大坂冬の陣の際に、古墳を改変して徳川秀忠の本陣とした砦で、夏の陣の後、戦勝を祝して「岡山」を改め「御勝山」と呼ばれるようになりました。
砦跡は「御勝山古墳」と呼ばれる古墳時代中期の前方後円墳ですが、中央部は道路で分断され、前方部は公園化し後円部が残るのみで、砦としての遺構はありません。後円部も柵で囲まれているので、周囲から見上げるか歩道橋上から見渡せるくらいです。
さて、岡山砦そのものが大坂の陣の史跡であることは言うまでもありませんが、ほとんど見どころはないので、ついでに周辺の史跡めぐりを(不定期連載第5回)。
岡山砦から南に約1.8kmの桑津付近は大坂夏の陣の激戦地で、駒川沿いには豊臣方で戦った福島正則家臣・柴田権十郎正俊討死の塚があり、そこから西に徒歩5分の桑津天神社の東側には、大坂陣戦没将士慰霊塔が建てられています。
正直、福島正則はあまり好きではないんですが、大坂の陣に際して江戸留守居役を命じられて動けない中、豊臣秀頼のためにせめて家臣を遣わさずにはいられなかったのかなぁ、と考えると少々気の毒ではありますね。この数年後には、正則自身も秀忠に改易させられてしまう訳ですし…。
+ 続きを読む