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AIBO

立派でした (2020/01/19 訪問)

ここまでの遺構が残っているのは貴重です。

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橋吉

登山です (2020/01/11 訪問)

福知山城から、クルマで30分黒井城へやってきました。

黒井城は、建武年間に赤松貞範が築城。
戦国時代には赤井直正の居城となりました。
1579(天正7)年、赤井直義の時、明智光秀に攻められ落城。
斎藤利三が城主となり、今日の規模にまで改修しました。
山崎の戦いの後、堀尾吉晴が入城。
関ヶ原の戦いの後、川勝秀氏が城主となるがその後廃城となりました。

まず、丹波市立春日住民センターで続日本100名城スタンプを押しました。
続いて、お隣の、丹波市立春日歴史民俗資料館を見学後、いよいよ登城です。

登山口に6台ぐらいとめられる駐車場がありますが、満車でした。
しかたなく、春日住民センターの前に戻ってきました。
ここには丹波市春日庁舎や文化ホール、図書館などの公共施設が集まっており、それらのための駐車場が用意されていますので、こちらの駐車することにしました。

登山口は黒井小をの北にあります。
登山口から本丸到着までなだらかコースで45分、降りるのに急坂コースで30分かかりました。

やっとのことで下山し、麓にある大梅山興禅寺へ
ここは黒井城の下館であったといわれています。

また、春日の局の出生地であるとも言われています。

現在も楼門前には水を湛えた七間堀と高い野面積みの石垣と白ねり塀が聳えるという城砦然とした戦国時代の構えをとどめています。

資料館見学や興禅寺参拝などすべて含めて2時間15分でした。

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todo94

大河ドラマ館に展示ありました (2020/01/11 訪問)

麒麟がくる京都大河ドラマ館に行く前に立ち寄りました。西岸寺に「丸岡城」の城址碑と説明板がありますが、遺構はなさそうです。大河ドラマ館には、航空写真に丸岡城(余部城)の城域を示した展示がありました。大河ドラマで明智光秀の丹波攻めが描かれるのはずっと先だとは思いますが、この城も登場するのでしょうか。

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まーやん

大河ドラマ館① (2020/01/19 訪問)

亀岡駅で関東の友人と待ち合わせ大河ドラマ館に行って来ました。
正直、創造を超えるクオリティでビックリしました💦
ネタバレになるので詳しくは申しませんが、私は満足しましたとだけ申し上げます。
是非行ってみて下さい( =^ω^)
場所はJR京都駅から嵯峨野線亀岡駅まで行き歩いて数分の京都スタジアム(新築)一階内です。
付近には亀山城址や余部城址もあり、さらに少し足を伸ばすと丹波一ノ宮:出雲大神宮もあります。
この辺り口丹波エリアと申します。ご堪能あれ~✨

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赤い城

主郭部以外はほぼ畑 (2020/01/18 訪問)

県道336号線沿い、広い駐車場があります。
駐車場にはパンフレットもありますが濡れてて微妙。
県道沿いに石碑が建っています。
主郭の周りに堀があり、北側の遺構は分かりやすい感じです。
ほぼ畑になっていますが幟も設置されていて力は入っていそうです。
蘆名時連が築き、その子孫の新宮氏が拠点とした城です。

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零汰

遺構は・・・。 (2019/10/12 訪問)

去年の10月に福岡県の香春岳城に行ってきました。1週間前に攻城失敗した為に再度の攻城でした。五徳峠の香春岳登山口の5・6台停められる駐車スペースに置き、登りはファミリーコース、下りは岩登りコースを通り2時間余りの攻城です。

香春岳は一~三ノ岳の3つの山であり、40年前の聖典によると二ノ岳・三ノ岳に跨ぐ竪堀や人枠遺構・二丁石場石塁などあるようです。一ノ岳は石灰石採掘の為に山頂が消滅、二ノ岳は立入禁止・・・でした。帰って聖典を見直した所、人枠遺構は立入禁止手前にあったかもしてません。遺構を見たわけではありませんが、遺構が消滅していく様を遠くから眺められた事が違う意味で収穫かもしれません。

