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姫街道

愛知県内最大級の山城 (2020/11/01 訪問)

「西郷、松平、今川、徳川と東三河の城らしく城主が変わってきたが、最後は徳川家康の家臣酒井忠次で、1590年家康の関東移封にて廃城」とだけ情報をインプットして登城した。当然、遺構は最後の城主が誰だったかが重要になる。最後が武田で徳川に落とされて廃城の城は何となく武田の遺構だと感じるが、三河〜駿河まで関東移封の頃まであったこの山中城のような城は、情報が無ければ徳川なのか武田なのか正直見分けがつかない。
ただ、私の個人的感想だが、徳川方の遺構は城の面積に締める曲輪の面積の割合が広いように思われる。この山中城も各曲輪、非常に広かった。保存会の方の御尽力だと思うが、整備が非常に良く、案内看板も各所にあってわかりやすかった。比高が若干低いかなと思ったが、その分各所の曲輪に対する切岸が堅固に作られているのではないかと感じた。

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響ちゃん

リベンジしたっぽい(晴れ) (2020/11/01 訪問)

八月に高橋登山口から攻めたけど、倒木酷くて断念したぽい。今回は関守登山口からリベンジ、道中三ヶ所程倒木で道塞ぐけど何とか登城出来たぽい。

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響ちゃん

晴れ (2020/11/01 訪問)

展望台駐車場から要害神社まで階段で歩きやすいぽい。高津戸狭のハイキングコースみたいぽい

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響ちゃん

参拝してから登城(晴れ) (2020/11/01 訪問)

日枝神社様横の登山道から少し登ると祠が出てくるぽい。桜並ぶ斜面を登って行くと石垣が丸太で囲われて崩れない様になってるぽい。

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ぎりょう

伊達政宗の攻撃に耐え、和議により開城 (2020/11/01 訪問)

この城の築城年や築城者は不明だが、平安時代に藤原秀郷や長岡郡司の平資幹が拠ったとの説がある。奥州探題大崎氏の時代は城主としてその家臣、葛岡太郎左衛門・宮沢遠江・岩崎讃岐の名が見える。秀吉の奥羽仕置き後の葛西・大崎一揆に際して大崎旧臣がこの城にたてこもり、伊達政宗勢に攻められるも和議によって開城したと云う。
城は県北大崎市の北西に位置する低丘陵に築かれ、本丸を二ノ丸、外曲輪が囲み、西館、南西側に出曲輪(現在は上郡山光岳寺が建つ)を配して、北を流れるサイカチ川の水利により三重の堀を巡らせた堅城であった。往時、毎年立春の頃には川鵜が飛来したことから「鵜ヶ城」の別名を持つが、落城の年には鵜が来なかったとの言伝えがある。
江戸時代を通じて仙台藩の「要害」として後藤氏、上郡山氏につづき延享4年(1747)に長沼氏(着座二番坐1500石)が配され明治を迎える。
現況は鹿島神社・八幡神社を祀る本丸跡に土塁の一部を残すのみ。各曲輪を囲んだ堀も田畑や宅地に変わり、「浮き城のごとし」と評された堅城の面影は失われてしまった。

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キンヤ

堀切や土橋が見応えあるテクニカルな城 (2019/04/21 訪問)

堀切や土橋が良好に残り、馬出・桝形状虎口・折れ曲がった虎口などテクニカルな城です。

武田信玄ファンとしては、武田氏による縄張りの城だと嬉しいですが、歴史は不明なことが多いらしく謎の城のようです。

この日は甲府城・要害山城・躑躅ケ崎館・新府城と豪華ラインナップの後に行ったにも関わらず、それらに引けを取らない位に素晴らしい城でした。

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ヒロケン

甲賀支配の拠点 (2020/10/31 訪問)

水口岡山城は、中村一氏が豊臣秀吉から命を受け、甲賀の支配拠点として大岡山に城を築いたのが始まりで、築城にあたっては三雲城・大溝城等から資材が運ばれたと云われています。
一氏は、小田原の役の戦功により府城に転封され、代わって増田長盛が入城、さらに1595年には長束正家が入城した。長盛も正家も豊臣政権の五奉行を務めた秀吉の重臣であり、この甲賀の地が豊臣政権にとって重要な地と認められていた。

水口岡山城の現在は、県立自然公園として綺麗に整備され散策しやすくなっています。遺構は、曲輪・土塁・石垣・空堀・竪堀が良好に残っています。駐車場は水口小学校の西100m程に専用駐車場があり、登城口・説明板もあります。他にも城山中学校の南側にも登城口はありますが、駐車場はありません。(こちらから登った先にトイレが完備されています。

6年振り2度目の登城となりますが、前項で記入した中村一氏・増田長盛・長束正家などのビックネームの武将達がこの城で如何に戦国の世の甲賀を支配したのかと考えると感慨深いものがあります。(*'ω'*)
縄張りは、主郭を中心に西側に西郭、東側に二の郭・三郭・四郭が連郭式繋がり、主郭は往時を窺わせる石垣が残り(*^-^*)天守台と考えられる遺構が2か所存在しています。

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灰猫☆

教育・文化週間は入場券無料 (2020/10/31 訪問)

令和2年10月31日(土)~11月3日(火・祝)は教育・文化週間ということで入場無料です。
御城印帳も売っていました。

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じゅんじん

落石情報 (2020/06/29 訪問)

主郭へは落石情報で通行止めですが他にも複数ルートがあるみたいです。

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じゅんじん

池辺陣屋 (2020/06/20 訪問)

