登り石垣。石積み櫓、砲座跡、堀切とどの場所も驚愕の城跡
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2020/11/09 12:35
2020/11/09 12:34
「名島城」 (2020/03/27 訪問)
<オススメ>★★☆☆☆
名島城は立花城主の立花鑑載が築城したとされる。立花鑑載は大友宗家に背いて吉弘鑑理らに攻められ追放されたがのちに許された。しかし、高橋鑑種に応じて毛利氏と結んで再度謀叛を起こす。戸次鑑連に攻められ立花城から逃亡するが殺害された。その後、九州征伐後に豊臣秀吉が名島城を九州の押さえとするべく、小早川隆景を入れ大改修したとされる。現在、曲輪、土塁、天守台、門3棟(福岡城、崇福寺、宗生寺に移築)、石垣等が遺されている。
<アクセス>
西鉄貝塚線 名島駅 徒歩15分
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2020/11/09 12:24
「須崎台場跡」 (2020/03/27 訪問)
<オススメ>★★☆☆☆
須崎台場は福岡藩が幕末に黒船の来襲に備えるために築かれた砲台跡である。12貫目砲など15門の大砲が備え付けられたとされる。現在、台場周辺は埋め立てられ、わずかに石垣が遺されている。
<アクセス>
福岡市地下鉄空港線 天神駅 徒歩10分
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2020/11/09 12:17
「令和ゆかりの地 大宰府政庁跡」 (2020/03/27 訪問)
<オススメ>★★★★★
7世紀後半から九州全体を治め、防衛と外交の拠点として重要な役割を担った大宰府政庁跡である。その規模は平城京、平安京に次ぐ大きなものであり、南北22条、東西24坊の都市があったとされる。万葉集には「遠の朝廷」と詠まれ、その規模をしのばせる立派な礎石が残り、往時を偲べる。また、我が国の新元号である「令和」は万葉集巻五 梅花の歌三十二首序文にある『初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす』の文言を引用したものである。現在は、国特別史跡として整備されている。周辺には、水城・基肄城・鞠智城(続日本100名城)・大野城(日本100名城)など関連する史跡が多く、併せて散策することをオススメする。
<アクセス>
西鉄都府楼前 徒歩20分
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2020/11/09 11:53
「鹿島城」 (2020/03/27 訪問)
<オススメ>★★★★★
佐賀藩の支藩である鹿島藩9代・直彝以降の居城とされる。初代からの居城であった「常広城」は古城と呼ばれ、「鹿島城」は新城と呼ばれた。幕末まで佐賀藩と行動し、廃藩置県後に廃城となる。1874年の佐賀の乱で、鹿島城の主要な建物は焼失したが、大手門(県重文)や石垣、武家屋敷が遺されている。現在、城跡地は佐賀県立鹿島高校や旭ヶ岡公園になっているため、見学の際は注意が必要である。
<アクセス>
JR肥前鹿島駅 徒歩20分
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2020/11/09 11:51
「常広城」 (2020/03/27 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
常広城は、鍋島信房(鍋島直茂の兄)が鹿島地方を治めるために築城したとされる。鍋島信房は鍋島清房の庶子で父と共に龍造寺氏に仕える。1576年、龍造寺隆信の藤津郡横沢城攻めに参陣する。龍造寺隆信の命により常広城を築城する。肥前の覇権が龍造寺氏から鍋島氏に移り、鹿島は佐賀藩の支藩として鍋島忠茂が治めることになる。初代忠茂から9代直彝まで鹿島藩の居城となった。常広城は度々、水害を受けることが多く、幕府と佐賀藩に移転を願い出て、鹿島城へと移る。その後、廃城となったとされる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
JR肥前鹿島駅 徒歩10分
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2020/11/09 11:49
「玖島城」 (2020/03/27 訪問)
<オススメ>★★★★★
キリシタン大名・大村喜前が築城した。大村喜前は大村純忠の子である。大村純忠は我が国初のキリシタン大名であり、長崎をポルトガルとの貿易港として整備し、1582年には少年使節をローマに派遣するなどした。大村喜前は父より家督を相続し、文禄・慶長の役では1000名を率いて朝鮮に出陣する、1598年に、玖島城を築城し、領内検地、新田開発などを実施する。関ヶ原の戦いでは東軍につき、本領安堵される。幕末まで270年間大村藩の藩庁として機能した。現在、曲輪、石垣、横堀(空堀・水堀)が遺されている。
<アクセス>
JR大村駅 徒歩25分
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2020/11/09 11:47
