室町中期に太田道灌が築いた館城で、同じ高台上の築土城と一つの城だったとも云われます。江戸前期には徳川家光が鷹狩の際に仮御殿を設けた地でもありますが、現在は住宅地になっていて遺構は消滅しています。
筑土八幡神社から御殿坂をはさんで西側が城跡とのことで、周辺を散策していると城びとの位置情報付近の壁面に何やら説明板らしきものが…。城びと先達の投稿では、石碑も説明板もないため、みなさん御殿坂の標柱の写真を投稿しておられますが、ついに説明板が新設されたのでは!? と勇んで近付いてみると「東京府仮小学 第三校跡」とあり、城とは何の関係もない説明板でした。やはり此処には標柱しか投稿できるネタはなさそうです…。
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