みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅・指月伏見城 (2019/02/08 訪問)

城びと未登録の「指月伏見城」(別名=桃山城)について投稿します。
~説明 Kyusyu.sky.netより抜粋~
 天正二十年に豊臣秀吉が築城しました。
 天下を掌握した秀吉は隠居後の居城として京:伏見に新城を築城し文禄三年に未完成ながら移り住んだ。
 同年五年の慶長伏見大地震によって完成間近の指月伏見城は倒壊しました。
 その後、秀吉は指月伏見城の近場にあった木幡山山頂に再度、伏見城を築城し慶長二年に移り住むが、翌三年に秀吉は
 その木幡伏見城で生涯を閉じる。

 元来、伏見城は木幡伏見城を指していて、指月伏見城は存在しないと言われていたが、平成27年に当地のマンション建設時に
 指月伏見城の遺構が出土した為、近年では指月伏見城は存在した可能性が高くなっている。
 現在はマンションが建設されており案内板とマンション及び高架下に石が残されています。

 妙顕寺城(京都二条油小路郵便局付近)から二条城前駅(京都市営東西線)から電車を乗り継ぎ観月橋駅で下車。
 そこから徒歩で数分です。マンション付近の写真が残っておらず、高架下の石の写真のみ投稿します。
 攻城時間は15分くらいでした。

+ 続きを読む

宗春

大垣城 (2020/11/01 訪問)

二度目の登城ですが、前回は百名城スタンプも御城印も収集前。二度目なので、登城は裏側から。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ふゆづき

最後の山城、百済寺城(近江八幡市) (2020/11/04 訪問)

観音寺城が陥落して六角氏が滅亡した後、信長は六角氏を支援していた百済寺の焼き討ちを行っています。
寡聞にして知りませんでしたが、信長公記に記載があるようで、比叡山や長島の数年前のことです。
当時、この百済寺は写真のとおり、山城に似た様式を取り、一部の郭には観音寺に準じた石垣を備えています。
その焼き討ちの後、百済寺に備わっていた巨石は安土城の石垣に用いられたようで、百済寺の解説によると、最後の山城は「百済寺(城)」で、最初の平(山)城は安土城」ということです。
※城名が無いので、観音寺城を利用しています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

牛込見付 (2020/07/12 訪問)

飯田橋駅西口オープン日に行きました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じっぱ

日本三大平山城の一つ(津山城) (2020/11/03 訪問)

津山城は桜🌸の名所100選にも選ばれているとのことだが、この時期紅葉にも少し早く残念であった。何重にも連なる高石垣は見事でシャッターを押し続けていた。雛壇状に配された高石垣は見事です。かつては59もの建造物が城郭をなし、この範囲に密集していたことを想像してみた。圧巻だろうね。復元された大きな備中櫓は現在シンボル的建物です。天守台にはハート形の石垣もあります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ダイエティシャン

りんご狩り(11/15迄)とセットがオススメ (2020/10/05 訪問)

りんご狩りで、お腹いっぱいの後、攻城。
先日、確認出来なかった枡形虎口(4枚目)を発見。
破城の跡が残っています。

りんご狩り園は、瀬戸山城登山口から徒歩約15 分。11/15迄。9:00〜16:00 入園料¥600 食べ放題 但し持ち帰りは別途料金かかります。


帰りは武平が平にも攻城。武平が平城へは、瀬戸山城経由で、片道1時間程の山城なので、帰りの時間も加味しての攻城がオススメです。写真は後日投稿。
山の日暮れは早いです

帰りは、道の駅で 季節限定 特産の林檎パン(8枚目)を食べました 

城めぐりんもお供しました。

攻城の際は コロナ対策と共に 
熊対策、熊警報にもご注意を‼
熊対策は、各都道府県の指示に従うことをオススメします。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カルビン

金谷城 [愛知県豊田市金谷町1丁目] (2015/06/07 訪問)

愛知県豊田にある挙母城は3つの城で構成されております。
城びとに登録されているのは模擬櫓のある七洲城になりますが、今回は残り2つのうちの1つ・金谷城をご紹介。
(もう1ヶ所は石垣台の残る桜城)

名鉄三河線・上挙母駅から豊田市駅方面へ線路沿いに進むと、勝手神社と併設された公園内に城碑があります。。。が、ここには遺構はありません。

実は碑石を探して周辺を歩いていた際に、偶然に線路をくぐる小路に隣接した竹林を含めた所に遺構を発見したという(汗)
城碑の場所は地域の地図に載っていたのに、何の案内も無かった遺構先にみつけられるとは・・・ラッキーw

