源頼信が旗を立てて八幡宮を勧請した場所に頼信の子孫を称する荏原義宗の屋敷があり、更に日蓮宗に帰依して寺を建てた。旗の台に並んで残る旗岡八幡宮と法蓮寺に伝わる話は伝承の域を出ないものの、一貫性は感じられる。
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2021/01/02 17:34
伝承には一貫性がある (2020/11/14 訪問)
源頼信が旗を立てて八幡宮を勧請した場所に頼信の子孫を称する荏原義宗の屋敷があり、更に日蓮宗に帰依して寺を建てた。旗の台に並んで残る旗岡八幡宮と法蓮寺に伝わる話は伝承の域を出ないものの、一貫性は感じられる。
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2021/01/02 12:06
「岩槻城」 (2020/03/28 訪問)
<オススメ>★★★★☆
岩槻城は、古河公方に対する抑えとして太田道真・道灌父子が築いたとされる。1522年、太田資頼が岩槻城を奪取し、岩槻太田氏の居城となる。太田資正(三楽斎)の代には居城を増改築し、反北条の拠点とした。1564年、資正の留守中に嫡子・太田氏資が北条氏康に内応し、資正の追放したことにより岩槻城は後北条氏方となる。1585年、北条氏房が城主となった。小田原征伐では宿老の伊達房実以下2000の兵が籠城するが、浅野長政等に率る約2万の兵に攻められ、落城した。徳川家康の関東入り後、三河譜代の高力清長が岩槻城に入る。以後、青山、阿部、板倉など譜代大名が入れ替わる。江戸中期に、旗本から大名に上り詰めた大岡忠光が藩主となり幕末まで大岡氏が当地を治める。大岡忠光は言語不明瞭な9代将軍・徳川家重の言葉を唯一理解し寵愛を受けたとされる。戊辰戦争では新政府軍に服従した。現在、岩槻城城門及び裏門が移築現存している。
<アクセス>
東武鉄道野田線 岩槻駅 徒歩20分
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2021/01/02 11:44
「増尾城」 (2020/03/28 訪問)
<オススメ>★★★★★
増尾城は、下総小金城主であった高城氏の家臣・平川若狭守が改修したとされる。小田原征伐の際に廃城となったとされる。現在、土塁や櫓台などが遺されている。
<アクセス>
東武鉄道野田線 増尾駅 徒歩25分
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2021/01/02 11:29
「佐津間城」 (2020/03/28 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
佐津間城は、土塁と空堀をめぐらせた千葉相馬氏が築城したとされる。現在、私有地のため見学はできない。
<アクセス>
東武鉄道野田線 六実駅 徒歩15分
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2021/01/02 11:14
豊後森藩陣屋(久留島陣屋)~お城仕立ての陣屋~ (2020/11/27 訪問)
【豊後森藩陣屋】大分県玖珠郡玖珠町
<駐車場他>三島公園駐車場・豊後森藩資料館駐車場
<交通手段>レンタカー
<見所>庭園・栖鳳楼・御長坂・清水御門・石垣
<感想>2泊3日豊後国百・続百名城攻城の旅2城目。角牟礼城のスタンプ設置場所が豊後森藩資料館ということで登城前に押印、資料館にてお城仕立ての陣屋跡がある説明を受けて良さそうなので行ってみた。
豊後森藩は1601年に来島水軍の後裔の来島長親によって1万4千石で立藩された。来島氏は格式が低く城を持つことが許されなかったため、角牟礼城を廃して、角埋山の山麓に陣屋を置いた。来島氏は2代目に 久留島と改名し明治まで続きます。現在のお城仕立ての遺構は8代藩主久留島通嘉が陣屋背後の山にある三島神社(現末廣神社)の改築を口実として庭園・石垣を築造、天守に見立てた栖鳳楼(せいほうろう)という茶屋を建造しました。
陣屋跡は山麓の旧久留島氏庭園のある所が御殿があった所で、その西側背後の山に末廣神社がある。北側から御長坂と呼ばれる参道は登石垣のようになっており、ここからもう既にお城感いっぱいである。本殿敷地はしっかりした石垣囲みになっており、下段に栖鳳楼があります。1階壁一部分が紅色の漆喰が特徴的である。末廣神社南側に清水御門、丸木御門があり白壁も残る。資料館の方が「当時の藩主がどうしてもお城が欲しかったらしかった」と言っていた通り、見事な石垣遺構でまさに城跡でした。この後行った角牟礼城の石垣の破城(特に本丸)具合からみて三島神社増築の際角牟礼城から石垣を降ろしてきたのではないかと思ったがどうでしょう。
