30年振りに行って来ました。以前は、木に囲まれ視界が悪く、鬱蒼とした感じで、特に、井戸曲輪は、木で覆われて、薄暗く不気味さを感じていましたが、今回行ってみると非常に、公園として整備され、視界も良く、小田原城🏯天守閣が、ハッキリ見えるほどで居心地が良かったです。
この一夜城は、小田原城の西側にある早川の南岸の箱根外輪山から相模湾の方面にある嶺にある笠懸山に築かれた山城です。
歴史は、豊臣秀吉が、九州征伐を完了し全国の諸大名に対して、惣無事令をだし、領土拡大禁止を発令し、京まで挨拶諸大名を上洛させ、降参の意思表示する様に、発令しましたが、東国には、奥州の伊達政宗も白旗を挙げていなかったのもあり、関八州の北条氏は、無視をした挙句、群馬の真田領の名胡桃城を攻略してしまいます。これにより、命令を無視したとして、小田原征伐が敢行されます。
この小田原城は、難攻不落の城で、上杉謙信率いる10万の城攻めや、武田信玄からの攻撃も、落ちませんでした。両者とも、最初から落とす気は無く、北条氏の領土拡大を牽制する為だったと思われます。また、秀吉も、小田原城は、簡単に落城しないと踏んで、自分の権力を誇示する狙いもあり、22万もの大軍で攻め込んで来たという事になりますが、激しい攻防戦は行わず、側室の淀君や千利休を呼んで、茶会を開く程の籠城戦となりました。
そんな中、北条方に精神的にダメージを与える為、この石垣一夜城を築城が完成後、夜間に木を伐採し、夜明けと共に城が出現したことで少なからず北条方では、動揺が広がり降伏に繋がりました。
アクセスは、城跡前に、五十台位の無料駐車場があります。交通機関は、近くにバス停はないので、麓から登ることになります。
スタンプは、駐車場にある公衆トイレの入り口にあります。
この駐車場の隣には、鎧塚さんのケーキ屋さんもあるので、城跡を散歩してから、食べてみては如何でしょうか。
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