恐らく周辺と線路等の整備によって遺構かなり削られていると思われますが、それでもよくここ残したな・・・って感じで大きな堀が見られました。
完全に竹藪内だった為遺構内部に突っ込む事は出来なかったものの、奥にはもう少し残っている感じでした。
(ただ竹藪内は私有地っぽかった・・・もしかしたら名鉄線の敷地かも・・・ので、立入れるか事前確認して下さい)

挙母三城と言われてましたが、ここ金谷城だけは自然遺構が残っていたので、距離もそれなりに離れている事からやはり別城扱いで宜しいかと。


ちなみにここから挙母城の残り2城までは徒歩では距離あるので、両方見られるのなら一度豊田市に電車で移動された方が良いかと。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

コバトン

謎に満ちた織田信澄の城 (2020/11/07 訪問)

近江高島駅を出てすぐ。市民病院のわきを抜けるとこじんまりとした林のような場所の中に石垣が見える。天守跡で小ぶりだが大きめの天然石の野面積みで迫力がある。当時は琵琶湖に面した水城で水運を抑える役目もあった。この大溝城の城主だったのは織田信長の甥である織田(津田)信澄。この信澄という人はとても興味深い人で、信長に謀反を起こして誅殺された勘十郎信勝の子でありながら実子さながらに厚遇され、近江の要地である高島郡と大溝城を与えられた他、本願寺退去後の大阪城番も務めている。信長の側近としての活動も多い。よほど優れた人物だったのか、自分が殺した弟の子ということで特別な感情があったのか。悲しいことに本能寺の変後の混乱で信長の実子の信孝に殺されてしまっている。明智光秀の娘婿だったので変への関与を疑われたというが、恐らく信孝に後継者争いで邪魔になると思われたのだろう。信澄に関する資料は少なく人物像はよく分かっていないのだが、もっと詳しく知りたくなる人である。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

退会済み
ユーザー

玉縄城の支城の天神山城に行ってきました。 (2020/10/24 訪問)

玉縄城の支城の天神山城に行ってみました。
玉縄城から少し離れた場所です。城が1回探したけど何もなかったので情報があると思い
近くにある北野神社(山崎756)があったので行ってみましたが何もじょうほうがつかめず
なので北野神社の裏側に道があったので行ってみました
けれど途中で草木が生い茂る獣道みたいになっており何も調べることが出来ませんでした。
Googleマップでもう一度探しましたが
見事になにも見つけられませんでした。残念
皆さんもGoogleマップで北野神社と検索して北野神社(山崎756)とでたらクリックして少し周辺をを見てみると天神山城
があるのでお家がお近かったら探してみたらどうでしょうか。
あれば玉縄城のところに書いてください。少し勝手ですがなにとぞよろしくおねがいください。
難しいと思うので探してくれるといっても無理せずによろしくおねがいください。


+ 続きを読む

橋吉

河岸段丘を利用した城 (2020/10/24 訪問)

沼田城より、13km、クルマで約20分、名胡桃城へやってきました。

山城ではありますが、国道17号線沿いに20台くらいはとめられる広い駐車場があります。なんと、この駐車場、名胡桃城の郭の一つで般若郭とよばれていました。

名胡桃城は、1492(明応元)年に沼田城の支城として沼田氏によって名胡桃館が築かれたのが最初とされています。
その、名胡桃館の跡地が般若郭です。

飲食店跡に設置された名胡桃城祉案内所
ここで続日本100名城スタンプを押すことができます。
所在地: 群馬県利根郡みなかみ町下津3437番地
利用時間: 9:00~16:00
休館日: 年末年始

1579(天正7)年、真田昌幸は名胡桃館を攻略、隣接地に築城、ここを足がかりとして沼田城攻略を企図し、調略の結果、沼田城を手に入れることに成功しました。
豊臣の世になると沼田領については、昌幸が「祖先墳墓の地」であると主張した名胡桃城を含めた全体の三分の一は真田領に、それ以外の沼田城を中心とする三分の二は北条領と定められました。
しかし、北条の計略により、城を乗っ取られると、昌幸は直ちに家康を通して秀吉に訴え
小田原征伐が起こるきっかけとなりました。
北条氏が滅亡すると全沼田領は真田氏が安堵し名胡桃城は廃城となりました。

公園のように整備されており、見学しやすいですが、河岸段丘を利用した城だけあって三方が崖となっています。

見学時間30分

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

三木城攻めの本陣 (2020/10/25 訪問)

