2004年5月28日、埼玉県比企郡嵐山町の菅谷館を訪問。だいぶ前なので、あまり詳しく覚えてないのですが、埼玉県立嵐山史跡の博物館も入りました。
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2021/09/30 11:00
2021/09/30 10:52
The Buddhist temple with a manor house ruin (2021/09/22 訪問)
2021年9月22日に訪問しました。前から、足利尊氏公ゆかりの寺とあったので、気にはなってたのですが、なかなか寄る機会がなかったです。先日、府中市内のセカンドハンドストアへ行った折に、寄ってみました。来てみて初めて知ったのですが、尊氏公だけでなく、藤原秀郷公ゆかりの地でもあります。館址があります。その横には、弁慶の硯の碑もあります。寺務所に声をかければ、寺に関する栞をもらえます。
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2021/09/29 23:55
仙台藩21要害を訪ねて 岩谷堂要害 (2021/09/12 訪問)
仙台藩21要害三ヶ所目は岩谷堂要害を訪問。旧江刺市岩谷堂(現奥州市江刺区岩谷堂)は私が大学を卒業して就職し、初めて出張で訪れた町。当時から城に興味は持ってはいたが、土で築かれた中世城館の認識が無く、50年ちかくを経て初の攻城となった。城の歴史は古く、奥州藤原氏の祖経清・清衡との関わりも伝わっているようだ。中世には千葉氏、江刺氏、葛西氏が城主。仙台藩領となり伊達家臣の桑折氏、古田氏を経て万治2年(1659)に御一門岩城左兵衛宗親が拝領、大きく改修した後、岩谷堂伊達家(5510石)の要害として明治維新まで使用された。
縄張は東に人首川が流れ、北から南にのびる標高115mの丘陵の南端部に築かれ、北側一番奥に本丸、次にニノ曲輪、中ノ丸、二ノ丸が続く。本丸は帯曲輪と横堀で守られており、それぞれの曲輪は空堀で隔てられている。
近世には二ノ丸(東西150m、南北100m)に多くの建物が置かれ、要害屋敷として使われたようだ。
訪問当日は人首川に架かる夢乃橋を渡って城址「館山史跡公園」に入ったので、城の東側が切立った崖であり、堅城ぶりがよく理解できた。
水沢ICから11km、17分。本丸下に駐車場があり。
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2021/09/29 22:10
太田道灌が築いた砦 (2021/09/20 訪問)
西武線の謎解き1日乗車券を利用して乗り鉄城廻り。
先日チャレンジした謎解きはさっぱりだったのでこちらにチャレンジ。
愛宕山砦跡には早大高等学院があります。
遺構はありません。
太田道灌が石神井城の豊島氏を攻めるために築いた砦です。
再訪ですがわざわざ行くことも無いと思います。
石神井城の帰りにどうぞ。
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2021/09/29 19:02
瀬田城・瀬田の唐橋 (2021/07/25 訪問)
【瀬田城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>京阪石山坂本線 唐橋前駅より徒歩
<感想>JR・京阪・阪急 3電鉄利用の旅2城目。瀬田城は山岡氏が興った永享年間(1429~1441年)に築城されたとされ歴代山岡氏が治めていた。戦国時代山岡景隆は織田信長に仕え、有名なのが本能寺の変の際に景隆は瀬田の唐橋と瀬田城を焼いたことで明智光秀が安土に向かうのを3日間足止めしている。現在は県道号線の道脇に石碑が残るのみとなっている。
瀬田の唐橋は乱の起こるたびに焼き落とされた橋で、本格的に架けたのが1575年、織田信長が家臣となった山岡景隆に命じたものがあるようです。その時橋に初めて擬宝珠が付けられたそうです。また俵の藤太の大百足退治発端の場所でもあります。琵琶湖の龍神が翁に化けて、三上山(現在の近江富士)に巣作った大百足が琵琶湖の魚を食べつくして困っているので瀬田の唐橋でスカウトした藤原秀郷(俵の藤太)に退治をたのみます。先に行った浮気住吉神社と繋がって納得しました。
古代の時代から交通または軍事の要衝の場所で今でも西側の国道422号線と東の県道559号線を結ぶ橋となっており右折渋滞がよく起こっています。私も車やバイクで行楽の度々渡った経験がありますが、徒歩でじっくり鑑賞しながらは初めて。
