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こるまろ

尼子十旗 神西城 (2019/05/30 訪問)

戦国時代に出雲国を支配した尼子氏本城の月山富田城を防衛するため配置された主要な10の支城の1つです。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43323915/

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こるまろ

続日本100名城のスタンプは押せず (2019/09/05 訪問)

続日本100名城スタンプ設置場所の護国神社社務所は16時に閉まります。 16時過ぎ訪問で間に合わず。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43235060/

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赤い城

個人で整備されているようです (2020/01/11 訪問)

県道240号線から北に入ったところ、城の東側に加園城入口の小さな看板があります。
田んぼの畦道っぽい道を進むと駐車場があります。
ただし普通車は進まないのが無難です。
案内板も(おそらく地主さんが個人で立てていらっしゃるとおもいますが)あるので主郭まで迷わず行けました。
登城路は結構な坂道ですが主郭周辺には土塁や横堀など遺構は良好に残っていました。
個人での整備でここまで、頭の下がる思いでした。

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山口駿河守幻夢斎

武田流の築城術、遺構の規模のデカさに度肝を抜かれる大島城跡 (2018/09/30 訪問)

大島城跡は、台城公園として整備されているので、駐車場も完備、また、JR飯田線の山吹駅から徒歩圏内だと思います。
この日は、9月下旬のまだ残暑の厳しい時期でしたが、下草も少なく見学しやすかったです。暑さの中、吹き出す汗にまみれながら、夢中で駆け回ったことが思い出されます。
おかげで、駐車場わきに残されているという、三日月堀を見落とすという大失態をやらかしました(笑)
大島城は、信州の南側の拠点として、重要な役目を果たしましたが、織田軍の甲州侵攻の際、城主は戦わずして城を放棄、そのまま、廃城になったようです。

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こるまろ

毛利元就誕生伝説地 (2019/07/27 訪問)

毛利元就が誕生したとされるお城。 別名は福原城。 土師ダム見学のついでに登城してみました。
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こるまろ

桂城 (2019/07/27 訪問)

土師ダム見学に来たついでに近くの城跡をアドリブで登城。 鹿?未知なる動物と遭遇してドッキリ。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43127020/

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こるまろ

天空の城 3回目の訪問 (2019/05/17 訪問)

天空の城3回目の訪問。 天守台跡に登れるようになってる。 3Dアート記念撮影スポットも利用。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43044211/

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こるまろ

続10城目 (2019/03/13 訪問)

続日本100名城10城目。若狭国吉城歴史資料館でスタンプ借りるのに100円取られるのは納得いかない。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43017416/

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TMN97

鳥羽城趾 (2020/01/12 訪問)

鳥羽城趾

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TMN97

松坂城 (2020/01/11 訪問)

松坂城

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ぎりょう

奥州探題大崎氏の軍事拠点か (2020/01/12 訪問)

彫堂七館は遠田郡美里町の鳴瀬川から500m北方の丘陵東端に位置する。七館はそれぞれが独立した城館と云うより、丘陵を堀切で遮断した七つの曲輪を連ねたつくりとなっている。館は西から長館・大館・小館・陣館・笹館・狼之介館・蜂谷森と呼ばれた。仙台領古城書上には遠田郡の項に、北浦邑 一 彫堂城 東西三十四間 南北二十六間 城主不知 との記載がある。築城された時期や築城者は伝わっていないが奥州探題大崎氏が南北朝の内乱期に築城した可能性が高いと云われている。その後も遠田郡は大崎氏領の東端にあたることから、葛西氏・伊達氏に対する戦略的要地としてこの城が機能したと考えられる。
現在大館は開発により曲輪が確認できず、蜂谷森は頂上部に水道施設が設置され旧状を留めない。他の曲輪は蜂谷森公園として整備保存され曲輪・土塁・虎口・空堀・堀切・竪堀などが確認できる。
昨年の豪雨災害で小館と陣館の切岸の一部が崩落しており、現在も修復されていないが見学には問題はない。蜂谷森公園の駐車場が西の道路脇にありここを利用すると便利。

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まーやん

北畠氏城館の後詰めの山城 (2020/01/20 訪問)

私、自家用車で北畠氏城館跡に参りまして、自家用車時のたしなみと致しまして一応トレッキングシューズ&登山用ステッキを持参しておりましたが、、、霧山城跡がこのように大規模であるとは夢にも思わず普通にスニーカーのみで登ってしまい、1.4km弱の距離を歩きヘロヘロになってしまいました(; ̄ー ̄A