【平井山本陣】
<駐車場他>登城口前に数十台分無料Pあり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・主郭土塁・櫓台
<感想>登城口前の説明板・パンフレットが置いてありますので参考になります。比高はそんなにないのですぐに登れます。東西に伸びた尾根筋に、主に北側に階段状の郭群を配している。三木城は南東方向にあり、南側は急勾配になっている。主郭は土塁囲みになっていたようで、現在は一部残存している。展望台が置いてありますが、立入禁止になっています。主郭から景色が望めるので見て右の方向に三木城跡が良く見えます。(現地に写真付きの説明板とか無いのでセルフで探しましょう)主郭のすぐ北東側に櫓台跡の土盛り遺構があります。大手口跡は広い平坦地になっており城感があります。攻め側の陣城なので竪掘・堀切等の防御構造は見受けられなかった。
 私はここ平井山ノ上付城のみで竹中半兵衛の平井村中村間ノ山付城には行かなかった。見終わり後、2度目の竹中半兵衛のお墓にお参りして、三木城跡へ。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

うさぎ屋

自然教育園の土塁 (2020/02/28 訪問)

山手線の内側にある広大な国立自然教育園。約6万坪。
上野の国立科学博物館の年間パスポートで入れます。
野鳥観察している人が多いです。

自然教育園内には土塁の遺構が残っていますが、
明治以降に手が加わった可能性は高く、
すべての土塁がかつての城館の遺構ではないです。
山手線目黒駅から徒歩5分。

この白金はもとは「白銀(しろかね)」に由来します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅・妙顕寺城 (2019/02/08 訪問)

城びと未登録の妙顕寺城(別名:二条第)について投稿します。
聚楽第から徒歩で堀川中立売(京都市営バス)に行きバスで二条城前(京都市営バス)で下車。二条城を横目で見ながら、そこから「京都二条油小路郵便局」を目印に歩いて到着します。
以下「妙顕寺城」の説明は「攻城団サイト」から抜粋しました。
妙顕寺城は羽柴秀吉によって築かれた城です。1583年に本拠地を大阪に定めた際に京都における拠点として築かれたようです。
もともとはその地にあった妙顕寺を移転させ、その跡地に建設されたことが名前の由来だそうです。聚楽第完成まで秀吉の政庁として使用され、普段は前田玄以が在城していたそうです。現在の西福寺あたりが城址とされ石碑が建てられています。攻城時間は5分くらいでした。

+ 続きを読む

昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/08 訪問)

亀岡駅(亀山城)から電車とバスを乗り継いで千本中立売(京都市営バス)バス停で下車、そこから京都市立正規小学校を目印に進むと門前に「平安宮大蔵省跡碑」や「本丸西濠跡碑」などがあります。
「聚楽第址碑」は中立売通りを東方向に4~5分歩いた「ハローワーク西陣」の中立売通りを挟んだ前にあります。
付近には黒田官兵衛や上杉景勝などの屋敷跡を示す石碑もあるようですが、自分は捜さずに撤退しました(唐津小笠原藩邸跡碑だけは京都市立正規小学校門前にありましたので写真を撮りました)。攻城時間は20分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

橋吉

沼田城 (2020/10/24 訪問)

沼田城は、群馬県沼田市倉内にあり、利根川と薄根川の合流点の北東、河岸段丘の台地上に位置する丘城です。

戦国時代には上杉、武田、後北条氏により激しい争奪戦が繰り返され、後に真田氏が居城とし城郭を整備し沼田藩の藩庁が置かれました。

現在は沼田公園となっています。

駐車場脇にある沼田市観光案内所
所在地: 沼田市西倉内町2889-3
開館時間: 9:00~17:00(~16:00冬季)
休館日: 無休 (年末年始を除く)
沼田城に関する展示が置かれています。

受付で、続日本100名城スタンプを押すことができます。

所要時間:約1時間

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/08 訪問)

宿泊先のホテル(大阪富士屋ホテル)から心斎橋駅に向かい、そこから電車を乗り継いで亀岡駅に到着。そこから亀山城まで徒歩10分くらいでした。大本教、宗教団体の敷地内にあります。
職員の方に声をかければ対応していただけるようですが、自分は電車の都合もあって花明山植物園の入口付近から石垣の写真を撮って撤退しました。攻城時間は20分くらいでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

津軽発祥の地 (2020/09/30 訪問)

