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お城の宝庫 (2020/09/21 訪問)

まず、麓の資料館に立ち寄り、そこでパンフレットを手に入れる事をお勧めします。
その資料館には、御城印やクリアファイル なども売っています。続100名城のスタンプも置いてます。
その資料館の周りは水堀も巡っています。
本丸近くまで車でも登れるのですが、徒歩で登城することをお勧めします。
洲本錠は中世から近世までの城の移り変わりを感じとれます。
そして、全国的にも珍しい登り石垣も必見です。
本丸からの景色は絶景です。
本丸の後、残念石を見に行く事もお勧めします。
そこからの景色も見逃せません。

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宗春

白鷹城 (2020/10/31 訪問)

山城は、一度では城の全てを見て回る事は出来ませんね。

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ぎりょう

大崎領への伊達の拠点 (2020/11/03 訪問)

このところ奥州探題大崎氏に関連する城址を歩いていましたが、今日は大崎領に対する伊達氏の拠点千石城を訪問。
宮城県大崎市松山(旧志田郡松山町)の中心部に位置する。応永8年(1401年)遠藤盛継が関東公方から志田・加美・玉造の三郡の奉行人に任ぜられこの地に居住した。天文5年(1536年)大崎天文の乱に際し遠藤光定が古川城攻めに参戦。天正16年(1588年)遠藤高康のときに大崎合戦でこの城が伊達軍の基地となる。さらに天正18年(1590年)葛西・大崎一揆の際には鎮圧にあたる伊達政宗がこの城に入城したと云う。伊達氏にとってこの城は、北を流れる鳴瀬川を挟んで対岸に拡がる大崎氏領に対するくさびの役割を果していたものと考える。
慶長8年(1603年)茂庭氏が領主となる。当初は三ノ丸を使用したが、寛永8年(1631年)に下屋敷上野館(現在は松山高校)を築き、以後千石城三ノ丸には留守居として家臣一名を置くだけとなったと云う。
構造は、黒川郡から延びる大松沢丘陵の先端部に複数の曲輪を配した連郭式山城。南側最高所の本丸は三方が切り立った崖となり、北側へ続く二ノ丸、三ノ丸とは堀切で遮断する。これら三つの主要な曲輪を中心として複数の小曲輪が付随する防御性の高い造りとなっている。
現在城地は「コスモス公園」として整備され市民の憩いの場となっている。旧三ノ丸の部分は大きく改変されているが、本丸、二ノ丸は中世山城の雰囲気を十分感じさせてくれる。山上の三ノ丸まで車で登る事が出来る。




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くっしー

当時の縄張りを歩いてみた。 (2020/11/03 訪問)

遺構として残っているのは本丸の石垣ぐらいです。

しかも本丸の内側は公園で、当時の面影はありません。

というわけで、写真も石垣ばっかりになってしまいました。

でもこういう城跡を楽しむためには当時の縄張りを歩いてみることですね。

幸い説明看板が非常に充実していました。

現在の地図の上に当時の縄張りが描いてあり、東側の荒田川まで二の丸が広がっていたことが分かります。

確かにそこまで行ってみても遺構は何もないのですが、例えば舟入の場所も描かれているので想像で補ってみました。

そんなことをしながら縄張の範囲を歩くとなかなか大きな城だと気づくことができました。

それから、近くに川手城跡があるのですが、こちらは完全に消失しています。

しかし、移り変わりを考えると感慨深いものがあります。

室町時代の中心である川手から戦国時代に井口(稲葉山城)や大桑へと移り、江戸時代に加納に戻ってくる。

当時の人々がどのような意図で移動していったのかそんなことを考えながら散策してみると楽しいですね。

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小城小次郎

トノ町とは (2020/10/17 訪問)

石垣が残る山上の主郭は工事中で立入禁止という悲劇。城のある「トノ町」が「殿町」だとすれば、この町の「トノ」とは蜂須賀氏か香宗我部氏か、はたまたこの地を長く治めた新開氏か。城内の一角には新開神社も鎮座する。

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赤い城

日本三陣屋の一つらしい (2020/10/24 訪問)

青堀駅から徒歩で25分。
本丸の跡飯野神社に車を停めることができます。
神社の裏手に三条塚古墳があり、その間に堀があります。
陣屋自体も広く、周囲を堀が巡っていました。
桝形になっている部分も見ることができます。
保科正貞の陣屋。

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宗春

西高木家陣屋 (2020/11/01 訪問)

某城攻めアプリのイベントで訪れました。
石垣などあり、「城」っぽさもありました。

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カルビン

懐嶋氏館 [神奈川県茅ヶ崎市円蔵2282] (2018/10/21 訪問)

JR相模線北茅ヶ崎駅から北北西に約1㎞、道のりは結構遠回りになるので徒歩20分くらいかかるでしょうか。。。
神明大神宮の境内に入って左奥に懐嶋氏館跡があります。

周辺開発が進んでおり、残念ながら遺構は残っておりません。
そのかわりに館跡碑石、懐嶋景能公年表、懐嶋景能公像等があります。

懐嶋景能という人物は、お城好きな方々の大半が戦国時代好きな方と思われる中聞いた事無い方ばかりと思います。
・・・そういう自分も訪問直前までこの場所の存在すら知らなかったわけでw