原因は麓にあった説明書き。比高80mの後詰めの城との記載。それは間違いないのですが、私の登ったのは更に後方の霧山城跡。後詰めには間違いないか…トホホ

そして後で皆様の書き込みを見て驚愕💦
な、なんと、総じて整備された登山道で楽だったと。。。改めて皆様の健脚ぶりに脱帽いたします。

私は城館すぐ後方と見誤って登らせてしまった嫁に見放され、一人寂しく走るような登山を強いられました😵💦

登山道はしっかり整備され、杉葉の落ち葉が程よく柔らかく滑り止めにもなりいい感じです。

頂上近くでまず見えてくるのが鐘突堂跡とされる曲輪。
その先に矢倉跡、本丸跡、米倉跡と続く。そちらからも登れるらしい。(比津峠側)
頂上の眺望は素晴らしいのでしっかり準備をして安全にお登り下さい。

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こるまろ

続9城目 (2019/03/13 訪問)

続日本100名城スタンプ活動の9城目。 日本一?赤信号が長い柳ヶ瀬トンネルを通って登城。
ブログ前編: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43007916/
ブログ後編: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43013385/

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まーやん

続日本100名城東海制覇ー😁 (2020/01/12 訪問)

しかし凄い所にあってビックリした💦こんな場所電車バスの方々はどうされるのかというような山の中でしたが、ここも津市なのだとか。信じられません💦(一応最寄り駅からバスがあります)

多気北畠氏城館跡は北畠神社となっています。スタンプは社務所にあります。

北畠氏は南朝方に与し、田丸城陥落後、当地に拠点を移した。
発掘調査により、戦国期の最も古い石垣があったことが分かったらしく、庭園も立派なのですが、100名城には物足りなさを感じるのは私だけでしょうか?

出石は山城から平山城に移る過程が残っているのが貴重だと分かっています。分かっていますが言わせてください💦
出石城・有子山城と同様に城後詰めの城として後方に配された山城:霧山城と一体的な指定がよかったような気がするのです💦

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イシテル

池田輝政の石垣が残る豊川にある後ろ堅固の城 (2020/01/11 訪問)

豊橋公園の中に本丸、二の丸、三の丸が残り、池田輝政が築造した石垣には鉄櫓が復興されています。
鉄櫓は天守としての役割を果たしていた記録もあり、実際に天守と書かれている絵図も残っているようです。
鉄櫓から望む豊川も良い景色ですが、吉田大橋で豊川を渡り対岸から見た石垣にそびえる鉄櫓も最高。
また金柑丸側の内堀は豊川側から入れ、その他の内堀も降りることが可能です。
空堀に入れば、違った感覚でこの城の面白さを感じることが出来ます。

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YAICHI

なぜか京都山科に石碑があるそうです。 (2020/01/12 訪問)

城跡は甲賀町小佐治集落の北、野洲川方面を見下ろす丘陵上に位置します。城山北側の説明板付近(34.940739,136.216601)に駐車。水堀跡(桝形池)の後方に整地された広い主郭、害獣柵内に土塁、空堀、土橋、山頂郭等の遺構が見られます。城主は佐治氏(小佐治氏)とされ、織田信長の近江侵攻に伴いその配下となりましたが、天正13(1585)年に羽柴秀吉の領地没収に対しては篭城して抵抗、堀秀政・中村一氏に攻められ落城したとされます。令和元年度「日本遺産」認定において、日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀-リアル忍者を求めて-(平成29年度認定)」のストーリーを構成する文化財について、追加認定を受けました。市指定史跡。

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まーやん

遺稿を復元、発掘したとのこと。 (2020/01/12 訪問)

道路工事で消滅した部分を復元し三度にわたる発掘調査で詳細が分かったきたとのこと。
丘陵地を利用した城のようだが築城者は分かっていない。おそらく500年以上前に数十年使われたと見られている。
現地は主郭の井戸などの遺稿が若干見られる史跡公園になっており、意外に説明板など多く分かりやすい。
過去の方々の投稿がなければ辿り着かなかったと感謝しております。

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まーやん

スタンプのためリベンジです。 (2020/01/12 訪問)

昨年5月、自信のミスから津に泊まり津で車を借り、津のイベントを目の当たりにしながらもスタンプを逃すという大失態をを犯してしまった。
あれから8ヶ月。ようやくリベンジの時が来た‼️
今回は朝から津城目指しただけあって、ゆっくり回れることができ輪郭式(の遺構)、微妙に違いを見せる石垣(高虎時代か)も見ることができた。
二回目につき詳細は割愛いたします。

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やまじろう

有馬泰隆 (2020/01/05 訪問)

竜造寺氏と有馬氏が争っていたところだそうです。
唐津城、名護屋城、佐賀城に並ぶようなお城だったと書いてあってびっくりしました。

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恵美丸

さすが★江戸城 (2020/01/12 訪問)

テレビや写真で観るより、実際に行ってみて感動もひとしお。。。天守は無くとも、美しい櫓、雄大な石垣、かの有名な桜田門、、、素晴らしいかったです(*^ー^)ノ♪

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