 みなさま方のご投稿と美しい写真に、過ぎし時代に思いを馳せる大人の時間が過ごせるのではないかと思い、行ってきました。
 丁字路の熊野宮の鳥居の横の「藩祖津軽右京大夫藤原朝臣為信公出生の處にして津軽発祥の地なり…」の碑文にタイムトリップのスイッチが入ります。ほどなく土塁が見え、平虎口のようなまっすぐな道が現れますが、ここは整備用につくられた出入り口なので、右に折れ、さらに左に折れる本来の喰違虎口から入ります。(←と、このようなことも、現地の親切な解説板がすべて教えてくれます。)
 大きく弧を描く土塁に囲まれた二の丸に何にでも対応できそうな余裕を感じる一方で、水堀にかかる土橋を渡った本丸は息を潜めて籠りたくなるような雰囲気。平面復元の建物跡の礎石の上に立つと他人様のお宅に勝手に上がったような気まずさを感じてしまいました。本丸には昭和20年7月に建立されたと思しき石鳥居があり、ここで戦勝祈願をしたであろう人々のことにも思いを致しました。
 木橋を渡り三の丸の土塁の上の展望デッキに上がると外堀跡の二重土塁の姿がよくわかりました。秋風にはためく幟に往時を思い描き、周囲の風景を目に焼き付けます。岩木山も望めました。二重土塁は三の丸の北側にも復元されていて、何と言うか…かっこよかったです。
 三の丸を貫く国道の下のトンネル内の地元の小学生制作の「津軽為信新聞」を読みながら堀越城址ガイダンス施設である旧石戸谷家住宅へ。説明展示のほか、お城の模型や出土品の展示などを見せていただきました。無料の施設でしたが、御城印があったので記念に、また入場料の気持ちで購入しました。(当初は収集するつもりはそれほどなかったのですが、すでに30枚を超え、そこそこのコレクションになってきました。)
 二周半くらいしたので、攻城時間は1時間40分。秋の夜長にスライドショーを楽しめそうな100枚超の写真を撮りました。機会があれば再訪したい城址です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

熱意が感じられる (2020/10/31 訪問)

宇都宮駅から徒歩で20分。
建造物も土塁もほぼ復元されたものだが市民の憩いの場となっていました。
土塁の下に資料館(無料)もありました。
釣天井事件など歴史的にも意義のある城。
遺構は微妙ですが地元の誇りであることが感じられる城でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

いんげん丸虫

小野城(要谷山城) 栃木県佐野市 (2020/11/01 訪問)

駐車場も完備されてる根古屋森林公園から登城できます。
それなりの登りが必要な山城です。規模の小さい単純な構造ですが、石積、竪堀、井戸跡、腰曲輪、堀切等一通りの遺構が残ってます。藪漕ぎも無いのでお勧めです。

+ 続きを読む

カズサン

桜の頃に来たかった❣土塁と空堀が絶品! (2020/10/25 訪問)

 鮎貝城、荒砥城を終えて国道287号線沿いの白鷹ヤナ道の駅でトイレ休憩、鮎の塩焼き匂いに誘われてビールを飲む訳にいかず昼飯用に鮎の炊き込みご飯、鮎の唐揚げを購入。
 後はひたすら国道287号線を北上、最上川の川沿いを走る、小雨でしたが紅葉もしっかりと見え良い景観でした、左沢楯山城辺りでは最上川左手奥に懐かしく山城を確認しながら走行、山形西部街道(国道347号線)をさらに北上し県道30号線に入り途中崖崩れで通行止め迂回して国道13号線へ舟形から県道31号線を大蔵村へ、後はナビに従い清水城の駐車場へ、その前に2の丸から外堀大土塁が目の前に現れ胸はドキドキ興奮状態駐車場に停める前にノックアウトです。 約2時間半ほどの走行で道は良くスムーズでした。

 車を駐車場に停め私1人だけの貸切状態、トイレ無く立派駐車場です。
 城郭放浪記さんの桜の時期の写真が頭に入ってるので土塁上の桜の木を見ながら想像するが寂しい限り、外堀土塁、空堀、南城下町方向今は田圃、2の丸も今は田圃、内堀、内堀と本丸堀切と間の細長い曲輪、本丸堀切を降りて登って本丸へ本丸は草原以外に広い、北先端に東屋、曲がった最上川が見下ろせる。最上川に沿い北に伸びた丘陵を堀切で刻み城郭にした丘城かな?東西は崖に成ってる良い造りですし開発に耐えてよく残ってくれたと感謝です。

 歴史的には源義家の末裔斯波氏の流れ成沢城主兼義の子満久が大蔵村の地に入部し文明10年(1478年)清水城を築き清水氏を称する、以来7代約140年継承、6代義氏に子無く最上義光の3子義親を養子に迎える、義光2子家親は徳川家近習、3子義親は豊臣家近習と仕え、関ヶ原、大坂の陣頃より対立が深まり兄家親に攻められ7代続いた清水義親、清水家は滅亡慶長19年(1614年)。(本丸案内板より)

 雨は少し上がり晴れ間も出ましたが黒い雲が走り突風が吹き不安に成りながら探訪撮影、良い城です、桜が咲いてたら最高でしたが?丁度同報無線の正午のサイレンが鳴り車の中で白鷹ヤナ道の駅で求めた鮎ご飯、鮎の唐揚げで昼食にしました突風で車が揺れるほど。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ1135