、浜田城の城下町巡りもしました。
スマホのバッテリー切れの為、城下町の写真はありません。
大手門跡も行きました。
陣があった【夕日の丸】は見当たりませんでした。後日伺った所、現在は、山を削り住宅街に。地名も残っていないそうです。
江戸時代の思わせる建物も多くありました。
城下町からは、亀山の浜田城跡を見る事が出来、天守閣もさぞかし見応えあっただろうと、思いながら、散策しました。
浜田港にも行き、浜田藩の交易にも思いを馳せました。

この後、近くの周布城を目指しましたが、、墓の大軍に恐れをなし、攻城を断念しました。

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AJ

戦国最強決定戦 -序- (2019/08/21 訪問)

1年に及ぶ包囲戦の末にようやく七尾城(石川県七尾市)を落とした上杉謙信は、本丸のある山頂からの絶景に感動して漢詩を詠んだそうです。軍神と謳われた男の、一風変わった喜びの表現だったのでしょうか。裏を返せば、この城攻めがいかに難しかったかを物語っているのかもしれません。

石動山系に位置する城山の7つの尾根に築かれた能登畠山氏の大要塞。格式高い三管領家の分家にふさわしく、当時は三の丸手前の曲輪で衣服を整えることが求められたとか。削平地である各曲輪は大小の堀切で遮断され独立性が高く、至る所に大がかりな石垣が積み上げられています。注目すべきは本丸前面。2mほどの野面積の石垣を階段状に積み上げることで、当時はまだ未発達だった高石垣の代わりとしたようです。本丸最高部は標高300m。謙信が眺めたであろう七尾湾を一望できます。

アクセスには市内循環バスが便利。JR七尾駅から15分ほどで山麓の資料館まで行けます。また、駅構内にはレンタルサイクルもあります。

さて、この城攻めに際し、一度は兵を引くことを余儀なくされた謙信。その後、力攻めは諦め、彼にとっては珍しく、調略で仕留めています。能登を押さえることで、越中から加賀に侵攻していた上杉勢は後顧の憂いなく越前の織田方と対峙。武田信玄はすでにこの世を去っており、ここに戦国最強決定戦の舞台が整ったのです。

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todo94

城カード櫓シリーズ (2021/03/13 訪問)

今回の最大の目的は、櫓シリーズの城カードゲットだったのですが、16:30の受付にギリギリ間に合って本丸内に入ることができました。平成40年まで有効の城主手形を持っているので入場無料です。二様の石垣や連続する枡形を俯瞰するというのはなんとも新鮮な体験でした。熊本の標本木の開花が5輪に達しておらず開花宣言は出ていませんでしたが、城内の桜はかなり咲いていました。2021年4月26日に天守内部の公開が予定されていますが、新型コロナウイルス感染者数のリバウンドの兆しもあり、予定通り公開の運びとなるのでしょうか。

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昌官忠

印旛日本医大前駅周辺攻城:笠神城➡城びと未登録(千葉県印西市) (2018/04/07 訪問)

南陽院手前の空スペース(35.819207、140.207845)を借りて攻城しました。

笠神城の歴史は東国戦記実録などの軍記に頼るところが多く信頼できるような史料はないために確実なことはわからないようです。
千葉氏に関連する城であることは蘇羽鷹神社の存在から肯定できると思われるそうです。
戦国時代には千葉氏の家臣原肥前守の嫡子原豊前守が笠神城を守っていたが、1575年(天正3年)に豊島氏の居城である布川城を攻めたときに返り討ちに遭い、原肥前守は討死し笠神城の兵士たちも敗走したといわれています。
現在城址は南陽院の境内となっており、土塁や堀切の遺構が残っています。

裏に蘓波鷹神社があり、小さいが城の雰囲気はあります。
自分が攻城した際は、まだ見学できました(?)が、現在は「城跡への立ち入りや境内の写真を撮ることも禁止している」ようなので、見学は控えたほうがよさそうです。
攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

印旛日本医大前駅周辺攻城:松虫城 (2018/04/07 訪問)

松虫寺の駐車場(35.789202、140.214790)に駐車して攻城しました。

松虫城の詳細は不明ですが、臼井原氏の拠点のひとつだったと推定されています。
関東の諸葛孔明」と評される栗林下総守義長が佐倉の千葉氏を攻めたときに陣屋をおいたと伝わっていますが、栗林義長が実在した人物かどうか定かではありません。
真言宗松虫寺前の解説板には、「1585年(天正13年)2月28日に鵜沢信濃守敏信という名前が刻まれた鰐口(1976年6月1日指定の印旛村指定文化財)が残されている」との説明があります。
廃城時期については1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際に、北条氏の滅亡とともに廃城になったものと考えられています。
現在城址には土塁や堀跡などが残っています。

小さな寺はなかなか趣きがありますし、横堀や土塁等が確認できました。
攻城時間は20分くらいでした。

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ながす

にっぽん城祭り in愛知

今週末楽しみだな〜!!
ワクワク😎🤩

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赤い城

主郭は果樹園になっている (2021/03/13 訪問)

国分氏の菩提寺である知足院さんに車を駐めて訪問。
知足院前の道を登っていくと城址があります。
途中の道もそれっぽい雰囲気があります。
主郭部は果樹園となっていて土塁の上に標柱が立っていました。
民家もあるので私有地の部分が多いかな。
堀跡と思われる通路からは帯曲輪っぽい場所もありました。

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ぴーかる

私部城 (2021/02/20 訪問)

【交野城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡南西側にコインPあり。
<交通手段>バイク

<見所>堀・曲輪・土塁
<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング第3弾、大阪府内限定7城目。城跡の説明は現地案内板をご覧下さい。説明板は二郭にあります。二郭内の一部は城跡遺構として広場になっています。二郭と主郭の間の堀と土塁、主郭北側の土塁は凸凹が明確で城跡遺構が色濃く残っています。南側月極め駐車場の南に池堀の一部も残っています。

<満足度>◆◆◇

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