この方は平安時代末期から鎌倉時代にかけて存在した人物で、源頼朝に従って奥州遠征に参加した参謀的人物だったようです。
(梶原景時と違ってゴマスリで頼朝に接したのではなく、逆に頼朝の方から誘われたくらいの高人物だった模様)

源頼朝って自身は技量の狭い人間だったものの、周りの人材には恵まれていた様です(景時さんもそれなりの人物だった・・・ハズw)
現代の、社長は無能でも社員が優秀だと良い会社になる・・・みたいな感じでしょうか(=ω=;)

一応懐嶋氏館は茅ヶ崎市指定の無形文化財第一号らしいので、近くに行ったら立ち寄られると宜しいかと。


・・・懐嶋景能像、結構立派な像なんですが・・・籠城期間中の像クイズに出すにはマイナーな人物過ぎたので使えなかったんです(汗)

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ブロせ

穴水城跡♪ (2020/11/01 訪問)

駐車場からすぐです(^^)
三の丸?から海が一望できますよ♪

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るぅ

リアル謎解き (2010/09/22 訪問)

館山城でリアル謎解きゲームに参加しました。
舐めてかかったら、結構きつかったです。

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西郷氏の城 (2020/11/03 訪問)

 城址は倒木などありますが、概ね縄張りなど把握できます。井戸と思われる穴がありました。主郭に最初に目に入った立て札が城址の標識かと思ったら「月ヶ谷城址のヤマモモ」となっていて隣にヤマモモの木がありました。主郭中心部に黄色い標柱が立っています。
 豊橋駅前から豊鉄バスに乗り嵩山市場にて下車。徒歩5分くらいで登城口である丸木橋に着きます。登城路は比較的整備されています。補修されていないらしくわかりにくい所もありますが、赤い矢印があり迷うことはありません。想像していたより急峻な道でした。この時期、ひっつき虫にやられて往生しました。

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昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 「増地氏城」 (2019/02/07 訪問)

近鉄奈良駅でレンタカーを返却するまでに少し時間的な余裕があったので急遽、城びと未登録ですが「増地氏城」を攻城することにしました。所在地は「三重県伊賀市島ヶ原字立岩」で目標を付近にある薬師堂に定めて向かいました。
この時分はナビの設定にGPS座標を使用していなかった為、薬師堂までは辿りつきましたが、増地氏城への登城口を見つけることができず付近をウロウロするだけで無駄に時間を費やし、結局は断念しました。攻城時間はウロウロした時間を含めて25分くらいでしたが、辿りつけなかったので参考になりません。すみません。

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BUGTI

湘南の名城 (2020/11/01 訪問)

川に囲まれた台地をうまく利用した縄張は戦国時代に改修されたことが想像できる。郭内は広くて公園となっているが、藪となっている公園周辺のあちこちに堀や土塁、腰郭が残っていた。公園へ登る南側の入り口と東側の入り口は、いずれも空堀や土塁が見え隠れしていて、城址らしい雰囲気を感じることができる。

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昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/07 訪問)

水口城から移動しました。ナビは「伊賀上野城」です。駐車場は「上野公園第一駐車場」を利用しました。
100名城スタンプは天守1Fで押印しました。
伊賀上野城は筒井定次によって築かれた城で、のちに藤堂高虎が大規模に改修したそうです。
現在は模擬天守が再建されており、黒漆喰の兜などが展示されていました。見所は模擬天守もいいですが、やはり高さ29.7mと日本有数の高さを誇る内堀の高石垣だと思います。「芭蕉翁記念館」もありましたが、自分は見学せずに撤退しました。攻城時間は45分くらいでした。

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昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/07 訪問)

水口岡山城から移動してきました。ナビの目的地は「水口城資料館」ですが、車を駐車する場所が見つけられなかった為、近所の「しまむら水口店」さんに駐車させて頂き攻城しました。
将軍の宿舎用として二条城を模した豪華な御殿が築かれたようですが、将軍の宿舎として使用されたのは築城時の家光上洛の一度だけだったそうです。
自分が攻城した日は木曜日だったのですが、水口城資料館は閉まっていて中に入れず、仕方なく周りを一周して撤退しました。
見所は遺構としての石垣、堀と復元された櫓と門だと思います。攻城時間は15分くらいでした。

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昌官忠

関西/東海/北陸/遠征3泊4日の旅 (2019/02/07 訪問)

八幡山城から移動しました。ナビの設定は水口岡山城でした。駐車場は「水口岡山城址 登山口駐車場」です。
水口岡山城は豊臣政権の五奉行を務めた「増田長盛」と「長束正家」の二人が入城しています。
遺構として堀切や石垣が残っているようですが、自分は石垣を見つけることはできませんでした。攻城時間は25分くらいでした。

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うさぎ屋

石田堤史跡公園 (2020/07/12 訪問)

石田三成の水攻めの跡です。
忍城を水攻めにするため、築かれた石田堤です。
現在も点在して200メートルくらい残っています。

忍城最後の城主・奥平松平家三代の墓地です。

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じゅんじん

品川 (2020/07/13 訪問)

公園になっています。面影はありませんでした。

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じゅんじん

池田家 (2020/07/04 訪問)

大名屋敷の屋敷門が国立博物館に移築されていました。格式が高い。

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todo94

三社宮 (2020/10/03 訪問)

三社宮は土塁の跡という一段高いところに建っています。谷地城本丸の鬼門にあたります。

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