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柳ケ瀬断層 (2021/05/08 訪問)

賤ヶ岳の戦いで、秀吉の弟の秀長が布陣しました。この戦いの秀吉軍の本拠とも言える城で、北國街道が、長浜がある沖積平野から山あいに入る箇所の東に聳えています。勝家がいた、玄蕃尾城へ向かって、ほぼ北にまっすぐに狭幅の平地が続き、北國街道が走っています。先に投稿した東野山城は、山あいに入って少し北上したところにあります。東野山城も、この田上山城も急斜面で、かつ比高があるのに、頂部は比較的平らで多くの軍勢が駐屯できそうです。両城とも土塁で囲われた主要部分の外側に広い自然地形の平坦地があります。
北國街道の東側の山の麓には、柳ケ瀬断層が走っており、西側に対して東側が隆起しています。このためにまっすぐな谷間が作られ、さらに、隆起する側が乗り上げてくる逆断層であるので、東側の急な斜面・比較的広い頂部を作ったのだと思います。
麓の神社から城域までよく整備、維持されています。城域の本当に端まで草刈り、雑木伐採がなされているのに感心しました。
下山後、北國街道沿いの山路酒造に立ち寄り、純米吟醸酒を買いました。田上山城に行ってきたと言うと、御城印を勧められました。

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イオ

鬼退治のお供 (2021/04/25 訪問)

戦国中期に有馬忠親が隠居城として築いた城で、有馬氏が堀内氏により滅ぼされた(乗っ取られた)後は堀内氏の城となりましたが、堀内氏が関ケ原の戦いで西軍に属して改易されたことに伴って廃城となったようです。

国の天然記念物・名勝であり世界遺産でもある「鬼ヶ城」の背後の山上に位置し、山頂の主郭部から南、西、北に続く尾根に小曲輪群を配した城です。東斜面には桜が多く植えられ、見頃にはさぞ綺麗だろうと思います。また、北西の尾根を進んだ先には脇ノ浜城(城びと未登録)があるようですが、今回は未訪です。

鬼ヶ城センターの広い駐車場(無料)に車を駐めて、駐車場北端の木製階段を上って登城開始。歩き始めてすぐに東斜面一帯に広がる石積みが見えてきます。おそらく遺構ではなく後世のものなんでしょうけど、つづら折りの道をひたすら登って行く間、目を楽しませてくれる光景ではありました。15分ほど歩いて主郭部に到着。東に志摩半島から続くリアス式海岸、西に七里御浜の眺望が開けています。南部には櫓台状の巨石群が聳え、その脇を抜けて行くと鬼の見晴らし台と呼ばれる展望台から熊野灘が一望できます。展望台下方の南尾根には曲輪群があるようなので下りて行ってみましたが、階段状に小曲輪が連なっているくらいで目立ったものは見当たりませんでした。今度は北尾根に向かうべく主郭部最高所を越えて進むと、北尾根の曲輪群に入ったあたりに主郭部から北東下に続く石列があり、また北尾根曲輪群のところどころに石積みが見られました。北尾根は熊野古道の松本峠まで続いていますが、その尾根道を三条の堀切が断ち切り、さらに竪堀となって斜面を遮断している様子が状態よく残っています。主郭部まで引き返し、最後に西尾根の曲輪群にも行ってみましたが、ハイキングコースから外れているため未整備で、土留めと思しき石積みは見られましたが、これもやはり後世のものなんでしょうね。

随分と暖かくなったせいか、この日は熊野に向かう道中から城めぐり中までサル、カモシカ、リス、キジ、ヘビなどいろんな動物に遭遇しましたが、サルやヘビはまだしも、城めぐりでリスやキジを見たのは初めてのことで、これでイヌにも会ったら桃太郎だな、などと考えながら歩いていると、曽根集落で散歩中のイヌと出会っていたことを思い出しました。鬼ヶ島ならぬ鬼ヶ城攻めの日だけに、鬼退治のお供と出会うべくして出会っていたようです(笑)
 

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登城途中に溝谷砦 (2021/05/08 訪問)

