賤ヶ岳の戦いで、秀吉の弟の秀長が布陣しました。この戦いの秀吉軍の本拠とも言える城で、北國街道が、長浜がある沖積平野から山あいに入る箇所の東に聳えています。勝家がいた、玄蕃尾城へ向かって、ほぼ北にまっすぐに狭幅の平地が続き、北國街道が走っています。先に投稿した東野山城は、山あいに入って少し北上したところにあります。東野山城も、この田上山城も急斜面で、かつ比高があるのに、頂部は比較的平らで多くの軍勢が駐屯できそうです。両城とも土塁で囲われた主要部分の外側に広い自然地形の平坦地があります。
北國街道の東側の山の麓には、柳ケ瀬断層が走っており、西側に対して東側が隆起しています。このためにまっすぐな谷間が作られ、さらに、隆起する側が乗り上げてくる逆断層であるので、東側の急な斜面・比較的広い頂部を作ったのだと思います。
麓の神社から城域までよく整備、維持されています。城域の本当に端まで草刈り、雑木伐採がなされているのに感心しました。
下山後、北國街道沿いの山路酒造に立ち寄り、純米吟醸酒を買いました。田上山城に行ってきたと言うと、御城印を勧められました。
+ 続きを読む










