【神楽尾城】
<駐車場他>神楽尾公園駐車場を利用するといいです。私は不精して登城口周辺が畑を切り開いているので、畑の間に車を停めました。
<交通手段>車
<見所>馬場・曲輪・虎口
<感想>城跡にある説明板の抜粋・まとめるとこの城は「室町時代、山名氏と赤松氏が戦いをくりひろげましたが、その後1566年毛利元就が尼子義久をやぶると、毛利方のだいじな城として2人の武将が守っていました。その後、宇喜多方の花房職秀との戦いに負けて落城したといわれています。」とあります。
城は尾根を切り開いた典型的な中世山城で1~3の曲輪群に分かれていて規模は大きい。登城口から行くと土橋・切通しを通って二の曲輪群に入る。二の曲輪群の中心曲輪は仕切り土塁があり櫓跡の表示があるが遺構はよくわからず。次に広く長い馬場に入って三の曲輪群は中心に円形の削平地に帯曲輪で囲んでいる。虎口は整備され明確。一の曲輪群は山頂に本丸、多数の腰曲輪を配して、一の曲輪群入口に馬場と繋がる広い武者溜りの曲輪がある。本丸は「山の頂上をスパット切りました」といった感じの形の円形の曲輪で中心に櫓台の土塁が残る。案内板の縄張り図にある泥田堀というのは堀というより谷になっています。三の曲輪・一の曲輪にある竪掘り群は笹で埋まっており遺構は全くわからずでした。
一応ハイキングコースになっており、運動で山頂の往復をされている地元であろう年配の方が何名もおられました。登城後車で下山していくと狭い山道、途中側溝にはまってしまっている車があり対向車が数台つまっていましたが、ちょうど手前で切り返せるスペースがあり、地元の方に別ルートをおしえてもらい助かりました。
<満足度>◆◆◆
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