<満足度>◆◆◆
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2021/01/02 09:01
浜松城天守閣リニューアルOPEN! (2021/01/01 訪問)
新年、明けましておめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願い致します。
浜松城は三方原台地の東南端に位置し、徳川家康公が三河・遠江の2か国の大名として29歳から45歳までのまでの17年間、居城としていた城跡です。その間、三方原合戦、姉川合戦、長篠合戦、小牧・長久手の合戦と歴史に名を遺す合戦にこの城から出陣したと云われています。家康公が関東移封後は豊臣系大名の堀尾吉晴が12万石で入城し、堀尾氏が出雲へ転封されたのちは、松平忠頼ら5~6万石の譜代大名の居城となり、幕末まで続いています。
浜松城は岡崎城と並び「出世城」として有名ですが、実際に幕閣の老中が5人、大阪城代に2人、寺社奉行に4人選ばれています。
現在の浜松城は浜松城公園として模擬天守、石垣、曲輪などが残り浜松市のシンボルとして市民に親しまれています。
この模擬天守ですが、浜松城に天守が築かれたのが、堀尾氏時代の僅かな期間で、外観など全く分からないのが実情です。天守台の石垣に対し、天守の大きさが合っておらず、違和感を覚えるのは私だけでしょうか(・・?
2021年1月1日に天守内部がリニューアルOPENということで早速行って来ましたが、コロナ感染症の影響で入城時間が時間ごとに区切られ、1時間待ち((+_+))、時間の都合上、後ろ髪を惹かれる思いで諦めました((+_+))
毎年、1月2日は名古屋城で城初めするのが10年以上続けてきましたが、今年は密を避けるため諦めました((+_+))
今年はコロナ感染症のワクチンを接種して感染など気にせず城巡りができることを期待しています。
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2021/01/02 07:13
2021/01/02 01:17
明けましておめでとうございます。 (2019/06/22 訪問)
新年,おめでとうございます。
昨年は,感染拡大地域からの訪問者への偏見・差別が,少なからずあったように思います。
流行語大賞にもなった「ONE TEAM」はどこへ行った…?
新しい生活様式の下,人間らしい「心」は失いたくないです。
実際のところ,「心」の感染者が増加傾向にあると思います。
厳しい状況はワクチンの実用化がスタートするまで続くと思いますが,
私たちは心の糸を切ることのないように努力してまいりましょう。
本年も何卒宜しくお願いいたします。
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2021/01/02 00:40
木橋 (2020/12/28 訪問)
9月に雨の中を中途半端にまわってしまったため、今回仕切り直しです。
搦手から入り、大堀切、木俣を通って郭馬出西虎口門へ。大堀切の土橋から振り返って眺める馬出の美しい曲線とそれを支える大堀切に、強さだけではない魅せる城の要素を見た気がします。
本丸を突っ切って、御前曲輪から通仲曲輪に降りると五差路ならぬ五差堀が。こんな素敵なところがあったなんて!新曲輪には丸馬出の備えもありました。
新曲輪から稲荷曲輪まで行き、通仲曲輪と御前曲輪の間の堀底道を歩いて戻ると、真新しい木橋が現れました。本丸と蔵屋敷の間に架かっています。三か月前に見たときはこの姿を想像することも出来なかったので、景色の違いに驚きました。堂々と聳立する艶々の木の橋は、まだ完成前だというのにすでに十分すぎるほどかっこいいのです。完成予定図を見ると、門や塀もある立派な姿に復元されるようで、郭馬出西虎口門と並ぶ見どころとなりそうです。そうすると、三の丸の方も変わってしまうのかな、というのが気になるところですが、完成に向かう姿は二度と見られるものではないので、春頃にまた進捗状況を見に行きたいです。それまでに疫病が退散してくれているといいのですが。
三の丸石垣も初めて見ました。現地解説板によると、大手ルートを固めるここの石垣は当時は4.1メートルの高さがあり、関東では有数の規模のものだったそうです。現在の姿に派手さはありませんが、廃城から何百年もの間、新たな役目を与えられることも破壊されることもなく黙然と存在し続けたその強かさと根性はこの石ひとつひとつを積んだ人たちのそれを標榜しているのではないかと思えてきます。