キンヤさんが2014年4月に登城されてから7年。草刈りもされ、しっかり維持管理されてました。一番高所の曲輪が本曲輪でなくて、西側に一つ奥まった曲輪が本曲輪とのこと。一番高所の曲輪に「東野山砦本陣」の石柱が立っているのはご愛嬌。
城びと先達のお二人が要所の写真をアップされているので、登城道になっている林道脇の溝谷砦を報告します。北陸自動車道の上を渡り、獣害避けの柵を開けて数百m行ったあたり、林道が尾根先端を半周ほど巻いた箇所があります。まだ、東野山をほんの少ししか登ってませんが、北國街道を挟み、堂木山砦が正面に見えます。賤ヶ岳の戦いでは、共に勝家軍に対する最前線になります。林道を作ったために、たぶん風化状態よりも急になった切り岸をよじ登ると、三段の小曲輪と背後の堀切を見ることができました。他にも全山に遺構が残るとのこと。
次に秀吉軍本拠であった田上山城に向かいます。途中で、サラダパンの昼食。田上山麓の木ノ本の小さなパン屋のおばさんが考案。沢庵を千切りにしてマヨネーズであえてパンに挟んだやつ。少し前にブレークして、滋賀県下では、あちこちで買えるようになりました。

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イオ

沢の中の水門 (2021/04/25 訪問)

鎌倉期に木本盛房が築いた城で、木本盛房がこの地を去った後は豊浦左衛門が移り住んだとされます。

小山浦集会所の駐車場に車を駐めさせてもらって登城開始。豊浦左衛門創建と伝わる長泉寺と集会所の間の道を上って行くと、環境防災林整備事業の案内板があり、後山城についての記載もあるんですが、文字がかすれてしまって判読しづらくなっています。案内板から少し行くと津波避難場所に続く舗装道からの分岐があるので、朽ちかけた木橋を渡り、その先の沢に架かる二本目の木橋を渡ったあたりからが城域になります。

木橋を渡ったところには自然石に彫られた城跡碑があります。正しくはこの城跡碑の左側に進むべきところ、右側の登山道を進んでしまい、砂防ダムを過ぎ、東屋に着いたあたりでどうも道を間違えたらしいと気付いて引き返す羽目に。城跡碑から左奥に進むと沢沿いに石積みが見られます。さらに行くと右手に巨石による石塁が続き、その先に後山城最大の見どころの石組みの水門があります。水門の遺構というのはこれまでに見たことがありませんでしたが、沢の間の立地のため、しっかりした水門が必要だったということでしょうか。

下調べで縄張図を入手できずに登城したため、道に迷った上に見落としもあったかも知れませんが、春になり藪化しつつある山中をかき分けて進み、石塁や水門にたどり着いた喜びは格別でした。
 

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AJ

おたくの娯楽 (2017/04/30 訪問)

土木建築おたくの秀吉が贅の限りを尽くした道楽城との呼び声が高い伏見城。金持ちが今わの際にすることは古今東西似通っていますね。

もとは隠居城で、後に政権の公儀の城、関ヶ原前哨戦で焼けた後は家康が再建しますが、一国一城制で破却、遺構は「伏見櫓」などの名称で各地に残っているようです。初期の指月岡の遺構はマンション建築現場で偶然見つかったそうですが、今では石垣の一部が残る程度。大地震(1596)後に築かれた木幡山の城跡はほぼ全域が宮内庁の桃山御陵地に含まれるため、縄張りのトレースは困難だと感じました。とはいえ、一生懸命歩くと良いことがあるもので、距離感や高低差は想像以上に堪能できました。

1600年6月、会津討伐に出た家康から留守を託された鳥居元忠ら1800人は、この広大な敷地を西軍4万人に囲まれるも開城拒否。元忠麾下はほとんどが戦死し、数百人が切腹した部屋の床は供養のため「血天井」(撮影不可)として京都市の養源院などに残っています。合掌

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カズサン

【信濃伊豆木陣屋】長野県飯田市 懸造り書院が見所 (2014/04/20 訪問)

 平成26年4月飯田城を終えて国道151号線から帰る途中に在る伊豆木陣屋に約45年前に仕事で飯田に来た折り探訪以来寄りました。
 所在地:長野県飯田市伊豆木3942
 駐車場:長野県飯田市伊豆木42-1、県道491号線沿いに「小笠原資料館駐車場」が有ります。
 ルート:県道491号線から西に村中道に入り約200~300m程で大手橋に着く、大手橋⇒大手門⇒石垣構えの大手道⇒物見櫓台石垣⇒書院表門⇒陣屋内⇒資料館、資料展示コーナー⇒書院、周囲から眺める、当日は休館日なのか資料館、書院には入れず⇒下城
 歴史:松尾城に居城した松尾小笠原家の後裔、小笠原長巨が慶長5年(1600年)徳川家康より秣料千石を賜りこの地に居館を構え以後代々ここに居住し明治を迎える。(案内解説板より抜粋)
 見所:懸造り書院は必見です。大手道の石垣構え枡形、控えの物見櫓台石垣。