ららぽーと近くになります。遺構はわかりませんでした。

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じゅんじん

マリノスケとミズキー (2020/06/20 訪問)

いつのまにかゆるキャラができてる(;^ω^)

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じゅんじん

新横浜近く (2020/06/20 訪問)

お城エキスポで紹介がありました。どうやら立ち入り禁止らしいですね。

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じゅんじん

公園 (2020/06/20 訪問)

ちょっと自信がありませんがここらのはずです。上は養護学校。

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じゅんじん

横浜サイクリング (2020/06/20 訪問)

トレーニングついでに周囲探索しました。

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じゅんじん

お昼休みに (2020/06/11 訪問)

公園の駐車場は甲府駅そばなのに1時間無料なのです。出張時に時間があるときは停めてお城見てお昼ごはん食べます。

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ぴーかる

雨滝城 (2020/10/18 訪問)

【雨滝城】
<駐車場他>登城口は城跡北西側道路脇にあります。登城口前<34.284010, 134.235563>に東屋があり、2台分程の待避スペースあり。
<交通手段>車

<見所>堀切・曲輪
<感想>1泊2日讃州・阿波攻城の旅2日目5城目。この城は添付写真の現地説明板の通り。駐車情報が少なく、とりあえず上記場所まで車で進むと、なんとか駐車出来たので登城口前から攻城した。登り始めると比較的すぐ堀切・外枡形虎口のある北の曲輪群の最北の曲輪の下にたどり着きます。曲輪群脇の林道を南に進んで、北の2郭目辺りで曲輪に入り込めます。曲輪の下に降りるには階段等が付けられておらず、藪化していますがなんとか行ける程度です。主郭のみは雑草が刈られてありました。主郭北の虎口は平で巨石が残り、南東面の虎口には窪みが見受けられます。現地説明板には西方5段の曲輪があるようだが、もはや人(獣すらも)が入り込める状態ではない程藪化していた。3方に各数段もある連郭跡があり、南2郭目以外にはすべての曲輪に礎石建物が跡ある城跡なので綺麗に整備すれば見応えある城跡なのに勿体なかった。

 駐車スペースに東屋があるのですが、東屋の奥に堀切と堡塁がありました。東屋のある場所もわざわざ平地にして建てたわけではなさそうなので、曲輪跡だったかもしれません。

<満足度>◆◆◇

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じゅんじん

大きな森林公園 (2020/06/02 訪問)

わかりにくいですが駐車場完備。森林で遊歩道もあります。

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昌官忠

クラブツーリズム山陰山陽100名城制覇 (2019/03/16 訪問)

クラブツーリズム山陰山陽100名城制覇の最後は岡山城です。津山城からの移動です。100名城スタンプは天守にあります。
岡山城の攻城は3回目です。1回目は結婚前(35年以上前です)に妻と二人で、2回目は2018/06/17に次男と二人で後楽園とセットで攻城。3回目が今回になります。今回は天守には登らず、内堀沿いと旭川沿いを中心に散策しました。
見所は漆黒の復元天守ですが、個人的には現存の二重二階の月見櫓が好きです。攻城時間は90分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム山陰山陽100名城制覇 (2019/03/16 訪問)

鳥取城から津山観光センター駐車場に到着。ここから津山城攻城。100名城スタンプは備中櫓にありました。
現在、城址は鶴山公園として整備されており桜の名所になっています。自分の攻城時は咲いていませんでした。
攻城ルートは森忠政公銅像前➡表門➡三の丸➡表中門跡➡四足門跡➡二の丸(備中櫓を見上げる)➡切手門跡➡弓櫓跡➡表鉄門跡➡鐘撞き堂➡本丸➡常用の井戸➡備中櫓➡七番門と虎口➡天守台➡多門櫓跡➡裏中門跡➡粟積櫓跡➡出発点に戻る
見所はやはり復元された備中櫓と本丸までの高さ45mの石垣だと思います。桜の木がたくさんありましたのでシーズンは綺麗だと思います。自分は2週間から1ヶ月早くきたようです。攻城時間は90分くらいでした。

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昌官忠

クラブツーリズム山陰山陽100名城制覇 (2019/03/16 訪問)

宿泊先の三朝ロイヤルホテルを出発して、今回ツアー最終日1城目=鳥取城に到着しました。
鳥取城は久松山の山麓にあたる山下ノ丸と山頂の山上ノ丸で構成されており、ツアーでは時間の都合で山下ノ丸のみの見学でした。100名城スタンプは山下ノ丸の「仁風閣」入口にありました。
鳥取城に来る途中「古事記」にでてくる「因幡の白兎」の像を車窓から見ました。
遺構としては天守台や石垣、堀などが残っています。
撮影した写真を時系列に辿った攻城ルートは水堀前から仁風閣横を通り切石積石垣➡太鼓御門跡➡三の丸➡楯蔵跡付近から天球丸石垣を見学➡表御門跡➡二の丸➡菱櫓跡➡山上ノ丸に登る神社の祠前(登山口)➡天球丸➡再び二の丸に戻る➡三階櫓跡➡石切場➡裏御門跡(登石垣)➡お左近の手水鉢➡100名城スタンプの図柄場所(写真を撮りましたが雨の水滴がレンズに写り込み投稿できません)➡宝隆院庭園➡仁風閣➡出発点に戻る。後で気づいたのですが、「吉川経家公像」を見学するのを忘れていました。
見所は城びと会員の皆さんが必ずと言って投稿されている「天球丸石垣」です。背後の石垣がはらみだし、その崩落を防止する為に築かれた球面石垣。復元ですがいいものが見れました。攻城時間は90分くらいでした。

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