<満足度>◆◇◇
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2021/09/29 11:27
ミュージアム展示模型を見学目的の3度目登城 (2013/08/17 訪問)
平成25年8月故郷鳥取の行事を終えて高速道夜駆け、大分県日出城移築修復復元鬼門櫓を堪能、熊本県宇土城小西行長を偲び初登城を終えて宇土市より地道で八代城へ、主目的が以前見逃していた八代市博物館未来の森ミュージアムに展示されてる大型の八代城模型見学ですので車はミュージアム南の駐車場を利用。
今回で八代城は出張中も入れて3度目と成りますが博物館は初めての入館です、八代城模型は1階に大きく場所を取り展示されてます、素晴らしい立体模型で圧巻の眺めゆっくり周囲を廻り観察、撮影それだけで興奮ものです。
充分時間を掛け見学し八代城に関する資料も沢山展示配布されて居り頂く、麦島城の資料も有りゲット。
車は博物館駐車場に置き、東に100m~200m程に八代城が在ります、水濠に浮かぶ天守台を眺め北門廊下橋から本丸に入る、北九間櫓台、唐人櫓台、間の埋め門から入り内から天守台、小天守台を眺めて内部を散策して東に面した枡形門石垣の構えを見学、欄干橋から東へ出る、今回は3回目ですし以前探訪してる天守台、小天守台、各櫓台上には登らず、庭園松浜軒も寄らず、水濠越しに石垣群を眺めて更に頭に叩き込みました、丁度夕刻良い時間に本日の城廻りが終わりました。
この後は鹿児島に連泊ホテルを予約でき元会社の旧友と天文館で元馴染みの店に繰り出し旧友、マスター、ママと会話が弾み痛飲、翌日から鹿児島の未踏の城を登城と企画したのですが桜島からの降灰が酷く成り、連泊の残り宿泊をキャンセルして昼前に浜松帰路へ、約1200km高速道をゆっくりと途中SA車中泊仮眠して翌朝帰宅しました8泊9日良い思い出も有りますが疲れました。
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2021/09/28 22:33
大内定綱のイメージとは異なる城だ (2021/07/17 訪問)
表裏比興の梟雄的な印象が強い大内定綱の本拠地は意外なくらい求心性に乏しい群郭式のお城だった。生死を賭けて外敵から地域を守り抜く地域連合の惣領というのが、定綱の真の姿なのだろう。織豊系の石垣はおまけということで。
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2021/09/28 17:41
2021/09/28 16:04
小西行長の宇土城を初探訪 (2013/08/17 訪問)
大分県の日出城を終えて高速道で宇土城を目指す、宇土高校と宇土古城辺りにナビを定めて走行するが宇土古城の手前まで行き引き返し城跡らしき森を目当てに近づき案内板に従い細い道を北から南に進むと案内板、トイレ、駐車場に辿り着くが更に南に曲がり込み広い駐車場に辿り着きそこを利用。
本丸の西は二の丸で現在広い墓地霊園に成ってる、広い駐車場は霊園利用者の駐車場かもしれない。
初登城の宇土城本丸の西側に登城階段が有り本丸に登る、本丸話結構広い公園として整備されて居り、東側に小西行長が太刀を前に立て持ってる立像が建立されてる、側に案内板、周囲は崖で落ち込んでるが往時は石垣で覆われてたのだろうか?降りて本丸の周囲を散策、西側は崖と下部は石垣近年の復元石垣の様です、二の丸跡現墓地の間に堀跡、南から東に廻り東隣は宇土高校、夏草に覆われていますが崖土塁下は石垣が積まれ近年の石垣復元の様子、二の丸、三の丸現高校を西から南、東を囲むように外堀が有ったらしいが確認せず、今回の投稿でグーグルマップ航空写真で確認すると新しく出来た外周道路との間に堀らしき痕跡と見えるものがある。
宇土城は市指定史跡、宇土古城は国指定史跡保存の扱いに大きな違いがあるがひっそりと小西行長を偲ぶには丁度良いのかも、芭蕉の句「夏草や 兵どもが 夢の跡」がピッタリです。
歴史的には秀吉の九州征伐後肥後は佐々成政に与えられるが国一揆で肥後が混乱応援を得て鎮めるも責任を取らされ佐々成政は切腹、後肥後は北半分を加藤清正、南半分を小西行長に与えられ夫々20万石ほどの太守です、立派な城が完成するのでしょうが、其の後小田原征伐、朝鮮出兵、関ヶ原は西軍で敗退、斬首された。