その頃はログを取らずに廻っていたのでよく道に迷っていました。岩登りコースの下りは難易度が高く表示を見失い、登山口から1km近く離れた場所に出てしまいました。登りも下りもファミリーコースをお勧めします。

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ほむほむ

東西500mに及ぶ大規模な山城です。 (2020/01/18 訪問)

以前から行ってみたかった山城で、1月だというのに全く雪が降らなかったので、今回登ってみました。
長禅寺から主郭まで2km以上ありますが、ヒメサユリの小径で有名な場所でもあるため、遊歩道の整備状態が良く登りやすいです。
主郭を東西で挟む空堀1本、堀切5本がいい状態で見れます。
長禅寺側登城口から2、30m位登った所に長尾家廟所への案内表示が建っています。
行かれる時はひめさゆり祭りの時期(5月中旬~下旬)を外した方が良いです。(満車で入れない事があります)
駐車場は普通車160台停めれます。(通年無料、ひめさゆり祭り開催時は駐車場奥の受付で環境整備協力金として200円)

※体力に自身のある方は袴腰山(標高526m)まで登ってみてはどうでしょう。(比高差約450m)
山頂からの景色は最高です。

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小城小次郎

高堂城

隣の広瀬城は繊細だがこちらはむしろ大雑把。でも広瀬城より高くて広くて大きくて、どちらがメインかと問われると非常に悩む。。主郭周辺の石垣にはほんの少しだけ「見せる」意思を感じたりもする。

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ぴーかる

医王山城 (2019/12/28 訪問)

【医王山城】
<駐車場他>登城口(岩尾寺裏手)に5台程度駐車スペースあり。
<交通手段>車

<見所>石垣・畝状竪掘り群・堀切
<感想>添付写真の城跡にあった説明板の通りこの城は激戦城、毛利氏が支配してからは南西方向数キロに神楽尾城があり神楽尾城は毛利氏→宇喜多氏に奪われていることからこの地方はちょうど毛利・宇喜多の北の勢力圏境だったと思われた。
 
 城跡は小規模、地元の方達によって整備され、遊歩道あり、途中に渡し橋が整えられ観音堂があるのでお参りさせて頂上をめざした。
説明板の縄張り図のように東側から登りきった所が山頂主郭で南北尾根状に連なっている。草刈りが郭内部の平地しかされておられなかったので主郭の北側堀切、三の郭南の畝状竪掘り群は鬱蒼と生えた草に突込む気力なく断念した。

<満足度>◆◆◇

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チェブ

初詣の大渋滞。 (2020/01/02 訪問)

富士宮焼きそばで有名な富士宮市の「大宮城」で大渋滞にはまりました。
私が行ったのは1月2日。
近くに富士山本宮浅間神社があり、初詣の方々の車と同じ方向なので大渋滞に同じように、はまりました。
あの渋滞の中で「大宮城」に向かっていたのは私だけだったと思います!

富士郡の国衆、富士氏により築城しました。
もともと今川氏の家臣でしたが、武田 信玄さんの駿河侵攻の際、降伏しました。
ちなみに、富士山本宮浅間神社の大宮司は富士氏だったそうです。
もしかしたら神社も「大宮城」の 一部なのかもしれません。
「大宮城」は富士宮市立大宮小学校がお城跡のようです。石碑や遺構はありません。
小学校の脇に路駐しましたが細い道だったので、すぐに出発しました。
渋滞中、陣屋長屋門を見つけました。
もう、車は停められません。
初詣時期を避けるか、公共交通機関がオススメです。

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イオ

常宣寺 (2020/01/05 訪問)

織田信長との石山合戦に際して本願寺方が築いた出城のひとつで、推定地の常宣寺は室町初期の創建であり、本願寺八世門主の蓮如が立ち寄って教化伝道するなど、本願寺との繋がりが深い寺院だったようです。

宅地化により遺構は消滅していますが、常宣寺には隅櫓風の太鼓楼や立派な山門や鐘楼堂があり、なかなか雰囲気があります。また、常宣寺の山門脇には説明板が設置されています。

この日はOsaka Metroの1日乗車券「エンジョイエコカード」を利用しての城(史跡)めぐりで、葱生城(常宣寺)は地下鉄の駅から少々遠いためバスに乗りましたが、城北公園前バス停からは徒歩3分で、本数の多い路線でもあったので、ほとんど待つこともなく非常に便利でした。