「水ヶ江城」 (2020/03/27 訪問)
<オススメ>★★☆☆☆
水ヶ江城は1469年頃に龍造寺康家によって築城された。築城時は方形館であったが龍造寺家兼により大改修された。肥前の熊・龍造寺隆信の生誕地とされ、隆信が当主となると、弟の龍造寺長信が城代となる。その後、鍋島氏が佐賀城を築城したため廃城となる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
JR佐賀駅 徒歩30分
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2020/11/09 11:46
「朝日山城」 (2020/03/27 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
朝日山城は、少弐盛経の子で朝日氏の祖となる朝日但馬守資法が築き、200年ほど朝日氏の居城となった。その後、大内氏の傘下に入り、筑紫氏が支配する。1586年に、筑紫広門が島津家久に敗れ、廃城となる。佐賀の乱などでは戦いの舞台にもなっている。現在、土塁等が遺されている。
<アクセス>
JR新鳥栖駅 徒歩15分
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2020/11/09 11:37
2020/11/09 11:19
後三年の役舞台、巡した二重横堀が凄い (2020/10/26 訪問)
横手市の吉田城を早朝に終えて北東に約5、6km程の大鳥井柵を目指す、情報、ガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん、大鳥神社側の東に駐車場が有りナビを合わせ到着、大型駐車場でトイレ完備、大鳥公園、運動場に成ってる。
今回探訪したのは公園南側に杉林の中に残ってる遺跡群、トイレ横に案内指示図が有り横堀、土塁ルートから登り、横堀の長さに驚き、堀、土塁を見ながら大鳥神社やの方向に登って行く、大鳥神社境内、曲輪?から南の横手川を見下ろすと断崖に成ってる、南側は木々が茂って居り神社の尾根筋から見下ろすだけ。
運動公園の東側にも二重掘りが巡らされてる様子なので訪ねるが発掘後埋め戻されてる様子ですが運動公園と東住宅街の間に低地が在りここも堀跡か?良く分かりませんでした、運動公園西側には土塁の様な山手が連なって居り、北側は一段高く成ってる。
神社の有る所が高所に成り主郭と成るのか?、横手城天守が遠望出来ます。兎に角二重の堀土塁が素晴らしい。
歴史的には源氏安倍氏清原氏の前九年後三年役の合戦が有名ですが、ここは次に訪ねる金沢柵と合わせ後三年の役の舞台と成り源義家、清原氏の活躍、清原氏の奥六郡支配の基をつくり、母の再婚で清原清衡は後に奥州三代栄華を極めた藤原清衡となる。
+ 続きを読む
♥ いいね
20人が「いいね」しています。
2020/11/09 08:29
小栗栖城(京都市伏見区小栗栖小坂町) (2020/10/24 訪問)
小栗栖城は飯田氏代々の城で、鎌倉末期に足利尊氏に従って上洛した飯田家秀が築き、土着したもののようです。その後、飯田氏は室町中期まで小栗栖八幡宮の神主を務め、由緒書(写真を撮り忘れました…)によれば、境内にはかつて飯田氏の屋敷があり、現在も石垣が残っているとのこと。ただ、境内の石垣はあまり古くからのもののようにも見えませんが…。
さて、小栗栖と言えば明智光秀終焉の地として知られるところ、小栗栖八幡宮から北東に徒歩3分ほど行くと、山崎の戦いに敗れた光秀が坂本城に落ち延びる途中に落ち武者狩りに遭ったとされる明智薮があり、その少し手前には石碑や説明板が建てられています。一般的には光秀は土民に討たれたとされますが、この地では小栗栖城の飯田一党に討たれたと伝わっているようです。明智薮は現在 西隣の本経寺の寺領となっており、本経寺の境内には光秀の供養塔が建てられています。
さらに、明智薮から北東に約1.2km行った道路沿いには明智光秀胴塚の石碑と説明板があります。明智薮で負傷しながらも何とか逃れてきたが、坂本城まではたどり着けないと悟ってこの地で自刃した、といったところでしょうか。
ところで、小栗栖城について記載された書籍はほとんどなく、ネット情報では(Googleマップでも)小栗栖八幡宮=小栗栖城と紹介されているところも多くあり、また小栗栖八幡宮の由緒書にもそうとも読める記述があるため、そのつもりで訪れたのですが、帰宅してから手持ちで唯一 小栗栖城の記載がある「近畿の城郭Ⅴ」巻末の城郭一覧表を見ると、所在地は「小栗栖小坂町」となっていて小栗栖八幡宮の「小栗栖宮山」と異なっているため、改めてよく調べてみると、やはり小栗栖小坂町にある城山と呼ばれる丘陵地(北麓に明智薮)が小栗栖城跡であり、主郭と副郭で構成され、横堀や土塁、切岸が確認されているようです。
…となると、投稿するなら改めて小栗栖小坂町の小栗栖城跡を訪れてからにしようか、とも思いましたが、城跡は私有地で許可なく立ち入りできないようですし、そもそもは明智薮と胴塚を訪れるのが本来の目的で、小栗栖城はそのついででしたので、わざわざ許可を取ってまで行くほどでもない(その時間があれば他の城に行きたい)との結論に達し、城ではなくても小栗栖八幡宮にも飯田氏の屋敷やその石垣はあったんだろうし、ということで、中途半端ながらこのままで投稿させていただきます。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
