上野原駅北口から徒歩で20分くらい。
鶴川の河岸段丘上にあります。
上野原駅は北口と南口の高低差がかなりあり、城の南側は崖で守られていたことが想像できます。
城跡には中央道が走っていて、稲荷神社に説明板が立っています。
これによると地下には遺構も眠っているかもしれません。
明確な遺構はありませんがカルビンさんの投稿にある畑は確かに堀跡と思われます。
城の知識はまだまだなので皆さんの投稿には大変お世話になっています。
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検索結果・・・「」を含む投稿
2021/08/19 06:54
別名は内城館 (2021/08/13 訪問)
上野原駅北口から徒歩で20分くらい。
鶴川の河岸段丘上にあります。
上野原駅は北口と南口の高低差がかなりあり、城の南側は崖で守られていたことが想像できます。
城跡には中央道が走っていて、稲荷神社に説明板が立っています。
これによると地下には遺構も眠っているかもしれません。
明確な遺構はありませんがカルビンさんの投稿にある畑は確かに堀跡と思われます。
城の知識はまだまだなので皆さんの投稿には大変お世話になっています。
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2021/08/18 16:44
広大な縄張りが見渡せる (2021/03/23 訪問)
冬枯れの時期、手入れも良くされており縄張りが良く理解でき、堪能。往時は石垣も多用されていたことも分かるが、相当破却されているのが至極残念。豊臣政権時、大和三城のひとつだったというのも納得できた。
帰路の途中、近くに又兵衛桜という立派な枝垂れ桜があると聞き寄り道。大坂の陣で戦死した後藤又兵衛が実は生き延びてこの地で余生を送ったという言い伝えがあり、その住まいにあった枝垂れ桜がこれだという。
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2021/08/18 08:21
海に突き出た岬の城 (2021/08/01 訪問)
詳細は不明ながら、室町期に越賀氏によって築かれた城で、九鬼嘉隆の侵攻に対して、越賀隆俊は越賀城に籠城して抵抗した後、和睦して九鬼水軍の一員となり、隆政、隆春と三代にわたって九鬼氏に仕えました。
太平洋に突き出た小さな岬に位置し、三方を海に囲まれた単郭方形の城で、北側の集落との間を堀切で断ち切っています。堀切の西端に主郭に至る登城路が設けられていますが、時季的に藪に沈んでいて突入するのはためらわれます。それでも勇を鼓して、藪をかき分け蜘蛛の巣を払いながら進んで行くと…主郭もやっぱり藪の中でした。下調べでは中心部は畑とのことでしたが、もう何年も放置されているようで、笹藪が激しく茂っていてとても入り込めません。かろうじて北東隅の土塁に石組みの穴(井戸? 古墳跡?)が見られたくらいでした。
なお、越賀城から西に車で約3分の普門寺は、隆春が隆政のために建立したとされる越賀氏の菩提寺で、境内には越賀氏三代の墓所があります。普門寺の寺紋は越賀氏の家紋と同じ桧扇(七本骨扇)のようですが、門の脇には桧扇紋の瓦が並べられていました。
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2021/08/17 23:02
2021/08/17 20:12
2021/08/17 17:47
今村城石碑が民家に (2021/08/17 訪問)
たまたまネット検索で見つけた今村城に行ってきました
石碑があると聞いて車で登城しました
あるていど遺構があると思い調べようとしましたが
雨でいけず、さらに石碑が民家の前にあり行きにくかったので
あきらめました。
そのご城びとで今村城があり、赤い城さんやチェブさんが石碑を取っている人がいて
つぎは石碑の写真と遺構の状況を調べたいとおもいます
(城情報は情報が無かったのでまたのきかいに載せることにします
ご了承願います)
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2021/08/17 17:33
竹田城 石垣 (2021/08/15 訪問)
竹田城ってすごいよね!