また、このエンジョイエコカード、Osaka Metroの地下鉄・バスが一日乗り放題(バスは一部例外あり)なのに加えて、大阪城天守閣と西の丸庭園、大阪歴史博物館、通天閣や天王寺動物園、四天王寺などの割引もあり、大阪市内の城めぐりや観光に最適かと。実際、この日は2,000円分以上乗って、600円(平日は800円)で済みました。
 

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カズサン

本丸を石垣で築き日南海岸の眺望は絶景 (2016/10/24 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り、高城、都於郡城を終えて南下し日南市飫肥城を見ながら日南市役所で南郷城の情報を得ようとして寄るが資料、情報はあまり無く地元の南郷城麓に中村ファミリーマート店長が詳しいとの情報得る、同ファミリーマートに寄るが店長不在、情報を城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんの俯瞰図で探訪。
 中村ファミリーマートから中村神社へ石造りの案内道標に従い細い林道をそのまま登れば本丸に到着、本丸手前の駐車エリアに停める。
 本丸は入口が虎口か?石垣造りの枡形風、本丸周囲は草に覆われてるが土塁か石垣か良く判別でき無し本丸下に帯曲輪が備わってる、本丸から日南海岸の眺望は大変素晴らしい、周囲には木製の歌碑が立って居る。

 関ヶ原後島津氏の備えとして伊東氏が築き元和の一国一城令で廃城との事

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【福山城築城400年×信長の野望コラボ決定!】

福山城築城400年記念事業の取組を幅広く情報発信をしていきたいという思いを,株式会社コーエーテクモゲームス様にご賛同いただき,歴史シミュレーションゲーム「信長の野望」と「福山城築城400年」とのコラボレーションによるPRが決定しました!

PR企画の第一弾として,「信長の野望」に登場する武将の中から,初代藩主水野勝成とゆかりの深いキャラクター(9人)に今回,福山城築城400年応援サポーターに就任していただくことになりました。

水野勝成については,現在,福山城築城400年のオリジナルデザインをコーエーテクモゲームス様で制作していただいており,完成次第,発表いたします。

応援サポーターに就任した「信長の野望」の武将には,福山城築城400年記念事業のポスターやチラシ,パンフレット,公式サイトやフェイスブックなど様々な媒体に登場していただき,PRに協力いただくとともに,(スマホでプレイできる)アプリゲームを含めた,「信長の野望」シリーズとのコラボもしていただける予定です。

サポーターを活用したPRグッズも制作し,福山城築城400年記念基金への寄附に対する返礼品に活用するなど,PRを展開していきますので,応援よろしくお願いします!

詳しくはこちら→https://fukuyama400.jp/about/fund/supporter-kt_nobunaga

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カズサン

曲輪間の大堀切と大空堀に惚れ惚れ (2016/10/24 訪問)

 平成28年の山城サミット竹田大会後九州城廻り宮崎県も建物、石垣の残ってる所を主体に廻ってましたので土の城、山城廻りは今回の城探訪が初めて高城を終えて甥っ子からも都於郡城は素晴らしいと聞いており西都市都於郡小学校を目指し道路沿いに大きく案内標識西に向かって入っていくと大型駐車場が有ります、後は徒歩で案内図に従い本丸を目指す。
 南九州の特徴であるシラス台地を切り刻んだ曲輪間の堀切が幅広く深く大きい見事と言うしかない、本丸、大空堀を越えて二の丸、西の城、三の丸、戻って本丸北の奥の城と廻り十分に南九州土の城、伊東氏の本拠地的な城を十二分に堪能しました兎に角素晴らしい。

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todo94

胡麻駅で途中下車 (2020/01/11 訪問)

福知山までの往復切符の帰りの切符で順次、途中下車しての城めぐり、胡麻駅で途中下車して向かったのは塩貝城です。獣よけネットをめくってくぐらなくてはならないというのは知らなければかなり勇気がいるかと思います。山頂部の本丸、出丸とみられる鍛冶屋敷跡と遺構が視認できてなかなかの山城かと思います。

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勝野武士

官兵衛がいた『山崎の城』?? (2019/10/20 訪問)

篠の丸城は、山崎町の中心部にある標高324mの山上に築かれた山城です。
近世城郭である山崎城を訪れたあとは、やはりその前身たる篠ノ丸城に登城せねばなるまい…!