 昼食は県道491号線を降り国道151号線へ城郭風建物で有名な「道の駅信州路下條そばの城」で「そばセット」と土産の野沢菜漬け馬肉の燻製酒の肴をゲット。
 一路国道151号線で標高1000m超えの新野峠を通り浜松へ3時間程掛かります。

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ぴーかる

八尾城 (2021/05/09 訪問)

【八尾城】
<駐車場他>駐車場はなし。八尾神社南西側にコインPあり。
<交通手段>バイク

<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング、大阪府内限定第2弾2城目。八尾城は築城年は定かではないが、八尾の豪族八尾別当顕幸が室町時代初期に築城されたとされる。南北朝時代には南朝方に味方して北朝方に攻め落とされる。戦国時代には若江城とともに池田教正の居城となって、切支丹もいたらしい。場所は比定地で常光寺辺り一帯と八尾市南本町・高美町・安中町一帯の2つの説がある。八尾神社内に城跡碑があるため城びとポイントとしているようだ。常光寺は大坂の陣にはあったので先の説ならばやはり東隣の八尾神社辺りに方形居館のような城があったかなあと思います。
 常光寺にも寄ってみて、説明碑にここは大坂夏の陣で金地院崇伝の抱え寺としてまた藤堂高虎が首実検をした血天井が残されているお寺さんらしいです。河内音頭発祥碑もあります。見事な山門見所です。

<満足度>◆◇◇

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カズサン

移築門も残って居り桜の時期は壮観です (2014/04/20 訪問)

 平成26年4月春日山城、長岡城を終えて夜の国道151号線新野峠は怖いので中央道SAで車中泊し翌朝飯田城に寄りました、飯田市は仕事、プライベートで良く訪ねてる所です。
 駐車場:飯田城二の丸飯田市美術博物館の駐車場を利用

 飯田城:中央アルプスから天竜川に伸びた舌状台地に南北の川が流れ削られた段丘崖城、東先端に山伏丸、本丸、二の丸、出丸、桜丸、三の丸、曲輪間には空堀、水堀で区画された連郭式城郭です。
 
 歴史:戦国末期武田氏、織田氏、徳川氏の抗争支配下後、豊臣氏に封じられた毛利・京極氏は城郭と城下の大改修を行い飯田の基礎を造った、関ヶ原後飯田藩は小笠原、脇坂、堀氏の居城と成り明治に廃城。(飯田城案内解説板より抜粋)
 
 移築門:①赤門・・追手小学校の北の合同庁舎の東 ②桜丸の門・・経蔵寺山門(飯田市上郷別府1768)山門前に駐車場、飯田城より東に直線1.5km程 ③二の丸八間長屋門・・私宅長屋門(飯田市松尾久井2595)門前に小駐車場在るも私有地ですのでマナーと配慮をお忘れなく、飯田城より南東に1.8km程。
 
 探訪ルート:二の丸駐車場⇒飯田市美術博物館(館内見学、美術常設展示、飯田出身の菱田春草日本画は俊逸で圧倒され成す)⇒二の丸周辺⇒本丸二の丸空堀⇒本丸長姫神社⇒山伏丸温泉館⇒赤門、石組み井戸⇒二の丸門跡⇒水の手門跡⇒経蔵寺山門⇒私邸八間長屋門。
 
 別途桜:①二の丸の安富桜、樹齢450年の大木エドヒガン桜です圧倒される存在感、桜は散ってましたので翌年仲間と桜見学しました。②桜丸の夫婦桜枝垂れのエドヒガン桜です二本の大木です。③飯田には一本枝垂れエドヒガン桜があちこちに有り桜のシーズンは見所満載圧倒的景観です。④飯田駅近くの大宮通りには染井吉野桜並木が有りそれは素晴らしい、桜の時期が訪問お薦め、りんご、梨、桃も花盛り桃源郷の如く。

 桜の時期を過ぎて居り桜の写真が無く投稿出来ないのが残念です、飯田城は市街化が進んでますが残ってる遺構、移築門とあり、美術博物館菱田春草日本画は機会が有ったら是非鑑賞頂きたい作品です。

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こうちゃん

これはこれで素晴らしい (2021/05/10 訪問)

鬼ノ城ビジターセンター駐車場を目指す。麓の整備された公園から先は細い山道が約3キロ。道中は待機スペースがちょこちょこ有り平日なら特に問題ないかと!ビジターセンターから10分弱で展望台が有り、そこから5分ほどで復元地帯(西門)に到着。観望して帰還で十分!物足りないならそこから2.3キロぐるりと回れる(各所遺跡)。
日本100名城に選ばれる『古代山城』の納得!そして総社市の観光意識の高さも伝わってきますよ。

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こうちゃん

石垣に圧感❗️ (2021/05/10 訪問)

鶴山公園専用駐車場が便利!建物は備中櫓の復元のみだが、天守が復元されたのならトップクラスにランクアップ間違いなし!それほど石垣が素晴らしいのだ。城南側で東西に流れる吉井川沿いの国道429から城全体を眺めれるのだがとにかく全貌が素晴らしい!