この間10年ちょっと秀吉の配下として多忙を極め宇土城築城に手間を掛ける時間も少なく、廃城、一国一城令で織豊系の石垣大城郭として残らなかったのでしょう? このまま大事に保存整備をお願いして、初登城で大感謝です。
この後、八代城に移動します。
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2021/09/28 15:19
2021/09/28 07:44
千曲川のほとりにて (2021/08/20 訪問)
ここは私が一番好きな城の一つですが、3年ぶりの訪問になりました。
いつものように、大手門の駐車場に車を停めて、大手門→三の門→二の丸→本丸→馬場→展望台と訪問。(動物園は閉鎖中)
季節外れのため、桜や紅葉はありませんが、苔むした石垣に心が和みます。
三の門は現在修復中ですが、他の遺構については大きな作業は行われていないように思いました。
皆さんご存じのとおり、この城は浅間山の麓から千曲川に落ちておく緩やかな傾斜地の千曲川に沈む最後の一角に築かれたため、城下町よりも低い位置にあることから、大砲のような遠距離攻城兵器が実戦で用いられることとなった近世では、城下を占領されれば、攻城兵器でやりたい放題にされるので、近代戦には向きませんね。
しかしながら、城下より低い位置に築かれると、城主の目線も下がるということを考えれば、統治の上では悪いことばかりでは無いように思います。
少し離れた大手門と三の門の内を見て、1時間強というところだと思います。
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2021/09/28 07:05
2021/09/27 23:58
海城パートII (2021/09/26 訪問)
来島村上氏の本拠地、来島城に行ってまいりました。
島全体が城です。早い潮流が堀、石垣です。
今治市波止浜港から渡船で5分。
行った時間帯がタイミングよく、干潮時で岩礁ピッドを沢山見る事が出来ました。島の周りを一周できる潮位だったので犬走りのようなものも発見しました。ちなみに一周850mだそうです。
島を一周した後、頂上の本丸を目指しました。
途中、一部分ではありますが、綺麗に石垣が残っていました。
三の丸、二の丸、本丸とはっきりと曲輪を確認できました。
山腹には城主の居館後(心月庵)もありました。
1時間ほどで満喫できました。
蚊が多く、虫除けスプレー等あったら良いと思います。
自販機もないので、水分は島に渡る前に用意しておいた方が良いでしょう。
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2021/09/27 23:27
バンブーパラダイス!ずっと行きたかった。 (2021/09/12 訪問)
良い!と聞いていた念願の中居城、城友さんにご案内頂き登城して来ました。
車は近くの学林寺さんに置かせてもらい民家脇の標柱のところから登城。
少し登るといきなりの遺構、すぐに主郭部となります。
周囲を土塁が囲んでいます。
主郭の櫓台部分から下を見下ろすとかなりの深さ。
堀底道から見上げるとここがキルゾーンであることが良くわかります。
自然の地形を利用した念仏堀も深さ広さがあり見どころとなります。
南方三十三館の一つでここの城主も佐竹氏に太田城に呼び出され仕置されました。
これだけの城を持ってたら警戒されるのもやむを得ないですかね。
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2021/09/27 21:45
解体移築復元した鬼門櫓を見たくて (2013/08/17 訪問)
平成25年8月故郷鳥取で中学卒業50年同窓会、高校盆の同級会鳥取県城廻り、盆の墓参り寺参り、恩師挨拶等5泊6日を終えて前々から日出城の鬼門櫓が平成25年4月2日解体移築復元公開されて居たので鳥取から600km超、夜間高速を飛ばしサービスエリアで車中泊仮眠し翌日17日の朝に日出城登城し、じっくりと鬼門櫓を見学する外から内部から鬼門側をカットした側も堪能しました。
日出城の鬼門櫓は明治の初め建物解体され民間に払い下げ、蔵として使用されてましたが長い期間の経過で劣化が進み朽ち果てる状態で日出城の現存建物の写真でも今にも壊れそうな写真で紹介され居り早く修復復元したらと思う方が多かった事でしょう、その折払い下げられた民間の方から日出町に元鬼門櫓を寄贈なされ、町の方で解体移築修復復元を本丸の堀を挟んで西の曲輪、日出町歴史資料館前の駐車場に建てられました、元の鬼門櫓跡とは少し西に離れた所です。