2020/11/09 08:28
2020/11/09 08:07
関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/08 訪問)
足を痛め山崎城攻城を途中撤退し時間が余った為、足に負担をかけない平城の高槻城を攻城することにしました。
山崎城(JR山崎駅)から大山﨑駅(阪急京都本線)まで歩き、そこから高槻市駅に到着。高槻市駅から徒歩15分(足を痛めていた為、予想よりかかってしまいました)で高槻城に着きました。
城址は城跡公園になっており、高山右近像が建っています。また園内に高槻市立歴史民俗資料館があります。
高槻市駅と城跡公園の道すがらに高槻市立しろあと歴史館、高槻天主教会堂跡などを確認することができます。攻城時間は50分くらいでした。(しろあと歴史館と歴史民俗資料館の見学時間を含みます。)
明日は福井城へ向かう予定。痛めた足を休める為、早めにホテルへ向かいました。
+ 続きを読む
♥ いいね
13人が「いいね」しています。
2020/11/09 07:38
関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/08 訪問)
勝竜寺城から長岡京駅(JR京都線)まで歩き、そこから山崎駅に到着。山崎駅から山崎城に向け歩き始めましたが、足をひねり歩けなくなりました。しばらく休み、足引きずりながらでも歩けるようになりましたが、この状態での山城攻城はムリと判断して撤退することにしました。その為、投稿写真は山崎駅周辺のみです。攻城時間は15分くらいですが、参考になりません。(当初は80分を予定していました)
+ 続きを読む
♥ いいね
14人が「いいね」しています。
2020/11/09 06:50
関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/08 訪問)
淀古城から徒歩で淀駅に戻り、淀駅前の京阪淀駅バス停(阪急バス)から清水ケ口バス停(阪急バス)へバス移動。そこから勝竜寺城(勝竜寺公園)まで徒歩7~8分で着きました。
「山崎の合戦」で明知光秀がここに本陣を構えました。また、細川忠興・ガラシャ夫妻が新婚時代を過ごした城でもあります。
遺構としては近隣にある神足神社境内に空堀や土塁があるようですが、自分はそちらには行かず、勝竜寺公園内の櫓に模した管理棟や多聞櫓、庭園などを見学して撤退しました。攻城時間は30分くらいでした。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2020/11/09 06:23
本丸未踏破 (2020/10/03 訪問)
巨海院に移築されている城門だけのチェックです。リサーチ不足で本丸に脚を伸ばさずじまいでした。巨海院総門が三の丸搦手門で、山門が大手門とのことです。
+ 続きを読む
♥ いいね
9人が「いいね」しています。
2020/11/08 21:43
2020/11/08 21:30
石碑があるだけ (2020/11/08 訪問)
遺構は消失して、山県市役所美里会館の中に石碑があるだけですね。
まあ、消失して何もないというのはよくあるのですが、せめて説明の看板ぐらい立ててくれると訪れた甲斐があるのですが…
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2020/11/08 21:14
方形単郭城館土塁、堀が立派に残ってます (2020/10/26 訪問)
横手市のホテルをGoTo割、地域クーポン券を活用して宿泊、朝飯バイキングはコロナ対策バッチリで早々に済ませ南西の方向約6km程の吉田城を目指す、近くに在る西法寺の東側道にナビを合わせ到着、情報、ガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん、駐車場無し、西法寺さん前の邪魔に成らない若干広い路肩にぎりぎり寄せて路駐。
高土塁が目に飛び込んで来る、南の櫓台に案内解説板、土塁堀には草が若干茂ってるが土塁、堀がしっかりと確認できる、北に櫓台的土塁、神社が鎮座、北虎口が有りその北には水堀、余湖図コレクションさん俯瞰図で100m程の方形土塁で囲まれ四隅に櫓台、周囲に水堀、周囲の田圃に囲まれてるので往時は田圃が沼か湿田か?防御に大変効果が有った事でしょう。
現在南の土塁は若干削られ墓地に成ってるがハッキリ土塁跡が分かる、西の土塁は樹木が茂り良く分からないが土塁は分かる、南西角の高土塁櫓台に横矢の土塁構えが残ってる、内部は現在草原、以前は畑だったようです。
良くこの状態で残してくれたと感謝です遠くから訪ねて見学できるのですからこれからもこの状態で保全管理整備をお願いしたい。
歴史的にここも小野寺氏の城、藤原秀郷の流れ名家小野寺氏の兵どもの夢のあと惜しまれます。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
✕
人が「いいね」しています。