私は評価ニキみたいに批評できないけど、とにかくすごいよね!ね!(圧)
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2021/08/17 11:04
真田氏の山城に石垣が (2020/10/03 訪問)
真田幸隆は真田本城を拠点としたとされるが、さらに山奥の松尾古城を根城という説もある。この城の本丸は石垣で囲まれていると知り、違和感を感じながらも訪問。
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2021/08/17 09:40
小笠原流石垣 (2020/11/15 訪問)
小笠原家の拠点からさらに北方向に位置するこの城の石垣を見るために訪問。
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2021/08/17 08:46
九鬼岩倉神社 (2021/08/01 訪問)
戦国後期に波切城主・九鬼泰隆が鳥羽進出のために築いた城で、その孫・浄隆の代に北畠氏の支援を受けた志摩七党と呼ばれる地頭たちに攻められ、戦の最中に浄隆が病死(討死とも)し、まだ幼い澄隆が家督を継いで叔父・嘉隆の補佐を受けるも落城。澄隆と嘉隆は朝熊山に落ち延びました。その後、織田信長に仕えた嘉隆が北畠氏を破ったことで、澄隆は田城城を回復しましたが、九鬼氏の実権を嘉隆に握られたまま病死(嘉隆による毒殺とも)し、嘉隆が本拠地を鳥羽城に移したことで廃城となりました。
加茂川と河内川に三方を囲まれた丘陵地に築かれた城で、かつては周囲は湿地帯だったようです。国道の九鬼岩倉神社前交差点近くに石鳥居があり、その脇に田城城跡の標柱と説明板があります。鳥居をくぐり階段を上って行くと神社の境内に至ります。ここが主郭のようです。東西に細長く広がる主郭の北辺と南辺には土塁(状の土盛り)が見られ、東奥に九鬼岩倉神社の社殿が建てられています。
九鬼岩倉神社は嘉隆の子・守隆が澄隆を祭神として祀ったとされますが、そうせずにいられないあたりが毒殺説を裏付けているようにも思えます。ともあれ、訪れた時も氏子の方々が境内の整備をしておられました。今なお大切にされているようです。
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2021/08/16 21:50
現地に立てばわかることもある (2021/05/29 訪問)
松平元康が兵糧入れに成功した舞台の城として有名だが現地は「もー」っとした緑の平原でしかない。堀底の木を伐採するだけでも景観が変わるのだが。ただ現地に立つと桶狭間前夜の緊張感だけは味わうことができる。行けばわかる。
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2021/08/16 17:40
2021/08/16 16:08
備中高松城から南に数kmのところ (2021/03/16 訪問)
水掘で囲まれた小さな四方形の郭が残っている。現在さらに住宅が堀までせまっているため撮影に苦労した。
石垣は西面によく残っている。戦う城の石垣にしては優しい。
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2021/08/16 15:51
宇喜多家の武威を誇示 (2021/03/16 訪問)
この地区に散在する国衆を臣従させるために作ったたといわれる本丸石垣。そうは言ってもと思いながら初めて目にした時は唖然とした。
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2021/08/16 15:31
2021/08/16 15:23
村岡城に行ってきました
村岡城に行ってきました
ここは平将門の叔父の平良文が築城しました
そのご後北条氏の手により支配され玉縄城の支城となり
豊臣秀吉の小田原征伐により廃城となりました
〔城情報〕
・平山城
・築城者 平(村岡)良文
・築城年 平安時代中期〔900~1000年程度〕
・主要城主 平家、後北条氏
・主な遺構 なし(消滅)
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2021/08/16 15:02
天下普請の力 (2021/06/17 訪問)
大阪の陣を控えた家康が短期間で作りあげた城。なんといっても高石垣だが、内外堀、そして二つ残る馬出も見事。
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2021/08/16 13:41
2021/08/16 08:46
鳥羽湾を見渡す (2021/08/01 訪問)
織豊期に九鬼嘉隆が本拠地として築いた城で、江戸前期に九鬼氏がお家騒動で国替えになって入封した内藤忠重により改修され、その後、城主は次々と替わりましたが、江戸中期以降は稲垣氏のもとで明治に至ります。明治に天守をはじめとする建物が取り壊され、昭和には本丸南下に小学校、西麓に市役所、家老屋敷跡に幼稚園が建てられました。
伊勢・志摩の国境の妙慶川河口南岸の丘陵地に築かれた城で、鳥羽湾に面した東側を大手とし、水門や舟蔵を設けた海城でした。さすがは水軍を率いて戦功を挙げた海賊大名の城ですね。
鳥羽城には3年ほど前にも登城していますが、本格的に城めぐりを始めたばかりの頃で見落としもあったので、再訪しました。家老屋敷跡下の無料駐車場に車を駐めて登城開始。まず家老屋敷跡の石垣と案内図を眺め、城山公園を抜けて本丸へ。本丸は小学校の運動場になっていたため目立った遺構は見られませんが、小学校移転後の発掘調査で、天守台や本丸御殿、大井戸が確認されています。また、本丸の周囲には野面積みの石垣が状態良く残っています。前回は本丸南側(小学校側)の石垣は未確認でしたが、こちら側にもなかなか見事な石垣が見られます。城山公園に戻って、前回行った三の丸広場には今回は行かず、ハートTOBAのモニュメントや天守型のライトアップを横目に北麓に下りて、堀代わりだった妙慶川と相橋の下の石垣を確認し、堀と堀代わりの蓮池を埋め立てた錦町通りを歩いて駐車場に戻りました。
それにしても、本丸から鳥羽湾を見渡していると、いつか九鬼嘉隆の首塚と胴塚がある答志島や坂手村砲台のある坂手島、神島、菅島などの離島めぐりをしてみたくなりますね。
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