篠ノ丸城へは麓の山崎八幡神社に隣接した広い駐車場があるほか、最上山公園の上にある駐車場に停めると麓の駐車場に停めるよりは身体の負担は少ないかと。
ちなみに私は麓の駐車場に停めました。
麓の駐車場には『黒田官兵衛飛躍の地』と『黒田熊之助ゆかりの地』の二つの大きな石碑が建っています。
そうです、ここは羽柴秀吉による宍粟攻めによる落城から四年後の天正十二年(1584)から天正十五年(1587)豊前中津に移封となるまでの三年間、秀吉の命によりこの地を統治しており、『黒田家譜』に記述されている『山崎の城』はここではないかという説があります(但し、ここではなく長水城もしくはその山麓にいたのではという説もあり)。
また、黒田熊之助は官兵衛の次男として、この山崎の地で生まれたと推定されています。

篠の丸城の歴史は古く、南北朝時代に赤松貞範の子顕則により築城されたと伝えられており、室町期以降に守護代をつとめた赤松一族出身である宇野氏の拠点でした。
天正八年(1580)、本城の長水城とともに落城し、毛利方についていた宇野氏は滅亡しました。

平成25年度に行われた航空レーザー測量と発掘調査の結果、城跡(郭群)は南北250m、東西200mの尾根上に配置されていること、主郭(本丸)は南北50m、東西40mの規模(なんと城全体の1/4!)で播磨北西部では最大級を誇ること、主郭周囲に配された40余りの方形郭群を通路(犬走り)が取り囲む特殊な構造であること、更に北西の傾斜面の3つの尾根に多数の畝状竪堀群が配されていることなどが確認されました。
これらの測量成果に基づき主郭の一部が発掘調査されましたが、残念ながら建物遺構は検出されなかったそうです。

実際に行ってみると、まず九合目あたりに腰郭があり、東側の眺望が見事です!
清流揖保川を眼下に見下ろし、揖保川を挟んで対岸には、秀吉が宍粟攻めの手始めに攻略した聖山城跡があります。
聖山城を落とした秀吉はここを宍粟攻めの本陣とし、長水城及び篠の丸城攻略の指揮を執ったそうです。

腰郭から少し登れば、いよいよ主郭です。
第一印象はとにかく「広い!」。まるで方形館の様相です。虎口や土塁、そして北側に展開された郭群の遺構も非常に明確です。どんな建物が建っていたのでしょうか…主郭全体の発掘調査はまだのようですので、今後に期待です(もうしないかもですが)。

西側には二の郭があり、こちらは北、西、南の眺望が利きます。北には長水城、南には山崎の町を一望できます。西は山林に隠れて見づらいですが、三段の深い堀切が尾根をしっかり遮断しています。
二の郭から北の斜面を、少し崩れて見づらいですが畝状竪堀がビッシリと掘られています。
この方向にあるのはなんと、味方であるはずの宇野氏の本城である長水城です。
『仮想の敵』は誰なのか??私は織田方でも毛利方でもなく、長水城主である宇野政頼であると考えています。
実は戦国期、宇野政頼の嫡男満景が城主となりましたが、天正二年(1574)に政頼が父子の不和に起因する確執の末に満景を廃嫡の上殺害するという事件がありました。
もしこの大規模な竪堀を満景が掘らせたのだとしたら…なんとなく自然な流れに思える気がするのですが、如何でしょう??

また、城域をぐるりと取り囲む犬走りも見所の一つです。確かに、こういった構造は案外珍しいかもしれません。

とまぁ見所たっぷりの篠の丸城、是非訪れてみてください。城好きならきっと楽しめますよ!

