第二次天正伊賀の乱において、柏原城などの抵抗により長期戦になったことから、滝川雄利が兵站拠点として築いた城で、丸山城と同じく、滝川雄利が伊勢・松ヶ島城に移った際に廃城になったものと思われます。
三重県内最大の単郭式城郭で、現在はグラウンドになっている主郭の四方は分厚く高い土塁が取り巻き、土塁の外周には深い横堀を巡らせています。主郭南部の虎口を出ると馬出状の曲輪があり、馬出の西(主郭の南西)側には腰曲輪が設けられ、柏原城がある南西側の防備を固めていることが窺えます。
それにしても、5万の大軍の兵站拠点ということで規模の大きさはある程度想定していましたが、土塁の分厚さと高さ、さらに横堀の深さは全く想像を超えていました。単なる兵站拠点ではない、充分に防衛線も戦える城ですね。
+ 続きを読む