鍛冶曲輪から大手虎韜門口に抜けて、ここはどこだろう?どうやって帰ればいいんだ?とあたりを見まわしていると、道路の反対側に白川埋門跡の標柱が目に入りました。虎韜門から白川河原に抜ける秘密の通路で、箕輪城と別城一郭の関係にある鷹留城との連絡に利用された埋門があったのだそうです。通路の先には畑地が広がり、その先の林の向こうから川のせせらぎが聞こえてきました。三の丸石垣の丸石もここを通って河原から運ばれてきたのでしょうか。
今回は約1時間30分の滞在でした。丸戸張と井伊時代の大手門跡を見逃したので、それはまた次回に。
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2021/01/01 21:16
「国府台城」 (2020/03/28 訪問)
<オススメ>★★★☆☆
国府台城は、扇谷上杉家の家臣であった太田道灌が武蔵千葉氏を支援するために築いた砦が始まりとされる。交通の要衝であったこの地は後北条氏、千葉氏、高城氏、里見氏、太田氏、上杉氏らの度重なる勢力争いの舞台となり城郭も時代に合わせて増改築された。後北条氏が当地を支配するも小田原征伐で落城し、廃城となる。現在、土塁等が遺されている。
<アクセス>
JR市川駅 徒歩25分
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2021/01/01 20:59
「鷺沼城」 (2020/03/28 訪問)
<オススメ>★★☆☆☆
鷺沼城は、築城時期は不明だが下総千葉氏が築いたとされる。現在は鷺沼城址公園として整備されており、土塁等が遺されている。また、鷺沼古墳群のA号墳とB号墳の2基の前方後円墳、埴輪などが出土している。下総型円筒埴輪、人物埴輪と馬の埴輪の小さな破片が出土しており、鷺沼古墳B号墳箱式石棺も展示されている。
<アクセス>
京成電鉄 京成津田沼駅 徒歩15分
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2021/01/01 20:11
所用にかこつけた城巡り 9城目 (2020/11/19 訪問)
明けましておめでとうございます。 昨年の夏からお仲間に加えていただき半年が経ちました。
それまでは城を巡り写真を撮っても見返すこともせず、ただHDに保存しておくだけでしたが
ボチボチながらも投稿を始めるようにしてからは、そのために勉強をするようになりました。
文才は望むべくもないので、歩いた順、見たこと、感じたことを書くことしかできません。
なので、どうでもよいことが多くなると思いますが、今後ともよろしくお願いします。
さて、この稿のために大洲市のHPを調べたら、無料の観光駐車場がありました。
そんなことも知らずに市民会館前の有料駐車場に停めました。
すぐに櫓下御門跡の大きな縦石が迎えてくれ、通りには外国の方が好みそうな風情のある
ゲストハウスが並んで建ってます。 ライトアップされた天守を眺めながらのワインが似合いそう。
二の丸のほとんどが市民会館に、そして表御殿跡は私有地になっています。
下台所の説明板には建物が残っているのは珍しく一時期監獄所としても使われたこともあると。
二の丸奥御殿跡は石垣工事の資材置き場となっており、入れず。
玉櫓跡から見える流路に沿った大きな肱川堤防は近代の付け替えのようで、生じた土地には
住宅が立ち並び、ちょうど遠州二俣城の天竜川と二俣川を想起されられる。
ここまでさほどの技巧的な防御は感じられないまま本丸にきてしまった。 チョット拍子抜け。
暗り門跡の説明をみても、イメージできず ピンとこない。
本丸から周囲を見渡すと、小高い山々に囲まれた小さな盆地。
西と北には川が流れ、南には山が連なっている。
東側も川に山が急に迫って狭くなり、袋小路的なこじんまりとした城下である。
二の丸へ下りかかると、オリエンテーション中の5、6人の高校生のグループと行き会う。
皆々が 「コンニチハ!」 「コンニチハ!」 「コンニチハ!」 と挨拶を投げかけてくれるので、
こちらも 「こんにちは」、 「こんにちは」、 「こんにちは」 と応えるのだが、多勢に無勢。
声を発する回数は、圧倒的にこちらが多い。
しかも何組ものグループと行き会うので、ちょっと マイッタ。
三の丸南隅櫓に面する外堀は高校のテニスコートやグラウンドになっている。
南隅櫓内部は、太鼓壁で造られており隠狭間もあった。
大手門跡横の水門をくぐり川面に出ると、5、6艙の鵜飼い船が係留されていた。
ここ大洲は岐阜や日田とならぶ鵜飼いで有名なところである。
苧綿櫓の石垣の上部は昭和34年に2.6m積み上げられており、私が見ても境目がよくわかる。
2018年の豪雨の際は、どこまで水がきたのだろうか? 積み上げが功を奏したってことだろう。
市民会館裏手の川沿いの道を回り込むと、本丸北側下の”水の手櫓・水の手御門跡”に出た。
ふたたび二の丸を降り街中を歩いていると、またオリエンテーションのグループと遭遇。