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イオ

曽根弾正屋敷 (2021/04/25 訪問)

曾根城は山上の詰の城と山麓の平時の居館で構成されますが、居館は曽根弾正屋敷と呼ばれ、曽根集落内に往時のものとされる石垣が見られます。

屋敷跡から南に少し行くと、佐々木氏(曽根氏)が悪疫退散のため建立したと伝わる曽根石幢があったので、一日も早いコロナウイルス退散を祈願しました。その他、集落の墓地には曽根弾正の五輪塔もあるようですが、見落としてしまいました。飛鳥神社の道向かいにある「歴史探訪のふるさと曽根」の案内板を見れば、曾根城と周辺の見どころがよくわかります。

飛鳥神社は曾根城や曽根氏とは直接的な関係はなさそうですが、丸石積みの石垣がなかなか見事でしたので、お時間のある方はどうぞ。旧曽根小学校校舎の曽根郷土資料館は、屋根にブルーシートが掛けられた状態で長期休館中で、一部資料は隣接する南輪内センター内の曽根郷土資料室に展示されているそうですが、休館日だったので未確認です。飛鳥神社にも参拝者用駐車場はあるようですが、この日は南輪内センターの駐車場に駐めさせてもらって曽根集落を散策しました。
 

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にのまる

甲州金を纏った信玄さん

猿さん、朝田さん、レスポンスありがとうございます😊
ぴかぴかにお色直しされた信玄さん、恵林寺そばの「信玄館」にいらっしゃいます。
 山梨県立博物館に「生誕500年 武田信玄の生涯」を見に行った帰りに寄りました。
5枚目の信玄さんは塩山駅北口です。

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田中和美

岡崎城

ちょうど、岡崎の桜まつりの時期で、葵船に乗りながら満喫してました、桜と岡崎城がいい感じに撮れました。

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kucucu

スニーカーで上って後悔 (2021/05/03 訪問)

上田に足を伸ばしたので、天白城へ行こうかと思ったのですが車を停めるところがないと。
じゃぁ違うお城にしよう!と選んだのが洗馬城でした。

下の神社に車を停めさせていただいていざ。
うっかりスニーカーのまま登り初めてしまって、ちょっと後悔しました。
登山用の靴に履き替えるべきでしたね(T^T)

途中、ロープにつかまって上る的な傾斜もありましたし(つかまらずに上れましたが)、整備していただいている木の階段はところどころ腐って落ちてしまっているし。
街歩き用のスニーカーではグリップが弱くてちょっと怖かったです。

足が短いので、段差が辛い…!
同行した夫と犬はひょいひょい行けても私はあちこちつかまりながらやっとでした。

てっぺんまで行くと上田の街がよく見えます。
お殿様のお城というより、物見台兼ねたお城だったのかな。

行きも帰りも誰にも会わずの城攻めでした。
真田本城や上田城は人が多そうなので避けて正解でしたねー。

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小城小次郎

神将・東郷の思いや如何に (2021/02/11 訪問)

住宅地の中にある公園の真ん中に土塁と堀を綺麗に残す、首都圏にあっては貴重な存在。東郷平八郎が立てた石碑が目を引くが、薩摩の東郷氏は相模の渋谷氏の後裔。渋谷氏所縁の地に碑を残した神将・東郷の思いや如何に。

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朝田 辰兵衛

今江小学校のグランド側。 (2021/05/05 訪問)

JR小松駅から徒歩約35分。今江郵便局を過ぎ,御幸橋を渡ったら,左手に見えてくるのが今江小学校です。手前側が正門。奥側がグランド。小学校も含めて高台となっており,一帯が平山城の御幸塚城と伝わります。城址碑は,別名の今江城のほうです。

にのまるさんクイズの答えは,甲斐の虎。勝頼ダディーです。

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久しぶりに甲府城へ (2021/05/08 訪問)