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K-ZZ

定番撮影 (2020/01/19 訪問)

犬山城は、どこからでも、どの季節にでも、最高に映える一番好きなお城です。

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天下布武

今、ときが動き出す (2020/01/19 訪問)

大桑城は美濃守護土岐氏の最後の居城として、標高407.5mの古城山に築かれた山城で山麓には城下町も構成されました。
登山口は二か所整備されており、それぞれ説明板と駐車スペースがあります。
1.椿野広場側登山口(35.553927, 136.769858)-山麓からの登山口となり山頂までは約1時間となります。
2.はじかみ林道登山口(35.561444,136.772922)-はじかみ林道経由で中腹まで上がるため時短コースとなります。

大河の影響により整備が施されたようなので確認の為椿野登山口より城址全域を再確認しようと再訪登城しました。
遺構の案内等や急勾配部にロープが新たに設置されたり、木が伐採され竪堀等の遺構がかなり見易くなっているのが嬉しいです。
今日も2018年時に登った時と比べると多くの人が訪れるようになったようですが、土岐氏×斎藤氏との国盗りがあった地として大河ドラマ関係で触れられたらさらに訪城者が増えるのでしょうね。
下山後、周辺スポットで明智光秀の墓所とされる「桔梗塚(山県市中洞1020)」へ寄ってから、本日放映開始する「麒麟がくる」を楽しみに帰路についた。

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しろちゃん

難攻不落の高城 (2019/01/19 訪問)

難攻不落の高城を是非とも訪れたかった場所である。

この高城は、北から東へ向かって切原川が流れ、南側は、小丸川が流れ、その間の細長い台地上に城が築かれている。
北、東、南側は急峻で腰曲輪が配され、防御体制を取っている。唯一、西側のみ台地が繋がっているが、
幾重も深い堀切で遮断されている。

難攻不落の高城の由来は、都於郡城の伊東氏が島津氏に追われ、大友宗麟に頼り、日向北部の軍勢を率いて南下し、この高城を
攻撃を開始した。
大友宗麟側の陣地は、切原川の北側の台地上に構え、五万の兵で攻撃するも、なかなか攻略出来ず。高城救援に来た島津軍は、小丸川の南側の台地上に構え、対峙します。

島津軍は、高城の東側に少数で大友軍に挑み、負けたフリをして軍を引き、逃げたと思った大友軍が追撃しますが、引いた先には、伏兵によって総攻撃をくらい、大敗北がしました。これが、有名な釣り野伏せです。
但し、この戦いでの大友宗麟本隊や大友義統軍は、延岡に駐屯し、キリシタンの布教の準備をしていた様です。

二次の高城の戦いは、大友宗麟が島津氏に追われ、救援を豊臣秀吉に頼み、大軍をもって、九州征伐に繰り出し、この高城を包囲さますが、島津軍本隊が敗北し、和睦するまで持ち堪えました。

いずれも、山田有信が城主として落城しなかったってことは、堅固な高城だけでなく、山田有信を中心にまとまっていたからだと思います。

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カズサン

天正期小天守台も発掘発見、駿府城天守台4年間の発掘調査報告会 (2020/01/19 訪問)

 本日1月19日駿府城三の丸静岡市民文化会館大ホールで午後1時半より4時まで「4年間の発掘調査の集大成!駿府城跡天守台発掘調査報告会」開催され出席して来ました。
 
 静岡市歴史文化課の方が4年間の発掘調査成果を発表の後、城でお馴染みの日本城郭協会理事の加藤理文氏の講演で発掘された駿府城天守台の現地展示案には関心を持ちました有意義な報告会でした。

 報告会に先立ち今月7日の静岡市よりプレスリリースされた天正期の小天守台が発掘発見されたとニュース報道されて居ましたので発掘現場に寄って天正期小天守台石垣を確認と飛び込みましたが青シートを被り見学できないとの事、「発掘情報館きゃっしる」で天正期の小天守台石垣写真、1月7日プレスリリース展示を見学確認写真保存しました。
 これらの情報は静岡市歴史文化課のホームページに掲載されてます。
 これで中村一氏時代天正期の大天守台、小天守台も発掘発見され連結型天守構造も確認され様子で大御所時代の天守台、天正期の天守台と今後の保存整備が益々複雑に成って来ましたがどちらも大切な歴史遺産知恵を絞って後世に残していきたいものです。

 今回発掘発見された天正期の小天守台の発掘現地説明会は2月22日に開催。

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