「コンニチハ!」 の連呼のあと、背中の後ろの方で 「あの人、まだ歩いてるよ」 の声が・・・。
「迷子じゃないよ」 おもわず口から出たつぶやきに、自分で笑ってしまった。
スーパーで買った弁当を食べながらの、対岸の公園からの夕景がステキでした。
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2021/01/01 19:58
「夏見城」 (2020/03/28 訪問)
<オススメ>★☆☆☆
夏見城は、国人領主であった夏見加賀守政芳が築いたとされ、荒廃していた長福寺を再興したとも伝わる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
JR船橋駅 徒歩25分
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2021/01/01 19:53
「伝米ケ崎城」 (2020/03/28 訪問)
<オススメ>★☆☆☆
米ケ崎城は国人領主であった夏見氏が築いたとされる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
JR船橋駅 徒歩25分
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2021/01/01 19:48
「伝高根城」 (2020/03/28 訪問)
<オススメ>★☆☆☆
高根城は、下総小金城主であった高城氏の一族が築いたとされる。遺構は消滅している。
<アクセス>
東武鉄道野田線 馬込沢駅 徒歩25分
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2021/01/01 19:44
「伝金杉城」 (2020/03/28 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
金杉城は下総を治めていた高城氏の砦跡とされる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
東武鉄道野田線 馬込沢駅 徒歩25分
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2021/01/01 16:04
地図からだと探すのが困難 (2020/12/30 訪問)
雷神社を探してそこの駐車場を利用します。駐車場脇の細い道を行けば城址です。本丸跡に城址の石碑があります。
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2021/01/01 15:56
主郭は梨畑 (2020/12/30 訪問)
堀が道路ですかね? 城址だと思って見ないとダメですね。
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2021/01/01 15:51
お寺が城址 (2020/12/30 訪問)
道路が堀切ですかね?
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2021/01/01 13:16
明けまして、おめでとうございます。 (2020/12/30 訪問)
今年も、楽しくお城攻めします。
それから、皆さんの投稿を楽しく拝読します。
そんでもって お城から、ちょっとそれるトホホな投稿をします。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
今年最初の投稿は「千葉城」です。
お正月の100名城 ・続100名城スタンプ旅行は中止。日帰りで1城でも「行った」をポチっと押したかったので千葉県に侵攻しました。
アクアラインを通れば旅行気分です。
「千葉城」は千葉 常重さんのお城です。
1126年6月1日、 常重さんが本拠地にしました。
ちなみに6月1日は『千葉開府の日』なんだそうです。
すごいぞ、常重さん!
1455年、千葉氏が「本佐倉城」に移るまでの居城のようです。
千葉氏がみんなでお引っ越し、と言うより千葉氏の内紛が移す理由のようです。
千葉 常重さんを調べてみると息子の常胤さんは、鎌倉幕府の筆頭御家人です。
2022年の大河ドラマに千葉氏、でないかな~っと少々の期待。
「千葉城」は遠くからでも、立派な天守が見え堂々と、、、んんっ!
千葉氏の「千葉城」は天守のあるお城の時代ではないのですが、、、、!
お正月なので許します。郷土博物館ですし。
それでも、お正月の最初の投稿写真には模擬でも天守があった方がおめでたい気がしますけどね。
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