車は日出城のガイダンス施設でもある二の丸館の駐車場を利用、本丸、日出小学校の北側です。
鬼門櫓を見学の後は本丸周囲の石垣を観察し、周囲も散策見学、二の丸館の在る裏門と同櫓、ガイダンス施設にも寄り資料を頂く。
日出城を終えて日出道、大分道、九州道を通り宇土城と八代城への探訪へ移動しました。
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2021/09/27 21:26
2021/09/27 21:19
2021/09/27 21:09
スタンプだけ (2021/09/26 訪問)
スタンプだけゲットしました。
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2021/09/27 19:59
浮気城 (2021/07/25 訪問)
【浮気城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>JR
<感想>JR・京阪・阪急 3電鉄利用の旅1城目。JR守山駅から徒歩で来城しました。城跡としての遺構は住吉神社本殿の奥に土塁・空堀が残る。土塁はだいぶ凹凸感がなくなっています。立入禁止なのかどうかいまいちよくわからない柵棒があったので外側より撮影するのみとなった。
お城とは逸脱しますがこの住吉神社は浮気の火祭り「松明祭」という神事があり、俵の藤太(藤原秀郷)が大百足退治の時、百足の頭がこの住吉神社まで飛んできたことに由来し百足に見立てた大松明を焼き払って奉火するというものです。守山駅のローターリーに説明書きがあります。お城の遺構は少なかったですが、この土地の有名な事柄や祭りがあることが勉強になりました。この俵の藤太と大百足この次行った瀬田の唐橋にもからんでくるとはつゆ知らず......。
<満足度>◆◇◇
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2021/09/27 15:11
天球丸下楯蔵櫓台、曲輪の修復復元が完成 (2013/08/14 訪問)
平成25年8月鳥取に同窓会で帰省中、米子城を終えて鳥取城を訪ねました、鳥取城は昭和18年9月の鳥取大地震で甚大な被害が発生し鳥取城の石垣も大きく崩れ平成の世までコツコツと石垣の修復復元を行って居りました、訪ねたのが鳥取大地震から奇しくも70年目、最後まで残っていた天球丸下の曲輪と楯蔵跡整備、石垣の積直し修復復元が完成した様なので天球丸、楯蔵櫓台石垣、曲輪続き石垣主体に見学鑑賞しました。
長年の継続修復に敬意を表します、ただただ感謝です、訪問した平成25年前後より鳥取城幕末期の姿に復元30年計画がスタートし一期10年で幕末の登城路復元を進行中、現在大手橋の擬宝珠橋の完成、中の御門表門完成を見て居ります、後は中ノ御門櫓門、三の丸太鼓御門が待たれるところです。
二期は二の丸の走り櫓、菱櫓、三期は三階櫓の復元が長い年月を掛けて待たれますが孫子の時代でしょう。
この後二の丸三階櫓台下にある仁風閣で「甦る鳥取城」展を開催してましたので見学、65歳以上は無料でした、同展では一期復元の幕末登城路の復元スケッチ画、二の丸太鼓御門復元スケッチ画3点の展示が有り写真も撮り頭に叩き込みました。復元完成が待たれます。
先に最後の石垣修復と書きましたがまだ一部幕末拡張した二の丸、登り石垣下に右膳丸が有り、下に中仕切り門、その間の石垣がはらみ崩れそうな状態で防護網を一部被せてますので石垣修復が待たれます。
また米子から鳥取に帰る途中の淀江町大山町にまたがる地域に近年発掘調査復元された、弥生遺跡「妻木晩田遺跡」出雲式の古墳「四隅突出型墳丘墓」多く発掘され有名、古墳時代の前方後円墳が多く発掘された向山古墳、飛鳥白鳳期の上淀廃寺跡、仏画壁画が発掘され大変珍しいとか、その近くにガイダンス施設「上淀白鳳の丘展示館」が出来、原寸大の金堂、如来坐像、菩薩像2体が復元されて居り重厚、厳粛な雰囲気が漂っています、それらの施設を2時間見学し食事施設も有りましたので昼食をここで頂く、城廻りと違っていい体験でした当時結構な人が出ていました。
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