今回は、防災会館の地下にある展示室でジックリと石垣を鑑賞しました。
ひとりきりだったので、ひとりじめ状態でした。
そして、甲府城を訪問しました。
何回も来ていると勝手が分かって来て、短時間でしたが満足でしたね。
甲府城開府500年だそうで、展示もしていたので拝見致しました。
武田信玄公生誕500年でもあるのですね。
それで、にのまるさんの武将クイズの答えは武田信玄公と思います。

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カズサン

現在の長岡城は桜満開、城郭風郷土史料館 (2014/04/19 訪問)

 平成26年4月春日山城を満足の初登城を終えて北陸道経由長岡城へ向かう。
 長岡城は蔵王堂城から長岡城に堀直竒が移し元和4年(1618年)牧野氏が入封し7万4千石の藩領を幕末まで継承、幕末の北越戊辰戦争は苛烈で現在も語り継がれてます。城址は現在のJR長岡駅、再開発で面影は有りませんが城石碑が駅前に在るそうです。(私は見てませんが)
 建物主体の私としては悠久山頂上に建てられてる城郭風の長岡市郷土史料館へ直行しました、丁度桜の盛りで上から下まで桜の海に覆われてました人出も多く、駐車場は公園駐車場が沢山有りますが野球場に近くて神社道に近い所を選択利用。
 下から桜と模擬天守を写そうとぶらつき長岡大学の裏辺りから登ろうと登城路を探すが分からず悠久山をぐるっと回って池と公園に成ってる側から風景写真を撮りながらやっとこさ城郭風史料館に到着。
 郷土資料館内は長岡城の展示は勿論ありますが、主は幕末北越戊辰戦争と軍事総督河合継之助、大東亜戦争の山本五十六元帥の展示に力が入ってる様子。(私は嫌いでは有りません)

 史料館見学の後は天守最上階より桜と天守建物、下界の桜模様を撮影し降りても天守と周辺を同様に撮影。雲行きが怪しく成り山沿いは雲が黒く荒れそうな雰囲気、下城は蒼柴神社側から駐車場へ登りとえらい違いでした。

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イオ

巨石ごろごろ (2021/04/25 訪問)

戦国中期、近江国甲賀から入郷した佐々木宇右衛門(六角氏の一族)が曽根弾正を名乗り築いた城で、当初は伊勢国司北畠氏に、北畠氏の滅亡後は新宮から勢力を伸ばしていた堀内氏に従いましたが、関ケ原の戦いで西軍に属した堀内氏が改易されたことに伴って没落したようです。

賀田湾に面した曽根集落背後の城山と呼ばれる山頂部に位置し、主郭部から西にのびる尾根上にいくつかの曲輪を連ねています。また、山麓には曽根弾正屋敷と呼ばれる居館の跡が残っています。

飛鳥神社の前から細い道路に入り、随所にある案内標識に従って城山公園の駐車場へ。駐車場上の立派な猪垣を眺めた後、まだ車で行けそうなのでさらに上って行き、登城口の駐車場に駐めて登城開始。登城口から曾根城西端の堀切までは急な坂道が続きますが、賀田湾と曽根集落の眺望や城山夫婦石などの巨石を楽しみつつ10分あまりで尾根に到達。城内には巨石が散在していて、登城路を挟んだ巨石は城門のようです。西尾根の曲輪群は三条の堀切で隔てられ、堀切のところどころは石垣になっています。二条目の堀切(外堀)に架けられた橋を越えて進むと主郭部に至ります。主郭部の北辺には巨石列が壁のように連なり、物見岩の案内標識に従って巨石列の上を進むと賀田湾を一望する絶景が! 主郭部東下の曲輪には石組みの井戸がありますが、危険になったため大きな石で塞がれています。井戸の反対側には楯石と呼ばれる巨石があり、その名の通り南辺に続く石列と併せて南辺の防御を担っていたと思われます。東にもう一段下の曲輪には貯水施設と思しき窪地があり、そこから石段を下りた先の広い曲輪には一面に巨石が散乱しています。その中でも最大の「鯨石」を眺めつつ進むと、堀切に架かる橋の下に着きます。これで城内一周です。

曾根城は「つつじが城」とも呼ばれるようにオンツツジの名所として知られ、今回のお目当てのひとつでしたが、訪れるのが当初の予定より1~2週間遅れたこともあって、見頃は過ぎてしまっていました…。それでも、もうひとつのお目当ての巨石は期待以上で、壁のような巨石列とそこからの眺望は大いに見応えがありました。
 

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たら吉

小諸散策

懐古園は以外と広くて1日楽しめ小諸駅の反対側には大手門や陣屋もありコンパクトに観光出来ます。駅でレンタサイクルを借り布引観音まで足を延ばしてみました!

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