標柱に書かれている由緒書きによると、江戸時代、筑土八幡神社の西側は御殿山と呼ばれ寛永期(1624~44)三代将軍家光が鷹狩の際に仮御殿を設け、御殿坂(ごでんさか)の名はそれにちなんでいるとのことです。
当然のように遺構は無く、標柱が立っているのみです。こんな標柱しか無い城址は夜襲で十分でしょう。
御殿山城「あたたた!」 ポカポカ!
いたたた、本当のこと言っただけじゃん・・
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2025/01/13 01:44
2023/07/27 08:21
やはり標柱のみ (2023/06/09 訪問)
室町中期に太田道灌が築いた館城で、同じ高台上の築土城と一つの城だったとも云われます。江戸前期には徳川家光が鷹狩の際に仮御殿を設けた地でもありますが、現在は住宅地になっていて遺構は消滅しています。
筑土八幡神社から御殿坂をはさんで西側が城跡とのことで、周辺を散策していると城びとの位置情報付近の壁面に何やら説明板らしきものが…。城びと先達の投稿では、石碑も説明板もないため、みなさん御殿坂の標柱の写真を投稿しておられますが、ついに説明板が新設されたのでは!? と勇んで近付いてみると「東京府仮小学 第三校跡」とあり、城とは何の関係もない説明板でした。やはり此処には標柱しか投稿できるネタはなさそうです…。
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2022/12/04 22:39
分類・構造 | 平山城 |
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築城主 | 太田道灌 |
築城年 | 長禄年間(1457〜1460) |
主な城主 | 太田道灌、宇多川長清 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 消滅 |
再建造物 | なし |
住所 | 東京都新宿区筑土八幡町 |